*フローズンの休日〜後編*
3日間静養して、フローズンはすっかり元気になった。が、残った事務作業を終わらせることは出来なかった。日頃から手伝っている神風やオーディンはともかく、他のメンバーには詳しい手順から説明しなければならないし、慣れない仕事は要領を掴むだけでも時間がかかる。しかも、白鳳は看病に忙しいため、あまり机に向かえなかったし、DEATH夫はバタバタする周囲を冷ややかに見つめるだけで、落ちたペンすら拾ってくれなかった。
「・・・・私は何をすればよろしいのですか・・・・」
机や床に散らばった書類が目に入るやいなや、フローズンがすぐ作業に取り組もうとしたので、白鳳たちは慌てて制止した。
「ダメダメ。根を詰めて、また倒れたらどうするんだい」
「もう男の子モンスターのデータ整理だけだし、今日中には片付くよ」
「ゆっくり読書でもして過ごしたらいい」
「・・・・ですが・・・・」
主人や仲間の気遣いにも、まだ浮かない顔をして、資料の山をじっと見つめるフローズン。勤勉で責任感の強い彼をどう説得したものか、時に目くばせしつつ、あれこれ悩む一同だったが、白鳳がふと良い方法を思い付いた。
「そうだ、気分転換も兼ねて、外へ出掛けたら?」
「・・・・え・・・・」
見ぬもの清しの喩え通り、なまじ側にいるから放っておけないのだ。幸い、穏やかで風もない晴天だし、自然の陽光と大気はきっと身体に良い作用を与えるに相違ない。珍しくまともで的を射た白鳳の発言に、皆も口々に賛同の意を唱えた。
「床離れしたばかりなんだから、軽い運動が必要だよ」
「うむ、ちょっとした散歩代わりだと思えば」
「きゅるり〜」
「仕事は僕たちで必ず済ませておくから」
「おうっ、オレたちに任せとけ!!」
ぱぁんという小気味よい音が室内に響き渡った。とは言うものの、腹鼓の主はこの3日間、どの仕事でも必ずへまをして、仲間の足を引っ張り通しだったが。
「へっぽこなくせして、大きな口叩くな」
「あてっ」
哀れ、ハチは先細りの指から強烈なデコピンを受け、その場に仰向けにひっくり返った。傍らにいた神風が、ちっこい身体を起こしながら、主人をきつく睨み付けた。
「白鳳さま、ハチがせっかくやる気になっているのに酷いじゃないですか」
少しでもフローズンを助けるべく、一所懸命取り組んでいる姿勢は伝わるので、多少失敗しても怒る気になれない。それに、作業が進むにつれ、間違いの数は減っており、ハチなりに確実に進歩しているのだ。しかし、白鳳は己の程度を棚に上げ、絶対主義で評価を下した。
「ムダなやる気はない方がマシ」
「げげ〜ん!!」
紅唇の容赦ない宣告に肩を落とし、糸目でふらふら迷走する姿は、悪いと思いつつ、つい笑いを誘われてしまう。けれども、無論、この情けない生き物を見過ごすわけにはいかない。
「そんなにしょんぼりすることないよ。ハチは誰より努力してるっ」
「ハチの蜂蜜があったから、安心して宿泊も延長できたし」
「うむ、ハチは立派な殊勲者だぞ」
「きゅるり〜♪」
心優しいメンバーのフォローで、単純なハチは即座に立ち直り、にぱっと格好を崩した。
「でへへー」
パーツのほとんどが丸っこいせいで、笑うと実に福々しい顔だ。その能天気な笑顔を待っていたかのように、可憐な唇がおっとり開かれた。
「・・・・分かりました、ありがたくお言葉に甘えさせていただきます・・・・」
「わあっ、良かったぁ」
「街の中心地へ行けば、店や娯楽施設も多いし、飽きないはずだ」
「たまには欲しい物でも買って、目一杯楽しんで来たらいいよ」
「・・・・はい・・・・」
説得には手こずると予想したのに、フローズンがすぐ納得してくれたので、白鳳はほっとすると同時に嬉しかった。DEATH夫とは全く別の意味で、彼にもどこか強固な壁があると感じていただけに、妙な遠慮をしなくなって来たのは、非常に望ましい傾向だった。
「オーディン、フローズンの護衛として、一緒に行ってくれないかな」
