*天国とアリ地獄*
空の一番高いところから、陽光がさんさんと降り注ぐ昼下がり。麻布のテントの上でペナントが風にたゆとう。耳をすませば、きっと甲高いはしゃぎ声が聞こえてくるはずだ。
「親分、親分、まだっすか〜」
「おいら、もうお腹ぺこぺこだよう」
「早くメシ食いたいっす」
芳醇なチーズと白ワインの香りが、決して広くない空間に充満する。今日の昼食はアックス特製チーズフォンデュ。一口大に切ったパンを乗せた大皿と、芋や人参等の野菜を乗せた小皿に囲まれた土鍋の中では、滑らかにとろけたチーズが様々な具の来訪を待ち構えている。空腹に耐えかねたバンダナ連中は、チーズを焦がさないよう丹念にかき混ぜる親分の周りで、落ち着きなくわらわら動いた。
「じゃあ、全員、席につけ」
「あいあいさー!!」
子分たちがベンチ状の椅子に座ったのを確認すると、アックスは仕上げのレモン汁を振り入れながら、腹の底から声を張り上げた。
「よ〜し、野郎どもっ」
ところが、号令が終わらないうちに出入り口の布がバサッと押し上げられた。
「うおっ、な、何だっ!?」
「おやぶ〜ん、誰か来たっすよ〜」
「おいらたちの昼飯の邪魔をするなよう」
まさか、パトロール中の警備隊じゃないだろうな。だとしても、この国ではまだ何の悪さもしていない。どう問い詰められようが、しらを切り通せば済むことだ。切り返しの言葉を考えつつ、鍋をかき混ぜ続けるアックスだったが、相手はそんな生易しいものではなかった。
「親分さん、こんにちは」
「きゅるり〜」
「げえっ!!」
姿を現したのは肩に小動物を乗せた銀髪の悪魔だった。華やかな美貌には豪奢なショールがよく似合う。けれども、こいつに踏み込まれるくらいなら、本物の魔物の方がよっぽど良かった。穏やかなランチタイムをぶち壊す闖入者に、アックスはひとり愕然としていたが、悲しいかな、親分の心子分知らずで、真ん丸ほっぺの集団は喜びの笑顔と共に、紅いチャイナ服を取り囲んだ。
「なあんだ、姐さんだったっすか」
「姐さん、いらっしゃいっす」
「会えて嬉しいっす」
「ふふ、ボクちゃんたち、元気にしてたかい」
衝撃のあまりアックスが硬直している隙に、白鳳は自分の同行者もテント内に招き入れた。紺袴の従者、可憐な雪ん子、逞しい好漢、可愛い魔導師、黒ずくめの死神、ひょうきんな虫と見慣れた顔が次々登場する。いきなり押し掛けたくせに、我がもの顔に振る舞う主人の後ろで、神風とオーディンが申し訳なさそうに頭を下げた。フローズンは仄かに笑みを浮かべ、ハチとまじしゃんは明るく手を振っている。DEATH夫だけは盗賊団など存在しないかのごとく知らんぷりだった。
「ほらほら、こまめに混ぜないと、チーズが焦げ付いてしまいますよ」
白鳳は大鍋の真ん前までやって来ると、固まったままのアックスの手からしゃもじを取り上げ、鍋底をさらうように大きく混ぜた。そして、絡まったチーズを指先に取り、ぺろりと味見をした。
「おや、貴方にしては上出来ですね。チーズの質が良いんでしょう」
「白鳳さま、親分さんたちも手を付けていないのに、図々しいにも程があります」
「きゅるり〜」
度を越した傍若無人ぶりを見かねた神風が、お行儀の悪い主人をたしなめたものの、白鳳はまるっきりお構いなしで、フォークに差したアスパラガスを鍋に入れる。
「なら、皆で一緒に食べればいいじゃないか」
一見友好的に感じるが、実のところ、果てしなく自己中な提案だ。が、無邪気な年少組は素直に目を輝かせた。
「おおおっ、オレたちも食えるんだな−」
「わ〜い、さっきからお腹ぺこぺこだったんだっ」
まじしゃんとハチは動きも軽やかに、フォークを掲げる子分連中の間に腰を降ろした。すっかり顔見知りになった気安さで、赤バンダナのひとりがまじしゃんにはフォークを、ハチには爪楊枝を手渡した。
