real blade 大輔×春寿

blind

 BGMは、ドナドナ。
 そんな、売られてゆく子牛のような気分で、僕は溝口の後をイヤイヤついて行っていた。

「データ入力の手伝い? なんで僕が。イヤだよ」
「お前に、拒否権があるとでも? バレー部の予算編成にあんなに協力してやったのは、一体、誰だったっけなあ? もう忘れたのか、春寿」
「うっ………」

 それを言われると、ぐうの音も出ない。
 締め切りを破った上に不備があった、バレー部の予算提出書類を、他のどの部員が作成するよりも完璧に作成してくれたのは――もちろん、僕も手伝ったが――溝口だ。
 だけど、後になってこんなことを言われるだなんて。
 もしかして、そう言うもくろみが、最初からあったんじゃないかって、邪推したくなる。
 だって、溝口ならいかにもやりそうだし。
 溝口は、仕事は確かに出来るのだろうけど、とにかく何を考えているのかよくわからなくて、信用できない。
 この間だって、いきなり……。

――――『付き合うか、俺と』

 無意識に、唇を手でなぞった。
 本当に、何を、考えているんだか……。
 タチの悪い冗談、と切って捨てて、二度と思い出したくなかったのに。
 もうこれで、溝口と会うこともない、と思ってたのに。
 それなのに、向こうはそのつもりはちっともないみたいで、そして僕は、それを振り切って、逃げる事も出来ない。
 こぼれそうになったため息を、かみ殺す。
 あと少しで、生徒会室が見えてくる………。

「ああ、そうだ」

 少し先を歩く溝口が、くるりと振り返った。

「言い忘れてたが、今日は、真はいない。……安心したか?」
「そ、そんなこと、僕は……、どうでもいいよ」
「そうか」

 しまった。
 もっと、間髪いれずに、否定するんだった。
 溝口に、僕がフユだと、はっきりとバレているのかどうかは、わからない。
 疑っているとして、それを田之上に告げていつのかどうかも。
 だけど、少しでも、危ない橋は渡りたくない。
 見つかってしまったら―――きっと、今度は、逃れられない。
 そんな気が、するから……。

「ほら、入れよ。春寿」
「ああ、うん……」

 生徒会室のドアを開けて、溝口が僕を呼んだ。
 中に入ると、田之上だけじゃなくて、他の誰もいなかった。
 思わず黙り込むと、ドアを閉めた溝口が、ニヤリと笑った。

「なんだ? 怯えてるのか。また、何かされるんじゃないかって」
「べ、別に……!」

 ホントはそうだったんだけど、必要以上にビビってると思われるのも癪で、僕は虚勢を張った。
 そんな僕の強がりなんて、あっさり見抜いてるだろうに、溝口はそれ以上は何も言わずに、1台のデスクトップパソコンの前の、椅子を引いた。
 いつの間にか、手に書類の束を持っている。

「書式は、これに入っている。この書類の数値を打ち込むだけだ。サルにもできる」
「最後の一言は、余計だよ」

 ムッとしながら、僕は椅子に座って、書類を受け取った。
 結構な量があるなあ……。

「それ全部、お前一人でやらせようと言うんじゃない。とりあえず、出来るところまででいいから」

 その言葉に、僕はホッとした。
 終わるまで帰さない、とか言われるんじゃないかと思った。

「さっさと始めろ」
「あ、うん……」

 すでにパソコンの電源は入っていて、エクセル画面が開いていた。
 受け取った書類をめくって、入力しようとして……。

「よ、読めない……」

 そうだ。
 溝口は、字がすっごく、汚かったんだ。
 これって、1? それとも7? こっちは、0なのか、9なのか、わからない……。

「溝口……せめて数字くらい、もっと綺麗に書いてよ。これじゃ、なんて書いてあるのか分からない」

 僕がそう苦情を言うと、自分の席についていた溝口は、立ちあがって、こっちに来た。
 僕の手元を覗き込む。

「どこがわからない?」
「これと……これと、これ」
「15、27、49」
「え! これ、9なの? 0かと思った……」
「よく見ろ。ちゃんと横に縦棒があるだろ」
「もっとちゃんと伸ばしてくれないと、わかんないよ!! じゃあ、こっちのは、7?」
「7でしかありえないだろ。上に横棒があるんだから」
「微妙すぎ! もっとはっきりきっぱり伸ばさなきゃ、読めないって」
「うるさいな……。他は? 後からイチイチ教えんのは面倒だ。読めないのがあったら、今ここで言え」
「えっと……」

 確かに、読めない字が出てくるたびに、溝口を呼ぶのも効率が悪い。
 僕は、書類をざっとめくってチェックする。
 その中に、数値じゃなく、文章が載っているものがあった。
 生徒会からの、お知らせのようだ。

「あ、これはエクセルじゃなくて、ワードに入れるの?」
「ああ。これも、ワードに書式が入ってるから、それに打ち込むだけでいい」
「ん、わかった。………これ、『わ』? それとも『れ』?」
「どう見ても、『れ』だろう」
「いや、見えないから、どう見ても………」

 他にも、いくつか、解読不能な文字の読み方を教えてもらう。
 いくらパソコンを使う事が多いからって、こんなに、絶望的に字が汚い人もめずらしいんじゃないだろうか。
 テストの時は、どうしてるんだろう、溝口……。
 
