Side;Rosvel
「ロスベル様」
振り返ると、僕の従者候補――候補と言っても、ほぼ決定事項なのだけど――の、少年が立っていた。
この国では珍しい、黒い髪に黒い瞳の持ち主。
それは、たくさんの精霊に愛されて、高位の召還ができる、あかしなのだと言う。
すごいことなんだよ、兄さん、と双子の弟のカイリが言っていたけれど、正直、僕にはよくわからない。
だって、僕は、カイリと違って、ろくな魔法を扱えないから。
魔法使い一族に生まれた、みそっかす、それが僕だ。
物心がつき始めた時から、僕はそれを自覚していた。
……自覚、せざるを得なかった、と言うか。
そんな僕に、彼のような優秀な従者が、ほんとうに必要なのだろうか?
いや、たとえ、どのような従者であっても。
昔、僕の祖先が、彼らの祖先を助けたのだとしても、それは祖先が行ったことだ。
ろくに上手く魔法も扱えない、僕がやったことじゃない……。
「ロスベル様?」
答えない僕を、彼――エドワードが、再び呼んだ。
僕は、重い口を開いた。
「エドワードは……」
(ほんとうに、僕の従者になることを、納得しているの……?)
そう、尋ねようとした言葉を、途中で飲み込んだ。
きっと、エドワードはあっさりと頷くのだろう。
祖先の受けた恩を、子孫が返すのは当然だとか、そんな風に。
だから代わりに、違うことを、言った。
「僕のこと、いつまで、『様』付けで呼ぶの?」
「それは……。主を、呼びすでになど、できません」
また、堅苦しい言葉が返ってきた。
呼び捨てでいいよ、と何度も言っているのに、エドワードはちっとも、頷こうとはしない。
それこそ、主がいい、って言ってるのに……。
「じゃあさ、ふたりだけの時だけでも。ロスって呼んでよ」
「ロス様……」
「だから、『様』、はいらないんだってば。ロス。ロスだよ。敬語も、いらない」
無理を言ってる、ってのは自分でもわかってた。
だけど、嫌だったんだ。
自分の手柄でもない、遠い祖先の恩恵で、優秀な彼に、かしずかれている、そんな状況が。
呼び方が変わったくらいで、この状況が変わるわけではない。
それももちろん、わかっていたけど……。
「エドワードは……エドは、これからずっと、僕のそばにいるんだろう? だったら、いつもそんなに畏まってたんじゃ、疲れちゃうよ。そう思わない?」
「ロスベル様……」
エドは、端正な顔を、わずかにしかめた。
こんな風に、困らせるつもりではなかったんだけど、これから、主従の関係になるのなら、ここは譲れない。
「ね? エド。お願いだよ」
命令だと言えば、エドは渋々でも、頷いたのかもしれない。
だけど、それはなんだか、嫌だった。
僕がじっと、エドの返答を待っていると、エドは小さく息を吐いて、口元を緩めた。
「……わかった。貴方の、言うとおりにする。ただし、ふたりだけの時だけだ。人前では、今まで通り、ロスベル様、とお呼びする。それでいいか? ロス」
「うん! ありがとう、エド!」
砕けた口調の言葉は、僕の耳に柔らかく響いた。
たった、それだけのことなのに、僕は、従者、何ていう自分には分不相応にしか思えない存在と、何とか、上手くやっていけそうな気がした。
「ロス……貴方は、ふしぎな人だな」
「え? そうかな」
エドは、まるで眩しいものでも見るかのように、僕を見ていた。
Side;Yuri
「……君が、僕の従者になるのか?」
「はい」
月の光をまぶしたような銀色の髪と、湖を映したような水色の瞳を持つ少年が、かたわらで跪くオレを、睥睨した。
たった一言、返事をするだけで、オレの背中はかすかに震える。
どうしようもない緊張と―――、歓喜に近い、高揚感とで。
オレの家は、祖先が危機に陥った時に受けた大恩を、変わらぬ忠誠で返すために、代々、ワンズ家に仕えている。
彼は、これから先、オレが主と仰ぎ仕えてゆく人だった。
カイリ=ワンズ。
彼の魔法使いとしての力は、アルディシア皇帝に仕える魔法使いのワンズ一族の中でも飛びぬけていた。
幼い彼の名は、魔法使いたちの中でも、もう知れ渡り始めていた。
ワンズ家の双子の弟は、近い将来、並び立つ者がいない程の、魔法使いになるだろう、と。
そんな彼の、カイリの従者に、オレがなるなんて……。
それを聞いた時から、信じられない気持だった。
はたしてオレに、務まるのだろうか、と―――。
「ユーリ、と言ったっけ、君」
「はい、カイリ様」
「どの程度、使える?」
「え、あの……?」
いきなりの問いに、オレは間抜けなことに、戸惑うような声をあげることしかできなかった。
カイリ様は、少し苛立ったように眉を寄せて、続けた。
「魔法だよ。決まってるだろ」
「未だ、勉強中ではありますが……」
「そんなの、わかってる。御託はいいから、見せて。何でもいい」
「わかりました」
これは、テストだろうか?
オレは、急に指示された、その命に応えるべく、魔法を詠唱した。
かざした手のひらの先が熱くなり、何もない空間に、炎が出現する。
自然には発生しない、球体の炎が。
「ふうん……。まあ、多少は、使えるようだね」
カイリ様はそう呟くと、さっと右手で空を切った。
それだけで、炎の球は、跡形もなく消えた。
詠唱の言葉ひとつ、唱えることなく。
凄い……。
「ひとつ、言っておく」
カイリ様は、オレを見下ろして、言った。
「僕は、役立たずの従者は、いらない」
水色の瞳が、冷たく冴えわたって、オレを映している。
「そんなヤツが付くくらいなら、ひとりの方がはるかにマシだからね。僕の従者になるのなら、常に最善を尽くせ。使えないと僕が判断したら、たとえ忠誠の儀式を交わしていようとも、切り捨てるから。そのつもりでいて」
冷徹な言葉なのに、彼の口から紡ぎだされると、いっそ優雅にさえ、聞こえた。
変わらぬ真実を告げる、神官のように。
逆らうことは、許されない――。
だからオレは、ただ、答えていた。
「はい。承知いたしました、カイリ様」
吸い込まれるように、水色の湖の底を、見つめて。
うべなうオレに、カイリ様は、満足そうに、微笑んだ。
Fin.
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