*幸福な一時*



意識を手放してから、どれほど時が流れたか分からない。朦朧とした中で五感が甦るに連れ、白鳳は己の身に強烈な違和感を覚えた。かあっと火照り続ける肌とは裏腹に、身体の芯は寒さで凍えている。ふと、熱を放つ額にひんやり冷たいものが触れた。
「・・・・お気がつかれましたか、白鳳さま・・・・」
「フローズン?」
ようやく焦点が定まった虹彩に、雪ん子の楚々とした姿が映った。額を心地良く冷ましたのは、フローズンの掌だったらしい。
「・・・・具合はいかがでしょう・・・・」
「うう。。」
目の奥とこめかみの辺りが痛い。全身の関節がぴしぴし軋む。目覚めと共に、痛覚もはっきり認識され、白鳳の肢体を容赦なく責め苛んだ。そうだ。昨夜、宿に戻った途端、力尽きて倒れてしまったのだ。たおやかな外見に似合わず、捕獲の旅を始めて以来、病気らしい病気もしたことがなかった。正直、白鳳の日常は”節制”の二文字からかけ離れていたが、一刻も早くスイを元に戻さねばと、決意と気合で自らを支えて来た。しかし、直前に滞在したヒライナガオで、頑張りもついに限界を超えた。苦い過去絡みの出来事が、張り詰めていた糸をぶっつり切断したのだろう。
「・・・・今、食事をこしらえております・・・・」
主人を安堵させるための報告が、かえって白鳳の気持ちを揺さぶった。地道な作業はすこぶる苦手だけど、料理は唯一の腕の見せどころだったのに。私心なく働く男の子モンスターたちにご馳走を振る舞えないのみならず、慣れない調理で四苦八苦させるのが実に心苦しかった。
「済まないね、皆に迷惑かけて」
「・・・・いえ・・・・」
白鳳の心からの謝罪に、フローズンはほんのり目を細めた。つられて微笑みかけた白鳳だったが、和やかな空気を一変させる、刺々しい言葉が待っていた。
「お前が迷惑かけるのは日常茶飯事だ」
よく見れば、フローズンの斜め後ろに、黒いシルエットが佇んでいるではないか。熱と頭痛で、視界が極端に狭まっていたから気付かなかった。金の双眸に病人を気遣う温かさは皆無で、床に伏す対象を無情に見据えている。
「・・・・DEATH夫・・・・」
フローズンがたしなめるように声をかけても、DEATH夫のそっけない様子はまるっきり変わらない。もっとも、彼の場合、枕頭へ付いているだけでも相当の進歩と言えるのだが、経緯や状況を考えずに、いきなり極上の待遇を求めるのが白鳳だ。ここは俳優顔負けの名演技(自己申告)で、DEATH夫の氷の心を溶かすしかない。キスまでは望まないが、せめて手くらい握って、優しく励まして欲しいものだ。死神の同情を買おうと、白鳳はわざと頭を傾け、弱々しい掠れ声で囁いた。
「ああ・・・痛い〜、苦しい〜。まさか、このまま死んじゃうんじゃ」
「・・・・白鳳さま、気弱になってはいけません・・・・」
白々しいアクション付きの泣き言に、フローズンは苦笑しつつも優しく返した。主人の意図など400%お見通しだが、少しは乗ってやらないと、機嫌を損ねて後々面倒だ。にしても、体調最悪なのは間違いなかろうに、××関連の萌え心に基づく、ムダなやる気は呆れを通り越し、もはや感心させられる。
「昔から佳人薄命っていうし、私の命運も尽きちゃうのかな」
「よくしゃべる病人だ」
フローズンこそ相手してくれたものの、肝心のDEATH夫にばっさり切り捨てられ、白鳳は熱で紅潮した頬を脹らませた。
「んもう、とことん冷淡なコだねえ」
作戦が功を奏さず、どっと疲れが押し寄せる。苦しい息の下、恨みがましく相手を睨んだ白鳳の頭へある可能性が閃いた。思い出した。DEATH夫が仕える悪魔連中は、少しでも質が高い魂を集めるべく、日々暗躍しているのだ。この要素を踏まえれば、彼の冷ややかな態度も全て腑に落ちるような気がする。
「ひ、ひょっとして」
白鳳は恐る恐る言い差すと、小刻みに唇を震わせた。
「・・・・いかがなさいました・・・・」
「きっと、DEATH夫は私が絶命するのを待ってるんだ」
「別に待ってない」
「嘘ばっか!私の超高級な汚れのない魂を、マスターへの手土産にするつもりなんでしょ」
「・・・・白鳳さま・・・・」
的外れな上、図々しい白鳳の指摘に、フローズンはため息混じりで視線を逸らした。さすがにもう付き合い切れないと見切ったらしい。無論、DEATH夫の反応は輪をかけて酷かった。
「ふん、お前の腐り果てた魂など金を積まれてもいらん」
「が〜〜〜〜ん!!」
間髪を容れず、吐き捨てられ、衝撃のあまり、白鳳は一瞬、目の前が真っ暗になった。最後の砦とばかり、フローズンの動向に注目したが、失言をフォローしてくれる気配はこれっぽちもない。
(はああ、完全に逆効果だよ)
自業自得とは言え、寝室にどんより気まずい雰囲気が漂った。