「お前らもこれ使え」
「ありがとうっ」
「ありがとな」
「さ、遠慮しないでどんどんお食べよ」
「あいあいさー!!」
姐さんの指示に従い、賑やかな昼食が開始された。さすがに神風たちはアックスの許可もなくフォンデュ鍋に参加出来ず、やや離れた場所で佇んでいたが、子供たちはわーわーぎゃーぎゃー大騒ぎだ。四方八方から飛んでくる歓声でようやく我に返ったアックスは、白鳳が鍋奉行よろしく場を取り仕切っているのに気付き、怒りと苛立ちの全てを込めた大音声で怒鳴った。
「ふざけんなっ、これはオレたちの昼飯だ!!てめえらにご馳走してやるいわれはねえっ!!」
「何を今更。貴方のものは私のもの。私のものは私のものなんですよ」
「きゅるり〜」
「こ、この腐れ××野郎っ。。」
良心のりの字も感じられない台詞を耳にして、アックスは今にも暴発寸前だ。ぎゅっと握り締めた両の拳がワナワナ震えている。目に力を込め、端麗な面を睨み付けるアックスだったが、不意にまじしゃんとハチに声をかけられた。
「親分さんがこしらえた料理はいつも美味しいなあっ」
「オレ、おやびん大好きだぞー」
屈託ない笑みを浮かべた口元に、チーズがべったり貼りついている。
「そ、そうか、ありがとよ」
白鳳は心底憎らしいし、パン一欠片も与えなくないが、お供のモンスターには罪はないし、むしろ悪魔の被害者だ。それに、元々人が良いだけに、懐っこくされると邪険に応対しかねた。年少組への大らかな受け答えから、アックスの腹立ちが微妙に柔らいだ事実を、目ざとい白鳳は見逃さなかった。すかさず律儀に待機する従者たちを手招きした。
「神風たちも早く来ないとなくなっちゃうよ」
「本当にいいんですか」
4色バンダナと同化して、野菜やパンにパクつくまじしゃんたちを横目で見ながら、神風はなお遠慮がちにアックスへ問いかけた。
「来ちまったものは仕方ねえだろが」
視線を合わせぬまま、アックスは人数分のフォークを差し出した。男の子モンスターに冷淡な態度は取れないと、白鳳には完全に見透かされている。またもや悪魔の思い通りに操られたことを悟り、アックスはがっくり肩を落とした。
「いつも済みません、親分さん」
「・・・・いただきます・・・・」
「かたじけない」
ひとり微動だにしなかったDEATH夫もフローズンに促され、渋々ベンチの端に座った。大切な従者たちが無事、食事にありついたのを見届け、白鳳はチーズを絡めたパンをおっとり口に運んだ。
「そうそう、今夜は我々一同ここへ泊めてもらいますからよろしくv」
「なっ、なっ、何ぃぃぃぃぃ!?」
天気の話でもするように、追い打ちをかける内容を告げられ、アックスは数秒意識が遠のき、水面の金魚よろしく口をばくぱくさせるのが精一杯だった。
しばし放心状態が続いたアックスだが、抜けかけた魂を慌てて呼び戻し、どうにか体勢を立て直した。徹底抗戦だ。これ以上、××野郎の好き勝手にさせてなるものか。
「食事をたかっただけでは飽き足らず、泊まるだとぉ!?いい加減にしやがれっっ!!」
「我々は山向こうの貿易国へ行く途中ですから、ここはひと息付くのに打ってつけなんですよ」
身を乗り出して喚き散らすアックスに醒めた視線を流し、白鳳は己の事情のみを淡々と語った。無論、神聖なアジトを中継点代わりにされたアックスは収まらない。
「バカも休み休み言えっ!!ナタブーム盗賊団のアジトを、よそ者に貸してやる義理はねえっ!!」
