095: 舞



 薄いベール越しに馴染みのある顔を見つけて、俺は青ざめた。
 何でこんなところに、アイツがいるんだよ!? って思ったけど、よく考えたらアイツはあれでもラーサフ商会の四男坊だ。
 もう16だし、こういう夜の集まりに出ておかしいってこともないだろう……が。

(だからって、よりによって! 俺が舞い手として潜り込んでる宴の客席にいなくったって……!)

 俺が今いるこの場所は、織物業で財をなした商人が催す宴の席だ。
 飛ぶ鳥を落とそうって勢いのとこだから、宴の華やぎに必ず呼ばれる、舞い手の人数も通常の宴よりも多い。
 だから、絶対バレないわよ! ―――双子の姉のカミーラに、言われて。
 そう、俺は宴の客としてここに居るんじゃない。
 舞い手の1人として、居る。
 そしてこの国で、舞い手と言えば女性のことだった……。


「タリフ兄さんが、浮気? ナイナイナイ。あり得ないよ、絶対。あの学門馬鹿に限って」

 タリフ兄さんは物好きにも、姉のカミーラと近々結婚予定だ。
 三度の飯より学問好きな兄さんは、唯一話の合う相手だと言って、カミーラをいたく気に入っている。
 そりゃそうだろう。
 ふたりが話しているのを俺も聞いたことがあるけど、あれは会話って言うより最早、議論だ。
 難しすぎて、俺にはさっぱりついていけない。
 双子の姉弟であるカミーラと俺、サミールは、忘れた頃にぽっかり生まれた、両親にとっては孫みたいな存在だった。
 後継ぎの長兄も、それを補佐する次兄もいて、商売相手に嫁がせるのに年頃な娘達もすでに3人はいるとあっては、末っ子の双子なんてオマケみたいなものだ。
 だから、姉のカミーラが、学問を――女子は、読み書き程度しか習わないものなのに――したいと言った時も、両親はあっさりと教師をつけてくれた。
 そして俺が、舞いを――女子のたしなみとされる舞いを――習いたいと言った時も、同様に。
 そんなわけで、俺たち双子の姉弟は幸運にも、女なのに学問を、男なのに舞いを学ばせてもらえたのだ。
 それがおかしなことなのだ、とはちっとも気付かないままに……。(流石に今は、知っているけど)

「あら。絶対、なんて何を根拠にそんな事を言えるの、サミール。論拠を述べなさいよ」
「それは……」

 カミーラは、いちいち、言う事が小難しい。
 なんとなく、とか、たぶん、なんて言い草は、絶対に認めてくれないのだ。
 そんな姉の性格とは生まれた時の付き合いだから、十分すぎるくらい知っているけど、やっぱりめんどくさい。

「だって、あのタリフ兄さんだよ? 美人の舞い手に夢中になってるとか……。どう考えても、ガセじゃないか」
「火のない所に、煙は立たないって、言うわよ?」
「そりゃ、言うけどさあ……」
「ほら!」

 勝ち誇ったように、カミーラが胸を張る。
 そして、答えられない俺に向かって、とんでもないことを言いだしたのだ。

「だから、アンタが、宴に舞い手として潜入して、真偽のほどを確かめてきてちょうだい」
「は……!?」
「サミールが、その目で確認したら、全くのデタラメだってことがわかって、私も安心だわ」
「ちょ、待ってよ、カミーラ!! そんな、無茶苦茶な……!?」
「別に、無茶でもないでしょ。アンタ、今でも舞いの練習してるじゃないの。宴で舞うのだって、おんなじよ」
「全然違うよっ! 俺のは、ただの趣味で、誰かに見せるようなものじゃ……」
「サミールの舞いは、そんじょそこらの舞い手に比べたら、ずっと上手いわよ」
「そういう問題じゃなくて! 俺、男なんだよ……!?」

 繰り返すけど、舞い手とは通常女性がなるものだ。
 男性の舞い手もいるけど、それは祭りの儀式などで神官が行うもので、それはあまり『舞い手』とは呼ばない。
 そういうことを両親はちゃんと知っているはずなのに、姉さん達の舞を見て、やりたいと言った幼い俺に習わせてくれた。
 それはとてもありがたいと思っているけど……。

