*幸せのかたち〜神白編*



昇りかけた陽の光が、カーテン越しに白皙の面へ降り注ぐ。瞼の裏に広がる眩しさを耐え切れず、白鳳は寝返りを打ち、窓へ背を向けた。朝の訪れを体感し、全身の細胞が少しずつ眠りから覚めて行く。
「う〜ん」
薄目のまま、白鳳は緩やかに伸びをした。職人こだわりのベッドは、しっかりした造りで、寝心地も外観も宿屋のそれとは比べものにならない。弛緩していた四肢へ、少しずつエナジーが流れ出す。しかし、白鳳には起きる意思など、これっぽちもなかった。弟を元の姿に戻し、自らを駆り立てる一切の使命感は消え失せた。フローズンの賢い資金運用のおかげで、当座の生活費に困ることもない。白鳳にとって、まさに毎日が日曜日。世間一般の生活サイクルに縛られず、勝手気ままに暮らせるのだ。根っから道楽者だけに、歯止めがなくなれば、堕ちるのも早い。白鳳はわずか半月で、すっかり宵っ張りの朝寝坊と化していた。
(睡眠不足はお肌の大敵。まだまだ寝足りないもんね〜)
朝食と弁当は前日に調えた。昼近くまで眠り続けても、大勢に影響はあるまい。完全なる自由を満喫しつつ、二度寝と行こうではないか。遠くで響く鳥の旋律が、子守歌のごとく眠りを誘い、再び意識が混濁して来た。・・・・が、悲しいかな、白鳳のぐうたら三昧は、唐突に終わりを告げた。ドアが勢い良く開かれ、誰かが足早に歩み寄る。
「白鳳さま、シーツを洗濯したいので、とっとと起きて下さい」
「ぎゃっ」
容赦なくシーツを剥ぎ取られ、白鳳はベッドから無様に転げ落ちた。
「痛〜い」
恨みがましく呟き、強打した腰をさする白鳳の虹彩に、紺袴の従者の清しい立ち姿が映った。