感情に任せて、罵詈雑言を発したが、敵は最凶の悪魔である。屁理屈で力業に出る場面も、××ネタの脅しをかけて来る場面も容易に頭に浮かぶ。嫌な予感を振り切りながら、アックスは固唾を飲んで次の言葉を待っていたが、白鳳は直前までの傲慢な態度が嘘みたいに、いきなり瞳を伏せ、胸元にしなだれかかって来た。微かに揺れる長い睫毛に視線が釘付けになる。
「実は・・・路銀が足りなくなって」
儚げに潤んだ瞳と弱々しい掠れ声に、沸点寸前だったアックスの怒りの温度は一気に低下した。女王様気取りで闊歩されると迎え撃つ気にもなるが、憂い顔でうなだれた姿を見ると、妙に背中がこそばゆく、別の意味で平静ではいられない。
「また無駄遣いでもしたんじゃねえのか」
「レア種でもないのに、目当てのモンスターがなかなか現れなくて、つい長居する羽目になったんです」
「なるほどな」
白鳳の男の子モンスター捕獲に秘された重大な目的。本人から直に話を聞かずとも、今のアックスは複雑な裏事情の存在を確信していた。全種族コンプリートなんて、考えただけで気が遠くなる話だ。日頃は享楽的に振る舞って、強がっていても、内心、不安に押し潰されそうなのではないか。いろいろ考え出すと止まらなくなる。
「迷惑だと分かっていても、親分さんが近くにいると思うと、つい頼ってしまうんですよね」
「けっ、柄でもないこと言いやがって」
真紅の虹彩で熱く見つめられると、なぜか白鳳の顔をまともに見ていられなくなった。しおらしい演技にほだされ、さんざん痛い目に遭って来たにもかかわらず、気の良いアックスは性懲りもなく相手の術中にはまっていた。白鳳一行が難儀しているのなら、ささやかながら、力になってやりたい。
「一晩でよけりゃあ、泊めてやらねえこともねえぜ」
「嬉しい、親分さんありがとうv」
「れ、礼なんてよしやがれ」
柔らかな笑みを送られ、不覚にも胸の鼓動が鳴り響き始めた。こんな状況を悟られてはならじと、不自然に横を向いたアックスの二の腕あたりに、口をもごもごさせたハチが飛んで来た。
「おやび〜ん、プリンはないのかよう」
バンダナ軍団に負けないくらい、ハチはアックス特製プリンがお気に入りなのだ。照れと戸惑いでいたたまれない気分になっていただけに、遠慮会釈ない申し出も天の助けと受け取り、アックスは快諾した。
「よし、3時のおやつに作ってやらあ」
「おおおっ、やた〜♪」
希望が叶ってお調子に乗ったハチは、主人がもっとも口にして欲しくないことを、浮かれポンチで語りだした。
「へへっ、明日は超豪華なリゾートホテルでご馳走食べ放題だし、オレ果報者だよなー」
「げっ」
「なっ」
揃ってハチを注目した途端、白鳳とアックスの視線が交差した。彼らの間に気まずい空気がどんより漂う。紅唇が語った理由とまるっきり辻褄が合わないではないか。路銀が無ければ、リゾートホテルへ宿泊出来るわけがない。口が軽いへっぽこ者には当然、制裁が待ち受けていた。
「すっ込んでろ、虫」
「あてっ」
白鳳の強烈なビンタで地べたに墜落したハチの首根っこを、アックスの太い指がむんずと摘んだ。
「おい、ちび助」
「何だよう。オレ、ちび助じゃなくてハチだぞ」
「特大のプリンを作ってやっから、もうちっと詳しく聞かせてもらおうじゃねえか」
”特大”の神通力で、どんぐり眼にいくつもの星が輝いた。この交換条件を突っぱねるなんて、ハチには不可能だ。口うるさい従者たちが食事を楽しんでいる今こそ、千載一遇のチャンスだったのに。忌々しそうに舌打ちする白鳳を尻目に、ハチはにんまり笑って説明を開始した。
「あのな、おやびんの小汚いテントで一晩我慢すれば、浮いたお金で高級ホテルに泊まれるんだって」
「ほう」
全部、納得が行った。白鳳は最初から経費節約のため、盗賊団を利用する魂胆だったのだ。またしても猿芝居に騙されかけた愚かな脳天をぶん殴ってやりたい。
「よく話してくれたな、ちび助。おやつを楽しみに待ってろ」
