*スイはなんでも知っている?・後編*



そよ風に揺らめくれんげ畑は、自然が敷き詰めた淡い紫の絨毯だ。ただし、1カ所だけ虫食い部分があり、そこには直径1メートルを超える切り株が鎮座していた。かつては花を見守るごとく、豊かな樹木がそびえ立っていたのだろう。守護の名残をテーブル代わりに、ハチは神妙な顔で新作を披露した。
「こりがにゅーすぺさるすーぱー蜂蜜玉だ」
切り株に置かれた飴色の塊を、スイはためらいなく口に含んだ。
「きゅるり〜」
普通の蜂蜜玉と比べ、相当あっさりめの仕上がりで、甘さはほんのり感じる程度に控えてある。きっと、甘味嫌いなDEATH夫を満足させるべく、ハチなりに研究を重ねたに相違ない。
「どーだ?」
「きゅるり〜♪」
お見事!とばかりに、スイは弾んだ声を張り上げた。仲良しのスイに絶賛され、ハチは眉を八の字にして、格好を崩した。が、肝心のDEATH夫が試食してくれないのに気付き、ハチは黒ずくめの真ん前まで飛んで行くと、ストレートに不満を訴えた。
「ですおも見てないで食えや」
どんぐり眼に暑苦しく見つめられ、DEATH夫は仕方なく蜂蜜玉を摘んで、口腔内へ放り込んだ。ほっぺを林檎にして感想を待つハチだったが、残念ながら期待した言葉は返って来なかった。
「・・・・甘ったるい」
すでに甘みは限界まで抑えた。これ以上、どう改良しろと言うのか。頑張りをこれっぽちも認められず、さすがのハチもぷんすか口を尖らせた。
「味が無くなってもいいのかよう」
「辛くしろ」
「無茶言うなよう」
辛くなったら、もはや蜂蜜玉とは呼べまい。ある意味、白鳳よりもワガママなDEATH夫の要求に、ハチはすっかりお手上げ状態だ。が、こんなやり取りにもかかわらず、険悪な雰囲気は漂って来なかった。虫が一方的に懐いていた頃を経て、近頃のDEATH夫は決してハチを拒絶してはいない。ハチがモンスターにやられた時、真っ先に敵を切り刻み、皆を驚かせたこともあった。スイの目から見ても、彼らが共に行動する場面は格段に増えたと思う。
「きゅるり〜」
「おっ、どした、スイ」
「きゅっ、きゅっ」
スイは思い切って、ハチにDEATH夫との近況を尋ねてみた。コケの一念が通じ、ハチが死神に認められたのなら、心から祝福したい。スイの疑問を受け、ハチはいっちょまえに腕組みをすると、滔々と語り出した。
「つまりなあ、ふろーずんがおーでぃんと一緒の時は、オレがですおの側にいてやってるんだぜー」
雪ん子はオーディンの想いにほだされ、ふたりで過ごす機会が増えつつある。無論、DEATH夫との友情は小揺るぎもしないが、白鳳パーティーへ加入した後ですら、DEATH夫は長い間、フローズン以外の者に心を開かなかったのだ。ゆえに、唯一の相棒が不在となれば、単独の時間が増えるのはやむを得まい。ハチとしては、フローズンの代役を務めるつもりだろうが、ムダな使命感に燃えたお調子者を、大らかに受け容れるDEATH夫ではなかった。
「誰も頼んでない」
「あてっ」
DEATH夫の長い指に弾かれ、ハチは空中で2回転した後、仰向けに切り株へ墜落した。痛む後頭部をさすりながら、ハチはめげずに切り返した。
「ですおだって、ひとりぼっちじゃ寂しいだろー」
「別に」
「ふろーずんがおーでぃんのとこから戻らなくてもいいのかよう」
「それでいい」
「へ?」
「きゅるり〜。。」
DEATH夫にあっさり肯定され、ハチはあっけに取られて、目をぱちくりさせた。フローズンとオーディンが親しさを増すにつれ、DEATH夫はさり気なく退き、敢えて別行動を取っているように感じる。明示こそしないものの、DEATH夫はオーディンの戦闘力と人柄には一目置いている。いずれ悪魔界へ帰るだけに、フローズンを託す相手が出来て、むしろ、ほっとしているのかもしれない。