雪ん子の斜め後ろで、想い人を眩しそうに見遣っていたオーディンは、主人の唐突な指示に驚きを隠せなかった。
「えっ、護衛ならDEATH夫の方が」
パーティーに加入する前も後も、フローズンはDEATH夫とセットで動いて来たのに、今日に限って何故。オーディンのそんな疑問を察したのか、白鳳はずっと居間の隅で背を向けている黒ずくめのシルエットをびしっと指差した。
「ううん。あのコにもちょっとは仕事を手伝わせなきゃタメにならないもん」
きっぱり言い切ったわりには、DEATH夫の顔色をうかがう弱気な白鳳だが、DEATH夫は別に怒るでも反論するでもなく、醒めた視線で皆を見据えるだけだった。どうやらオーディンの同行自体には、否定的な見方はしていないらしい。
「とにかく、これはマスターとしての命令だから。苦情の類は一切受け付けないよ」
「は、はあ」
「DEATH夫も文句はないよね」
白鳳の言葉には答えず、金の眼差しはすっと盟友に流された。
「フローズン、お前はどうしたい」
「・・・・え・・・・」
「俺とオーディンのどちらが同行した方がいいんだ」
「・・・・それは・・・・」
DEATH夫に鋭い口調で尋ねられ、フローズンは答えに窮して、小さな頭をわずかに伏せた。敵に対峙するみたいに詰め寄られたら、誰だって困惑するのが当たり前だ。白鳳は即座にふたりの間に割って入った。
「こら、フローズンを脅してどうするのさ。言ったじゃないか、これは命令だって。もう決定事項なの」
「ふん、なら聞くな」
強引に話を遮られ、DEATH夫はいたく不服そうだったが、それは白鳳に対してではなく、結論をはっきりさせないフローズンへの不満に感じられた。友がどちらを選ぼうと構わない。ただ、煮えきらない態度が歯がゆく、苛立っているのだ。けれども、オーディンはそうは受け取らなかったらしい。巨体が心なしか萎縮しており、今のやり取りを聞いて明らかに落胆していた。
(別に二者択一を迫ったわけではないのに)
フローズンを想うゆえに、DEATH夫の発言を勝手に深読みして、ショックを受けているようだ。確かに紛らわしい表現だし、純情一途なオーディンが誤解しても無理はない。ただでも、フローズンとDEATH夫は恋人同士だと勘違いしている節があるのだ。
(やっぱり、少しはお膳立てしてあげないとねえ)
実のところ、掟破りな指示をした一番の理由は、オーディンをせめて恋愛のスタートラインに付かせてやりたいからだ。××者として、可愛いフローズンとの熱い一夜を諦めていない反面、掛け替えのない従者たちにはぜひ幸せを掴んで欲しい。客観的に見て、オーディンなら人品骨柄申し分ないし、きっとフローズンを大切にしてくれるだろう。少々人が良すぎるきらいはあるが、フローズンが冷静なしっかり者なので、バランスは取れている。もちろん、フローズンの好みもあるし、押しつけがましい言動は良くないが、セッティングくらいなら問題ないはずだ。ふたりきりになる機会すら皆無では、永遠に進展などあり得ない。
「じゃあ、フローズンもオーディンも気を付けて」
「・・・・はい・・・・」
「は、はあ」
思いがけぬ展開でフローズンとの外出が決まり、オーディンは嬉しさより戸惑いの方が勝っている。しきりに照れる護衛を尻目に、フローズンは日頃と変わらず落ち着き払ったものだ。なんだか将来の力関係を想像させる光景を見遣りつつ、白鳳は軽く含み笑いをした。
「行ってらっしゃい」
「楽しんで来てねっ」
「無理するな」
「ゆっくりして来いやー」
「きゅるり〜」
「・・・・行ってまいります・・・・」
「後は頼んだぞ」
一同の晴れやかな笑顔に見送られ、フローズンは居心地悪そうに縮こまるオーディンと共に、煉瓦造りの宿を後にした。
凸凹の後ろ姿が見えなくなってから、白鳳主従はさっそく作業の準備に取りかかった。フローズンに負担をかけまいと、地道に勤しんだ甲斐あって、あとは男の子モンスターのデータをまとめるだけだ。
「さあ、私もばりばり頑張るからね」
「きゅるり〜」