「おうっ、待ってるかんなー」
己の証言が新たな嵐を呼ぶとは夢にも思わず、ハチはバンダナ連中に囲まれた仲間たちのところへ戻って行った。
アックスは目を三角にすると、改めて白鳳を睨み付けた。限界を超えた怒りでこめかみに怒張が浮いている。
「よくも嘘八百並べ立てやがってっ!!誰がてめえらなんぞ泊めてやるかっ」
悪の企みが露見した白鳳だが、反省の色もなく、褐色の大男を睥睨するように見た。
「一旦、口にしたことを翻すなんてオトコらしくない」
「うっせー、食事が終わったら、お付きを連れて、とっととテントから出ていけっ!!!!!」
テントが吹っ飛ぶほどの野太い叫びに、まろやかなチーズを味わっていた一同も、白鳳とアックスのただならぬ状況を察した。もっとも、決して珍しい出来事ではないので、男の子モンスターも子分たちもすぐには動かず、フォーク片手に遠目で経緯を見守っている。
「下僕の分際で逆らうのなら、腕ずくで言うことを聞かせるまでです」
「誰が下僕だっ!!今日こそぺしゃんこに叩きのめしてやらあ、腐れ××野郎っ!!」
ガタンと派手な音を立て、ふたりが闘気と険悪な雰囲気を振りまいて、立ち上がったので、DEATH夫以外の従者と4色バンダナは、大慌てで仲裁に入った。黒いシルエットだけが揉める主人たちを一瞥もせず、マイペースで食事を続けている。
「止めて下さい、白鳳さま」
「・・・・余所さまへお邪魔して、争い事はいけません・・・・」
「きゅるり〜」
「おやぶ〜ん、ケンカしないで下さいっす」
「親分も姐さんもこっちへ来て、一緒にメシ食うっす」
「せっかく久々に会ったんだから、仲良くしようよっ」
「うむ、その通りだ。争ったって仕方ない」
ここで締めくくっていれば、少しは事態が好転したかもしれないのに、ハチが蛇足よりもひどい一言を付け加えた。
「そーだ、そーだ、どうせおやびんが負けるんだかんな」
虫の戯言として聞き流すには、あまりにも指摘が的を射過ぎていた。
「な、何だとぉっ!!」
頭に血が上ったアックスは、ハチ目掛けて大人げなく鉈を振り下ろした。しかし、DEATH夫と白鳳の厳しい技で鍛えられたハチには、力任せの攻撃も生温いスローモーションにしか見えなかった。
「おっとっと」
「ば、バカなっ」
渾身の一撃を余裕たっぷりにかわされ、アックスは呆然と立ち尽くした。その傷口に塩を塗り込むごとく、形の良い唇からせせら笑いが奏でられた。
「うっふっふ、分かったでしょう?貴方の実力はハチ以下なんですよ。よくもまあ私を叩きのめすなんて、大口が叩けるものですねえ」
「くううっ」
身を掻きむしるくらい悔しいけれど、白鳳の意見は正しい。戦闘要員外のハチにあしらわれるようでは、最初からヤツとまともに闘えるはずがない。それでも1対1で対峙していたら、玉砕覚悟で突っ込んだだろうが、可愛い子分連中の目の前で一方的に叩きのめされる様は見せられない。時には撤退する勇気も必要だ。
「ちっ、面白くねえっっ」
吐き捨てるやいなや鉈を収めると、アックスはいきなりくるんと踵を返した。
「どこへ行くんですか、親分さん」
「仕事の下見に街まで行くんだよっ」
出口まで大股で歩を進めると、乱暴に布をまくり上げた。バンダナ軍団が眉を一様に八の字にして、不安げに褐色の巨体を見上げている。
「昼飯はどうするっすか」
「親分がいないとつまらないっす」
「おいらたちも一緒に行くっすー」
「ダメだダメだ、おめえらは留守番してろ。絶対、付いて来んじゃねえぞ」
「で、でもぉ。。」
アックスにぴしゃりと拒絶され、涙目になった真ん丸ほっぺを掠め、ハチが真っ青な顔であたふたと追いすがった。
「待っちくりっ、オレの特大プリンはどうなるんだようっ」
