096: 異国の血



 アカデミーは、学ぶ意思のある者なら、どんな者でも受け入れる。
 よって、そこは様々な髪や、瞳の色の若者たちが集まる、ちょっとした交易の街、のような様相を呈していた。
 実際、ちょっとした街くらいの規模はある。
 そこでは、異国の血など、めずらしくもない。
 いやむしろ、そちらの方が、多いかもしれない。
 学生だけではなく、教師も、異国の出の者がめずらしくないのだから。
 それでも、黒い髪に黒い瞳は、異国の血で溢れたアカデミーでも、稀有な存在だった。
 

「もう少し、笑ったらいいのに」

 栗色の髪に、くすんだ灰色の目、というこの国で一番ポピュラーな容姿のタゴールが、グラスの底に残った氷を意地汚くガリガリかじりながら言うと、サクラは読んでいる本から顔を上げることさえせずに、ぼそりと言った。

「おかしくもないのに、笑えない」

 取り付く島もない、と言った感じだ。
 それはそうかもしれないけどさあ、とタゴールは、まだ未練がましく、ひんやり冷たい氷の感触を口の中で楽しみつつ、もごもごと、反論を試みようとして、止めた。
 夜の闇よりも黒く、風にさらさらとなびく肩まで真っ直ぐ伸びた髪。
 覗き込んだら、星の煌きが見えそうな気がする、真っ黒な瞳。
 神秘的で、美しくて……近寄りがたい、サクラ。
 異国の者に溢れたアカデミーの中でも、サクラのような黒髪、黒瞳の容姿を持つ人間はめずらしかった。
 おまけに、整った表情はほとんど変わることがなく、だから余計に、声を掛けることがはばかられるような、そんな雰囲気を持つ少年だった。
 だから、皆興味があるのに、近づくのは、タゴールのような、繊細とは言いがたい、傍若無人の一歩手前、なあっけらかんとして暢気な者だけだ。
 そんなタゴールでさえ、初めて話しかけたときは、緊張した。
 だが、サクラは、その見た目どおり寡黙な少年ではあったが、話しかければ返事はするし、誘えばカフェテリアで一緒に食事もする。
 積極的に人と関わろう、という意思があまりないだけで、別段、付き合いづらい少年でもないのだ。
 なまじ、整った顔と、神秘的な黒い色彩が、彼を特別に見せているだけで。
 もし彼が、タゴールと同じような容姿だったら、愛想は悪いけど、それなりに友達もいる、普通の少年だっただろう。
 でも、もし彼がそういう少年だったら、選択している学科も寮も違う彼と、友達になりたい、とは思わなかったかもしれないけど。
 タゴールは、サクラの持つ神秘的な黒い色彩に、まず、惹き付けられたのだから。
 今では、意外と付き合いのいい、多少皮肉屋なところもあるが、気のいい一面もある、サクラの内面にも、同じくらい、いやそれ以上に、惹かれている。
 タゴールは、サクラのことを、もっとたくさんの人に知ってほしい、と思う。
 だが、このまま、自分だけしか知らないサクラのままでいてほしい、と矛盾したことも、思う。
 カフェテリアの窓越しに差し込む光が、サクラの髪に、くっきりと光の輪を作る。
 天使の冠のような。
 そうやって、目を伏せて本を読んでいると、本当に、天使みたいに見える。
 うっかり話しかけたら、光に溶けてしまいそうな……。

「タゴール?」

 いつのまにか、本を読み終わったらしいサクラが、不思議そうにこちらを見ていた。
 何をぼんやりしているんだ、と問うように。
 
「あ、読み終わった?じゃ、行こっか」

 まさか、君にみとれていました、なんて正直に言えるはずもないので、タゴールは慌てて、椅子から立ち上がった。
 飲み終えたグラスを、厨房の入り口に返しに行く。
 サクラは、紙パックを、少しはなれた位置のゴミ箱に、投げた。
 カコン、と音がして、狙いたがわず、それはゴミ箱に吸い込まれていった。

「サクラ、次、授業あったっけ」
「次は空いてる」
「じゃあ、もうちょっと、カフェテリアにいてもよかったね」
「そうだな」

 そんな、取りとめもない会話を交わしながら、カフェテリアと校舎を結ぶ、渡り廊下を歩く。
 人通りは、あまりない。
 風が、二人の間を通り抜けるように吹きすぎていく。
 白い花びらを、くるくると舞わせながら。

