*大人のワガママ*
出会ってから早一年余、さんざん遠回りをした末、ようやくセレストは白鳳と正式に交際することになった。とは言うものの、相手が特殊な事情を抱えているため、そうそう頻繁に会えるわけではない。いわゆる遠距離恋愛というやつで、普通の恋人たちに比べれば、なんともおぼつかない間柄である。そんな彼らの空白期間を補うアイテムのひとつが、白鳳自筆の手紙だった。それは時に心尽くしのプレゼントまで添えられ、月に2〜3度セレストの手元に届く。むろん綴られている文面を鵜呑みにしてはいない。彼のことだから、楽しいことはより楽しく、辛いことは控え目に、あるいは触れないで済ますに違いない。だが、街やダンジョンでの出来事を雑感も交え、事細かに記してあるのを読むだけで、彼の存在を身近に感じ嬉しい気持ちになれるのだ。
「お〜い、セレスト。お前の分だぞ」
「ああ、ありがとう」
騎士団気付の手紙は当番が振り分け、翌朝、それぞれの隊に渡される。白鳳も最近は自宅ではなく、騎士団宛てに送るようになっていた。親切な同僚が差し出した手紙を廊下で受け取ると、セレストはそそくさと自室に戻り、改めて宛名の部分を眺めた。見慣れた字で丁寧に綴られた自分の名前。封筒を開く手も期待で微かに震える。
(今日はどんなことが書いてあるんだろう)
我知らずほころんだ顔が、短い文面に目を通すやいなや、険しく凍り付いた。
”今、ルーキウスと同じ地帯の大都市に滞在しています。
せっかく近くまで来たのに、数日前から高い熱が出て、関節の痛みも治りません。
無理と分かっていますが、一目セレストに会いたかったです”
いつもは便箋に収まりきらない勢いで綴ってあるのにたった3行。心なしか字も乱れ加減だ。淡々と書いてあるけれど、相当具合が悪いのだろう。白鳳が苦しむ姿が脳裏に浮かび、もう居ても立ってもいられなくなった。幸い、彼の居る都市は大陸でも有数の観光地で、隣国からうし車が出ており、半日もあれば到着可能だ。今すぐ城を出て、隣国目指し駆け出したかったが、大事な役目を放りだし、私用で外出するわけにはいかない。
(しかしなあ)
白鳳がここまで気弱になるのはよほどのことだし、”会いたかった”なんて過去形で書かれると、あまりのいじらしさに胸が痛む。思い切って一日だけでも休暇を貰おうか。そんな迷いを引きずったまま、服務についたセレストだったが。
「セレスト、何かあったのか」
「い、いえ、別に何も」
「お前、相当分かり易いぞ」
「が〜ん。。」
ただでも鋭いのに加え、長年主従として付き合って来たカナンには、心中の動揺をあっさり見抜かれていた。なおも否定するのは、相手に攻撃材料を与えるようなものだ。ここは休暇願いを切り出しやすくなったと、プラスに考えるしかない。セレストは覚悟を決めると、今朝起こった事を語り始めた。
「実は白鳳さんから手紙が来て」
恋人の手紙と聞き、最初は冷やかすタイミングを計っていたカナンも、病気のことを耳にすると、口を引き結んで神妙な顔付きになった。
「う〜む、この前も行き倒れていたし、案外、体が弱いのかもしれんな」
アルビノ種は短命だと何かで読んだこともある。それを思い出すと、ますます不安が募った。たとえ3行でも手紙が書けるくらいだから、今すぐ死線を彷徨うことはないだろうが、終わりの見えない旅が少しずつ彼の身体を蝕んでいるとしたら。
「それで・・・・・勝手なことは百も承知ですが」
「休暇か」
「もし許されるなら、夕方からでも」
躊躇いがちに申し出たセレストだったが、カナンは怒るどころかその背を押して、退出を促した。
「事は一刻を争うかもしれん。夕方なんて言ってないで、とっとと支度をしないか」
「いえ、従者として最低限の義務を果たした後でないと」
