*大きな親切、大きなお世話*



弟の異変に初めて気が付いたのは、宿へ戻る途中の雑貨屋のあたりだった。途中から妙に静かだとは思っていたが、暗がりのせいか、見た目はいつもと変わらなかったし、目当てのモンスターの捜索に夢中になるあまり、状態の確認を怠ってしまった。なんて愚かだったんだろう。モンスターを捕獲するのもスイを元の姿に戻すためではないか。その体調に気を配ることを最優先にすべきだったのに。
「スイっ、スイっ!!」
いくら呼びかけても揺さぶっても返事はない。きつく閉ざされた瞳。ぶるぶると震える身体。尻尾の花も色褪せて、今にも萎れてしまいそうだ。きっと兄に余計な心配をかけまいと、限界まで我慢してきたに違いない。食事もせずに宿屋へ駆け込み、ラタンの篭にこしらえた寝床で休ませたが、1日経っても一向に快復する気配はない。むろん、即座に医者を頼んだものの、はっきりした原因が分からないだけに手の施しようもなく、ただ効かない薬をくれただけだった。
(このままでは・・・・・)
最悪の事態が脳裏を掠める。弟を呪いの餌食にしただけでは飽きたらず、その命まで奪ってしまうことになったら、自分はもはや生きる資格などない。が、捨てる神あれば拾う神ありで、白鳳の落胆ぶりを見かねた宿屋の主人が、近所で隠居している村の長老を紹介してくれた。元は村の長だった老人はあらゆる物事に詳しく、役目を退いた今でも皆の相談事に乗っているらしい。白鳳はさっそく彼の元を訪れ、スイの様子を見てもらった。質素な家の中に所狭しと置かれた分厚い書物や様々な調剤器具。真白な髭で覆われた皺だらけの顔には、そこはかとない品と知性が漂っている。
「ふぅむ・・・・・これはかなり危険な状態じゃのう」
スイがこんな容態になったのは、村唯一のダンジョンに繋がる森に生息する紫の実を食べたからだと説明された。その実は人体には悪影響を及ぼさないのだが、モンスターにとっては猛毒にあたる成分を含んでおり、かつて、村に残虐なモンスターが攻め込んで来たとき、この実を上手く使って撃退したという。今思えば、小腹を膨らませようとダンジョンの前でスイと一緒に藤色の実を口にした。まさかそれが対モンスター限定の毒物だったなんて。
「なんとか治す方法はないのですか」
「・・・・・ひとつだけないこともないが」
「あるんですねっ!!」
長老の呟きを耳にした途端、白鳳の端麗な顔にぱっと赤みが差した。今回は男の子モンスターは誰ひとり同行させてないけれど、弟が元気になるのなら、どんな危険なダンジョンの奥だろうと喜んで潜ってやろう。
「村はずれの山の奥に、解毒剤となる薬草が生えているはずじゃ」
「本当ですか」
そのくらいの手間でスイを治せるのならありがたい。すぐに薬草の特徴を尋ねようとしたが、先に重々しい口調でこう付け加えられた。
「ただ、それは突然変異の一種でめったに生えない上、初夏が過ぎるとすぐ枯れてしまうんじゃ。この時期、もう残っているかどうか」
「・・・・・・・・・・」
正直、すでに初夏と呼ぶには汗ばむ陽気に突入していた。が、全くの季節外れじゃないだけまだ救いがあるではないか。己の気持ちを励ましながら、仄かに笑みすら浮かべると、白鳳は穏やかに長老に問いかけた。
「とにかく薬草を探してみます。その特徴を教えていただけますか」



薬草の詳しい特徴を聞いた白鳳は、その足で探索を開始したが、世の中そうそう思い通りになるものではない。当日、翌日と両足の感覚がなくなるまで山道を歩き抜いたにもかかわらず、それらしき草は一向に発見できなかった。そもそも、広い山中をたったひとりで探し回るなんて、砂漠の中で砂金を探すごとき行為で、どだい無理があるのだが、そんなことは覚悟の上で一人旅を続けているのだし、弟のことで必要以上に他人に頼るのは本意ではない。けれども。
