*青い鳥*



うららかな小春日和の昼下がり。簡単な昼食を済ませた後、白鳳は宿の一室で気怠げに魔法ビジョンを眺めていた。今日は12月24日、俗に言うクリスマスイブである。男の子モンスターの捕獲は重要な使命だが、年末の一大イベントを無視してまで、ダンジョンを目指す野暮はしない。先が見えない長丁場だけに、時には適度な息抜きも必要だ。夜には忘年会を兼ねて、ささやかなパーティーを催すことになっていた。
(結局、今年もスイを元に戻せなかったなあ)
組んだ脚に乗せた、丸っこい身体が寝返りを打つ。すやすや眠り続ける弟に視線を落とすと、白鳳は軽い苛立ちを覚え、唇を噛みしめた。大陸内に生息するモンスターの実態すら把握出来ないまま、時間ばかり無情に流れていく。決して、捕獲が停滞しているわけではない。むしろ、現在の布陣を考えたら、短期間によくぞここまで集めたものだ。しかし、スイの呪いを解くためには、1種たりとも捕り逃しは許されず、未だ正確な種族数が判明しない以上、解呪への道はまだまだ遠かった。
(はあ〜あ)
紅唇から力なくため息が漏れた。が、これは単にスイに対する罪悪感や憐憫のみではない。今春、白鳳の××心に致命傷を与える出来事が勃発した。待望の主人からの迎えに応じ、DEATH夫が悪魔界へ帰ってしまったのだ。すでに半年以上経つが、未だ黒衣の死神に対する未練を断ち切ることは出来ない。
(DEATH夫のバカバカっ、こんなに魅力的で床上手な私をあっさり捨てるなんて。。)
腐れ××者の邪な萌えはともかく、パーティー随一の戦闘力を誇るDEATH夫の離脱は、一同にとって大きな損失だった。今までは、彼とオーディンを中心に作戦を組んできたので、根本的に捕獲の手順を見直す羽目になった。もちろん、戦い云々を抜きにしても、皆ががっかりしたのは言うまでもない。当初はフローズン以外との接触を拒絶していたものの、紆余曲折を経て、ようやく名実共に仲間と呼べる存在になったのに。
(もう二度と会えないよねえ)
プランナーでさえ正確な位置を知らない悪魔界へ、一介の人間が行けるはずがない。DEATH夫が積極的に会いに来ない限り、感動の再会は実現しないのだが、彼の性格を考えると、可能性は皆無に近かった。



不景気な表情を隠そうともせず、物思いに耽る主人へ、食器洗いを終えた神風がおもむろに声をかけた。
「白鳳さまも気分転換に外出したらいかがでしょう」
まじしゃんは白鳳の心遣いで、昨夜から育ての親が待つ故郷へ帰省している。オーディンとフローズンは食材やパーティーグッズを買うべく、大通りの商店街へ向かい、ハチは店にない材料を求め、森の奥へ飛んでいった。ゆえに、現在、室内には白鳳、神風、スイのふたりと1匹しかいなかった。
「気分転換かあ」
「せっかくのクリスマスイブですよ。街へ出れば、華やかな飾り付けを楽しめるし、素敵な殿方に出会えるかもしれません」
「ううん、ここで皆の帰りを待つよ」
主人の嗜好に目一杯配慮して勧めたにもかかわらず、白鳳は眉ひとつ動かさないで、ソファに身を沈めたままだ。普段なら、従者の制止を振り切り、大張り切りでオトコ漁りに繰り出すのに、寄りによってクリスマスイブに引きこもっているとは、神風ならずとも首を捻らざるを得ない。
「いったいどうしたんです」
「どうもしないけど」
「我々は手がかからなくて楽ですが、品行方正な白鳳さまは何かの間違いとしか思えません」
「ま、間違いって・・・そこまで言う?」
「いつも、ムダに前向きに理想の相手を追い求めていたじゃないですか」
不祥事を起こして欲しいわけではないが、”らしさ”の感じられない意気消沈した様子は気掛かりだ。神風の執拗な問いかけに対し、白鳳は微かに目を伏せると、消え入りそうな声で呟いた。
「もう、理想のオトコを追いかけるのも疲れてきちゃった」
「弱気なセリフは、白鳳さまには相応しくありません」
「私が夢見る究極の愛人は、永遠に現れない気がするなあ」
立ち直りの早い点がある意味救いだったのに、紅い瞳は光を失い、本格的に落ち込んでいる。手段を選ばずアタックしても、実りのない独り相撲が続き、さすがに軽い鬱状態に陥ったのだろうか。加えて、ご執心だった死神に去られたことも痛手だった。
「訪れてない国はたくさん残ってます。諦めるのは早過ぎです」
「だけど、未知の国に眼鏡に叶うオトコがいるとは限らないし、仮にいたところで、ゲットできなきゃ意味ないし」
「白鳳さまみたいな素晴らしい方が、ずっと独り身なんてあり得ません。必ず、運命の相手と幸せになれますよ」
「う・・・ん」
「とにかく、元気出して下さい、白鳳さま」
むやみに頑張っても、周囲を混乱させるのがオチだし、さんざん厄介事の尻拭いをさせられてきたのだが、あまりの落胆ぶりを見かね、神風はうっかり白鳳を励ましてしまった。日常、厳しく接するのも、主人の身を案じればこそで、内心では、誰より白鳳の幸福を願っているのだ。だが、お調子者に対しては、得てして仏心が仇となる。今回も例外ではなかった。神風の手がふんわり肩に添えられるやいなや、白鳳は思い出したように、顔をあげて切り出した。
「ねえ、以前、約束したこと覚えてる?」
「何でしょう」
「慧眼のオトコが現れなかったら、私の愛人になってくれるんだよねえ」
「え」
完全にやぶへびだった。確かに自ら白鳳へ明言したし、内容にも気持ちにも嘘はない。けれども、白鳳は己を殺した神風の忠誠へ感謝しつつ、厚意をやんわり否定したはずではなかったか。どこまで本気か分からないが、過去の経緯はキレイさっばり忘れ、宣言のみを錦の御旗として、振り回す気満々のようだ。主人の復活と引き換えに、自分が窮地に追い込まれたのを悟り、神風はきゅっと眉をたわめた。