近頃、カナンがこっそり城を抜け出すことも多くなった。一年前の冒険で妙な知恵が養われただけに、野放しにしておくと何をしでかすか分からない。午後の勉強も心配だし、せめて日没までは付き添っていよう。
「バカ者。そんな朴念仁なことを言ってるから、前の彼女にも振られるんだ」
「ぐさっ」
いつの間にこんな極めて個人的な情報まで。しかし、シェリル→リナリアルートが存在している以上、殆どの情報が筒抜けでもおかしくない。その上、漏れ聞いたところによると、カナンは父アドルフにも頻繁に接触しているらしい。大方、こちらの弱点でも聞き出すつもりなのだろう。
(まあ、その辺の対策はあとで考えるとして)
本音を言えば、カナンの反応はありがたかった。心配の種を抱えたまま失態をしでかすよりは、実際白鳳と会って、容態や治療法をはっきりさせた方が遙かにいい。話の分かる主君にありったけの感謝を述べて部屋を去ると、セレストは用意もそこそこに出立した。
手紙に記された住所を訪ねて行くと、街はずれの雑草が生い茂った小道の奥に、木造の粗末な二階家があった。
「ここ・・・・・なのか」
補修すら怠った建物のみすぼらしさもさることながら、まるで空き家みたいに活気が感じられない。街に足を踏み入れた時の華やいだ景色とはあまりにもかけ離れており、セレストは小さくため息をついた。田舎町のルーキウス王国ならともかく、大陸一の都市にもかかわらず、古ぼけた場末の宿に滞在しているなんて。治療代で路銀を使い果たしてしまったのか。ただでも苦痛で心細くなっているのに、くすんだ景色の中にいては滅入る一方だ。病は気からと言うし、このまま鬱な状態が続けば身体まで抵抗力を失いかねない。
(とにかく早く対面して、元気づけてあげよう)
踏み抜きそうな不快な音を伴い、部屋の前まで到着すると、中の気配を窺いながら扉を軽くノックした。返事がないので、ノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。いかにも不用心だと思ったが、今は彼の姿を見ることが全てだ。
「白鳳さん」
ドアを開けた途端、灯りにほんのり浮かぶ白金の後ろ頭。つぎだらけの掛け布団からはみ出た肩がいつもより細く見える。振り向きもしないのは眠っているからだと判断して、起こさないよう忍び足でベッドに近づいた。肩先が小刻みに震えている。これだけ外気が漏れ放題では寒いのも当たり前だ。病状を懸念して相手の顔を覗き込もうとしたセレストだったが、白鳳がいきなり上体を起こし、しがみついてきたので仰天した。
「わ〜い、セレストだ〜。やっぱり来てくれたんですねv」
「ち、ちょっとっ、白鳳さんっ」
すんなりと伸びた腕を絡め、子供みたいな物言いではしゃいでいる。ふと見れば、色が白いのは元からなので、顔色も決して悪くない。何よりこの生き生きした雰囲気は、病で苦しむ人間のそれとは別物だった。セレストはようやく己に降りかかった災難を悟った。
(騙された・・・・・)
辛いときほど無理して強がってしまう人ではないか。露骨に弱音を吐いた文面で妙だと察しなければいけなかったのに、気付くどころかいじらしいと感激した時点で、すっかり術中に嵌っていた。元気だった事実には安堵したものの、自分がどれほど気を揉んだかを考えると、だんだん腹が立ってきた。
「白鳳さんは俺に嘘を付いたんですね」
日頃に似合わぬ厳しい視線で睨み付けると、背に回された腕をそっけなく振り解いた。しかし、白鳳にはこれっぽちも反省の色はない。
「いつも坊ちゃんのお守りで窮屈な日々を送っているんですから、たまには息抜きしたっていいでしょう」
「ここに来るまでどんなに心配したと思ってるんですかっ!!カナン様だって白鳳さんの病状を気に掛けて、すぐに送り出してくれたんですよ」