もっとも、ハチがDEATH夫に疎まれなくなったのは、フローズンの事情のみならず、自らの地道な努力あってこそだ。邪険にされても挫けず怒らず、常に明るくDEATH夫へアプローチし続けたハチ。白鳳や仲間に励まされ、頑張った甲斐あって、ハチの蒔いた種はようやく実を結びつつあった。
「ま、ふろーずんがいなくても、ですおにはオレがいるかんな」
「邪魔だ」
「なんだよう、渋い男の友情なんだぞー」
「くだらん」
「げげーん!!」
抑揚のない口調で冷ややかに突き放され、ハチはへなへなと膝をついた。ハチが親愛の情を示そうと、表面上はまず報われないのだが、ハチのキャラを考えれば、こういうオチも仕方あるまい。それでも、DEATH夫はハチを無視せず、対応しているし、胸ポケットにもぐり込んでも、摘み出されることはない。
「きゅるり〜」
ハチの望みが叶いそうなのが嬉しくて、スイはうっとり目を細めた。ここまで状況を把握すれば十分だ。にゅーすぺさるすーぱー蜂蜜玉の試食会も堪能したし、そろそろ新たな探索を始めるべく、お暇しよう。スイは切り株から飛び降りて、しっぽでくるりんと弧を描いた。
「ん、スイ、どっか行くんか」
日頃は、どん臭くて鈍いハチだが、食べ物と仲間のことに限れば、案外、聡い部分も見せる。特に、スイの言葉にならない言葉を、即座に読み取るのはハチ固有の技能だった。
「きゅるりっ」
その通りとばかり、スイは力強くうなずいた。
「よしっ、オレが送ってやる」
「きゅ?」
どうやら、次の目的地まで連れて行ってくれるつもりらしい。白鳳には美点がないとからかわれているが、他者にかける手間暇を全く苦にしないのは、ハチの長所のひとつだ。ハチの加入によって、スイの行動範囲は大きく広がった。移動の利点を抜きにしても、同じ目線で話せるハチは、スイにとって特別な存在だ。でも、今日はひとりで当てもなく歩きたい。ハチの厚意はありがたかったけれど、スイは微笑んで首を横に振った。
「そっか。もし、オレの助けが必要なら、いつでも呼んでくり」
「きゅるり〜」
甘い香りで満ちたれんげ畑にDEATH夫とハチを残し、スイはてくてく歩を進めた。蜂蜜玉の効果で、全身にパワーが漲った気がする。これなら、まだささやかな冒険を続けられるはずだ。ところが、意欲と裏腹に、スイはどこまでもひとりになれない運命だった。連れのない気楽さを味わう間もなく、見慣れた紺袴に行く手を塞がれた。
「きゅっ」
「スイ様、白鳳さまが心配しておられます」
顔を上げるやいなや、神風に声をかけられた。恐らく、困り果てる白鳳を見かね、スイの捜索役を買って出たのだろう。誰にも断らずに宿を出たので、白鳳が驚愕したことは想像に難くない。自分は無断外出の常習犯のくせに、弟に対しては妙に過保護なのだ。そのくせ、××のチャンスが来ると、平気でスイを放り出すのだから、スイの行動を縛る資格などないのは明らかである。
「きゅるり〜っ」
制限の多い身ゆえに、ふと単独行動をしたくなったのだが、生来奔放な兄にはきっと理解してもらえまい。無論、白鳳の忠実なしもべたる神風に訴えても無理で、たちまちスイの身柄は拘束されてしまった。
「さあ、戻りましょう」
「きゅるり〜。。」
こうなったら万事休すだ。スイだけの小さな探検が唐突に終焉を迎え、緑の体躯はしっぽの花共々、しょんぼりうなだれた。



