097: 迷い子



「よう。また迷ったのか、お前」

 茂みをがさりとかきわけて、声が降ってきた。
 ラズベリーを摘んでいた赤ずきんは、顔をあげて答えた。

「迷ってない! 見ればわかるだろ?」

 赤い実がたくさん入ったカゴを、ずいと突き出して見せる。
 茂みから姿を現したオオカミは、手を伸ばして、ひょいとそれをつまもうとした。
 ……が、赤ずきんは、さっとカゴをひっこめてしまった。

「ケチだな。ひとつくらいいいだろ、赤ずきん」
「イヤだね。そう言って、こないだ、ぜんぶ食べちゃったじゃないか」

 カゴをしっかり持って、赤ずきんがきっと睨むと、オオカミは大きな口を開けて、ガハハ、と笑った。

「こまけぇこと、よく覚えてんな!」
「忘れるわけないだろ!」
「……ふぅん?」

 オオカミは、にやにやと笑いながら、赤ずきんの傍に近づいた。
 赤ずきんは、警戒したような目で、オオカミを見つめた。

「で。そろそろ、俺に食われる気になったか。ん?」

 背中に垂れ下がった、赤いずきんをひっぱりながら、オオカミは尋ねる。
 それを身をよじって避けながら、赤ずきんは再び、ラズベリー摘みを再開した。

「誰が。アンタもいい加減、諦め悪いな。おじいちゃんに、あんなにコテンパンにやっつけられたクセに」

 ラズベリーを摘みながら、赤ずきんが指摘すると、焦ったような声が上から降ってきた。

「あ、あれは……っ! つうか、大体、ひきょうなんだよ! 聞いてないっていうの! 元・猟師のじいさんなんて!」

 詐欺だろ、とオオカミはぶつぶつとこぼしている。
 赤ずきんの祖父は、森の奥の小屋で、連れ合いを亡くしてひとりで暮らしている。
 少し足が不自由になったため、猟師は引退したが、まだカクシャクとして、元気いっぱいだ。
 襲ってきたオオカミを、銃で返り討ちにするくらいは、朝飯前だ。

「……だっせぇの。おじいちゃん猟師に、アッサリやられちゃうなんて。ホントはアンタ、オオカミじゃないんじゃないの? キツネ? イヌ? ああそれとも、リスだったりして?」
 
 言いたい放題、赤ずきんに言われて、オオカミはカチンときた。
 言うにことかいて、リスだって!?
 オオカミは、立派なしっぽを、ばさりと大きくゆらしてから、赤ずきんの襟首を、むんずとつかんだ。
 そのまま、目の高さにまで吊り上げる。

「おい! 何すんだよ、オオカミ!?」
「お前なあ、赤ずきん……! 森で迷子になって、ぴーぴー泣いてたくせして、言うじゃねえか……!?」
「ぴーぴー泣いてなんかない!!」

 赤ずきんは、吊り下げられたまま、オオカミに怒鳴った。
 確かに、ひとりで、祖父を訪ねに森にきた時、迷ったけど。
 あれは、おみやげに、何か、花でも摘んで行こうと思って、よく知らない小道に入ってしまっただけで。
 ……そして、その後、道が分からなくなってしまっただけで。
 ちょっぴり心細くなって、もしかしたら、ちょっとだけ、涙ぐんでしまったかもしれないけど……。
 だんじて、ぴーぴー泣いてなんか、いない!

「……なんだよ。お前なんか、親切に道を教えてくれるフリをして、オレを食おうとしたくせに………っ」

 あの時は、本当に、嬉しかったのだ。
 優しく笑って、手を引いてくれて。
 お前のわかる道まで、案内してやるぞ、と言ってくれて……。
 途中で、可愛い花がたくさん咲いている場所にも連れていってくれた。
 その親切も全部、赤ずきんを食べるためのものだったのだが。

「食ってねえじゃねえか」
「おじいちゃんに、返り討ちにされて、ね」

 赤ずきんが来るのが遅くて、心配して様子を見に来た祖父が、オオカミと一緒の赤ずきんを見つけて、銃声一発、追い払ってくれたのだ。
 あの時の祖父は、本当に頼もしかった。
 それを思い出したのか、オオカミは苦々しい顔をして、赤ずきんを地面に下ろした。