(このまま薬草が見つからなかったら、スイはどうなるんだろう)
突き詰めて考えると恐ろしく、出来る限り触れないでいたかった。しかし、収穫なしの状況が続くと、嫌でも思考が向かざるをえない。
(どんな手を使っても、薬草は手中に収めてやる)
心の中ではムリやり強気な結論を導き出しても、実際成果が上がらないのだから、気持ちは挫ける一方だ。心身両面に渡る疲労と焦燥でふらついていた白鳳は、いかに夜目とはいえ、すぐ脇を横切った見慣れたバンダナと真ん丸顔にもまるっきり気付かなかった。
「あ、あいつ」
「親分に知らせた方がいいかな」
村に入った途端、憎っくきチャイナ服の銀髪を目に止めた子分たち。募る恨みはもちろんのこと、前回もお宝を横取りされ、親分たるアックスは頭から湯気を出して激怒している。最近の旅はもはや極悪腐れ××野郎を探し出し、天誅を加えるためのものと化しつつあった。
「ぎゃっ、こっち見たぞっ」
「怖いよー」
白鳳には鞭で打ち据えられたばかりでなく、先日の仕事でもその実力を思い知らされている。正面から闘って勝てる相手ではない。冷や汗タラタラで逃げ腰になる一同だったが、どうやら彼の瞳に自分たちは映っていないようだ。訝しく感じながらも、これ幸いとその場を駆け去ると、アジトで待つアックスの元へ知らせに戻った。
「何ぃ〜、あの××野郎を見かけただとおっ!?」
アックスは地べたにあぐらをかいて、愛用の鉈の手入れをしていたが、よほど腹に据えかねているのだろう。知らせを聞くやいなや、背中に怒りの雷鳴を轟かせ、一気に立ち上がった。
「へい、村はずれの水車小屋のあたりをうろうろと」
「よし、すぐそこに案内しろ。見てやがれ、腐れ××野郎!今日こそ貴様の命日にしてやらあ!!」
仇敵をこてんぱんにやっつける光景でも思い浮かべたのか、アックスは鉈をぎゅっと握り締めて、にやりと笑う。が、ふと青バンダナの子分が一言呟いた。
「でも、あいつ、なんか様子がおかしかったっす」
むろん、子分の言い種になど耳を貸さない。今の彼は恨み重なる××野郎を叩きのめすことで頭が一杯だった。
「××がおかしいのは元々じゃねえか。つべこべ言わずにとっとと案内しやがれっ!!」
「へ〜い」



お世辞にも広いとは言い難い村だし、目立つ服装の目立つ男だ。アックスが白鳳を発見するのにさほどの時間はかからなかった。しばらく後をつけ、彼が宿屋に入ったのを確認すると、子分を外で待機させ、正面からズカズカとそこへ乗り込んだ。
「な、何ですか、貴方は」
「るせえっ、ここの客に用があるんだ!!」
従業員の制止を力ずくで振り切り、2階まで駆け上がると、部屋に入ろうとする紅いチャイナ服の肩先を鷲掴みにした。
「やい、腐れ××野郎!!ここで会ったが百年目、今度こそてめえをぶっ殺してやるから覚悟しやがれっ!!」
が、振り向いた相手の真っ青な顔を見て、次の悪態が続けられなくなった。生気が全く感じられない表情。深紅の瞳にもいつもの鋭い輝きは見られない。
「・・・・・今は貴方にかまってる暇はありません」
得意の憎まれ口ひとつなく、肩に置かれた手を軽く払いのけると、部屋に引っ込んでしまった。一瞬、これ以上詰め寄る気をなくしかけたが、思えばこうした詰めの甘さがいつも白鳳にしてやられる原因なのだ。もう同じ失敗を繰り返してたまるものか。アックスは気を取り直すと、古ぼけたドアを乱暴に叩き始めた。
「逃げるのか、この卑怯者っ!!」
建物全体を揺るがす勢いで、ドンドンと扉を殴るアックスのところに、宿屋の主人がやって来て、無言のままその太い腕を掴むと、何度か首を振った。