白鳳一行の遙かな旅路は、スイの呪いを解くことで、ピリオドが打たれた。捕獲した男の子モンスターを全て解放した後、白鳳は私邸を処分して、故郷に手頃な二階屋を建てた。スイと肩寄せ合って暮らすのなら、大きな容れものは必要ない。それに、どんぶり勘定の白鳳が、邸宅をきちんと管理出来るとは思えず、勘違い××野郎としては珍しく、己を弁えた賢明な判断だった。とは言うものの、兄弟はふたりぼっちにならなかった。仲間たちの強い勧めもあって、神風が今まで通り、白鳳たちに仕える道を選んだからだ。
「いつまで寝ていれば、気が済むんです」
「え〜っ、9時前じゃない」
至高の従者を失わなかったのは嬉しい。けれども、神風の真摯な働きは、その生真面目さゆえ、諸刃の剣になっていた。平穏な日常を得て、せっかく、心行くまで惰眠を貪ろうと目論んでいたのに、神風は規則正しい生活しか認めない。当然、日々の生活態度を巡り、主従の間で、激しい攻防が繰り広げられるのだ。もっとも、神風が残らなければ、白鳳は限りなく身を持ち崩し、スイを泣かせ、困らせたに相違ない。
「近隣の人々は皆、6時台に起きて、地道に働いています」
「私は充電期間中なの。のんびりしたっていいでしょ」
「そう言って、すでに3ヶ月過ぎましたが」
怠け者の屁理屈に丸め込まれる神風ではない。抑揚のない口調で、ぴしゃりと切り返されたが、白鳳はなおも疲労困憊説を主張した。
「辛く苦しい旅を長年、続けたダメージは、心身を深〜く蝕んでいるんだよ。1年や2年で、簡単に治るわけないさ」
「未だに食っちゃ寝してるのは、白鳳さまだけです。スイ様も他のメンバーもおのおのの場所で、新たな暮らしを始めました」
苦楽を共にしたパーティーは、役目を果たし解散。既に悪魔界へ帰ったDEATH夫に続き、まじしゃん、フローズン、オーディンも白鳳の元を去った。3人はまじしゃんの育った村へ移住し、住民と力を合わせ、振興のため尽くすという。白鳳は私心ない忠誠に感謝すると共に、彼らの未来に幸あれと心から願った。祈りの甲斐あって、温泉を掘り当てた村は発展著しく、オーディンとフローズンも仲睦まじく過ごしているらしい。
「確かに皆、気持ちを切り替えて、前向きに頑張ってるよねえ。私は胸にぽっかり穴が空いた感じで、ちっともモチベーションが上がらないのに」
帰郷して以来の怠け癖は、生まれつきの気質のせいばかりではない。最大の目的が消え、人生行路を見失ったことも大きい。なにしろ、ここ3ヶ月、歓楽街へ男漁りに行く気配すらないのだ。主人の燃え尽き症候群を案じ、神風は誠意溢れる表情で言いかけた。
「生涯を賭けた念願を叶え、気が抜けてしまったのかもしれません。具体的な目標を立てたらいかがでしょう」
「具体的な目標かあ」
「最初は簡単なことでかまわないですよ」
神風の優しいアドバイスに、白鳳はしばし考え込んでいたが、ふと会心のネタが閃き、真紅の瞳をきらりんと輝かせた。
「・・・・・よし、決めた」
「意欲の湧く目標が見つかりましたか」
「うん、神風を正式な愛人にしてみせるv」
「はあ?」
萎れた白鳳を見かね、つい仏心を出したのが運の尽き。やはり、腐ったミカンは腐ったままだった。いきなり照準を定められ、神風はあからさまに視線を逸らした。
「ちょっとぉ、なぜ、そっぽを向くのさ」
「私はあくまで白鳳さまの僕です」
「忘れたの?伴侶が現れなかったら、私の愛人になるって誓ったじゃない。一旦、口にした言葉には責任を持たなきゃ」
半ば奪い取った言質を錦の御旗として、脅しをかけて来た白鳳へ、神風は少しも怯まず、にこやかに切り返した。
「時間に余裕が出来た今、伴侶を探す機会はいくらでもあります。積極的に外へ出て、住民と交流を持てば、きっと、白鳳さまの良さを理解してくれる殿方と出会えますとも」
「ううん、分かったんだ。私には神風以上の相手などいやしない」
「手近な相手で妥協したら、愛の狩人の名が泣きます。志は高く持つべきです」
結構、本気で言い寄ったにもかかわらず、思いっ切りスルーされ、白鳳は歯がゆさに地団駄踏んだ。悔しげに睨む主人を一瞥もせず、てきぱきとシーツを畳んでいる神風。
「くうぅ・・・理想のオトコを目の前にしながら。。」
実のところ、神風が故郷までお供すると決まった時、白鳳は内心、ガッツポーズをした。白鳳の脳内では、神風との同居=愛人生活の始まりに他ならず、待望の蜜月へ夢を馳せていた。ところが、世の中そうそう甘くない。神風は新居に移ってからも、影の立場を貫き、ただの従者であり続けた。当然、部屋は別だし、同衾なんて未来永劫受け容れそうにない。せっかく、ひとつ屋根の下にいながら、お預けを食わされるとは、まさに蛇の生殺し、生き地獄だ。根っから堪え性がない暴れうしは我慢の限界を超え、止せばいいのに、玉砕覚悟で突進する気になった。
「もうヤケだ。力任せに、愛人ロードを切り開いてやるっ」
「白鳳さま、やめて下さい」
「嫌だね。寝室で1対1。こんな美味しいシチュエーションを逃してたまるか」
千載一遇のチャンスに、白鳳は鼻息も荒くにじり寄ったが、神風は落ち着き払った様子で、淡々と告げた。
「あいにく、1対1ではありません」
「ごまかしてもダメダメ、逃がさないからね」
「ごまかしじゃないです。出窓にハチがいます」
「え」
神風が指し示した先を見ると、いつ入ってきたのか、小太りの虫が大きな瓶を下ろし、首にかけた手ぬぐいで汗を拭いていた。
「はくほー、蜂蜜、ここへ置いたかんな」
「・・・・・・・・・・」



