*神のいない夜が始まる*



音もなくテントに滑り込んできたシルエットを見たとき、一瞬幽霊ではないかと錯覚した。さもなければ闇の世界の夢幻だと。仄かに揺らめく影はそれほど脆く儚く見えた。意識が半ば朦朧としていたせいもあり、その長い指が自分のおとがいを捕らえたときですら、現実の出来事と感じなかった。少し冷たい指先、自分を冷淡に見据える紅い瞳。間違いない。にっくき××野郎だ。どうしてこいつがここに、と訝る間もなく、唐突に口付けされ、口腔内に舌先で何かを送り込まれた。動かない体を持て余しているうち、うっかりそれを飲み込んでしまい、しまったと思ったときはもう全てが遅かった。

「ふふ、ようやくお目覚めですか」
意識はどうにかはっきりしたものの、それと引き換えに身体の自由を失っていた。口移しで飲まされたブツのせいだろうか。しかも早々と服を取り払われ、一糸纏わぬ姿でシーツの上に転がされていた。ふと、雑魚寝していたはずの子分連中が気になったが、おそらく邪魔にならないよう、外にでも追いやられているに違いない。
「て、てめえ、どうしてここに」
「先日のお礼をまだしていませんでしたから」
肩先に緑の塊はいなかったが、用事が用事なので同行させてないだけで、あの薬草は立派に役立ったようだ。それが分かっただけでもアックスは安心した。もっとも、今は己の身に迫る危機を回避する術を考えるべきかもしれない。
「あれは俺が勝手にやったことで、礼なんてされる筋合いはねえっ」
「貴方のそういう態度が気にいらないんですよ」
氷の視線を突き刺した緋の双眸が妖しく光る。テント越しに漏れる月光が整った顔の陰影をくっきり浮き立たせた。
「何だとぉ」
「私にされたことを忘れたわけではないでしょう。それをいちいち善人ぶって、親切の押し売りをして」
「今でも俺はてめえをぶっ殺してやろうと思ってらあ。だがよ、それはそれ、これはこれだ。この前も言ったろう。相手の弱い部分につけ込むのは、俺の流儀に反するんだよ」
「そんな綺麗事をいつまで言っていられますか」
念入りに調教しても、仕事の成果を横取りしても、決して自分に屈服しない男。情けないお人好しに見せかけて、その奥の鋼の意思が憎らしい。この男を真に自分の足元にひざまずかせ、隷属させてやりたい。白鳳がここまで歪んだ願望を持つに至ったのは、単にアックス本人に対する苛立ちだけではなかった。最近何をやっても、思い通りに行かない。目当ての男の子モンスターを後一歩のところで取り逃がしたり、身体を張って掴んだ情報がガセネタだったり。戯れの遊び相手もロクな男に当たらない。頼りになる同行者に全て打ち明け、心の負担を軽くする方法も採れた。しかし、神風たちだって、多かれ少なかれ各々の事情を抱えているのだから、これ以上、余計な心労を増やすのは躊躇われる。そんな柄にもない気遣いをして、全部自分で抱え込んだあげく、すっかり気持ちが荒み切っていた。誰でも良かったのだ。この積もり積もった鬱憤を晴らすことが出来れば、誰でも良かった。そのはずだった。けれども、道具屋の辺りで子分の姿を発見したとき、ついふらふらと後をつけてしまった。
「どうするつもりだ」
「貴方にはもう分かっているんでしょう」
喉の奥でくくと笑いながら、仰向けに横たわるアックスの脚の間に両膝を付いた。剥き出しになったモノに手を添えて、爪弾くような微妙なタッチで根元から徐々に刺激を加え始める。
「さ、触るんじゃねえっ」
指腹と掌で巧みに撫でられ扱かれただけで、それは早くも形を変えてきた。熱を帯びた茎胴を握り締めると、白鳳は口元だけで妖しく笑った。
