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 1549年フランシスコ・ザビエルがキリスト教を布教するため来日し、大内義隆(1507−1551)の頃山口で布教活動をし、多くの人たちが信徒となりました。そしてザビエルが日本から去り毛利氏の時代となってからは、切支丹禁制の政策がとられ、宣教師を追放する等、キリスト教にとって厳しい時代となり、大半の信徒たちは山口の仁保あたりからここ紫福の山中に移り住んだといわれています。【1560年頃】以来信徒たちはこの地でキリスト教の教えを守り至福の時を待ちながら、ひっそりと生活してきました。
 この間、至福がなまって紫福になったとか、紫福を至福と呼んだとか、或いは近くの鍋山を至福の丘と言っていたとありますが何れも伝説となっています。
 やがて時は流れ信徒たちの墓標も風雪にさらされる状態となりました。そこで、この山腹の墓地を整備し「キリシタン至福の里・中山地区祈念地」としたものであります。