*FIRST CONTACT4〜オーディン*
道中の安全は保証されているものの、いたく遠回りになる森ルート。これまでの遅れは挽回できるが、険しい山道の上、土砂崩れ等もありうる谷ルート。分岐地点に立つ古ぼけた標識を見つめながら、白鳳はしばし沈思していたが、ふと、決意したように切り出した。
「よし、谷を越えよう」
「白鳳さま、あまり無理をしない方が」
「きゅるり〜」
「・・・・大雨で地盤が緩くなってます・・・・」
「なあ、のんびり行こうぜー」
「ダメダメ。今回の捕獲は一刻を争うんだから」
数年に一度しか姿を見せない希少種の噂を聞き、さっそく出立した白鳳一行だったが、目的地まであとわずかのところで激しい台風に見舞われたため、2日も足止めを食らってしまった。金目当ての同業者も動いているだけに焦燥も大きく、敢えて危険を冒す選択をせざるを得なかった。
「でも、皆は迂回した方がいいかもしれないね」
「え〜、はくほーひとりで登るのかー」
「うん、ハチたちとは宿屋ででも落ち合おう」
そのモンスター自体はさしたる戦闘力もないから、白鳳だけでも楽に捕らえられる。むしろ、発見するまでが勝負なので、男の子モンスターたちに危ない橋を渡らせる必要などないのだ。が、むろん神風は納得しなかった。
「お一人で行かせるわけにはまいりません。私もお供します」
捕獲の真の理由こそ知らされていないけれど、白鳳がある重要な目的のため、必死になって諸国を渡り歩いているのは間違いない。自分たちの前では明るく振る舞っていても、時折、暗い目をして思い悩む姿を垣間見るだけに、心身両面で少しでも支えになりたい。それに育ちの良さが出て、肝心なところでどこか抜けている主人に、出来るだけ単独行動は避けさせたかった。
「大丈夫だよ、神風」
「いいえ。世の中で白鳳さまの”大丈夫”ほど、当てにならない言葉はありません」
「ず、随分じゃないか、その言い種って」
従者に真顔で断言され、白鳳は露骨に眉を顰めた。ところが、他のメンバーから一切反論が出ないばかりか、肩先のスイまで納得したようにうなずいているではないか。
(が〜んっ、このコたちの私に対する評価って。。)
ショックで愕然とする白鳳を見て、ふたりと2匹は誰もが己の失敗を悟った。こういう時のために、嘘も方便という言葉が存在するのに。どうにかフォローすべく、各々、目くばせしながら声をかけるタイミングを見計らっていたが、やがて代表としてフローズンがそそと歩み出た。
「・・・・別行動を取って、お互い気を揉むより、一緒に登った方が・・・・」
これ以上、主人の傷を広げないよう、話題を元に戻す方法を採ったようだ。
「オレもはくほーに付いてくっ」
「きゅるり〜っ」
両手を力一杯揚げて、ハチが続いた。理想の形態とはちょっぴり、いやかなりずれていても、彼らが心から白鳳を慕っているのは紛れもない事実だ。述べられた同行の申し出に、歪めていた口元も我知らずほころぶ。
「そりゃあ、私も皆一緒の方が嬉しいけど」
「なら、決まりですね」
DEATH夫だけは相も変わらず、話の輪に全く加わらなかったが、積極的に反論しない場合は賛同と解釈しており、結局、一同は連れ立って急な山道を登り始めた。
昨夜までの激しい雨の名残で、道はぬかるみ、非常に滑りやすかった。空には薄日が差し始めたけれど、季節の割には肌寒く、到底すぐには乾きそうにない。
「ほら、足元に気を付けて」
言われるまでもなく、慎重に足を運んでいたが、特に草履を履いているフローズンは歩きにくそうで、大きくよろけるたび、DEATH夫が肩を抱いて支えてやっていた。皆が苦労する中、ハチだけが鮮やかに染まりかけた木々に目を見張り、のびのび飛んでいる。その楽しげな様子に羨望の眼差しを向けつつ、