白鳳兄弟に最後まで付き従ったのは、神風だけではなかった。白鳳はとうとうかあちゃん攻撃を避け切れず、やむなくハチも新居の一員に認定した。ずっと仲良しだったスイは大歓迎したが、××的には愛人対象外の珍生物を飼い続ける理由はない。丸っこい体躯が視界へ入るやいなや、たおやかな手がゴミでも払いのけるごとく、邪険に振られた。
「しっしっ」
「しっしって、なんだよう」
「お前は外で遊んで来な」
「ひょっとして、オレ、邪魔者かっ」
「ピンポ〜ン♪」
「げげーん!!」
無慈悲な物言いにショックを受け、ハチの顔にくっきり縦線が入った。どんぐり眼に涙を滲ませたハチを慰めつつ、神風は白鳳へ険しい視線を向けた。
「何回、ハチを傷付けたら気が済むんです」
「平気、平気、このコ打たれ強いもん」
「そういう問題じゃありません。白鳳さまを慕うハチの純な気持ちに、もっと応えてやらなければ。そもそも、白鳳さまが暢気に怠けていられるのも、ほとんどハチのおかげです」
神風の指摘は正しい。貯金を崩すことなく暮らして行けるのは、ハチ謹製の蜂蜜が高く売れるからだ。しかも、ハチの特殊能力は、むしろ平凡な日常でこそ真価を発揮するものばかり。食材選び、味見、仲間との連絡等、野性の嗅覚をフルに生かし、ハチは立派に白鳳兄弟の役に立っていた。白鳳も本心では深く感謝しているのだが、お笑い系の容姿を見ると、ついからかい、軽んじてしまうのだ。
「別にハチが我が家に不要とは思ってないよ。でも、登場のタイミング最悪でしょ。組んずほぐれつの濃厚なラブシーンは、子供には刺激が強すぎるって」
「ラブシーン・・・白鳳さま、寝言は寝た後、言って下さい」
「が〜〜〜〜ん!!」
性懲りもない主人を突き放した神風は、問題外といった風に、こみ上げる笑いを噛み殺している。呆れられるより、叱られた方がまだマシだ。肝心の神風がまるっきり脈なしなのを悟り、白鳳はカーペットの上にへたり込んだ。訳はともかく、がっかりする白鳳を放っておけず、ハチがチャイナ服の胸元へ飛んできた。
「なあなあ、元気出せ」
唐突にひょうきんな福笑いがアップになり、白鳳は思わず吹き出した。
「ぷっ」
「やたっ、はくほーが笑った」
「おへちゃだけど、お前は和むねえ」
「でへへー」
白鳳の傍らで、ハチもにぱっと破顔した。愛嬌たっぷりの福々しい顔は、周囲をほのぼのさせる不思議な力がある。多少、険悪な雰囲気になりかけても、事態を円満に収めてくれる。パーティー時代と同じく、ハチは得難いムードメーカーだった。
「蜂蜜はどうされますか」
「自宅で使う分は確保してあるし、買い物のついでに市場で売って来るよ」
「オレもっ、オレも一緒に行くかんな」
「はいはい」
「ならば、外出はハチの昼寝が終わってからですね」
神風に改めて確認され、白鳳は軽い仕草で肯定の意を示した。”かあちゃん”との買い物が決定し、ハチは早くもわくわくしている。と、その時、一同の耳に、快活な呼び声が響いた。
「ハチ〜、ハチ〜」
「おや」
「スイ様です」
スイが人間に戻り、小動物コンビは解消となったが、ひとりと1匹の友情は小揺るぎもしなかった。相変わらず、様々なことを語り合う仲だし、父の後を継ぐべく、学者を志すスイに、ハチは協力を惜しまない。野山で動植物の観察をする際には、必ずハチが助手として同行する。野性の勘はスイの研究にも十分、寄与していた。
「そーだ、オレ、弁当取りに来たんだ」
「台所に置いてあるよ」
「おうっ、あんがとな、はくほー」
スイとハチが森へ出掛けると聞き、白鳳は昼食に支障がない程度の、ミニ弁当をこしらえておいた。数時間ずっと歩き通しなので、育ち盛りと大食いの身には結構、堪えるのだ。満足げに触角を揺らすハチへ、白鳳はにこやかに言いかけた。
「昼前には帰っておいで」
「スイ様共々、気をつけて」
「合点だ・・・うお〜い、スイ、弁当は台所だってよう」
白鳳と神風の注意にこっくりうなずき、ハチは元気良く窓から出て行った。恐らく、階下で待つスイと合流して、玄関から台所を目指すのだろう。



