*くちづけの波紋〜後編*
ドアの向こうの神風は、背筋をピンと伸ばし、ベッドの縁へ腰掛けていた。端正な面に心なしか暗い影が滲んでいる。紅いチャイナ服が目に入るやいなや、神風は素早く立ち上がり、白鳳の眼前まで歩み寄った。
「白鳳さま」
「お腹すいたでしょ。温め直したから、味は少々落ちるかもしれないけど」
神風は無言のまま、手渡されたお盆を受け取り、深々と頭を下げた。
「・・・・出立の前日に騒ぎを起こして、申し訳ありませんでした」
少なからぬ時間の経過が功を奏し、彼が漂わせるオーラは、本来の穏やかなものだった。これなら普通に話が通じそうで、白鳳はやれやれと一息ついた。フローズンを派遣したとは言え、前後の事情を聞き出すのは、DEATH夫より神風の方が容易すかろう。一刻も早く真相を把握して、具体的な解決策を検討したい。逸る気持ちを抑えつつ、白鳳は神風を再びベッドへ座らせ、食事を促した。躊躇いがちに箸を取る神風を見遣りつつ、紅唇がおっとり言いかけた。
「種族も性格も異なるメンバーで、旅を続けているんだもん。時に意見がぶつかるのも仕方ないよ」
傷が浅いうちに、神風とDEATH夫の仲を取り持っておかないと、いずれもっと大きな災いを招きかねない。日常時ならまだしも、万が一、戦闘中に影響が出たら、パーティー全員の死活問題だ。掛け替えのないお供だからこそ、防げる危難にはしっかり対処せねば。
「今日のアクシデントは全て私の責任です。DEATH夫に罪はありません」
1対1なら多少なりとも本音が聞けると思ったのに、400%優等生のセリフに、白鳳はいささか拍子抜けした。好戦的なDEATH夫ならともかく、神風が訳もなく相手に仕掛けるはずがない。よほど琴線を逆なでする何かがあったのだろう。不平不満を目一杯溜め込んだあげく、自ら身動き取れなくなってしまう。神風みたいな生真面目な性格にありがちな落とし穴だ。いかに我慢強くても、堪忍袋の大きさには限りがある。そういうコが爆発した時が一番怖い。白鳳はまず紺袴の従者のガス抜きを試みることにした。
「自分を悪者にする必要ないでしょ。DEATH夫の言動に不満を抱くのは当然だし、この際、全部吐き出しちゃったら」
実のところ、言葉で発散するより、力尽きるまで戦わせた方が効果的かもしれない。男たちが拳で分かり合う。映画や漫画などでよくあるストーリーだ。しかし、戦って互いを理解するには、ふたりの潜在能力はあまりに大き過ぎた。
「私は特に不満など・・・・」
「またまたぁ、無理は身体に悪いよ。神風だって、DEATH夫にどう接したらいいか分からないって、言ってたじゃない」
DEATH夫が仲間になった当初より、ふたりはぎくしゃくしていた。悪魔の使徒たるDEATH夫は、人間に服従する神風へ侮蔑の視線を隠さなかった。従者の立場に誇りを持つ神風にとって、DEATH夫の見方は決して面白いものではあるまい。悪意こそ抱かなくても、いい感情を持てないのは納得だ。
「いえ、白鳳さまが考えてる理由ではなく、あくまで個人的な事情です」
「え」
白鳳の論調から、話の落としどころを察したのか、摘みかけた煮魚を降ろすと、神風はきっぱり流れを遮った。唐突につっかえ棒を外され、白鳳は真紅の虹彩をきょとんと見開いた。
「個人的って」
「それはお答え出来ません」
いくら主人でも従者のプライバシーを詮索する権利はない。けれども、一同の団結に亀裂が入った以上、ハイ、そうですかと見逃すわけには行かなかった。
「でもさ、パーティーに直接影響が出ているんだよ。もはや、個人的な要素では片付けられないでしょ。差し支えなければ、さわりだけでも教えて欲しいなあ」
「・・・・・・・・・・」
「絶対、誰にも言わないから、ねっ」
「・・・・・・・・・・」
「そう、神風は私に肝心なことは話してくれないんだ。。」
黙秘を決め込む神風を、白鳳は恨みがましく一瞥した。もっとも頼りにしている神風が、何ひとつ説明してくれない。理想のオトコが現れない場合は、愛人になるとまで約束してくれたのに。肩を落とす白鳳の落胆ぶりに嘘偽りはなく、傍らの忠臣の良心をじくじく責め苛んだ。
「・・・・分かりました」
敬愛する白鳳の憂い顔に、とうとう居たたまれなくなり、神風は渋々承諾した。彼が紡がんとする言葉を、白鳳は息を飲んで待ち構えた。