「ふふふ、段々反応が早くなってきましたね」
「・・・・・くっ・・・・・」
悔しいが彼の指摘は正しい。交わりを重ねるごとに、官能のポイントは確実に把握され、最初は違和感しか感じなかった指先の冷たさにも馴染んできた。これが慣れということかと実感し、総毛立つ思いだった。このままでは××の世界に爪の先まで引きずり込まれてしまう。冗談じゃない。だが、強い嫌悪の感情とは裏腹に、愛撫が仕掛けられるたび、肉体は敏感に呼応した。器官から腰全体にじわじわ広がる甘い痺れ。鈴口からぴゅくっとほとばしる粘つく蜜。それを人差し指と中指で掬い取ると、白鳳は赤い舌を大げさに伸ばしてペロリと舐め、そのままアックスの口に接吻した。自分の吐き出した体液の苦い味が、生臭い匂いと相俟って頭をクラクラさせ、不快感を増幅させた。



「さて、今日はどう料理してあげようかな」
意地悪く片方の眉を上げると、白鳳はアックスの股間に顔を埋めた。噎せ返るような雄の匂いを嗅ぎながら、そそり立ったモノにねっとりと舌を絡ませる。濃い茂みから焦らすように根元をなぞり上がると、血管の浮いた胴体部に柔らかな舌腹をこすりつけた。
「よ、よせっ」
仕掛けられる愛撫をかわすべく、下腹部を引こうにも自力で動かすことが出来ない。そのくせ、刺激に反応して腰が自然に揺らいで来た。そんなアックスの困惑を上目遣いで楽しげに眺めつつ、白鳳は長い舌を裏筋に沿って往復させた。腰の芯まで蕩ける舌遣いに堪え切れず、吐息に乗せて微かな呻きが漏れる。先走りを放出するモノを深々と咥え込み、舌や上顎で緩急自在に擦り付けてやると、それがピクピク蠢くのが分かった。さらに掌で双球を緩く握り、リズミカルに刺激すれば、堪らないといった風に太い喘ぎ声が漏れる。心ではどんなに拒んでも、アックスの肉体はもはや白鳳の為すがままだった。銀の頭を上下させ、激しくスロートを繰り返す頃には、すでに限界近くまで追い込まれていた。
「いい加減にっ・・・・・は、放し・・・・・やがれっ」
「おや、こんな状態で放置されて困るのは貴方の方じゃないですか」
「るせえっ、てめえに・・・・抜かれるくらいなら、いっそっ・・・・自分ですらぁ!!」
「可愛くないですね」
いかにも不満そうに吐き捨てると、白鳳は一旦、口から出したモノにきつく歯を立てた。
「ぐうっ」
「うふふ」
アックスの苦悶の声と表情に、美しい顔が淫らな悦楽に歪んだ。まさか食いちぎったりしないだろうな。本気でそんな危惧が浮かんだが、彼は双球をすっぽり口に含むと、一定の律動で巧みに転がし始めた。その間にも茎胴には指腹でチューブを絞るがごとき濃密な刺激を与えてくる。これでもかと襲いかかる手練の技に必死に耐えるアックスだったが、再びその口に咥えられ、卑猥な音と共に悩ましい紅唇に締め付けられた時、ついに限界を迎えてしまった。
「くっ・・・・・ううっ」
ほとばしる滾りを白鳳は全て口腔内で受け止め飲み下した。さらに快感に跳ねるアックスの腰を押さえつけ、残った精を一滴残らず絞り取るように、亀頭をちゅっと吸い上げる。
「・・・・・う・・はあっ・・・・・く、くそっ」
結局、またもや敢えなくその軍門に下ってしまった。飲みきれず口元から垂れ流れた白濁を、はみ出た舌がペロリと舐め取った。
「てめっ、そのうち必ずぶっ殺してやるからな!!」
「大きな口を叩いても、どうせ私の意のままにされるくせに」
「何を言いやがるっ!!」
「殺さないまでも陥れる機会はあったのに、貴方はつけ込むどころか、私に手を差しのべようとする。それが実に不愉快です」