軽い腕まくりの仕草までして、白鳳は意欲十分だ。フローズンの世話と食事の支度で手一杯だったため、心ならずも作業を免除された形となっていたが、今日こそマスターの底力を示してやらなければ。
「神風、この資料をどうすればいいんだい?」
「あいうえお順に並べて、個々の項目をカードに書き写すんです」
見れば、机の上に名刺2枚分くらいのカードが積み上がっている。左端には男の子モンスターの絵が描いてあった。図鑑等に比べれば、相当簡略化されているが、過不足なく特徴を捉えた巧みなものだ。
「この絵はどうしたの?」
「オーディンが描いてくれました」
「おおっ、本物そっくりだー」
「上手だなあ、絵描きさんみたいっ」
体育会系の外見に似合わず、手先が実に器用で、細かい作業も得意だ。しかも、自分からはひけらかしたりしないが、文学や芸術にも案外、造詣が深い。こういう点も総合した上で、フローズンに相応しい相手ではないかと白鳳は考えたのだ。
「つまり、我々は空欄にデータを記入すればいいんだね」
「はい、そうです」
男の子モンスターに関する主要な情報を、カードで管理する意図らしい。これならいちいち図鑑を確認しなくて済むし、どこでも持ち運べて実に都合がいい。
「私はあ〜さ行を完成させるから、まじしゃんはた〜な行、白鳳さまはは〜ま行、ハチはや〜ん行を頼む」
「うん、了解」
「僕はた行とな行だねっ」
「皆で手分けすれば、すぐ終わるぞー」
「きゅるり〜」
手早く資料を分けてから、それぞれの能力、適性を考慮して、配分された仕事を誰もが快く承諾した。危うくみそっかすになりかけたスイも、兄のところでカードを揃える役割を与えられ一安心だ。受け持ちのカードと資料を抱え、3人と2匹は各々の場所へ散りかけたが、白鳳だけはソファを通り過ぎると、窓の前に佇む死神の前までやって来た。今日という今日はDEATH夫にも仕事をさせるのだ。
「オーディンもいないんだし、DEATH夫も何か手伝ってよ」
「嫌だ」
「旅を滞りなく続けるには、事務的な仕事だって大切なんだから」
「戦うのが俺の仕事だ」
「私たちと出会う前も、そんな調子だったのかい」
「そうだ、あいつは有能だからな」
悪びれないで言い切れるのは、友を信頼している証拠なのだが、あらゆる雑事を全面的に任されるのは心身両面で相当の負担だろうし、対等な関係とは言いがたい。
「フローズンが倒れたのは、睡眠や体力を犠牲に作業を続けて、疲労が蓄積したからだよ。私たちにも責任はあるけど、DEATH夫とふたりの時から、ずっと無理して来た気がする」
「きゅるり〜」
「・・・・・・・・・・」
人数の違いでこなす作業に差があるから、力尽きるまで消耗しなかっただけだ。白鳳の指摘に多少は思い当たる点があったのか、DEATH夫は押し黙ったままだった。もっとも、DEATH夫だけが責められるべきではない。フローズンも手に余る場合は、妙な気を使わず、あっさり音を上げれば良かったのだ。
「なあなあ、ですおー、一緒にやろうぜー」
主人とDEATH夫のやり取りを遠目で見守る神風たちだったが、ハチはじっとしていられなくなったのか、ひょっこりふたりの傍らへ飛んで来た。フローズンのためと言うより、自分がDEATH夫とペアになりたくて堪らないのだろう。
「邪魔だ」
「どひ〜っ」
どんぐり眼をくりくりさせて言いかけたものの、間髪を容れず、大鎌の柄が振り下ろされた。ところが、一寸の虫はなんと目にも止まらぬ一撃を、素早くかわしたではないか。ハチを拾う準備をしていたギャラリーは、誰もが素直に感嘆の声をあげた。
「凄いな」
「ハチ、かっこいいっ」
「きゅるり〜♪」
「へえ、やるじゃないか」
前にもDEATH夫の攻撃をよけた話を聞いたけれど、正直、半信半疑だった。しかし、奇跡の快挙を目の当たりにして、紛れもない事実だと実感させられた。逆にDEATH夫は納得いかない風に、浮かれるハチを無言で見据えている。主人の意見で喚起された微かな動揺が、腕を鈍らせたのかもしれない。
「見たか、えへんっ」