ようやく告白寸前まで漕ぎつけたものの、神風は食事に勤しむばかりで、なかなか口を開こうとしない。彼のいつにない歯切れの悪さを、白鳳は訝しく感じた。
(そもそも、”個人的”って神風らしからぬ表現だよねえ)
献身的で無私な神風には、もっとも縁遠いフレーズだ。ましてや、彼自身の事情が争いの引き金になる展開が想像出来ない。真相を明らかにすべく来たにもかかわらず、ますます視界を閉ざされ、途方に暮れる白鳳へ、神風は淡々と切り出した。
「私が先日の件をDEATH夫に問いただしたのが間違いでした」
「先日の件?」
「・・・・DEATH夫が白鳳さまに口付けしたことです」
「えええっ」
まるっきり想定外の経緯を耳にして、白鳳は素っ頓狂な声をあげた。確かに、白鳳が煽り気味に報告した時、神風は相当動揺していたし、いつになく不機嫌に見えたが、まさか、DEATH夫へ直接意見するとは思わなかった。
「な、何て言ったの」
「白鳳さまの想いに、真剣に応える気があるか尋ねました」
「DEATH夫の答えは」
慎重な神風が事もあろうに、こんな無謀極まる問いかけをするなんて。お調子者の白鳳でさえ、死神の逆鱗に触れまいと、出来るだけストレートな物言いは控えているのに。驚くやら呆れるやらで、従者への文句は山ほどあったが、先にDEATH夫の反応を聞かずにいられないあたりが、××者のしょーもない性だろう。無論、神風からは白鳳の期待した内容は返って来なかった。
「本気で取り合わないどころか、鼻で笑われました」
「はああ。。」
淡い望みがあっけなくうち砕かれ、白鳳はへなへなとくずおれた。案の定、あの接吻は単なるご褒美でしかなかったらしい。方向性は違えど、DEATH夫にとってのキスの重みは、白鳳にとってのそれと大差あるまい。
「だけど、なぜ戦闘になるのさ」
どうにか気を取り直して、白鳳は本来の会話へと戻った。
「彼の様子があまりにも冷淡だったのでつい」
「要するに、冷たく笑われて、思わずカッとなったわけぇ?」
「はい、完全に私の修業不足です」
消え入りそうな語尾と共に、神風はきまり悪そうに顔を伏せた。殊更に薄情な対応をする、DEATH夫の姿が目に浮かび、白鳳は我知らず苦笑した。DEATH夫の挑発に乗ったのは、神風にあるまじき軽率さだが、白鳳の名誉のため怒ったと思えば、至高の従者の名に恥じぬ行動ではないか。白鳳はしみじみ嬉しくなった。色恋云々を抜きにして、これほど白鳳を愛し、大切に扱ってくれる相手はいやしない。他のお供と分け隔てする意図はないが、やはり白鳳にとって、神風は唯一無二の存在だった。
「DEATH夫は私の伴侶に相応しくないって言ってたじゃない」
神風の的確な指摘のおかげで、白鳳もはっきり旨味のなさを悟った。ゆえに、神風がわざわざDEATH夫の意思を確認しに行ったことがうなずけなかった。
「DEATH夫にその気がなければ、尚更、思わせぶりな態度は許せません。後で傷付くのは白鳳さまです」
「神風・・・・」
直向きな眼差しで見つめられ、白鳳は激しく面食らった。誰よりも主人の幸福を願う気持ちが高じ、形だけの口づけにはしゃぐ白鳳を見かねたに相違ない。自分の軽はずみな言動が神風を突き動かし、DEATH夫との対決寸前に追い詰めた。己の悪戯心と事件との因果関係が判明すると、さすがの白鳳も責任を覚えずにはいられなかった。
(私のせいだ。私が悔し紛れに、ある事ない事ぶちまけたから)
神風の性格も、DEATH夫との不仲も熟知していながら、悪巧みを潰された腹いせに、事務的な接吻を脚色して伝えた。神風はもちろん、DEATH夫だって悪くない。諸悪の根元は自分だったのだ。真実の発覚は、時に皮肉な結果をもたらす。もはやふたりを裁く資格を失った白鳳は一言もなく、ただ茫然と立ち尽くした。
やるせない心を持て余し、のろのろと居間へ戻ると、一足先に戻ったフローズンたちが勢揃いしていた。フローズンの浮かない顔から察するに、DEATH夫は事の詳細を語らなかったようだ。まあ、DEATH夫に筋道立てた説明を求めても無理だし、神風が激怒した真の原因は到底、理解出来まい。
「・・・・白鳳さま、どうでした?・・・・」
「神風は事情を教えてくれたのっ」
「きゅるり〜」
