094: 古いものと新しいもの



 来てみて正解だった、と部屋の惨状を見た文近は思った。
 幼なじみの部屋は明日引越しだとは信じられないくらい、片付いていない。

「……ってか、散らかり過ぎだろ、潤」

 足の踏み場すらないってどういうことだ、と突っ込むのも面倒なくらい、物であふれ返っている。
 元々整理整頓が苦手だと言うのは知っていたが、限度があるだろう。
 これじゃ先が思いやられる……と文近が内心ため息をついた時、部屋の真ん中に座った幼なじみから途方にくれた声がした。

「だって、ふみくん。何持っていけばいいのかなんて、決められないよう〜っ」

 春から大学生のくせしてそんなべそかき顔で俺を見るな! と言いたい気持ちを文近はぐっと押さえた。
 言ったら、確実に泣きだすのがわかっているからだ。

「とりあえず、必要最低限のものだけでいいんだよ。着るものとか……。足りないものは、向こうで買えばいいんだから」

 至極まっとうなアドバイスをしてやったら、溢れ返ったものの中から潤は文近を見上げて半泣きで主張した。

「そんな! だって、ふみくんだって、どうしても手元に置いておきたいものとかあるでしょう!?」

 文近は、改めて散らかりまくった部屋を眺め回す。
 ふさふさの犬のぬいぐるみと目があった。
 潤の質問には答えずに、文近は尋ねた。

「まさかとは思うが、アレも持って行く気じゃあるまいな?」
「アレって……? ああ、ケンタのこと? もちろん持ってくよ!」

 積み重なれた本の上にちょこんと座っているケンタに手を伸ばして、潤はぎゅっと抱きしめた。
 すかさず文近は突っ込んだ。

「置いてけ、ばか!」
「ええーっ!? だって、ケンタは幼稚園の時からずっとオレを見守ってくれてるんだよ!?」

 青い犬のぬいぐるみのケンタは、確かに順とずっと一緒だった。
 どこへ行くにも持ち歩こうとするので、文近はそれを順に置いて行かせるのに苦労したものだった。
 そうだ、ケンタは潤がどこにいても家の中から見守っているから、とかなんとか言いくるめたのは文近だった。
 それを思い出しながら、文近はもっともらしく言った。

「潤。ケンタは、お前がこの家を離れても、ちゃんとこの場所からお前のことを見守っている。だから置いて行け」
「でも……」
「第一、かわいそうだろう。長年住み慣れた部屋からケンタを連れていくのは」

 何故俺は18歳男子に向かってこんな埒もないことを言い聞かせているんだろう……と文近は一瞬遠い目をしたが、今さらそんな事を考えていたら確実に明日引越せない。
 納得したのか、潤はケンタをそっと本の上に戻した。
 それを横目で眺めて、文近は言った。

「俺も手伝うから、この惨状を早くなんとかするぞ」
「惨状って……ヒドイなあ、ふみくん」

 どこがひどいんだ、正しい現状認識だろうが、とはやはり口にせずに、文近は部屋の隅に畳まれていた段ボールを2つ取った。
 空きスペースを作って、段ボールを箱の形にして置く。

「こっちに向こうに持ってくもの、そっちにここに置いてくものを入れろ」
「それ、逆じゃない? 向こうに持ってく箱の方がちっちゃいよ?」
「これでいいんだ」

 きっぱり言い切る。
 でないと、新居が潤の要らないものばかりで溢れてしまう。

「言っとくが、俺も住む部屋だってことを忘れるなよ」
「わかってるよう。オレひとりだったら、絶対ひとり暮らしなんてさせてもらえなかったもん」
「その認識を向こうに行ってからも、忘れないように」
「もー、ふみくんてば、おかーさんみたいなこと言わないでよう」
「誰がお母さんだっ!!」

 文近と潤は、生まれた時からの幼なじみでご近所さんだ。
 父方のはとこ同士でもあるので名字も一緒だ。
 ふたりは同い年で、誕生日は潤の方が半年も早いにも関わらず、常に文近が年上に見られる。
 それは別に文近が老けているから、では決してなく、潤が子供っぽいからだ。
 顔も童顔だが、行動もどこか危なっかしい。
 人見知りのくせに、何故かワンワン吠えてる犬には突進してくような無謀さがあり、目が離せない。
 調理実習で包丁を持つとまず間違いなく自分の指を切ってしまうクチだ。
 他人から馬鹿にされても9割方気付かずニコニコしていて、余計な仕事を押し付けられてしまうタイプでもある。
 取り柄と言えば、素直なことくらいだろうか。
 そんな潤と生まれた時からの付き合いである文近は、影に日向にこの幼なじみをフォローしてきた。
 だから潤本人のみならず、潤の両親からの信頼も絶大だ。
 大学進学にあたって、部屋をシェアしたいという話も、予想通りあっさりと許可された。
『ふみくんと一緒なら、安心ね。あの子ひとりならとてもじゃないけど無理だけど』とは潤の母親の言葉だが、実に正しい意見だ。
 それは明日引越しなのに何も終わってないこの部屋からしても、如実に語っている。

