*死神のRING〜後編*
互いの無事を喜ぶことすら忘れ、力尽きたDEATH夫を宿まで運ぶ間に、薄墨色の雲がどんより空を覆い、月は姿を隠してしまった。もう、オーディンの思慕を気遣う余裕などない。フローズンが口移しで薬湯を飲ませたり、気を吹き込んだりするのを、誰もが悲痛な面持ちで食い入るように見つめている。しかし、最善の手を尽くしたにもかかわらず、金の瞳が開く気配は露ほどもなかった。
「・・・・ここまで生命力が失われると、私程度の気では効果がないみたいです・・・・」
「そんなっ」
「DEATH夫はいったいどうなるんだ」
白鳳団に陰の気を持つ者は他に存在しない。が、か細い身体には酷な量を放出して、憔悴し切っているのが一目で分かる。これ以上無理をさせたら、今度はフローズンが倒れかねない。
「オレがですおに応援を頼んだから、こんなことになっちったんだ〜っ!!お〜い、おいおい。。」
「きゅるり〜っ」
窮地でも能天気に皆を励ますひょうきん者が、意識を失った死神の傍らで、突っ伏して号泣した。派手に飛び散った涙が、土気色の頬に数滴振りかかった。仲間を救おうと奮闘したハチに罪はない。全ては浮ついた好奇心に引きずられた自分の責任だ。マスターの名に値しない軽率な行動は、悔やんでも悔やみ切れない。白鳳は面を伏せたまま、おずおずと言葉を紡いだ。
「元はと言えば、神風たちが止めるのも聞かずに、箱を持ち出したりしたから」
いつになく殊勝な主人の懺悔を遮り、可憐な唇をきつく噛み締めながら、フローズンが後に続いた。
「・・・・いいえ、私が最初から話してさえいれば・・・・」
人間界での生活や交流に慣れない友を庇い、仲介役を買って出たけれど、結果的にパーティーへ溶け込むことを邪魔しただけだった。一時的に彼の気分を害しても、事情を明らかにして、皆の意見を採り入れれば、もっと良い方向へ発展していただろうに。
「うんにゃ、やっぱオレのせいだようっ」
「ああ、どうして同じ失敗を繰り返すのかなあ」
「・・・・私の責任です・・・・」
想い人や主人たちが必要以上に己を責める様に耐えかねたのか、日頃は聞き役に徹するオーディンが言葉を選びながら、誠意を込めて言いかけた。
「ハチも白鳳さまもフローズンも自分を追い詰めてはいかん。誰も悪くなかったんだ」
「きゅるり〜」
フローズンたちはもちろん、白鳳でさえ、最終段階では目先の興味を断ち切って、妥当な判断をしたではないか。ほんのちょっと不運が重なって、最悪の状況へ陥ったに過ぎない。その場で適切と思われる行動を取っても、星の巡りが悪いときはあるものだ。神風も同じ趣旨を述べるつもりだったらしく、穏やかな笑みと共に、おっとりと付け加えた。
「責任の所在を追及するより、DEATH夫を快復させる方法を考えましょう」
仲間たちの暖かいフォローに、落ち込んでいたふたりと1匹は気を取り直し、引き結んでいた口元を微かに緩めた。
「・・・・はい・・・・」
「そだな」
「まずはDEATH夫を助けることが先決だよね」
とは言うものの、目覚めさせるどころか、体力気力を取り戻す術すら見つからず、正直、途方に暮れていた。一般の医術や快復魔法では効果がないのは分かっている。
「夜が明けたら、隠遁した識者の居所を、宿の主人に尋ねてみよう」
「僕は街の図書館で、魔術の本を片っ端から調べてくるよっ」
「・・・・では、私は闇市にいる魔導師に話を聞いてみます・・・・」
対象が悪魔界の封印だけに、狭い地域での調査や聞き込みで、役立つ情報が得られるかは怪しいものだ。だけど、手を拱いていても何も始まらない。現段階で思い付く限りの方法を、ことごとく試してみるほかない。