「このショールが本当の羽になってくれたらいいのになあ」
と呟いた白鳳だったが、いきなり水たまりに足を取られ、体勢を崩した。
「うわっ」
咄嗟に傍らのDEATH夫に掴まろうと手を伸ばしたが、つれなく体をかわされ、まともに横滑りで転んでしまった。
「きゅるり〜っ」
「おっとっと」
はずみで虚空にダイブしたスイを、ハチががっちりキャッチする。
「痛〜い。。」
「白鳳さま、お怪我はありませんか」
神風が慌てて駆け寄ってきて、汚れるのも厭わず抱き起こしてくれたが、どうにも腹立ちが収まらない。フローズンには快く手を貸すくせに。冷たく見捨てたDEATH夫を恨みがましく睨みつける真紅の瞳。
「酷いじゃないか、何も避けなくたって」
「転ぶならひとりで転べ」
良い格好だ、とばかりに鼻で笑われ、いっそう不愉快になった。本当に彼の言動は悪意に充ちたものだらけだ。お気に入りのフローズンの相棒とはいえ、パーティーに入れたことが今更ながら悔やまれてならない。
「あ〜あ、服が泥だらけになっちゃった」
「災難だったなー」
「きゅるり〜」
「・・・・これを使って下さい・・・・」
フローズンが袂から手ぬぐいを出し、白鳳に手渡した。表面に付着した泥は拭えても、服に染み込んだ水分までは乾かず、不快感は消しきれなかった。しかし、谷越えを選択したのは自分なのだから、どんなアクシデントがあろうと甘受するしかない。
「・・・・済みません。DEATH夫があんなことをするなんて・・・・」
泥だらけになった手ぬぐいを受け取ると、フローズンは憂い顔で目を伏せた。その儚げな風情が××心を激しくかき乱す。もちろん、白鳳はフローズンとの一夜をまだ諦めていなかった。
「私も不注意だったんだし、フローズンが気に病む必要はないんだよ」
気まぐれで戦いに参加する他、何ひとつ協力しないDEATH夫の分まで、二人分、いやそれ以上にフローズンはパーティーのため、尽くしてくれる。最近、かなり懐が豊かなのも、新種モンスターの情報が早いのも、段取り良く快適な旅が出来るのも、悉く彼のおかげだ。朝は誰よりも早く起床して、今回の最短ルートや次の宿を確認し、夜は皆が寝静まった後も、帳簿を付けたり、様々な調べものをしている。身を粉にしての頑張りは、そのうち身体でも壊さないかと心配になるほどだった。
「・・・・あれで優しいところもあるんです・・・・」
「そ、そう」
注意深く観察していても、フローズンにはそれなりの気遣いを見せており、心底、冷酷な輩ではないのかもしれない。けれども、その優しさの欠片すら恵んで貰えないこちらとしては、さすがに素直にうなずけないものがあった。
白鳳の転倒以降はさしたる出来事もなく、一行は順調に細い獣道を進み続けた。紅葉を鑑賞するにはやや早い時期だが、それでも7割くらいは日頃と違う姿で自己主張をしており、美しい彩りは目を楽しませてくれる。もっとも、景色に見惚れていると、先程の二の舞になりかねない。どうやら、心おきなく眺めを堪能できるのはハチ一匹のようだ。が、今、ハチの関心は別のところへ移っていた。大好きな蜂蜜と同じ色の瞳を持つ黒ずくめの死神。
「ですおー、ですおー」
「・・・・・・・・・・」
「蜂蜜食わないか〜」
言いかけるやいなや、両手で固形状の蜂蜜をにゅっと差し出した。ハチが仲間に加わってから、食費はなんとこれまでの倍になったが、毎朝、集めてくる蜂蜜が最高級の品だったので、それを雑貨屋に売って、食い扶持以上の分を立派に稼いでいた。そして、蜂蜜を固めた”ハチ特製ドロップ”をこしらえて、いつも皆に配ってくれる。それは普通の蜂蜜にプラスαの要素があるらしく、どんなに疲れていても一粒舐めただけで即座に力が漲るのだ。
「ですおはメシもあまり食わないし、栄養取らなきゃおっきくなれないぞー」