「べつに……。あの時だって、俺は、お前を………」

 オオカミは、フイっと顔を反らすと、口に手を当てて、もごもごと呟いた。
 赤ずきんは、カゴを抱え直すと、少し皺になったシャツをひっぱって、言った。

「あの時は……、何?」
「何でもねえよっ!」

 オオカミは、怒ったように言うと、その場にごろんと寝転がってしまった。
 へんなオオカミ、と赤ずきんはつぶやくと、またせっせとラズベリーを摘みはじめた。
 しばらくすると、カゴはラズベリーでいっぱいになった。

「………オオカミ?」

 さっきから、だまったままのオオカミに呼びかけると、オオカミは、気持ち良さそうに眠っていた。
 赤ずきんは、くすりと笑った。

「いったい、何しに来たんだか……」

 赤ずきんは、オオカミの鼻をまもうと、しゃがんで手を伸ばした。
 が、鼻先にふれるまえに、逆に、オオカミの手につかまってしまった。

「なんだ。起きてたんだ」
「寝てたよ。不穏な気配を察知して、今、目が覚めたんだ」

 そう言って、オオカミは、むくりと起き上がった。

「終わったのか?」
「うん」

 赤ずきんは、赤い実がこんもりとつまった、カゴを見せた。
 そこからひとつ、実をつまんで、オオカミに差し出す。

「ひとつだけなら……食べる?」
「ああ」

 赤ずきんは、オオカミの手に渡そうとしたのだが、オオカミはそのまま、赤ずきんの手に顔を寄せると、パクリと食べてしまった。
 ついでに、赤ずきんの指をぺろりと、なめて。

「こら……っ!」

 赤ずきんが、ずきんみたいに顔を赤くして怒っても、オオカミは素知らぬ顔だ。
 あっという間に食べ終わると、顔をちょっとしかめて、言った。

「……酸っぱい」

 どうやら、あまりお気に召さなかったようだ。
 赤ずきんも、カゴからひとつ取って、食べてみた。

「うん……。これは、そのままだと、ちょっと酸っぱいな。ジャムにしよう」

 確認するように頷いて、赤ずきんは立ちあがった。
 そして、カゴを片手に、歩き出す。

「……もう、帰るのか」

 背中から、オオカミの声が追いかけてくる。
 赤ずきんは、くるりと振り返ると、にっと笑った。

「帰るよ。オレは、アンタみたいにヒマじゃないから。それとも……、オレがいなくなったら、さみしい?」

 そう聞くと、オオカミは、一瞬、ぽかんとした顔をしたあと、かすかに頬を染めた。

「ばーか。……そんなわけ、ねーだろ」

 だけどその声は、心持ち、勢いがなかった。
 立派な耳も、しっぽも、ちょっとだけ、しおれている。
 何も言わなくったって、それだけで、わかろうというものだ。

「また、来るから。今度は、このラズベリーでジャムを作って、それでサンドイッチにして、もってくるから」
「……ジャムだけかよ」
「じゃあ、ハムサンドと、卵サンドも、つける。あと、チーズと、ワインも」
「だったら……、待ってやってても、いいぞ」

 フン、とそっぽを向きながら、オオカミは素っ気なく言った。
 だけど、しっぽはせわしなく、ぱたん、ぱたんと揺れている。
 意地っ張りなヤツだなあ、と赤ずきんは思ったが、口にはしなかった。

「帰り道で、また迷子になるなよ」
「だから、オレは迷子になんか……」
「送って、やろうか?」
「………うん」

 だったら、最初から素直にそう言えばいいのに。
 そう赤ずきんは思ったけど、やっぱり、口に出しては言わなかった。
 立ちあがって隣にやって来たオオカミが、ぶっきらぼうに手を差し出す。
 赤ずきんはちょっと迷ってから、その手を取った。
 そしてふたりは、仲良く連れだって森を後にしたのだった。


Fin.  


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