*さよならゲーム*
この国に滞在しているときは、いつも晴天のような気がする。初夏の汗ばむ気候を多少なりとも和らげる風。さわさわと絶え間ない音を奏でて揺れる木々。上空で仲睦まじく戯れる鳥のさえずり。全てがふたりの風景に彩りを添えてくれる。
「せっかく訪れても、あまり見るべきものもなくて、退屈じゃありませんか」
「観光国とは違うのですから当然ですよ。静かでのんびりした雰囲気が、心身を休めるには最適だと思っています」
「そう言っていただけるとほっとしますが」
一昨日の約束通り、朝から非番のセレストが白鳳を迎えにやって来た。アーヴィング家でやや遅い朝食を取った後、連れ立って外へ出ると街の広場を抜け、郊外の方へ当てもなく歩いていた。
「白鳳さん」
「何ですか、セレスト」
他愛ない呼びかけのつもりで、相手の顔も見ず、軽く返した白鳳だったが、続く言葉を耳にするやいなや、影を貼り付けられたごとく、指先まで動かせなくなった。スイだけが丸い頭をこくこくと上下させている。
「貴方を愛してます。俺と正式にお付き合いしてくれませんか」
「・・・・・え?」
「きゅるり〜」
立ち尽くしたまま、顔だけ彼の方へ向けた。そこには思わずたじろぐほど真摯な眼差しがあった。もともと気の利いた冗談なんて言える人ではない。
「前に貴方は俺のことが好きだと言ってくれましたね。これがその答えです」
昼下がりの降り注ぐ陽光に当てられたわけでもないのに軽い目眩がした。信じられない。彼の口からそんな言葉が出るなんて。なんとかして自分の想いを遂げようと、強引に迫った日が遠い昔のように感じられた。今はもうセレストに告白されても素直に喜ぶことが出来ない。あの時よりもっともっと彼を愛してるはずなのに。
「なにか勘違いしていませんか。私は別に貴方の返事を求めたわけではないですよ」
殊更にそっけなく、鬱陶しさすら滲ませて切り出した。案の定、戸惑った表情をしている。彼の困り顔は可愛くて好きだけど、こんな理由で悩ませたくはなかった。
「勘違いだなんて・・・・・俺は真剣に言っているのに」
そんなこと分かっている。分かっているからこそ、こちらも困り果てているのだ。
「だったら、一刻も早く目を覚ましなさい。貴方、きっと雰囲気に流されただけなんです」
あと5年若ければ、目の前の彼だけを見つめて、愛の言葉を手放しで喜び、全てを受け容れていただろう。でも、今の自分にそれは出来ない。本気で愛したからこそ、彼には幸せになってもらいたい。悲しいけれど、自分ではダメなのだ。セレストとは身を置く世界が違いすぎる。男同士というのを抜きにしても、到底、彼の世界に相応しくない。伝説の滝で自ら言っていたように”おっとりした優しい子”が彼にはお似合いなのだ。それでも単なる知り合いで通せるうちはまだ良かったし、その状態に十分満足していた。彼の世界の末席に置いて貰えるだけで幸せだった。だが、こんな形で今の均衡が崩れてしまうのなら、愛している、という言葉だけを宝物に、潔く姿を消した方がいいかもしれない。そうするのが彼の、ひいては自分のためだ。もはや白鳳はそこまで思い切っていた。
「なぜ突き放した物言いをするんですか」
「貴方があまりにも大人げないからです」
「大人げないって」
「いい年をして夢みたいなことを言うものではありません。考えてもご覧なさい。私は男ですし、一度はこの王国に仇成そうとした者なんですよ。それ以外にも些細な悪事なら日常茶飯事にしてます。そんな人間と騎士団近衛隊副隊長たる貴方が釣り合うわけないでしょう」
抑揚のない冷淡な口調で根拠を述べたものの、セレストは一歩も退くことなく、力強く切り返してきた。
「百も承知の上で言っているんです。そもそも、自ら好きだと告白しておきながら、俺が付き合ってくれと頼んだ途端、どうして手のひらを返したように拒絶するんですか」
「そんな状態を望んでいないからです」
日頃の彼とも思えぬ弱々しい声で、白鳳は俯いたまま答えた。兄を気遣うように、スイまでしょんぼりとうなだれている。
「おかしいじゃないですか。貴方は俺が好きで、俺も貴方が好きなのに、交際できないなんて」