「へええ、坊ちゃん、いいとこありますね」
「他人事みたいに言わないで下さいっ。貴方はそういう俺たちの気持ちを何だと」
「もう来てしまったのに怒ったって仕方ありませんよ。せっかくですから、一緒に楽しみましょう♪」
セレストがやって来たこと自体が嬉しくてたまらないらしい。むろん自分のしでかした悪事を後悔する様子など微塵もなかった。これではセレストも収まらない。
「冗談はやめて下さい。俺はもう帰ります」
「本気ですか」
「当たり前です。こんなことで時間を無駄にして・・・・・早くカナン様の元に戻らなければ」
相手が真剣なのを察し、まずいと思った白鳳だったが、自分との時間をこんなこと呼ばわりされて、即座に不愉快になった。このまま返してなるものか。
「セレストは過保護過ぎなんですよ。坊ちゃんだって、うるさいお守り役がいなくなって羽を伸ばしているに決まってます」
「俺はカナン様が誕生された時から、ずっとお側にお仕えして来ました。あの方が心身共に健やかにご成長されるよう、見守り、手助けをすることこそ、天から授けられた役目なんです」
「そう思い込んでいるのは貴方だけで、実際セレストがいなくたって、坊ちゃんの一日はちゃんと回ってますよ〜だ」
「言うに事欠いて、なんて憎まれ口をっ」
しかもガキみたいな口調で、と呆れ果てたが、白鳳の指摘はあながち誤ってはいない。これは自分の単なる自惚れで、近衛隊の中には優秀な人材も多いし、従者が一日くらい不在でも大勢に影響ないのかもしれない。それを認めてしまうと存在価値を否定された気がして、頑なに主張しているとしたら、随分滑稽な話だ。けれども、幼少の頃から共に過ごした時間は自分たちだけの財産だし、その積み重ねがカナンとの間に役目を超えた確かな絆を形作っているのだろう。
カナンに嫉妬めいた感情を抱くのはお門違いと頭では分かっているのだが、ないがしろにされるとやっぱり面白くない。確かに手立ては褒められたものではないが、こうして会えたのも久しぶりなのに、城へ帰る話ばかりして。
「ふん、坊ちゃんが結婚でもすれば、奥さんが一番でセレストのことなんて二の次三の次になりますよ」
だけど、セレストは仮に自分と暮らす日が来ても、いつまでもカナン第一だと思うと無性に寂しかった。自分の浮気は認めても相手の浮気、いやある意味本気だからこそ許せない。
「そもそも、嘘の手紙を書いて俺を呼び出すなんて最低です」
「こうでもしなければ、貴方から会いに来てくれないでしょうっ!!」
「!」
吐き捨てるように叩き付けられた言葉が、セレストの心に深々と突き刺さった。そうだ。いかによんどころない事情があっても、自分たちの間柄は”交際中”のフレーズに相応しくない。訪ねてくるのも白鳳からなら手紙を出すのも白鳳から。一方通行でアンバランスなやり取り。白鳳はいつも一途に好意を示してくれるけれど、こちらから積極的な行動に出る機会が限られるだけに、そこはかとない不安が湧き起こって来てもおかしくない。今回の悪戯とて、セレストから動いて欲しい一心でなされたものだと思うと、たちまち怒りも霧散していた。叫んだきり、そっぽを向いてしまった恋人。肩に手をかけようとしたら、乱暴に払いのけられた。でも、拗ねているだけで、本心から出た態度でないのは分かる。とにかく今の率直な心境を伝えなければと思い、背後から優しい口調で言いかけた。
「済みません。白鳳さんの気持ちも考えず、言い過ぎました」
甘いのは百も承知だったが、結局、セレストの方が頭を下げた。
「じゃあ、もう少しここにいてくれるんですね」
「・・・・・・・・・・」
