橙色の大きな夕陽を背に、海からの緩い風を浴びながら、白鳳は港に佇んで、到着した客船の周囲を眺めていた。行く人来る人。見送る人迎える人。皆、それぞれの表情を露わにして、気持ちのキャッチボールをしている。でも、自分には行く場所も帰る場所もないから、送る人も迎える人もいない。
「スイ、いっそのことあの船に乗ってしまおうか」
ずっとひとりで当てのない旅を続けて来た。だからどこに行こうが常にエトランゼだった。あのテントはそんな自分に初めて与えられた羽根を休める場所だったのに。
(遅いなあ)
あれからすでに3時間以上経っている。アジトのある場所から港までは、普通に歩いても1時間足らずで到着するはずだ。
(まさか、来ないなんてことは)
ない、と思いたい。自分みたいなはぐれ者を放っておけない優しい人だから。自分は彼のそういう部分につけ込んだのだ。己について何一つ話さなくても、些細なことは気にせず、辛いときや疲れたときだけ、この身を委ね、ゆっくり休ませてくれる人。そんな一方的な結びつきだから、単に都合のいい男として利用していると思われても仕方ない。いくら大らかな性格でもその事実に気付いて、嫌気が差してしまったのだろうか。
(いい潮時だったのかな)
弟のことが何ら解決してないのに、寄り道ばかりしていた自らへの戒めかもしれない。だけど、どうしても諦めることが出来ず、白鳳はなおも道の彼方に目を凝らしていた。
(あんな男、全然好みじゃないのに)
なのに、こういう形で別れることになると思うと、胸がきゅんと締め付けられる。こちらの事情を何ひとつ詮索しないまま、黙って全てを受け容れ、温かく包み込んでくれる相手には、もう二度と会えないだろう。不意に目の前がほんのりぼやけてきた。が。
(あ)
狭い間道の向こうからアックスの巨体が朧気に見えてきた。本当はすぐにでも駆け寄りたかったが、勿体付けて、体勢も変えずに相手の到着を待った。
「おう、まだいたか」
ひょっとしたら、怒りに任せて船に乗ってしまったかもと危惧していたのだ。
「遅い」
ちらりと一瞥しただけで、あとは視線も合わせず、白鳳は低い声で言った。
「す、済まねえ」
道中で持病に苦しむ病人の介抱をしたり、お年寄りの荷物を運んだりと、いろいろアクシデントはあったものの、アックスは全く言い訳せず素直に頭を下げた。これはあくまでこっちの事情で白鳳を待たせたことには変わりがない。
「本当に戻ってもらいたかったら、港に着く前に追いつくくらいじゃないとお話になりませんね」
口調が露骨に刺々しいし、眼差しも目一杯冷ややかだ。けれども、その怒りは先程の争いではなく、なかなか迎えに来なかったことに向けられているに相違ない。ならば、この先の対処でどうにでもなる。とにかく、ここはプライドを捨てて下手に出るしかない。
「なあ、いい加減機嫌を直せよ」
「嫌です」
「そう言うな。俺も言い過ぎた」
「”も”じゃないでしょう。悪いのは全部貴方です」
「・・・・・・・・・・・・・」
男たるもの、この程度のことで怒ってはならない。相手の理不尽なワガママも笑って受け流せるようでなくては、こいつとは付き合っていけないのだ。
「ホントに悪いと思ってるんですか」
「・・・・・ま、まあな・・・・・」
「じゃあ、ここで土下座のひとつもして下さい」
な、何ぃ~、ふざけんなっ、とのどの上までせり上がってきたが、唇を噛みしめてぐっとこらえると、渋々その足元へ跪いて頭を下げた。
「イテッ!!」
白鳳はご丁寧に脳天を思い切り踏んづけてきた。全くどこまで性悪なんだ。履いているのがピンヒールじゃなくてまだ良かった。それにしても、こいつと出会ってから、俺も随分、我慢強くなったものだ。