「どうせ上手く行かないんですから」
彼の申し出に応じて交際し始めたとしても、周囲の事情を考えると、先々必ず壁に突き当たって身動き取れなくなるのは間違いない。その時に生木を裂くごとく別れるなんて辛すぎる。だったら、ここで踏み止まった方が遙かにマシではないか。新たな絆を求めて一歩踏み出したのに、結局、後ずさりしてしまう己の意気地のなさが情けなかったが、それもこれも愛する人の幸せを願えばこそだ。
「・・・・・白鳳さん・・・・・」
ああ、やっぱり。実のところ、朧気にこういう展開になるんじゃないかと予感していた。傍若無人のようでいて、内面は誰より繊細な部分を持った人だから。
とは言うものの、ここで白鳳に言い負かされるわけにはいかない。結論を出すまでには、互いの立場や周囲の状況なども突き詰めて考えたし、この先、決して良いことばかりじゃないと十分理解している。それでも、彼と共に歩んでいきたいと決意したのだ。
「上手く行くかどうかなんて、実際付き合ってみなければ分からないじゃないですか」
「いえ、分かります」
「何を根拠にそんなことを」
相手のとりつく島もない態度に腹立たしささえ覚えたが、とにかく言い分を聞いてみようと、己をなだめつつ続く言葉を待った。
「セレストとは過ごしてきた環境も現在の境遇も違いすぎます」
「出会うまで全くの他人同士だった以上、当然だと思いますが」
「価値観もことごとく合いませんし」
「違うからこそ、会うたびに様々な発見もあるし、話していて面白いんじゃないですか」
それは男女のカップルとて変わらない。最初は身に付いた思想や作法にこだわって、ぶつかり合う場面があったとしても、お互いを思いやる気持ちがあれば、徐々に歩み寄り、上手く折り合いをつけるものであろう。
(仕方ないな)
打てば響くような反応と自信に溢れた様子から、彼が全然動じてないのを察し、少々強攻策に出ることにした。
「でしたら、この先も貴方以外の相手と寝てもいいんですね」
「え」
「きゅるり〜」
さすがに表情が一変するのが見て取れた。肩先のスイまで冷や汗をたらしている。
「私は心と身体は別物だと思っていますから、旅先で身体が欲すれば、行きずりの相手とかまわず戯れの一夜を過ごしますよ」
殊更に蓮っ葉な口調で言い放った。彼みたいな誠実で純粋な人ほど、恋人以外の相手と平気で関係を持つことに激しい嫌悪感を抱いているはずだ。事実、彼の口から単語ひとつ出なくなった。しばしの沈黙。
「それは・・・・・正直、望ましいとは言えませんね」
「そうでしょう」
沈痛な面持ちと共にはっきり否定され、寂しさは否めなかったけれども、ほっとしたのも事実だった。なのに、この安堵感はほんの一瞬で覆されてしまった。
「だけど、貴方に対する気持ちは変わりません」
「!?」
まるっきり予定外の発言に、白鳳は少なからずたじろいだ。そんな彼の心中を知ってか知らずか、相手はなおも畳み掛けてきた。
「俺は貴方が聖人君子の立派な人だから、好きになったわけじゃない」
客観的に見て、欠点の範疇に入ると思われる面も引っくるめて白鳳という人物に心惹かれたからこそ、性別すら二の次になっているのだ。
「・・・・・セレスト・・・・・」
「でも、俺だって至らない人間ですし、これから少しでもいい男になって、貴方が浮気する気にならないほど、好きになってもらえるよう努力します」
「・・・・・・・・・・(な、なんて前向きな)」
穏やかではあるが、確固たる意思を秘めた眼差しで見つめられ、どきりとして瞳を逸らした。相手にここまで覚悟を決められたら、もはや返すべき言葉はない。白鳳は別の根拠を持ち出さざるを得なくなった。
容赦ない陽射しのシャワーを避け、ふたりは国外れにある樹齢八百年余の大木の陰で話を続けることにした。いびつな円の緑のシェードに入ると、それなりに風があるせいで、一気に過ごしやすくなった。額に浮いた汗を拭いながら、形の良い唇が微かに動いた。
「ですけど」
「まだ言いたいことがあるんですか」
「きゅるり〜」
