*KISSMARK*



朝からの小雨がいつしか本降りになった夜、白鳳はダンジョンを探索する合間を縫って、国の中心部にある大きな市場に出向いていた。先日の謝礼として、アーヴィング家へ送る品物を選ぶためにやって来たのだ。時折、男の子モンスターたちに土産を持ち帰ることもあったが、これだけ様々な国を巡っているにもかかわらず、プライベートな買い物のためにわざわざ時間を割いたのは初めてかもしれない。
(思えば、随分と余裕のない生活をして来たものだ)
一体でも多く目当てのモンスターを捕獲しようと焦るあまり、無理はあっても無駄のない過酷なスケジュールで動いてきた。しかし、それが自分の心からいかに潤いや豊かさを奪い去っていたことか。他人の前では余裕たっぷりの素振りを見せていたものの、実のところ、裏では限界スレスレのタイトロープ状態だった。もっとも、そういう状況ですら気に入った男を口説いて押し倒す所業だけは欠かさなかったのだから、真性××の本能恐るべしである。それともこんな形でも構わないから、刹那、誰かの温もりが欲しかったのだろうか。
「う・・・・ん、セレストにはどんなものがいいかな」
「きゅるり〜」
問いかけるような独り言のような曖昧な口調で、我知らずポツリと漏らした。アドルフには限定生産の地酒を、セリカにはこの地方特産の染め物のスカーフを、シェリルには天然石で作られたペンダントを選んだのだが、肝心のセレストにあげる品物が決められない。市場を隅から隅まで歩き回り、幾つかの候補の品を手に取ったのだが、どうしても今ひとつピンと来なかった。せっかくプレゼントするのなら、自信を持って薦められる品を選びたい。世間一般でよく使用される”粗品”とか”つまらないもの”という表現は好きではなかった。
(きっと考えすぎなんだって、分かってはいるんだけど)
何を贈ろうとセレストなら手放しに歓迎してくれるに違いない。そういう相手だからこそ、妙な気を使わせることなく、心から喜ばせてあげたかった。どんなものが彼の好みに適うのだろう。非番の時はいったい何をしているんだろう。あれこれ想像を巡らすうち、彼の趣味や好物どころか、誕生日や血液型すら聞いていない事実に気付いてしまった。
(私はセレストのことを何も知らないんだな)
一気に全身が重くなるほど落胆した。小さいときから日常を共にして来たカナンなどは、きっと自分の何十倍何百倍も彼について理解しているのだろう。そう考えると、少年に軽い嫉妬すら覚えた。けれども、振り替ってみれば、今まで肌を合わせた無数の相手のことだって、所詮行きずりの関係でしかないから、何も知らないし知ろうとしなかった。こうして誰かと対等な付き合いをしようと一歩踏み出してみて、自分がいかにいびつな人間関係しか作って来なかったか、改めて思い知らされた。この数年間、誰と関わっても、支配やら蹂躙やら己の欲望を満足させることしか考えてこなかった。他者との交わりは少なからずギブアンドテイクなのだから、相手にばかり何かを求めても一方的な関係しか築けないのは当たり前だ。独りぼっちになったのは完全に自業自得だったのだ。でも、紆余曲折はあったものの、セレストとは思いがけずやり直す機会を得たのだから、今度こそ揺るぎない絆を築いていけたらと思う。たとえ、それが恋愛関係じゃないとしても。
(だけど・・・・・)
ギブアンドテイクといっても、こちらがセレストにしてあげられる仕業があるのだろうか。彼はああ見えて、しっかりした信念を持った芯の強い人だし、その世界には信頼で結ばれた主君や家族や仲間がたくさんいて、到底、自分が入り込む余地などなさそうだ。正直、現在の自分には彼の存在が支えになっていることは否めないけれど、彼にとって自分は必要な存在なのだろうか。一方的に彼を頼って寄りかかるだけの関係は本意ではない。同情や憐憫で一緒にいて欲しくはないのだ。あくまでも彼とは五分五分の対等な間柄でいたい。そのためには心身共にもっともっと強くならなくては。もっとも、こんな決意を彼に訴えたら、そこまで頑張らなくてもいいのにと、苦笑されてしまうのだろうけど。