「な、何でぇ」
「ちょっとこっちへ来てもらいましょうか」
「ああ?」
てっきり苦情でも言われるのかと思い、眉を顰めたものの、客でもないのに闖入してきたのだから、迷惑がられても当たり前だ。まずは彼と話し合うのが筋だと判断して、アックスは渋々帳場の方へ移動した。
「お二人の間の事情は分かりませんが、あの人は今、大変な窮地に立たされているんです。そっとしておいてはくれませんか」
いきなり主人にこう切り出され、元々人の良いアックスは反論の術を失ってしまった。確かにさっきの白鳳の様子は尋常ではなかった。よほどのアクシデントが生じているに相違ない。
「・・・・・なあ、悪いようにはしねえから、あんたが知っていることを話してくれねえか」
「え?」
気が付くと、うっかりこんな風に口を滑らせていた。俺は腐れ××野郎をぶっ殺しにきたはずなのに、いったい何やってんだ。だけど、自分が叩きのめしたいのは普段の極悪非道なヤツであって、憔悴しきってうなだれているヤツではない。悩みを取り除く手助けをするのは、あくまで俺自身が心おきなく天誅を加えられるようにするためで、断じてあの野郎のためなんかじゃない。ましてや、あいつの笑顔を見たいからなんてことは絶対に。



次の日もやや風は強いものの、雲一つない晴天だった。消し切れない不安を抱えながらも、白鳳はめげずに山へ出掛け、生い茂る雑草の中、土まみれになって薬草を探し続けた。ところが、どの場所に行っても縞々バンダナが視界に飛び込んで来るのに閉口した。目障りなので中腹の方に移動しようとしたが、唐突にもっとも会いたくなかったドレッドヘアが立ちはだかった。
「こっちには薬草はねえぜ」
いきなり核心に触れることを告げられてぎょっとした。なぜこの男が自分の探し物を知っているのだろう。
「どうして貴方が」
「昨夜、宿屋の主人から事情は聞いた」
「・・・・・あのおしゃべりが、余計なことを」
忌々しそうに眉をつり上げる白鳳に、アックスが驚くほど優しい口調で言いかけた。
「このだだっ広い山ん中をひとりで探すなんて無茶だ」
「貴方には関係ありません」
「つまんねえ意地を張るもんじゃねえ。あのちびっこいのを助けたいんだろ」
「・・・・・・・・・・」
ここで彼らが手伝ってくれれば、頭数からいっても非常にありがたい。しかし、白鳳にはその好意を素直に受けることが出来なかった。自分はこの男に対し、谷底へ突き落とすような仕打ちしかしていない。きっと裏があるに決まってる。生き馬の目を抜くこの世間に、こんなお人好しがいてたまるものか。
「おめえはあっちを探せ。俺は東の方を見る」
いつになくテキパキと指図するアックスの背中目掛け、突き刺すごとく投げつけられた問いかけ。
「何を企んでいるんですか」
「え」
「何が目当てかと聞いているんです」
「どういう意味だ」
振り返ったアックスの眼前を、激しい風に千切られた花びらが流れていった。
「貴方にあれだけのことをした私に、協力してくれるなんて下心があるとしか思えませんね。お金ですか?情報ですか?それともまた可愛がってもらいたいとか?ふふ」
「いい加減にしやがれっ!!」
鼓膜が裂けるほどの大音声で怒鳴られて、白鳳はビクッと身震いした。
「な・・・・・・・」
「おめえにやられたことを恨む気持ちは変わってねえ。でもよ、困っている人間を見て見ぬふりで放っておくのは趣味じゃねえんだ」
「バカじゃないですか。相手が窮地に陥ったときこそ、奈落の底に叩き落とすチャンスなのに」
少なくとも自分は常にそう立ち回ってきたし、これまで裏世界で関わりを持った連中も己の保身しか考えない輩ばかりだった。