なおも四肢をばたつかせてみたが、従者の手指はがっちり胴を掴んだままだ。いっそ指にかみつこうかと閃いたけれど、神風とて白鳳のために来たと思えば、そこまで過激な戦法は採れない。一方、しぶとく抵抗を続ける様を見て、疑惑を抱いたのか、神風はスイを眼前まで持ち上げて言いかけた。
「駄々をこねるなんて、スイ様らしくもない」
「きゅるり〜」
「さ、いい加減、おとなしくして下さい」
「きゅ?」
神風に接近したせいで、丸い瞳が単衣の合わせ目からのぞく勾玉を捉えた。質実を絵に描いたような彼は、アクセの類は一切していなかった。果たして、いかなる心境の変化があったのだろう。スイの好奇心たっぷりの眼差しを浴びた神風は、一瞬戸惑った表情を浮かべたが、興味の対象を察し、自ら顎先で翡翠を指し示した。
「ひょっとして、勾玉ですか」
「きゅるり〜」
「・・・・白鳳さまから特別に貸していただきました」
「きゅっ」
神風があからさまに喜色を浮かべているではないか。スイは内心、少なからず驚いた。常に私心なく仕える彼は、個人的な喜怒哀楽をほとんど表に出さないのだ。
「本当は仲間を差しおいて、私だけ品物を受け取るのは、許されない行為なのですが」
「きゅっ、きゅるり〜っ」
気に病む必要はない、とスイは全面的に否定した。現在の白鳳及びパーティーにとって、神風が最大の功労者なのは誰もが認める事実だ。今日までの過程や事情が異なる以上、メンバー全員を機械的に扱うのは変だし、仲間と寸分違わぬ処遇は、かえって神風には不公平ともなりかねない。
「貴重な家宝を、私ごときに預けて下さるなんて感激です」
「きゅるり」
神風は預かったと言っているが、兄は贈るつもりだとスイは確信した。貸与形式は、生真面目過ぎる彼になんとか受け取らせるための、苦肉の策だったに相違ない。にしても、よほど嬉しかったのか、神風は普段とはかけ離れたテンションで、白鳳を熱く語り出した。
「白鳳さまの本質は情け深いお方なのに、誤解され易い言動で損しているのが残念でなりません」
「きゅるり〜っ」
この点に関しては、スイもまるっきり同意見だった。暴れうしの突進が災いして、目当てのオトコ(以外にも)に必ず逃げられる兄だが、根は優しいし、面倒見の良いところもある。素材は悪くないにもかかわらず、恋が実らないのは、ムダに過激な自己アピールが逆効果になるからだった。
「早く、白鳳さまの真価を見抜く殿方が現れるといいですね」
「きゅる、きゅるり〜」
たとえ、腐れ××野郎であろうと、唯一無二の大切な兄だ。スイの解呪にこだわらず、お似合いの相手がいれば、手を携えて人生を歩んで欲しい。自分の呪いが、白鳳の幸福の足枷になるのはあまりに辛い。しかし、スイは知っていた。白鳳はスイの呪いが解けない限り、決して本気で伴侶を求めたりしないと。お気楽な浮かれポンチに見えて、白鳳は芯の部分では一般人より遙かに生真面目だった。そこは神風も心得ており、微かに瞳を伏せると、言葉を選びつつ、先を続けた。
「でも、今の状況では、自ら幸せに背を向けてしまうかも」
「きゅるり〜。。」
ああ、やはり。スイはやるせない気分で肩を落とした。自分は元に戻ることを切望しているし、可能性を諦めていないが、はっきり言って、解呪が実現する保証はない。ならば、せめて兄には身近な幸福をしっかり掴んでもらいたかった。スイの落胆を感じ取り、神風は励ますつもりで思わず言い漏らした。
「がっかりしなくても大丈夫です。万が一、お相手が現れなかった場合は・・・・・」
「きゅっ?」
神風の蒼い虹彩に、兄の面影が映った気がして、言い差した部分の続きを、スイは息を飲んで待った。スイの真摯な眼差しを浴び、神風ははっと我に返った。
「い、いえ、何でもありません」
「きゅるり〜??」
パートナーが現れなかった場合は、神風が白鳳の面倒を見てくれる。スイはなぜか一瞬、そんな白日夢に酔った。もし、神風が兄のお相手なら、まさに打ってつけの伴侶と言える。白鳳の欠点も長所も知り尽くしているし、困った××者を巧みにコントロールしてくれよう。今更、××道から足を洗えとか、無謀な望みは抱いていない。白鳳が良き恋人を得て、他人様に迷惑をかけなければ、スイは大満足だった。