DEATH夫の注目に気付き、ハチは誇らしげに胸を張ったが、いつも通り突き出しているのは腹だった。
「調子に乗るな」
「あてっ」
すっかり油断しているところを手刀で叩かれ、今度は敢えなく床に墜落した。うつ伏せで大の字になった体躯を、黒手袋から伸びた指が乱暴に摘み上げる。
「まあいい」
「へ」
DEATH夫の蜂蜜色の瞳がふっと細められた。
「お前の進歩に免じて、少しだけ手を貸してやる」
「おおおっ、やた〜っ♪」
ぶら下げられたまま、手足をばたつかせて喜ぶハチ。仕事の能率はいまいちでも、意外なところで役に立つから侮れない。
「だったら、ハチとや行以下を担当したらいいよ」
ちまちまデータを書き入れるDEATH夫の図はあまりピンと来ないが、ハチにペンを抱きかかえて筆記させるよりは、遙かにまともな仕上がりになるはずだ。ハチと一括りということは、セットで一人前扱いなのだが、絶対口には出せないし、現状ではこの組み合わせでなければ、共同作業は成り立つまい。
「分かった」
「よ〜しっ、今度こそオレ、へましないかんな」
仲間に暖かく送り出され、繁華街へ向かったフローズンとオーディンだが、未だに宿屋へ続く街道沿いをうろうろしていた。まっすぐ行けば、さほど距離はないにもかかわらず、目的地に辿り着けないからには、当然それなりの理由が存在する。
「本当にありがとうね」
両手一杯に荷物を抱えた老女が何度も頭を下げた。
「礼など無用です。どうかお気をつけて」
朗々たる声の余韻が消えないうちに、赤い屋根の二階家から、彼女の家族とおぼしき夫婦と子供が出て来て、一目散に駆け寄った。老女が無事、家族と対面したのを見届け、オーディンは安堵してその場を離れた。想い人を残してきた路地の入り口まで、大慌てで引き返す。
「済まん、何度も待たせてしまって」
「・・・・いいえ、別に気にしておりません・・・・」
通りの脇に佇んでいたフローズンは嫌な顔ひとつせず答えた。好漢の脱線、寄り道は今、始まったことではない。道中でも幾度となく遭遇しているだけに、すっかり慣れっこだ。お人好しで頼りがいのある雰囲気が伝わるのか、オーディンは面識のない相手から様々な用件を依頼されることが多い。本人も困っている人を見過ごせず、つい引き受けてしまうのだ。今日も例外ではなかった。大木に引っ掛かった風船を取ることから始まって、農夫の荷車を押すのを手伝ったり、迷子の親探しをしたり。そして今は田舎からやって来たおばあちゃんを、息子夫婦の家へ送り届けたところだった。
「立ちっぱなしで疲れてないか」
「・・・・休みながら進むことが出来て、かえって助かっています・・・・」
「そう言ってもらえると、ほっとするが」
小柄なフローズンの速度に合わせて、巨体がちまちま付き従う姿は、ボディガードと言うより、あたかも召使いのようだ。オーディンを従えた状況が落ち着かないらしく、フローズンは躊躇いがちに口を開いた。
「・・・・あの・・・・」
「ひ、ひょっとして具合でも悪くなったのかっ」
「・・・・いえ、そうではございません・・・・」
勇ましい戦闘時とは裏腹な焦り方で、身を乗り出す仕草が滑稽に見え、我知らず口元がほころんだ。無論、悪意から生じた笑みではなく、文字通り微笑ましく感じたからだ。
「なら、どうしたんだ」
「・・・・なぜ、先程から私の後を歩くのです・・・・」
「うっ」
フローズンのみならず、誰が考えてももっともな疑問だった。単純に歩幅を比較すれば、フローズンの倍近くあるオーディンが後ろを行くなんて考えられない。そもそもふたり連れなのだから、普通に並んで歩けば済むことだ。オーディンとてその辺りは百も承知している。だが、色恋沙汰にまるっきり免疫のない彼は緊張のあまり、横並びにすら踏み切れなかった。
「・・・・オーディンも歩きにくそうですし、実に不自然な体勢だと思います・・・・」
相手が不自然な体勢しか取れないほど、照れまくり、心乱れている事実に、さすがのフローズンも気付いていなかった。いつもは彼らの周りには主人や仲間がいたし、フローズンの隣はDEATH夫が陣取っていた。こうして1対1の位置関係になったのは初めてだった。