「知るかっ」
「げげ〜ん!!」
食いしん坊の夢と希望を0.5秒でうち砕き、アックスは頭から湯気を吹き出さんばかりの勢いでテントを立ち去った。付いて来るなと命じられた以上、子分に出来るのは後ろ姿を見送ることだけだ。
「あああ、おやぶ〜ん」
「戻ってきて下さいっすー」
「おやぶ〜ん、カムバック〜」
悪辣な白鳳のみならず、不甲斐ない自分も腹に据えかねたのだろう。日頃のアックスとは異なり、親分を求める悲痛な叫びに振り返りもしない。
「うえ〜、あんまりだ〜っっ!!」
「やれやれ、全くワガママな人ですねえ」
約束を反故にされ、大泣きするハチの頭を撫でながら、白鳳が心底、呆れ果てた風に呟いたので、従者たちの方があっけに取られた。
「信じられないが、本気で言ってるようだ」
「・・・・白鳳さまだけには指摘されたくないでしょうに・・・・」
「きゅるり〜」
そもそも白鳳が路銀を浮かせるため、一方的に搾取を企てたのが原因なのに、己の行いを棚に上げまくるにも程がある。快くチーズフォンデュを食べさせたのが仇となり、親分との和やかな時間を台無しにされ、しょんぼりしているオーバーオールの集団を親身になって慰めるまじしゃん。そんな光景を不憫に感じたのか、神風が主人に切り出した。
「親分さんを連れ戻さなくて良いんですか」
「勝手に出て行ったんだから、私の知ったことじゃないもん」
以前は大喧嘩のあげく白鳳が飛び出して、アックスがやむなく探しに行く展開だったのだが、もはや完全に立場が逆転している。
「でも、相当頭に来ていたみたいですし、激情のまま無謀な行動に出ないとも限りません」
「無謀な行動って?」
「たとえば・・・歓楽街へ遊びに行って、鬱憤を晴らすとか」
「大丈夫、あのオトコにそこまでの甲斐性はないない」
尖った顎をくいと突き出すと、はっきりきっぱり言い切った。根っから単純な分かり易い性格だし、出会ってから少なからぬ年月を経た今、アックスの思考パターンなど全てお見通しだ。そもそも白鳳以外の相手では役立たずなくせに、どの面下げて娼館へ乗り込めるものか。だが、聡明な男の子モンスターたちはアックスの本質を見抜きつつも、別の危険性に思いが至ったようだ。
「・・・・甲斐性なしゆえに、かえって危ないのではございませんか・・・・」
「うむ、本人にその気がなくても、しつこい呼び込みに無理やり押し切られる場合があるぞ」
「外見に似合わず、押しにも情にも弱くて、騙されやすいタイプですし」
「ふむ」
彼らの意見も確かに一理ある。無論、アックスが誰と寝ようが、それ自体に抵抗はないけれど、まだ自己決定権が残されていると思ったら大間違いだ。下僕に自由意思などこれっぽちもない。とっとと己の身分を受け容れて、潔く観念すれば可愛いのに。
「じゃあ、どうあがこうと私の掌から逃げ出せない下僕だと、改めて思い知らせてやらなきゃね、ふふふふふ」
「きゅるり〜」
口では下僕扱いしていても、アックスに構っている時はいつも溌剌として楽しそうだ。浮き浮きと算段する様子を眺め遣り、従者たちはお互い顔を見合わせ、仄かに目を細めた。
煮えたぎった感情を冷ますには、時間の経過が最大の味方だ。テントを出奔した当初は怒りで我を失ったアックスも、繁華街へ近づくにつれ、冷静な判断力を取り戻して来た。
(ったく、後先考えずに行動すっと、ロクなこたあねえな)
自らのアジトに居づらくなり、逃げ出したなんて、悪趣味な冗談にもならない。子分連中の制止を振り切ってまで、下見を急ぐ必要がどこにあったのだろう。純粋に慕ってくれるヤツらに対し、突き放した態度を取ってしまったことが心苦しい。捨てられた子犬のような呼び声がまだ頭に残る。
(ん?)