さすがに即答は出来なかった。白鳳が重病だと思ったからこそ、役目を放り出して馳せ参じたのだ。無事を確認したからには、速やかに帰還するのが自分を快く送り出してくれた主君への礼儀だろう。自分は王国の騎士であり、カナンの従者なのだ。しかし、先程の白鳳のセリフに衝撃を受けたのも事実だった。しょーもない小細工をしてくれたが、あれだけは本心の吐露に違いない。自分が姿を見せたとき、あんなに手放しで喜んでいたではないか。この先、こちらから出向く機会がなさそうなだけに、今日だけは白鳳の意向通りにしてやりたかった。
(困ったな)
以前の自分なら迷わず役目の方を取っていたのに。だけど、今振り返れば、誘いを断ることで相手が受ける傷について、想像力も思いやりもなさ過ぎた。当時の彼女には申し訳ないことをしたと思う。つくづくあの頃の自分は未熟だった。これでは振られて当たり前だ。
「・・・・・日付が変わるくらいまでなら」
帰り時間との兼ね合いを考えた苦しい折衷策だった。最終のうし車に乗って、終点から夜通し歩けば、明日の朝一番にはどうにか城に顔を出せるだろう。あくびばかりして、主君に呆れられないよう、いつもは飲まない濃いめの珈琲でも用意しておこうか。
「本当に」
「ええ」
「わ〜い、やったっ」
うなだれていたはずの白鳳はあっさり復活して、振り返ると満面の笑みを浮かべた。
「そうと決まったら、さっそく街へ出ましょう」
すぐにベッドを出ると、手際よく綿のパジャマを脱ぎ始める。
「はあ」
「あ、安心して下さいね。ここは暫定的に借りただけで、本当の宿は大陸でも有名な高級ホテルですから」
「・・・・・・・・・・」
壊れかけた部屋はある種の効果を狙った舞台装置だったらしい。この立ち直りの早さを見ると、しょんぼりとしおらしい態度すら、フェイクだった気がしてくる。どんどん彼のペースに巻き込まれる自分を感じながらも、怒ることはもちろん、もはや呆れることさえ許されず、セレストは強引に外へ連れ出された。
漆黒の空に満面の星が散りばめられたルーキウスの夜景に比べ、ここはまさに別世界だった。左右にそびえ立つ建物の色とりどりのネオンの前には月まで影が薄い。夜にもかかわらず、昼間同様、いやそれ以上に人が行き交う様子もセレストを驚かせた。
「この国の歓楽街は充実していますから、遊ぶところはいくらでもありますよ」
「いえ、俺はそういうのは苦手ですから」
白鳳の緋色の瞳がキラキラ輝くのと反比例して、セレストは逃げ腰になっていた。自分は派手な遊興施設には興味はないし、華やかな色彩に飾られた景色はどうも落ち着かない。道行く女性の過度に露出度の多い服装も良い印象を持てなかった。
「ふふ、心配しなくても、セレストを変な店に連れて行くつもりはありませんよ」
「は、はあ」
含みのある物言いが気に掛かる。別の誰かだったら変な店に同伴するのだろうか。
「せっかくですから、一緒に飲みましょう」
「それは構いませんが」
承諾した後で、不意に健全じゃない酒場に案内される予感がした。が、健全じゃない酒場とは具体的にどんな場所なのだろう。実際行ったことがないだけに、恐れだけが先に立った。いかに想像力を働かせたところで、蓄えた知識や経験を超えたものが浮かんで来るはずはない。実態が分からないからこそ、なおさら恐ろしく感じられた。
「セレスト・・・・・いかがわしい酒場だと思っているでしょう」
「い、いえっ、そこまでは」
「分かり易い人ですねえ」
「が〜ん」
カナンと同じことを指摘されてしまった。要するに単純ということなのだろう。ショックで言葉に詰まっているうちに、白鳳に腕を引かれ、十字路の角の店まで歩を進めていた。ショーウインドーに展示された品の良いドレスやタキシード。どう見ても、飲食系の店ではない。
「あれ?酒場じゃないんですか」
「まずは準備をして行かないと」
「え」
「礼服じゃないと入れない店なんですよ」