今のやり取りで心なしかセレストの表情に余裕が出て来たのが気に入らない。とにかく、彼を説得して、自分と恋人付き合いをすることを断念して貰わなければ。その過程でたとえ彼に永遠の別れを告げなければならなくなったとしても。
「貴方と交際を始めれば、無意識のうちに頼ったり縋ったりすることがあるかもしれません。それが嫌なんです」
「・・・・・・・・・・」
今度はそう来たか。この意地っ張りめ。風に遊ばれるスイの尻尾を目で追いながら、微かに急いた気を落ち着けると、慎重に言葉を選んだ。
「そんなに堅く考えなくても、自然な流れに任せればいいじゃありませんか。辛くなったら、たまには愚痴のひとつも口にしたって」
その程度は決して弱さや依存じゃないと思うのだが、彼はそう受け取れないらしい。
「頑なで可愛げがないと分かっているけれど、己が成すべきことで他人を当てにするのはどうしても受け容れられません。自分を救えるのは自分だけですから」
「そこまで頑張らなくても」
「じゃあ、セレストは私が弱々しく貴方に縋る姿が見たいんですか」
「・・・・・いえ、それは・・・・・・」
見たくない、と思った。前はそういう弱みを露わにすることが、打ち解けて心許した証拠だと捉えていたけれども、この人にはそんなしおらしい姿は似合わない。奔放で溌剌として、好奇心たっぷりに瞳を輝かせている方がずっと彼らしい。必死になって頑張らなくてもいいのにと感じつつ、その頑張る姿に心惹かれる自分がいるから困りものだ。白鳳にはいつも自分らしく胸を張っていて欲しい。彼が常にその状態でいられるよう出来る限りのことをしてやりたい。
「むしろ、今はどこまで意地を張り通せるか見届けたい気分ですよ」
「それって、もう匙を投げたってことですか」
「そんなところでしょうね」
子供をあやすみたいな優しい微笑みがなんとまあ憎らしいことか。ぷんと口を尖らせて、睨み付けてやっても、慌てるどころか、ますます顔をほころばせている。
「とにかく、それは貴方自身の心の問題で、俺にどうこう言うことじゃないでしょう」
「あ・・・・」
「きゅるり〜。。」
セレストの意見は的を射ている。そもそもこんな内容を口にしたこと自体、彼に寄りかかっている己を認めたようなもので、みっともないことこの上ない。これ以上、会話を続けても何ら益はないと判断し、白鳳は自らこの話題をうち切った。しかし、二番目の理由も難なく潰され、いよいよ追い詰められてしまった。こうなったら、最後の切り札を出すしかない。
「そ、それに」
「往生際の悪い人ですね」
半ば憮然とした面持ちで呟かれた。呆れられたっていい。嫌われたっていい。彼に自分を見限ってもらえさえすれば。この話題を切り出すからには、今生の別れもやむなしと思っている。
「私は温泉きゃんきゃんを諦めたわけではありませんよ。いつか必ず捕獲するつもりですから」
「でしょうね」
スイを元に戻すためには一体とて欠かすわけにはいかない。たとえ犯罪者と呼ばれようが、挑戦しなければならないのだ。
「王家に仕える以上、私の仕業を見逃すことは出来ないはずです。それでも、なお私と付き合いたいと言うのですか」
「その時は・・・・・」
少し視線を落として、自分の思いを確かめるごとく大きな息を吐くと、緑の瞳の青年は日頃に似合わぬ悪戯っぽい笑みを浮かべ囁きかけた。
「一緒に逃げましょう」
「はあぁ?」
「きゅっ、きゅるり〜」
相手があまりに突拍子もないフレーズを形にしたので、白鳳は気の抜けた声を漏らしてしまった。あれほど主君に忠誠を誓った騎士なのに、どうしてこんな愚かで短絡的な結論を口にするのだろう。
「貴方、バカですか?」
「バカとはひどいですね」
「以前、王家に仇なす者は許さないと言っていたじゃないですか」
「温泉きゃんきゃんを捕獲したところで、法には触れるかもしれませんが、誰に危害が及ぶわけではないですから」
淡々と返されて、白鳳の方が慌てふためいた。彼を共犯にするなんてとんでもない。
「だからと言って、騎士たる貴方が犯罪者の片棒を担ぐような軽率なことを」
「でも、白鳳さん、一瞬嬉しそうな顔をしてましたよ」
「そ、そんなわけないでしょう」
