*テレパシー〜後編*
「私が嘘をついてないって、悟ったみたいだねえ」
ぎこちない表情のまま、一言も発さない神風を見据え、白鳳は得意げに右の口角を上げた。捏造なら綻びを見つけるのは容易いが、いくら神風でも真実を覆す術は持たない。口うるさい従者を完全に沈黙させ、白鳳の胸中を爽快な風が吹き抜けた。
(ああ、気分いい〜♪)
神風の閃きのせいで、練り上げた計画を何度、不意にされたことか。ささやかな反撃ではあるが、彼の心を乱せて、白鳳は溜飲が下がる思いだった。これまでの仕返しの意味も込め、もっともっと神風に衝撃を与え、困らせてやりたい。
(相手が有象無象じゃなくDEATH夫なのも、神風にはかえって効果的だし)
珍しく主導権を握ったのだから、落ち着いて次の一手を考えればいいものを、白鳳はすでにイケイケモードとなっていた。すっかりお調子に乗った白鳳は、街灯をスポットライトに見立て、芝居がかった仕草と共に、接吻の経緯を語り始めた。
「私の地道な努力が実を結んで、DEATH夫もやっと素直に好意を示してくれたんだ」
「ひょっとしたら、先日のモンスター討伐の際でしょうか」
白鳳とDEATH夫が一緒に行動し、且つ、こちらの目が届かない状況は極めて限られている。未だショック冷めやらぬ神風だが、努めて冷静に問いかけた。DEATH夫自らのキスと聞かされ、心中穏やかではないけれど、事の仔細を把握するまでは、短絡的な行動は取るまい。神風は口を真一文字に引き結むと、白鳳の答えを待った。
「さすが神風、話が早いや。そう、私の華麗で隙のない戦いぶりに、DEATH夫はすっかり魅了されて、ご褒美代わりに熱いキスをしてくれたのさ」
「まさか。。」
白鳳の報告を耳にして、なお、神風は信じられなかったし、信じたくなかった。主人の奔放な性癖は、好ましいとは言えない。しかし、理想の相手と出会えば、遊びの虚しさを痛感して、案外、落ち着くのではないかと考えていた。ゆえに、神風は白鳳のかりそめの一夜に呆れたり怒ったりしつつも、将来の幸福のための過程だと受け容れていた。なのに、今、神風はDEATH夫との口付けをどうしても認められなかった。白鳳にとって挨拶同然の行為にもかかわらず、だ。
「しばし、口唇を吸い合った後はねっとり舌を絡めて、心ゆくまで互いの吐息を味わっちゃった。DEATH夫ってば、澄ました顔して、結構キスが上手いんだもん」
神風が悄然としているのを見て、弾みが付いた白鳳の説明は、徐々に事実から遠ざかってきた。キスしたのは本当なのだから、枝葉が多少誇張されようと大勢に影響はない。勝手に結論付けた白鳳は、神風を惑わせるべく、いっそう濃厚な描写を口にした。
「唇を放した後、潤んだ瞳で名残惜しげに見つめ合っていたら、DEATH夫が突然私をきつく抱きしめて、こう囁いたんだ。お前がもっと強くなった暁には、必ずお前を俺のものにするって」
「・・・・・・・・・・」
「正面きって告白するのが恥ずかしくて、戦闘力を口実に使うなんて、んもうっ、あのコってば、ホント、照れ屋さんなんだからv」
臆面もなくはしゃぐ白鳳を目の当たりにして、神風は不意に冷静さを取り戻した。人通りがないのをこれ幸いと、大げさなアクションで舞う紅いチャイナ服。己の発言内容に酔いしれ、虚実の線引きが出来なくなっている証拠だ。こういう場面で繰り広げられたストーリーはもれなく捏造だった。
(また悪い癖が始まった)
白鳳に対する態度が軟化しても、マスターへの感情に変化がない以上、DEATH夫が白鳳の愛人を承諾するわけがない。それに、DEATH夫に告られたりしたら、白鳳のことだから、宿へ戻るやいなや、浮かれポンチで全員に吹聴するに決まってる。キスした事実を秘めていただけでも、普段の白鳳ではまずあり得なかった。恐らく、DEATH夫自らのキスは思い掛けないアクシデントで、妄想王の白鳳にして、即座に現実とは認識し得なかったのだろう。
後半のでっち上げが発覚したとも知らず、引き際を心得ない白鳳は、ますます悪のりして脳内ロマンスを展開させた。
「ただし、DEATH夫と懇ろになるのは大歓迎でも、魂を代償にするのは困りものでしょ」
「はあ」
「そしたら、あのコ、何て言ったと思う!?」