自分の掌ほどのちっこい物体が腰に両手を当て、胸を張っている。こんなに説得力のない台詞も珍しい。
「失せろ」
「あてっ」
勧誘の甲斐もなく、手刀で打たれ、ハチは背中から岩壁へ叩き付けられた。地面に転落する寸前で、さっきの礼とばかり白鳳のたおやかな手が素早く受け止めた。
「大丈夫かい、ハチ」
「きゅるり〜」
「平気、平気、腹一杯ならいつも元気だぜっ」
過激な仕打ちにも慣れっこなのか、ハチはけろっとしているが、白鳳はこれで済ますつもりはなかった。ハチを掌に乗せたまま、DEATH夫の前に立ちはだかる。
「子供相手にいじめっ子みたいなことをして」
「お前には関係ない」
「ハチはDEATH夫と仲良くなりたいだけなのに」
懐っこいハチはDEATH夫にも分け隔てなく声を掛け、様々な話をしたり、収穫物をご馳走しようとするのだが、常に容赦ない拒絶に遭っていた。けれどもハチは決して諦めることなく、なおも前向きにアタックを続けている。自分以外のメンバーを頑なに受け容れないDEATH夫にはフローズンも心を痛めているようで、しょげかえるハチを慰め、励ます姿を幾度となく見かけた。
「迷惑なだけだ」
「げげ〜んっ!!」
「なんてことをっ」
取りつく島もない物言いに胸ぐらでも掴んでやろうと、白鳳が一歩踏み出した途端、不意に足元が割れたガラスみたいに砕け散った。やはり連日の暴風雨で地盤が緩み切っていたに相違ない。
「ああっ」
「白鳳さまっ、スイさまっ」
「・・・・いけない・・・・」
「うわ〜っ、はくほーっ!!」
「きゅっ、きゅるり〜っっ」
飛ばされないよう、兄のショールにへばり付くスイ。ハチは自力で空に留まっている。重力に逆らえず、谷底に飲み込まれかけた白鳳は、つい一番近くにいたDEATH夫に手を差しのべた。この非常時に相手を選んでいる余裕などない。だが、ここで彼が助けてくれる要素が、これっぽちも浮かんで来なかった。
(逆に蹴落とされたら悲しいなあ)
そんな最悪の結末すらぼんやり映ったが、思いがけないことにDEATH夫は自ら動くと、白鳳の胴の辺りに腕を回し、抱き寄せようとしてくれた。
(あれ?)
驚きながらも仄かに胸が躍ったが、ときめきはほんの一瞬で、地盤の崩落はさらに広がり、DEATH夫を乗せていた地面も一気に崩壊した。
「!!」
それでも、彼は白鳳の右手だけはしっかり握り締めてくれた。
「危ないっ」
駆け付けた神風が即座に手を伸ばし、どうにか黒い手袋をした手を捉えたが、無理な体勢で飛びついたため、二人分の重みに耐えかね、彼らもろとも引きずり込まれそうになった。
「・・・・神風、手をっ・・・・」
一番山肌に近いところにいたフローズンがその左腕にしがみついたので、全員転落だけは免れた。しかし、各々の手だけを頼りに数珠繋ぎのようにぶら下がる、何とも寄る辺ない状況に陥ってしまった。
夜の海のごとく、不気味に旅人を誘う奈落の底。目にしただけで吸い込まれかねないので、極力、視線は落とさないよう努めた。
「ハチ、スイを安全な場所へ」
「きゅっ、きゅるり〜」
「おうっ」
白鳳の指示を受け、ハチはショールに掴まる小動物を両手で抱えると、崖の上まで運んだ。兄や仲間の身が案じられるのか、せわしなく下を覗き込んでいる。
「もう大丈夫だぞっ、はくほー」
「ありがとう」
取りあえず、弟の安全だけでも確保でき、白鳳はほっと一息ついた。けれども、悲しいかな、現在、スイの運命はスイひとりのものではない。解呪を託された自分に万が一のことがあれば、未来永劫元の姿に戻れないのだ。どんなことをしてもこの窮地を脱しなくては。とは言うものの、数珠繋ぎの末端にいる身では策の講じようもなく、気持ちだけが虚しく空回りしていた。
(・・・・・ん?)