予定外の休暇を貰い、夜遅くセレストが家に戻ってみると、家族が皆、浮き浮きと見慣れぬ物品を手に取っていた。日常、ほとんど贅沢はしない一家だけに、いつもの風景に新しいオブジェが加わると違和感すら湛えて目立つ。
「ただいま」
「あ、お兄ちゃん。どうしたの、こんな時間に?」
「後輩の母上が急病になって、先週、非番を交代したんだ。その代休が突然来た」
ちなみにこういう場合、皆は真っ先にセレストに声をかけてくる。そして、セレストも未だかつて相手の申し出を断ったことはない。
「まあ、もう少し早く分かっていれば、夕食を用意したのに」
「食事は済ませてきたから大丈夫だよ。シェリルこそこんな時間にどうしたんだ」
「白鳳さんからお土産を送ってきたって聞いたから、仕事帰りにちょっと寄ったの」
「え、白鳳さんが」
情熱的な告白に圧倒され、記憶から掻き消されたままだったが、別れ際にそんなことを言っていたっけ。しかし、あれから2週間も経ってないのに、まさかもう送ってきてくれるなんて。
「今どきの若い者には稀な義理堅い男だな」
「お父さん、珍しい地酒をいただいてご機嫌なのよ」
確かにあの父が他人を手放しで褒めるなんて珍しい。やや濁り気味の白い液体の入った小瓶を前にすっかりご満悦の表情だ。
「お母さんも素敵なスカーフをもらったわ」
「私はこのペンダント。角度によって微妙に色が変わるの。綺麗でしょ」
双方とも装飾品に疎いセレストが見ても、一目で質の高さを感じる代物だった。落ち着いた色合いにあか抜けて上品な雰囲気。
「こんなにしてもらって、かえって申し訳ないわねえ」
「うむ。当然のことをしたに過ぎんのに」
「今度来たときには焼きたてのパンをご馳走してあげなくちゃ」
嬉しげに顔を綻ばせる家族に囲まれ、実に気分が良かったが、少しだけ、いやかなり気になることがあった。アーヴィング家全員に送ってきたのだから、自分宛ての品物もあっていいんじゃなかろうか。
「あ、あのさ、母さん」
「何?」
「白鳳さんから送られてきたのは三点だけかな」
他人の贈り物を期待するなんて、卑しくも図々しいのは承知の上なので、口調もどことなく躊躇い加減だ。それでも、仄かなときめきと共に母の答えを待ったのだが。
「送られてきたのはこれだけよ」
「え」
が〜〜〜ん。自分でも情けなくなるほどの衝撃だった。やはり、本音では彼のプレゼントを楽しみにしていたのだ。しかし、冷静に考えれば、倒れた白鳳をこの家まで連れてきたのはアドルフだし、看病したのはセリカとシェリルであって、セレスト自身は何もしていない。これでお礼の品を貰おうなんて、虫が良すぎたのかもしれない。そんな兄の複雑な胸中を知るはずもなく、シェリルが明るく話しかけてきた。
「だけど、お兄ちゃんに白鳳さんみたいな友達がいたなんて、ちょっと意外だったなあ」
たまに家に招く友人といえば、騎士団の同期や後輩で、いかにも無骨で地味な武人タイプの人間ばかり。紅いチャイナ服が似合う華やかな訪問者には正直、驚かされた。
「始めからセレストの友人だと分かっていれば、そのような対応が出来たのに」
「でも、白鳳さんも俺の家族の顔を知っていたわけじゃないから」
ごく自然に対応しつつも、家族が彼に対し、”友達”とか”友人”という表現を使うことに、少なからぬ違和感があった。それがふたりの間柄を的確に表す言葉とはどうしても思えなかった。もちろん、家族は白鳳の性癖を知るべくもない。だが、彼は自分のことを好きだと言った。あれは正真正銘、本心からの告白だった。そう遠くない将来、はっきりした答えを出さねばなるまい。未だに幾つかの拘りや心理的な抵抗は捨てきれないものの、純粋な想いだけをYESかNOかと問われれば、きっとYESと答えるはずだ。だが、家族に彼を恋人だと紹介したら、いったいどんな反応を示すだろう。主君は、友人は、同僚は。ひょっとしたら、今の人間関係や職務にも支障が出るかもしれない。真の意味で白鳳の気持ちに応えるとは、つまりこういうことだ。好きという感情だけでは貫き切れない関係。世界のどこかには同性同士の恋愛に拘りのない国もあるというが、このルーキウス王国にはまだまだ昔ながらの社会観念が色濃く残っている。事実、自分だって出会った頃は白鳳の言動をとんでもないと思っていたのだ。けれども、白鳳の想いを受け容れるのであれば、こそこそ隠れて付き合うのは嫌だ。そんな後ろ暗い態度はあまりにも失礼だし、彼を深く傷つけてしまいかねない。なら、いったいどうすれば。そもそも自分にそこまでの覚悟が持てるのだろうか。最近はいつもこうした堂々巡りのことばかり考えている。