情を封じ込めた抑揚のない物言いに、不気味なまでの凄みを感じた。能面のように表情のない顔も日頃の彼とは別人だった。
「どういう意味だ」
「私に陵辱された人間は、潔く下僕になるか、不倶戴天の敵として憎悪するかのいずれかでなければいけないんです。なのに、貴方はどちらでもない。その上、身の程知らずにも私を助けようだなんて」
「困っているヤツを放っておけないのが俺の流儀だ」
「そんなくだらない台詞を二度と言えない気分にしてあげますよ」
アックスを本格的に陵辱すべく、白鳳は身に纏った服をゆっくりと足元に滑らせた。透き通った肌の光沢にはっとしたのも束の間、上から覆い被った彼にキスを落とされ、物に見惚れる余裕も霧散した。噛み合わせを舌先でこじ開けると、歯列をなぞり、舌を絡め、精の苦みが残る唾液を流し込んでくる。本意ではない口付けで息継ぎも自由に任せず、たった数分のことなのにとてつもなく長い時間に感じられた。口腔内をさんざん犯された末、ようやく解放された時にはアックスの息はすっかり乱れていた。それでも抗う気持ちだけは失わず、こちらを見据えてくる紅い瞳をはね付けるように、きっとまなじりを決した。
「その目が勘に障るんですよ」
忌々しげにポツリと呟くと、白鳳は服の傍らにうち捨ててあった鞭を手に取り、それをアックスの脇腹目掛けて振り下ろしたではないか。
「ッ!!」
「少しお仕置きしてあげましょうね」
どうにか声を出すのは堪えたものの、激痛に思わず仰け反った。指先ひとつ動かせないまま、容赦ない打撃が次々と加えられる。
「ほらっ、もっと無様にもがく姿を見せて下さい」
叩き続けるうち、黒い愉悦と興奮で、白鳳のモノが徐々に勃ち上がってきた。
「・・・・・て、てめっ、いい加減にっ・・・・ぐっ・・・・」
「頭を下げて私の奴隷になると誓えば、やめてあげてもいいですよ」
「くぅっ・・・・・だ、誰がっ」
好き放題に殴打され、のたうち回りながらも、今夜のこいつはおかしいと直感した。これまでも相当な目に遇わされてきたが、この鞭打ちはそれ自体が目的ではなく、己の心中の憂鬱をぶつけているとしか思えなかった。



力任せに痛めつけたにもかかわらず、アックスの口から忠誠を誓う言葉は一言たりとも出て来なかった。褐色の肌を不規則に彩る内出血やミミズ腫れが痛々しく、ところどころ血も滲んでいる。それでも抵抗を続ける相手に、暴漢の方が息を弾ませ一瞬動きを止めた。
「へっ、もうへばったのか」
「強情な」
挑発とも取れる台詞に、白鳳はいきり立って再び腕を振り上げた。筋肉に覆われた腕に腹に胸板に獰猛な大蛇の牙が唸る。しかし、自分を見上げる男の顔に憐憫の情がほの見えたとき、苛立ちは完全に憎悪に転じた。
「そんな顔で私を見るんじゃありませんよっ!」
「うぐっ」
これまで敢えて外してきたであろう顔を狙ってきた。
「もっと、苦しむなり怯えるなりしたらどうなんですかっ!!」
激情の赴くまま鞭を振り回し始めたので、ある意味美しかったフォームはバラバラになり、むしろ衝撃は和らいだ。が、苦痛が続くことに変わりはない。
(くそっ、何とかならねえのか)
内心無念の思いでじっと堪えるアックスだったが、一撃が目を掠めたとき、我知らず手が出かかった。この反応でふと気が付いた。もしや、全身に感覚が戻っているのではなかろうか。白鳳に気取られないようこっそり右手の親指を折り曲げてみた。
(動くぞ)
拳にもしっかり力が入る。使われたのが香じゃなく、薬物だったのが幸いしたようだ。裏の世界に生きる者として、薬物の類には多少なりとも抵抗があった。むろん、向こうは薬の効き目が切れたなんて夢にも思っていない。ちっとも意に添わない下僕を懲らしめるべく、鞭を構え直した。
