いばらに囲まれた城で、美しい姫が、騎士のキスで目覚めるのを待っている。
それは、この国の者なら、幼い子供でも知っているお伽話だ。
悪い魔女の呪いで、長い眠りにつくことになった、お姫様。
俺はいつか、姫の眠りを覚ます騎士になろうと、心ひそかに思っていた。
笑われるだろうから、口に出して言ったことはなかったけれど。
そして、月日が過ぎて―――――。
「……………平らだな」
俺の目の前には、天蓋に包まれたベッドがあった。
その上には、金色の長い髪を天の川のように白いシーツの海にたなびかせた、美しい人が横たわっている。
ただし、その穏やかに上下している胸は、水平線のように平らだ。
世の中には、あるかなきかの、つつましやかな胸を持つ女性もいることを、俺は知らないわけではない。
だが、これはそういうものではないだろう。
それによーく見ると、喉元に、女性にはあってはならない、小さなふくらみが見える。
成人男性には大きさの違いはあれども、必ずあるもの。
そう、喉仏、だ。
「なんて残酷なお伽話なんだ……」
勝手に夢を見たのはお前だ、と言われてしまえばそれまでだが、これはいくらなんでも、あんまりではなかろうか。
青少年の、心ときめく夢を、こんなに無残に打ち砕くなんて。
現実とは、かくも厳しいものなのか。
「………帰ろう」
俺は、すべてを、見なかった事にした。
夢見る少年の心を忘れずに成長した俺は、親の商売を継がずに、旅をしながら行商をする道を選んだ。
きっと、どこかに、いばらに囲まれた城はある。
そう、信じていたからだ。
お伽話によると、眠り姫を覚ますのは、騎士のキス、とあるのがひっかかったが、眠りを覚ますことができれば、騎士だろうと旅の商人だろうと、構わないではないか。
そういう甘い考えが、いけなかったのかもしれない。
だが俺は、次の街へと向かう途中の森で、ちょっとしたいばらの茂みを見つけた時、もしかして、と思ったのだ。
この奥に、ひっそりと目覚めを待つ、美しい姫がいるのかもしれない、と―――。
そして、本当に、いばらの向こうに、城があったのだ。
……そこまでは、よかった。
古ぼけてはいたが、意外なくらいに往時の姿を保っている、しっかりとした作りの城には、案外あっさりと入れた。
しんと静まり返っていて、誰の姿も見えない。
俺は恐る恐る、城の中へと踏み行った。
そして、導かれるように、その部屋の中に入ったのだ。
「ちょっと……! なんで帰っちゃうんだよ!?」
部屋を出ようとした俺の背中に、待ったの声がかかった。
俺の他には、ここにはもう一人しか、いない。
と、いうことは……。
「いつキスしてくれるのかって、待ってたのにさあ……! ったく、なんで何事もなかったように出ていこうとするワケ!?」
そこには、ベッドから身を起して、ぷりぷりと怒る、金色の髪の美少女……じゃない、美少年の姿が、あるのだった。
開かれた目は、冬の湖のように澄んで、青かった。
ああ、これで女の子だったら、俺が夢見たままだったのに……と思ったのが、伝わったのか。
美少年は、思いっきり眉をしかめた。
「なんだよ、その顔? 僕が女の子じゃなかったのが、そんなに不満?」
「そりゃそうだろう」
本音が、ぽろりと漏れる。
怒るかな、と思ったら、それを聞いた彼は、声をあげて笑った。
とても楽しそうに。
不機嫌そうでも十分美しかったが、笑うとぐっと親しみを増して、可愛らしく見えた。
その姿に、思わず、見とれてしまった。
………男、なのに。
「ははっ、君、正直だね! 気に入ったよ!」
そう言って、ベッドからぽんと立ちあがった。
足首まである白い寝まきは、ふちにレースがあって、簡素なドレスのようだった。
それはどう見ても女の子の格好だったが、生き生きとした目は、どうみても少年のそれだ。
つかつかと歩いて、俺に近づくと、俺の顔を、じーっと至近距離で、見上げた。
「な、なに……!?」
男だと分かっていても、なんだか、どぎまぎしてしまう。
彼は、俺を見て、にっこり笑うと、背伸びして、ちゅっ……と、口づけた。
「………っ!?」
口を押さえてあとじさると、彼は満足そうにうなずいた。
「うん、これでよし! 目が覚めた!」
「……って、別にキスしなくても、起きてただろう?」
すかさず突っ込むと、彼は、ムッと口をとがらせた。
「だって、そういう呪いなんだから! 段取りはきちんとすませないと、なんだか落ち着かないだろう」
「そんな理由でキスするなよ……」
「男がキスのひとつくらいでうだうだ言わない!」
腰に手を当てて、彼は言った。
迫力なんて全然なくて、むしろ可愛いくらいなんだけど、だからこそ、なんだか余計に脱力する。
はあ……、とため息をこぼすと、今度は背中をパシンと叩かれた。
「なんだよ、もう! 君は僕の騎士様なんだから、しゃんとしてもらわなくっちゃ、困るよ!」
「そんなこと、言われても、なあ……」
可愛いけど……。
美人だけど……。
男………。
何度見ても、その事実は、変わらない。
お伽話なんていい加減なものなのかもしれないが、よりによって、性別を間違うとか、アリか!?
