*捨てる神拾う神風*



頬にぽつんと触れた水滴が、激しい雨となるまで5分とかからなかった。予報では終日晴天と発表されており、雨具を用意した者などない。簡易屋根がある野菜売り場の軒下は、たちまち雨宿りの人々で溢れかえった。天気回復を待つ一同の中に、後悔のため息をつく白鳳の姿もあった。
「はあ・・・本当に降るなんて」
スイと寝こけているハチを気遣い、珍しく白鳳ひとりで買い出しに出掛けたのだが、神風たちから傘の所持を勧められたにもかかわらず、邪険に断ったのが間違いだった。白鳳のお供は全員、人智を超えた五感を持ち、兆しのない気候の崩れを、察知するくらい容易い。彼らの判断に誤りはないと承知しながら、余計な荷物を増やしたくないと、せっかくの助言をはねつけてしまった。折りたたみ傘ひとつくらい、さしたる重さではない。むしろ、青空の下、自分だけ傘を持つのは格好悪いと感じたのが大きかった。しかし、豪雨で水浸しになった広場を目の当たりにして、白鳳はくだらない見栄を選択基準にした、己の愚かさを痛感していた。
「皆の言う通りにしとけば良かったなあ」
雲の動きを見る限り、残念ながら単なる通り雨には思えなかった。ここが市街地なら傘を購入すれば済むが、郊外の空き地を利用した市場に、食材以外の売り物は存在しない。鄙びた過疎地ゆえ、うしバスも通っておらず、もはや、自らの才覚で事態を改善させるしかなさそうだ。諸国を旅して、様々な経験を積んだおかげで、良家の子息だった白鳳も、それなりの問題処理能力を身に付けている。戦利品の入った紙袋を抱え直すと、白鳳は神妙な顔付きでひとりごちた。
「まずは、この店でビニールを調達するか」
紙袋を包むことで、購入した食材は守れるし、大きなビニールが入手出来たら、雨合羽代わりになるかもしれない。方針さえ決まれば、後は実行あるのみ。野菜売り場の主人と交渉すべく、茫然と立ち尽くす連中を掻き分け、中へ入りかけた白鳳だったが、その時、腐れ××者のイケメンセンサーが強烈に反応した。
「うふふ、いいオトコ発見v」



向こうから若草色の傘を差した、長身の青年が歩いてくる。年の頃は20台前半、栗色の髪はサラサラで、顔立ちは整っているが、表情から真面目で擦れてない性格が見て取れた。ストライクゾーンの男性の登場に、紅い瞳がきら〜んと輝く。こんな状況で、好みのオトコが傘を持って現れたのは、まさしく天の配剤だ。彼は悩める麗人を、宿まで送り届けるため、やって来たに違いない。ご都合主義の思い込みで、浮かれポンチとなり果てた白鳳は、ビニール調達を忘れ去り、雨宿りする群衆に再び加わった。青年が傘を差し掛けてくれるのは決定事項で、白鳳の脳内ではすでに次の情景が繰り広げられていた。
(宿へ戻る途中に、曖昧宿へなだれ込むのもアリだよねえ)
根拠もないのに、美味しいドリームを妄想しまくり、白鳳はほおっと吐息を漏らした。接近する青年へ、艶っぽい眼差しを流し、恋の始まりを促す白鳳。もし、反応がもらえなくても、自分から相手の傘へ飛び込み、強引に相合傘へ持ち込むつもりだった。ところが、白鳳の熱視線に気付いた青年は、即座に優しく微笑んだではないか。妄想まんまのロマンティックな展開に、白鳳の胸はきゅんと締め付けられた。
(えええっ、脈アリ!?)
青年の笑顔はあたかも長年の親友に出会ったかのごとく暖かい。その面持ちを崩さず、徐々に紅いチャイナ服の元へ近づいて来る。あまり理想的過ぎる流れに、ちょっぴり不安になった白鳳は、軽く頬をつねってみた。痛い。紛れもなく現実だ。そうと分かれば、根っからお調子体質の白鳳はさらに舞い上がった。
(きっと、健気に生きていた私を不憫に感じて、神様がご褒美をくれたんだ)
青年が一歩踏み出すごとに、白鳳の鼓動は激しくなった。果たして、彼はどんな殺し文句を囁いてくれるのだろう。考えただけで、紅唇はだらしなく緩み、不気味な含み笑いが漏れる。とうとう白鳳の目前までやって来た青年は、おっとりした仕草で傘を差しだした。
「待ったかい」
素朴な言葉もたまには新鮮だ。白鳳は満面の笑みと共に、”いいえ、ちっとも”と猫なで声を出しかけた。が、腐れ××者の白日夢もここまでだった。白鳳が応答する前に、隣りに佇む少女が明るく言いかけた。
「ううん、ちっとも。来てくれてありがとう」
謝意を述べるやいなや、金髪の小柄な少女は躊躇いなく青年の傘に入った。そう、全ては白鳳のひとり相撲だったのだ。青年が微笑みかけたのは、白鳳の隣にいた恋人に対してであり、胡散臭い××者など端から眼中になかった。そもそも、健全な男性なら、初対面の同性と相合傘を望むわけがない。しかも、妙な色目を使うオトコには、絶対、近づきたくなかろう。けれども、己の痛さをこれっぽちも自覚してない白鳳は、軒下から歩み出たまま、勝手にショックを受けていた。
(が〜〜〜〜〜ん)
数分間のめくるめく期待とときめきはいったい何だったのか。従者たちのきつい締め付けで、近頃はオトコ漁りもままならず、燻っていた身にとって、久々のチャンス到来と思ったのに。
(あんな小娘より、私の方が遙かに美人でしょっ)
ムダに夢を見た分、事実を受け容れ難かったが、談笑する青年と少女を見れば、彼らの親密な関係はすぐ分かる。さすがの白鳳も、彼とのロマンスは1から10まで妄想の産物だと認めざるを得なかった。今となっては、露骨にしなだれかかったり、キスを迫ったりしなかったのが、せめてもの救いだ。
(もう、踏んだり蹴ったりだよ)
全身に浴びせられた夥しい水滴を拭う気力もなく、白鳳はやるせない気分で、虚空を眺めていた。けれども、捨てる神あれば、拾う神ありだ。雨中に棒立ちの白鳳の後ろから、不意に古風な番傘が差し掛けられた。背後に漂う慣れ親しんだ気配。まさかと思って振り向くと、苦笑いする紺袴の従者がいた。
「・・・・神風」
「残念でしたね、白鳳さま」
忠言を聞かない主人に呆れつつも、神風はちゃんと迎えに来てくれた。読みの鋭い彼のことだから、雨が降り始める時刻を見計らって、タイミング良く宿を出たのだろう。