焦る気持ちを少しでも落ち着かせるべく、真紅の双眸を閉じた途端、微かにDEATH夫の声が聞こえた。どうやら、上の神風と話しているようだ。日頃は会話ひとつ交わさない寒い関係のはずだが、パーティーの危機に際し、一時的に協力する気になったのかもしれない。ドラマやアニメでも敵対しているふたりがさらに強大な敵を倒すため、手を組む話はしばしば見かけるではないか。
(これがきっかけで少しでも親しくなるといいなあ)
ほんのり期待しつつ、耳を傾けた白鳳だったが、彼らの会話は和解とはほど遠い内容だった。
「残念だったな」
「何のことだ」
相手の意図が分からず、訝しげに返す神風に、DEATH夫は事も無げに投げつけた。
「下にあいつがいなければ、躊躇いなく手を放すことが出来るのに」
「!!」
白鳳がいようがいまいが、DEATH夫を見殺しにしようなんて、これっぽちも考えていない。いつも通りの悪意に充ちた攻撃的な言動。思えば、初対面の時から、ずっと尖った視線を向けられていた。モンスターが人間に甲斐甲斐しく仕える様が、そこまで気に触るのだろうか。神風の内心の動揺もお構いなしに、死神は低い声で付け加えた。
「俺ならすぐにでもこの手を放せる」
唇の端を歪めて笑うと、赤いチャイナ服にちらりと視線を落とす。神風の顔付きが瞬時に険しくなった。
「もし、そんなことをしてみろ。私はお前を殺す」
白い単衣の背から彼らしからぬ禍々しい気が放出された。が、DEATH夫は特に怯む様子もない。
「出来るものか」
自分を巡って、ふたりの美形が言い争う。恋の鞘当てなら大歓迎だが、ここで手を放されるなんて冗談じゃない。真っ青になった白鳳は、声を限りに叫んだ。
「ちょっとっ、黙って聞いてれば、人の運命、勝手に決めるんじゃないっ。もし、私の手を放したりしたら、末代まで祟ってやるから〜っっ!!」
無様に喚き散らしながら、じたばた暴れるお荷物を金の瞳がぎろりと睨む。
「うるさい。本当に放すぞ」
「ひっ」
迫力に気圧され、白鳳が大人しくなったのを確かめると、困り果てて周りをぶんぶん飛び回っている一寸の虫に声をかけた。
「ハチ」
「ほいきた〜っ♪」
呼びかけられて、ハチの顔がぱあっと輝いた。くりくりの虹彩に星まで浮かんでいる。まんまるほっぺを紅潮させ、にんまり笑いながら近づいてきた。もう嬉しくて堪らないらしい。
「・・・・・その顔はよせ」
「だって、だって、オレっ、ですおに初めて名前呼んでもらったんだぜ〜っ!!」
感極まってフラダンスまがいのへっぽこな踊りまで披露し始めた。鬱陶しいことこの上ないが、両手が塞がっているから、弾き飛ばすことも出来ない。
「これを上へ持って行け」
小脇に抱えていた大鎌を、尖った顎で指し示した。
「合点だっ」
DEATH夫に頼み事をされ、ハチは大張り切りで拳を振り上げたが、どう考えても、そのちっこい体躯には過ぎた負担だ。
「ハチには重すぎるんじゃないかな」
「抱えてると手に力が入らん」
手に力が入らない=自分が転落すると気付いた途端、白鳳の態度は180度変わった。
「死んでも落とすなっ、ハチっ!!」
「おう、あたぼうよっ」
(白鳳さま、極端すぎます。。)
君子とはほど遠い豹変ぶりにがっくり肩を落とす神風だったが、DEATH夫からなされた指示には少なからず驚いた。こちらの脅しに屈する相手ではないし、自らの意思で白鳳を救ってやろうという気はあるらしい。
「よしっ、持っていくぞ〜」