「さあ」
ハイテンションで双眸を輝かす白鳳とは裏腹に、愚にもつかない創作を聞かされた神風は気のない返事をした。
「私と未来永劫会えないのは耐えられない。魂なんか要らないって〜v」
「ああ、良かったですね」
ひとりで盛り上がる主人を一瞥すると、神風はうんざりしてそっぽを向いた。白鳳の美貌が緩めば緩むほど、神風の面持ちは険しくなった。全面的に偽りであれば、むしろ微笑ましく流せたのだが、彼らが接吻したという事実が胸に重くのし掛かる。取り合えず、これ以上のらぶらぶ話を阻止すべく、神風はぴしゃりと切り返した。
「大概にして下さい、白鳳さま。私の目は節穴ではありません。キス以降の話は目一杯脚色されてるんでしょう」
「げっ」
勢いづいて、大風呂敷を広げたのが運の尽き。やはり最強の従者の眼力はそこまで甘くなかった。ここで怯んだら、一気に形勢逆転してしまう。死神との愛のドリームは忘れ、白鳳は事実のみをアピールする戦法に出た。
「まあ、閨の契りは将来の課題として、私とDEATH夫が情熱的な口付けを交わした仲となったのはめでたい限りだよ。断っておくけど、私が褒美として、キスをせがんだわけじゃないからね。上質な魂をあげると申し出たのに、DEATH夫が怒ったのも本当だし」
「・・・・・怒りましたか」
「悪魔に魂を渡せば、転生出来なくなるじゃない。私との縁を切りたくないんだよ、きっと」
「でしょうね」
DEATH夫の気持ちの変化は、神風も十分承知している。たとえ、マスターの意に背こうと、今の彼は白鳳のみならず、仲間たちの魂を狩ろうとはすまい。ただし、”仲間”の中に自分は入っていないことを神風は知っていた。
「気を抜かずに精進して、DEATH夫を倒すほど強くなれば、甘い一夜も夢じゃなさそう、うふふ」
「白鳳さまがDEATH夫を超える前に、彼は悪魔界へ帰ってしまいますよ」
「神風の意地悪。わざわざ、やる気を挫くような物言いをするなんて」
「いつまでもDEATH夫に執着するのは感心しません」
「ふんだ、私が誰に執着しようと勝手でしょ。神風はDEATH夫と反りが合わないから邪魔するんだ」
「違います」
正直、神風はDEATH夫にかなり腹を立てていた。だが、その怒りは個人的な感情とは関わりなく、あくまで白鳳の心持ちを慮ってだ。DEATH夫に芽生えた白鳳への好意は、間違いなく恋愛感情とは別物であろう。なのに、思わせぶりな態度を取ったことに苛立っていた。難攻不落の砦だったDEATH夫が迫られたり、騙されたわけでもなく、白鳳に自発的にキスした。動機はともあれ、お調子体質の白鳳がそんな僥倖に見舞われたら、この先に期待するなという方が無理だ。
(白鳳さまに叶わぬ望みを抱かせるなんて)
能天気な白鳳のことだ。上手くいけば、DEATH夫を略奪出来るかも、とマジで夢を見かねない。けれども、レアモンスターたるDEATH夫とマスターは、何代にも渡る強固な絆で結ばれている。条件さえ整えば、DEATH夫は躊躇いなく悪魔界へ戻るだろう。白鳳がいくら彼を望んだとて、しょせんは届かない想いではないか。希望が膨らめば膨らむほど、潰えた時の喪失感は大きい。残された白鳳が嘆き悲しむ姿は見たくなかった。
白鳳がDEATH夫と口付けしたと知り、いつになく平常心を失ったのは、儚い夢を追う主人の行く末を憂いたせいだ。得体の知れない感傷を理由付けることが出来て、神風はなぜかほっとしていた。とにかく、白鳳に現状を正しく認識させなければ。DEATH夫への腹立ちは胸の奥に封じ込め、神風はおもむろに切り出した。
「DEATH夫は悪魔界へ戻るきっかけを掴むため、我々と旅しているんです。彼と懇ろになったところで、白鳳さまが望む結末にはなりません」
「だけど、魂を狩る役目がある限り、当然、こっちの世界へ来るじゃない。あのコ、貞操観念なさそうだし、セフレなら十分、脈がありそう」
悪魔に仕えるレア種だと判明して、当初は痛手を受けた白鳳だが、そこは生来のポジティブ思考。いつの間にか、何代にも渡る従者の一代をちょっと借りるくらい構うまいと、自己を正当化していた。どうせ、DEATH夫とマスターは1対1の間柄ではないのだ。寂しいDEATH夫を慰めてやるのだから、むしろ感謝して欲しいものだ。