「大体、なんでおばさんに手伝ってもらわなかったんだよ」

 潤ひとりで引越しの準備をするなんて、土台無理すぎる。
 文近がもっともな質問をすると、潤は、だって……と口をもごもごさせながら答えた。

「お母さんには触られたくないものとか、あるだろ……」
「エロ本とか?」
「ちがうよっ!!」

 速攻で否定されて、文近はちょっとほっとした。
 いや、潤だってお年頃だから持っていてもおかしくはないのだが文近の願望としてはそいうのは持って欲しくないと言うか、変に染まって欲しくないと言うか染めるなら文近自身で染めたいと言うか……。

「とにかく、オレの大事なものだよ!」

 重々しく、潤は力説する。
 この部屋にそんな大層なもんあったっけ、と失礼なことを思いつつ、文近は言った。

「わかったから。とにかく、手ぇ動かせ。な?」
「うん」

 潤は素直にうなずくと、手近なものを物色し始めた。
 文近は、これは明らかに要らないだろ、という雑誌の類をまとめながら潤に尋ねた。

「ところで、おばさんには触られたくないものに、俺は触ってもいいわけ?」

 持って行く服をより分けていた手を止めて、潤は小さな声で答えた。

「……ふみくんだったら、いいよ」
「そっか」

 そう答えてくれるだろうとは思ってたけど、実際に言われるとやっぱり、嬉しい。
 わかってていちいち聞くとか、俺も大概だよな……と文近は心の中だけでこっそり呟いて、作業を続けた。


 全60巻の野球漫画を持っていくかいかないかで揉めたりしながら(結局、置いて行かせることに成功した)引越しの準備は、ようやく終わりが見え始めていた。
 あれだけ散らかっていた部屋も、見違えるようにずいぶんすっきりしている。

「潤、お前は要らないもの溜めこみすぎなんだよ。なんで小学校の時の学習雑誌の付録とかまだ取ってたりするんだよ」
「いつか使うかもしれないじゃないか」
「いやいや。使わないから、絶対」

 思いっきり、片付かない・捨てられないヤツの言い訳である。
 いつかいつか……で取っておいたものが日の目を見ることなんて、100%ないって言っても間違いないくらいだ。
 ふたりの新生活がスタートしたら、その時その時に言い聞かせて捨てさせなきゃな、と文近は誓いを新たにする。
 だから、古ぼけた可愛らしいクッキー缶が現れた時は、またしょうもないもんとってるな……と反射的に思った。
 コレは要らないもの箱行きだな、と。
 でも一応、中は確認しておくかと蓋に手をかけた時、潤がすごい勢いですっ飛んできた。

「あっ! それっ、探してたの! オレの大事なもの!!」

 潤がそう言った時には、もう蓋を開けていた。
 中には、こまごまとしたものが雑多に詰め込まれていた。
 小学校の時にはやってたトレーティングカード、白い貝ボタン、使いかけの消しゴム、テストの答案用紙……。
 色あせた赤いリボンが付いた、安っぽいメダルを手に取る。
 目の前にかざしてみて、文近はどこかで見た覚えがあるな……と首をかしげた。

「これ……。小学校の運動会の時の、一等のメダル?」
「そ、そうだよっ!」

 潤は慌ててメダルを取り返すと、胸にぎゅっと抱きしめた。

「でも潤、お前、足遅いから運動会で賞なんかとったこと……」

 そこまで言って、文近は思い出した。
 それが、小学4年生の時、文近が潤にあげたものであることを。
 徒競走で、いつもビリかブービーな潤は、運動会で賞何て取った事なかった。
 いつもは一等にリボンだけをつけてくれる運動会で、その年だけは一等にメダルをくれた時があった。
 ぴかぴか光るメダルがカッコイイと、ずっと眺めていた潤がなんだか可愛くて、そんなに気に入ったんならやるよ、と潤にあげたのだ。
 今の今まで、すっかり忘れていたが。

「まだ持ってたんだな」

 そう思ってクッキー缶の中を見ると、中にあるのはどれも覚えのあるものばかりだった。
 文近があげたものや、文近と一緒に作ったもの……テストの答案用紙は、文近が勉強を教えて潤が苦手な算数で高得点を取った時のものだ。