大鎌の柄を短い腕でぎゅっと抱きかかえ、ハチはふらふら蛇行したものの、何とか崖の上まで辿り着いた。それを見届けてから、DEATH夫はたおやかな手を改めて握り直し、視線を合わせぬまま、下にポツリと呟いた。
「もう片方の手も添えておけ」
「う、うん」
戸惑いつつも、白鳳は遊んでいた左手でDEATH夫の手をぎゅっと握った。内心、ちょっと、いや、かなり感激していた。あのDEATH夫が自らの武器を他人に任せてまで、自分を支えようとしてくれるなんて。さっきは命を脅かす事態になりようがないから、つれなくあしらったのだろう。フローズンに言われた一言が、初めて実感を持って胸に迫って来た。
(本当に根は冷たいコじゃないのかも)
崖の上では3人の動向を気遣いながら、フローズンが必死になって神風の腕にしがみついていたが、この細腕では皆を引き上げることなど叶わず、落ちないようにするのが精一杯だ。そもそも、折れそうな肢体でどうにか耐え抜けるのは、彼が優秀なはぐれ系ゆえで、普通のフローズンなら、とうの昔に力尽きていたに相違ない。
「フローズン、オレも手伝うっ」
可憐な顔を歪め、歯を食いしばる様子を見かね、ハチも一緒に神風の手を引こうとしたが、全長2センチ程度の掌では、厚意も虚しく何の助けにもならなかった。
「・・・・だ、誰か、人を・・・・」
「きゅるり〜」
苦しい息の下、フローズンが絞り出すように呻いた。両腕がぶるぶる震えており、もう、あまり持ちそうにない。傍らのスイも縋るような目でハチを見つめた。
「分かったっ。すぐに呼んでくるから、もちっと頑張れっ」
叫ぶやいなや、ハチは全速力で山中目指して飛んでいった。
「誰か〜っ、誰かっ、助けてくり〜っ!!」
悲痛な絶叫と共に、あちこち奔走したが、嵐の翌日に好きこのんで谷越えルートを選ぶ愚か者はそうそういない。救援どころか、人っ子ひとり発見できず、ハチはすっかり困り果てた。
「このままじゃ、みんな落ちちゃうよう」
万が一に期待して、道無き道も構わず探し続けたが、やはり誰にも出会わない。仲間の身を案じ、どっと不安が押し寄せる。けれども、ここで挫けるわけにはいかないので、己を励ましつつ、なおも無軌道に谷を駆け巡った。と、その時。
「あてっ」
盲滅法飛び回り過ぎて、堅い岩肌に激突してしまい、ハチは後頭部から地面に叩き付けられた。
「大丈夫か」
「ほえ〜。。」
朗々たる声の持ち主にひょいと摘み上げられた。岩だとばかり思ったのは大きな体躯だった。鍛え上げられた肉体が鋼の壁を思わせたのだろう。上半身や腕などに甲冑みたいな装備を纏っており、いかにも技を極めた武人といった感じだが、表情は穏やかで優しい。
「あっ、人だっ!!良かったっ、良かったようっ、うえ〜っ」
「どうしたんだ」
摘んだ物体がいきなり号泣したので、相手は一瞬あっけに取られたが、それでもハチを見遣る暖かい眼差しは変わらず、その大柄な身体と相俟って、頼れる雰囲気を醸し出していた。
「大変なんだっ、仲間が崖崩れで谷底に落ちかけて」
「場所はどこだっ」
一言訴えただけで、彼は詳しい事情も聞かずに、すぐハチの先導に着いてきてくれた。体格に似合わず、動きは実に素軽い。こんな状況下で、誠意ある人物と出会えた幸運をハチは素直に喜んだ。
(良い奴で良かったなあ)
後はフローズンが我慢してくれていることを祈るだけだ。この道を登れば、仲間が待つ現場に到着する。ほら、もう一息だ。
「みんなっ、助けを連れてきたぞ〜っ」
「きゅるり〜っっ」