「いっそのこと、気絶するまで打ち据えてあげましょうね」
しゅるんと触手を放ちかけたその時、アックスが跳ね起きて、こちらに突進してきたではないか。
「てめえっ、よくもやってくれたなっ!!」
「くぅっ」
動揺してるところに、まともに体当たりをかまされて、白鳳はあっけなくその場に転倒した。体勢を整える間もなく鞭を取り上げられ、それを縄代わりに両手首を背後できつく縛り上げられてしまった。相手はご丁寧に傍らに置いてあったロープで足まで縛ると、白い肢体をうつ伏せにして地べたに転がした。ショックのせいで、勃ちかけたモノはすでに萎えていた。
「は、放せっ」
左右に身を揺さぶって、振り解こうとしたけれども、職業柄この手の作業には慣れているのか、戒めはかえってきつくくい込んで来た。白鳳の動きを封じると、アックスは服を着て、一旦その場を立ち去った。むろんテントを出たわけではないが、布越しに漏れる仄かな明かりだけが頼りの状態では、目が慣れても遠くは見えないし、ましてやいまは地面しか視界に入らない。注意深く耳を傾ければ、トントンと物音が聞こえた。いったい何をやっているのだろう。
(ひょっとしたら、鉈の手入れだったりして)
いよいよぶっ殺される時が来たのかもしれない。いや、まさか。これまでの経緯を振り返っても、肝心な場面ではこの男はいつも甘かった。だが、いかに人が好かろうと、今しでかした暴挙で切れてしまってもおかしくない。自分はそれだけのことをした。個人的な鬱憤晴らしのためだけに、彼を嬲って傷つけたのだ。もうどんな目に遇わされても文句は言えない。こんな状況になって、ようやく己を取り戻したものの、もはやなす術はない。
(殺しはしないと思うけど・・・・・)
それでも、人相が変わるほど殴られ、挙げ句の果てに遠国へ売り飛ばされることは十分ありうる。
(せめて顔だけは殴らないでくれないかな)
的はずれな心配をしながらも、耳に入る音が気になってたまらない。万が一、売られでもしたら、スイを宿屋に置いてきたせいで、兄弟離ればなれになってしまう。仮に売却先から首尾良く脱出したとしても、弟を探すのに膨大な手間と時間が必要だし、それ以前に言葉も通じないスイの身の安全すら確保されそうになかった。




様々な事態を想定して、戦々恐々としているうちにアックスが戻ってきた。うつ伏せにされたままだから、彼がどんな面持ちをしてるか、獲物を持参したかすら分からず、そのことがいっそう白鳳の不安をかき立てた。息を潜めて出方を窺っていたが、相手はいきなり正面に回り込むと、背中の手首に巻かれた鞭を掴んで、その上体を反らすように起こした。
「へへ、いい格好だな」
「・・・・・・・・・・」
これまでとは別人みたいな威圧感漂う面構えでにやりと笑われ、白鳳は内心パニック状態になりかけた。やはり到底無事で済みそうもない。かといって、アックスに謝るという発想は出てこなかった。こんなヤツに詫びを入れるなんて自分のプライドが許さないし、詫びるくらいなら最初からしなければいいのだ。恐れや懸念を封印し、あくまでも強気な姿勢を崩さなかったが、その口内に強引に何かを突っ込まれたとき、もう平静ではいられなかった。
「ひっ」
舌を焼く熱におののき、大きく身を捩って抵抗する。が、もがくうちに、ふと口の中の異物が醸し出す自然の風味に気が付いた。
「あれ?」
よくよくアックスの方を見ると、片膝を付いた足の傍らに出来たての雑炊が入ったどんぶりが置いてある。手に持っているのは鉈ならぬ大きな蓮華だった。