あの悪夢の夜から10日余り経ったが、パーティーの必死の探索も虚しく、DEATH夫を蘇らせる手立ては、ひとつも発見出来なかった。日に日に衰弱し、やつれて行く様子を目にするたび、最悪の事態を想像して、白鳳たちの気持ちは重苦しく沈んだ。それでも、手間と金を惜しまず、地道に情報収集を続けていたが、焦りとは裏腹に、成果はまるっきり上がらなかった。
「・・・・昨夜あたりから、気が感じ取れないほど、弱まっています・・・・」
「我々はDEATH夫の命の灯火が消えるのを見ているしかないのか」
「うえ〜っ、ですおが死ぬなんてイヤだようっ」
「きゅるり〜っ」
「おじいちゃんだったら、何か知ってると思ったのに。。」
今朝、届いたまじしゃんの師匠からの返事に、手の施しようがない旨、記されていたのは痛恨だった。最初に封印を見抜いた達人に匙を投げられては、最終通告を受けたも同様だ。
「・・・・術者のレベルが高ければ高いほど、他者が介入する余地はないと書いてありました・・・・」
せめてスイみたいに解呪法を示されていれば。喉の奥までせり上がってきた言葉を、白鳳は慌てて飲み込んだ。これだけは頼れる従者たちにも漏らすわけにはいかない。心優しい彼らが痛みを共有してくれると、容易に分かるからこそ、だ。
「DEATH夫に封印を施したのは魔界の主人だからねえ」
冥界第四階層の支配者ザ・ラック。巧みな話術で人心を手玉に取り、契約で魂を奪うのみならず、モンスターのDEATH夫とDEATH子を使い、死者の魂を集めているという。
「悪魔相手では人の世の秘術が通用しないのも当然か」
力ないため息が室内に波状で広がった。一介の魔物にも歯が立たなかったのに、上級悪魔のかけた印を破れるわけがない。もはや万策尽きた感は否めなかった。パーティーの周りに漂う重苦しい沈黙。
「・・・・・そもそも、どうして力を封じられる羽目になったのかな」
対策を考えるのに疲れ、まじしゃんが何気なく呟いた一言が皆を瞠目させた。毎日の探索活動で頭が一杯になって、根本的な経緯を聞くのをすっかり忘れていた。
「まさかとは思うが、能力を過信して、主人に反旗を翻したとか」
「それはない。自分のマスターはひとりだけ、とまで言ってたもの」
あの時の遠くを見るような眼差しが、今でも鮮烈に浮かんで来る。
「ああ見えて、意外に忠誠心があるのかもしれませんね」
「そだな」
「きゅるり〜っ」
事ここに至って、勿体をつける必要もないと思ったのか、フローズンがおもむろに話し始めた。DEATH夫は質の高い魂を献上し続けた功績が認められ、ザ・ラックの側近のひとりにまで出世していたらしい。
「・・・・彼は魔界での生活について、多くは語りませんでしたが、男の子モンスターが破格の出世をしたことで、随分、恨みや妬みを買ったようです・・・・」
実力主義といっても、いや実力主義だからこそ、出る杭は打たれ、足を引っ張られる。その辺は人間とさして変わらない。様々な伝承や記録を読む限り、悪魔や天使も人間臭い部分を多々持っており、妙にうなずけるものがあった。
「うんうん、よ〜く分かるよ。私だって天性の美貌と気品がオトコを魅了するばかりに、いつも嫉妬されて、あらぬ事を噂されるもんねえ」
「白鳳さまの場合は、単に行動が過激すぎて、悪目立ちしてるだけです」
主人の的はずれの思い込みを却下して、神風がにべもなく言い切った。
「ええっ、嘘っ!?」
「きゅるり〜。。」
へっぽこなやり取りを受け流しつつ、オーディンが神妙な顔で問いかけた。
「なら、DEATH夫が瀕死の状態で、氷のダンジョンに倒れていたのは」
「・・・・彼を快く思わなかった者たちの罠にかかって・・・・」
暗黙のルールだった掟を破る状況に陥り、捕らえられた彼は、主人の前に引き出され、即座に断罪されたという。
「そんなっ、酷いよ」
「ホントの事情を説明すれば、きっとご主人様だって分かってくれたぞー」
納得いかない風に切り出したまじしゃんやハチに対し、フローズンは苦しげに声音を絞り出した。