即座に否定したものの、自らの顔が見えない以上、何ら説得力はない。生い茂った葉の隙間から漏れた僅かな光に目を細めながら、相手のアキレス腱とも言える人物を登場させた。
「坊ちゃんはどうするんです」
「カナン様との絆はたとえ俺がどんな状況に陥ろうと変わるものではありません。仮にあの方に危害が及ぶようなことがあれば、どこからでも馳せ参じてお守りいたします。役目なんて単なる肩書きだけですから」
不器用で全く融通が利かないと思っていたのに、どうして意外にフレキシブルな思考の持ち主ではないか。もっとも、あのカナンの発想や行動に振り回されつつも、ついていっていることを考えれば、うなずけるものがある。
「・・・・・セレストはもっと真面目な人だと思ってました」
「貴方は奔放なようでいて、肝心な部分では案外真面目なんですよね」
皮肉を込めて言ったつもりだったのに、あっさり切り返されて、白鳳は歯噛みした。確かに根が真面目だからこそ、己を犠牲にしてスイの解呪に専心してきたのだろう。
「それにご存じの通り、あの方は冒険者を目指していらっしゃいます。もし、その時が来れば、俺も職を辞してカナン様と共に旅立つつもりです。そうなればもう騎士でもなんでもありませんから、貴方と一緒に世界を巡ることも出来ますよ」
優しく微笑まれて、不覚にも顔がほころんでしまった。自分が説得されてどうするのか。圧倒的形勢不利を自覚しながらも、白鳳は最後の抵抗を試みた。
「あ、貴方のご家族は。友人だっているでしょう。そんな無茶をしたら、これまで護って来た貴方の世界はどうなるんですっ!?」
一度は自ら壊そうとしたものなのに、ムキになってセレストに訴えかける自分が滑稽で不思議だった。
「壊れてしまうかもしれませんね」
「そんな・・・・・」
「そうなったら、また新しい世界を作ります」
「え?」
心に染み入るような温かい表情でにっこり笑うと、大きな手をすっと差しのべて。
「貴方と」
頭上から降り注ぐ陽光も頬を掠める風も、何もかも一瞬消え失せたような気がした。ここにいるのはただ彼と自分だけ。
(いやだな・・・・・また、涙出そうだ)
もう逃げることなんて出来ない。これ以上逃げるのは己の立場も信条も捨てて、ここまで歩み寄ってくれた相手に対して失礼だ。現実に一緒に逃亡してくれるかなんてどうでもいい。しかし、あの言葉を口にした時のセレストの気持ちには一点の曇りもなかった。彼はそこまでして、自分が必要だと言ってくれたのだ。その一途で誠意に溢れた言動が、後ずさることしか出来なかった我が身に、愛する人と歩いていく勇気を取り戻させてくれた。
俯いたきり身動ぎもしない白鳳の次の反応をひたすら待っていた。目の前の想い人をどうにか説得すべく肩に力が入り過ぎたせいで、心ない発言をして逆に傷つけていないだろうか。実際に伝えたいのは、貴方のことを誰よりも愛している、ということだけなのに、その感情を上手く言葉で表せない自分がただただもどかしく、彼の言葉を待つ間がやたら長く感じられた。が、ふと見れば、細い肩先が小刻みに震えているではないか。
(まさか)
泣いている?そんなはずが。恐る恐るその白磁の面を覗き込もうとしたセレストの耳にくつくつと含み笑いが聞こえてきた。意表を突かれて硬直しているうちに、白鳳はついと顔を上げ、なんとも妖艶な笑みを浮かべながら囁いた。
「本当にバカな男」
「え」
「せっかくこの私が身を退いてあげようとしたのに」
まだ喉の奥で笑いながら、白鳳は身体が密着するまでセレストに歩み寄ると、さらに言葉を紡いだ。
「ねえ、セレスト」
「はい」
「あの時以来、踏み越えてはいけないラインは越さないよう、極力気を付けてきたのに、貴方のせいでまたレッドゾーンに飛び込みたくなってしまいました」
もっとも、無謀な行動を控えるようになったのもセレストのおかげなのだから、ここで文句を言われる筋合いはない。相手の意図が読めずに、あたふたする様子を楽しみながら、長い繊細な指でその両頬を撫でると、白鳳は歌うごとく軽やかなリズムで言いかけてきた。
「貴方を堕落させてあげますよv」