「ほら、食え」
「な・・・・・・・」
「そんなにイライラしてるのはカルシウム不足の証拠だ」
どうやら向こうで雑炊をこしらえていたらしい。あまりの急展開に白鳳はすっかり毒気を抜かれてしまった。ここで仕返しをされるのなら、悪態の10や20はぶつけてやるつもりだったのに、まさかアックスが食事を持ってくるなんて想像もしなかった。
「両手が塞がった状態で食べられるわけないでしょう」
精一杯冷たく言い捨てたものの、すでに先程までの毒々しい凄みはどこにもない。
「ああ、そうだったな」
アックスは躊躇いなくその腕と足の戒めを解いてやった。今の脅しで相当いい薬になっただろうし、もう無体な行動はすまい。ようやく自由の身になって、シーツの上に腰を下ろした白鳳は手首を何度か回しながら、差し出されたどんぶりと蓮華を手に取った。
「それにしても、おめえにもほんのちょっぴり可愛いところがあったんだな」
「何のことですか」
「蓮華を突っ込んだときの怯えた顔と来たら」
ガハハと豪快に哄笑され、白鳳は慌てて否定した。
「そ、そんな顔してませんっ」
「いいや、相当びびってやがったぜ」
「最初から事情を話してくれればいいでしょう」
からかうように言われたのが悔しかったのか、銀の頭はぷんと口を尖らせてそっぽを向いた。照れか怒りかほのかに染まった頬がまた可愛いと感じたけれど、相手が男だということを思い出し、こんな印象を抱いた己に憮然とした。そのくせ、白い肌が視界に入ると、なぜかドギマギしている自分がいる。××野郎相手になんてことだ。とにかく、こいつをもう裸のまま放っておくのはやめよう。
「ほら、これでも着てろ」
アックスが身に付けていたタンクトップを頭から被された。体格の違いで幅はぶかぶかだったが、その分丈は長く、真白な肢体は股のあたりまで隠された。
「貴方が着てた汗くさい服なんて嫌です」
「うるせえっ!!裸でいられると迷惑なんだ」
「目の毒だから?」
「ば、ば、バカ野郎!!誰がてめえにそんなこと思うもんかっ!!」
言葉ではきっぱり否定したものの、完全に声が裏返っている。激しい自己嫌悪に襲われ、力なく肩を落とすアックス。その様子を興味深げに眺めながら、白鳳は雑炊を食べ始めた。フーフーと息を吹きかけ、小刻みに口に運ぶ。塩だけで味付けしたあっさり風味を、色とりどりの野菜や骨付きの魚が引き立てる。野菜はほっこりとよく煮えていたし、どんな方法を使ったのか、魚の骨は丸ごと食べられる程度の柔らかさだった。
「・・・・・美味しい・・・・・」
「そうか」
アックスの屈託ない笑顔を見て、なぜか心が安らぐのを感じた。ここを訪れたときの荒んだ心理状態もほとんど解消し、ずいぶん気持ちが楽になった。と同時に、その紅く腫れ上がった傷が視界に入ると、今更ながらちょっぴり申し訳なく思った。
「あれだけ痛い目に遇わせたのに、どうして仕返ししなかったんですか」
「ん・・・・・何だな、上手く言えねえけど、叩いているおめえの方がよっぽど痛そうに見えたっていうか」
「・・・・・・・・・・」
ある意味、的を射た表現に、先が続けられなくなってしまった。自分を丸ごと包み込む温かい眼差し。そこから注がれる熱を全て受け止めるべく、紅い瞳を凝らしてじっと見つめていた。



「ごちそうさまでした」
高級食材とはほど遠い材料だったにもかかわらず、これまで食べたどの料理よりも温かくて懐かしい味がした。凍て切った心もほんわか溶けていくようだった。
「ちったぁ落ち着いたか」