「マズイだろ、どう考えても! 舞い手に男が混じってたら!!」

 と、当然のことを俺が力説しても、カミーラは気にした風もなく言った。

「私、男が舞い手になってはいけない、というのは、女が学問をしてはいけない、というのと同じくらいに、間違った考えだと思うのよ。アンタは今では、嫁いだ姉さん達の誰よりも上手く舞えるじゃない? 私だって、兄さん達の誰よりも学問が好きで、日々努力向上していると思うのよ。それなのに、男だから、女だから、というただそれだけの理由で、その力を発揮できる場所がないのは、非常に残念なことだわ」
「それは……そうかもしれないけど」
「そうでしょう。だからサミール。アンタ、タリフが呼ばれている宴に、舞い手として行ってきなさい」
「いや、何が『だから』なのか、さっぱりわからないよ、カミーラ……」
「いいから、アンタは宴で舞ってくればいいの! サミールはそのままで十分可愛いんだから、舞い手の格好したら、絶対男だってバレないわよ。姉さん達に混じって舞ってた時だって、可愛い妹としか思われなかったでしょ!? 潜り込む手はずは私が何とかするから! 何よ、姉の言う事が聞けないって言うの!?」

 俺が姉さん達に混じって舞ってたのは、ほんの小さな時のことなんだけど……。
 そう言いたかったのに、あまりの迫力に押されて、俺は何も言えなかった。
 理論派のくせに、最後は結局、姉の権力を行使してくるのはどうなんだ……。
 タリフ兄さんに以前、そう愚痴った事がある。
 兄さんは『人間、諦観も必要なんだよ』と、これまた理に叶わない答えを返すのみだった……。


 そう言う事情で、俺は本当に、舞い手として織物商の宴に潜り込んでいた。
 まさか本当に、潜り込めるとは思わなかった。
 絶対、どこかでバレて、つまみだされるハメになると踏んでたんだけど。
 カミーラ、一体どんな手を使ったんだろう……?
 とにかく、ここまできたのなら、バレないように最後まで上手く、舞い手として振舞わなきゃ。
 タリフ兄さんが宴席についているのは、さっき見つけた。
 兄さんは、部屋の隅に控えている舞い手になど目もくれずに、隣の人と熱心に何かを離しこんでいる。
 気のせいか、隣の人は若干引き気味のようにも見えるけど、きっとまた、何かの議論を吹っかけているんだろう。
 酒が入った兄さんの議論は、留まるところを知らない。
 誰だか知らないけど、あの人も、可哀そうに……。
 って言うか、やっぱりガセネタじゃないか!
 一体どこの誰が、兄さんが美人の舞い手に夢中とかあり得ない嘘流したんだよ!?
 もう俺、ここで帰っても、いいんじゃないか?
 そう思ったけど、今から抜け出すのは難しいかな……。
 ベール越しに、そっと辺りに目を配った。
 何か抜け出す、いい理由がないかと思って。
 その時、目に映ったのが………。

(シャリフ!? 嘘、なんで……!?)

 幼なじみの、シャリフだった。
 あぐらをかいて、やけに堂に入った態度で酒を飲んでいる。
 もしかして、父か兄の、代理としてきたのだろうか。
 父親同士が仲がいいこともあって、シャリフとは幼いころから家ぐるみの付き合いだ。
 俺が男なのに舞うことが好きでも、シャリフは決して笑ったりしなかった。
 それどころか、上手いね、綺麗だねって、褒めてくれて。
 一緒に舞おうよ、って誘った事もあるけど、シャリフは『サミールが舞っているところを見る方が好きだから』と首を振った。
 だから俺は、『じゃあ、いっぱい、見ててね』って、シャリフの前で舞ってみせて……。
 そんなだったから『実は舞いは、女性のもの』っていう衝撃の事実を知ったのは、かなり大きくなってからだった。
 今ではもう、シャリフの前で舞いを見せることもないけれど。
 いや、シャリフの前だけじゃなく、誰の前でも、もう舞いを見せたりはしない。
 舞いそのものを止めることはないだろうけど、女性のものである舞いを男が舞っていて、それを誰かに見せる――たとえ家族や、家族のように親しい相手にも――ことに、抵抗を覚えるようになった、というか……。
 カミーラに言わせれば、俺のこう言う考えは『バッカみたい』の一言に尽きるそうだが、全く気にしない、ってわけにはいかないだろう?
 誰の目も気にせずに今でも貪欲に学問に取り組むカミーラから見れば、そう言われるのも仕方ないかな、と思うけど。
 そんなわけで、このところずっと、いつもひとりでひっそり舞っていた俺が――男とはわからないような格好をしているとはいえ――舞い手として人前に立つなんて、心臓が口から飛び出そうなくらい緊張を強いられる、異常事態だというのに……

(聞いてない……! タリフ兄さん以外に知り合いが来てるなんて、聞いてないよ、カミーラ!!)

