*惚れ薬*



肉と野菜の旨味を十分溶け込ませた香りが湯気に乗って漂う。
「ふふっ、今日のシチューも大成功だねv」
「きゅるり〜」
褐色のとろみに見え隠れする具も程良く煮え、後は仕上げをするばかり。隠し味のスパイスに赤ワイン。手をかけた作品が会心の出来となり、形の良い唇からは今にも鼻歌が零れそうだ。しかし、白鳳が浮かれているのは、単に料理の味のせいだけではなかった。
「そろそろ混ぜちゃおうかな」
含み笑いを漏らしながら、おもむろに取り出したのは、掌にすっぽり収まるほどのガラスの小瓶だった。中には透明なえんじ色の液体が入っている。白鳳はその蓋を抜くと、包丁で自らの小指をつつき、一滴だけ血を落とした。蓋の部分を指で押さえて良く振ると、それをシチューで充たされた大鍋の上に持って行った。
(これで神風たちも私のと・り・こv)
瓶の中には昨夜、闇市で入手した惚れ薬が入っている。手を変え品を変えアプローチしても、ちっとも一夜を共にしてくれない男の子モンスターたちに業を煮やし、白鳳はついに最終手段に出た。外部の力を借りて、強引に自分の思い通りにする魂胆なのだ。
(私だって、姑息な手は使いたくなかったけど)
殊勝なモノローグとは裏腹に、にんまりと口元を緩めただらしない顔が、本心を代弁している。すでに白鳳の頭の中では、薬の効いたパーティーメンバーとの濃厚なハーレムプレイが繰り広げられつつあった。無論、ハチだけはさっくり除外しているが。
(きっかけはどうあれ、一度私の熟練の技を味わえば、もう離れられないはず)
今まで主人と従者の域を出なかった彼らとの関係も激変すること請け合いだ。宿屋で夜毎、桃色遊戯に耽るのも夢ではない。相手をひとりに絞って、じっくり可愛がる夜と、複数プレイに燃える夜と、どう配分したら良いものか。
「皆が私を巡って、本気で喧嘩を始めたらどうしよう。うふふふふv」
「きゅるり〜っ。。」
あからさまに怪しい兄の様子から、邪な陰謀の匂いを察し、スイは肩先で騒ぎ立てたが、当人はまるっきり意に介さない。早くも己の妄想に酔った白鳳は、勇んで薬を振り入れようとした。が、その途端、背後から細い手首をむんずと掴まれた。