仲間の助け船が期待できない以上、自力で切り抜けるしかない。神風は穏やかな面持ちを崩さず、白鳳から微妙に距離を置いた。
「白鳳さま、安直に妥協してはいけないと思います」
「当てもなく幻を追い掛けるより、地に足をつけて、気心の知れた身近な相手を選ぶのがいいかな〜って」
本当に地に足をつけたかったら、真っ先に××趣味をやめるべきだ。
「一生を左右する重要な選択なんですから、もっと慎重に考えて下さい」
「じっくり考えた末、結論を出したんだよ」
じっくりどころか、その場の思い付きで言ったくせに。神風は指先で銀の糸を弄ぶ白鳳から視線を外すと、渋々話を続けた。
「第一、身近な相手なら、私だけではありません」
白鳳の従者は神風を含め、5人と1匹いた。けれども、今となっては、他のメンバーで目移りを誘うのは望み薄だった。案の定、白鳳は口を尖らせ、投げやりな物言いで切り返した。
「ふんだ、オーディンとフローズンはもはや対象外じゃん」
「まあ、そうですね」
互いに好意を抱きながら、ぎこちないふたりだったが、白鳳や仲間のプッシュが実を結び、近頃ではすっかりいい関係になっている。友の幸せを見届け、DEATH夫も安心して帰還したに相違ないし、白鳳とて承知の上で取り持ったのだから、今更むくれるのは筋違いだ。
「まじしゃんは慕ってくれるけど、明らかに恋愛とは別物っぽいし」
「まじしゃんにとって、白鳳さまはあくまで優しいお兄さんですから」
「あ〜あ、DEATH夫がマスターを振って、私の愛人になってくれたらなあ」
ハチに至っては話題に出す価値もないと判断したのか、白鳳は逃がした魚の大きさに改めて嘆息した。
「未練がましいですよ、白鳳さま」
悪魔界で育った上級悪魔の使徒を、手に入れようと目論む方が無理なのだ。白鳳の執着も分かるが、所詮、人間が意のままに出来る存在ではない。ただ、少なからぬ期間、仲間として道中を共にしたのに、これきり縁が切れてしまうのは、白鳳のみならず、神風もたまらなく寂しかった。
「つ・ま・り・・・やっぱ神風しかいないよね〜v」
「面倒だから、てっとり早く、結論付けてしまえと思ってませんか」
そもそも消去法で相手を絞るとは、神風に対し、随分失礼な話だ。しかし、白鳳の頭の中は、神風を陥落させることで一杯になっており、気遣いも辻褄合わせも二の次らしい。すっかりいつものペースを取り戻した白鳳は、声を弾ませながら先を続けた。
「昔から言うじゃない。幸せの青い鳥はすぐ近くにいるって」
「それは多分、白鳳さまの単なる思い込みです」
「私の直観に間違いはないよ。いろいろ目移りもしたけど、神風こそ青い鳥だって、やっと気が付いたんだ。そうだよね、最初は私と神風しかいなかったんだもん」
自分の話に酔いしれ、紅の双眸がほんのり潤んでいる。徐々ににじり寄る紅いチャイナ服をかわしつつ、神風は困り顔で言い返した。
「落ち着いて考え直して下さい。白鳳さまの運命の相手がいないと決まったわけではないでしょう」
「クリスマスイブに宿でひとり寂しく膝を抱えてる主人が可哀想だと思わないの」
神風へ迫る兄が立ち上がったおかげで、ソファから転げ落ちたスイが目を覚ました。丸っこい手でごしごしと寝ぼけ眼をこすっている。
「ですから、外出を勧めたじゃありませんか」
「なにさ、冷たいなあ。神風のバカ、いけずー」
「いったいどうすれば満足なんです」
条件を促したら最後と分かっていたのに、白鳳のしつこさとうるささに根負けして、つい問いかけていた。己の失敗を悟り、がっくり肩を落とす神風。逆に、白鳳はしめしめと紅唇をほころばせ、色っぽく流し目を送った。
「まずはクリスマスプレゼントとして、濃厚な口付けが欲しいなあv」
「白鳳さま・・・・」
「きゅるり〜。。」
相も変わらぬ兄の腐れっぷりを見せつけられるのなら、夢の世界に遊んでいた方が遙かに良かった。あっけに取られる神風の足元で、スイが申し訳なさそうに身を縮こまらせた。