 もうこの際、どうなってもいいから、今すぐ逃げよう。
 そう思って、足にひらひらとまとわりつくスカーフをさばきながら、外に出ようとした時。
 シャン、と軽やかな鈴の音が響いた。
 それは、舞いが始まる時の合図。
 家でひとりで、ひっそり舞っている時には聞けなかった音。
 昔は、シャリフが合図の鈴を鳴らしてくれていたっけ……。
 気がついたら、足が、手が、音に合わせて動き出していた―――。
 
 
 鈴の音を追いかけるように、横笛と竪琴が鳴り響く。
 鈴の音が、俺に呼びかけている。
 身体が、軽い。
 つま先で床を蹴ると、羽が生えたみたいに空を跳べる。
 見えない手が、俺の手を引っ張って、高く、高くへ、と誘っている。
 もっと手を伸ばせば、何かがつかめそうな気がする。
 そんな、ふしぎな高揚感が身体を満たしている。
 気持ちいい。
 ここが、どこなのかとか。
 舞い手は本来女性のものなのだとか。
 そんな諸々のことはすべて吹っ飛んで。
 どうでもよくなって。
 俺はただ、舞いを楽しんでいた。
 心から。
 
 
 一瞬の静寂の後に、ざわめきが戻ってくる。
 鈴の音が止んで舞いが終わった時、俺は心地よい疲れに浸っていた。
 こんなに何もかも忘れて舞えたのは、いつ以来だろうか。
 家で、ひとりで舞っていた時。
 いつもどこか、後ろめたさがあった。
 舞いは、女性のものだから。
 男がやるものではないから。
 そんなの根拠のない考えだわ、とカミーラは言う。
 だけど俺には、その通りだと言える強さが、なくて。
 
『サミールは、綺麗だよ。他のどんな舞い手より、サミールの舞は、綺麗』

 鈴を鳴らして、そう言ってくれたのは、シャリフだった。 
 
『好きだよ。サミールの舞』

 カミーラも、父さんも母さんも、兄や姉たちも。
 そう言ってくれたのに。
 シャリフも……。

(それなのに、俺は……俺が、俺の舞を好きだって、言えなくなってたんだ)

 カミーラは、それに気づいてたんだ。
 タリフ兄さんの件は、たぶん、ただの口実。

(ありがとう、カミーラ)

 俺は心の中で、姉にそっと感謝した。
 そして、そのまま宴を後にしようとした――の、だけど。


 ……な、何故、こんなことに……?
 俺は、シャリフの隣で酌をしていた。
 宴に出る舞い手が客達の相手をするのは、珍しいことではない。
 決して無理強いされてするようなことではないが、宴の席で舞いが終わった後に客と親しくなることは舞い手にとっても益があるからだ。
 独身で将来有望、なんて若者が多く参加するような宴は、舞い手達にとってもありがたいものなのだ――そういう、意味で。
 だけどもちろん、俺にとっては全くありがたい事ではない。
 と言うか、はっきり言って意味のないものなんだけど!!

「そんな、むすっとしてないで、笑ってよ、舞い手さん」
「……………」
「せっかくの可愛い顔が、大なしだよ?」
「……………」

 俺は、宴の席からそっと離れようとしたところを、よりにもよってシャリフに引きとめられて、そのまま傍へと連れてこられたのだ。
 何で俺が、こんなことを……。
 尚も黙っていると、シャリフは焦れたように、俺の腰に手を回して、自分の方に引き寄せた。

「なっ……! 何するんだよ、シャリフ!」

 俺は小声で、怒鳴った。
 睨みつけても、シャリフは浮かべた笑顔を崩さない。
 それどころか、空になった盃を、俺の方に差し出してくる。

「何考えてんだよ、ったく……」

 俺はあきらめて、シャリフの杯を満たした。
 酒の入った壺を置いて、引き寄せたままさわさわと腰を撫でまわしている手を、ぴしゃりと叩いた。

「……った」
「べたべた、触るな」
「こんなときでもなきゃ、触らせてくれないだろ、サミール」
「当たり前……って、今だって、別に触っていいなんて言ってないから」
「相変わらず、手のひらに吸いつくような滑らかな肌だな。舞った後だからか、汗で余計にしっとりしてる」
「シャリフ、聞いてるのか? この酔っ払い」

