| 「むらづくりはひとづくり」 〜役割分担を徹底した福栄村特産品開発グループの活動〜 ・福が栄える村福栄村 福栄村は、人口2600人の農業主体の村で、高齢化率4割という典型的な過疎地です。 県内では一番所得が低い村と言われていますが、数字にでていない農業の所得や年金もあり、ほとんどの方が持ち家、地主なので生活に困ることはありません。 農作物も米をはじめキャベツや白菜、メロン、ぶどう、いも、柿、なすなど、なんでもとれる村ですので、見方を変えたら、こんなに恵まれているところはないと思います。 このように、比較的豊かであり、農業者も生産に従事していれば生活にも困らない状況であったので「何かしなければ」という状態ではありませんでした。困っていないと特に新しいことを考えません。だから、豊かなところは結構せっぱつまらず、新しいことをしようという気持ちが起こらない状態でした。
・道の駅がオープンがきっかけ 平成9年に村民の意識が変わったできごとが起こりました。村内に道の駅「ハピネスふくえ」が完成したのです。地域振興と交流の拠点ができたと喜んだのもつかの間、いざ道の駅に特産品をならべてみると、ほとんどの商品が隣の萩市や他の産品で埋め尽くされました。地元の道の駅なのに地元の特産品がない。はじめて意識として「なにか福栄村らしい特産品がほしいね」ということばがでてきました。そのことばをきっかけに地元商工会の旗振りで、老若男女問わない村の有志約40名が集まって「地域資源調査事業」にとりくみました。 ・地域で眠っている資源の掘り起こし 地域振興策を村の皆さんで検討していきました。みなさんが今まで見落としてきた地域の資源をどんどん提案して頂きました。 とにかく「ひと」の力を借りて会議を頻繁に行い、多数の意見が出ましたし、委員のメンバーも集まっていくうちにどんどん活気がでてきました。みんなやる気はあるけど意見が言えるこうしたきっかけを待っているもんだなと感じました。
・ふくふくゼリーの誕生 平成10年度には、地域振興対策事業を取得し、9年度より引き続いて委員になっているメンバーを中心に産品開発の会議を何十回も重ねていきました。 会議を重ねていき、委員の中で「福栄村の農産物を使った産品をつくろう」という意見がでたので、早速福栄村でよくとれるメロンとぶどう、柿を使ったゼリーの試作に委員のメンバーで取り組みました。ゼリーは比較的簡単に試作品が完成しました。ネーミングも福栄村の福をもじって「ふくふくゼリー」と名付け、パッケージデザインや容器の形状などもみんなで意見を出し合いました。 このゼリーの完成を機に委員の意識は高まっていったのです。 確かに当初はゼリーは安易でどこにでもあるものだからという躊躇はありました。しかし、このゼリーの完成をきっかけに、委員のメンバーに自信が芽生え、連帯感も生じ「自分たちの意見が形になるんだ」の意識で、次からどんどん産品が開発されました。 最初から否定せず、まず実行したことがひとのむらづくりへの意識を強めていきました。 ・ヒット商品「香福鶏」の誕生 意見が飛び交う中、福栄村はハーブに力を入れており、ハーブを植えている方も多いのでハーブを使った特産品をつくろうと考えました。 まずハーブソーセージの案が出たので、早速豚肉を使って自分たちでハーブソーセージを作ってみました。すると委員の一人が「福栄村内には豚はいない。村内にない材料を使ったものを特産品とするのはどうか…」との意見がでて、別の委員が「それなら村内には大きな養鶏場があるじゃあないか。鶏肉を使った珍しいハーブソーセージにしよう」ということで、何回も試作を重ねて完成致しました。 産品ができたら次はネーミングです。このころになるともう委員のメンバーはこの産品づくりの会議が楽しくてしょうがありません。どんどん意見がでてきました。「ハーブの香りと福栄村の福をとり幸福になれるように『香福鶏』と名付けよう」