白鳳が全部平らげたのを見て、アックスは安堵した。表情や仕草からも魔に取り憑かれたごとき悪意が取れ、普段のそれに戻っている。
(これならもう大丈夫だな)
とほっとしたのも束の間、白い身体が肩先にしなだれかかり、いきなり甘え声で誘ってきた。
「ねえ、改めて一緒に楽しみませんか」
やや上目遣いに流される視線が、背筋をゾクゾクさせるほど色っぽい。
「な、何ほざいてやがるっ」
「だって食欲、性欲、睡眠欲が人間の三大欲求なんですよ。食欲が満たされれば、次は当然・・・・・ねえv」
「ったく、どこまで懲りねえヤツなんだ!!そっちに行かねえで、もう一つの方に行け!とっとと寝ろ!!」
「貴方がしばらく遊んでくれたら」
冷たい指先で無精髭をそっと撫でられ、思わず顔を反らした。
「冗談じゃねえっ!!」
「自分さえ気持ちよくなれば、私のことはどうでもいいんですね。全くワガママなんだから」
途中でうち切られたため、結局、あの戯れで達したのはアックスだけだ。だけど、別に好きこのんでイカされたわけではないし、後のお仕置きは快感からほど遠いものだった。
「そのセリフをいけしゃあしゃあと他人に言えるてめえの神経を疑うぜ」
「う〜ん、なら、こういうのはどうですか」
「何でぃ」
こいつの提案など聞きたくもないが、続きをさせられるよりはマシだろう。高を括っていたアックスだったが、次の言葉で度を失った。
「貴方が抱きしめてキスしてくれたら、大人しく休みますよ」
「な、な、な、何だと〜〜〜〜〜!!」
まさかこう来るとは。真性××野郎恐るべし。
「ふふふ、どうします?」
自ら男に接吻するか、はたまた無理矢理男に犯されるか。まさに究極の選択だった。
「くっ・・・・そ、そんなの選べっか!!」
どちらとも決断できず、延々と悩み続けるアックス。実のところ、白鳳の手前勝手な提案など断固突っぱねてしまえばいいのである。それすら思い付かずに、ひたすら苦悩しているあたり、実直と言うかアホと言うか。
「選べなければ、いつも通り押し倒させてもらいましょうか」
「わ〜〜〜〜っ、ちょっ、ちょっ、ちょっと待ちやがれっ!!」
「ふん、大の男がオタオタとだらしない」
小馬鹿にしたように言い捨てられて、アックスは覚悟を決めた。根っから単純な男だけに、思い切ってしまえば後は早い。口を真一文字に結んだまま、その逞しい腕で華奢な肢体をがばと包み込んだ。
「え」
日頃の彼らしからぬ大胆な行動に白鳳の方が面食らった。ついと相手を見上げ、精悍な顔をじっと見つめる。思えば、何度も交わっているにもかかわらず、これだけピッタリ身体を密着させたのは初めてだ。鼓動が耳の奥で鳴り響くのを感じ、ますます戸惑った。こんな男、好きでも何でもないのに。けれども、抱きしめられていると、不思議な心地よさを覚え、しばしその体勢に身を委ねていたが、不意に頭から野太い声が降ってきた。
「おい」
「何ですか」
「そんなにじっと見られたら、なんも出来ねえだろが」
「は?」
「普通こういう時は目を閉じるもんじゃねえのか」
相手の少年みたいな物言いに、白鳳は思わず吹きだした。なんとまあウブで可愛い男。
「ふふふふふ、親分さんてば、見かけによらず純情なんですねえ」
「う、うっせー!とにかく目をつぶりやがれっ」
「はいはい」
なおもくすくすと笑いながら、両の瞳を静かに閉ざした。視界が遮られたことで自分を包む腕や重なった胸板の感触が、いっそうリアルに伝わってくる。これから彼の唇が自分のそれにそっと触れてくるのだろうか。最近は自ら強引に迫って、仕掛けることばかりだったので、こんな風に相手の行動を待つ間が凄く新鮮に感じられた。