「そういうのは俺の流儀に反するんだ」
「そんな甘いことを言っているから、いつも私に勝てないんですよ」
「甘かろうと何だろうとこれが俺のやり方なんでな」
屈託なく豪快に笑われ、不覚にも一瞬胸が締め付けられた。自信に満ちた面構えから露骨に視線を逸らすと、殊更に冷淡な口調で言い捨てた。
「とにかく貴方の助けなど借りるつもりはありません」
「なら、俺も勝手に薬草を探させてもらうぜ」
一歩も退かずにこう切り返して、胸を張るアックスのところに、緑バンダナの子分が足をもつれさせながら駆けてきた。
「お、お、おやぶ〜ん、あったっす!!」
「えっ!?」
アックスより先に白鳳の方が瞬時に反応した。
「それは本当か!?」
「へい、こっちっす」
手招きをする子分の方へ身体を向けた男の手が力強く、しなやかな腕を握った。
「ほら、行くぞ」
「あ」
前触れもなく掴まれた腕を強引に引っ張られた。その無礼な手をなぜか振り解く気になれなかったのは、自分を見るアックスの顔があまりに嬉しそうだったから。他人事で心から喜ぶ彼の年に似合わぬ素直さが内心羨ましく、そして何とも憎らしかった。



その場所にはすでにほとんどの子分たちが集まっていた。山の中腹あたりにそびえる切り立った崖の下。目を凝らすと、絶壁の上部に紅葉を思わせる鮮やかな色の草が生えているのが見えた。それを確かめた途端、放たれた矢のごとく飛び出した紅いシルエット。
「無茶だ、よせっ!!」
アックスの叫び声を無視して、岩壁まで駆け寄った白鳳は、纏っていたショールを邪魔だとばかり足元にうち捨て、少しも臆することなく崖を登りだした。ランダムに突き出た岩を足場にすると、器用に上へ上へと移動していく。チャイナ服の裾が風を孕んでバタバタとなびいた。
「おやぶ〜ん、赤いの、登っていっちまいましたぜ」
「ったく、命綱も付けねえで、なんてバカな野郎だ」
裏を返せば、それだけスイとかいうあの小動物が大事なのだ。日頃は冷静で計算高い彼が完全に我を忘れ、己の危険も顧みず、崖を這い登ってまで薬草を手に入れようとしている。単なるペットに対する愛情ではない。この無私の愛情は、もはや家族か恋人に対する類のものだった。
「もうあんな上まで行っちまったっす」
「あれで大丈夫なんすか、親分」
恐る恐る尋ねる赤バンダナに、アックスは苛立ちを隠さず吐き捨てた。
「・・・大丈夫じゃねえよ」
細身で身が軽い白鳳は軽快に岩肌を登り続けた。だが、自らの身体を支え続けるには、強靱なパワーも必要だ。悲しいかな、彼にはそれが不足していた。草に近づくに連れ、目に見えて速度が落ち、徐々に動きも鈍くなってきた。
(まずいな)
最低、草が生えているあたりまでは行けると思う。しかし、ここで無理をしたら、帰りの体力が残らない懸念がある。階段でも上昇より下降の方が意外に足腰に負担がかかるのだ。しばらく休めば、体力が回復するかもしれないが、一刻も早く薬草を手にしたかった。
(よし、一か八か)
白鳳は利き腕で鞭を握ると、残りの手でしっかり岩を握り締め、足場を確認しながら、触手を斜め上に放った。根の部分の土を抉って、草を落とそうと思ったのだ。狙い違わず、鞭は草の生え際の部分を捕らえた。が、葉の部分は衝撃に揺らいだものの、根っこはビクともしなかった。
「くっ」
風をしのぎつつ、さらに二度三度と叩き続けたが、こんな悪条件で生き残っただけあり、予想以上に根がガッチリ張り巡らされているようだ。しかも、葉や茎の作りも実に丈夫で、目に見えている部分を引きちぎることさえ出来ない。スイを救える薬を目の前にしながら、あと一息のところでモノに出来ないなんて。むろん、ここで諦めるわけにはいかない。気を取り直して、再び挑戦しようと構え直したその時。