「何か、言いたそうだな? 春寿」
「いいえ、何も」

 澄まして首を振ると、溝口はちょっと顔をしかめたけど、何か分からないことがあったら言え、と自分の席に戻って行った。
 僕はようやく、書類を横に、画面と向き合った……。

「遅い」

 ひとまず、エクセルに数値を打ちこむのは終わった。
 そして、数字以上に難読な、溝口の文字をワードに入力し始めた頃。
 溝口は、僕の方を見て、一言、そう言った。

「お前、いちいちキーボートを見ながら打つなよ」
「でも、そうしないと、打てないし……」
「ブラインドタッチも出来ないのか?」

 呆れたような溝口の声に、僕は無言になる。
 字が打てれば、それでいいじゃないか。
 ブラインドタッチなんて、僕にとっては、夢のまた夢なんだよ……と、心の中でだけ、反論する。
 溝口は再び、席を立って、僕の方にやってきた。
 何かまた、今時ブラインドタッチも出来ないなんて、とかなんとか、言われるんだろうな、と身構えていたら……。

「指の位置が、おかしいんだよ」

 そう言って、背後から、僕の手を取った。

「ホームポジションに指がいってないから、いちいち見ないと打てないんだよ」

 手を取ったまま、僕の指を、正しい位置に導く。
 左の人差し指はF、右の人差し指はJ。
 確かに、遠い昔、小学校の授業か何かでパソコンを扱った時、習った覚えはあるんだよな……。
 でも僕は、さほどパソコンの授業が好きでもなかったし、なのに他の子たちはみるみる上達するわで、すっかり落ちこぼれてしまった。
 そこで、自分でちゃんと練習すればよかったんだけど、とにかく打てればいいだろ、みたいな感じで来てしまったので、未だにキーボードで文字を探しながら打っているんだよね……。

「最初は違和感あっても、指の位置を正しい場所に固定してやった方が、結局は早いし、正確に出来る。……ほら、やってみろ」
「う、うん……」

 なるべく、溝口が最初に示したホームポジションから手の位置を動かさないようにして、タイピングしてみた。
 ホントだ。
 全然、早くは無いけど、これなら、今までみたいに、キーボートをいちいち見なくても、ちゃんと出来る。

「急がなくていいから、確実にやれ」
「うん、わかった」

 溝口は、ぽん、と軽く僕の頭を叩くと、また戻って行った。
 ありがとうって、言いそびれちゃったな……。
 いやでも、手伝ってるのは僕で、効率化を図るために教えたことなら、僕が礼を言うようなことでもないのかな?
 いやいや、どんなことでも、教えてもらったんなら、ありがとう、って言うべきだよな。

「何をボーっとしてる。早くしろ」

 僕の手が止まっているのを目ざとく見つけて、溝口の叱責が飛んでくる。
 これをさっさと終わらせることが、溝口にとっては何よりの礼ってヤツか……。
 そう思って、僕は相変わらず読み辛い溝口の文字を、ワードに打ち込む作業を再開させた。

「そこまででいいぞ。お疲れさん」
「ひゃっ……!?」

 ぴとっと、頬に何か冷たいモノがあてられた。
 よく見ると、缶コーヒーだった。
 時計を見ると、ここにきてからもう、2時間近く経っていた。
 電気がついてるから気付いてなかったけど、外はもうすっかり薄暗い。
 結構、集中してやってたみたいだ。
 僕は、溝口から缶コーヒーを受け取った。

「あ、お金……」

 制服のポケットから、財布を取り出そうとした手を、溝口が止めた。

「必要ない。フツー、奢りだろう。律儀だな、お前は。どうしても払いたいっていうんなら、もらっとくが?」
「……じゃあ、奢られとく。ありがとう、溝口」

 なんで溝口って、いちいちひねくれた物言いしか出来ないんだろう?
 素直に礼を言おうっていう気が、なくなるよ……。

「今までの、保存はしといたけど。パソコンの電源は切っていいの?」
「ああ、ちょっと待て。一応、USBメモリにも保存しておく。電源は、俺が切るから」
「わかった」

 席を立って、溝口と場所を変わる。
 素早く作業を終えた溝口は、パソコンの電源を切って、立ちあがった。

「それじゃあ、今日はここまでだな」

 そう言って、溝口は生徒会室の電気を切った。
 2人して、生徒会室を後にする。
 閑散とした廊下を歩きながら、僕はさっき言えなかった、言葉を言った。

「あの……、溝口。さっきは、ありがとう」
「缶コーヒーの礼なら、もう聞いた」
「そっちじゃなくて。ブラインドタッチ。教えてくれて」
「どういたしまして」

 溝口は、ちょっと目を見張ってから、ふっと口元を緩めた。
 それは、いつもの皮肉気な笑みとは違った。

「溝口って……実は、結構、いいヤツだったり……する?」
「なんだ、その疑問形は」
「なんとなく」

 少なくとも、思ったより、悪いヤツじゃないのかもしれない、と……思うのは、時期尚早だろうか。
 溝口は面白そうな顔で、僕を見てから、言った。

「俺はいつだって、いいヤツだろう?」
「それは絶対、違うと思う」

 間髪いれずに答えたら、溝口は、生意気なヤツだな、と言って、僕の髪をぐしゃぐしゃにかき回した。
 言葉とは裏腹に、なんだかすごく、楽しそうに。
 やっぱり溝口って、よくわからないヤツだ。


おわり。

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