*ローズクォーツ*



「白鳳さん」
「・・・・・・・・・・」
「白鳳さんってば」
「・・・・・・・・・・」
いくら呼びかけても、冷たくそっぽを向いたきりの白金の後ろ頭。武術大会を終えた後、スイをシェリルに預かってもらい、せっかくふたりきりの時間が取れたのに、肝心の白鳳がずっとこんな調子だから、露店を見て回ることも出来やしない。すでに日は大きく西に傾いており、残された時間は決して多くなかった。
「いったい何を怒っているんです」
昼休みに突入するやいなや、家族や恋人、更には主君の度が過ぎる応援を、相当きつい口調でたしなめた。しかし、やや眉をたわめ、不満そうな表情は見せたものの、こちらの言い分は納得してくれたはずだった。
「・・・・・・・・・・」
「応援してくれた気持ちはありがたいと思っています」
「・・・・・そんな理由じゃありません」
ようやっと白鳳が口を開いた。
「違うんですか」
雑貨屋の主人へのお酌に対する密かな焼き餅もあって、必要以上に厳しく叱りつけたことじゃなかったのか。だったら、不機嫌の元はいったい何だろう。他に思い当たる節もなく、かえって恐ろしくなってきた。案の定、険しい顔付きをした白鳳の紅唇から紡ぎ出された言葉はまるっきり予想外のものだった。
「どうして優勝出来なかったんです」
「え」
圧倒的な強さで決勝まで勝ち上がったセレストだったが、今年も近衛隊隊長の牙城は崩せず、いいところまで追い詰めながら、結局、準優勝に終わっていた。
「私のために優勝するって言ったじゃないですかっ」
「はあ?」
あいにくそんな口約束をした覚えはない。そもそも白鳳が遅れて到着したせいで、大会が始まる前には何も話してないではないか。
「あ、あのですね・・・白鳳さん」
「しかも、寄りによって、あの頑固オヤジが見てる前で負けるなんてっ!!私のセレストはいつでもNO.1じゃなきゃいけないのに」
勘違いなのか思い込みなのか、存在しないはずの誓いに本気になって怒る相手を、どうにかなだめようと言いかけたが、先に凄い剣幕で畳み掛けられた。実のところ、表に出さないだけで、セレストにとってもこの敗北は悔しくてたまらないだけに、恋人の膨れっ面を前にすっかり答えあぐねていた。
”××野郎なんぞといちゃこいてるから、腕も落ちるんじゃねえのか”
決着がついた後で、脇からアドルフに言い放たれた一言を頭でリフレインするたび、無念さと腹立ちは募る一方だ。もっとも、客観的に見ても、昨年より着実に差は縮まっており、単なる言い掛かりと取れないこともない。
「せっかく白鳳さんが応援に来てくれたのに済みませんでした」
実力が及ばなかったのは事実だし、取りあえず素直に謝った。個人的な勝ち負けを引きずって、遙々訪れた恋人に不愉快な思いはさせたくないし、気持ちの切り替えが上手いのも、強い戦士の条件のひとつだろう。
「ま、まあ・・・もう優勝したら、次の目標がなくなってしまいますしねえ」
セレストが言い訳のひとつもせず潔く謝罪してきたので、これ以上毒づくことは出来なかった。ハンターとして数々の修羅場を経ている白鳳には、決勝戦での戦いぶりから近衛隊隊長の卓越した強さは充分理解できたし。
「でも、このまま引き下がる気は毛頭ありません。次回は必ず優勝して親父の鼻を明かしてやります」
「ふふっ、その意気ですよ、セレスト」
「なら、勘弁してくれますか」
「そうですね・・・・・この後、何でも好きなものを買ってくれたら、許してあげても良いです」
何だ。こういう展開に持って行きたかっただけなのか。白鳳の怒りが本心からじゃないと分かって、セレストは心底ほっとした。日頃は年上ぶって、妥協してワリカン止まりなだけに、素直におごって欲しいと切り出せなかったに違いない。彼のこんな不器用さが可愛く、愛しかった。
「分かりました。今日の俺は白鳳さんの財布代わりということで」
「わ〜い♪じゃあ、遠慮なくいろいろ買ってもらいますからね」
「はいはい」
どうやら話も無事まとまったところで、ふたりはさっそく連れ立って居並ぶ露店へ繰り出した。