神風のお迎えには感激したが、白鳳は手放しで喜べなかった。彼の一言に引っ掛かるものを覚えたからだ。”残念”という表現は、白鳳の心象風景を一部始終見透かしてなければ、出て来ない気がする。訝しく思った白鳳は、さっそく神風に問いかけてみた。
「ねえ、ひょっとして私の様子をしばらく見てた?」
「はい」
「やっぱり。。」
脳内で恋愛ストーリーを捏造して、浮かれたりしょげかえったりする白鳳を、しばし生暖かく観察していたらしい。だから、声をかけた時、苦笑してたのだ。
「善良な一般人が被害を被りそうになったら、速やかに阻止するつもりでしたが、まるっきり取り越し苦労で助かりました」
未だに笑いを堪える神風に気付き、白鳳はあからさまに口を尖らせた。だいたい、顛末が分かっていて、止めを刺されるまで放っておくとは、意地悪過ぎる。すぐ馳せ参じてくれれば、繊細な心(自己申告)を傷つけずに済んだものを。
「麗しい主人の悲劇を黙って眺めているなんて、あんまりじゃない」
「白鳳さまの場合、実際、痛い目に遇わないと身に染みませんので」
神風が先に現れたら、青年との恋路を邪魔されたと、理不尽な恨み言を言いかねない。困った××者には、容赦ない現実を知らしめるのが一番だ。そもそも、悲劇と解釈してるのは本人だけで、白鳳の的外れな奮闘は400%喜劇だった。
「ちぇ〜っ」
「いつまでもふくれてないで、荷物をお貸し下さい」
「ふんだ」
大人げなくそっぽを向く白鳳を見遣ると、神風は口元を綻ばせ、しんみり言いかけた。
「白鳳さまはご不満かもしれませんが、私は一緒に戻れて嬉しいです」
「そ、そう」
神風らしからぬストレートな物言いに、白鳳は毒気を抜かれ、険しい表情もほんわか和らいだ。優しく私心のない神風のことだ。白鳳を喜ばすためだけに、手間暇厭わずここまで来たのだろう。もし、白鳳が青年と立ち去れば、神風の厚意は無になっていた。水煙立つ広場で、白鳳を必死に探し求める姿を想像すると胸が痛む。神風の忠義が報われ、ふたり、無事会えたのは幸いだった。びしょ濡れになった袴の下半分に視線を落とし、白鳳はこれで良かったのだと納得した。見も知らぬイケメンより、身近な従者の方が遙かに大事ではないか。
「早く帰りましょう。スイ様や皆も待ってます」
「うん」
すっかり素直になった白鳳から、神風は紙袋を慎重に受け取った。だが、片手で抱えるには少々無理があったのか、持っていた傘が手をすり抜けた。宙を漂い始めた傘を、白鳳が素早くキャッチした。
「傘は私が持つよ」
「はい、お願いします」
互いの所持品を交換した白鳳主従は、なおも雨宿りを続ける客を残し、広場を出立した。雨足が弱まる気配は皆無で、空はますます暗さを増している。もう、今日中の天候回復は望めまい。しかし、白鳳の心は雨のち晴れの気分だった。独りよがりのハンティングは玉砕したが、隣には誰より信頼できる極上のオトコがいる。白鳳の裏も表も知り尽くした上で、苦言を呈しつつも、受け容れてくれる最高の理解者。ある意味、恋人をも超える従者に、白鳳はいたく満足していた。
(神風は私を見捨てたりしないもんね♪)
誠実な神風は件の約束を違えることはない。白鳳が無謀な突進を繰り返し、たとえ、大陸中のオトコに逃げられても、神風だけは変わらず側にいてくれるはずだ。白鳳の野放図な道楽も全て神風いればこそ。身近に甘えられる相手が存在する幸福を、しみじみ噛み締める白鳳だった。


FIN


 

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