「痛っ」
振り向けば、禍々しい光を放つDEATH夫の金色の瞳。そのまわりには神風、フローズン、オーディンが冷ややかな表情で佇んでいる。手伝いの場合を除き、調理場には一切立ち入らない彼らなのに、どうして肝心な時に限って。
「これは何だ」
「な、何って・・・仕上げのエッセンスだけど」
「きゅるり〜」
「嘘をつけ」
DEATH夫はたおやかな手から力ずくで小瓶を取り上げ、傍らのフローズンに手渡した。液体を一滴指にたらし、その手触りや香りを注意深く探っていたフローズンだったが、程なく顔を上げると一同に告げた。
「・・・・これは媚薬の一種です・・・・」
「媚薬ぅ!?」
神風とオーディンが同時に驚愕の声を漏らす。
「・・・・術者が自分の血を一滴混入して、使用するものです・・・・。・・・・飲まされた者は無条件で術者のことを好きになってしまいます・・・・」
詳しい説明を聞いて、一同の顔付きがますます険しくなった。闇で取り引きされるような薬まで知っているなんて、さすが博識なフローズン、と一瞬感心したものの、これで皆の追及をかわす術は消え失せた。フローズンの厳しい金銭管理にもめげず、こっそり貯めたへそくりを叩いたのに、何もかも水泡に帰してしまった。白鳳は媚びモードの上目遣いと共に、2.3歩後退りをしかけたが、四方からにじり寄られ、即座に逃げ場を失った。
「ど、どうして、薬のことが分かったのかな」
「・・・・白鳳さまによく似た者を闇市で見かけたと、情報屋から報告がありました・・・・」
「げっ」
「きゅるり〜」
新種の男の子モンスター情報を得るため、使っている情報屋をこんな用途で利用するなんて。これではおちおち歓楽街にも行けやしない。
「寄りによって、我々に媚薬を飲ませようとするとは。白鳳さまを見損なった」
「・・・・惚れ薬なんて、薬の力を借りなければ誰にも相手にされない輩が使うものです・・・・」
「恥を知れ」
「白鳳さまを全面的に信頼しているハチやまじしゃんの前で、企んでいた悪行を堂々と言えますか」
「うううっ」
主人の卑劣な行為はもちろん全員から総スカンだ。日頃は温厚なオーディンまで厳しい口調で糾弾してくる。彼らの意見が正論なのは百も承知だが、白鳳はなおもムダな抵抗を続けた。
「だって、皆、ちっとも私の相手してくれないんだも〜ん」
「甘ったれるな」
「白鳳さまには親分さんがいるじゃないですか」
「・・・・破れ鍋に綴じ蓋・・・・」
「そう言えば、朝方に盗賊団の子分たちを見かけたぞ」
「い、言うに事欠いて何を。あんな男、私の好みとはほど遠いんだからっ。ただの下僕だよ、下僕っ」
声高に反論しつつも、この街にアックスたちが到着したことを知り、白鳳はほんのちょっぴり嬉しくなった。近頃では熱心な追っかけのごとく、ナタブーム盗賊団は決まって後からついてくる。街中やアジトで何度も遭遇するうち、男の子モンスターもアックスとすっかり顔馴染みになり、軽口が叩き合える程度の仲になっていた。だからと言って、こんな場面でアックスの名前を出されるのは納得いかない。
(私が恋人と呼ぶオトコだったら、顔が良くて、頭が良くて、お金持ちと3拍子揃ってなくちゃ)
どう贔屓目に見ても、アックスは全てに当てはまらないではないか。前ふたつの条件を満たしているだけ、神風たちの方がよっぽど眼鏡に適っている。けれども、彼らと懇ろになる望みも虚しく潰えようとしている今、白鳳は最後の賭けに出た。大枚叩いて、ようやく手に入れた薬をここで取り上げられてなるものか。
「そうだね・・・今回のことは全面的に私が悪かったよ」
「分かってくれればいいんです」
しおらしい仕草で反省したと見せかけ、一同を油断させるやいなや、白鳳は素早い動きでフローズンの手から小瓶をもぎ取った。皆の間をすり抜け、全速力で宿屋の勝手口に向かう。
「せっかくだから、外で効き目を試して来ますっ」
乱暴に扉を叩き付けると、紅いシルエットはスイを残して一目散に外へ駆け出した。あれだけ非難されたにも関わらず、性懲りもなく薬を持ち出した主人に、誰もが呆れ顔だ。
「仕方ないなあ、白鳳さまは」
「きゅるり〜」
「・・・・外で犠牲者が出なければいいのですが・・・・」
「放っておけ」
「まじしゃんやハチに気取られてはまずいから、取りあえず冷めないうちに食事をしよう」
年少組が抱く白鳳の美化されたイメージを守るのも楽じゃない。オーディンの提案に力なくうなずくと、神風は熱々の大鍋を慎重に食卓まで運んだ。