華奢な身体に似合わぬ白鳳の食欲に、正直、セレストは圧倒されていた。軽食や総菜のみならず、駄菓子の類まで次々と手を出しては、キレイさっぱり平らげて行く。武術大会の観戦中、あれだけ食べまくったはずなのに、いったいどこへ消化されたのだろう。まるで胃袋からストレートに異次元へでも送り込まれたかのようだ。
「良く焼けて美味しそう〜」
繊細な指が野菜と肉の串焼きを手に取った。もう片方の手には食べかけの揚げ饅頭がしっかと握られている。そればかりか、傍らのセレストに菜っぱのかき上げとポトフの入った器を持たせていた。
「白鳳さん、もう大概にしておいた方が」
「何言ってるんですか、セレスト。まだ3分の2くらいしか回っていないじゃないですか」
「でも、そんなに食べて、お腹の方は大丈夫なんですか」
「セレストは案外小食なんですね。私でしたらまだまだ行けますよ」
「そ、そうですか」
食いしん坊は主君で慣れっこのはずだったのに、それを超越したスケールに圧倒され、二の句が継げなくなった。けれども、大食いや早食いコンテントの選手は殆どスレンダーな体型だし、白鳳もそういう体質なのかもしれない。そして、その特性を生かして、積極的に様々な味を体験し、料理の腕もいっそう向上するのだろう。
「私もたくさんの国を旅してきましたが、ルーキウスほど野菜が美味しい国はめったにありません」
「白鳳さんに褒められるなんて光栄です」
この国から出ることは稀なので、己では比べようもないが、率直にものを言う白鳳が絶賛するのだから、自国の収穫物はよほど質が高いに相違ない。
「セレストは幸せ者ですよ。これだけ新鮮な作物が日常的に食べられるんですから」
「収穫祭の時に限らず、日々農家の人たちや風土に感謝しないといけませんね」
「・・・・・こんな国に落ち着いて暮らせたら・・・・・」
「え」
「いえ、ただの独り言です」
「白鳳さん」
「ほら、陽の光が七色に透けて、綺麗な硝子細工」
一瞬伏せた視線を即座に上げ、不自然なほど明るく紡ぎ出された言葉。仮に話を蒸し返したとしても、スイの呪いが解けない現状ではかえって恋人を辛い気持ちにさせるだけだ。ここは指し示された露店に目を向けるしかない。
「まさに職人芸ですね」
ステンドグラスを思わせる硝子絵や細かい模様に彩られた器、さらにトンボ玉を中心とするアクセサリー類が所狭しと並んでいた。白鳳は隅々まで物色すると、中のひとつを手に取り、自分の左胸に近づけてみせた。
「どうですか、これ」
少しラメが入った小さな磨りガラス風のブローチが、真っ赤なチャイナ服に良く映える。
「ああ、素敵です。よく似合ってます」
「よ〜し、これも買ってもらっちゃおうかな♪」
「またですか」
「おや、今日は私の財布代わりなんでしょう」
「それはそうですけど」
困り顔で肩を竦めるセレストの様子を楽しげに見遣る深紅の双眸。しょせんこの国の物価なので、どう散財したところで被害はたかが知れてるし、それが分かっているからこそ、白鳳も好き放題おねだりしているのだろう。
「ふふっ、ありがとうございます、セレストv」
「うわっ」
勘定を済ませて、店から離れた途端、いきなり白鳳が口付けしてきたので、飛び上がるほど驚いた。いくら木陰に入る死角とはいえ、街中であまりにも大胆すぎる。
「そんなに仰天しなくたっていいでしょう」
「これがびっくりせずにいられますかっ!!白昼堂々と人だかりの中で」
「皆、出店に夢中で我々のことなんか誰も見てませんよ。私は見せつけてあげても、一向に構わないんですけどね」
「俺は構います・・・・・」
それでも、周りに気を遣って変に萎縮するより、焦らされてもいつも通りの彼でいてくれる方が嬉しい。だけど、ひょっとしたら、件の勘当事件で少なからず傷ついたのに、気を遣わせまいとしてわざと過激に振る舞っているんじゃなかろうか。一見、奔放なようでいて繊細な部分もあるし、なかなか胸の奥の本音を晒してくれない人だから。