戻った神風が抱きかかえるスイを見るやいなや、白鳳は脱兎のごとく駆け寄った。まじしゃんから報告を受けていても、自力で護身する術を持たないだけに、無傷で帰るまでは安心出来ない。白鳳は声を弾ませて、神風を最大限に褒め称えた。
「さすが、神風。私の期待を絶対、裏切らないねえv」
「スイ様がご無事で良かったです」
「本当にありがとう」
神風にスイを手渡され、白鳳は丸い頭を愛おしげに撫でた。細い指先に、小冒険の名残の若葉が絡まる。
「おや、れんげの葉っぱ?・・・・随分、遠くまで行ったんだ」
「きゅるり〜」
えっへんと胸を張るスイを、白鳳が口元を綻ばせて眺めている。兄弟の再会を済ませ、役目を果たしたと思ったのか、神風はすでに次の仕事を見据えていた。一足先に帰還したまじしゃんは、集めた薬草を調合して、様々な薬をこしらえている。調合自体はともかく、雑用ならば知識がなくても役に立てるはずだ。
「では、私はまじしゃんの作業を手伝って来ます」
「ずっと歩きづめだったんでしょ。少しくらい休みなよ」
「いえ、特に疲れておりませんので」
白鳳の提案をやんわり断ると、神風はまじしゃんの手助けをすべく、隣室へ姿を消した。他のメンバーが働いている間は、神風に休息の2文字はないらしい。肩を竦め、苦笑混じりで扉を見遣る白鳳の顔付きが徐々に険しくなってきた。てっきり、遊び下手の神風への苛立ちと解釈したスイだが、兄の矛先はいきなりこっちへ向けられた。
「私に無断で、いったいどこをほっつき歩いてたのさ」
「きゅっ」
「鄙びた田舎町とは言え、不埒者もいるんだから、ひとりで外出しちゃダメじゃない」
「きゅっ、きゅるり〜っ」
不埒者でもならず者でも、腐れ××者よりは遙かにマシ、と言い返したい気持ちを堪え、スイは素直に頭を下げた。自分の出来心で、白鳳や神風に心配をかけたことは確かだ。だけど、兄に厳しく叱責されようと、スイは今日の探索自体は後悔していない。単独で仲間たちと接したおかげで、様々な発見があり、懸念のいくつかは取り越し苦労だと分かった。己の解呪はともかく、パーティー全体としては、理想的な方向へ進んでいる。それを感じ取れて、実に有意義なひとときだった。が、白鳳はスイの収穫を知る由もなく、ままならない現状を愚痴り始めた。
「ったく、手間かけさせないでよ。いくら私が優秀なマスターだって、まだまだ問題は多いんだから」
「きゅるり〜」
「オーディンとフローズンは、私が取り持ってやらないと、恋人未満を脱しそうにないし」
「きゅるり」
白鳳が余計な手出しをしないのが功を奏し、順調に進展している。間違っても、月下氷人面してしゃしゃり出ないでもらいたい。
「だけど、フローズンがいないと、DEATH夫がパーティーで浮いちゃうね」
「きゅるり〜っ」
ハチがいれば、DEATH夫が孤立することはない。お為ごかしで自分の愛人にしようと、ムダな画策をしなければいいが。
「う〜ん、やっぱ、まじしゃんの帰省は、年2回じゃ少ないかも」
「きゅ、きゅ」
この調子では師匠夫婦との秘密の文通に、まるっきり気付いていないようだ。妄想と願望も手伝って、従者たちの状況を網羅したと思い込んでいるが、正直、白鳳の認識は穴だらけだった。しかも、短時間の探索で、スイにすら理解出来た事柄を、ひとつも把握していないとは。当人に熱意や素養がないわけではない。注ぐべきエネルギーを、オトコ漁りへ優先して回すから、最後の詰めが甘くなるのだ。
「やれやれ、完璧なマスターも楽じゃないねえ」
「きゅるり〜。。」
志はムダに高いが、完璧どころか、一人前のマスターになるのさえ夢のまた夢。残酷且つ掛け値ない事実を、スイはしみじみ痛感していた。


FIN


 

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