098: 潮騒



 俺は今すっげー気になってることがある。
 いや、すっげー気になってるヤツがいるって言うか。
 まあ結局どっちも同じ意味なんだけど。

「どうやって、あそこまで行ったんだろう……?」

 はじめて見た時は、文字通り目を疑った。
 や、だってさ!
 手すりにつかまって身を乗り出して眺めながら、入念に周辺を見回す。
 どことも……繋がって、ねえよな?
 俺の2.0の視力を持ってしても、あの島はどこともくっついていない……ように見える。
 いや、くっついてないはずだ。
 こっから見ると、対岸とくっつきそうに近いけど、正面の浜辺から見てみるとどう見ても海の上だもんな、あの小島。
 上の方にこんもり緑の木々が生えてるけど、下はごつごつした岩で、ざぱーんざぱーんと波が被っている。
 そんなところに、何故か人が立っているのだ。
 しかも知った顔。
 クラスメイトの立橋だ。
 俺の両目とも2.0の視力で確認したところ、間違いなくあれは立橋だ。

「どうやって行ったかもわからんが、何をしているのかもわからん……」

 立橋は、足場の悪い岩場の上に立って、海を見つめている。
 それが対岸の浜辺だったら、物思いにふけってんのかなとか、青春の悩みを潮風に吹かせているのだろうかとか(我ながらクサイ想像だが)、まあ別におかしいとまでは思わないだろう。
 だが、あそこは明らかに離れ小島。
 泳いで行こうと思えば行けなくもないが、時期的にいくらなんでも4月はまだ海水浴には早すぎるだろう。
 それに、俺の2.0(以下略)……ても、髪も服も濡れた様子はない。

「気になる……」

 俺は手すりにもたせかけた自転車のハンドルを握りしめて、呟いた。
 通学路ではないこの海沿いの道は、新学年になって通いだした。
 潮風に吹かれながら自転車を走らせるのは、例え行きつく先が予備校であっても楽しい。
 もういっそこのままどこまでもどこまでも、潮風を浴びて海沿いに進んで行きたい。
 潮風よりも凍える「アンタ大学受験する気あるの?」と言う母親の言葉なんて忘れて。
 つか、やっと高校受験終わったと思ったらもう次なんて理不尽だ。
 まだ2年じゃん、って反論してみるものの、「同じことを中学の時も言って、受験で泣いたのは誰だったかしら」と言われればぐうの音も出なかった。
 そんなわけで自転車通学の俺は、そのまま自転車で海沿いに整備された道を通って予備校通いというわけだ。
 この道は、時間帯のせいなのか元々なのかはわからないが人通りが少ない。
 比較的新しく作られた道っぽく、きちんと自転車道も歩道の横にあって、毎朝通う通学路よりよっぽど快適だ。
 海が陽射しに照らされて、白い波がしらがきらきら光って見えるのが本当に綺麗で、ちゃんと前を向かなきゃ危ない、とわかっていてもつい横目に眺めてペダルを漕いでいた。
 ここから見ると陸にくっついて見える位置に小島があることも、当然気付いていた。
 見逃すほど小さくもねえし。
 だがそこに、人がいることに気付いたのは4月も半ばを過ぎた頃だった。
 最初は見間違いかと思った。
 だけど、自転車を止めて、海側にある手すりに身を乗り出して確認しても、やっぱりそれは人だった。
 おまけにクラスメイト。
 まさか身投げ……!? と、見つけた当初は焦ったけど、よく考えれば死ぬほど沖合でも波が高くもない。
 波しぶきくらいはかかるだろうけど……。
 すらりと背の高い立橋は、あんな不安定な場所にもまっすぐ立っていて、海を眺めている様はくやしいけどちょっとカッコよくすら見えた。
 あやしすぎるけどな……。

「あー、マジ、あいつ何やってんだよ〜っ!?」

 今日も今日とてすごく気になるが、このままここで時間を食っているわけにも行かないので、俺は立橋がどうやって島を去るのか見届けたい気持ちをぐっとこらえて、自転車に乗って予備校へと向かった。