出迎えのスイを伴い、崖の淵まで駆け付けると、幸い、救援を頼みに出たときの体勢を保っていた。救援者は即座にフローズンが抱きかかえていた神風の腕をがっちり掴み、下のDEATH夫、白鳳ごと楽々持ち上げた。3人とも細身な体型ということもあったが、彼は息もつかずに、豪快に全員を引き上げてくれた。
「おおっ、みんな助かったぞ〜っ!ばんざーい、ばんざーい、ばんざ〜い♪」
無事、救助が成功して、ハチは大はしゃぎで万歳三唱をした。
「はあ、はあ、はあ。。」
「きゅるり〜」
安堵の息をついて、へたり込む白鳳の膝元に駆け寄り、何度も頬をすり寄せるスイ。
「白鳳さま、お怪我はありませんか」
「私は平気だよ。神風こそ腕を痛めたりしなかったかい?」
「少し痺れていますが、大したことはありません」
従者の報告にほっとすると、斜め前で仲間の無事に浮かれる小さな功労者に語りかけた。
「よく救援を連れてきてくれたね、ハチ」
「こいつ、凄い力持ちだし、とっても親切な奴だぞー」
脇に佇む救援者を改めて見れば、図鑑で勇姿を目にした覚えがあった。人間ではなく、男の子モンスターだったのだ。ダンジョンに落ち着かず、単独で旅をしているところから察すると、恐らく彼もはぐれ系の強者に相違ない。
「え・・・と、オーディン・・・」
「うむ」
「おかげで命拾いしたよ。見ず知らずの私たちを助けてくれて、言葉では言い表せないくらい感謝してる」
白鳳が口火を切ると、神風たちも後に続き、今の気持ちを形にした。
「私からも礼を言わせて下さい」
「ホントにありがとなっ」
「きゅるり〜」
「いや、役に立てて良かった」
口々に謝意を述べられても、恩に着せる様子は欠片もなく、皆が無事だったことを純粋に喜んでいる。必要以上に喋らないが、冷たい感じはまるっきりせず、むしろ実直で思慮深い性質が伝わって来た。外見だって決して悪くない。
(逞しくて、ちょっと良いオトコだなあv)
白鳳はにこやかに、しかし、実のところ邪な視線全開で、筋肉の鎧を眺めていたが、ふと、その後ろでうずくまったきり動かない青い羽織が目に止まった。
体力の限界を超したのか、これまで一同を支え続けたフローズンは意識を失っていた。あるいはオーディンの到着前に力尽き、残留思念だけで腕を掴んでいたのかもしれない。助かった嬉しさのあまり、一番の功労者をないがしろにしてしまうなんて。
「フローズ・・・あっ!!」
「きゅるり〜っ」
「白鳳さまっ」
近づくことすら叶わず、いち早く傍らで付き添うDEATH夫に、大鎌の柄で思いっ切り肩先を打ち据えられた。氷の瞳から放たれる鈍い光が、胸にぐさりと突き刺さる。
「お前の判断が甘いから、こんなことに」
「・・・・・・・・・・」
主人が理不尽に痛めつけられ、黙っている神風ではない。あの時、何ら意見を述べなかったくせに、今更、文句を言うなんて許せない。
「それは結果論で、白鳳さまを責めるのは筋違いだ」
同行すると決めたのは、あくまで自分たちなのだ。そもそも、白鳳はお供に負担をかけまいと、最初はひとりで行くと言い張っていたではないか。
「いいんだ、神風。私は殴られて当たり前なんだよ」
「そんなっ」
オーディンが来なければ、少なくとも自分を含む3人はこの谷の露と消えていた。無理な行程なのは承知の上でも、まさか命まで取られやしまいと、心のどこかで大自然を侮っていた。これだけ旅を続けていながら、なお楽天的で考えが甘い自分が情けなく、皆に済まない気持ちで一杯だった。
「私が悪かった、DEATH夫。二度と皆を危ない目に遇わせたりしないから」
