099: 紙一重



 突きだした渾身のひと振りを、なんなくかわされた。
 その瞬間、生まれた隙を見逃すような相手ではない。
 俺は、あっさりと、止めを刺されるはず、だった。
 なのに……。

「隊長っ! なんで踏み込んでこないんですか!? 手ぇ抜かないでくださいよ!!」
「…………あ」

 間抜けな声を出して、隊長は動きを止めた剣を見た。
 そして、紡がれた言葉と言ったら……!

「お前が、怪我をしたらいけないと思って、つい……」
「つい、じゃないですよ! それじゃ、訓練にならないじゃないですか! 怪我なんてどうでもいいんです!!」

 ああもう!
 これ、一体、何度目だよっ!?
 俺は、盛大なため息をついた。
 だが、俺の尊敬する隊長は、そんな俺の様子を気にすることなく続けた。

「……せっかく、綺麗な顔してるのに」

 怪我なんて、させられないよ、と言われて、いい加減、カチンときた。
 いやもう、すでに十分、腹は立てていたけどね!?

「近衛兵が顔の怪我なんか気にしてたら、王を警護できないでしょうがっ!!」
「……………」

 怒鳴ったら、隊長は、叱られた子供みたいに、しゅんとした。
 そんな顔されたって、誤魔化されない……っていうか、これ、まるっきり立場逆じゃないか。
 複雑な想いを噛みしめていると、まあまあ、と取りなすような声が、横から割って入ってきた。

「そのくらいにしてあげて、ゼノス。隊長も、ほら、反省してるみたいだし」

 おっとりとした顔と、声。
 こう見えて――って言うのも失礼だけど――実力は、隊の中でも、隊長に次ぐ持ち主の、副隊長のラシーヌ様だ。
 平民あがりな隊長がトップの、リアード隊の中では、めずらしく貴族出身だ。
 貴族と言っても、私は末端だからね、とラシーヌ様は言うが、それでも貴族は貴族だ。
 でも、全然偉ぶったところがなく、むしろ気さくで、隊の中では人気も高い。
 もちろん俺も、ラシーヌ様には親しみを覚えているし、尊敬もしている。
 そんな人から取りなされれば、それ以上は言えずに、口をつぐんだ。

「それに、まあ、君のその綺麗な顔に、傷をつけたくないと言う、リアードの気持ちもわからなくはない」
「副隊長……」

 うらめしそうな顔でラシーヌ様を見ても、あははは、と爽やかに笑われるばかり。
 このくらい、俺も鷹揚に構えていられれば、いいんだけど……。

「じゃあ、今日の訓練はこのくらいにしようか。解散!」

 そして、ラシーヌ様は、ぱんぱん、と手を叩くと、それぞれに剣の稽古をしていた兵たちを解散させた。
 あっという間に、訓練場から人の気配が無くなる。
 気まずげな顔をしていた隊長も、そそくさとその場を後にした。
 なんとなく、納得のいかない思いをしていた俺も、いつまでもここにいるわけにはいかないので、歩き出そうとしていたら、まだ残っていたラシーヌ様が、俺の肩をぽんと叩いた。

「あんまりいじめないでやってよ、ね、ゼノス」
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ! 副隊長」
「でもリアードのやつ、君に叱られて、しおれてたからさあ。なんかちょっと、可哀そうでね」
「あのくらい言わなきゃ、隊長はわかってくれないんですから、いいんです! 言っても、言ってもわかってくれないっていうか……」
「あー……。まあ、確かに」

 力説する俺に、ラシーヌ様が苦笑した。
 今日のような出来事は、今に始まったことではないのだ。

「皆と一緒にふろにも入ったし、もういい加減、俺の性別を間違えてることはないはずなのに……」

 疲れたように呟くと、ラシーヌ様は思い出したような顔になって、くすりと笑った。
 俺は、この隊に配属された初日のことを苦く思い返していた……。
 リアード様は、平民出身ながらも、一平卒からのし上がって、先の戦では数々の戦功をあげた、俺たち平民出の兵からは圧倒的な人気を誇る、英雄だった。
 そんな彼の率いる隊に配属されて、その時の俺は舞い上がっていた。
 ……なのに、俺を見た、隊長は、リアード様は、こう言ったんだ………。

 ―――何故、ここに女の子がいるんだ?

