092: 夢と現実



 いばらに囲まれた城で、美しい姫が、騎士のキスで目覚めるのを待っている。
 それは、この国の者なら、幼い子供でも知っているお伽話だ。
 悪い魔女の呪いで、長い眠りにつくことになった、お姫様。
 俺はいつか、姫の眠りを覚ます騎士になろうと、心ひそかに思っていた。
 笑われるだろうから、口に出して言ったことはなかったけれど。
 そして、月日が過ぎて―――――。

「……………平らだな」

 俺の目の前には、天蓋に包まれたベッドがあった。
 その上には、金色の長い髪を天の川のように白いシーツの海にたなびかせた、美しい人が横たわっている。
 ただし、その穏やかに上下している胸は、水平線のように平らだ。
 世の中には、あるかなきかの、つつましやかな胸を持つ女性もいることを、俺は知らないわけではない。
 だが、これはそういうものではないだろう。
 それによーく見ると、喉元に、女性にはあってはならない、小さなふくらみが見える。
 成人男性には大きさの違いはあれども、必ずあるもの。
 そう、喉仏、だ。

「なんて残酷なお伽話なんだ……」

 勝手に夢を見たのはお前だ、と言われてしまえばそれまでだが、これはいくらなんでも、あんまりではなかろうか。
 青少年の、心ときめく夢を、こんなに無残に打ち砕くなんて。
 現実とは、かくも厳しいものなのか。

「………帰ろう」

 俺は、すべてを、見なかった事にした。


 夢見る少年の心を忘れずに成長した俺は、親の商売を継がずに、旅をしながら行商をする道を選んだ。
 きっと、どこかに、いばらに囲まれた城はある。
 そう、信じていたからだ。
 お伽話によると、眠り姫を覚ますのは、騎士のキス、とあるのがひっかかったが、眠りを覚ますことができれば、騎士だろうと旅の商人だろうと、構わないではないか。
 そういう甘い考えが、いけなかったのかもしれない。
 だが俺は、次の街へと向かう途中の森で、ちょっとしたいばらの茂みを見つけた時、もしかして、と思ったのだ。
 この奥に、ひっそりと目覚めを待つ、美しい姫がいるのかもしれない、と―――。
 そして、本当に、いばらの向こうに、城があったのだ。


 ……そこまでは、よかった。
 古ぼけてはいたが、意外なくらいに往時の姿を保っている、しっかりとした作りの城には、案外あっさりと入れた。
 しんと静まり返っていて、誰の姿も見えない。
 俺は恐る恐る、城の中へと踏み行った。
 そして、導かれるように、その部屋の中に入ったのだ。


「ちょっと……! なんで帰っちゃうんだよ!?」

 部屋を出ようとした俺の背中に、待ったの声がかかった。
 俺の他には、ここにはもう一人しか、いない。
 と、いうことは……。

「いつキスしてくれるのかって、待ってたのにさあ……! ったく、なんで何事もなかったように出ていこうとするワケ!?」

 そこには、ベッドから身を起して、ぷりぷりと怒る、金色の髪の美少女……じゃない、美少年の姿が、あるのだった。
 開かれた目は、冬の湖のように澄んで、青かった。
 ああ、これで女の子だったら、俺が夢見たままだったのに……と思ったのが、伝わったのか。
 美少年は、思いっきり眉をしかめた。

「なんだよ、その顔? 僕が女の子じゃなかったのが、そんなに不満?」
「そりゃそうだろう」

 本音が、ぽろりと漏れる。
 怒るかな、と思ったら、それを聞いた彼は、声をあげて笑った。
 とても楽しそうに。
 不機嫌そうでも十分美しかったが、笑うとぐっと親しみを増して、可愛らしく見えた。
 その姿に、思わず、見とれてしまった。
 ………男、なのに。

「ははっ、君、正直だね! 気に入ったよ!」

 そう言って、ベッドからぽんと立ちあがった。
 足首まである白い寝まきは、ふちにレースがあって、簡素なドレスのようだった。
 それはどう見ても女の子の格好だったが、生き生きとした目は、どうみても少年のそれだ。
 つかつかと歩いて、俺に近づくと、俺の顔を、じーっと至近距離で、見上げた。

「な、なに……!?」

 男だと分かっていても、なんだか、どぎまぎしてしまう。
 彼は、俺を見て、にっこり笑うと、背伸びして、ちゅっ……と、口づけた。

「………っ!?」

 口を押さえてあとじさると、彼は満足そうにうなずいた。

「うん、これでよし! 目が覚めた!」
「……って、別にキスしなくても、起きてただろう?」

 すかさず突っ込むと、彼は、ムッと口をとがらせた。

「だって、そういう呪いなんだから! 段取りはきちんとすませないと、なんだか落ち着かないだろう」
「そんな理由でキスするなよ……」
「男がキスのひとつくらいでうだうだ言わない!」

 腰に手を当てて、彼は言った。
 迫力なんて全然なくて、むしろ可愛いくらいなんだけど、だからこそ、なんだか余計に脱力する。
 はあ……、とため息をこぼすと、今度は背中をパシンと叩かれた。

「なんだよ、もう! 君は僕の騎士様なんだから、しゃんとしてもらわなくっちゃ、困るよ!」
「そんなこと、言われても、なあ……」

 可愛いけど……。
 美人だけど……。
 男………。
 何度見ても、その事実は、変わらない。
 お伽話なんていい加減なものなのかもしれないが、よりによって、性別を間違うとか、アリか!?