「そういう刹那的な戯れはダメだと、何度言ったら分かるんです」
「じゃあ、DEATH夫が正式に私ひとりの愛人になれば文句ない?」
実のところ、白鳳自身もそこまでとんとん拍子に行くとは思っていない。DEATH夫の冷めた言動の底に、無自覚なマスターへの思慕が潜むのも承知している。だが、神風の容赦ない拒絶にむかついて、白鳳は殊更にDEATH夫との爛れた関係を強調した。
「白鳳さまはDEATH夫の帰還を応援しているはずです。正式な愛人とは矛盾していませんか」
「だ・か・ら、一旦帰って、マスターの許可を得た上で、晴れて私の愛人にv」
「世の中を甘く見るのも大概にして下さい」
いかにも不倫臭漂う年輩の紳士と若い娘が件のホテルへ入って行く。背徳のカップルを横目で見遣りつつ、白鳳は口を尖らせて言い返した。
「どうして、いちいち棘のある言い方をするのさ。神風は私に幸せになって欲しくないの」
「DEATH夫相手では白鳳さまは幸せになどなれません」
「ちょっとぉ、何を根拠に断言するわけぇ!?」
神風らしからぬ冷淡な声音で一蹴され、白鳳はつい声高に喚いた。凄まじい剣幕に、街灯の炎が小刻みに揺らめく。主人の一喝に、神風ははっと我に返った。無意識裏に本音を漏らしてしまったようだ。神経を逆なでした失言を詫びるべく、白い単衣はぺこりと頭を下げた。
「済みません・・・・言葉が過ぎました」
素直に詫びられ、白鳳もやや後ろめたく感じてきた。そもそも、DEATH夫と比較して、神風を嫌らしく挑発したのは自分ではないか。神風が不愉快な様を見せても、当たり前かもしれない。
「ううん、さんざん煽った私も悪かったよ。でも、そこまでDEATH夫が嫌いなんだ。。」
彼らの微妙な間柄は察していたが、温厚な神風がDEATH夫へはっきり悪感情を抱いているとは驚きだった。DEATH夫に一方的に罵られようと、決して争わず、賢く受け流しているように見えたのに。
「嫌悪や憎悪とは違いますが、彼にどう接したらよいのか分かりません」
「確かにねえ」
フローズンやハチに対する態度はもちろん、他のメンバーへの言動を振り返っても、DEATH夫は決して冷酷でも極悪でもない。なのに、自分のみに辛く当たられると、いかに対処すべきか悩むばかりだ。単に人間への絶対的な忠誠が気にくわないのではなく、神風自身のアプローチに難点があるのではないか。なまじ、生真面目で気配り豊かなだけに、神風はずっと苦悩してきたらしい。
「ですが、白鳳さまとDEATH夫が不似合いだと感じたのは、私の個人的な事情とは一切関わりありません」
「なら、神風の根拠を話してよ」
道中、あらゆる場面で神風の私心ない助言は的を射ていた。暴れうしよろしく突っ走る前に、従者の意見に耳を傾けた方が良さそうだ。白鳳は思い込みを捨て、神風の明確な説明を待った。
学童みたいに真っ直ぐな眼差しを向ける白鳳へ、順序立てて解説を始める神風。先程から、曖昧宿の前で立ちんぼなのだが、大通りで語れる内容ではないので、白鳳主従はやむなくその場に留まり続けた。
「DEATH夫相手では白鳳さまが希望する優雅な生活は無理ですよ」
「そうかなあ」
「彼は戦闘の天才ですが、生活力は皆無です」
「他に金持ちのオトコをキープすれば大丈夫」
「白鳳さまの奔放な道楽を許さない気がします」
「あのコ、独占欲はなさそうだし、ささやかな息抜きは大目に見てくれるって」
本命の他に金蔓を用意したり、現状と変わらぬオトコ漁りが前提となっており、一生の伴侶に対する心構えがこれっぽちも出来ていない。しかし、白鳳の朗らかな笑みは長続きしなかった。
「独占欲はなくてもプライドが高いので、白鳳さまがふらふらするのは許さないでしょう。万が一、悪さがばれたら、相手共々大鎌で粉微塵にされるかもしれません」
「ひっ」
悲しいかな、神風の指摘はいちいち肯ける。苦手と言いながら、仲間の性質をよく飲み込んでいた。DEATH夫に戦い以外の甲斐性はない。しかも、傍若無人で心が狭く、白鳳のワガママなど到底受け容れてくれまい。DEATH夫に浮気現場に踏み込まれ、命乞いする間もなく、八つ裂きになる図が浮かび、白鳳は思わず身震いした。美形という一点を除き、こんなにパートナーに相応しくないオトコがいるだろうか。さすがの白鳳もすっかり目が覚めた。