「そんなに気になるのなら、本人に聞けばいいじゃん」

 英和辞書を借りに来た、去年同じクラスだった片山があっさりと言った。
 確かに、確かにその通りなのだが……。

「俺、立橋と喋ったことねえし……」
「ほんっと、春日は人見知りだよねえ。もう2年になって1カ月近く経つのに」
「ほっとけ! ……それにアイツ、周りに女子が群がってて近寄りづれえ」
「立橋君、イケメンだもんねー。ウチのクラスにも立橋君目当ての女子、結構いるよ」
「だろうな」
「でも春日がそんな気になる気になる言うから、僕もすっかり気になっちゃったよ」
「じゃあ、一緒に見に行くか?」
「ヤダよ。ぜんぜん方向違うもん、帰る方と。僕は無駄な寄り道はしない主義なの。でも気になるから、結果は教えて?」
「お前な……」
「いいじゃん。ちょろっと言って、ちょろっと聞いてきなよ。何も取って食われはしないでしょ。いいきっかけだよ」
「きっかけ……?」
「だって春日、まだこのクラスに仲のいい子、ひとりもいないんでしょう」
「う。それは……」

 オハヨウサヨナラの挨拶を隣の席のヤツ(男子)と辛うじてしてるくらいで、会話と言えるような会話を、このクラスのヤツとはまだしていない。
 去年同じクラスでそこそこ親しかったヤツは、みんな違うクラスになってしまったし。
 それに元々俺は喋るのあんまし得意じゃなくて、友達少ないんだよなー。
 喋ってなくても間が持つ相手、もしくは俺が黙ってても気にしない相手、ってのじゃないと友達に慣れないって言うか……。
(ちなみに、片山は当然、後者のタイプだ)

「上手くすれば、イケメンの友達が出来るチャンスだよ! 春日、ガンバ!」
「がんば、ってお前……」

 他人事だと思って気楽に言いやがって。
 ってか、小さくポーズつけて言うなよ!

「じゃ、英和、借りてくねー」
「終わったらすぐ返せよ」
「らじゃー」

 どこまでもお気楽に言って、片山は隣のクラスへと戻って行った。
 入口から、思わずその背中を見送ってしまう。
 同じクラスだった時には、よく喋るヤツだなあといつも感心していたものだったが、クラスが分かれてあの喋りが前のように聴けなくなってしまうと、やっぱりちょっと寂しい……とつい思ってしまうくらいには、俺は新しいクラスでひとりだった。
 ひとりでいるの、苦にならない方だと思ってたんだけどなあ……。

「春日、前」

 ドアの前にいつまでも立っていたら、噂の本人、立橋がいつのまにか傍にきていた。
 ヤベ、俺、思いっきり道、ふさいでるし。

「あ、ごめん……」

 一言謝ってから身体をどけた。
 のに、何故か立橋はドアから出て行かなかった。

「春日、さっきのヤツと仲いいの?」
「片山のこと? ああ、うん。1年の時、同じクラスだったし」
「ふうん……」

 って、何?
 俺が片山と仲いいとなんかマズイことでも……?
 何でそんなうらやましいくらい整った顔で俺を見下ろしてんの立橋!?
 ちょっとコワイんですけど!

「あ、あの……」
「春日は、さっきの片山ってヤツとなら、結構喋るのな」
「喋るっていうか、あっちが喋ってんの聞いてるって感じだけど……」

 あ、俺今、初めてこのクラスのヤツとたくさん喋ってる。
 でもこれ、一体どういう会話の流れなんだ!?