脳内でリフレインされるキンキン声に、違和感のある低音が混じり出した。注意深く耳を傾ければ、己の腹の虫の音だった。
(せめて、メシくれえ食ってから出掛けんだったぜ)
性悪猫に翻弄されたせいで、大食漢のアックスがチーズひと舐めすら出来なかったのだ。力強く大地を踏みしめるごとに、空きっ腹が応えても無理はない。かといって、ここでのこのこ引き返したら、白鳳にどんな嫌味を言われるか、容易に想像可能なだけに、今更テントへ帰ろうとは思わなかった。プリンを待ち望んでいたちび助は気の毒だったが、埋め合わせはいずれ必ずしてやろう。それにしても、近頃の対白鳳との力関係と来たら、古女房の尻に敷かれた亭主と何ら変わりない。再び不機嫌になったアックスは足元の小石をがつんと蹴飛ばした。
(くそっ、どうしてあの野郎にでかい面されなきゃなんねえんだっ)
誰の指図も受けず、世間一般の規範にも縛られないで生きようと、盗賊の道を選んだはずなのに、気が付けば棘だらけの薔薇の鎖にがんじがらめにされている。やはり、薬で結ばされた不本意な関係を未だ断ち切れないことが、諸悪の根元に違いない。
「よしっ、今日という今日は、俺に××趣味などねえって証明してやらあっ!!」
かつて××生活からの脱却を目指し、娼館へ突撃したものの、肝心な場面で役に立たなかった。が、あれは悪魔の毒に蝕まれたゆえの、不幸なアクシデントだと信じたい。こうして繁華街を訪れたのも何かの縁だ。今回こそ可愛い女性と健やかなセックスをして、まともな感覚を取り戻すのだ。街へ到着したアックスは歓楽街目指し、通りを闊歩していたが、不意に角の店から紅い人影が現れた。
「うおおっ」
立ち止まるどころか、大げさに飛び退いたアックスを怪訝そうに見る若い女性。彼女が着ていた赤いドレスが目に入っただけで、条件反射よろしくビクついている姿を自覚し、アックスは暗澹たる気分になった。
「はあ・・・なんてこった。。」
絶対権力者に対する恐怖心が骨の髄まで染みついている。早急に白鳳と縁を切らなければお先真っ暗だ。と決意で口を引き結んだ途端、後方から真っ赤なシルエットに追い抜かれた。
「ま、待てっ、話せば分かるっっ」
見も知らぬ大男の無様な狼狽え振りを、赤いワンピースを纏った幼女が小首を傾げて眺めている。相手の正体も確かめぬうち、即座に言い訳モードに転換する様が実に情けない。アックスは大きく深呼吸をして、自らに言い聞かせた。
(落ち着け、あいつが追い掛けてくるわきゃねえだろが)
前述の出来事でアックスはもう己の持ち物だと確信したし、今頃はおやつ代わりのケーキでもこしらえているかもしれない。そう結論づけると、多少心が軽くなり、不審な行動は取らなくなったし、実際、風俗店が建ち並ぶ通りに入っても、アックスが懸念した事態は起こらなかった。ところが、目当ての店が視界に入ると、アックスは徐々に物足りなく感じて来た。
(まだ出てこねえなんて、おかしいぞ)
歩く速度が不自然に遅くなる。一応、娼館へ直進してはいたが、脇道や建物の影から追跡者が派手に登場しないか、五感を集中させて気配を探り続ける。しかし、いつまで経っても、それらしい人影は一向に見当たらなかった。
(いつまでもグズグズしてんじゃねえっ)
