「ごめん、教えられない」
メッセージウィンドウに浮かんだその文字を読んだ時、キーボートの上で一瞬、指が固まった。
それは、俺が初めて、フユに名前を――リアブレでの名前じゃなく、リアルでの名前を聞いた時の、反応だった。
まだ、ハクがパーティーメンバーに加わっていなかった頃だ。
「どうして?」
一瞬のフリーズが解けた後、俺は高速で文字を打った。
考えるような間が、しばらく空いた後、いや、フユはタイピングが遅いって言ってたから、打ちこむのに時間がかかったのかもしれない、とにかく、少し経ってから、メッセージウィンドウに、文字が流れた。
「ごめん。マコトには、リアブレですごく、助けてもらってるけど。リアルには、上手く言えないんだけど、この世界を持ち込みたくないんだ。分けておきたい、って言うか……とにかく、ごめん。教えられない」
正直、こんなにかたくなに断られるなんて思っていなかった俺は、理由を聞いても、納得できなかった。
リアブレはオンラインゲームだが、プレイしているのは、俺たちが通う、マシマ総合学院の生徒に限られている。
そう言う意味では、まるっきり、どこの誰だかわからない、という不安はない。
だから、リアルの名前を教えてもらえないなんて、思ってもみなかった。
フユと2人で、パーティーを組むようになってからも、時間が経っていた。
むしろ聞くのが遅かったくらいだ。
今まで聞かなかったのは、フユの方から、名乗ってくれないだろうか、というほのかな期待があったから。
俺がリアブレで使っている「マコト」という名が、本名からきていることは、容易に想像がつくだろうし。
だが、いくら待っても、フユが自分から、名乗ってくれることはなかった。
ついにしびれを切らした俺は、ストレートにフユに尋ねたのだ。
リアルでの、名前を教えて欲しい、と。
「俺は、ネット上だけじゃなく、リアルでも、フユとしゃべりたいんだけどな。じゃあ、メールアドレスを教えるのも?」
どうしてダメなんだ、と問い詰めたくなる気持ちを、ぐっとこらえて、俺はなるべく軽く聞こえるように文字を打つ。
それに返ってきた言葉は、
「ごめん」
その、一言だった。
俺はこの時ほど、リアブレが仮想現実であるのがはがゆいと思った時は無かった。
せめて、この、『ごめん』と言っている時の、フユの声が、表情が聞けたら。
表情アイコンの切り替えなんかじゃなく、リアルの、本当のフユの顔が見たい。
そうしたら、少なくとも、その表情や声色から、推測くらいはできる。
どうしてもダメなのか、それとも、多少強引にいけば、教えてくれるのか……。
「それなら、俺のメールアドレスを教えるよ。で、フユの気が向いたら、連絡をして欲しい」
そして、自分のケータイのアドレスを打ち込む。
パソコンのアドレスも、付けくわえて。
「返事は、約束できないけど」
「いいよ。今は、それでも。それじゃ、もうちょっと、ダンジョン攻略、進めようか」
「うん、わかった」
その言葉には、すぐに返事が返ってきた。
画面上で、フユのアバターが、ちょこちょこと動き出す。
その隣に、ぴったりつくように、俺のアバターを動かす。
フユは、リアブレをプレイするようになってしばらく経った今でも、どこかぎこちなさが取れなくて、そこが逆に何だか可愛い。
守ってあげなくちゃ、と思ってしまう。
リアブレと、リアルは違う。
それは、一応頭ではわかっているけど、現実世界でのフユも、こんな感じなんじゃないだろうか?
一生懸命で、でもちょっと危なっかしくって。
そんな風に想像すると、リアルでは一度も会った事がないフユを、好ましく感じる。
一刻も早く、マップ上のフユだけじゃなく、生身の彼にも会いたい、と思う。
プレイヤーキャライコール、プレイヤー、ではなくても、動かしているアバターには、素の本人の性質が、いくらかは表れているはずだ。
特にフユは、リアブレで、別人格を演じきれるほどに、器用なタイプではないと思う。
「西の洞窟に行ってみようか、フユ」
「僕のレベルで、大丈夫かな…?」
「大丈夫。フユは、俺が必ず、守るから」
リアブレでも、リアルでも。
本当は、そう、書きたかった―――言いたかった。
「ありがとう、マコト。でも、なるべく僕も頑張るね。足を引っ張りたくないから」
やっぱり、少しの間をおいて、フユからのメッセージが流れる。
フユなら、フユにだけなら、どれだけ、足を引っ張られても、構わないのに。
「一緒に、頑張ろう。俺とフユ、2人いれば、怖いものなしだから。絶対大丈夫」
「強気だね、マコトは。すごいな」
「うん。だって、フユがいるから。フユは?」
西の洞窟は、もう目の前だった。
俺とフユのアバターがそろって、入口をくぐる。
フユからの返事は、画面が洞窟内部に切り替わった後に、メッセージウィンドウに流れた。
「そうだね。僕も、マコトがいるから、心強いよ」
その言葉を、フユ。
俺は、文字情報としてじゃなく、君の口から、君の声で聞きたい。
「グールが来た! 行くよ、フユ!」
「わかった!」
戦闘が始まった。
フユと共同して行えることは、たとえプログラムの上で決められた行為だとしても、嬉しい。
他の何ものにも、代えられない、と思えるくらいに。
先日手に入れたばかりの剣は、すでに装備済みだ。攻撃コマンドを選ぶ。
フユには、ダメージ1つ、与えない。
「フユ、危ない!!」
フユに向かったグールからの攻撃をかばった。
ヒットしたけど、大したダメージではない。
「ごめん、マコト。回復しようか?」
「いや、まだ大丈夫。それより、フユは下がってて!」
そう文字を打ちこみながら、フユよりも前に、アバターを動かす。
「わかった。ごめん、ありがとう、マコト」
フユのアバターが、ぶつからないように、俺のアバターの後ろに下がった。
グールからの攻撃ターンが来る前に、こっちから連続技をかける。
綺麗に、決まった。クリティカルヒットだ。
向こうのゲージが、一気にレッドゾーンまで下がる。
これでもう、勝ったも同然だ。
リアブレをプレイするのは、この上なく楽しい。
それは、俺の後ろに、いつも、フユがいてくれるからだ。
俺は、1人でも問題なく戦えるだろうけど、1人だったら、きっとこんなに楽しくなかったに違いない。
ぴょこぴょこと、マップの上を可愛く動く、ピンク色の髪のアバターの、フユが隣にいてくれるから。
この仮想空間が、現実世界のように、いやそれ以上に、輝いて見えるんだ。
だから。
いつか、必ず。
「勝てたね、フユ」
「うん……でも、ごめん。僕、何もできなかった」
「気にしないで。俺は、フユが俺のパーティーに、いてくれるだけで、力をもらえているんだから」
手に入れて見せる。
君の名前を。
君のリアルを。
今は無理でも、いつか、必ず―――。
to be continued……?
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