一方、アックスは大人しく瞳を閉じて佇む白鳳を前に、しみじみ現状を嘆いていた。
(この俺が自分から野郎にキスする日が来るとはな、トホホ)
それでも、乗っかられて無理矢理コトに及ぶよりは、まだ救いがあるし、今夜はもう白鳳をゆっくり休ませてやりたかった。詳しい事情は分からないが、彼は心身共に疲労困憊しており、それは自分に腹いせをするくらいで解消するレベルのものではない気がした。
(ほ、ほんの一瞬のことじゃねえか)
己を叱咤激励しても、なかなか最後の一歩が踏み出せない。めずらしく催促もせず、じっと控える白鳳の仕草を見ると、どうしてか緊張まで覚えた。が、ここで決断しなければ、いつまでも埒があかないのだ。大きく息を吐くと、アックスは抱き締める腕に力を込め、口元を端麗な顔に接近させた。ぎゅっと押し当てられる唇。
「ほらよ、これでいいだろう」
そっけなく言い放つと、拘束していた身体をあっさり放した。だが、白鳳は不満タラタラの表情でアックスを睨み付けた。
「親分さん・・・・・約束が違うじゃありませんか」
「ああ?」
「おでこにキスなんて、子供じゃあるまいし!!」
アックスが唇を寄せたのは、白鳳の雪色の額の真ん中だった。
「おめえがキスしろといったから、キスしてやったんだぜ」
「私は額にしろなんて言ってません」
「でも、口にしろとも言ってねえ」
「う」
確かに言わなかった。それは白鳳にとって、キスは口付け以外ありえなかったからで。
「とにかく俺はおめえの提案通りにしてやったんだ。このまま素直に休め」
「ず、狡いですよ、こんなの」
「人に小狡いことばかり仕掛ける人間に言われたかねえ。とっとと寝ろっ!!」
怒鳴るやいなや、その胸元を突き飛ばして尻餅をつかせると、上から毛布で包み込んだ。自分に落ち度があっただけに、白鳳もそれ以上は反論できず、しばらくぶつぶつ文句を呟いていたものの、やがて眠りに落ちていった。
「ようやく寝たか」
さんざん手こずらされた大型台風が通り過ぎた境地で、アックスはやれやれと肩をすくめた。が、こいつ強がってはいても、相当ヤバイ心理状態に陥っているのではなかろうか。いつから旅を続けているのかは知らないが、この若さで一人旅というのは相当厳しいものがある。中途半端に裏の世界に首を突っ込んでいるのならなおさらだ。物事が順調に進んでいるときはまだいい。しかし、自力ではどうしようもない困難にぶち当たったときや、体調を崩して動けなくなったとき、ひとりの辛さが身に染みるのだ。それに他愛のないことを誰かとあれこれ語りたい日もあるだろう。白鳳のこれまでの旅をいろいろ想像すると、なぜかアックスの胸は痛み、月明かりにほんのり浮かぶ寝顔を覗き込んだ。形のよい唇が微かに動く。
「・・・・・スイ、ごめん・・・・・スイ・・・・・」
閉ざされた双眸の左の目尻から、銀の滴が流星のように煌めいて消えた。アックスが初めて見る白鳳の姿だった。
(・・・・・・・・・・)
この前の出来事といい、やはり件の小動物はただのペットではない。今、はっきりと確信した。本人から直に事情を聞いたわけではないが、小難しい理屈が苦手な分、直感は鋭い方だと思う。白鳳の旅は男の子モンスター捕獲の他に、何か大きな目的を抱えているに相違ない。そう考えると、彼がルーキウス王国で危険な企てに荷担したことも何となく納得が行くのである。



テントの布越しに響く鳥の歌で目が覚めた。
「う・・・・ん」
