*FIRST CONTACT1〜神風*
故郷を出てさほど経たないうち、モンスター単独の旅は結構難儀だということを知った。人間に属していない連中は野良モンスター扱いで、通行手形の類も貰えないし、店や宿屋にも相手にされない。彼らからすれば、モンスターは人間の敵か使役用のいずれかで、自らの意思で旅する規格外の存在には関わり合いたくないのが見え見えだった。かといって、今更水のダンジョンに戻ることは出来ない。もう、あそこには自分の居場所はない。たった数人の不心得者のせいで、穏やかな生活は無惨に奪い去られてしまった。仲間を護ろうとして使った強大な力が、皆を畏怖させるものでしかなかったなんて。感謝の言葉が欲しかったわけではないが、少なくともこれまで通りの平穏な日々を取り戻せると信じていたのに。
神風が自分を”はぐれ”の一種だと自覚したのはかなり成長してからだった。普通に生活している分には他者と違いはなかったけれども、ありったけの気を込めて放った矢は、軌跡にある全てを跡形もなく消滅させるほどの力を有していた。とは言うものの、そんな桁外れの力が必要とされる場面はなかったし、このまま仲間との日常が繰り返されるのだと信じ込んでいた。が、住み処を追われ、独り旅を始めた今、”はぐれ”の意味を改めて思い知らされた。モンスターでも人間でもない宙ぶらりんな存在。いったい何のためにこの世に在るのか、それすらおぼつかなくなってくる。
(水のダンジョンに居た頃は楽しかった)
仲間との他愛のない日々が懐かしく思い出される。一見退屈に感じられる平凡な暮らしが、実は掛け替えのない宝だった。失ったものは取り戻せないが、あの時の判断は決して間違っていなかった。いつまでも過去の想い出に浸っていないで、気をしっかり持って、これから自分なりの生きる意義を、そして新たな居場所を見つけ出そう。
(だけどなあ)
いくら前向きに考えようとしても、謂われのない災難ばかり降りかかるとめげてくる。さっきも運良く宝箱で手にした金塊を差し出したのに、悪さをしたと疑われ、這々の体で逃げ出してきたのだ。今日も野宿だ。この森に木のうろか横穴のような雨風を凌げる場所があると良いのだが。
(まず西の方から探そう)
全景を見渡してから方針を定め、ゆっくり歩を踏み出した時、後方から微かな闘気が迫るのを感じた。滑らかな動きでとっさに振り返ると、神風は襲いかからんとする曲者を迎え撃った。もちろん、無益な殺生をするつもりはないので、上段から軽く弓を振り下ろすだけだ。ぽかり。
「痛〜い。。」
曲者はあっさりその場に尻餅を付いた。弱い。とてつもなく弱い。
「もうっ、ひどいじゃないですかっ、こんなに力一杯叩くなんて。ほら、頭に瘤が出来てしまいました」
「あ・・・・・す、済みません」
あまりにも大げさに痛がるのでつい謝ってしまった。が、よくよく考えると、先に襲いかかって来たのは向こうではないか。さすがにちょっとムッとして相手を見据えた。透きとおる白磁の肌。陽光に煌めく白金の髪と深紅の瞳。これまで見たこともない人種だ。鮮やかな彩りにしばし目を奪われていたが、ふと、その手首に血が滲んでいるのに気付いた。転んだとき、弾みで擦りむいたのだろう。
「手首、怪我してます」
「え」
「これ、使ってください」
神風は薬草をすりつぶした塗り薬を差し出した。人間に好意を踏みにじられたことも一度や二度じゃなかったが、腹いせに酷い仕打ちをしようとは思わない。誰かが困っていれば、出来る限りのことはしてあげたかった。彼は一瞬、きょとんとした顔をしたが、手渡された薬を素直に受け取った。
「ありがとう」
「いえ」
すんなりと謝意が返されたことに感激して、神風は思わず口元をほころばせた。男性としては細い手首に丹念に薬が擦り込まれる。紅いチャイナ服と豪奢な羽根ショールが誂えたように似合っていた。塗り終わって器を返すと、彼は神風を睨みながらすっくと立ち上がった。
「き、今日のところは許してあげますけど、次は必ず捕獲してやりますからっ」
許すも何も一撃であっけなくやられたくせに、と突っ込む間もなく、紅のシルエットは瞬く間に森の中へ消え失せていた。逃げ足だけは恐ろしく早かった。