並んで着席した一同は、身を乗り出して問いかけて来たが、白鳳はすぐに答えられなかった。聡明な神風のことだ。突っ込んだ質問は相手をキレさせかねないと承知していただろう。危険度の高さを十分認識しながら、なお、言わずにいられなかった神風の心情を思うと、白鳳の胸は張り裂けそうだった。
(神風があそこまで私を慮っていてくれたなんて)
今日改めて実感した。神風の数々のお小言は、全て麗しい主人の幸福のため、なされたものだったのだ。主人の心身を傷付けようとする者は、たとえ仲間でも容赦しない。穏やかな神風の激しい面を目の当たりにして、白鳳は感激で身震いした。自分への罵りであれば、いかなる侮辱を受けても、DEATH夫へ怒りを露わにするシーンはなかった。近くにいすぎて、忠義をごく自然に受け止めていたが、これまでの言動をリピートしつつ、白鳳は双眸を輝かせてときめいた。
(実際、神風以上に私を想ってくれたオトコがいたかなあv)
いや、どこにもいやしない。ターゲットを追い掛けて玉砕するのが、暴れうしの常なのだ。毎度痛い目に遇っているからこそ、自分を護り続ける神風の誠意が一層身に染みる。DEATH夫に挑む神風の勇姿を描き、愛の世界へトリップする白鳳だったが、楽しい妄想は長続きしなかった。
「はくほー、何ぼんやりしてるんだよう」
「・・・・あっ、ご、ゴメン」
白日夢に酔いしれる白鳳を、ハチの呼びかけが現実へ引き戻した。虚空を見遣り、眼にいくつもの星を浮かべた姿はまるっきり場違いだし、かなり不気味だ。
「・・・いかがなさいました・・・・あらぬ方向をご覧になって・・・・」
「そんなに深刻な内容だったのか」
「きゅるり〜っ」
妙な反応に首を捻る一同へ、白鳳は緩みかけた表情を引き締めて返した。
「ううん、何でもないよ。で、フローズンはどうだった?」
「・・・・結局、子細は分からずじまいで・・・・」
「そう」
「・・・・私の力不足です・・・・申し訳ございません・・・・」
「フローズンのせいじゃないって。DEATH夫は元々無口だし、ひょっとしたら、事情を把握しかねてるんじゃないかな」
責任を感じてうなだれるフローズンへ、白鳳は優しく言いかけた。神風が告げた経緯を寡黙なDEATH夫から聞き出せるはずがない。思えば、フローズンには酷な役目を負わせてしまった。仲間たちもDEATH夫の性格を熟知しているだけに、フローズンを咎める者はいなかった。
「ねえねえ、神風からは話を聞けたのっ?」
「それなりには」
まじしゃんに尋ねられ、白鳳はにこやかに切り返した。
「いったい、何が原因だったんだ」
「悪いけど、神風と約束したから、皆には話せないや」
一応、”絶対言わない”と誓って、教えてもらったのだ。いくら口の軽い白鳳でも、いきなりオープンにするのは抵抗がある。けれども、ふたりのやり取りを知らないメンバーは、主人に解説を断られ、怪訝そうに顔を見合わせた。
「えっ」
「どうしてだようっ」
「きゅるり〜」
「理由が分からければ、解決策も相談しようがない」
「・・・・おひとりで抱え込まなくてもよろしいのに・・・・」
思わぬ拒絶に、異議を唱えた従者たちを真っ直ぐ見つめながら、白鳳は力強く宣言した。
「今回の件に関しては、私に一任してくれない」
だが、無論、男の子モンスターの賛同は得られなかった。誰もが神風とDEATH夫の不仲に悩んでいる。彼らの関係こそ、充実したパーティーのただ一つの泣き所だった。
「無茶ですっ、白鳳さま」
「うむ、ふたりを仲裁するのは並大抵のことではないぞ」
「・・・・数年間、ずっと燻っているのです・・・・」
「オレだって手伝いしたいかんな」
「きゅるり〜」
「本当にありがとう。でも、マスターとして、この諍いは自力で収めなければならないんだ」
「「「・・・・・・・・・・」」」
いつになく静かに、且つ毅然とした様子で言われ、お供たちは沈黙せざるを得なかった。日頃はいい加減に見えて、一旦、こうと決めたらてこでも動かない、主人の頑固さをよく知り尽くしていたから。
洗った食器を返却するため、居間から出た白鳳を、小刻みな足音が追い掛けて来た。頭だけ振り向いた白鳳の目に、雪ん子の可憐な姿が映った。
「・・・・白鳳さま・・・・」
「おや、フローズン、どうしたんだい」
「・・・・あの・・・・断片的にでも過程を話していただくわけにはまいりませんか・・・・」