(はっ)
うっかり下を見てしまった。いつの間にこの高さまで登ったのだろう。一気に押し寄せてきた距離感のため、軽い目眩に襲われ、岩を握っていた左手指がぶるぶる震えだした。やむを得ず、鞭を放棄して、もう片方の手も自らを支えるのに回した。投げ捨てられた鞭が、尖った岩に当たって2.3度跳ねた。すっかり安定感を失った細い肢体が強風で揺らぐたび、子分たちから悲鳴があがる。
「危ないぞー」
「きゃー、落ちる落ちるー」
「大変だー」
そのけたたましい声に、自分の窮地を否が応でも認識させられ、白鳳はますます焦った。けれども、今はこの体勢をどうにか保つのが精一杯で、登ることはもちろん、下りることすら出来なかった。
(・・・・・スイ・・・・・)
どんなことをしても薬草を採って、弟を助けなければいけないのに。だけど、確固たる決意とは裏腹に、肉体的にはすでに限界を迎えていた。今日一番の突風に煽られ、岩を握り締めていた両手が、己の意思に反し、スローモーションのように離れていった。



白鳳の身体が地面に引き寄せられる様が目に入るやいなや、アックスは即座に落ちる地点を目測して低く構えた。
「このバカ野郎っ!!」
両の腕を太股で支える体勢を取って滑り込むと、身体全体で落下物を抱き止める。
「・・・・・ぐあっ」
いかに細身とはいえ、数十メートル上から墜落した人ひとりを受け止めたのだ。鍛え上げた肉体にもかなりの衝撃だったが、腕と足の激しい痺れもどうにかやり過ごした。腕の中の白鳳は衝撃で完全に失神していた。掴まっているうちに岩の切っ先で裂けたのか、血に染まった左手が痛々しい。
「おやぶ〜ん」
「平気っすか」
「痛くなかったっすか、親分」
事態が収束したのを見て、わらわらと駆け寄ってくる子分たち。
「おう、なんとかな」
「赤いのは」
「気を失っているだけだ」
「そんなら良かったな」
子分たちとのやり取りの間に、白鳳を腕から降ろすと、ショールを枕代わりにして、その場に横たわらせた。さらに自分のタンクトップの裾を切り、血だらけの手に巻き付けてやった。血の気がない顔を心配そうに見つめていたアックスだったが、覚悟を決めたように立ち上がった。
「野郎ども、行くぞ」
「へ、どこへ?」
「山の頂上に移動するんだ」
職業柄、塀や崖などの危険な場所をよじ登ることも多い。おそらく自分なら、この岩壁も難なく登れるだろう。しかし、命綱を使用して上から下りた方が、確実に薬草を入手出来る。アックスはこう考えたのだ。
「頂上に登るっすか」
「そうだ、早くしろ」
「親分、赤いのはどうするっす」
「放っておけ」
下手に同行させたところで、気付いたら自分の援助は強行に拒むに違いない。ならば、置いていった方が話がこじれないで良い。それでも、しばらくは身動ぎもしない彼を気に掛けていたが、やがて子分たちを率いて、崖を後にした。白鳳がようやく意識を取り戻したのは、それから数十分後だった。
「はっ」
開いた紅の双眸に映る澄み切った青い空。弾かれたみたいに上体を起こすと、真横に自分が登っていたはずの険しい岩肌があった。その絶壁をぼんやり眺めているうち、徐々に記憶が蘇って来た。
(・・・・・私は・・・・・確か・・・・・)
力尽きて、崖から落ちたはずだったのに。左手にしっかり巻かれた深緑の布を見れば、誰が助けてくれたかはすぐ分かった。あの男、本当に筋金入りのお人好しだ。軽い苛立ちとほろ苦い思いを抱えながら、ゆっくり立ち上がると、上の方から掛け声のようなものが聞こえてきた。
(あっ)