出窓の前へ移動した白鳳は、布の鞄を下げたスイが、ハチに駆け寄る姿を見た。長い空白はあったものの、元々、地頭が良く勤勉なスイは、先月から隣町の学校へ通い始めた。久しぶりの人間ライフに、時折ボケをかましつつも、明るく温厚な性格でクラスメートに好感を持たれているようだ。新しい友人がこの家を訪れる日もそう遠くなかろう。
「学校にはすっかり慣れたし、勉強の方もハチを通じて、フローズンが指導してくれるから、遅れは程なく取り戻せるね」
「スイ様は机上の学問のみならず、好奇心を持って、様々な作業に取り組んでおられます。将来はきっと優秀な学者になりますよ」
「うふふ、スイは私に似て、真面目な努力家だからねえ」
他者に対する評は、かなり的確な白鳳なのに、己への美化フィルターは凄まじい。真逆の人物像を真顔で言われ、当たり障りのないコメントを返すのは、かえって本人のためにならない。神風はうんざりした面持ちで、渋々口を開いた。
「どこから、そんな的外れなセリフが出るんです。白鳳さまは完全に反面教師でしょう」
「酷いっ、まるで私がダメ人間みたいじゃない」
「白鳳さまは美点も少なくありませんが、基本的にはダメ人間です」
人目を引く華やかな美貌に加え、頭も決して悪くない。悪に徹し切れない気質には、育ちの良さが滲み出ているし、得意の料理はプロも顔負けだ。素材だけ取れば、白鳳は間違いなく勝ち組の部類に入る。しかし、あらゆる長所を帳消しにする”腐れ××者”という負の要素が致命傷だった。
「えええっ、麗しく気高い私の何がダメなのさ!?」
「自覚がないところが、もっとも始末が悪いです」
遊び好きでいい加減。妙に要領が良いくせに、肝心な部分が抜けている。脳内ドリームで突っ走り、反省も後悔もしない。目当てのオトコとの空気が読めないやり取り。××に起因する瑕疵をあげればキリがない。
「ふんだ、いいもんね。もし、私がダメ人間だとしても、万が一の場合は、神風が助けてくれるんでしょ」
忌憚のない意見に、日頃の行いを振り返るならまだしも、図々しく開き直る白鳳だったが、従者は声を荒げたりしなかった。切れ長の瞳を伏せた神風は諭すごとく、静かに言葉を紡いだ。
「人を当てにしてはいけません。私とて、いつまで白鳳さまに仕えていられるか。私がいなくなっても、スイ様に心配かけず、真っ当に生きてもらいたいのです」
「神風」
無論、神風はずっと白鳳の側を離れるつもりはない。だが、男の子モンスターたる彼の寿命が、ささやかな望みの壁となっていた。一般モンスターを凌ごうと、人間レベルの長寿は望めないし、DEATH夫やハチとは異なり、前世を引き継ぐことは不可能だ。彼らが羨ましくないと言えば、嘘になるが、神風はすでに自らの定めを受け容れていた。
「暗い顔をなさらないで下さい。終焉を迎える瞬間まで、精一杯努めさせていただきます」
表情を曇らせる主人へ、神風は敢えて力強く宣言したけれど、白鳳の心は晴れなかった。神風の悲壮な決意が、胸を深々と射抜く。諸行無常。当たり前の日常は、とこしえには続かない。厳然たる世の習いを、白鳳は改めて思い知らされた。男の子モンスターを追い求めた頃は、誰より痛感していたのに、念願を叶えた喜びで、時の流れの過酷さを忘れかけていた。
「大丈夫だよ」
「?」
白鳳の煌めく微笑に、神風は我知らず目を見張った。
「昔から佳人薄命と言うし、私は長く生きられないって。いやいや、美しさが過ぎて、神風を残して逝ってしまうかもっ」
深刻な空気を一変させる、芝居がかった物言いに、神風はふっと口元を緩めた。本音とも冗談ともつかぬ内容でも、白鳳なりの温かい気遣いは伝わって来る。ただし、白鳳が先に世を去った場合、神風には殉死以外の選択肢はなかった。
「心配要りません。白鳳さまは間違いなく長生きするタイプです」
「それ、どういう意味さ。ったく、失礼なコ」
褒め言葉とは言い難い表現でフォローされ、白鳳は一瞬、眉をたわめた。が、すぐ笑みを取り戻し、神風が抱えたシーツに手を差しのべた。
「洗濯は私がする」
「え」
「そろそろ眠りから覚めて、新しい生活に本腰を入れないと。移り行く時間は待ってくれないし」
「私の言わんとすることを、理解してくれたんですね」
燃え殻みたいだった白鳳が、強い意欲を見せたので、神風は歓喜のあまり、身を乗り出した。たとえ、不祥事に悩まされようと、主人には生き生きと闊歩して欲しかった。
「神風のおかげで、己の過ちに気付けたよ。本当にありがとう」
「白鳳さま・・・・・」
手放しで謝意を述べられ、感極まった神風は、彼らしからぬ判断ミスで、白鳳の発言を素直に信じた。けれども、白鳳の良い子ぶりっこには、もれなく黒い下心がついて来る。今回さえ例外ではなかった。
(よしよし、神風の気持ちは相当傾いたはず。これをきっかけに、愛人ロードへ驀進するぞ〜v)
奮起した白鳳が目指すのは、やはり××道の探究だった。互いの命に終わりがある以上、悠長に構えていられない。速やかに、神風をモノにすべく、全力でアタックしなければ。妥協どころか、奔放なオトコ遍歴の果て、ようやく身近にいた青い鳥を見つけたのだ。同居中という極め付きの好条件だし、絶対、逃がしてたまるものか。
(ふっふっふ、プロのハンターの底力、思い知るがいい)
堅物の神風相手では、しばらく激しい攻防が続くだろうが、一進一退もまた楽し。第二のハンター人生は、充実した暮らしになりそうだ。神風の迷惑も顧みず、白鳳はムダなやる気を熱く燃え滾らせていた。


FIN


 

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