瞬きする間に、鮮やかに色づいていく。
今までモノクロームだった世界が、塗り替えられていく。
色とりどりに、甘く。
たくさんの金平糖を、ちりばめたみたいに。
「なあ、水上。お前、リンゴ好き?」
「嫌いじゃないよ。結構好き、かな」
放課後。
智樹に突然、そう尋ねられ、俺はちょっと戸惑いながら答えた。
どうして、リンゴ?
内心首をかしげたが、それが、智樹が少しでも俺に興味を持ってくれたから……だったりしたら、すごく、嬉しい。
「よかった」
俺の返事に、智樹はほっとしたように笑みをこぼした。
思わず、見とれる。
この笑顔が見られるんだったら、俺が実はリンゴが嫌いだったとしても、好きだと答えただろう。
「親戚から、リンゴをいっぱいもらっちゃってさ。水上がリンゴ嫌いじゃないんなら、もらってくれない?」
「それは、嬉しいけど。いいの?」
「いいのいいの。も、ホントに、すっげーいっぱいもらったんだよ。ジャムにしてもパイにしてもまだ余るくらいに……。あ、妹の作ったアップルパイもあるんだけど、それも食う?」
「いただけるのなら」
「そっか! よかった〜。あいつ、張り切り過ぎて、ちょーいっぱい作ったんだよ。水上がもらってくれたら、妹も喜ぶよ」
どっちかと言えば、妹さんよりも君に喜んでもらえた方が、嬉しいんだけど。
……とは、もちろん、口には出さない。
もちろん、大好きな智樹の、大事な妹が喜んでくれるのなら、同じくらいに嬉しいけど、ね。
「ただひとつ言っとくけど、砂糖の分量間違えたっぽくて、半端なく甘いから! 食う時はブラックコーヒーかなんかと一緒に食って」
智樹が力説して付け加えるのに、俺は大丈夫だよ、と答えた。
甘いものは好きだから、と。
「でもホント、舌がしびれそうなくらいに甘いんだぞ?」
「俺、もっと甘いものを食べ付けてるから」
「そうなのか? 意外……」
さらに念を押す智樹に、そう答えたら、智樹は驚いたような顔で俺を見た。
そうだよ、智樹。
だって俺は、ずっと甘いものを味わい続けているんだ。
舌がしびれそうどころか、脳がとろけそうなくらい甘い、ものを。
「えっと、じゃあ……。悪いけど、俺んちまで、一緒に来てくれるかな?」
やや申し訳なさそうな感じで、智樹が言う。
君と一緒に下校出来るなんて、俺にとっては喜びこそすれ、悪い、なんてことは全くないのに。
智樹のこういうところは、いつも、ちょっぴりもどかしく感じる。
「もちろん」
だけど俺は、やっぱり口には出さないで、意識しないでも浮かび上がってくる笑みと共に、了承の返事をした。
智樹の家は、学校から徒歩圏内の距離にある。
だからこそ、智樹は気軽に俺を自宅まで誘うのだろうが、もっと遠くに、智樹の家があればいいのに、と思う。
たとえ電車やバスを乗り継がなければならないような場所に智樹の家があっても、俺は嬉々としてついていくのに。
その長い距離を、君をひとりじめしながら。
だが、それは今の俺には、ぜいたくというものなのだろう。
それに、歩いてわずかな距離でも、智樹と一緒にいられる時間は、他の何ものにもかえがたいものだ。
時間の、密度も違う。
ぎゅっと凝縮されて、風の色さえも変わって感じられる。
こんな風に思えるのは、智樹と一緒にいるときだけだ……。
「ちょっと待ってて。今、取ってくるから」
楽しい時間はすぐ過ぎ去ってしまうという、多くの人が感じられるだろう体感時間通りに、智樹の家にはあっという間についてしまった。
玄関先で、智樹を待つ。
あがってく? と聞かれたけど、俺はそれを断った。
実に魅力的な抗いがたいお誘いだったけど、ふたりきりで――まだ、智樹の家には誰も帰ってきていなかった――いたら、色々、抑制が効かなくなりそうで自分が怖い。
自制は効く方だと思っているが、それでも万が一、ということがあったら……。
俺は智樹に、嫌われたくない。
好かれていないのには耐えられても、嫌われるのは耐えられない。