「?」
どうやら目的の店は”酒場”ではないらしい。セレストの疑問を置き去りにしたまま、彼らは連れ立って店に入った。外観より遙かにゆったりとした作り。彩度の低い落ち着いた色調が目に優しい。フォーマルウェアが売り物なのに、客の大半は自分たちと同年代の若者で、殆どがカップルだった。白鳳は紳士用の礼服が展示してある場所に行くと、テキパキと数点選んでセレストに手渡した。
「セレストだったら、この辺が似合うかな」
「あ、あのぅ」
「試着して、気に入ったのを選んで下さいね」
まるっきり話が見えてこない。戸惑うセレストを白鳳は有無を言わさず、試着室に叩き込んだ。ここは取りあえず言うとおりにするしかない。全部試着した末、一番シンプルなデザインのスーツを選んだ。
「ステキですよ、セレストv」
うっとりと自分を見つめる白鳳の深紅の双眸が輝いている。店員も客もいるのに、なんだかいたたまれない気分だ。恥ずかしくてしばらく俯いていたが、ふと顔を上げれば、白鳳もスーツを着用していた。心の片隅でチャイナドレスでも着てくるのではと懸念した己を恥じた。
(これは)
彼のイメージとは結びつかないが、実際目の当たりにすると、意外なくらいよく似合っている。スタイルの良い美人がメンズファッションを着た時、映えるようなものだろうか。リボンタイが繊細な雰囲気をぐっと引き立てていた。
「ああ・・・・・」
我知らず見惚れて感嘆の声を漏らしていた。それに応じて、形の良い唇が嬉しげにほころんだ。さらに次の言葉を期待する熱い眼差し。ここで、すんなり褒め言葉のひとつも言えたらいいのだろうが、照れもあって、なかなか口に出来ない。
「あの・・・・・何て言いますか、お・・・・・お似合いですよ」
どうにかこれだけ形にした。白鳳は満足げにうなずくと、にこにこと笑ったまま腕を絡めてきた。
「さあ、行きましょう、セレスト」
「でもここの料金は」
「もう済ませました」
「そ、そんな」
素人の自分でも分かるほどの高級感溢れる素材や仕立て。この代金を白鳳に払わせるわけにはいかない。青い髪の青年の顔色が変わったのを察し、白鳳は苦笑混じりで囁いた。
「ふふ、別にセレストにプレゼントしたわけではありませんよ。ここは貸衣装屋ですから」
「貸衣装」
歓楽街の中にはカジノやレース場など、正装しないと入れない店が結構あり、観光客のためにこんな店も用意されていた。店内が若いカップルばかりだった理由がようやく飲み込めた。が、いくらレンタル代でも自分の分は自身で払うのが信条だ。
「後で俺の分は払いますから」
「私のワガママで付き合って貰うのですから、今日のデート代は全部持たせて下さい」
少し年上の余裕をほのめかせつつ、白鳳は紅い瞳を細めた。もちろん、セレストは引き下がらない。
「そういうわけには行きません」
「セレスト、可愛げのないことを言うものじゃありませんよ」
「可愛げって」
「私は貴方に奢ってあげるのが嬉しくて堪らないんです。そのままいい気分でいさせてくれたっていいじゃないですか」
「し、しかしですね」
少し離れたところから、店長らしき年輩の女性が口論する彼らを微笑ましそうに眺め遣っている。だが、ふたりはそんなことにはお構いなしで、なおも諍いを続けた。
「そのうちセレストに奢られることもあるかもしれないでしょう。一回一回きっちり精算しなくたって」
白鳳の言わんとすることも理解できる。相手に金の負担をかけまいとして、かえって機嫌を損ねては元も子もないのだから、今日のところは黙って奢ってもらうのが思いやりという解釈も成り立つだろう。が、そこまで分かっていながら、やはりセレストはこの状態を潔しとしなかった。
「それでは俺の気が済みません」