スイを抱き上げて、ソファへ戻してやると、神風は白鳳の要求をきっぱり突っぱねた。1を許せば10を求めるお調子体質には、断じて甘い顔をしてはならない。
「いい加減にして下さい。そんな願いは却下します」
「ええ〜っ、愛人なんだから、キスくらいしてくれたっていいじゃん」
「愛人になった覚えはないですが」
「ひっど〜い、神風は純情な私を騙したんだね」
「誰も騙してません。第一、真に純情な人間は自分からキスはねだらないはずです」
「きゅるり〜」
神風の鋭い指摘に、スイも大きくうなずいた。だが、この手の攻防は慣れっこだし、的を射たツッコミにいちいち凹む白鳳ではない。過程はどうあれ、最終目的さえ果たせばいいのだ。
「いいよ、神風がそういう態度に出るなら、私にも考えがあるんだから。歓楽街のいかがわしい店へ乗り込んで、大暴れしてやるっ!!」
「白鳳さま」
「きゅるり〜」
律儀な従者の性格は熟知している。大切な仲間や善意の第三者に被害が及ぶのを見過ごせる神風ではない。こと××に関しては、白鳳の辞書に”脅し”の二文字はなく、やると言ったら、万難を排して、絶対実行するのだ。フローズンがいれば、言い負かされる危険性もあったが、1対1なら神風は暴走宣言を無視出来まい。白鳳の読みは見事に当たり、神風は仕方なさそうに軍門に下った。
「やむを得ません。白鳳さまのおっしゃる通りにしましょう」
「うふふ、神風大好きv」
まんまとごね得に持ち込み、白鳳はしてやったりとほくそえんだ。苦節○年、ついに紺袴の従者の唇を奪えるのだ。後は加速度的にカラダの関係へなだれ込めばいい。神風が自己犠牲で身を投げ出すのは不本意でも、自らの手腕で愛人に仕立て上げるのは問題ないらしい。まさに身勝手極まりない論理だった。
「さ、早くぅ」
「ち、ちょっと待って下さい」
「きゅるり〜」
予想外の展開となって、神風は心の準備が出来てないのだろう。でも、百戦錬磨の白鳳にとって、相手の心理状態など知ったこっちゃない。速やかに既成事実さえ作れればいいのだ。神風に口付けを求めたが、実のところ、どちらからモーションを起こそうと、結果として、キスが成立すればかまわなかった。
(ここは経験者がリードしてあげなきゃね)
困惑する神風の両肩をむんずと掴み、白鳳がスローモーションで唇を接近させた。はっきり承諾した手前、神風も邪険な態度は取れず、主人のなすがままに任せている。
(よし、もう一息)
相手の涼しげな瞳が揺れる様を楽しみつつ、白鳳が更に上体を傾けたその時だった。開け放たれた窓から、一寸の虫が飛び込んできて、ふたりの間に割って入った。
「はくほー、はくほー、これ見ちくり〜」
「・・・・・・・・・・」
なんて間の悪い生き物だろう。めったに見れない神風の照れ顔を鑑賞していたのに、瞬時にブサな福笑いと入れ替わり、ムードもへったくれもない。当然、たおやかな手は邪魔者の排除に一閃した。
「鬱陶しい」
「あてっ」
ハチはその場へうつ伏せに墜落し、抱えていたものがころころ転がった。白鳳をはにかんで見つめていた神風が、即座に険しい面持ちになった。
「白鳳さま、ハチに手をあげてはいけません」
「きゅるり〜」
神風が中腰になって、ハチと床に軌跡を作る物体をそっと摘み上げた。ハチが持っていたのは、どうやら豆の一種のようだ。
「これは」
「バニーリャ豆じゃない」
白鳳の回答を聞くと、ハチが短い手脚をばたつかせて訴えた。
「はくほーが探して来いって言ったんじゃないかよう」
「あ、そうか。すっかり忘れてたよ」
ババロアケーキの仕上げに使いたかったが、この国では市販されてないので、ハチの鼻に期待して、探索に行かせたのだ。脳みそ3グラムのハチに記憶の観念は乏しく、詳しい入手方法を追及したりはしないが、不思議なことに、どんなレア物だろうと、季節外れだろうと、ハチが調達できない食材はなかった。
「オレ、頑張って見つけて来たんだぞー」
「ゴメン、ゴメン、お詫びに美味しいケーキを作るから」
「おおお、やた〜♪」
「きゅるり〜♪」
スイと一緒に手を取り合って喜ぶハチ。ちっこい和み系の可愛い仕草に、白鳳はおっとり目を細め、2匹の頭を何度も撫でてやった。