「サクラ、花びら、ついてる」

 風の置き土産を、タゴールはサクラの肩から、そっと摘まんだ。
 この国で、この季節によく見る、白い花だ。

「桜みたいだな」

 サクラが、急に自分の名前を呟いたので、タゴールは首をかしげた。
 それを見て、サクラは、ああ、こっちにはなかったんだっけ、と独り言のように、付け加えた。

「桜、っていう花を咲かせる樹があるんだ。俺の国に。こっちにはないけど」
「へえ、そうなんだ。知らなかったよ」
「遠いからな、俺の国は」

 ここより、ずっとずっと、東にある、小さな国。
 そこが、サクラの故国なのだという。
 地殻変動で、大部分を、海に飲み込まれてしまった、小さな小さな島。

「今の時期……、いや、今より少し早い時期か?そのくらいの季節に、うすいピンクの花を、たくさん咲かせるんだ」
「それは……、すごく、綺麗なんだろうね」

 サクラと、同じ名前の花を、想像してみる。
 凛として、儚げで、神秘的で。
 でも、触ってみると、案外、丈夫だったりするんだろう。

「君の名前は、その花から、とったの?」
「ああ。ホントは、男につける名前じゃないんだけどな」
「そうなの?君に、ぴったりの名前だと思うのに」
「ま、ここじゃ、そんなこと、誰にも分からないから、いいんだけどな」

 名前を褒められたからなのか、ちょっと照れたように、早口で言う。
 また風が吹いて、白い花びらが、ひとつ、ふたつ、と通り過ぎていった。
 それを、サクラは、見るともなく、目で追っている。

「サクラは……。サクラは、故郷に、帰りたいの?」

 何故、そんなことを尋ねたのか、タゴール自身にもわからなかった。
 ただ、花びらを追う、サクラが、何時にもまして、儚げに見えて。

「何で。そんなわけないだろ。アカデミーだって、まだ3年も残ってる。出来たら、その後も残る気なんだけど」

 きょとんとした顔で、サクラが言うのに、タゴールは知らずつめていた息を、ほうっと吐き出した。

「うん、そうだね。そう言ってたっけ」
「そうだ。旅費だって馬鹿にならない。当分は、帰らない」

 きっぱりと、サクラは告げる。
 それは、ただ事実を述べているだけで、それ以上でも以下でもなかった。
 そのことに、心底ほっとしている、自分がおかしかった。

「でも、そうだな……。次に、帰るときは……」

 だから、サクラがそう続けた時は、どきっとした。
 だが、さらに続けられた言葉は、タゴールの予想とは大きく違ったものだった。

「タゴールも、一緒に行かないか。そうだな、今くらいの時期がいいか。俺と同じ名前の花を、見せてやるよ」

 この国には咲かない、サクラと同じ名前の、花が咲く国。
 そこに、サクラと一緒に立つ自分を、タゴールは想像してみた。

「タゴール?……いやなのか?」

 ほとんど変わらない表情、でも、タゴールにはわかる、少しだけ不安を覗かせる口調。

「ううん!僕も、行きたい。あ、でも、お金、たりるかなあ……」
「別に、今すぐじゃないから大丈夫だろ。タゴールが飲み食いする金を貯金に回せば余裕だろ」
「ひどいな。僕、そんなにしょっちゅう、食べてばっかじゃないんだけど」
「カフェの常連の癖して、よく言う」
「それを言うなら、サクラだって」
「俺は、タゴールに付きあってるだけだろ」

 校舎の中に入ると、途切れていた喧騒が戻ってきた。
 色とりどりの、髪と瞳の、タゴールと同じ年頃の少年たち。

「サクラ」
「何だ?」
「ううん……、何でもない」
「変なヤツだな」
「サクラほどじゃないよ」
「俺のどこが変なんだよ?」
「さあ、どこでしょう」

 他愛のない事を、とりとめもなくしゃべりながら、廊下を弾むように歩く。
 次の時間は、図書館で、それぞれの課題をやることにした。
 歩きながら、ちらちらと、視線を感じる。
 自分に、じゃなく、サクラへの視線。
 そういうのに、全く気づいてない、というか無頓着なだけでも、サクラは十分変だと思う。
 だけど、サクラには、このまま、しばらくは……そのままでいてほしいから、どこが変なのかなんて、言わない。

「あ……、また、サクラがついてる」

 サクラの髪に、白い花びらが、飾りのように留まっていた。
 タゴールがいつか、サクラと一緒に見ることになるはずの、異国の、彼の故郷の、花。
 それは、取り去ってしまうのが惜しいくらい、夜に灯る星のように、しっくりと彼に馴染んでいた。
 
Fin.


TOP


Copyright(c) 2008 all rights reserved.