「いばらを通り抜けられたってことは、君が僕の騎士である事は、確定なんだよ?」
「え、でも、簡単に通れたぜ、あそこ」

 実際、それは何の障害にもなっていなかった。
 ぱっと見ると、密に絡まっているように見えたいばらは、ちょっとかき分けると二手に分かれていて、小さな道を作っていたのだ。
 俺はそこを、辿ってゆくだけでよかった。

「それが、騎士の証なんじゃないか」
「え! そうなのか!?」

 知らなかった……。
 お伽話は、そういう大事な事は何も伝えてなかったからな。
 というか、本当にいばらに囲まれた城があって、そこに眠る姫――じゃなく、王子? だったが――いる、なんて、本気で信じてるヤツなんて、俺ぐらいのものだっただろうけど。

「そうだよ? だから、君には、僕に対して責任を取る必要があるんだ」
「え………」

 な、なんでいきなり、そういう話に?
 そういえば、俺は、いばらの城の姫を目覚めさせたい、とは思っていたが、その先どうしたい、とまでは考えていなかった。
 我ながら、迂闊すぎる。
 彼が一体、何を言い出すつもりなのか。
 俺はドキドキしながら、次の言葉を待った。

「僕を、ここから連れ出して欲しいんだ。そして、旅に連れて行って欲しい」
「……それだけ?」

 どんな飛んでもない事を言われるのか、と身構えていた俺は、拍子抜けした。
 そんな俺の様子が不満だったのか、彼は、勢い込んで、俺に訴えた。

「それだけ、なんて簡単に言わないでよ! 僕はずーっとこの城から出たことがないんだ! 誕生祝いに呼ばれなかった、そんなくだらない理由で魔女に呪いをかけられた、生まれたての頃から今まで、ずっとね! 旅をする事は、僕の夢だったんだ」

 そう言う、彼の青い瞳はきらきらと輝いていて、引き込まれるように、その瞳を覗き込んだ。
 青い湖には、自分の、間抜け顔が映っている。

「そ、そうか……。それなら、俺にも、何とか出来る、と思う。俺、旅の商人だから……」
「ホント!? やった!!」

 手を叩いて、その場でぴょんぴょんととび跳ねる。
 金色の髪が、さざめくように揺れた。

「ありがとう、騎士様」

 そして、俺に向かって、ぺこりと頭を下げた。

「どう、いたしまして……」

 にっこり微笑まれて、また、心臓の動悸が激しくなった。

「ああ、そうだ。名前を言ってなかったね。僕の名前は、アーサー。君は?」
「ランスロット……」
「ランスロット、いい名前だね! これから、よろしくね、ランスロット!」
「ああ……、うん」

 ランスロット、なんて。
 名前だけは立派な騎士様みたいだけど、しがない商人の息子で、本人も旅の商人だ。
 いつもは、名乗るのが何だか気恥かしい自分の名前も、アーサーに呼ばれると、とてもいい名前に思えるのが、不思議だった。

「じゃあ、僕、着替えてくるから! ちょっと待っててね!」

 そう言うと、ベッドに駆け戻って、ばさりと勢いよく、アーサーは寝まきを脱いだ。

「…………っ!!」

 わかっていても、心臓に悪いその行為に、思わず一瞬、目をつぶってから、ひらいた。

「…………」

 華奢な白い身体は、すらりと若木のように伸びやかだったけど、やっぱりどう見ても、少年のそれだった。
 なのに何故だか、動機が収まらない。

「なんでだ……?」

 胸を抑えて戸惑いながら、俺は、アーサーが、少し古めかしい、でもこざっぱりとした衣装に着替えるのをその場で見守った。
 長い髪を、後ろでひとつにくくった彼が、笑顔で駆けもどってくる。

「行こう? ランスロット!」
「あ、ああ……」

 俺の腕に、はじける笑顔で、じゃれるようにしがみついてくるアーサーと、お伽話の城を、後にする。
 幼いころに、思い描いていた夢とは、なんだかずいぶん、様子が違うけど……。
 これはこれで、悪くなさそうな……現実が、始まろうとしていた。


Fin.


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