「そ、そうだろうか」
「・・・・はい・・・・」
「ううむ」
オーディンは胸中で激しく葛藤していた。こんな機会は恐らく二度と巡って来ない。ここで自分がフローズンの脇に並んでも至極当然だし、誰も文句を付けるわけがない。斜め前にちょっと歩み出れば、必ずや新しい世界が開ける。己を叱咤激励して、大きな一歩を記そうとしたオーディンだったが、どうしても踏ん切りが付かず、足は固まって動かなかった。フローズンがすぐ傍らにいる状態を想像しただけで、動悸が高まり、いたたまれない気分に陥ってしまうのだ。
(だ、ダメだ)
ほんの一握りの勇気が出せない甲斐性のなさに、我ながら落胆する思いだった。こんなとき白鳳だったら、初対面でもお構いなしににじり寄り、相手の迷惑顧みず、堂々と愛の言葉を囁くに違いない。
(ふう・・・とても白鳳さまみたいにはなれんな)
惚れっぽい主人の暴走ぶりに悩まされて来たが、今だけは向こう見ずな××パワーを分けて欲しかった。白鳳の行動力の10分の1、いや、せめて100分の1でもあれば、フローズンとの貴重な時間を目一杯堪能出来たろうに。
銀糸の先を揺らしながら、白鳳はぐるりと居間を見渡した。誰もが顔を伏せ、作業に没頭しているのを確かめると、カードの束を掴んで、おもむろに立ち上がった。
「うふふ、ほんのちょっぴり本気を出しただけで、もう終わっちゃったもんね〜」
得意げに肩をそびやかして、神風のところまで移動するやいなや、手に持った完成品を机の端に乗せた。紺色の頭がやや傾き、勝ち誇った笑みを浮かべる主人をちらりと見た。
「でしたら、白鳳さまは皆が終わるまで待機していて下さい」
「ふふ〜ん、神風もまだ途中なんだ。仕方ないなあ♪」
「きゅるり〜」
軽やかなステップで戻り、ソファに深く腰掛けた白鳳は、周囲の様子を観察し始めた。神風は真面目な彼らしく、眼前の対象物だけに集中して、黙々と筆記している。開拓途上の村にいただけあり、地道な手順も苦にしないで、要領よく仕事を進めるまじしゃん。一番不安だったハチとDEATH夫のコンビも、ハチが項目を読み上げ、DEATH夫が記入する分業体制で上手くやっているようだ。年少組でも困らないよう、難しい漢字には前もってルビが振ってあった。
「出来たよっ、神風」
「オレたちも終わったぞー」
「こんな面倒なこと、二度としないからな」
「お疲れさま。カードを置いてから、向こうで一服してくれ」
窓際の大きなテーブルの上には、様々なハーブティーと白鳳特製のドーナツが用意されている。
「おおおっ、おやつだな」
「わ〜い、美味しそうっ」
「さっそくお茶を入れよう」
くつろぐ仲間たちを優しい目で見遣りつつ、神風は提出されたカードに誤りがないか、逐一チェックし始めた。真剣な面持ちで各項目を照らし合わせる従者だったが、涼しげな瞳を見開くと、やがて脱力感に溢れた溜息をついた。
「白鳳さま、こちらへ来て下さい」
「えっ、何?」
神風が低めの声音で呼ぶときは、叱責が待つ場合がほとんどだが、今回も例外ではなかった。白鳳作成のカードを乱暴に突き出すと、その右上をペンで幾度か叩いた。
「書く欄が反対です。こちらがモンスターの攻撃技で、隣が弱点じゃありませんか」
「あっ、いけない。私としたことが」
「きゅるり〜。。」
ああ、やっぱり。スイの鳴き声には悲しい納得の響きが色濃く漂っていた。
「最初に言ったはずです。急がなくて良いので、慎重に見直ししろと」
能力が欠如しているわけではない。しかし、コツコツ積み重ねる作業に根っから向いてないらしく、勝手に段取りを端折るし、ロクに確認もしないため、単純な間違いをやらかすのだ。
「嘘ばっか。神風が早くしろってうるさいから、慌ててやったのに」
己のミスを反省もせず、恨みがましい目つきでぶーたれる白鳳に、神風は更に厳しい口調で言い返した。