日頃の白鳳なら、意に反した下僕に制裁を加えるべく、いかなる手段を講じてもアックスを探し出すはずだ。単に泳がせているのだろうか。それとも、新たな愛人候補を見つけて、下僕への興味が薄れつつあるのだろうか。不思議なもので、そこまで考えると、寂しさの波紋が胸に広がり始めた。思えば、この前は白鳳に立ちはだかられ、硬直しながらも、ほんのちょっぴりほっとしていた。たとえ動機が何であれ、追い掛けて連れ戻すくらいの関心は抱いているのだと。落胆のため息を小さく吐いてから、アックスはふと自問した。
(俺はいったい何やってんだ)
白鳳と綺麗さっぱり縁を切るきっかけを作るべく、娼館へ向かっているのに、まるでヤツが迎えに来るのを、待っているみたいだ。ひょっとして、無意識のうちに××野郎にほだされ、情が湧いて来たのではなかろうか。
「いやっ、断じてそんなバカなことがあるわけねえっっ!!!!!」
唐突に大声で喚いた褐色の巨体に通行人の視線が集中した。きまり悪くなったアックスはうっかり小走りで進んだので、気が付けば目の前に店の入り口があった。
(げっ、やべえっ)
後退りする間もなく、恰幅の良い中年男の呼び込みに声をかけられた。
「兄ちゃん、ちょっと寄って行かないか」
「いや、俺はそんなつもりじゃ」
「うちの店は良心的な価格だし、いい娘がいっぱいいるよ」
「だから、客じゃねえって言ってんだろが」
本当は客になるため来たくせに、正反対の主張をする自分が滑稽でならない。
「そう言わず、ちょっと覗いて見てくれや、ほらほら」
「ま、待ちやがれっ・・・うおっ」
一見、温厚そうな男の予想外の剛力に不意を付かれ、アックスは敢えなく店内へ連れ込まれてしまった。
紫の薄明かりが揺らめく部屋へ通され、お相手が来るのを待つ間に、すでにアックスの身の振り方は決まっていた。成り行きで入店したものの、今の自分は到底、女を抱く心境になれない。もちろん、白鳳に義理立てする筋合いは皆無だし、遊びも浮気も男の甲斐性だ。しかし、心から楽しめないと分かっていて、同衾するのはサービスしてくれる娼婦にも失礼ではないか。一刻も早くここを立ち去ろう。だいたい××野郎と本気で断絶したいのなら、堂々と行き先を宣言して、夜の街へ繰り出すくらいでなくてどうする。強気に渇を入れた途端、ゆっくりと扉が開かれた。顔を見て、なまじ好みの美人だと未練が残るので、人影に目もくれず、いきなり土下座をした。
「すまねえっ!!金は払うから、何も言わずにこのまま帰らせてくれっ」
「おやおや、私といいことしたくて、来たんじゃないんですか」
聞き慣れた甘やかな声音が耳の奥へ流れ込み、アックスの体温は瞬時に氷点下まで下がった。背筋を流れ落ちる冷たい汗。まさか、まさか、ここで待ち構えているなんてあり得ない。でも、性別を超越した艶っぽい声の持ち主をヤツ以外知らない。いたずらがばれた子供のように、アックスがおずおず面を上げると、そこには口元の右端を微妙に歪めた悪魔がモデル立ちしていた。
「ぐあ〜っ、やっぱり〜っ!!!!!」
恐れと衝撃で顔を引きつらせながらも、なぜか胸の片隅に安堵の温もりを覚えた。
「うふふふふ」
「おめえ、どんな手を使って、ここへ来やがったっ」
少なくとも付近一帯に××愛好者の店はなかったし、第一、従業員の控え室からやって来た理由が分からない。
「私の人脈を甘く見て貰っては困りますね。この娼館の主人の兄は昔からの遊び仲間なんです」