「いくら見目麗しくても、贅沢や夜遊びし放題じゃなきゃ意味ないよねえ」
まあ、根本では全く目が覚めてないのだが、DEATH夫を伴侶にしても旨味はないと悟ったらしい。良い機会とばかり、神風は選択基準の修正を提案した。
「細かい条件を付けたらキリがありません。絶対、譲れない要素以外は潔く切り捨てれば、眼鏡にかなう殿方も増えるのではないでしょうか」
ただでも、××趣味というハンデがあるのに、妥協はしない、見境なく迫るでは、縁遠くなって当たり前だ。容姿、性格、スキル等、客観的に見て、白鳳のスペックはかなり高い。身の程を弁え、間口を広げたら、素敵な相手に出会えるに相違ない。けれども、神風の意図はイマイチ伝わらず、白鳳は図々しい要求を次々挙げた。
「う〜ん、ブサな外見は死んでもイヤだし、貧乏人は端から対象外だし、弱っちいオトコもお断りだし」
「他ふたつはともかく、金銭面に関しては、白鳳さまはご自分で稼げる技能を持ってます」
ハンターとしての腕に加え、調理技能もプロレベルだ。実のところ、普通に生活するだけなら、白鳳は他人の懐など必要としなかった。
「確かに金は自力で稼げばいいか」
白鳳の”稼ぎ”の中には、資産家のたらし込みも含まれるが、神風には口が裂けても言うまい。
「はい、白鳳さまの収入を当てにしない働き手なら良しとすべきです」
「そうだねえ、”色男、金と力はなかりけり”だし、この際、容姿と包容力に絞るかな」
包容力、すなわち、オトコ狩りやワガママを笑って許す慈悲の心である。白鳳が一番譲れない条件こそ、恋人を得るにつき、もっとも妨げとなるスタンスだった。火遊びされると知っていて、尻軽を伴侶に選ぶお人好しがいるものか。危険思想を少しでも改めさせるようと、神風は諭すごとく言いかけた。
「相手にばかり許容を求めず、白鳳さまも行いを慎むべきです。もし、恋人の浮気が発覚したら、白鳳さまだって傷付くでしょう」
「冗談じゃない。美貌の上、床上手の私がいるのに、浮気のみならず、風俗だって一度たりとも許さないよ」
「白鳳さまに相手の浮気を攻める資格はありません」
「もう、怖い顔しないでよ。生真面目で己に厳しく、私に甘いオトコをゲットすれば、ややこしい問題は起こらないって♪」
己の主張を曲げない白鳳のお気楽ぶりに、神風はほとほと呆れ果てた。要求をことごとく満たす男性が存在して、彼が自分の虜になると信じて疑っていない。ターゲットに必ず逃げられるくせに、現状を認識しないにも程がある。いつまでも地に足がつかない白鳳を睨むと、神風はため息混じりに吐き捨てた。
「端正な外見で、腕が立ち、心が広く、誠実な働き者。そんな白鳳さまに都合のいい相手がいるものですか」
「いるもん」
「え」
即座に断言され、あっけに取られる神風の傍らで、白鳳は婉然と微笑んだ。
「ほら、私の目の前に」
先細りの指でいきなり示され、神風は激しく面食らった。
白鳳も薄々は勘付いていた。厳しい条件をオールクリアする男など現れそうにないと。それに、生活圏も価値観も異なる未知の相手と、新たに関係を築くのは多大なエネルギーが要る。なので、白鳳は別の面で妥協点を見出した。遭遇出来るか分からない100点満点を追い求めるより、身近にいる90点を愛するべきだ。種族の違いさえ目を瞑れば、紺袴の従者はほぼ白鳳の理想通り。灯台もと暗しとはよく言ったものだ。双方、人となりを熟知して、気が置けない間柄なのもいい。しかし、白鳳のラブコールを聞いて、神風の面持ちは微かにこわばった。
「ふざけないで下さい」
「ふざけてないよ。神風なら私のニーズにぴったり。うん、やっぱ私の伴侶は神風しかいないね」
DEATH夫とのキスを自慢げに語った舌の根も乾かぬうち、いけしゃあしゃあと主張され、神風はあからさまに声を荒げた。
「DEATH夫を見限ったから、私にするんですか」
「DEATH夫は関係ないよ。この先、諸国で頑張ってハンティングしても、神風に優るオトコには会えない気がする」
「先程申し上げた通り、私との約束は最後の砦です。次の道中からは、行きずりの戯れは控えて、真摯に候補者を探したらいかがでしょう」