その夜は白鳳から贈られた地酒を酌み交わしながら、久々にアドルフとじっくりと話をした。同じ騎士団にいても互いの役目上、日頃はなかなか言葉を交わす機会に恵まれないのだが、仕事、趣味、将来のことなどについて、あれこれ忌憚ない意見をぶつけ合った。しかし、実のある会話を肴に、いい気分で酔ったせいか、すっかり寝過ごしてしまった。主君の不機嫌そうな顔がくっきり脳裏に浮かび、大慌てで身支度をして、そそくさと玄関まで走ったが、不意に母に封筒を差し出された。
「そうそう。これすっかり渡すのを忘れてたわ」
「何だい?」
「白鳳さんからお前への手紙」
「え」
「プレゼントに浮かれて、つい忘れてしまったのよ、ゴメンね」
単純なもので、土産はなくてもこれだけで気が済んでいた。日中は男の子モンスターを求めてダンジョンを歩き通しだから、きっと疲れているだろうに、わざわざ自分宛てに手紙を書いてくれただなんて。もっとも、残念ながらここで読んでいる時間はない。セレストは封書を受け取ると、それを懐に入れて家を出た。
「やれやれ、なんとか間に合ったな」
どうやら遅刻せずに城内についたものの、一旦、主君の部屋に入ってしまえば、当分解放されそうにない。一刻も早く文面を読みたいあまり、止せばいいのに、セレストはカナンの部屋に続く廊下で封を開いた。取りあえずざっと目を通すだけでも良い。夜に自室に戻ってからゆっくり読もう。
(どんなことが書いてあるんだろう)
あのような別れ方をした後だ。彼の人の強引なほどの言動を考えると、熱烈な愛のフレーズが綴ってあるやもしれない。いろいろな意味で心の準備をしてから、期待半分警戒半分で便箋に視線を落としたセレストだが、中身は拍子抜けするほど、普通の文面だった。少し神経質そうな細目のきっちりした文字。


”お元気ですか、セレスト。私は今、東の大陸にある某国に来ています。
今回の旅は幸い順調そのものです。なんだか、貴方と再会してから、
全てが良い方向に進んでいる気がします。
また会える日が来ると思うと、気持ちにも張りが出てきました。


すみません。今回、貴方の分の贈り物がなくて、さぞ不愉快になったと思います。
各店を探してみたのですが、貴方の具体的な好みが分からなかったので、
あれこれ迷っているうちに決められなくなってしまいました。
形だけでもと考えたのですが、気に入らないものをあげてしまうのが怖くて、
どうしても買えませんでした。


好きと宣言していながら、貴方のことを何一つ知らない自分に愕然とする思いです。
でも、私たちの関係はこの先、新たに築いていけるはずですよね。
今度会ったときは貴方の趣味や好きなものをいろいろ聞かせて下さい。
それでは一日も早い再会を願って。

 愛するセレストへ     白鳳より”