 母親や姉妹たちにそっくりな女顔を密かにコンプレックスにしていた俺は、その言葉にブチっと切れて、次の瞬間、気付いたら隊長を殴っていた。
 もちろん、俺の拳ごときでは、英雄はぐらりともしなかったが。

「『俺は男ですっ!』って君が叫んで殴った時の、リアードの顔! あれは、一生忘れられないよ」
「頼みますから、忘れてください……」

 まさにああいうのを、鳩が豆鉄砲を食らったような顔、というんだと思う。
 とは、のちにその場にいたリアード隊のものが、口をそろえて言った言葉だ……。

「頭ではわかっていても、体ではわかってないとか?」
「そんなわけないです! だって、隊長は……!」
「リアードは?」

 くすくすと笑われて、先を促され、俺は口ごもった。
 危ない。
 勢い余って、今、とんでもないことを言ってしまう事だった。
 なんかもう、ラシーヌ様には色々バレてしまっている気がするが……。
 なんせ、あの、リアード様だもんなあ。
 ラシーヌ様相手なら、あっさりとしゃべっていそうな気がするっていうか……。

「紙一重だからね、リアードは。ほら、よく言うじゃない? 天才とナントカは紙一重、とか。リアードもそういうクチだよね」
「それは……確かに………」

 出来ればフォローしたかったけど、フォローの言葉が思いつかなかった。
 剣の腕は、誰よりも立つ俺たちの英雄、リアード様は……。
 それ以外のこと、はあまり……いや、からきしな人だった。
 一応、日常生活はおくれているみたいだけど、それだけ、というか。
 第一、聖マルティン祭を知らない人がこの国でいるなんて、思っても見なかった。
 いや、祭り自体は流石に知ってるんだよ。
 だけど、その祭りが、女の子から好きな男へ、菓子を贈る習慣がある、という事を全く知らなかったんだ。
 そんなの、この国の、首都で生まれといて、ありえない。
 後で聞いたら、そういえばやたら菓子をもらうなあとは思ってた、なんてのほほんと言われて、呆れてしまった。
 どうりで、華々しい戦果の割に、女性の影が見えないと思ったよ……。
 聖マルティン祭で菓子をもらった男は、後日返事をする、という習慣ももちろん知らなかった。
 俺は、リアード様に菓子を送った女性たちに心から同情する。
 だから近年では、リアード様は、食堂のおばちゃんとか、掃除のおばちゃんとかからしか菓子をもらえなくなったんだよ。
 その方が、俺にとっては都合がいいんだけど……ってのは置いといて。
 剣はすごいけど、それ以外のことには興味が薄いっていうのかな。
 リアード隊を動かしているのも、実質上は、副隊長のラシーヌ様だ。
 剣の腕は優れていて、だから兵からは尊敬されているけど、それ以外のぬけてる部分は見て見ぬふり……というか。
 まあ、尊敬する英雄にはいつまでも夢を見ていたいから。
 それが、勝手な幻想の押しつけだってことは、よーくわかってるけど、俺も。
 だけどそれも、実害がなければ、だろ?
 訓練中に手加減されてたら、俺も立つ瀬がないって言うかさ……。
 複雑な顔で、物思いにふける俺を見て、ラシーヌ様は、また、くすりと笑った。

「見捨てないであげてよ。ね?」
「見捨てるだなんて、そんな……!」

 隊長は、リアード様は、今だって、目標にする、尊敬すべき英雄だ。
 普段がまあ……多少あれだからって、幻滅なんて、していない。
 ただ、いい加減……、隊員の一人が女顔だと言う事実を認識して、気にしないで欲しいって言うか。
 それって、そんなに難しいことでもないだろ?

「愛があるからねえ……」
「は?」

 まるで俺の心を読んだかのように、ラシーヌ様が、いきなりそんなことを呟いて、俺は気の抜けた声を漏らした。
 愛が、なんだって?

「ほら、リアードって、何か好きになると一直線だから。剣のことだって、結局はそういうことじゃない?」
「それは、まあ、そうですが……」
「大好きな君の顔に傷をつけるかも、とか考えたら、例え訓練用の模擬刀だってわかってても、ダメなんじゃないの」
「だ……、大好きって! な、なに言ってんですか、副隊長っ!?」

 慌てふためく俺の肩を、ぽんぽんと軽く叩くと、ラシーヌ様は、笑いながらその場を去っていった。
 なんかもう、隠すまでもなく、筒抜けってことか!?
 うう、気まずい……。
 俺は、がっくりと肩を落としながら、訓練場を後にするのだった。