「え〜っ、面倒だから、もう神風でいいや」
「そんな投げやりな姿勢でどうするんです」
手間を省くために、白羽の矢を立てられても、ちっとも嬉しくない。だが、白鳳は我ながら最善の策と思ったのか、すっかり乗り気になっており、緋の双眸を輝かせて破顔した。
「だって、良くも悪くも、神風が私をもっとも理解しているじゃない」
「ええ、そうですね」
本来、奥ゆかしい神風だが、白鳳の指摘は全面的に肯定した。主人の心裏や発想は完全に把握していると、神風には密かな自負があった。神風の口元の緊張が解けたのを見て、白鳳は恐る恐る尋ねた。
「・・・・ねえ、私に正式な恋人が出来たら、神風は私の元を去ってしまうの?」
条件付き愛人契約の晩以来、ずっと再確認したいと思っていた。約束自体は面白おかしく茶化せても、離脱話は怖くてネタに出来なかった。神風を縛り付けてはいけないと自覚しながら、神風不在の生活は想像がつかない。たとえ、理想のパートナーを得ようと、掛け替えのない従者を失っては意味がないのだ。
「白鳳さまを託せる殿方が現れれば、私など必要ありません」
努めて平静を装う神風に、白鳳は非難の礫をぶつけた。
「神風は私と別れても平気なんだ」
「白鳳さまが幸福なら、私も満足です」
リベラルで我が道を行く白鳳は、伴侶が男の子モンスターでも気にすまい。けれども、自分のせいで、白鳳が口さがない連中に後ろ指を指されるのは本意ではない。だから、たとえ白鳳に本気で求められようと、愛人になるつもりはさらさらなかった。反面、現在の主従関係を少しでも長く続けていたいと、心のどこかで願っているのも否めない。神風の揺れ動く気持ちに呼応したかのように、白鳳は沈痛な面持ちで叫んだ。
「嫌だ、私は神風と離れたくないっ」
神風は不覚にもどきりとした。どんなに巧妙に演じても、田舎芝居に騙される神風ではない。だが、白鳳の切なげな様子は真剣そのもので、ダイレクトに本気が伝わってきた。
「白鳳さま・・・・私とて出来るなら、生涯お仕えしていたいです」
白鳳の熱さにほだされたのか、神風もつい本音を漏らした。夜の大気をすり抜け、互いの胸の鼓動が伝わってくる。鮮やかな場面転換に、白鳳の気分は一気に高揚した。
(やだ〜っ、いい雰囲気じゃない♪)
この後の展開次第では期待以上の成果もあり得る。大張り切りで腕を撫す白鳳だったが、真性××者は愛の狩人を気取る割に、絶望的な駆け引き下手だった。性懲りもなく、白鳳はお得意の既成事実作戦に走った。
「さっそく今宵、組んずほぐれつで愛の契りを結ぼう。そうすれば、私たちの仲は永遠だよv」
「・・・・・・・・・・」
ムードもへったくれもない、暴れうしの突進に興醒めして、神風は瞬く間に我に返った。危なかった。皆を代表して迎えに来たのに、ミイラ取りがミイラになるところだった。まだまだ修行が足りないと、神風が己を戒めているのも知らず、白鳳は悩ましい品を作って詰め寄った。
「早くぅ、神風」
「白鳳さま、さっさと帰りましょう」
お目付役の顔に戻った神風が、たおやかな手をむんずと掴んだ。強引さにうっとりしたのも束の間、神風に引っ張られ、ふたりは曖昧宿からどんどん遠ざかっていった。
「えっ、えっ、いったい何が起こったのさ」
「何も起こりません。スイ様や皆が屋敷で待ってます」
「わ〜ん、ほんの1分前まで昼メロのラブシーンだったじゃないっ」
「気のせいです」
神風との千載一遇のチャンスは、白鳳の拙策のせいであっけなく霧散した。話を繋げようにも、肝心の神風はそっぽを向いたきり、白鳳の顔を見ようともしない。もっとも、主人とのコミュニケーションを遮断する極端なガードは、神風の心が未だ定まらない証拠なのだが、動転している白鳳はそこまで見抜けない。白鳳の閃きはまだまだ神風のテレパシーに遠く及ばなかった。
(はあ〜あ、また当分外出禁止かなあ)
年長組のお小言波状攻撃も待ち受けているに違いない。もはや全ての望みが断たれ、ドナドナの子牛のごとく、バス停までしょんぼり引かれて行く白鳳だった。
FIN
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