重苦しい沈黙を打破するには、気の利いたセリフを用意するしかない。だが、現在の白鳳にクリアな思考を求めるのは無理だった。そもそも、体調を崩した時くらい、俗世の欲望は忘れ、大人しく寝ていればいいものを、下手な小細工に走るから、始末に悩む羽目に陥るのだ。
(仕方ないなあ、不貞寝して誤魔化そう)
もはやアプローチを放棄して、布団に潜ろうとした白鳳の耳へ、不意にノックの音が響いた。開け放たれた扉の向こうには、神風とオーディンが立っていた。
「白鳳さま、食事をお持ちしました」
「うむ、消耗した身体を癒すには、栄養と睡眠が一番だ」
神風が捧げ持つお盆の上に、大きめのどんぶりと蓮華が見えた。どうやら雑炊を作ってくれたらしい。
「わあ、ありがとう」
心尽くしの食事に加え、主人を針の筵状態から助け出した功績は大きい。直前のやり取りは綺麗さっぱり忘れ、出来たての雑炊を心ゆくまで味わおう。白鳳は喜び勇んで上体を起こしたが、腰にも背筋にも力が入らず、右方向へぐらりとよろめいた。勢いがついているので、下手するとベッドから転げ落ちかねない。主人の危機に、従者たちははっと瞠目した。
「ああっ」
「・・・・いけない・・・・」
「白鳳さま、危ない!!」
とは言うものの、お盆を持った神風や、ベッドと距離のあるオーディンは即座に動けない。そうと察し、フローズンが慌てて駆け寄った。しかし、可憐な手がくい止めるまでもなく、DEATH夫が白鳳の肩先を突き飛ばし、強引に中心まで押し戻した。
「ふらふらするな、鬱陶しい」
眼光も口調もいつもと変わりないが、DEATH夫が窮地を救ってくれたのは紛れもない事実だ。筋金入りの天の邪鬼だけど、潜在能力は一番だし、いざという場面では確実に頼りになる。
「うふふ、ありがと、DEATH夫」
白鳳は艶やかに笑いかけると、ベッドの脇に直立するDEATH夫の腰の辺りへしなだれかかり、しなやかな手を回そうとした。
「調子に乗るな」
伸ばされた手を力任せに叩き、DEATH夫は体をするりとかわした。つっかえ棒を外された白鳳は、無様にシーツへ倒れ伏した。
「痛〜い。。」
「大丈夫か、白鳳さま」
不満げに呟く白鳳の上体を、オーディンがそっと起こし、ヘッドボードを背にして座らせた。神風が股の辺りに湯気に包まれたお盆を乗せた。
「そろそろ食事にしましょう」
「うん」
「・・・・私はお茶を入れてまいります・・・・」
部屋を去るフローズンを見送ると、白鳳は気を取り直し、どんぶりの中身に視線を落とした。胚芽米に混じって、細かく刻んだ野菜と溶き卵が彩りを添えている。汁の色と香りより察するに、味付けは相当薄そうで、身体も芯から温まるし、現在の体調を考えれば、極めて妥当な献立だった。
「ねえねえ、蓮華を持つのが辛いから食べさせてv」
「白鳳さま、いい加減にして下さい」
DEATH夫に拒絶されても挫けず、新たな夢を追う白鳳を、神風はぴしゃりと叱りつけた。けれども、白鳳は悪びれることなく猫撫で声で言いかけた。
「だって、指先の関節まで痛いんだも〜ん」
誇張めいた仕草でアピールしたが、発言内容に偽りはなかった。実のところ、ヘッドボードに寄りかかっていても、上体を起こした姿勢はかなりの負担だった。従者に必要以上の心配をかけまいとする気持ちと、日頃より微妙に優しい一同へのときめきが相俟って、白鳳の崩れそうな病身を支えていた。
「分かりました」
神風はしばし白鳳を凝視したが、特に反論もせず、蓮華を手に取った。主人の悪巧みを全て見透かすがごとく、真の体調も寸分違わず把握出来る。オーディンとDEATH夫も神風の判断に異議を唱えたりせず、明らかな甘やかしを黙認した。彼らもまた、白鳳のただならぬ状態を察知しているのだろう。
「まだ、少し熱いですね」
神風は雑炊を一口分掬うと、ふーふーと息を吹きかけた。
「どうせ冷ますんだったら、口移しがいいなあ」
「却下します」
字面だと身も蓋もないが、切れ長の瞳はあくまで穏やかだ。未練がましく突き出された紅唇へ、神風はゆるりと雑炊を流し込んだ。