こうして、産品第2号の「香福鶏」は村の人たちの手とアイデアでしあわせの香りただよう福栄村の特産品として完成しました。 それから、福栄村の福が栄えるという縁起のよい地名を活かし、「しあわせ」をイメージした商品が村の「ひと」によりどんどん開発されていき、あっという間に8品目になりました。 ・福栄村特産品開発グループの設立 平成11年度は出来上がった特産品をPRしていき販路開拓をしていく事業でした。 たくさんの特産品が村の人たちの手で開発されましたが、それを加工、販売する主体者がいないのが課題でした。それなら今まで苦労を分かち合えた委員のメンバーで会社を作ろうとなり、村のひとたちでつくるむらおこし会社「福栄村特産品開発グループ」が平成11年6月に設立されました。任意団体ではありますが、広く村民から出資を募り、老若男女問わず約50名から出資を集めることができました。 たちあがったグループを維持していこうと、商工会が裏でバックアップしてくれました。12年度に入ってからは自主的にPRを行い、記者クラブなどにもかけこみとりあげてもらうように働きかけました。 それと同時に各種物産展やイベントにも積極的に参加し口コミとお客さんの反応を学びました。 ・特産品の受賞 12年11月にあるきっかけが舞い込んできました。商工会関係の物産展で「中国四国むらおこし展」というイベントがあり、そこで行われたむらおこし産品コンテストに香福鶏を応募しました。そしたら、3位のグランプリ銅賞を受賞たのです。さらにその翌月行われた全国商工会連合会主催の日本全国むらおこし展にコンテスト応募したところ、見事食品部門では第1位のの中小企業庁長官賞を受賞しました。評価として、小さな村で郷土の材料を利用して、村民が一丸となって9年度からむらおこし事業を実施していることが評価されました。幸福なネーミングや将来の期待度も考慮されたそうです。 受賞すると、表彰状だけではありません。マスコミにも取り上げられ、地元テレビ局で特集を組んでグループ活動を放映してもらったりもし、無料でいいPRになりました。それと何より、グループ員の大きな「自信」につながっていったのです。 ・軌道にのるグループ活動 売上も軌道にのり、やっぱり自分たちの手でつくりたいという気持ちから、加工場を商工会の敷地内に設置しました。最初は土台となるひとづくりや販路開拓等のソフトの活動からはじめ、軌道にのってから箱物をたてるという方策は成功いたしました。 また、菓子製造免許をとれば、気軽に思いついたものから何でも作れるので、メンバーのやりがいも向上し、小回りもききました。 このころから、産品がよく売れるようになり、商工会が産品の注文を受けたり、また村役場にも問い合わせがあるなど、村の色々な機関がこのむらづくりグループを支援していくようになりました。このような応援もあり、またひとづくりを徹底したおかげで、このころには産品も20品目に膨れあがりました。 ・お炭つきの誕生 グループの産品で大ヒットした「お炭つき」という商品があります。この産品の完成のきっかけもグループ員の提案によるものでした。 グループ員の中に炭焼きをする方がいて、趣味で野菜や果物をそのままの形で炭にしている方でした。その方は趣味でやっていたので売り方とかのノウハウがわかりません。そこで、グループの会議でその野菜炭をもってきてこれはどうにかならないかと相談をもちかけられました。 とりあえずそこらにあるかごに盛って、名前もふとしたグループ員のひらめきで「お炭つき」と名付け、パソコンでラベルを簡単に作成しその日のうちに商品になりました。 物産展などで販売しましたが山口県内でやる物産展では、注目度こそ高いですが、ほとんどと言っていいほど売れませんでした。 物産展をやっていくうちに、お客様からアドバイスを受けカゴの形状や盛り方などが工夫され、今のような形になり、少しずつ売れ出してきました。 そこで、火がついたのがお炭つきが平成13年4月の全国放送のニュースで紹介されてのことでした。 東京のテレビ局のスタッフがたまたま飲みに行った東京のバーにお炭つきが置いてあったのをみて私どもに問い合わせがあったのがきっかけでした。そのバーは私たちが物産展で出品したお炭つきを購入された方だったのです。 ・田舎の産品は都会で売れる 3〜4分ほどの短い放映でしたが、全国放送だけあって、電話が鳴りやみませんでした。 そして、100件以上の注文をいただいたのですが、ここで問い合わせや注文のあった方を整理していくと、そのほとんどが首都圏を中心とした都会の方、それも女性でした。やはりこういう田舎のものは都会で売れる、特に女性をターゲットにというのがよく分かりました。 ・視察や取材が増えた この放映をきっかけに地元のテレビやまた、全国から視察に来られる方も増え一段とグループは忙しくなってきました。最初は、私どもが先進地の視察に行き、お話を聞く立場であったのが、今では多数の方が福栄村にお越しになられます。