白鳳がスイとハチに気を取られている隙に、神風はソファを離れ、こっそり扉へ移動しようとした。が、契約不履行のまま、獲物を解放するハンターではない。間髪を容れず、先細りの指が白い単衣の袖を掴んだ。
「どこへ行くんだい、神風」
「白鳳さま。。」
一見、微笑を浮かべながらも、目だけは笑っていない。この機会を逃がしてなるものか。何としても、初キッスに漕ぎつけなければ。白鳳の真紅の瞳にいかがわしい炎が燃えさかる。神風は暗澹たる気分で、口を真一文字に引き結んだ。
「一旦、言葉にしたことは守って欲しいなあ」
「分かっています」
簡単な念押しでも、生真面目な神風には効果抜群だ。直立不動で主人のアクションを待つ神風を前に、白鳳は不屈の××魂の勝利を確信した。舌なめずりをしつつ、神風へ襲いかかろうとする獰猛な紅唇。けれども、日頃の悪行の報いか、白鳳はどこまでも運に見放されていた。
「おーでぃんとふろーずんが帰って来たぞー」
「えええっ」
ハチの叫びに窓の外を注目すれば、大小の紙袋を抱えたオーディンと、巾着を下げたフローズンが連れ立って歩いてくる。彼らが部屋へ到着するまでに、キスのひとつくらい出来そうなものだが、白鳳は早くも度を失って、あたふたしていた。後々に及ぼす影響を考えたら、パーティーの財布を握るフローズンの逆鱗に触れるのはまずい。旅に関する全ての事務を統括する雪ん子が、実質的な最高権力者なのだ。
「んもう、お茶くらい飲んでくればいいのに」
「食材が揃わないと、白鳳さまの調理が遅れます」
かろうじて生贄になるのを免れ、神風の面に安堵の色が広がる。食べ物の話題を聞きつけ、食いしん坊が歯をむき出して笑いかけた。
「はくほー、早くご馳走作ってくりや」
「きゅるり〜」
「はあ〜あ」
たった一度の口付けさえままならないなんて。とことん旨味のないクリスマスイブを痛感し、白鳳の目尻に悔し涙が滲んだ。
(街中の有象無象とヤるより、神風の唇の方に価値を見出したからこそ賭けたのに)
こんな結末を迎えるのなら、たとえ玉砕しようと、オトコ漁りに出掛ければ良かったのだろうか。いや、一夜限りの快楽に身を委ねても、熱が冷めれば虚しさしか残るまい。浮草暮らしを続ける身には、後腐れのない関係がもっとも好都合だし、今もそのスタンスに変わりはない。しかし、真意をひた隠し、上っ面の駆け引きで結んだ縁は春の淡雪より儚いし、心が満たされることもない。自他共に認める遊び人を気取っているが、胸の奥では物足りなさは否めなかった。本当は、自分をさらけ出せる誰かと、揺るぎない絆を結んでみたい。でも、小動物のまま何年も経たスイを思うと、人並みの安らぎを積極的に追い求める気にはなれなかった。
(存在するかどうかも怪しい理想のオトコより、まずはスイの呪いを解かなきゃね)
弟を肩先へ導きながら、こう結論付けると、白鳳は潔く神風に背を向けた。従者の厚意を逆手に取るなんて、イベントの雰囲気に負け、気持ちが弱っていた証拠だ。私心なく仕えてくれる神風の足枷になってはならない。彼が己と向き合えるべく、独り立ちしようと誓ったではないか。未練を断ち切り、椅子にかけたエプロンを手に取った白鳳の真後ろから、当の神風が呼びかけた。
「白鳳さま」
「何?」
半分だけ振り返り、わざとそっけなく返した白鳳だが、右頬の中心に、柔らかい温もりを感じ、瞠目した。なんと、堅物の神風が自ら頬にキスしてくれたらしい。
(嘘ぉ!?)
喜びよりも驚きが勝って、白鳳は中途半端な姿勢のまま硬直した。小さなギャラリーたちも信じがたい光景に、丸い目をいっそう丸くしている。
「ほえ〜、かみかぜがはくほーにちゅーしてる。嫁かっ、嫁にすんのかっ」
「きゅ、きゅるり〜っ」
呆然とするひとりと2匹を見遣りつつ、神風は神妙な面持ちでぺこりと頭を下げた。
「今日はこれで勘弁して下さい」
「あ・・・うん」
百戦錬磨の白鳳からすれば、ほっぺたへのキスなど、子供騙しにも入らないはずだが、驚愕のあまりすっかり毒気を抜かれていた。いかに脅そうと挑発しようと、神風の方からこんな行動に出るなんて、夢にも思わなかった。いつも好き放題、周囲を振り回すくせに、イレギュラーな展開には極めて弱かった。