「ならいい」
白鳳の真摯な謝罪に、DEATH夫もそれ以上追及してこなかった。
「それと」
どちらが主人だか分からないやり取りの後、紅唇がおもむろに言い差した。
「まだ何か言うことがあるのか」
相手の憎々しげな視線にも怯まず、白鳳はにっこり微笑みながら告げた。
「私の手を最後まで握っていてくれてありがとう」
「きゅるり〜」
まさか、白鳳がこう切り出すとは思わなかったらしく、DEATH夫は一瞬目を見開いたが、ふいとそっぽを向いて、抑揚のない口調で返した。
「・・・・・礼ならフローズンに言え」
そのか細い上半身を、いつの間にかハチに促されたオーディンが、そっと抱き起こしていた。白鳳たちも心配そうに周りを取り囲む。
「しっかりしろ」
背の中心を太やかな指先でぐっと突いた。いわゆる”活”の一種かもしれない。
「フローズン、目を覚ませよう」
ハチが涙目で雪色の頬をぺちぺち叩くと、フローズンはようやくうっすら目を開いた。思わず身を乗り出す一同。
「・・・・あ・・・・」
「フローズンが頑張ってくれたから、皆、助かったんだよ」
白鳳の呼びかけと周囲の状況から、全員が無傷で救われたのを察し、小さな口元がわずかにほころんだ。が、自分を抱き上げる見慣れぬ顔に気付くやいなや、はっとしたように相手を凝視した。
「あ、す、済まない」
柔らかな笑顔に見惚れ、しばし呆けていたオーディンは、慌ててフローズンの身体から手を放した。
「・・・・この方は・・・・」
「彼が我々を救ってくれたんだ」
「おう、オレが呼んできたっ」
「・・・・そうでしたか。失礼な反応をして申し訳ありません・・・・」
「い、いや」
フローズンがぺこりと頭を下げると、オーディンはかえって恐縮したように顔を伏せた。心なしか精悍な顔に赤みが差しているようだ。
「・・・・改めて、お礼を申し上げます・・・・」
「あ、当たり前のことをしただけだ」
命の恩人面などせず、誰にでも謙虚に接する態度を見て、白鳳はオーディンの性質に好感を持った。パーティーに唯一欠けているパワー系の戦士だし、不純な動機を抜きにしても、この先も彼の協力が得られれば、非常にありがたい。けれども、彼には彼なりの事情があるだろうし、白鳳のしている行為は男の子モンスターにとって、むしろ害となり得るだけに、こちらから言い出せるはずもなかった。
(惜しいなあ)
未練たらたらで、パーティーと語り合うオーディンを見つめる白鳳だったが、ふと、あることに勘付いた。フローズンと接する時だけ、彼の言動がやたらぎこちなくなるのだ。鼻の頭に汗をかき、声はうわずり、儚げな姿をまともに見ることすら出来ない。フローズンの仕草がいつもと変わらぬだけに、尚更、その不自然さが目に付いた。もう間違いない。
(俗に言う一目惚れというヤツか)
場数を踏んでいるだけに、他人の色恋沙汰を見抜く眼力は確かだ。もっとも、この鋭さが自分のオトコ選びにまるで生かされないところはご愛敬だが。
(これはわざわざ話を持ちかけるまでもないかな、ふふふv)
陥落したのが自分じゃないのはちょっぴり悔しいが、可憐で聡明なフローズンに惚れ込むのは納得だし、労せずしてメンバーを補強できれば、こんな美味しい結末はない。事実、白鳳たちが無事に谷を越え、首尾良くモンスター捕獲を終えたのち、オーディンは自ら熱っぽく同行を申し出るのだった。
FIN
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