 待ち合わせ場所には、もうすでに、リアード様がきていた。
 リアードって、何か好きになると一直線だから、という、先日のラシーヌ様の言葉が脳裏をよぎった。
 何度も確認された、大事な謁見の日をものの見事に忘れてしまう事もめずらしくない、そんな剣以外のことはうっかり者なリアード様が、俺との約束だけは忘れたことがない、というのは、もしかしたら、そう言う事なのかもしれない……。
 それって、ちょっと、いや、かなり、嬉しい、かも。
 俺が近づくと、気付いたリアード様が顔をほころばせて、俺を迎えた。

「すみません。待たせましたか? 隊長」
「いや。今来たところだ。それより……」

 俺をじっとみて、リアード様は、拗ねたように言った。

「勤務中でもないのに、隊長、と呼ぶな」
「あ、はい……リアード様」
「様、もいらない」
「………リアード」
「うん」

 うわあ、もう……っ。
 そんな嬉しそうな顔されたら、こっちはどういう顔すればいいのか、わからないんですけど。
 俺より年上で、職場の上司でもある彼を、呼び捨て、って言うのは、一応礼儀を重んじる方なので、抵抗があるんだけど、しかたない。
 前、それを言ったら、年は関係ないし、職場でもない、と返されたし……。
 
 ―――恋人同士っていうのは、対等な立場だろう。
 
 さらっと言われてしまえば、もう何も言えないって言うか。
 どっちかと言えば、普段は鈍いくせして、何でこう、臆面がないんだろう、リアードは。

「じゃあ、行こうか」
「はい……って、リアード、手、離してくださいっ!」

 当たり前のように手を繋がれて、俺は焦って、手を振った。
 だけど、手は、以前、握られたままで……。

「ダメなのか……?」

 いや、そんな。
 置いてきぼりをくらった子犬みたいな目で見られても。
 俺は、往来であまりべたべたするのは好きじゃない。
 だって、恥ずかしいじゃないか。
 リアードはそう言うところ、全くといっていいくらい、気にしないんだけど、少しは気にして欲しい、と思う……。

「………人通りの多い場所に来たら、絶対、離してくださいよ? それまでなら……」
「ん、わかった」

 結局、いつも譲歩してしまうんだけれども。
 こんなに、見えない尻尾でも振りそうな笑顔を見せられたら、折れざるを得ないじゃないか。
 って、さっきから、ろくなたとえをしてない気がするぞ……。

「ゼノスに似合いそうな、服を見つけたんだ」
「女ものじゃないでしょうね……?」

 悪い予感を覚えつつ問うと、リアードは首をかしげる。

「どうだろう……?」

 いや、どうだろうじゃないから!
 そこが一番大事だから!
 リアードは気を抜くと、平気で俺に、女ものの髪飾りを、ゼノスに似合いそうだから、と薦めてくるので油断ならない。
 何故だ。
 俺の性別なんて、すでに何度も、リアード自身の手で確認済みじゃないか……!

「だけど、あの青い服は、きっとお前に似合うと、思う」

 俺の歩幅に合わせてゆっくりと歩きながら――身長差がある分、当然歩く速度が違う――、リアードはにこにこと俺を見ている。
 これが計算じゃないんだから、性質が悪いんだよなあ……。
 ほだされて、うっかり女ものの髪飾りをつけてあげる、俺も俺だけど。
 流石に外に付けたりはしないけど、部屋の中で、ふたりっきりの時くらいは、いいかな、と。
 って、別に女装してるわけじゃないからね!?
 そこまで倒錯してないからね!?
 ……何言い訳してるんだ、俺…………。

「それより俺、腹が減りました」

 内心の動揺を押し隠すように、当たり障りなく言うと、リアードは特に気にした風もなく話題を変えた。

「先に飯にするか。そうだ、新しい店が出来たの、知ってるか? ラシーヌが魚料理が旨いって言ってた」
「副隊長が言うなら、確実ですね。そこに行きましょう」
「………ラシーヌの言うことは、無条件で信じるんだな」
「そうですよ」

 わざとそう言うと、リアードは眉尻を下げて、ちょっと悲しそうな顔になった。
 あんまりいじめると、あとが大変だから、このへんにしておこう。

「……でも、一番信じてるのは、もちろん、リアードですよ」

 そう言って、自分から、リアードの腕にしがみついた。
 恥ずかしいけど、この辺はまだ、ほとんど人気がないから……。

「……そう、か」
「はい」

 俺を見下ろす目が、優しくて。
 憧れの英雄の、普段の姿は想像とはずいぶん違って、最初は驚いたけど。
 誰よりも、近くにいられるのは、悪くない。
 ううん、すごくすごく、いい気分だ。


Fin.  


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