従順で控え目なフローズンが、主人の決定に食い下がるのは極めて稀だ。当事者の片割れの親友として、白鳳に任せきりには出来ないのだろう。あるいは、DEATH夫が暗示したヒントの、足りない部分を埋めようと考えたのかもしれない。
「う〜ん、困ったなあ」
「・・・・決して、他言はいたしません・・・・」
秘密への保証を付け加えると、フローズンは祈るごとき眼差しを白鳳に投げかけた。フロ−ズンの口の堅さは信頼しているが、神風との約束を反故には出来ない。かと言って、DEATH夫側の反応が一切伝わって来ないのも痛い。口付け絡みの件はともかく、将来は彼らの関係改善を目指すべきで、仲間の多大な協力はもっとも重要なファクターだ。あれこれ悩んだ末、白鳳は折衷策を採ることにした。
「ちょっとついて来て」
白鳳は食器を抱えたまま、フローズンを連れ、宿の屋上まで移動した。しまい忘れたシーツが、夜風にバタバタはためいている。月明かりの下、白鳳はフローズンと向かい合い、視線をゆるりと交差させた。
「・・・・白鳳さま・・・・」
「神風に約した手前、詳しくは語れないけど、全ては私の軽はずみな言動がいけなかったんだ」
「・・・・え・・・・」
「こないだDEATH夫と一緒に、魔物退治へ行ったよね。その時の僥倖を、私が当てつけがましく神風に自慢したから」
「・・・・ああ、それで・・・・」
「さすがフローズン。大体のことは察したみたいだね」
白鳳の言葉が終わらないうち、小さな頭がこっくり沈められた。他の連中相手では一から十まで語らなくてはならないが、色恋沙汰にも長けたフローズンは、わずかなコメントで全容を悟ったようだ。もっとも、DEATH夫から得たなにがしかの情報が、彼の理解の土台となったのは間違いなかろう。
「・・・・白鳳さま、DEATH夫は神風の真意を計りかねております・・・・」
「そうだろうねえ」
DEATH夫からすれば、白鳳に褒美を与えて、なぜ神風が怒るのか、100万回説明されても分かるまい。
「・・・・ですが、余計な発言をしてしまったと呟いておりました・・・・」
「へええ、ちょっぴり意外」
フローズンの見解では、今回の件も含め、DEATH夫は対神風について、己に非がないとは思ってないという。正直、初対面の頃からは考えられない朗報だ。白鳳や仲間との触れ合いを経て、DEATH夫の心境も着実に変化しているらしい。
「・・・・白鳳さまを見直した現在では、彼の神風への反感は薄らいでおります・・・・。・・・・良いきっかけさえあれば、お互い認め合えると思うのですが・・・・」
「きっかけかあ。言葉で言うより、遙かに難題だよねえ。仮に、我々がお膳立てしたところで、乗ってくれそうにないし」
DEATH夫はもちろん、神風にも案外、頑固で融通が利かない面がある。他者に勧められるのではなく、自ら納得しない限り、昨日の敵を決して受け容れまい。
「・・・・まだまだ時間がかかりそうですね・・・・」
「今更焦っても仕方ないって。皆の知恵も借りつつ、少しでも前進するよう頑張るよ」
不安を滲ませるフローズンへ、白鳳は両の口角を上げて微笑みかけた。主人の前向きな姿勢に、フローズンの強ばった面持ちが和らいだ。
「・・・・私たちも精一杯助力いたします・・・・」
「ありがとう、フローズン。皆にも神風のことだけぼかして、それとなく伝えておいてよ」
「・・・・かしこまいりました・・・・」
最後に軽く会釈すると、フローズンは部屋へ戻って行った。ひとり残された白鳳は、指先で銀の糸をかき上げながら、満天の星を仰ぎ見た。長い間に縺れた糸は、手間暇かけて、丁寧にほぐして行くしかない。肩の力を抜いて、じっくり取り組もう。
(フローズンの話が本当なら、事態は好転しているんだもん)
DEATH夫の心の成長は、白鳳や仲間の努力の賜物ではあるが、神風への悪意が和らぎつつあるのは、嬉しい誤算だ。解決を急がず、一歩一歩前へ歩んで行こう。具体的なきっかけこそ作れなくても、共同作業の機会を増やすことは出来る。ふたりきりに懸念があれば、ハチをクッション代わりにしてもいい。
(どうか、神風とDEATH夫のわだかまりが解けますように)
てっぺんで一際煌めく星へ願いをかけ、そそくさと屋上を後にする白鳳だった。
FIN
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