「・・・・一言も弁解しなかったそうです・・・・」
「なぜっ」
「・・・・連中の奸計にはまった自分が愚かだった、と・・・・」
「・・・・・・・・・・」
あまりに潔い身の振り方に、続く言葉が思い付かず、誰もが押し黙った。けれども、処刑されては元も子もない。今でも戻りたがっているほど、居場所に未練があるのなら尚更だ。
夜を徹しての看病は、健康体でもそれなりに体力を消耗する。しかも、終わりが見えない闘いなのだ。だから、白鳳たちは二手に分かれて、DEATH夫の世話をしようと決めた。白鳳、フローズン、ハチのグループと神風、オーディン、まじしゃんのグループだ。今夜は前者の担当なので、神風たちはすでに眠りについていた。
「うふふ、今日はどんな話が聞けるかな」
「楽しみだぜ〜♪」
フローズンと一緒に夜明かしするたび、白鳳とハチは主人関連のエピソードを次々と聞き出した。DEATH夫は余計な話をしないだけに、ところどころ想像で補った部分もあるが、生まれたばかりのDEATH夫が、ダンジョンに視察に来た主人と出会ったとか、レベルの高い魂を入手するため、他階層の悪魔から強奪していたとか、予想以上に興味深い逸話が目白押しだった。
「結構、甲斐甲斐しく仕えてたんだねえ」
「おうっ、はくほーに対する態度とは大違いだっ」
「黙れ、虫」
「あてっ」
先細りの指でデコピンされ、ハチは布団の上でごろごろとすっ転がった。
「・・・・もう私がお話しすることはありません・・・・」
俗なゴシップに対するごとく、期待で目をらんらんと輝かせる主人たちに、フローズンは苦笑しながらやんわりと断った。
「冷たいこと言わないで、ねっ、ねっv」
「・・・・本当にこれ以上は聞いていないのです・・・・」
「なんだ、もうおしまいかあ」
「がっかりだぞ〜」
後は当人と直接語り合うしかないらしい。白鳳とハチはいかにも残念そうに肩を落とした。ランプの薄明かりが彼らの紅い瞳でちろちろと揺れ続ける。
「・・・・私は水を取り替えてきます・・・・」
ようやく解放されたフローズンが、洗面器を持って部屋を出ていった。残された白鳳たちはベッドで眠り続けるDEATH夫の色のない顔を眺め遣った。瞼も唇も全く動かず、息をしてるかも疑わしい。
「こんなんじゃ蜂蜜玉も飲ませられないよう」
「何かきっかけひとつあれば・・・・」
彼を絶対に死なせるわけにはいかない。しかし、気ばかり逸って、調査は一向に進まぬ状態が歯がゆくて、ぎゅっと拳を握り締めたとき、廊下でガタンと大きな音が響いた。
「フローズン!?」
「大丈夫かっ」
もしや良からぬ賊の侵入があったのではと、迅速に駆け付けたひとりと一匹が目にした光景は、うつ伏せに倒れたフローズンと、転がる洗面器。さらに廊下の端まで広がった水だった。
「・・・・すみません、白鳳さま・・・・」
横座りの体勢で、フローズンがぺこりと頭を垂れた。気が激減しているところへ、心労が重なって、小さな身体を支え切れなくなったのだろう。白鳳は雑巾を持って来ると、手早く水の始末をした。
「毎日、気を吹き込んでるし、疲れが溜まってるんだよ。今夜はもうお休み」
「ですおはオレとはくほーが見るかんなっ」
「・・・・いいえ、そんなわけには・・・・っ!?」
「!!」
不意にDEATH夫を残した部屋から強烈な邪気の塊を感じた。まさか。魔物は完全に粉砕したはずだ。だが、白鳳にはもうひとつ思い当たることがあった。初めてDEATH夫とフローズンに会ったとき、ふたりは魔界の追っ手と一戦交えた後だった。先日のDEATH夫本来の気を察知して、連中が居場所を突き止めたとしたら。
「ちっ、次から次へと」