一瞬、相手が何を言っているのか飲み込めなかった。が、その紅い瞳に宿った明るい輝きと生き生きとした表情から、ようやくこれが承諾のセリフだと理解できた。相変わらず回りくどい表現を使う人だ。
「・・・・・素直にオッケーだと言えないんですか」
「そういう私がいいんでしょう?」
自信たっぷりに問いかけられ、すっかりお手上げだ。完全にいつもの彼に戻ってしまった。やれやれと苦笑しつつ、軽く息をつぐセレストだったが、不意に白鳳が真剣な視線を向けてきた。真っ正面に映る緋の虹彩。
「ひとつだけ約束してください」
「?」
「私は何があっても貴方に寄りかからずに歩いていきたいけど、この世に絶対がない以上、時には弱音を漏らすことがあるかもしれない。だけど、そんな一方的に支えられる関係になるのは嫌なんです。ですから、セレストも何か辛いことや困ったことが生じたときには、私に包み隠さず話してくれませんか」
「白鳳さん」
「貴方が私の支えになるように私も貴方の支えになりたい。愛しているからこそ、貴方とはいつも対等な関係を保ちたいんです。そうでなければ、貴方とは付き合えません」
理想と全くかけ離れた人にもかかわらず、その一挙手一投足にこんなにもどきどきさせられるなんて。”好き”という感情は実に不可解な、でも心地よいものだった。
「約束します。俺も貴方に全てを話しますよ」
「絶対ですからね」
「ええ、分かってます」
強い口調で念を押され、セレストはこくりとうなずいた。その対応を見て、満足げに笑みを浮かべると、白鳳は自らの端麗な顔を青年にゆっくりと近づけていった。気を使ったのか、尻尾を回しながら、そそくさとそっぽを向くスイ。ふたりはさわさわと風に揺らめく枝葉の影を貼り付けながら、想いのたけを全てぶつける長く熱いキスを交わした。
「ふふふ、そうと決まったら」
「?」
キスの余韻に浸る間もなく、ぐいと身体を引き寄せられたので、セレストはきょとんとしたまま、傍らの白い面を見遣った。
「あの夜の続き、いえ、もう一度あの夜をやり直しましょうv」
「こんな真っ昼間から・・・・・ですか」
むろん、まだ太陽は真上で皓々と照り輝いている。白鳳の大胆な提案にドギマギしながら、ようやっと一言返したものの、これまでの毅然とした物言いが嘘みたいなマヌケ極まりない反応だ。
「だって非番は今日だけですから、外泊なんて出来ないでしょう。貴方と寝るなら、今しかありません」
「ま、待って下さいよ、白鳳さんっ」
「きゅるり〜」
反論する間もなく、強引に腕を絡められ、ぐいぐい引っ張られた。華奢な身体をしていても、そこは男性なので、それなりに力はある。浮かれた兄を見て、すっかり上機嫌のスイまで肩先を軽くつついてきた。
「どうして待たなければならないんです。だいたい私は交際を躊躇っていたのに、貴方がその気にさせたんでしょう」
屈託のない表情、双眸の澄んだ輝きから、気持ちは完全に吹っ切れたに相違ない。懸念や不安を克服できて、心の底から良かったと思う。が、これから繰り広げられることに思いを馳せると、少々恐ろしくもあった。色事にかけては彼との場数の違いは明らかだ。あの夜、自分が主導権を取れたのは、彼の心中に尋常ならぬ動揺があったからで、こうして全てが上手く収まった今、もう一年前のようにはいくまい。
「どうかお手やわらかに」
「いいえ。一年前の借りをきっちり返させてもらいますv」
「うっ。。」
にこやかに恐ろしいことを宣言され、やや青ざめたものの、相手はこれっぽちも手加減してくれる気配はない。かといって、想い人との交わりを拒否する理由もないし、再び機会を持てたこと自体は、嬉しくて堪らないのだから始末が悪い。
(命まで取られるわけでなし、まあ、いいか)
たった23年の人生でご無体と理不尽には骨の髄まで慣れきっている。相手がいかなる振る舞いに出ようと、まず耐えられるはずだ。満面に笑みを浮かべて闊歩する白鳳の前になす術もなく、いやむしろ達観すら感じさせる面持ちで、ずるずると宿屋まで引きずられていくセレストだった。
FIN
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