媚薬を片手に後先考えず逃亡したものの、白鳳はこれからの方針を決めあぐねていた。何の面識もない相手に、無理やり薬を飲ませるには、綿密な作戦を立てなければならないし、少なからぬリスクも伴う。けれども、行き交う人々を悉く値踏みしても、手間も厭わず口説きたいと思うほどの、極上の男はどこにも見当たらなかった。
(通りすがりで簡単に見つかるくらいなら、誰も苦労しないかあ)
己の基準が限りなく高いと自覚しているだけに、この結果にも驚かないが、かと言って、お試しもせず、すごすご宿へ引き返すのは面白くない。どうせ戻ったら、また神風たちの叱責が待っているのだから、今のうちに好き放題暴れてやれ。半ば投げやりになって、ネオンの波の中、繁華街のいかがわしいバーを目指した白鳳だったが、ふと耳を掠めた呼びかけに歩を止めて振り返った。
「何やってんだ、おめえ」
「あっ、親分さん」
そこにはアックスが大きな荷物を肩に担いで立っていた。どっしり構えた様子から、中身は盗品ではないようだ。オーディンから前もって情報を得ていたので、驚きはなかったが、まさかこんな絶好のタイミングで会えるなんて。あらゆる意味で彼ほど実験台に相応しい男が他にいるだろうか。白鳳は堪え切れず、喉の奥でくくと笑いを漏らした。
「こんな時間にひとりでどこへ行きやがる」
苦い顔で吐き捨てるように問いかけたアックスに、紅の双眸が色香溢れる視線を流す。その声音も妙にもの柔らかで艶めいて。
「親分さんに会いに来たに決まってるじゃないですかv」
「ひ、人をからかうのもいい加減にしやがれっ」
「からかってなんかいませんよ」
白鳳のいつにない友好的な態度にアックスがあたふたしていると、悩ましい唇が微笑んだままで接近してきた。
「わっ、なっ、止さねえかっ」
逃げる間もなく、白鳳にちゅっと口付けされ、アックスはしばし硬直した。と、その時、何かを口移しで送り込まれたことに気付き、すぐに細い肢体を突き飛ばした。
「てめっ、何飲ませやがったっ!?」
「今に分かりますよ、ふふふ」
手応えはあった。アックスは間違いなく薬を飲んだ。後は効き目が表れるのを待つばかり。思い通りの展開になって、白鳳は密かにほくそ笑んだ。
(この無骨な男が私にどう迫ってくるか、見物だな)
歯の浮くような美辞麗句は似合わないし、多分思いつきもしないだろうが、ストレートな愛の告白も悪くないし、話の種には十分過ぎる。脅しのネタがもうひとつ増えそうだと、白鳳はわくわくしてアックスの次の言動を待った。だが、顔を真っ赤にしていきり立つだけで、求愛のセリフを囁く気配は欠片もない。
「あ、あのぉ・・・親分さん」
「ったく、くだらねえことしやがってっ」
目を三角にして、喚き散らす相手を訝しげに見遣りつつ、白鳳は恐る恐る先を続けた。
「私を見て、胸がどきどきしたり、苦しくなったりとかしません?」
「ああっ、誰が××野郎にどきどきするって」
殊更に視線を合わせず、アックスは刺々しい口調で返した。
「な、なら・・・愛らしくて堪らないとか、思わず押し倒したくなるとか」
「寝言は寝て言えってんだっっ!!!!!」
「そ、そんなぁ」
大音声で怒鳴られて、白鳳は愕然とした。これっぽちも効いていないではないか。様々なつてを頼って、やっとの思いで入手した薬だったのに、悲しいことに金を騙し取られただけだったらしい。
「用がなきゃあ、俺はもう行くぜ。子分たちが待ってっからな」
「は、はあ」
目論見が外れた衝撃のあまり、迫る気にも追いすがる気にもなれず、白鳳は立ち尽くしたまま、褐色の巨体を見送った。荷物を抱え直し、踵を返しかけた広い背中の動きがほんの一瞬止まる。
「あー、そうだ」
放心状態で佇む紅いチャイナ服へ、アックスが最後に一声かけた。
「俺たちのアジトは西にある川の中流付近だ」
「え」
「べ、別に俺はおめえの顔なんざ見たくもねえが、子分連中が会いたがってるみてえだからよ」
照れ加減で鼻の頭をかく仕草は、世慣れていない少年みたいだ。直前まであんなに激怒していたのに、アジトの場所まで教えてくれる人の良さに呆れながら、白鳳は仄かに目を細めて返した。
「・・・・・気が向いたら、ボクちゃんたちのために行ってあげますよ」