面倒を引き起こしてくれる。眠っていてもトラブルメーカーだ。白鳳はベルトから外した鞭を構えると、従者たちを引き連れ、扉の前まで戻ってきた。ところが、そこから一歩も動けないではないか。もちろん、足が竦んだわけではない。あたかも見えない壁に阻まれているようだ。ふと、左右のフローズンとハチに視線を流せば、彼らも同様の現象に見舞われていた。
「・・・・これはいったい・・・・」
「前に進めないじゃないかようっ」
空回りした羽音だけがぶんぶん響く。幸い、腕だけは動いたので、羽音よりも高鳴る鼓動を抑え、ドアを力任せに引っ張った。
「・・・・あっ・・・・」
「だ、誰かいるぞ〜」
ベッドの脇に長身の黒い影が佇んでいる。背筋を震わせる気は更に増大し、建物全体を破裂させんばかりの勢いだ。が、なぜか害意や敵意は伝わって来なかった。
黒い影だと思ったのは、漆黒のフードをかぶっているものだった。相手の正体を確かめようと、身を乗り出した白鳳主従だったが、風もないのにランプの炎がいきなり消えた。手にした大きな鎌が冴えた月の光を映して、ぎらりと輝く。白鳳たちが声も出せずに見守る中、黒い影は枕頭に鎌を降ろすと、DEATH夫の肩をそっと抱き上げた。闇色のフード、不気味な大鎌。これで中の顔が骸骨だったら、完璧にイメージの死神だ。実際、顔を見たわけでもないのに、気が動転した一同は、相手の正体を勝手に決めつけ、パニック状態になった。
「し、し、死神っ」
「ですおが連れていかれちゃうよう〜っっ」
「・・・・ああ、なんとかしなければ・・・・っ」
しかし、ふたりと一匹がいかに心を砕き、取り乱しても部屋には入れず、怒声さえぶつけられない有様だ。まさに万事休す。ところが、曲者はDEATH夫をさらったりはせず、胸元を一瞥してから、節くれ立った長い指で頬を数度撫でると、物言わぬ唇に自らのそれを押しつけた。
「あり?ちゅ〜してらあ」
「・・・・いえ、あれは・・・・」
「気を吹き込んでいる?」
白鳳の問いかけに、フローズンが無言で顎を落とした。闇に馴染んだせいか、目を凝らせば、中の出来事を詳しく追うことは可能だ。天然の灯だけを頼りに、白鳳たちは息を止めてふたつの影を見遣った。からっぽの容器が充たされるごとく、DEATH夫の身体に気が満ちて来るのが分かる。心なしか、顔のくすみも薄らいだようだ。
「ねえ、快復してるみたいだよ」
「ホントだ!!ですお、元気になってっぞっ」
「・・・・確かに・・・・」
状況が好転して、白鳳とハチは手放しで喜んだけれど、フローズンだけは複雑な表情を浮かべ、重く目を伏せた。その含みのある反応で、白鳳ははっと閃いた。
「ひょっとして、あれはDEATH夫の主人かい?」
上級悪魔なら持てる気も魔力も桁違い。男の子モンスターに多少分け与えたとて、何ら影響はあるまい。
「・・・・恐らく・・・・」
「おおおっ、ご主人様、助けに来てくれたんだなー」
非情に切り捨てたはずの僕を、わざわざ救いに来るなんて。相手の意図が読めず、白鳳は訝しく感じたが、ふと、ある可能性に思い当たった。魔界の領地を任されるくらいだから、物事の本質を見抜く目はあろう。DEATH夫の失態の真相が判明して、連れ戻しに来たのかもしれない。フローズンも同じことを考えたらしく、あからさまな不安の色を浮かべ、成り行きを見守っている。と、その時。金の虹彩を覆っていた瞼がうっすら開いた。まだ朦朧とした意識の中、漆黒のフードの中の顔を見るやいなや、DEATH夫の瞳がかっと見開かれ、横顔のラインが微かに震えた。だが、何事かを訴える間もなく、強引に口を塞がれ、角砂糖が崩れるように再び意識を手放した。きつい瘴気でも吸わされたのだろう。力ない肢体をシーツに横たえると、黒い影は徐々に闇と同化して、やがて完全に空間から消えた。程なく、白鳳一同はやっと身体の自由を取り戻した。
「DEATH夫っ」
「お〜い」