「何だったんだろう、今の・・・・・」
神風は呆然と彼が消えた付近の木々を眺め遣った。捕獲と言っていたけれど、ひょっとしてハンターなのだろうか。あんなレベルではきゃんきゃんだって捕まえられまい。それでも初めて人間に礼を言われたのが嬉しくて、彼はほんのり上機嫌になった。
一夜明けて、神風が当てもなく街道を歩いていると、またもや件の曲者に襲撃された。なにしろ、気の抑え方すら知らないので、先手を打って矢を射ることも可能なのだが、素人同然の相手に深手を負わせるわけにはいかない。ゆえに、直接攻撃で撃退することになる。ぽかり。
「あ痛っ」
昨日よりちょっと強めに殴打したので、彼は頭を抱えてその場にうずくまった。やれやれといった表情で神風が次の行動に注目していると、不意に草むらから若草色の小動物がとてとてと走り寄ってきた。
「きゅるり〜」
丸っこい物体はチャイナ服の膝のあたりにまとわりついて心配そうな声を絞り出している。
「スイ、出て来ちゃダメじゃないか。私は平気だから」
「きゅるり〜。。」
「あ、あの・・・・・」
「何ですか」
叩きのめされた人間とは思えない偉そうな態度で見上げてきた。相変わらず気だけは強い。
「貴方はいったい何者なんです」
極めて基本的な質問をしてみた。いくら取るに足りない腕前とはいえ、事情も分からぬまま、何度も襲われてはたまらない。
「私は白鳳といいます。旅の男の子モンスターハンターです」
「は、ハンターなんですか」
やっぱりそうだったのか。並外れて弱っちいので、いくら何でもその線はないと判断したのに。
「失礼ですが、レベルは?」
「こないだ3になりました」
「・・・・・・・・・・」
胸を張って高らかに言われても困る。その程度の腕では一般の神風にさえ秒殺されるに相違ない。よくもまあはぐれモンスターを捕獲しようなんて無謀なことを考えたものだ。いや、レベル3では恐らくはぐれも一般も区別がつかないのだろう。
「何ですか、その目は」
「レベル3でしたら、あまり無茶をしない方が」
「新米ハンターだと思って、人をバカにして。私は今に世界中の男の子モンスターを捕まえるんですっ」
「・・・バカにしただなんて・・・」
神風は思ってないとしても、レベル3の分際で図々しいにも程がある目標を口にした時点で、どう罵られても仕方あるまい。
「今回は負けましたけど、次はこてんぱんにしてあげますからねっ」
「きゅるり〜」
今回”も”の間違いだと思いつつ、悪漢の捨て台詞みたいな減らず口を叩く白鳳をぼんやり見つめていたが、彼は若草色の塊を抱きかかえると、昨日以上のスピードで脇の茂みに逃げ去った。
「白鳳さん・・・・・か」
本気で世界中の男の子モンスターを捕獲するつもりなら、もっと実力に見合う種族から捕らえて行けばいいのに。身の程知らずなのに加え、負けん気ばかり強い困った人。けれども、仄かにはにかんだ面持ちで言われた”ありがとう”の一言が忘れられない。少なくともあの時、彼は自分を一段下に見たりせず、人間同様に扱ってくれた。己を顧みない高い志もいいが、これからの行程は平気なのだろうか。自分だから手加減もしたけれど、男の子モンスター以外のモンスターにも出会うだろうし、中には血を見るのが大好きな気の荒い連中も少なくない。どうせ急ぐ旅でなし、神風は思い切ってしばらく彼の後を付いて行こうと決めた。
特徴ある外見と見慣れぬ小動物。神風が姿を消した白鳳を探し当てるまで、半日とかからなかった。さっそく密かに後をつけ始めたが、巧みに気配を隠したせいもあり、かなり見通しの良い場所で尾行してもまるっきり気付かない。その程度のへっぽこ冒険者なのだから、弱い連中を倒して、徐々にレベルを上げればいいものを、根拠のない自信と好奇心とチャレンジ精神だけは人一倍なので始末に終えない。白鳳は行く先々で屈強なモンスターに挑んでは返り討ちに遭い、無様に逃げまどっていた。身体を痛めつけている割にはレベルもスキルもほとんど進歩せず、時にはモンスターどころか人買いに襲われることもあった。神風はと言えば、こっそり追跡している以上、颯爽と立ちはだかるわけにも行かず、彼に危害が及ばんとしたときだけ、密かに矢を射て助けていた。だが、これだけ痛い目に遇っているにもかかわらず、少しも学ばない白鳳は、今日もダンジョン最奥のモンスターと対峙して、生命の危機に瀕していた。