「だいたい、所持金はいくら持っているんです。こんなところで無駄遣いしたら、帰りの馬車代だって危ういんじゃないですか」
「う。。」
致命的な一撃を喰らってしまった。なにしろ白鳳の顔を一目見たらすぐ帰るつもりだったのだ。余分なお金なんて持ってくるわけがない。
「やっぱりね、うふふ」
「じ、次回会ったとき、必ずお返ししますから」
我が意を得たりとばかり、にんまり笑う彼の人に、セレストはかろうじてこう返すのが精一杯だった。
そのバーは大通りから外れた老舗の店が多い場所にあった。この辺りの店舗は皆、しっとりと落ち着いた雰囲気を醸し出し、派手な街並みの中では異彩を放っていた。硝子細工で象られた厚い扉を開くと、まだ店内には入れず、えんじ色のカーテンに覆われた占い部屋みたいな小部屋に通じていた。数人の老女が品定めするごとく彼らをじろじろ見る。
(な、何だろう)
何が起こっているのか分からないまま、セレストは怖々と彼女たちを見つめていたが、程なく波状の視線から解放された。
「どうぞ、お通り下さい」
やれやれと安堵の息を吐くセレストとは対照的に、傍らの白鳳は鼻歌でも歌いそうな浮かれっぷりだ。小部屋を出て、螺旋状の階段を下りると、ほの暗い空間からスタンダードナンバーが聴こえてきた。
「ここですよ」
内部はサロン風になっており、モノトーンを基調にした壁紙や調度品に、南洋の観葉植物とドロー系のアートが良いアクセントとなっていた。カウンターやボックス席もあるが、グラス片手に佇んで談笑している人々も多い。
「は〜〜〜〜〜〜」
「どうしたんですか、セレスト」
「いえ、世の中にはこういう場所もあるんだな、と思って」
あまりにもストレートな感想に白鳳はぷっと吹きだした。確かにのどかな田舎育ちのセレストにとって、趣向を凝らして演出されたスペースは驚きだったに相違ない。彼のそんな擦れていないところも好きだった。
「どのカクテルにします?」
「白鳳さんと同じもので」
「ダメです。自分の飲みたいものくらい、ちゃんと選びなさい」
メニューに記された品名が聞いたこともない名前ばかりだったので、選択を放棄しようと目論んだものの、白鳳はそれを許してくれなかった。
「う〜ん、厳しいなあ」
仕方ないので、改めてメニューの隅から隅まで見返すと、HUNTERという単語が目に止まった。もちろん、どんなカクテルかは全然知らないが、どうせ危険な賭けをするのなら、少しでも恋人と縁のあるものを選びたかった。
「なら、俺はこれにします」
セレストの指先を見ると、白鳳は屈託なく微笑んだ。
「ふふ、私のこと?」
「そうですね」
柔らかい笑顔に誘われ、顔をほころばせたセレストだったが、実物が来るまでは内心ヒヤヒヤしていた。客が飲めないような不味いカクテルを出すはずがないと承知していても、うっかりゲテモノを注文した不運なケースもありうる。自分の場合は特に。だけど、出て来たカクテルはチェリー・ブランデーとバーボンを使った甘酸っぱい味わいで、予想以上の当たりだった。
(名前が良かったのかな)
一口味見をした後は、白鳳のオーダーが届くのをじっと待ち続けた。やがて、その瞳にも似た深紅のカクテルがたおやかな手に渡されると、ふたりは軽くグラスを合わせた。
「私たちの素晴らしい一夜に乾杯v」
「乾杯」
ゆっくりとカクテルに口を付ける。一息ついて、ようやく店内の様子に気を配る余裕が出て来た。大き過ぎず小さ過ぎず、ほろ酔い加減の頭に心地よい刺激を与えてくれるBGM。周囲を注意深く観察すると、店内は年齢不問で、見事なほどカップルだらけだった。躊躇いなくキスまでする若い男女に、セレストは目のやり場に困って、視線を彷徨わせた。ウブな青年の反応を楽しみつつ、白鳳が耳元に囁きかけた。
「実はここは恋人同伴じゃないと入れない店なんですよ」