「そうだったのか。。」
旅先で関係を持った男に、利用価値があると判断すれば、一晩限りの関係に留めず、上手にコネを作って、後々役立てるのが白鳳の常套手段だ。双方、遊びと割り切っているだけに、後腐れなくさばけた付き合いが出来る。恐らくアックスが迷いでもたついているうちに、先回りして中で待機していたのだろう。
「先日、赤っ恥をかいたくせして、懲りずに娼館を訪れるなんて、本当に学ばない人ですねえ」
「こ、これには退っ引きならねえ事情があってっ」
白鳳の逆鱗に触れないよう、あたふたと申し開きをする様子を見る限り、面と向かって啖呵を切れる日は未来永劫来そうになかった。アックスの情けない素振りに、喉の奥で笑いを漏らしつつ、紅唇がやや甘え声で問いかけた。
「ねえ、一発も抜かずに帰るつもりだったのは、私に操を立ててくれたんですか?」
「バカ言ってんじゃねえっ、誰がっ!!」
「なら、どうして?」
「上手く説明出来ねえけど、いろいろ後味が悪い気がしてよ」
”いろいろ”の中には子分たちやハチに対する感情も含まれているのだが、深読み可能な表現がどうにもきまり悪くて、アックスは鼻の頭を数度掻いた。とその時、眼前の美貌が大輪の花のごとくほころんだ。
「ふふっ、私だけの親分さんでいてくれて良かった」
「何でえ、藪から棒によ」
愛らしい笑顔の眩しさから目を逸らし、殊更にぶっきらぼうな口調で切り返した。力強い手に冷たい指先がそっと触れる。傍らの白鳳の表情はおっとりと柔らかく、見つめるうちに褐色の頬が熱を帯びて来た。
「私も親分さんの優しさに甘えて、ワガママ言い過ぎたかなって反省しているんです」
「・・・・・お、おめえ」
アックスは感激でじ〜んと身を震わせた。子分たちが心から慕うだけあって、根っからの悪ではないと分かっているし、自らの過ちを悔い改めるのなら、これ以上責める気はない。多少、無理を言うくらいなら全然構わないのだ。ワガママを許すのも男の甲斐性ではないか。
「さ、一緒に帰りましょう、親分さんv」
「おう」
しなやかな肢体に寄り添われ、思いがけぬ僥倖に胸を反らしたアックスだったが、幸福に酔いしれるのはここまでだった。
「な〜んて言うと思ったら、大間違いですよ」
「うげっ!!」
臀部に強烈なローキックが炸裂して、すっかり気を抜いていたアックスはベッドへうつ伏せに倒れ込んだ。巨体に体勢を立て直す暇を与えず、白鳳はそのまま上から覆い被さった。
「言葉が理解出来ない愚か者は、身体で仕込むしかありませんものねえ」
言うやいなや、たおやかな手がベルトにかかり、手早く金具を外し始めた。力任せに反撃を試みたアックスだが、瞳だけが笑っていない白鳳の微笑みが目に入ると、蛇に睨まれたカエルみたいに動けなくなった。
「た、た、助けてくれぇぇ〜〜〜〜〜っ!!!!!」
どうあがこうが、こいつの呪縛から解放される術はない。意に反して神経を冒して行く快楽の渦中で、底無しのアリ地獄にどっぷりはまり込んた事実を、骨の髄まで思い知らされた。もはや、アックスに出来る抵抗は、悲痛な絶叫を振り絞ることのみだった。
COMING SOOM NEXT BATTLE?
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