大きく伸びをして、あたりを見渡せば、盗賊団はまだ全員休んでいるらしい。アックスが探したのか、子分連中もちゃんと戻って来ている。隣で後ろ向きに横たわる広い背中を眺めながら、もぞもぞと毛布を這い出し、枕元に畳まれた服に手を伸ばした。きっと寝ている間に彼が用意してくれたのだろう。借りていたタンクトップを脱ぎ捨て、手早く身支度を整えると、出来るだけ物音を立てないように移動し始めた。置いてきたスイのことが心配だし、早いところ宿に戻ろう。抜き足差し足で歩を進める白鳳だったが、出口のあたりで不意に声をかけられた。
「もう行くのか」
いつの間に起きたのだろう。いや、ひょっとしたら、自分が目を覚ます前から起きていたのかもしれない。そんな全てを見抜いたような声。
「ええ」
「そうか」
いかにも話しかけられたくないといった風に、そそくさとテントを出ようとする白鳳に、アックスは誠意ある口調で語りかけた。
「なあ、あんなことよそでするんじゃねえぜ」
「!?」
「おめえはいっぱしの悪を気取ってるつもりかもしれねえが、このまま無茶を繰り返してたら、いつか必ず惨い目に遇っちまう」
自分だからあそこで形勢逆転しても許してやったが、相手次第ではどう残虐な仕返しをされるか想像もつかない。深く付き合わないよう心がけているが、盗賊団の周囲ですら、手段を選ばない外道はいくらでも生息している。白鳳は腕は立つが、根っからの悪にはなりきれないし、どこかおっとりとして抜けた部分もある。真の悪党と関わり合ったら、一発で食い物にされてしまうだろう。彼のそんな悲惨な姿を見たくはなかった。
(俺はこいつにとことん甘えんだよなあ)
今まで受けた数々の仕打ちを思えば、破滅を喜びこそすれ、親切なアドバイスをする義理などどこにもない。自分のあまりの人の好さに自嘲的な笑みすら漏れてくる。が、白鳳はせっかくの忠告にも全く耳を貸す様子はなかった。
「ふん、カッコ付けるんじゃありませんよ」
「どういうことだ」
「要するに貴方はあの快楽が忘れられず、私に可愛がって欲しいだけなんでしょう」
心からの好意に対し、こんな憎まれ口しか返せない。なんて嫌な人間なのだろう。だけど、この先、彼とどう接していいか分からなかった。男気があって、懐が深く、バカがつくほどのお人好し。口先では殺すなんて言っていても、もし自分が窮地に陥ったときには、どこからでも飛んできて快く助けてくれるだろう。だからこそ危険な存在なのだ。当てのない旅を続けるこの身は、特定の誰かと必要以上に関わり合うことは許されない。彼だって行きずりの遊び相手のひとりだったはずなのに。
「そんなこたぁ言ってねえだろが」
「まあ、そこまでお望みなら、私のオモチャとして、またいじめてあげますよ」
「何とでもほざけ」
見送る男を一瞥もせずにテントを出て、朝もやに溶け込む紅いチャイナ服。それでも、アックスは決して悲観的になっていなかった。あいつが素直じゃないのは、いつものことだ。言いたいように言わせておけ。昨夜のやり取りから、思うところはあったと感じたし、前後の表現はともかく、”また”という言葉が聞けただけで十分だ。今回のことをきっかけに、なんとなく彼との関係が変わって行きそうな予感がするのだ。
(あれ・・・・・待てよ・・・・・俺はヤツをぶっ殺そうとしてたはずで)
なのに、なぜ一種の進展めいたもので心が弾むのか。腐れ××野郎とはすっぱり縁を切るんじゃなかったのか。
(ちきしょう、どうかしてるぜ)
嬉しいような悔しいような、なんとも矛盾した感情に戸惑いつつ、アックスは消えかかる後ろ姿からわざと視線を逸らした。



COMING SOOM NEXT BATTLE?


 

back