「あ・・・・・じゃあ、あの小部屋のチェックは」
「ええ。二人が本当に恋人同士かどうかの見極めをしてるんです。あの方たちは巫女の血筋を引いていて、どんなにそれらしく装っても、絶対ごまかしは利かないらしいですよ」
「そんなチェックまで」
「ふふふ、私たち、恋人に認められたんですね」
ああ、それでさっきからずっと上機嫌だったのか。
「ステキな恋人を連れて、この店に入るのがささやかな夢だったんですよ♪」
無邪気に喜ぶ仕草を見て、セレストも嬉しくなった。だけど、店だって商売でやっている以上、そこまで厳密にチェックするとは考えられない。恐らく、恋人判定をひとつの売りにして、客にアピールしているだけだろう。なのに、白鳳がその信憑性に疑問も持たず、はしゃいでいる様がなんだか可笑しかった。日常の慣れきった態度からは想像し難いが、滝の伝説を本気で信じ込んでいたり、まるで子供みたいな可愛いところがあるのだ。
だいたい自分たちは男同士ではないか。それをすんなり受け容れるのも胡散臭い。根本的にそう思っていたセレストだったが、店を奥まで見渡すうち、同姓同士の恋人も少なからずいることに気が付いた。男性同士、女性同士のカップルがごく自然にモノトーンの背景に溶け込んでいる。
「あ、あれ?」
どうなっているんだ、この国は。疑問を切り出すまでもなく、白鳳がにこやかに言いかけてきた。
「ふふ、ここでは同性同士の結婚も認められているんですよ」
「ええっ!?」
まさにカルチャーショックだった。つい1年前まではそういう世界があることすら知らなかったのに、まさかルーキウスから大して遠くない国に、そんな突拍子もない法律が存在していたなんて。世界は広いというが、まさに価値観も様々だ。セレストにも人並みの好奇心はある。別の大陸に行けば、さらに自分を驚かせる事物が点在しているに違いない。
(ぜひ見てみたいものだ)
不覚にもほんの一瞬だけ冒険者になりたいというカナンの気持ちとシンクロしてしまった。
(っ・・・・・ダメだダメだ。なんとしても俺がお止めしなくては)
ぼんやり浮かんだ願望を即座に打ち消すと、ぐいっとカクテルを流し込んだ。帰りのことがあるから、そろそろやめておいた方が良さそうだ。ふと見れば、白鳳はすでに十杯近くグラスを空けていた。珍しいカクテルを片っ端から味見しているらしい。酔わないと聞いていても、積んであるグラスの量を見ると心配になる。
「白鳳さん、ちょっと飲み過ぎじゃないですか」
「ホテルは近いし、平気平気」
あれ、と思った。微かに頬が紅く染まっている。ルーキウスの酒場で飲んだときは、顔色ひとつ変えなかったのに。でも、血の色が登った顔は潤いに充ち溢れ、いっそう美貌が際立つ。色香漂う表情にしばし見惚れていると、不意に掠れた呟きが流れ込んできた。
「あ〜あ、セレストがこの国の人だったらなあ」
何の障害もなく、堂々と交際出来るのに。だけど、この国の人でもないのに、自分と付き合ってくれるのだから、もっと嬉しいし、ありがたかった。それに、ここは遊ぶには都合が良いが、しょせん腰を落ち着けて暮らす国ではない。今に何もかも解決するときが来たら、ルーキウス王国のようなのどかで作物の美味しい国に住んで、のんびり過ごしたい。それは本当に儚い夢でしかないけれど。
「そろそろ時間みたいですね」
互いの手にするカクテルが空になった頃、白鳳に懐から出した懐中時計を見せられた。最終便の時間が近づいている。名残惜しかったが、中の洗練された人々や景色、そして恋人の新たな魅力を引き出した礼服姿を、しっかり瞳に焼き付けて店を出た。さすがに人もまばらになった通りを行き、貸衣装屋にスーツを返してから、まっすぐ駅に向かおうとしたが、心なしか白鳳の足取りがおぼつかないようだ。段差に躓いてよろけた身体をセレストが慌てて受け止めた。