「それは白鳳さまがモンスターの絵に見惚れ、いかがわしい妄想ばかりしていたせいです」
「だって、私好みの可愛いコが一杯なんだもんvこの先、彼らと懇ろになれるチャンスがあるなんて、考えただけでわくわくして来ちゃう」
脳内のハーレムプレイに昂奮して、頬を紅潮させる主人と視線も合わせず、神風は次の質問に移った。
「このコメント欄はいったい何です」
小さい字でびっしり記載された内容は、資料に書いてある情報とまるっきり別物だった。やたら目立つ音符やハートマークが実に痛い。
「私の感じた印象をごく素直に書いたんだけど」
「”おどおどした様子がいっそう虐めたくなる♪”、”外見は趣味だけど、年齢的にちょっと対象外、5年後に期待”、”生意気な感じが逆に征服欲を掻き立てるv”・・・・・捕獲とどう関わりがあるんですか」
「男の子モンスターの捕獲に萌えは最重要だよ」
「きゅるり〜。。」
伊達に趣味と実益を兼ねると公言していない。本当のところ、兄は趣味だけに走っているのではないかと、スイはどんより鬱な気持ちになった。
「このカードは大切な情報源として使うんです。白鳳さまの主観なんて要りません。だいたい脇のABCっていう記号は何の分類なんです」
「決まってるじゃないか。愛人にする優先順位さ」
反社会的な内容を喜々として語る白鳳に、神風はとうとう見切りをつけた。
「・・・・・もういいです。白鳳さまは一生おさんどんだけしていて下さい」
あからさまに棘のある表現は、よほど腹に据えかねたのだろう。
「ええっ、どうして!?」
「最初から作り上げるより、誤ったものを訂正する方が手間がかかるんです」
これでは男の子モンスター情報カードではなく、白鳳の愛人候補の名簿だ。神風は不純な欲望に満ちたコメントの数々を容赦なく消し始めた。
「そんなぁ!!こんなにやる気満々なのに〜」
なおも意欲を主張したものの、フローズンを手伝う”やる気”とは、全然違う代物になり果てたのは明らかだった。
「ムダなやる気はない方がマシです」
「が〜〜〜〜ん!!!!!」
「きゅるり〜」
どこかで聞いたセリフで引導を渡され、白鳳はショックのあまり硬直した。そこへ口の周りに食べかすをつけたハチが、にんまり笑って飛んできた。
「へへっ、はくほー、オレと同じこと言われてら」
「やかましいっ」
「あてっ」
邪気のない笑顔と物言いに神経を逆なでされ、たおやかな手がハチを力任せに叩き落とした。カーペットにぽてんと落ちたハチを神風がすぐ掌へ乗せた。
「ハチに八つ当たりはやめて下さい」
「神風はともかく、ハチみたいなへっぽこに言われる筋合いないよ」
「白鳳さま、ざっと見た限り、ハチとDEATH夫はひとつも間違えていません」
「えっへん」
神風の判定を聞き、腰に手を当て、大威張りのハチ。一方、白鳳はきまり悪そうに頭を垂れた。ハチを引き合いに出して、かえってやぶへびになってしまった。思えば、ハチは項目を読む係だから、DEATH夫さえきちんと筆記していれば、ミスのしようがない。DEATH夫が意外にやれば出来るタイプだったということか。
「そ、そうなの。。」
もはや抵抗する気力も失せ、白鳳はしょんぼりソファに身を沈めた。従者たちに優秀なところを見せつけようと目論んだのも虚しく、事務的作業に全く適性がないことが暴露されただけだった。
主人とお付きの体勢を続けたまま、フローズンたちはようやく大通りまでやって来た。各地帯への中継点となる街だけに観光客も多く、居並ぶ店の華やかなディスプレイが人々の目を惹きつける。ふと、目に付いたガラスケースの中には荘厳な古城を象ったデコレーションケーキが展示してあった。日頃、市場で見かけるホームメイド風の洋菓子とは一線を画した作りは、十分鑑賞に値するものだ。
「まさかケーキとは思わなかった」
「・・・・細部まで精巧に組み立てられていますね・・・・」
けれども、ここまで隙のない出来映えだと、菓子と言うより工芸品を思わせ、食の対象としてはピンと来ない。脇で遠慮がちに群れるうしやにゃんにゃんの形をしたケーキの方が遙かに美味しそうだ。