ほぼ全ての露店や屋台を制覇して、ようやく食べ歩きにピリオドを打った白鳳は、今度は物品を中心に選択を始めた。大都市や貿易国を巡って目が肥えている身には、逆に素朴な工芸品が目新しく感じるようだ。
「あれ、天然石かな。こんなものまで採れるんだ」
木の板に無造作に並べられた色とりどりの石と脇に置かれた革紐が興味を引いたのか、紅いチャイナ服はぴたりと立ち止まった。
「石壁のダンジョンの奥で採れるんです。高価な宝石とかはありませんが、磨くと綺麗になるし、身に付けると石に応じた効用があるそうですよ」
「この紐を穴に通して付けるんですね」
「ええ」
革紐はそれぞれ色と長さが異なっており、好みに合った組み合わせを選べるらしい。
「こんにちはっ、おばあさんっ」
「いらっしゃい」
小さな丸眼鏡をかけたいかにも温厚そうな老女に、セレストが彼らしからぬ大声を投げつけた。彼女は耳も目もかなり衰えているので、客の来訪をはっきり知らしておいた方が良いと思ったからだ。なにしろ狭い国だから、いわゆる”ご近所付き合い”も盛んで、住民の殆どは顔見知りである。むろん、騎士団近衛隊副隊長ともなれば、ちょっとした有名人だ。かといって、セレストが偉そうな態度を取ることもないし、一般の人々も分け隔てない態度で接する。なにしろ王家の人々からして、あれだけ気さくで庶民的なのだ。
「こんなにあると目移りしますね」
女性客に混じって、天然石の品定めをする白鳳だったが、どれも魅力的に見え、なかなかひとつに絞ることが出来ない。しばし、商品を見渡した後、隅っこで控え目に煌めく淡いピンク色の石を摘み上げた。
「わあ、可愛い色。ええと、ローズクォーツ・・・ですか。いったいどんな効き目があるのかなあ」
身に付けるのなら、一応、効果も聞いておきたい。元々、占いやおまじないの類が嫌いではない白鳳はわくわくしながら、店番の老女に声を掛けた。
「この石、どんな効果があるんですか」
「ああ?」
「白鳳さん、おばあさん少し耳が遠いから、もっと大きな声で尋ねないと」
「そうでしたか。・・・・・この石っ、どんな効果があるんですかっっ」
白鳳の絶叫と、目の前にかざしたピンクの石とで、ようやく意味が通じたのか、彼女はおっとりとした物言いで説明してくれた。
「はいはい。これは愛のパワーストーンと呼ばれていて、恋愛のお守りになるんじゃよ。付けた人の魅力を増す効果もあるとか」
「恋愛のお守りですって」
白鳳の瞳が乙女みたいにキラキラ輝いた瞬間、セレストは更なる出費の予感がした。
「セレスト、私、これ欲しいです」
「そう言うと思ってました」
予想そのままの展開に、苦笑しつつ白魚の手に財布を渡した。
「セレストも買いませんか」
「俺が?」
考えもしなかった提案に我知らず目を見開いた。
「だってふたりで付けていた方が、御利益がありそうじゃないですか」
「いや、こういうアクセサリー類はちょっと」
女性と見まごうほどの美貌を持つ白鳳だから様になるのであって、自分が首から下げたらただの滑稽な勘違い男だ。
「別に服の内側に付ければ済む事じゃないですか。ねっ、一緒に買いましょう、セレスト」
「う〜ん」
「良いじゃないですか、ねえ」
甘え声で露骨にしなだれかかられて、他の客の視線が気になり出した。すでに敗色濃厚だった。
「・・・・・分かりました」
セレスト自身はパワーストーンとやらの効用など信じていないが、白鳳が満足ならそれもまたよかろう。己の性格上、ペアルックとかは未来永劫着れそうにないが、こういう形でなら、揃いのものを身に付けることも抵抗なく出来る。
「じゃあ、これとこれっ、くださいっ」
白鳳がローズクォーツと黒い革紐をふたつずつ差し出した。皺だらけの手でそれを受け取った老女は、優しい顔で微笑むと高らかに告げた。
「恋人同士が付けると必ず恋愛が成就するんじゃよ。おふたりともいつまでもお幸せに」
客に対する単なるお愛想なのかもしれない。誰にでも言っているのかもしれない。でも、白鳳にとっては第三者からまたとない祝辞をもらった気がして、喜びがふつふつとこみ上げてきた。たったこれだけのことなのに、不覚にも目頭が熱くなっていた。
「ありがとうございますっっ」






老女から商品を受け取った白鳳は、満面の笑みを湛えて青い髪の青年に駆け寄った。
「聞きましたっ、今の」
「聞いてました」
なにしろ大声での会話だから、その気がなくても耳に滑り込んでくる。
「店のおばあさんには、私たちはごく自然に恋人だと思えたんですよ」
よほど感激したのか、白磁の頬が仄かに上気している。
「何だか照れますね」
「ああ、嬉しいなあ。本当に収穫祭に来て良かったv」
傍らで子供みたいにはしゃぐ無邪気な仕草を見つめながら、複雑な気分で口元をほころばるセレスト。おそらく真相は彼女の目が悪く、耳も遠かったから、白鳳が男性だと気付かず、言いかけてくれたのだろう。が、それを教えるつもりは毛頭ない。自分の前では強気な姿勢を崩さなくても、ふたりの行く末に心を砕いているのが痛いほど分かるから。アドルフを悪し様に罵るのも、こちらの気を重くすまいとする彼なりの思いやりなのだ。今までさんざん苦労してきた白鳳に、もう辛い思いや肩身の狭い思いはさせたくなかった。
「さあ、次の店へ行きましょうか、白鳳さん」
互いの気持ちが通じ合うことが一番ではあるが、自分たちだけで生きているわけじゃない以上、周囲の人にもちょっぴりは理解してもらいたい。人の信条や感性に関わることだから、無理強いは出来ないし、時間もかかるに違いないが、先々、少しでも良い方向に進んでいけたら、と思う。
「はい」
差し出した手をぎゅっと握り締めるたおやかな指。愛しい人の屈託ない笑顔を満足げに眺め遣ると、セレストはゆっくり一歩を踏み出した。



FIN


 

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