「お待たせ。これ、リンゴな」
紙袋を持って、智樹が現れた。
中には、真っ赤なリンゴがいくつも入っている。
「ごめん、入れ過ぎたかな。持って帰るの、重い?」
受け取った紙袋は、リンゴの数に見合ったずっしりとした重さがあったが、持って帰れないほどではない。
俺は、首を振った。
「大丈夫。ありがとう、智樹」
「どういたしまして。それと、こっちがアップルパイ。ホント、マジ甘いから!!」
ラップに包んだ上にビニール袋に入れられたアップルパイは、すでにリンゴの甘酸っぱい香りが漂っている。
それを、紙袋の中のリンゴの上に置いた。
こんがりと付いた焼き色が、美味しそうだ。
「あと、これもオマケ……」
そう言って、智樹が最後にとりだしたのは、手のひらに収まるくらいの、小さな紙袋だった。
「それは……?」
「ん、これ。金平糖」
智樹は手のひらに、金平糖を取り出して見せた。
トゲトゲがついた、色とりどりの小さなかたまり。
「懐かしいだろ?」
ひとつぶ摘まんで、智樹は口の中に入れた。
赤い舌が、鮮やかな金平糖を捕らえる様を、俺は吸い寄せられるように見つめた。
「水上……?」
いぶかしげな智樹の声に、俺は我にかえった。
智樹は、不思議そうな顔で俺を見ていた。
「ご、ごめん」
思わず、謝ってしまうと、智樹はますます不思議そうな顔をした。
きっと、智樹はわけがわからないのだろう。
俺だって、言えない。
智樹の舌が、すごく色っぽく見えたから、なんて―――。
それをどう思ったのか、智樹は予想外の行動を取った。
「水上も、食ってみる?」
気軽な口調でそう言って、俺の口に、金平糖を入れたのだ。
智樹の指先が、俺の口の端に、わずかに触れた。
「どうだ?」
智樹が、尋ねる。
指が離れて行くのを、名残惜しい思いで目で追いかけた。
「甘い……」
舌の上で、金平糖がとろける。
小さなとげが、舌の上で転がるのがわかる。
「たまに食うと上手いよな、こういうのって」
「うん。そうだね……」
本当は。
金平糖じゃなくて、君の指を、そのまま舐めたかったよ。
そう、言ったら。
智樹は、どんな顔をするだろうか……?
曲がり角まで、智樹は俺を送ってくれた。
「リンゴとアップルパイと金平糖。ありがとう、智樹」
「どういたしまして。……っても、こんなんじゃ、こないだ勉強見てくれた礼にはとても及ばないけど」
「そんなことないよ。十分すぎるくらいだよ。それに、お礼が欲しくて、やってることじゃ、ないから」
「お前って、本当にいいヤツだなあ、水上」
智樹が感心したように言うけど、本当にその通りなんだけどな。
むしろ、自分のためにやってるって言った方がいい。
智樹が喜んでくれる事を、他の誰かじゃなく、俺がやれるってことが。
「ばいばい、水上。また、明日、な!」
「うん。また明日。さよなら、智樹」
智樹が、大きく手を振って俺を見送る。
名残惜しく、それに手を振り返して、俺は歩き出した。
――また、明日、な!
智樹の言葉を、俺は心の中で、何度も噛みしめる。
また明日。
きっと智樹は、自分の言葉がどんなに俺を喜ばせているか、気付いてない。
いつか君は、それを知る時が来るのだろうか?
さっき舐めた金平糖よりも甘く、紙袋の中のリンゴのように清しい酸味に似た想いが、甘いのにどこか苦く、胸の中に広がっていった。
瞬きする間に、鮮やかに色づいていく。
今までモノクロームだった世界が、塗り替えられていく。
色とりどりに、甘く。
たくさんの金平糖がはじけて、散らばっていく。
小さなとげが、俺の心に柔らかく突き刺ささる。
その痛みと、甘さを、抱きしめるように味わっている。
俺が今まで、知らなかったもの。感じたことがなかったもの。
舌がしびれるように甘く、心が溶けだしそうなくらい、甘い。
智樹。
君に出会ってから、ずっと―――。
Fin.
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