「おっ、こっちのも良く出来ているぞ」
「・・・・可愛い・・・・ハチやまじしゃんが喜びそう・・・・」
他力本願ではあるが、会話のネタが生まれたことで、ふたりの間のぎこちなさは徐々に消えつつあった。元々、フローズンとオーディンは話を切り出すより、聞き役で皆の潤滑油となる存在だ。活発な言葉の応酬はなくても、決してギクシャクしているわけではなかった。
「今度は角の店を覗いてみよう」
「・・・・はい・・・・」
身体の向きを変えただけで、心地よい香りが鼻腔をくすぐった。どうやらお茶の専門店らしい。世界各地から取り寄せた珍しい品がずらりと並んでいる。
「一口にお茶と言っても、飲みきれないほどの種類があるんだな」
「・・・・このブレンドティー、DEATH夫の身体に良いかもしれません・・・・」
膨大な品数にただ感心するばかりのオーディンに引き換え、フローズンはそれぞれの効用にしっかり目を通している。白鳳団の影の最高権力者だけあって、行動にいささかの抜かりもない。だが、冷静に考えると現状は到底、休日とは言い難かった。フローズンの口からは、仲間の名前しか出て来ないではないか。家族を優先させる母親のごとき無欲さは尊いが、これではせっかくの計らいが何もならない。
「フローズンは欲しいものはないのか」
「・・・・え・・・・」
不意に問いかけられ、フローズンはきょとんした顔で立ち止まった。
「いつも上手に節約して、旅費を予算内に収めているんだから、たまには自分のために散財しても良いと思うぞ」
照れに押し流されないで、はっきり言い切れたのは、皆の代わり、あるいは代表で意見している境地になれたからだ。もし、主人や仲間がここにいたら、間違いなく同じアドバイスをするだろう。
「・・・・でも、私には欲しい品などございませんので・・・・」
「そ、そうか」
本心を読み取る術はないが、やんわりと否定された以上、もう買い物を勧める気にはなれなかった。けれども、オーディンの誠意に感じ入るところがあったのか、フローズンは柔らかな笑みを浮かべると、ゆっくり頭を下げた。
「・・・・お気を遣っていただいてありがとうございます・・・・」
謝意を述べられ、オーディンはむしろ申し訳なさで一杯になった。せめて機知に富んだ会話でも出来れば、少しは楽しい時間を過ごしてもらえるのに。
「礼なんてとんでもない。気の利いたことひとつ言えないし、フローズンを退屈させているのではないか」
「・・・・いいえ、退屈なんて・・・・。・・・・それにオーディンが博識なのは、よく存じております・・・・」
白鳳や仲間たちの疑問を的確に解消したり、効果的な補足を加えて話を脹らませる場面を何度も目撃していれば、自ずと相手の教養の程度も理解しうる。
「いや、俺なんてフローズンの足元にも及ばんよ」
「・・・・私の知識は紙の上だけで得たものですから・・・・。オーディンや神風のように実践や経験で体得した方には敵いません・・・・」
「そこまで謙遜しなくても」
言い差したオーディンは、フローズンの瞳が暗く滲んでいるのに気付き、はっとした。単なる謙虚さからではなく、彼は心底、己を過小評価しているようだ。
「・・・・私には決断力も行動力もありませんし、DEATH夫にはいつも叱られます・・・・」
「フローズンが叱られるなんて、どうしてなんだっ」
私的な感情が噴出して、無意識のうちに声高になっていた。脇を掠めた若いカップルがふたりをじろりと一瞥した。
「・・・・自分の意見をはっきり言わないと・・・・」
雪ん子の儚げな声を聞き、オーディンは朝の出来事を鮮やかに思い出した。DEATH夫の詰問はそういう意図だったのか。振り返れば、フローズンは仲間に対しては積極的に助言をするが、自身の意思を具体的に示して動いた場面をほとんど見た記憶がない。思慮深く慎重とも取れるが、悪く言えば、聡明ゆえにあれこれ考え過ぎ、身動き取れなくなってしまうのだろう。
「・・・・私にも白鳳さまみたいな強靱なパワーがあれば・・・・」