お越しになられた方を私どもの加工場に案内するとみな唖然とされます。それは建物が質素で簡易であるからです。でも視察に来られた方は「むらおこし建物ではない。このような施設でもできるんだ」と自信をもって帰られていきます。 商工会内の作業場もフル回転で、このころから常時5名のパートを雇用し、賃金を安定的に払える体制にもなりました。 これだけ盛り上がると、地元行政や県が新しい地域振興策のひとつだと喜ばれ、県の広報誌に紹介してくれたり、地元の会議の引き出物にも使ってくれるようにもなりました。また、県からイベントへの出展依頼やコンテストへの出品要請もあり、強く推奨してくれるようになりました。 ・むらおこしは「役割分担」 私どものグループはひとの得意なところを役割分担していきました。お年寄りの知恵から若い人の技術まで色々なものを結集していったのです。 それは「お炭つき」ひとつをとっても様々な人たちが関わっているのが分かります。 ・野菜や果物を作ったり調達してくれる人(農家 お年寄り) ・野菜や果物を炭にする人(炭焼きやさん) ・野菜炭をきれいに盛る人(グループのおばちゃん) ・かごを作る人(竹細工やさん) ・シールラベル作成者(パソコンに強い若手) ・物産展で売りに行く人(グループ員) ・物産展情報や経理、経営指導(商工会) ・補助金等のバックアップ(村、県) その他、中小企業団体中央会や農協、県の農林部などさまざまな部署からご支援いただきました。これもひとつの役割分担といえます。 ・グループが商工会館を建ててくれる グループの活動拠点であった福栄村商工会はプレハブの建物で、県下でも1、2を争うほどの劣悪な建物でした。そんな建物ではありましたが、地域振興のための産品開発の場所の提供や会議の場として、効率よく活用してきました。 こむらおこし活動を契機に、商工会も活気づき、地域振興策の拠点としての館づくりの機運がたちあがりました。 これだけの活動をしていると村も、全面的に商工会に対して協力いただけるようになり、商工会館建設にあたって、多大なる助成を受けられるようになりました。 国県に対しても、この地域振興事業を全面的に訴えたことにより、会館建設補助金の交付が決定されたといっても過言ではありません。 まさに、福栄村特産品開発グループの活動が商工会建設まで導いたと言えます。 ・法人化に向けて 最初、年280万円程度の売上だったグループの売上が、平成14年度には1500万円以上になってしまいました。 任意グループであったので、利益は全て出資者に還元しなくてはならず、毎年約1割の配当を行ってきました。 しかし、売上が伸びることにより以下の課題が発生してきました。 ・任意組織であるため対外的な信頼度が弱い ・売上額が伸びているので税務上の問題が生じる ・任意組織なので収益がでた場合は出資者に全額還元しなければならず、準備金と して積み立てができない。 ・損失が出た場合は出資者から補填しなければならない そこで、グループの中に法人を立ち上げようと検討され、株式会社や有限会社という意見がでましたが、これも役割分担のひとつで、山口県や山口県中小企業団体中央会の提案で優遇の多い「企業組合」という方法を選択しました。 ・福の里企業組合の設立 こうして、平成15年1月8日にめでたく「福の里企業組合」が設立されました。組合員はグループ員の中心的メンバー7名で組織されています。 設立総会時には、県や中央会、村の役職の方など多数の方がご臨席され、取材もたくさん受けました。このようにみなさんに見守られての設立となりました。 今までの福栄村特産品開発グループ(現在出資者68名)は親会社的存在として組合を見守っていくようにします。そのため、組合の運営等に意見を述べることができるようにし、組合の利益からグループ員に配当が支給されるしくみをつくり、あくまでもみんなでつくるむらおこし会社の理念を継承いたしました。 ・楽しいむらおこし 私たちはとにかくひとを大切にし、ソフトの立ち上げを中心に活動して参りました。そして、色々な方のお力を借り、手作りのむらおこしを行ってきました。箱物は必要最小限で充分です。ソフトである「ひと」がその箱の機能を何倍にもしてくれます。どんな状況であれ「むらづくりはひとづくり」からの理念で「小さいながらも楽しい活動」をどんどん進めていきたいと思っています。 |