クッキングシートを台所から持ってきて、机の上に広げた。
小さなハートがたくさん散った、可愛いピンクの紙袋をそうっと開ける。
たったそれだけのことなのに、おかしなくらいに、ドキドキした。
宝箱のふたを開ける瞬間みたいに。
いや、俺にとっては、これは宝箱以上のものなんだ。
だってこれは、智樹が俺にくれたものなんだから――――。
今日は学校にいる間中、ずっとそわそわして落ち着かなかった。
はためにもそんな様子が伝わったのか、隣の席の女子に『水上くん、どうしたの?』と不思議そうな顔で問われてしまった。
笑ってごまかしたけど、そつなく対応できた自信は無い。
それどころじゃなかったから。
鞄の中に、すごく大事で、貴重で、かけがえのないものが入っているのに。
それなのに、家に帰るまで見ることができないのだから。
気になって、気になって、色々、俺が手につかなくなるのも、無理ないだろう?
せめてもの救いは、今日は部活が休みだったことだ。
こんな日に部活なんて出ても、ミスしまくりで、熱でもあるんじゃないかと思われるのがオチだ。
あまりにも落ち着かなくて、授業がすべて終わった頃には、特に何かやったわけでもないのに、ぐったりと疲れていた。
一応俺も、バレンタインデーにチョコをくれた子たちに、お返し(一律に、同じキャンディーにした)を渡したりもしたんだけど。
もしかしたら、俺からお返しをもらった子の中にも、ドキドキして、ソワソワして、落ち着かなくなったりした子がいたのかな、なんて。
去年の俺なら考えもしなかったようなことを、思ったりもした。
毎年やってくる3月14日なのに、今年はぜんぜん、違う。
はじめて体験する、3月14日、ホワイトデーだった。
―――家に持って帰って、大事に食べるよ。
智樹にそう言った手前、食べないわけにはいかない。
袋を開けた途端に、ふわっと漂った甘い香りの前で、俺は思った。
智樹が、俺のために作ってくれた、ホワイトデーのクッキー。
俺がバレンタインデーに自分で作ったチョコレートマフィンをあげたから、そのお返しにすぎないんだってのは、わかってる。
だけど本当に、智樹がお返しをくれるなんて思ってなかったから。
しかも手作り。
智樹がその場限りの間に合わせを言うようなひとではないことは、俺もよく知っている。
それでもやっぱり、信じられないくらい嬉しくって。
だから……。
「食べるなんて、もったいない………」
って、俺が思うのは、もう、しょうがないと思う。
でもきっと、智樹は俺が食べた感想を聞きたいだろうな、とも思うんだよね。
手作りって、そういうものだろ?
俺も、自分が作ったものを智樹が食べてくれて、美味しいって言ってくれた時、すごく嬉しかったから。
もしかしたら智樹は、俺からの『美味しかったよ』ってメールを待っているかもしれない。
ちゃんと口で伝えたいけど、食べてすぐ感想を言った方がいいだろうって思うし……。
あ、メールじゃなく直で電話で伝えればいいんだよな。
でもやっぱり、智樹の顔を見て言いたいよなあ……。
って。
いつまでもこんなこと考えてたら、本当に食べられない。
本音を言えば、食べずに永久保存しておきたいんだけど。
でも、お菓子だから……そういうわけにはいかない。
せめて、じっくり眺めてみたくて、クッキングシートをもってきたんだ。
上にずらっと、智樹のクッキーをぜんぶ並べてみようかと思って。
いっそデジカメで撮ってしまおうか、とも思ったんだけど、考えた末、やめることにした。
記録に残しておけばいつでも見ることはできるけど、それは本物じゃないから。
クッキーをもらった時のドキドキして、嬉しくて、胸がいっぱいになった気持ちまで保存はできないから。
それならしっかり目に焼き付けて、記憶に刻みつけておこうと思いなおした。
そうしたら、いつでも、見たい時にすぐに取り出せるから。
袋から直接シートにあけて崩れたらいけないから、ひとつひとつ手で取り出すことにする。
甘い匂いのする袋の中に、そっと手を入れて、ひとつ、つまむ。
取り出すと、それは素朴な丸いクッキーだった。
ほんのりときつね色の焼き色がついて、すごく美味しそうだ。
シートの上に、そっとそうっと気をつけて置いて、次を取りだす。
「あ……」
さっきと同じ、丸いクッキーだったんだけど、それにはさっきのとは違って、表面に何か描いてあった。
顔……?
にっこり笑った顔、なのかな。
たぶん、ココアかチョコレートを溶いて描いたんだろう。
可愛いな。
クッキーの笑顔につられるように、俺も笑顔になっていた。
次に取り出したクッキーには何も描かれていなかった。
その次のは、ウインクした顔。
口が『へ』の時になってちょっと怒ってるみたいな顔。
目が『><』となって泣いているような顔。
表情豊かなクッキーが、次々と並んでいく。
何も描かれていないものもいくつもあって、ちょっとしたクジみたいで楽しい。
これを作った智樹も、楽しんで作ったんだろうなっていうのが伝わってくる。
智樹らしいな……。
シートの上には、そんな楽しくて、美味しそうなクッキーがいくつも並んでいた。
そして、ついに、最後のひとつを取りだした。
手に取った瞬間、俺はクッキーを持ったまま、動けなくなった。
そこに描かれていたのは、顔ではなかった。
―――いつも ありがと―――
メッセージ、だった。
『あ』の文字だけが大きくて、ちょっとバランスのわるい、だけど、智樹らしい、大らかな文字。
まばたきするのも忘れて、手の中のクッキーを見入っていた俺は、唇を噛んで、溢れそうになる色々なものをこらえた。
「ほんとにもう、どうしてくれるんだよ、智樹………」
それでも、こらえきれなくて、気持ちが言葉になってこぼれ落ちた。
今だって、こんなに、こんなに好きなのに。
「これ以上、智樹を好きにさせて、どうしたいの……?」
おそらく、言葉以上の意味は無いんだろう、と思う。
バレンタインデーではありがとう、とか、勉強教えてくれてありがとう、とか。
面と向かって言うのはちょっと照れくさかったりもする、そんな言葉を、クッキーにココアで顔を描くついでに、書いてみただけ。
智樹にとっては、それだけのことなんだって。
だけど俺にとっては………それだけのこと、になんて思えるわけない。
「ほんと、智樹って、キョーアク……」
泣き笑いみたいな顔になって、つぶやいた。
嬉しくて、嬉しすぎて、胸が痛い。
だから俺は、智樹からのメッセージが入ったそのクッキーを、ひとくちかじった。
いつまでも食べずに、ずっと取っておきたいもの。
なので一番最初に、それを食べてしまおう。
クッキーは口の中に入ると、ほろほろと崩れて、優しい甘さに変わった。
智樹のメッセージごと、それを飲み込む。
「……美味しい」
指先についたクッキーの欠片を、ぺろりとなめた。
甘い香りが、指先からもふわりと香った。
こんな美味しいクッキー……、こんな美味しいもの、生まれて初めて食べたよ、智樹。
シートの上に並んだ、たくさんのクッキーに向かって笑う。
中でもとびきり笑顔のクッキーを、ちょこんとつついて。
心の中で、こっそり話しかけた。
もったいなくて食べられないけど、ちゃんとぜんぶ、ぜんぶ、食べるよ。
だって、これで終わりじゃないから。
来年の3月14日も、また会えるだろ?
その時も、とびきりの笑顔を……そして、今年のとは、違うメッセージを。
智樹から、もらってみせる。
絶対に。
Fin.
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