想い人の口から奏でられた呟きが、先程ため息混じりに願った内容と、さして離れていなかったのでオーディンは内心驚いた。欠点もある一定のラインを超えれば、常識人を圧倒し、羨望の的になり得るらしい。それはさておき、持って生まれた性質は根本的には変わらないし、他者と優劣を競うより個性として尊ぶべきだ。各々の得意分野で足りない部分を補い合えることこそ、パーティーの良さではないか。
「大胆な決断も行動も、周囲の状況を把握してなければ、ただの無鉄砲に過ぎん。フローズンが熟考して綿密な計画を立ててくれるから、皆もいつも安全に動けるんだ」
「・・・・オーディン・・・・」
「だいたい白鳳さまがもうひとりいたら堪らんぞ。フローズンや神風が常に行動を先読みして、巧みに御してくれるから、被害も最低限で留まっているが」
可憐で奥ゆかしいフローズンが主人まがいになっては困る。これがオーディンの嘘偽りない本音だった。もちろん白鳳の様々な美点も承知しているし、総合的には良き主人だと思っている。だからこそ、岡惚れしたオトコに強引に迫る困った性癖だけはどうにかして欲しかった。
「・・・・確かに少々行き過ぎだとは思いますけど・・・・」
ずっと憂い顔をしていたフローズンが堪え切れずに口元をほころばせたのを見て、オーディンも安堵したのか、豪快に破顔一笑した。
ひとしきりショーウインドーを見て回った後、フローズンとオーディンは結局、最初の洋菓子店にあったうしとにゃんにゃんのケーキを人数分購入して、帰路についた。箱の中から生クリームのまろやかで甘い香りが流れてくる。
「本当に自分の買い物をしないで良かったのか」
「・・・・皆が一所懸命働いているのに、私だけ無駄遣いするなんて出来ません・・・・」
自身の収穫がなくても、フローズンは満ち足りた表情をしていた。ダンジョンの最奥で独り隠れ住んでいた彼にとって、初めて出来た友や仲間は、己を二の次にしても苦にならないほど大切な存在なのだろう。我欲のない晴れやかな笑みに見惚れながら、オーディンは小1時間迷っていたことを、勇気を出して言いかけた。
「じゃあ、俺に小物を作らせてくれ」
「・・・・オーディンが・・・私にですか・・・・」
白鳳のアクセサリーをこしらえたり、ハチ専用の生活用具を製作したり、オーディンの匠の技にも近い腕前はよく分かっている。丁寧に仕上げられた主人の銀のブローチを、ちょっぴり羨ましいと感じたこともあった。
「フローズンの好みに合うか自信はないが、欲しいものがあったら、遠慮なく言ってもらいたい」
たったこれだけの申し出も、照れ屋のオーディンには一大決心だったに違いない。台詞は棒読み同然だし、額と鼻の頭にじんわり汗が滲んでいる。相手からどんな回答が返って来るか、気を揉んで、落ち着かない大男を見遣りながら、フローズンは沈思していたが、やがてか細い声が奏でられた。
「・・・・品物についてはしばらく考えさせて下さい・・・・」
「そ、そうか」
つまり、欲しい品が決まり次第、製作してくれということだ。オーディンの顔に波紋のごとく喜色が広がった。
「・・・・決断力がなくて済みません・・・・」
「いや、いつでもいいぞ、うんうん」
まさか、了承してもらえると思わなかったので物凄く嬉しい。ダメ元で口にして本当に良かった。時間にすれば、ほんの一時だったけれど、少しは想い人との距離が縮まったのだろうか。予想外の成果に上機嫌で角を曲がると、パーティーが待つ煉瓦の建物が視界に入った。今頃は作業を終え、一息ついている頃かもしれない。動物型の可愛いケーキは話の種にも、お茶菓子にも打ってつけだ。
「・・・・早くお土産を見せてあげたいですね・・・・」
「うむ」
いつしか自然に連れ立って歩いていたフローズンとオーディンは、皆の明るい笑顔を思い浮かべながら、足取りも軽く宿屋の中へ入って行った。
FIN
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