ふたりと一匹はラタンのベッドへ駆け寄った。規則正しい寝息を立てるDEATH夫は、気も安定しており、さし当たっての危険は去ったようだ。彼の状態に大きな変化があったので、ハチは就寝中の3人を起こしに行った。残された白鳳とフローズンは、張り詰めた糸が切れたのか、ソファにぐったりと倒れ込んだ。
「しかし、主人じきじきにやって来るとは驚いたなあ」
「・・・・結局、封印は解かないまま、行ってしまいましたが・・・・」
「そうか、あくまで緊急避難に過ぎないんだ」
「・・・・ええ・・・・」
「にしても、あのふたり」
単なる主従関係ではない、と白鳳は察知した。従者の叱責も何処吹く風、伊達に男漁りはしていない。DEATH夫が目覚めたほんの一時だけで、今まで耳にしたどんな話より、彼らの間柄が露わになった気がした。常にふてぶてしいくらい冷静なDEATH夫が、動揺を隠せなかったのは初めてだし、黒い影に向けられた視線は、主人を見るそれとは別物だった。何と言っても、決定的だったのは、唇を塞がれた時の反応だ。蜂蜜色の目を覆う驚愕の中に、仄かな恍惚が潜んでいたのを、白鳳は見逃さなかった。
(ちぇっ、出来てるんじゃん)
あれだけ他者との交流を嫌い、色恋沙汰にもまるで関心を示さなかったのに。一般人はごまかせても、真性××者の慧眼はごまかせない。主人側の扱いから解釈しても、彼らがいかがわしい関係にあるのは疑うべくもなかった。
(く、く、悔しい〜っっ)
白鳳主従との出会いの場で、神風にお手付きかと嘯いていたのに、ストイックそうな顔して、DEATH夫の方がお手付きだったとは。いずれ、彼の初めての相手になって、手取り足取り腰取り、いろいろ手ほどきしてやろうと楽しみにしていたのに。
喚き散らすハチに無理やり起こされた神風たちは、眠い目を擦りながら部屋へ入ってきた。けれども、白鳳とフローズンが闇からの来訪者の経緯を話すと、いっぺんに睡魔が吹き飛んだのか、ベッドの周りを小走りで取り囲んだ。
「うむ、かなり顔色が良くなった」
「これなら平常時と変わりないですね」
血の色が上ったりはしないが、乾き切った土を思わせるくすんだ色合は、すっかり消滅していた。
「あ、瞼が動いたよっ」
「ですお、目を覚ますかもしんないぞー」
彼が纏う気がふわんと膨れ上がっている。ハチの判断は正しいと思い、全員固唾を飲んで見守っていると、切れ長の瞳が躊躇いがちに開かれた。一同から我知らず安堵の声が漏れる。
「DEATH夫」
「気がついたのか」
「良かったなあっ」
「きゅるり〜」
皆、泣き笑いのような顔をして、仲間の生還を心から喜んでいる。だが、当のDEATH夫はにこりともせずに気の良い連中を見遣ると、虚空に視線を泳がせた。
「・・・・あのひとはもういません・・・・」
友の目的を見抜いたフローズンにぴしゃりと宣告され、DEATH夫は予想通りと目を閉じた。その瞼にぽつぽつと零れる滴。怪訝に思い、滴の元を追えば、自分を覗き込む真紅の瞳から止めどなく涙が溢れていた。しかも、他の連中と異なり、白鳳だけは眉をつり上げ、ぎろりと睨み付けて来るではないか。
「バカっ!!!!!」
「?」
唐突に凄い剣幕で怒鳴られて、さすがのDEATH夫もほんのちょっぴり怯んだ。
「は、白鳳さま、DEATH夫は目覚めたばかりで。。」
主人の過激な挨拶を見過ごせず、神風が止めに入ったが、白鳳はお構いなしでまくし立てた。
「自己犠牲なんて柄でもないことすんじゃないよっ!!カッコ付けて勝手に死なれたら、迷惑なんだからっ!!」
「犠牲になったつもりはない」
「実際、死にそうだったくせに・・・・・」
「きゅるり〜」
そこまで言い差して、白鳳は涙で言葉が続かなくなり、チャイナ服の左胸の辺りをぎゅっと握り締めた。涙はなおも止まらず、白皙の頬や顎を伝って、ぽろぽろ落ちる。
「なぜ泣く」
抑揚のない低い声でDEATH夫が問いかけた。
「・・・・・DEATH夫が助かって、嬉しいからに決まってるじゃないか」