「ああ、美味しかった」
「お口に合って良かったです」
「うむ、作っている最中は手探り状態だったからな」
「初めてでこれなら上出来だよ。ふたりとも素質あるんじゃない」
主人のために心をこめて作成された料理は、味覚を越えた趣がある。それにお世辞抜きで、野菜の切り方も味付けも十分合格点を付けられた。神風もオーディンも生来、器用なので、白鳳が細かいコツを伝授すれば、更なる上達が期待出来そうだ。
「・・・・お茶のお代わりはいかがいたします・・・・」
「もういいや、ごちそうさま」
「・・・・そうですか・・・・」
食器を下げるフローズンと入れ替わりで、まじしゃんが小瓶片手に入ってきた。右肩にスイが、左肩にはハチが乗っかって、小動物ならではの愛嬌を振りまいている。
「白鳳さま、お薬ですっ」
「飲め、飲め」
「きゅるり〜」
瓶の中で緑色の液体が僅かに泡を立てた。市販の薬ではなく、少年魔導師手ずから調剤したらしい。
「薬草を数種ブレンドして、効き目を強化しました。明日にはきっと元気になりますからっ」
「ありがとう、まじしゃん」
白鳳はにこやかに謝意を述べると、瓶の蓋を開け、液体をぐいっと飲んだ。苦い。予想外の辛い刺激に、白鳳は思わず何度か咳き込んだ。
「やっぱり苦かったですかっ、すみません」
「へ、平気、平気、良薬は口に苦しって言うし」
困り顔のまじしゃんを安心させるべく、笑顔を作ろうとしても、生っぽい苦味についつい眉がたわめられる。白鳳の引きつった面持ちを見かね、神風が躊躇いがちに切り出した。
「水を入れて来ましょうか」
「・・・・では、私が・・・・」
「いや、フローズンは座っててくれ。俺が行こう」
「我慢が足りないだけだ、放っておけ」
「きゅるり〜」
意見がまとまらない仲間を尻目に、一寸の虫がドロップ状の塊を抱え、白鳳の眼前へ飛んできた。健康そのもののぷっくりほっぺが眩しい。
「はくほー、口直しにこれ食えや」
「え」
「オレ、すぺさるすーぱー蜂蜜玉を作ったかんな」
センスの欠片もない名前から予想するに、”すーぱー蜂蜜玉”を更に改良したらしい。
「ハチひとりでこしらえたの?」
「うんにゃ、ふろーずんが手伝ってくれた」
「ふぅん、どれどれ」
フローズンが後見したのなら、とんでもへっぽこの類は回避出来たはずだ。白鳳は蜂蜜玉を指先で摘み、天井の灯りに透かした。今までの蜂蜜玉と比べ、やや青みがかっている。鼻腔を仄かにくすぐる薄荷の香り。
「おや、匂いだけでなく、味まで付いてるんだねえ」
口腔内にすーっと涼しい風が吹き抜けた。甘さ控え目の蜂蜜玉は、のど越しもあっさり爽やかだ。
「どーだ、はくほー」
「うん、いけるよ」
「おおおっ、やた〜♪」
「きゅるり〜」
「良かったっ」
年少組の屈託ない笑顔を見遣りながら、白鳳はぎこちなく身を横たえた。目一杯、陽気に応対し続けたけれど、とうとうエネルギーが尽きてしまった。激しい眠気の波がどっと押し寄せる。が、睡りの誘惑に反比例して、全身の痛みは和らいで来た。
(薬が効き始めたのかなあ)
自分を見守る男の子モンスターやスイの姿ももはや夢うつつだ。あと数日はこんな朦朧とした状態が続くのだろう。身体の自由が利かず不快だし、捕獲の予定は大幅に狂うし、一日も早く全快したかった。しかし、決して悪いことばかりではない。苦痛と引き換えに、手に入る幸せもあった。
(DEATH夫でさえ、日頃より軟化してるし、多少のワガママは大目にみてもらえそうだよね。夜遊びできないのは痛いけど、たまには寝込むのも悪くないかも。ふふふ、明日は皆にいろいろおねだりして、困らせちゃおう・・・っ・・・と。。)
美形の従者をこき使うパラダイスを思い浮かべる間もなく、白鳳は安らかな眠りに落ちた。