「危ない」
「ありがとうございます、セレスト」
頬を紅潮させた嬉しげな顔がネオンの光で様々な色に輝く。
「大丈夫ですか」
「少し酔ったみたい」
「え」
気を張っているあまり酔わないと言っていた。とすれば、今日は心おきなく打ち解けて楽しい時を過ごせたのかもしれない。やっぱり一緒に来て良かった。
「ふふ、凄くいい気分。こんなの何年ぶりかな」
「ホテルまで送りますよ」
白鳳を送り届ければ、終便にもちょうど良い頃合いだ。だが、その時、腕の中の深紅の双眸が妖しく光ったのに、セレストはこれっぽちも気付かなかった。
他国の王族が泊まる貴賓室もある由緒正しいホテル。足を踏み入れることさえ気が引ける煌びやかなロビーを通り抜け、一直線に部屋まで向かった。どうにも貧乏性に出来ているらしく、過度に華やかな空間に入ると落ち着かない。はっきり言って、先程のバーやこのホテルの方がルーキウスの王宮より遙かに豪華だった。
「着きましたよ、白鳳さん」
抱きかかえた恋人をベッドの傍らまで連れて行くと声をかけた。自分より体重が軽いとはいえ、大の男を運んできたのだから、決して楽ではない。
(この掛け布団、羽毛布団だ・・・・・)
とことんゴージャスな仕様に感心しつつ、白鳳を横たわらせようと中腰になった。が、その腕が縺れたままだったので、上手くバランスが取れず、セレストまで一緒にベッドに倒れ込んでしまった。
「うわっ」
覆い被さった細い肢体をどかそうとすると、しなやかな腕が自分の背に巻き付いてきたではないか。
「ち、ちょっとっ」
払いのけようとしても、ますますきつく締め付けてくる。これは完全に故意の仕業だ。案の定、低い含み笑いが部屋中に響き渡った。
「相変わらず無防備な人ですねえ、ふふふ」
「ふ、ふざけないでください。もう行かないと最終便に間に合いません」
「ここまで来たら、朝一のうし車だって変わらないでしょう」
あっけらかんと事も無げに言われた。自分の都合しか考えてないのは明らかだ。
「カナン様が起床されるまでに城へ戻らないとっ」
「今から行ったって終便になど間に合いませんよ。この時計、20分ほど遅らせてありますから」
「なっ」
とんでもなかった。わざと自分から時計を見せたのは、こちらを油断させるためだったのだ。
「せっかく会えたのに、何もせずに返すほど、達観してないんですよ、私v」
呆然とするセレストの口唇を白鳳のそれが塞ぐ。様々な果実の香りが程良く溶け合い、鼻先を心地よくくすぐった。あんなにザルだと聞いていたのに、実際、現場を目撃してもいたのに、なぜあっけなく酔った振りに引っ掛かってしまったのか。結局、白鳳は一から十まで、自分の思い通りにしたのだ。大人のワガママは質が悪いと言っていたが本当だ。子供なら大人の知恵と力で、あるいは善し悪しはともかく、理不尽な力関係で抑えつけることも可能だ。しかし、大人相手ではそうはいかない。彼のようになまじ人並以上の知恵や力を有していると、奸計やゴリ押しで無理に通すから、実に始末が悪い。
(だけどなあ)
白鳳のことはきっとすぐに許してしまうのだろう。それが惚れた弱みというものだ。汚い手まで使って自分の足止めをするなんて、とことんワガママで勝手なヤツだ、で済ませられず、ほんのちょっぴりでも健気でいじらしいなどと、好意的に解釈してしまう時点でもう終わってる。
(末期だな)
差し入れられた舌腹の柔らかさにゾクリと身震いしながら、諦めの境地でそんな単語が頭を掠めたが、やがてそれすらも昂まりの渦に掻き消されていった。
FIN
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