「自分の手駒がどうなろうが、痛くも痒くもなかろう」
「私は皆を駒なんて思ったことない。家族みたいな掛け替えのない仲間だよ。幸せになってくれたら嬉しいし、傷ついたら自分のこと以上に悲しい」
「きゅるり〜っっ」
神風が手渡したハンカチで、涙を拭いながら、白鳳はぷうと頬を膨らませた。ただでも紅い虹彩が、いっそう鮮やかさを増している。
「理解できんな」
「みんなだって、DEATH夫を元気にする方法を探すため、寝食も忘れて、いろいろ奔走したんだよ」
一同の顔には歓喜と同時に、疲労の色が見て取れた。効果のある治療法を求め、骨身を惜しまず行動したに相違ない。彼らにとって、自分は損得勘定抜きで必要とされている。その事実がひしひしと伝わってきた。生き馬の目を抜く魔界で、食うか食われるかの戦いをして来ただけに、情に脆い白鳳主従の甘さをバカにして来た。なのに、今、彼らの誠意は鬱陶しいものの、決して不快ではない。そんな風に感じていることが不思議だった。
「変なヤツらだ」
「な、何だよう」
ハチみたいな物言いで、口を尖らせる白鳳から、顔を逸らして視線を落とす。ふと、胸元にあるべきものがないのに気付いた。
「!?」
無表情を装っていても、親しい者には瞳の奥の動揺は隠せない。尋ねられるのを待たず、フローズンは経緯を説明した。
「・・・・倒れたとき、鎖が切れて・・・・」
「そうか」
口調こそ平静だったが、そこはかとない落胆の色が浮かんでいた。フローズンやハチの話ではリングに気を凝縮させ、無尽に貯めたり、一気に放出することが可能だという。普通では使いこなせないレアアイテムを、誰がDEATH夫に与えたのかは明白だった。
意識を取り戻したDEATH夫を見て、すっかり安心したメンバーは、ハチと白鳳を残し、再び床についた。過労気味のフローズンも半ば強引に休ませた。ハチさえ眠りこけてくれれば、ふたりきりの長い夜なのに、深夜の僥倖に興奮したためか、未だに懐っこい笑顔で室内を飛び回っている。一寸の虫のムダな頑張りが憎らしくて堪らない。
「この傷も魔界にいたときに負ったのかい」
「そうだ」
「うえ〜、痛そうだな〜」
白鳳は趣味と実益を兼ね、DEATH夫の身体を拭いてやっていた。下心丸出しのぶしつけな視線にも、まるっきり動じる風はなく、いかにも不機嫌そうな顔で真っ正面から見返してくる。
(あ〜あ、こういうところが可愛くないんだよ)
真性××の妖しい眼差しには、照れるなり、焦るなりしてくれないと、まるっきりからかい甲斐がない。ちょっとは神風やオーディンを見習って欲しいものだ。
(しかし、本当に傷だらけだね、このコ)
初対面のときも夥しい傷跡に驚かされたが、改めて目にすると、切り傷、刺し傷、抉れ傷と実に生々しい。見ているこちらの方が痛くなってくる。可愛い部下に何度も重傷を負わせて、主人は何も感じなかったのだろうか。
「大怪我したとき、ご主人様は労ってくれなかったの」
「みっともない戦いはするなと言われた」
「げげ〜んっ!!」
「そんなっ」
「俺もそう思う」
むしろ当然とばかり、淡々と同意を述べた。敵を圧倒し、無傷で勝てということか。主人の要求は限りなく高い。それに応えるべく、DEATH夫は実戦も交えつつ、ひたすら修行を積み、腕を磨いたのだろう。彼が強さのみに拘泥する理由が、初めて分かった気がした。なのに、矮小な輩のせいで、魔界での全てを失ってしまったのだ。無意識のうちに、胸元を気にしているのを見ると、気持ちが重く沈んだ。
「だいたい、たった一度のミスで追放されるなんて」
「悲しいよな〜」
「あいつはどんな些細な失敗でも決して許さない」
「・・・・・・・・・・」
魔界の主人まであいつ呼ばわりか、と白鳳はいささか驚いた。でも、それでこそ彼だし、媚びる相手を見慣れた権力者には、小生意気な態度がかえって新鮮に映ったのかもしれない。