「自分から喋るのは、苦手、とか?」
「う、うん」

 だから、一体、何なの立橋。
 離れ小島にたたずんでいる件といい、謎過ぎるぞ立橋。

「そっか。だから、話しかけてこなかったんだ。俺、いつ春日が聞きにくるのかって思ってたんだけど」
「……は?」
「M島。いっつも、自転車止めて、見てんだろ」
「え、あ、ウソ! 立橋、俺が見てたの気付いてたのか!?」
「視力、両目とも2.0だから」

 そうか、俺が見えるんだから、向こうからだって見えるんだよな……。
 気まずくて思わず目を反らしてしまった俺に構わず、立橋は言った。

「なんか春日、スッゲー見てっから、俺のことすごい気になってんだろうなあと」
「それは、まあ……」

 その言い方はちょっと語弊がある気がするけど……いや、間違ってはない……のか?
 顔を赤くしながらぐるぐるしてきた俺に、立橋はさらりと続けた。
 まるで元から仲の良い友人のように。

「じゃあさ。一緒に来る? 春日も。M島」 


 そう言えばこの島、ちゃんと名前があったんだ。
 俺はその日の放課後にはもう、M島に立っていた。
 対岸の道からはごつごつした岩場に見えたそこは、きてみれば思ったより平らで……ということはなく、やっぱりごつごつして安定感が悪い。
 でも、思ったより波は遠く、よっぽどのことがない限り潮をかぶることはなさそうだった。

「そうか……船なら簡単に来られるよな」

 盲点だった。
 そうだよな、船に乗れば泳がずとも陸と繋がって無い所にもこれるんだよ……。

「何? 俺が泳いできてたと思ってた?」
「いや……そんなわけじゃないけど。こう、どっか見えないとこに通路的な何かがあったりするのかな、と」
「地下トンネル的な?」
「うん。そんな感じ」
「すみずみまで見たわけじゃないから断言はできないけど、たぶんないだろうな」
「だよな……」

 立橋は、叔父さんが持っているという釣漁船に乗ってここにきていたのだった。
 知ってしまえばあっけないと言うか。

「だけど立橋、釣りなんかしてない……ってか、こんな時間に釣りってできんの?」

 どっちかって言うと朝がメインなイメージだよな、釣り。
 まあ、夜釣りとかもあるんだろうけど、夕方はしないっぽいよなあ。

「できるよ。朝の方が釣れるけど」

 そう言って、立橋は持って来た釣竿とクーラーボックスを岩陰に下ろす。
 ただし下ろしただけで、釣りをする気配はない。

「……てか、釣りは口実。ここから見える夕陽が好きで見にきてんの。今の時期のが一番好きだから。これ、ナイショな」
「夕陽……。うん、わかった。誰にも言わない」

 釣りがフェイクで夕焼けウォッチング。
 うーん、謎な男だ、立橋……。

「ほら、もうすぐ………」

 立橋の視線の先、水平線の向こう、空と海をオレンジ色に染めながら、ゆっくりと太陽が沈んて行く。
 海に落っこちたらヤバイ、とかさっきまで思いながら潮騒を聞いていたのに、今はもう波の音さえ気にならない。
 ここからだと、何ものにも遮られずに、まっすぐに沈んでいく太陽を見ることが出来るんだ……。

「すげえ……」

 馬鹿みたいに口をポカンと開けて言ったら、立橋が隣で笑う気配がした。
 けど、ぜんぜん嫌な感じじゃなかった。
 振り向いたら、立橋が夕陽じゃなくて、こっちを見てた。
 オレンジ色に染まった立橋の顔が柔らかくほころんでいて、俺は不安定な場所に立っているのを急に思い出したのか、やけにドキドキした。


 太陽が海の向こうに隠れると、辺りは徐々に暗くなっていく。
 帰りももちろん、立橋の叔父さんの釣漁船に拾ってもらって帰った。
 場所は知ってたけど、来た事はなかった港で下ろしてもらって、歩きの立橋の隣を、自転車を引いて歩いている。
 ちなみに、今日は予備校は自主休校した。
 母さんには黙っていればバレないだろう……バレないでいてくれ!
 立橋はわざわざこのために、春休みの間叔父さんのところでバイトをしていたのだそうだ。

「船のガソリン代もタダじゃないからな」

 と、言う事らしい。
 じゃあ、俺がタダで乗ったのはよかったのだろうか……船賃っていくらするんだ? って思って聞いたら、

「春日はいいんだよ。特別」

 と、言われた。
 何それどういう意味、って聞きたかったけど、立橋がやたらニコニコ笑って俺を見てるから聞けなかった。
 てか立橋って、こんなによく笑うヤツだったんだ。
 なまじイケメンだからなのか、黙ってるとちょっと怖いんだけど、笑うと人懐っこい。
 なるほどこういうところが女子に受けるんだ、って感じ。

「……でもさ。夕陽見に来てたんならさ。なんで俺のこと気付いたの? 方向、違うじゃん」

 あの場所が絶景の夕陽スポットなのは実際見たのでよくわかった。
 わずかの距離かもしれないが、浜辺よりも太陽が近いし、何より遮るものがないのでよく見えるし。
 けど、夕陽の方を向いてたら、俺には気付かないよなあ……?