 呆れ果てて言う俺に、シャリフはますますにっこりと、機嫌良さそうに笑った。

「ああ、酔ってるよ。何せ、久々にお前の舞が見られたのだから」

 ベールで隠された目を、覗き込むように見つめられた。
 不意に真顔になるなんて、反則だよ、シャリフ……。

「俺の前で、舞ってくれなくなったからな」
「そんなの……。俺じゃなくても、シャリフなら、好きなだけ、上手い舞い手の舞を見ることができるだろ……」

 うつむいて、ベールをひっぱった。
 これ以上、顔を隠しようがないのに。

「他の舞い手じゃ、意味ないんだよ。いつも言ってるだろう?」
「………それ、は」

 ――サミールの舞が好きだ。
 ――サミールは舞っている時が、一番綺麗だ。
 
 幼いころから、何度も聞いたシャリフの言葉。
 だけどそれは、幼なじみの優しさだと思ってた。
 男なのに舞う事が好きな、俺への。

「なのに、俺にちっとも舞いを見せてくれない。だから、ちょっと知恵を絞ったんだ」
「えっ……! じゃ、じゃあ、今夜の、これって……」
「そう。ご明察」

 ニヤリ、とシャリフは口の端をあげた。
 可笑しいと思ったんだよ、タリフ兄さんが美人舞い手に浮気なんて……!
 まんまと一杯喰わされたっ!!

「カミーラに頼まれた本は、来週には入手できるって伝えておいて」
「わかったよ……」

 がっくりと肩を落とした俺を見て、シャリフは皿の上の果物を手に取った。
 食べころに熟した赤い、カリンの実。
 俺と、カミーラの好物であるそれを、俺の口に近付けた。
 小さく口を開けて、齧る。
 もう、こうなったらヤケだ。
 そんな俺をどう思ったのか、シャリフが優しく言った。

「本だけのためじゃないよ。心配してたよ……お前の事」
「…………わかってるよ」

 舞っていても、ちっとも楽しそうじゃないのよ、あの子。
 きっとそんな風に、カミーラはシャリフに言ったのだろう。
 双子の姉にさえ、舞を見せなくなった弟を、心配して。

「だけど、本も大事なんだよね」
「そりゃ、カミーラだからなあ……」

 拗ねたように俺が言うと、シャリフはくすっと笑って、酒を一口含んだ。
 杯を置くと、ベールをそっとかきあげた。
 他の客には見えないようにして。
 ベールを隔てない、至近距離で、シャリフと目が合う。
 そして―――。
 
「俺のために、舞ってよ、サミール」
 
 宴の喧噪の中、俺にだけ、聞こえるようなひそやかな声で、囁いた。

「意味……わかって、言ってる?」
「もちろん」

 ―――私のために、舞ってください。  
 
 それは、求婚の言葉だ。
 わかってて言うなんて、シャリフはどうかしてる。
 しかも、こんな場所で言うなんて。
 俺は、視線を落として、答えた。

「……ヤ、だよ」
「どうして?」

 穏やかに問われて、じわじわと顔に熱が集中してくる。
 熱い。

「だ、だって、俺、男だし」
「知ってる」
「男の、舞なんて……」
「男でも、サミールの舞は綺麗だ。俺は、サミールの舞が一番好きだ」
「そんなの、シャリフが他の、すごい舞い手を見てないからだよ。俺より綺麗な舞い手なんて、いくらでも」
「他なんて関係ない。俺は、俺が、サミールがいいんだから。……ねえ、ダメ?」

 懇願するように言われて、俺はつい、こくんと頷いた。
 昔と変わらないように、熱心に舞を褒められて、嬉しかったんだ。
 ただ、それだけ。

「よかった。ありがとう、サミール」

 するりと頬を撫でられる。
 火照った頬に、シャリフの手がひんやりと冷たくて、気持ちが良かった。

「あっ、でも、舞うって、シャリフに舞ってみせるってだけの意味だよな? あの、その……っ」
「うん?」

 意味分かってるって、さっき言ったけど。
 それは、あのセリフの、一般的な意味を知ってるってだけで、別に言葉そのものな意味で言ったわけじゃない……よな?
 頬に手をあてられたまま、そうっと目をあげる。
 シャリフは、微笑みを浮かべて、俺を見ていた。

「もちろん……、そうだよ」
「そ、そうだよな!」

 俺がほっとして言うと、シャリフはあっさりと続けた。

「言葉の意味通りだよ、もちろん。大丈夫、サミールなら、俺の両親だって、大歓迎だから」
「なっ……!? ぜ、全然、大丈夫じゃないーっ! だから、俺は、男……!!」
「うん。だから、それは知ってる。わかってて、俺はサミールが一番好きだよ。そう言ってるじゃないか」
「えっ、あ、ええ……っ!?」

 一番って。好きって。
 そう言う意味……!?
 ようやく、シャリフの言葉の意味が伝わって、呆然とする俺を、シャリフは楽しそうに笑って。
 ベールの影に隠れて、素早く口づけを落とした。


Fin.


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