「・・・・・・・・・」
「これで気が済んだか」
顔をあげたアックスを白鳳が真っ直ぐに見つめてきた。その紅の双眸から放たれた光に負けじと、目に力を込めてじっと見つめ返した。無言のまま熱く視線を絡め合うふたり。少し強めの風が白金の髪を柔らかくなびかせる。乱れた前髪を整えながら、少し目を細めると、白鳳は囁くように言いかけてきた。
「・・・・・戻ったら、大きなプリンを作ってくれますか?」
「ああ、お安い御用だ」
「なら、今回だけは許してあげます」
相手が整った口元を綻ばせたので、アックスもほっと安堵の息を吐いた。
「そうか」
言い終わらないうちに、いきなりしがみつかれて、アックスは慌てふためいた。振り解く間もなく、その逞しい胸に顔を埋めたまま、白鳳がポツリと呟いた。
「良かった」
背に回されたしなやかな腕にぎゅっと力が籠もる。ああ、こいつはこいつなりに不安と戦いながら待っていたのだ。そう考えると、なんだかいじらしくなって、ふと抱きしめてやりたくなった。相手が男だと思うとなかなか踏ん切りが付かなかったが、いや、この抱擁は断じていかがわしい意味じゃない、と己に言い聞かせて、スイに気を配りつつ、細い身体を丸ごと包み込んでやった。
「でも、今度はもっと早く迎えに来て下さいね」
いかにも嬉しげについと顔をあげると、白鳳は蠱惑的な表情を滲ませながら、一言告げた。
「・・・・・お、おう・・・・・」
こんなことが何度もあってはたまらないと思ったけれども、アックスはその頭を優しく撫でてやった。しばしの後、名残惜しげに離れるふたつのシルエット。すでに陽はほとんど沈みかけている。
「ほら、帰るぞ」
「帰る?」
「俺たちのテントに帰るぞ」
照れ隠しなのか、顔だけそっぽを向いているものの、心に響く優しく大らかな声。その”たち”に自分は入っているのかいないのか。それでも、なんとなく初めて帰る場所が出来たような気がして、こくりと頷くと、白鳳はアックスの丸太のような腕に自らのそれを絡めた。
「よし、野郎ども喰らえ」
いつもの号令と共に、ナタブーム盗賊団の明るく活気ある夕食が始まった。白鳳お手製のボルシチとシーザーサラダ、アックス特製のプリン、さらに下見のついでに街から掻っ払ってきたパンやミルクが所狭しと並ぶ食卓。もちろん白鳳の前に置かれたプリンは皆のそれより二回りくらい大きい。
「姐さんの料理は世界一っすー」
「親分のプリンも世界一っすー」
「おいら幸せっすー」
「おいらもー」
「おいらもー」
口の周りを食べかすだらけにして、満面の笑みを湛えながら、自分たちの幸福感を素直に形にする子分たち。その言葉を受けて、白鳳は軽く頬杖をついたまま、傍らのアックスににっこり笑いかけた。その肘のあたりでスイが楽しげに戯れている。
「ふふっ、私も幸せv」
「・・・そ、そうかよ・・・」
ポリポリ頭を掻いていると、たおやかな手がワイングラスを差し出してきた。無骨な空間にはそぐわない小洒落た造りのグラスに注がれた薄いクリーム色の液体。なんでも”白鳳”という桃で作られたワインだという。
「さ、親分さん、乾杯しましょう」
「・・・・・あ、ああ」
甘い声で促され、躊躇いながらもそっとグラスを合わせる。キンと冴えた音が耳元まで透き通って響いた。
「今夜もたくさんいいことしましょうねvv」
「ば、バカ言ってんじゃねえ、こんなところで」
「ボクちゃんたちは食事に夢中で聞いちゃいませんよ」
ところが、ふたりの意味深な会話をしっかり聞いていた子分がいた。