「気付くさ。潮騒に乗って、春日の声が聞こえてくるから。『あいつ何してんだ?』って」

 あっさりと言われて、俺は目を見張った。
 え、ウソ……!? だって、そんな、距離近くないよな? そんな、潮騒に乗って声とか……!?

「嘘だよ」

 俺があんまり驚いた顔してたからなのか、立橋はまたあっさりと意見を翻した。
 って、なんだ、やっぱり嘘、てか冗談か……。
 でも俺が呟いてたこと、ほとんど正確に言い当てたから、マジかと思っちゃったよ。

「流石に、声までは聞こえないけど。なんだろう、こう、潮騒が何か伝えてきたっていうか……海の神秘だな」
「海の神秘って……」

 な、なんか立橋って、俺が思ってたのとイメージ違う?

「まあ、海の神秘がなくても、普通わかるだろ。好きなヤツの気配って、なんとなく」
「はあ……」

 なるほど。
 そう言われれば、そう言うもんなのかもしれないなあ………って。
 ちょっと待て。

「好きなヤツって……え、それ、もしかして……お、俺!?」
「うん。なんでそんな驚いてんの」

 照れもなくまたしてもさらりと言われて、俺の方が戸惑う。

「いや、驚くだろ、普通……。つか、え、いつから?」

 去年はクラス違ったし、こんないっぱい喋ったのも、今日が初めてなんですけど!?

「去年の秋から。クラス違ったけど、同じ文化祭実行委員だっただろ」
「あれ、立橋も文実だったんだ」
「ひでえな。覚えてないの?」
「ご、ごめん……」

 ホラ俺人見知りだからさ……。
 委員会のメンツとも直接かかわりがある最低限の人としか関わらなかったというか……。

「謝んなくていいけど。そんな気はしてたし。でさ、その文実ん時さ。春日、口数は少ないんだけど、ちょこちょこくるくる動き回っててさ。それがさあ、冬ごもり一生懸命準備してるリスみたいで可愛くてさ。そっからずっと気になってた」
「リスって……! イヤ俺、そこまで小さくないよね!?」

 尻尾も頬袋もないよな!?
 高校1年生男子の例えとしてどうよそれ。

「イメージだよ、イメージ。なんか目が離せない可愛い感じ」
「立橋……お前、目ぇ悪いよ、絶対」
「俺、視力両目2.0だって」
「いや、絶対目が悪い」
「んだよ、可愛くないこと言うなよ、可愛いのに」

 意味わかんないから、それ。
 立橋の思考回路が謎過ぎてさっぱりわかんねえよ……。

「じゃ、俺こっちだから」
「あ……うん。それじゃ」

 分かれ道に来て、立橋は右の道に曲がった。
 俺はこのまままっすぐだ。
 なんとなく、立ち止まって立橋を見送っていると、数歩先に進んだ立橋が振り返った。
 街灯の明かりが立橋の顔を照らしていて、その表情がよく見えた。

「返事は、明日聞くから。考えといて。来週はちゃんと釣りにも行こうな。竿は貸してやるから」

 立橋は爽やかに笑ってそう言うと、あとはもう振り返らずに歩いて行った。
 俺はポカンとその背中を見送った後、引いていた自転車に乗ってまっすぐの道を進んだ。
 心臓が潮騒のように泡立っているのは、いつもより速くペダルを漕いでいるからだろうか。

(返事って、返事って……!?)

 あと、いつの間に立橋と釣りに行くことになったんだ? 俺……。


Fin.


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