「俺より実力も地位も上だったのに、取るに足りない過ちで処刑された連中は、いくらでもいる」
「DEATH夫はたくさん良い魂を届けて、貢献したんだろ」
「失敗した時点で全て帳消しだ」
会話を続けるうち、白鳳はだんだん腹が立ってきた。部下を己の道具としてしか扱っていない。使えるだけ使って、利用価値がなくなったら、ポイ捨てだなんて、あまりに惨すぎる。もっとも、悪魔に情を期待する方が間違いなのだろうが。
「そんな非道なマスターに仕えることないっ」
「そーだ、そーだ。はくほーなら、しこたまへましても笑って許してくれるぞっ。なんせ自分がへっぽこだかんな」
「へっぽこなのはお前だよ」
「あてっ」
白鳳のバックスイング付きのビンタの餌食になって、ハチはカーペットに吹っ飛ばされたが、特に痛がる様も見せず、しゃっきり立ち上がった。打たれ強さに感心しつつ、ちっこい身体をまじまじ見れば、腹の出具合がいつもと違う。
「ハチ、お腹が変な格好に膨らんでるね」
ぽっこりはいつものことだが、ラインが妙にいびつで、中に異物でも入っているようだ。白鳳の指摘で、ハチは思い出したように、くりくり眼を見開いた。
「あ〜っ、いけねっ!!!!!これ渡すの忘れてたっ」
でへへと舌を出し、頭を掻きながら、ハチはひょいと黒い塊を出した。それは神秘的な光を鈍く放つオニキスのリング。
「!!」
醒めた面差しに、微かに感情の波が広がった。
「ですおの大切なものだもんなー。オレ、ダンジョンへ行って、探しといた」
ハチは誇らしげに胸を張った。無論、突き出しているのは腹だった。
「良かったね、DEATH夫」
「ああ」
「ご主人様から貰ったんだろー」
「まあな」
露骨に喜びを示したりはしなかったが、白鳳やハチの一言に素直に反応したところを見ると、よほど嬉しかったのだろう。今となっては、これだけが自分と主人を繋ぐ細く儚い糸なのだ。
「ハチ、ちょっと貸してごらん」
「何だー」
「素のまま貰ってもDEATH夫だって困るだろ。これに付けるから」
白鳳がベッドの脇にある引き出しから、しゃらんと鎖を取り出した。切れた部分はオーディンが丁寧に直してくれた。先細りの指がリングを器用に通し、ペンダントの体裁を整える。
「はい」
渡された鎖をDEATH夫は黙って首にかけた。ようやく元の場所に落ち着いたリングが煌めく。それを身動ぎもせずに見つめると、軽く顔をほころばせた。情の欠片もない冷ややかな表情を見慣れてるだけに、漏らした笑みが、とても優しく暖かく感じる。
「ですお、笑うと美人だなv」
「世辞はいい」
ハチの素朴な感想に、眉ひとつ動かさず、DEATH夫はそっけなく返した。
「うんにゃ。ホントっ、ホントだぜっ。はくほーの次くらいに美人だっ」
「よしよし、分かってるね、ハチ」
自分の次と認定したので、白鳳は満足げに大きく頷いた。もし、無視されていたら、ハチはまたもやビンタの餌食になっていたに違いない。
「・・・・・昔、同じことを言われた」
どんな場面を思い出したのか、きょとんとした面持ちで、DEATH夫がポツリと呟いた。
結局、DEATH夫は一足先に白鳳の私邸へ返されることになった。快方には向かっているものの、まだ床離れも出来ず、これ以上、旅を続けるのは無理と判断したのだ。雲間から薄日が差す昼下がり、フローズンが手配したうし車の後部座席に横たわる黒いシルエット。顔色こそ普段と変わりないが、だらしなく四肢を投げ出した様子は、本調子にはほど遠い。パーティーが不安げに窓から覗き込み、口々に声をかけた。
「・・・・DEATH夫、気を付けて・・・・」
「しっかり食事をして、十分休息を取るんだよ」
「きゅるり〜」
「復帰を焦らないようにな」
「早く元気になって、また一緒に旅しようっ」
「とっとと去れ」