たとえどんなものであろうと、心がこもった贈り物であれば十分嬉しいのに。気に入るとか入らないとか、つまらないことを気に病む必要はないのに。だけど、店で悩みに悩んだ末、結局踏ん切りが付かずに品物を棚に戻す様子や、宿でそのことを手紙にしたためてる様子がリアルに想像できて、なんだか微笑ましかった。物理的には遠く離れているはずなのに、一瞬、彼を誰よりも身近に感じた。
(やっぱり白鳳さんは可愛いひとだ)
実際、口にしたら間違いなく怒られるだろうが、ここでこっそり思っているだけなら許されるだろう。カービング以外に大した趣味もないし、好みだって極めて平凡だと思う。おそらく、彼が期待するような有益な情報は提供できまい。それでも、早く会って、そんな他愛のない会話をしたかった。順番は大幅に前後したけれども、白鳳も書いてきたとおり、きっと自分たちの本当の交誼はこれから始まるのだ。
(あれ)
ふと、便箋が二枚つづりになっていることに気付いた。文面自体は完結している気もするが、取りあえず下の便箋も覗いてみようと、捲ったのがまずかった。
(う。。)
そこには鮮やかなキスマークが付いていた。朱の色も露わに整った薄目の唇がくっきりと、悩ましく色っぽく。思わず固まったセレストだったが、驚きを通り越し、頭の片隅にずれた思考が浮かんできた。
(あの人はこれだけのために口紅を買ったのか)
紅いチャイナ服や羽根ショールを纏い、男性離れした格好はしているが、ここまで行くと、茶目っ気があるという表現だけでは片付けられない。さすがにどっと力が抜けるものを感じた。ところが、唐突に白鳳が唇にルージュを塗る姿が浮かんできたではないか。
(な、何を考えているんだ、俺は)
しかもその艶姿ににっこり微笑まれ、胸に深々と何かが刺さった瞬間、思わず持っていた手紙を取り落としてしまった。開け放たれた窓からの微かな風に運ばれ、手紙は後方にふわりと流された。すぐに振り返ったセレストだったが、折悪しくそこに通行人が来た。
「おい、セレスト、何か落としたぞ」
(あっ!!!!!)
士官学校の同期で、気はいいのだが、口が軽くて有名な男である。セレストは慌てて手紙をひったくったが、ワンテンポ遅かった。文面はともかく、鮮やかな朱印は完全に見られてしまった。彼はしばしの沈黙の後、からかうというより、心底感心したような顔をして、しみじみと言いかけてきた。
「堅物な男だと思ってたけど、どうしてお前も隅に置けないなあ」



無論、1日も経たないうちに、手紙のキスマークは近衛隊中の噂になった。日頃、目立った事件も起こらず刺激が少ないだけに、ちょっとでも面白そうな話題があると、皆、それに飛びつくし、人づての話の常でぼこぼこ尾ひれが付きまくり。興味津々の同僚や後輩から次々に声をかけられ、セレストはすっかり鬱になっていた。
「遠距離恋愛なんてロマンティックですね、副隊長」
(文面を見れば、それは微妙に誤解だってすぐ分かるんだが)
「手紙にキスマークなんて、ずいぶん大胆だなあ。まあ、お前みたいな不器用なヤツには、それくらい積極的な子がお似合いかもな」
(同性を送り狼するくらい大胆で積極的なのもどうかと)
「ひょっとして悪い女に引っ掛かったんじゃないのか。お前は真面目で一途だから心配だよ」
(そもそも女ですらないんだけどなあ。。)
結局、その件についてはあくまでもノーコメントを貫いた。弁解すればするほど新しいネタを提供するだけだし、実際清い関係とは言えない以上、下手に口を滑らせて、更なる深みに嵌らないとも限らない。人の噂も75日というし、彼らの好奇心が別の事柄に移ってくれるのを待つしかない。けれども、その前に主君や父のところまで話が届くのはまず間違いなかろう。ふたりともこういう場面ではイヤになるほど耳聡いのだ。白鳳の性格やある程度の経緯を知るカナンはまだいい。が、せっかくいい雰囲気で酒を酌み交わしたのも束の間、あの頑固オヤジの追及をどう逃れようか考えただけで、不意に鳩尾のあたりがきりきり痛み出すセレストだった。



FIN


 

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