「わ〜っ」
必死の抵抗も虚しく、振り回した鞭は即座に叩き落とされた。壁際に追い詰められ、相手の鋭い爪が薄い胸元を抉ろうとした時、強烈な衝撃波と共にその巨体がたちまちどおと地にくずおれたではないか。
「た、助かった。。」
安堵の息をつきながら体勢を立て直し、倒れたモンスターをまじまじと見遣った。いくら白鳳でもこういうシーンが数回繰り返されるうち、誰かが護ってくれていることに気付いていた。背に深々と突き刺さった矢を息を飲んで見つめる。
(光の矢だ)
昨日、迫り来る敵の両腕を貫いたのは闇の矢だった。魔法属性の矢を武器にするモンスターは限られているし、付近に生息する種族では一匹もいない。もう間違いない。”神風”だ。
(まだ遠くへは行ってないはず)
白鳳は避難させておいたスイを呼び戻すと、注意深く周囲を探し回った。すると、ダンジョンの入り口に続く間道の右端を行く青い袴が目に止まった。息せき切って彼の後を追い掛け、その肩にたおやかな手をかけた。
「ねえ、ちょっと待って」
「あ」
いきなり呼び止められ、神風は驚きで目をぱちくりさせた。白鳳の方が自分を追ってくるとは思わなかったのですっかり油断していた。
「私が危なかったとき、矢を放ったのは君なんでしょう」
「・・・・・そうです・・・・・」
現場に証拠を残しているだけに、ここで否定するのもおかしい。
「ああ、やっぱりっ。あんな酷いことをしたのに助けてくれてありがとう!!」
「きゅるり〜」
「・・・・・・・・・・」
満面の笑みと共にぎゅっと両手を握られ、言葉を失うほど面食らった。旅立ってからというもの、ここまで手放しで他者に感謝され、受け容れられたことはなかった。死力を尽くして護り抜いた仲間にさえ、畏怖と拒絶の反応しかもらえなかったのに。指先と甲を包む暖かい温もりが心にまでじんわり染み通る。
「そうだ、お腹すいたよね。良かったら、一緒にお弁当食べない?」
「でも・・・私はモンスターですし」
「そんなの関係ないよ。命の恩人にささやかな礼はさせて欲しいな。ねっ、スイ」
「きゅるり〜」
「は、はあ」
優雅な容姿に似合わぬ強引さで迫る白鳳に半ば押し切られる形で、神風はひとりと一匹と共に河原で食事を取ることになった。
涼しげなせせらぎの音をBGMにとろとろ時間が流れていく。道中、まともに食材を購入する機会に恵まれなかった神風は、野菜と肉や魚が鮮やかに散りばめられた料理に囲まれ、驚きと戸惑いで視線をあちこち泳がせた。
「どう?我ながら結構自信作なんだけど」
「とても・・・美味しいです。これ、全部白鳳さんがこしらえたんですか」
「そうだよ」
「凄い」
どちらかと言えば小食な神風なのだが、白鳳の手料理がよほど美味だったのか、気が付けば取り分けられた皿はすっかり空になっていた。
「ふふ、口に合ったみたいで嬉しいな。たくさんあるから遠慮なく食べてよ」
「ありがとうございます」
ちょっぴりきまり悪そうにぺこりと頭を下げつつも、神風は先日耳にした彼の目的が頭から離れなかった。
「あの」
「お茶のお代わりかな?」
「いえ、そうじゃなくて・・・・・この前言ってましたよね、世界中の男の子モンスターを捕獲すると」
「うん。それが私の旅の目的だから」
「世界中のなんて、無茶です」
各モンスターの正確な分布はもちろん、この世に何種類のモンスターが生息するかも明らかになっていないのに。
「無茶でも無謀でもバカでもやらなければならないんだ」
「きゅるり〜」
決意に充ちた真摯な顔付きから、白鳳の決意が興味本位のものでないことを悟った。紅の双眸に滲む直向きな光が淡く照らしているのは足元の若草色の塊。そもそもこの不思議な生き物はいったい何だろう。全身に纏う気は明らかにモンスターのそれではなかった。
「・・・・・旅はお一人で」
「うん」
「パーティーを組んだりしないんですか」
「その場限りの協力関係ならともかく、極めて私的な目的だからあまり他人を巻き込むのもね」
「でも」