白鳳が夢の世界へ旅立ったのを確認すると、神風たちは口元を緩めつつ肯いた。
「どうやら眠ったみたいです」
「うむ、上手くいったな」
「・・・・これで明日一杯、じっくり整理に集中出来ます・・・・」
「最近、白鳳さまの見張りに手間取って、帳簿やファイリングがちっとも進まなかったから、協力して遅れを取り戻そう」
徹底した管理体制にもめげず、白鳳は派手な豪遊をやめなかった。旅費の使い込みや宿の抜け出しがばれ、厳しく糾弾されても、決して諦めることなく、いっそう巧妙で悪辣な作戦を思いつく。宿泊客や通行人まで抱き込み、従者を騙したケースも一度や二度ではなかった。やむなく白鳳に24時間密着する方法を採ったのだが、その代償として根を詰めた作業が出来なくなった。実働部隊の4人がふたりずつ、8時間交代で白鳳を監視するのだ。細かい仕事にじっくり取り組めるわけがない。
「白鳳さまには気の毒だけど、渡りに船でしたね」
「・・・・蜂蜜玉に睡眠薬が混ぜてあるとは気付かないでしょう・・・・」
昨夜、白鳳が倒れた時、フローズンが一計を案じ、仲間へ持ちかけたのだ。手伝わないだけならまだしも、存在自体が作業の邪魔になる主人はいっそ眠っていてもらいたい。白鳳の安否を気遣う気持ちとは別のところで、年長組は誰もがそう考えていた。
「・・・・明日一日と言わず、完治するまでお休みいただくのも良いかもしれません・・・・」
「あいつの面倒も見なくて済んで一石二鳥だな」
「なまじ治りかけになったら、王様気取りであれこれ命令しかねないですよ」
「うむ、間違いない」
「きゅるり〜」
白鳳のお調子体質を知り尽くした的確なコメントに、スイが我が意を得たりとばかり声を張り上げる。けれども、白鳳から直に迷惑を被る機会が少ない、まじしゃんとハチは割り切れない仕草で口を開いた。
「なあなあ、オレたち、はくほーを騙したのかよう」
「なんだか申し訳ない気がするなあっ」
浮かない顔付きのひとりと1匹へ、神風が諭すごとく言いかけた。
「全ては白鳳さまのためなんだ」
「・・・・眠りが深いほど、体調の快復も早いのです・・・・」
「その間に我々が準備万端整えれば、白鳳さまもきっと喜ぶぞ」
「きゅるり〜」
「そっか、皆、頭いいなー」
「よ〜し、僕も仕事を手伝って、白鳳さまに褒めてもらうんだっ」
他に目論見はあるものの、発言内容自体に偽りはない。余計なことを言って、無理に波風を立てる必要はないのだ。海千山千の白鳳と互角以上に渡り合うしたたかな仲間の前に、純真な年少組はあっさり言いくるめられた。
「・・・・では、さっそく領収書の整理から始めましょう・・・・」
フローズンの指示で、全員が速やかに隣室へ移動した。男の子モンスターたちにまんまとしてやられた事実も知らず、おめでたい主人はこんこんと眠り続けている。そこはかとなく幸福そうな寝顔を見遣りながら、神風は静かにドアを閉めた。


FIN


 

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