夕食が終わって、ハチとまじしゃんがスイと一緒に就寝した後も、神風たちは困った主人の帰りを待っていた。
「そろそろ探しに行った方が良いかもしれんな」
「まさかとは思うけど、あの薬を使って誰かと」
「あんなヤツに引っ掛かる方が愚かだ」
「・・・・あ、戻っていらしたみたいです・・・・」
フローズンの言葉を待つまでもなく、扉の前の気配に気付き、神風は慌てて迎えに出た。
「白鳳さま、こんな時間までどこを彷徨ってたんですか」
あからさまな膨れっ面を見て、悪事が首尾良く運ばなかったことを察し、少し安堵した。新たな生贄が生まれないで本当に良かった。吐息にアルコールの匂いが混じっているところを見ると、大方、失敗にむくれて、やけ酒でもあおっていたのだろう。
「もうっ、この薬、とんだ食わせ物だったよ」
「ええっ」
フローズンが認定した以上、偽物ではなかろうが、白鳳の凄い剣幕を見る限り、嘘を言っているとも思えない。詳しい経緯を聞こうと、他の3人も出入り口までやって来た。
「せっかく親分さんと会ったから試してみたのに、露ほども効きやしないっ」
「他人に飲ませたんですね」
またもや人の道を踏み外した主人を、きつい視線で睨み付ける神風。しかし、白鳳の頭の中は、いんちきな媚薬を売りつけられた無念さで溢れかえっており、従者の嘆きの表情など全く目に入らない。
「金も手間もかけたのにとんだ散財だったよ。ああっ、悔しいっっ」
よほど腹に据えかねたのか、白鳳は激情に任せて、小瓶を壁に投げつけた。それはガシャンという派手な響きと共に砕け散り、辺り一面に液体が撒き散らされた。
「おう、どうしたんだー」
大きな音に目を覚ましたハチが、寝ぼけ眼でふらふらと迷走する。
「いや、何でもないぞ」
「・・・・ハチは明日も早起きなんですから、夜更かしはいけません・・・・」
「とっとと寝ろ」
「寝床まで連れてってあげるよ」
まだ幼いハチに黒い事情を話すわけにはいかない。速やかに床についてもらおうと、神風がゆっくり両手を差し出した時だった。
「これ、ジュースなのか?もったいないなー」
食いしん坊のハチは零れた液体を目ざとく見つけ、あまつさえそれをぺろりと舐めてしまった。予想外の展開に一同はぎょっとしたが、幸い好みに合わなかったのか、それ以上は口を付けようとしなかった。
「染みにでもなったら、宿の人に申し訳ないですから、早く拭き取りましょう」
「ハチは俺が連れて行こう」
ハチをオーディンに預けると、神風とフローズンはそそくさと雑巾の用意を始めた。けれども、諸悪の根元の白鳳は彼らを手伝いもせず、口を尖らせたまま、ベッドの上に身を投げ出した。
(あ〜あ、最悪)
昨夜、薬を入手したときはこれから広がる薔薇色の未来に思いを馳せていたのに、今、出てくるのは愚痴とため息ばかりだ。すっかり鬱な気分になった白鳳の端麗な顔を熱っぽく覗き込む影ひとつ。
「はくほー、愛してるぜーv」
唐突に告白され、声のした方向を凝視すると、ぷっくりほっぺの虫が情けない顔で照れ笑いをしていた。
「・・・・・ハチ」
いったいどういう了見かと、白鳳は怪訝そうに見つめたが、ハチは真剣そのものの面持ちで、こんな風に言いかけてきたではないか。
「オレの嫁になれーv」
「わっ、ハチが色気づいてるっ」
この年でまさか発情期ということもあるまい。胸に浮かぶ可能性はただひとつ。さっき、舐めたあの薬の作用が爆発したのだ。でも、どうして。アックスに飲ませたときは、まるっきり変化が起こらなかったのに。
「待てよー、はくほー。オレの燃える想いを受け止めろーv」
「ちょ・・・いったいどうなってるんだよっ」
大きな目をハート形にしたハチに追い掛けられ、叩き落とすことも忘れて、広い室内を逃げまどう白鳳だったが、神風たちはお仕置き代わりとばかり、誰一人止めようともしない。この手の媚薬の効果はごく一時的なものだし、ハチも一寝入りすればたちまち悪夢から覚めるだろう。




ハチと白鳳の追いかけっこは、ハチが眠気に負け、床に転落したことで終止符を打った。ふてくされた白鳳は早々と寝てしまい、部屋はすっかり静寂を取り戻した。ようやく一息ついた男の子モンスターたちは、神風が入れたジャスミン茶で一服している。捕獲よりも戦闘よりも、暴れうしのごとき主人の世話が一番厄介だ。
「白鳳さまもこれに懲りて、少しは大人しくなってくれれば良いが」
「あいつの馬鹿は死んでも治らん」
「にしても、ハチに効いて、親分さんには効かなかったなんて」
「うむ、いったいどういうことなんだ」
不思議そうな顔で首を捻る神風とオーディンに、フローズンが微かに口元をほころばせて言った。
「・・・・あの方はすでに白鳳さまの毒が、身体中に回っておりますから・・・・」
あまりにも的を射た表現に、ふたりはなるほどと肯いた。言われてみれば、いろいろ思い当たる節はある。
「確かに白鳳さまの行くところには必ず現れるし」
「口では悪態をついていても、いつも白鳳さまに優しいし」
「・・・・結局、白鳳さまのわがままを全て許してます・・・・」
「そんなものか・・・・・悪趣味の極みだな」
色事に関心の薄いDEATH夫だけは、今ひとつピンと来ない様子だが、同行する男の子モンスターにまで丸分かりの事実を、肝心の白鳳が1%も自覚してないとは。日頃の行いは棚に上げ、自分だけを愛してくれる誠意ある相手がいないかと、目の色変えて物色している姿は可笑しさを通り越し、哀れさすら漂う。
「他人の色恋沙汰には鋭いし、興味津々なのに、肝心なところで鈍感なんですからねー」
「白鳳さまも内心は満更でもないと思うのだが」
「・・・・本人の程度の割に高望みなのです・・・・」
「要するに、身の程知らずってことか」
口から出る言葉は様々でも、彼らが白鳳の幸せを願っている気持ちに変わりはない。険の取れたあどけない寝顔を見遣りながら、もっと地に足をつけ、身近な青い鳥に気付けばいいのに、と心から思う一同だった。



COMING SOOM NEXT BATTLE?


 

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