現在の戦闘能力のまま、たった独りで未知のダンジョンに乗り込むのは自殺行為だ。他のメンバーがいれば、安全に経験値も積めるし、暇を見て仲間と鍛錬だって出来る。
「そんな不安そうな顔をして。そのうちう〜んと強くなって、君だって簡単に捕獲しちゃいますから」
「切磋琢磨する相手もしっかりした指南役もいなくて、どうやって力をつけるんですか」
「う〜ん・・・考えてないけど・・・・と、とにかく何とかして強くなりますっ」
根拠がないだけに、きっぱりした物言いも苦し紛れにしかならない。些細な動きや身のこなしを見る限り、決して筋は悪くない。優れた師匠の元で真面目に精進すれば、一廉のハンターになるに違いない。しかし、その過程も待てないくらい急いている、と神風には思えた。本人は私的な目的と言っているが、自らの意思とは異なる強制の力で課せられた試練ではなかろうか。彼に真実を尋ねるわけにはいかないが、もし、全世界の男の子モンスター捕獲が単なる目標でなく、果たさねばならぬ義務だとしたら。明確な種族数も生息地も不明なだけに、これほど過酷な行脚はない。いずれその厳しさを実感し、重圧に押し潰されそうになる日が来るかもしれない。
(その時、彼はいったいどうするのだろう)
この数日間、動きを追っていただけなのに、いつしか白鳳の行く末まで気にして、心を砕いている己に神風は内心困惑していた。
和やかなランチタイムも終わり、白鳳は浅瀬で器を手際よく洗ってから、シートとまとめてバスケットにしまい込んだ。鞭を振るって戦うより、丹誠込めた料理を振る舞う方がずっと相応しいのに。やはり退っ引きならない事情を抱えているのだろう。緑色の不思議な生き物についても結局、聞きそびれてしまった。
「・・・私はそろそろ行かないと。もっと修行を積んだら、また捕まえに来ます」
敢えなく撃退されたばかりか、危難を救ってもらいながら、まだ捕獲を諦めていないらしい。妙な前向きさに苦笑させられたが、きっかけはともかく、旅の間で初めて縁らしきものが出来た相手だっただけに、ここでお別れだと思うと一抹の寂しさを感じた。
「あ、あの・・・・・」
「え」
「これからどこへ行くんです」
「え〜と、確かカームとかいう街だったかな」
「この道はまるっきり反対方向ですが」
「が〜ん!!そ、そうなの!?」
深紅の瞳があたふたと驚愕している様を見遣りつつ、神風はため息混じりに言いかけた。
「道は分かりますか」
「分かんない」
「地図は持っていないんですか」
「途中の街で食材を買いすぎて、お金無くなっちゃったから。実は宿賃も全部使い果たしちゃって」
「きゅるり〜。。」
「・・・・・・・・・・」
やむなく神風は手持ちの路銀を分け与えると、白鳳とスイを先導してカームに続く街道へ向かった。どうせ、自分には明確な目的地などありはしないのだ。
「ここを真っ直ぐ行けば、国境に出ます」
「何から何まで本当にありがとう。さ、行こう、スイ」
「きゅるり〜」
白鳳は柔らかく微笑むと、ゆらゆら手を振りながら、国境目指して歩き始めた。しなやかな肢体が見えなくなっても、なお、神風はその場から去りがたく、じっと佇んでいた。
(大丈夫なのかな)
己の実力を過大評価して最強のモンスターに戦いを仕掛けるし、方向音痴なのに地図の一つも持ってない。しかも、金銭感覚も計画性も皆無。この調子で滞りなく旅を続けていけるとは思えない。考えれば考えるほど心配になってきた。とてもひとり(と一匹)で放ってはおけない。
(人間に対してこんな気持ちを抱くなんて)
けれども、白鳳は自分をモンスターと差別することもなく、対等な存在として向き合ってくれた。美味しい手料理に屈託のない笑顔。本来の仲間との間では失われた安らぎがそこにはあった。さらに彼を追い掛けて見守り続けた間、心の憂さを忘れ去っていたのも事実だ。上手くは言えないが、彼と旅を続けることで、八方塞がりだった胸の中に新しい地平線が拓けていくような気がするのだ。
(どうなるか分からないけど、この出会いを大事に育ててみよう)
もう迷いも躊躇いもなかった。神風は一直線に紅いチャイナ服を追って駆け出した。
FIN
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