「いばらを通り抜けられたってことは、君が僕の騎士である事は、確定なんだよ?」
「え、でも、簡単に通れたぜ、あそこ」
実際、それは何の障害にもなっていなかった。
ぱっと見ると、密に絡まっているように見えたいばらは、ちょっとかき分けると二手に分かれていて、小さな道を作っていたのだ。
俺はそこを、辿ってゆくだけでよかった。
「それが、騎士の証なんじゃないか」
「え! そうなのか!?」
知らなかった……。
お伽話は、そういう大事な事は何も伝えてなかったからな。
というか、本当にいばらに囲まれた城があって、そこに眠る姫――じゃなく、王子? だったが――いる、なんて、本気で信じてるヤツなんて、俺ぐらいのものだっただろうけど。
「そうだよ? だから、君には、僕に対して責任を取る必要があるんだ」
「え………」
な、なんでいきなり、そういう話に?
そういえば、俺は、いばらの城の姫を目覚めさせたい、とは思っていたが、その先どうしたい、とまでは考えていなかった。
我ながら、迂闊すぎる。
彼が一体、何を言い出すつもりなのか。
俺はドキドキしながら、次の言葉を待った。
「僕を、ここから連れ出して欲しいんだ。そして、旅に連れて行って欲しい」
「……それだけ?」
どんな飛んでもない事を言われるのか、と身構えていた俺は、拍子抜けした。
そんな俺の様子が不満だったのか、彼は、勢い込んで、俺に訴えた。
「それだけ、なんて簡単に言わないでよ! 僕はずーっとこの城から出たことがないんだ! 誕生祝いに呼ばれなかった、そんなくだらない理由で魔女に呪いをかけられた、生まれたての頃から今まで、ずっとね! 旅をする事は、僕の夢だったんだ」
そう言う、彼の青い瞳はきらきらと輝いていて、引き込まれるように、その瞳を覗き込んだ。
青い湖には、自分の、間抜け顔が映っている。
「そ、そうか……。それなら、俺にも、何とか出来る、と思う。俺、旅の商人だから……」
「ホント!? やった!!」
手を叩いて、その場でぴょんぴょんととび跳ねる。
金色の髪が、さざめくように揺れた。
「ありがとう、騎士様」
そして、俺に向かって、ぺこりと頭を下げた。
「どう、いたしまして……」
にっこり微笑まれて、また、心臓の動悸が激しくなった。
「ああ、そうだ。名前を言ってなかったね。僕の名前は、アーサー。君は?」
「ランスロット……」
「ランスロット、いい名前だね! これから、よろしくね、ランスロット!」
「ああ……、うん」
ランスロット、なんて。
名前だけは立派な騎士様みたいだけど、しがない商人の息子で、本人も旅の商人だ。
いつもは、名乗るのが何だか気恥かしい自分の名前も、アーサーに呼ばれると、とてもいい名前に思えるのが、不思議だった。
「じゃあ、僕、着替えてくるから! ちょっと待っててね!」
そう言うと、ベッドに駆け戻って、ばさりと勢いよく、アーサーは寝まきを脱いだ。
「…………っ!!」
わかっていても、心臓に悪いその行為に、思わず一瞬、目をつぶってから、ひらいた。
「…………」
華奢な白い身体は、すらりと若木のように伸びやかだったけど、やっぱりどう見ても、少年のそれだった。
なのに何故だか、動機が収まらない。
「なんでだ……?」
胸を抑えて戸惑いながら、俺は、アーサーが、少し古めかしい、でもこざっぱりとした衣装に着替えるのをその場で見守った。
長い髪を、後ろでひとつにくくった彼が、笑顔で駆けもどってくる。
「行こう? ランスロット!」
「あ、ああ……」
俺の腕に、はじける笑顔で、じゃれるようにしがみついてくるアーサーと、お伽話の城を、後にする。
幼いころに、思い描いていた夢とは、なんだかずいぶん、様子が違うけど……。
これはこれで、悪くなさそうな……現実が、始まろうとしていた。
Fin.
Copyright(c) 2011 all rights reserved.