まだ、口をぽかんと開けたままの白鳳へ、神風が明るく言いかけた。
「もう少し肩の力を抜いて、頑張ってみたらどうでしょう。良縁はどこに転がっているか分かりません」
「神風」
「いざという場合には私がおりますから、白鳳さまも根を詰めないで、じっくり良い殿方を探して下さい」
神風に温かく励まされ、白鳳の胸がきゅんと締め付けられた。誠実な彼は、形にした誓いに責任を持ってくれている。けれども、この我欲のない忠誠心こそ、神風自身の幸福への道を阻んでいる気がしてならなかった。
「神風の思い遣りは嬉しいけど、こないだも言ったように、もっと自分を大切にして欲しいな」
「私は自由意思に基づいて動いています。もし、白鳳さまさえよろしければ、いつまでもお仕えしたいです」
なんとか平衡に戻した天秤が、従者の殺し文句で再び甘えモードへ傾いた。真紅の虹彩が陽炎のごとくゆらゆらと揺れ動く。
「そんなことを言われたら・・・・期待しちゃうじゃない」
「期待すればいいじゃないですか」
「え」
「白鳳さまが必要として下さる限り、この先、何があろうと、私はお側を離れませんよ」
控え目な神風には珍しいきっぱりした物言いに、ハチとスイも諸手を挙げて賛同した。
「おうっ、オレもかあちゃんから離れないかんな」
「きゅるり〜」
「・・・・・・・・・・」
神風の束縛を戒める気持ちと裏腹に、彼との別れを想像出来ない自分に気付き、白鳳は困惑した。頭では理解していても、難題が持ち上がった時、未だに真っ先に頼るのは紺袴の従者だし、無意識に心の片隅で、ずっと隣りにいて欲しいと考えているのだ。以前は浮かばなかった神風の未来図が、今は朧気に見える。ハチと一緒に白鳳の傍らで控え目に微笑む姿が。
(知らないよ、マジで期待しちゃうから)
この気持ちがまるっきり色恋抜きか、恋愛に変わりうるものかは分からない。だけど、仮に運命の恋人と出会えなくても、神風がずっと見守ってくれるなら、白鳳にとって得難い幸福であろう。そして、それもまた、ひとつの青い鳥のあり方に違いない。主人の影を全うさせるのは望ましくないと承知していても、もうしばらくささやかな充足感に浸っていたかった。
「幸せの青い鳥かあ」
神風の清しい佇まいに見惚れながら、扉が開く音に紛れ、白鳳は誰にも聞こえぬようひとりごちた。


FIN


 

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