「おばさんに見られたくなかったものって、これ?」

 そっと尋ねると、潤はこっくりとうなずいた。
 潤の顔が赤い。
 つられるように、文近の顔も熱くなった。

「これも、持ってくのか?」
「うん。大事な、ものだから……」
「置いてけよ」

 文近は潤の手からメダルを取り返すと、缶の中に戻して、蓋を閉めた。

「な、なんで……っ!?」

 ショックを受けたような顔で、潤が文近を見ている。
 文近は手を伸ばすと、潤の髪に触れた。
 手触りのいい猫っ毛をかきまわす。

「別に捨てろって言ってるわけじゃない。持って行く必要がな言って言ってるだけだ」
「だって……」

 くすぐったそうに目を細めて、潤は不満げに口をとがらせた。
 膨れた頬を、文近はちょんとつついた。

「俺もちゃんと覚えているから。だから、溜めこんだ思い出まで、持っていかなくていいだろ」
「うん……」
「それにこれ、どう見てもぜんぶ、小学校の頃のだけだよな」

 クッキー缶をちらりと眺めて、文近は続けた。

「ってことは、もしかしなくても、中学の時と、高校の時のヤツは別にあるとか……」
「うん。あ、あっちの紙袋がたぶん高校の時の」

 潤が指した方向には、何故か紙袋が3つある。

「お前……まさか、試験対策で作ってやったノートまで、全部とってるとか言わないよな?」
「もちろん! とってるよ、当たり前じゃん」
「捨てろ! んなもん! 何冊あると思ってんだ!」
「だって、ふみくんが手書きしてくれたノートなんだよっ!?」

 気持ちはすごく嬉しいが、そこまで後生大事にとっておかないで欲しい。
 さっきのクッキー缶も、蓋はすでに閉めてしまったが、よく思い返してみると、思い出が小4から小6までに限られていた気がする……。
 ということは、この部屋のどこかに、小1から小3までの思い出が詰まった箱なり袋なりがあるということだ。

「お前、明日から俺に関する思い出グッズを溜めこむのはやめろ」
「ええ〜っ!!」

 きっぱり言い切ると、抗議の叫びがあがったが、文近は発言を撤回しなかった。
 腕を組んで、文近は指摘した。

「これから一緒に暮らすんだぞ。俺本人がいるのに、思い出の品なんて要らないだろ」
「そうだけど……。でも、たまに眺めて思い出に浸ったりとか……」

 ぐずぐずと言う潤に、文近はイラッとしながら頭をつかんで引き寄せた。

「だから! そういう時は、俺を見ればいいだろう!?」

 くっつきそうなくらいの至近距離で目を合わせて言ったら、潤の顔がさっきよりも赤くなった。

「え、や、その、ふみくん……?」

 うろうろと視線が泳ぎ出した幼なじみの顔を、更に引き寄せて、ふたりの間の距離を無くす。
 一瞬だけ触れ合って、すぐに離れる。

「ふ、ふみくん……!? な、何、今の……っ!?」

 口を手で覆って、潤は首まで赤くしている。
 
「何ってキスだろ」

 さくっと答えてから、文近は一気に言った。

「あのさあ、潤。明日から俺たちの新しい生活がスタートするんだよ。わざわざ、昔の俺を新しい場所に持ってく必要な言って言うか、持ってきて欲しくないの! なんか恥ずかしいっていうか、そんなんで感慨に浸られてたら、先に進めないだろ!」

 たとえ生まれた時から一緒だとは言え、振り返れば気恥かしいことなんていくらでもあるわけで。
 そういうことも、幼なじみが大事にしてるってことを知ったのは嬉しい。
 だがそれで満足されては、こっちは困るのだ。

「さ、先って……」
「キスより先って意味だよ、言わせんな!」

 ためらいがちに問われた言葉に、はっきりと言い放つ。
 文近の顔も燃えるように熱いが、ここで適当に濁したら、せっかく親の目のない所で部屋をシェアできることになったのに、いつまでもこのまま、『幼なじみはとこ』の現状のままだ。

「イヤなの、潤」
「い、イヤじゃないよ。その……オレも、ふみくん好きだし……」

 そう。
 お互いの気持ちの確認はとっくに済ませているというのに、ちっとも関係が変わらないのは、この環境のせいに違いないのだ。
 新しく暮らすアパートを、生まれた時からいる家のような居心地にさせてはいけない。断じて!

「古いものは置いて行け。そして一瞬後には古くなる思い出をいちいちぜんぶ溜めこむな。これからは、俺との新しい未来だけを見据えて行け。わかったな?」
「うん……わかった」

 うなずきながらも、潤は悄然としている。
 ちょっと強く言いすぎたか、と文近は言葉をつけ足した。

「記念的なものは、これからもとっておいてもいいんだよ。なんでもかんでもとって置くなってことで」

 潤は自分よりも背の高い文近を見上げて、困ったように首をかしげた。

「そんな……選べないよ。ふみくんとの思い出は、みんな、オレにとって大事なものなのに」

 目元をうっすら染めて、はにかむように潤が笑う。
 飽きるくらい見慣れた幼なじみなのに、ものすごく、可愛い。
 今すぐ押し倒したい……が、ここでは無理だ。

「潤ができないのなら、俺が選んでやるから」

 ぐっとこらえてそう言うと、潤は安心したように笑った。

「そっか。ふみくんが選んでくれるんだったら……それがいい、かな、うん」

 明日じゃなくて、今すぐ引っ越したい。
 ふたりで暮らすアパートに。
 切実にそう思いながら、文近は引越し準備の手伝いを再開した。


Fin.


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