小姑を思わせる皆の物言いに、DEATH夫は眉をたわめると、ぷいと寝返りを打ってしまった。やれやれといった顔で、彼の背中を眺める一同だったが、そこにハチがやって来て、腹を小気味よく叩きながら言った。
「ま、ですおのことはオレに任せとけっ」
本来ならフローズンが付き添うところだが、彼がいなくては白鳳団の旅が成り立たない。そこでハチが護衛に指名されたのだ。切り出す時ははらはらしたけれど、DEATH夫は何も言わなかった。無言の場合は是と取るのが、彼との付き合いでのルールだ。粘り強いアタックが功を奏したのか、はたまた、大事なリングを探して来たのが効いたのか。ハチは無愛想な死神に受け容れられつつあった。
「くれぐれも頼むよ、ハチ」
「きゅ、きゅるり〜っ」
「・・・・食べ物に釣られないように・・・・」
「おうっ、ですおは必ず無事に連れて帰るかんな。大船に乗ったつもりでいてくりや」
全員の頭に”泥船”の二文字が浮かんだが、さすがに口に出来なかった。まあ、私邸はこの街からさして離れてないし、御者にはたっぷり礼金をはずんだから、いくらへっぽこの権化でも心配なかろう。白鳳主従とて、わずかなノルマをこなせば、すぐ戻るのだ。
「そろそろ、出発の時間だな」
うしが3度鳴いたのが合図らしい。名残を惜しめば、キリがないが、白鳳たちは数歩後退して、見送り体勢になった。見せ鞭が鳴り、うしが並木道に歩を進め始めた。後ろの窓に貼りついたハチが、涙目で大きく両手を振っている。DEATH夫が一度だけちらりと皆を振り返った。
「行ってしまいましたね」
みゃあみゃあとけたたましい声を響かせ、徐々に小さくなるうし車。まだ右手を掲げながら、神風がうっすらと微笑んだ。5人+1匹での道中は少なからぬ空白感が漂う。
「ふたりもいなくなって寂しいなあ」
「きゅるり〜」
肩先のスイも遊び相手のハチが不在で、身体を丸めてしょんぼりしている。その頭をフローズンがいたわるごとく、さわさわと撫でた。
「・・・・DEATH夫の身体を完治させるためですから・・・・」
「早く、白鳳さまの家へ戻れるよう、捕獲を頑張ろうっ」
「うむ、そうだな」
DEATH夫は戦線を離脱したが、仲間との絆は確実に深まった。動機はどうあれ、彼が身を捨ててパーティーを救ったのは紛れもない事実だ。皆、情の深い、義理堅い性格だけに、その恩を深く心に刻み込んだに相違ない。DEATH夫の方も、見返りを求めぬメンバーの真心に触れ、頑なに閉ざした胸の中に、何かが芽生えつつあった。もっとも、全てが解決したわけではない。封印は依然としてDEATH夫の身体を苛んでいる。いつか再び主人と遭遇して、戒めを解かれる日は来るのだろうか。
(う〜ん、ラック様とやらの腹一つ、かな)
DEATH夫自身は情けをかけられるようではお終いだと、不本意の極みらしいが、敢えて助けに来た主人の思惑次第では、可能性がないとは言えない。しかし、それとは別に、白鳳は不謹慎な野望を抱いていた。
(無慈悲な主人より、私の方がず〜っと素晴らしいって悟らせてやるもんね、うふふv)
お手付きだと知って、一瞬、興醒めしたものの、他のオトコのものだと思ったら、ますます欲しくなった。危険な略奪愛もたまには悪くないと、ひとり勝手に新たな闘志を燃やしている。全く真性××につける薬はない。
(遠くの愛人より、近くの他人。側にいる者が圧倒的に有利なんだから)
速やかに捕獲を終えて、私邸へ戻ったら、白鳳自ら腕を振るい、大陸各地の名物料理をこしらえるつもりだ。手料理で相手のハートをゲット!は恋愛の基本である。
(媚薬を盛るんだったら、どんな料理がばれにくいかなあ♪)
点になったうし車になおも目を凝らしながら、つらつらと不純な妄想に耽る白鳳だった。
FIN
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