「いいことって何っすかー」
唐突に問いかけられ、アックスの肩先がビクッと跳ね上がった。
「お、おめえたちは知らねえでいいっ!!」
「教えてあげようか、ふふふ」
「だーっ、てめえは余計なこと言うんじゃねえっ!!」
「いずれ知るなら、早いうちのほうがいいのに」
どんなに怒っても睨んでも、白鳳はどこ吹く風で受け流すだけ。やれやれとため息のひとつもつきたくなるアックスだったが、その息を思わず飲み込む衝撃の発言が控えていた。
「おいら、知ってるぞー」
「!!」
緑のバンダナの子分が胸を張ってこんな風に切り出したので、大丈夫と心で繰り返しながらも、アックスはそわそわと次の発言を待った。
「親分と姐さん、こないだちゅーしてた」
「ぶはっ!!」
あまりのことに飲みかけたワインを派手に吹きだしてしまった。全く油断も隙もない。まさか子分にそんなシーンを見られていたとは。
「あ~、もうっ、汚いなあ!!」
白鳳は口を尖らせながら、アックスが吐き出したワインを手元の雑巾で拭き始めた。
「おめえは今のが聞こえなかったのかっ!!」
「いいじゃありませんか、キスくらい。どうせ先のことなんて知らないんですから」
その言葉通り、子分連中はすでに”ちゅー”で盛り上がっていた。彼らの”いいこと”に対する認識がキス止まりで、不幸中の幸いというべきかもしれない。
「そうか、ちゅーがいいことだったのか」
「なるほどー」
「たしかにいいことだなー」
「いいなー、ふたりでちゅーしてて」
子分たちのやり取りだけなら、微笑ましささえ感じる会話で済んだものを、そこに事態を引っ掻き回す悪魔が加わってきた。
「ふふ、良かったら、ボクちゃんたちにもしてあげようか」
「えー、ほんとっすか」
「いいよ、別に減るもんじゃなし」
「わーい、姐さんがちゅーしてくれるってさ」
「ホントかー」
「おいらは親分のほうがいいけど」
「んでも、姐さんも美人だからいいよなー」
「親分にはまた今度してもらおうぜー」
食事を中断して、わらわらと白鳳の周りに群がる子分たち。押し寄せる人波に、スイは驚いて身を固くしている。
「じゃあ、ここに順番に並んで」
ちょっぴり照れながらも、一同は言いつけに従って規則正しく並んだ。先頭に陣取った赤バンダナの子分のまんまるほっぺに白鳳の長い指が添えられた。唇が少しずつ近づいていく。
「よせっ!!」
ふたりの間を引き裂くようにアックスが割って入った。
「おや、妬いてるんですか」
「だ、誰が妬くかっ!!」
「だったら、キスくらい構わないでしょう、」
「ダメだダメだダメだっ!!」
アックスがここまでムキになって止めるのは、白鳳がキスくらいで済むヤツじゃないと知り尽くしているからだ。いくら子分相手とはいえ、興が乗れば何をしでかすか分からない。いや、実のところ、ほんのちょっぴりだけ妬いているのかもしれないが。
「ふふっ、親分さんってば、焼き餅なんて本当に可愛いんだからvv」
「てめえは自分に都合のいい解釈ばっかすんじゃねえっ!!!!!」
一服盛られて無理やり陵辱された野郎に、主人面でアジトに入り浸られ、どこぞの男を引っ張り込まれ、ちょっと怒れば拗ねて出て行くし、連れ戻しに行っても偉そうに土下座を要求するし、戻ったところで反省の色もなく、相変わらず女王様気取り。客観的に見たら、涙を禁じ得ない悲惨な状況だ。それでも現状を憂うどころか、捨てたものじゃないと感じている自分は、我ながら心底おめでたいヤツだと呆れ、アックスはただただ苦笑するばかりだった。
COMING SOOM NEXT BATTLE?