顔を上げると、褐色の巨体が岩壁に取り付いていた。腰に何重にもロープが巻かれており、それは崖の上まで延々と伸びていた。きっと頂上で子分連中が支えているのだろう。体格にそぐわぬ素軽い動きで足場を辿り、薬草が生えている地点で、上に合図を送った。寸分違わぬ位置でロープはピタリと止まり、アックスは愛用の鉈を出すと、薬草を根から掘り起こし始めた。手際よい作業に、程なく草は手に取られ、彼はそれを懐に収めようとしたが、その時、下で自分を見上げている白鳳と目が合った。
(気が付いたのか)
遠目ながら、思ったよりも元気そうに見え、アックスは我知らず安堵の息を吐いた。直向きにこちらを見つめる深紅の瞳が求めるものを、無事手中に収めることが出来た。早く渡して喜ばせてやろう。別に見返りや礼など期待していない。頼まれもしないのに、自分が勝手に協力しただけなのだ。
「そんな顔は似合わねえぜ」
朗々と響く声が上から優しく降って来た。
「あ・・・・・・・」
「ほらよ」
白鳳が返しあぐねているうちに、アックスは薬草をポイと放り投げ、相手がそれをキャッチしたのを確認すると、大声で上に呼びかけた。
「よし、野郎ども、引き上げろ!!」
「あいあいさー!!」
親分の指示に呼応して叫ぶ子分たち。
「ち、ちょっと・・・・・」
声をかける間もなく、引き上げられていくアックスの身体。彼はもう二度と視線も声も落としたりせず、崖の上に登ったかと思うと、盗賊団もろとも痕跡すら残さず消え失せてしまった。
「・・・・・・・・・」
結局、残ったのは掌の中の薬草ひとつ。しかし、白鳳は敢えて彼らを追いかけようとは思わなかった。もちろん、スイのことが最優先というのもあったが、たとえ今から行ったところで、すでに立ち去っているに違いないから。



「きゅるり〜」
丸っこい身体を揺すりながら、スイが白鳳の差し出したパンを頬張っている。ここ数日泣き声も出ないほど苦しんだのが嘘みたいな活発な動きに、白鳳のみならず、宿屋の従業員たちも思わず目を細めた。
「すっかり元気になって良かったな」
「ええ、おかげさまで。本当にいろいろご迷惑をかけました」
「よくあの草が見つかったねえ」
「きっと、このコを思うお前さんの気持ちが通じたんだろう」
皆の祝福の言葉を耳にしながら、白鳳は緋の双眸を伏せたままそっと漏らした。
「・・・・・実は自力で手に入れたわけじゃないんです」
「「「え」」」
「手助けしてくれた人がいて」
その躊躇いがちの言葉に、むしろ誰もが納得したようにうなずいた。
「確かにあの山をひとりで探すのは骨だからなあ」
「世の中には親切な人もいるもんだ」
「・・・・・そうですね・・・・・」
親切なんて上等なものではない。ただのバカだ。自分を無理矢理陵辱したばかりか、獲物を横取りした相手のため、何の見返りもないのに時間と手間をかけ、危険な思いまでして。
(礼なんて言わないよ)
心の中で断言すると、ぎゅっと唇を噛んだ。なぜかとても不愉快だった。どうしてあの男はいつもこちらの予想をあざ笑うような行動を取るのだろう。誇りも尊厳もズタズタに踏みにじった相手に対しては、憎むなり罵るなりすれば済むことだ。不測の事態に見舞われた場合には、ざまあ見ろとばかりあざ笑えばいいのだ。その方がよほど自然だし、スッキリするのに。強引に罠を仕掛け、肉体を屈服させ、酷い目に遇わせてやったけれども、結局、自分はその芯に根付く何物をも変えることは出来なかった。そう思うと妙な敗北感に襲われ、それがいっそう心を苛立たせた。どうにも割り切れない気分のまま、胸の奥に消えない波紋だけが幾重にも広がっていった。


COMING SOOM NEXT BATTLE?


 

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