*恋まで待てない*



先日の来訪から一月も経たないうちに、白鳳はまたルーキウス王国を訪れた。ここ最近、モンスター捕獲の旅が極めて順調に進んでいるから、時間にも気持ちにも余裕が出来てきた。この前は一泊しただけで、翌朝、次の国へ移動せざるを得なかったけれど、今回は数日間ゆっくり滞在するつもりだ。もっとも、お目当ての人物は城内で規則正しい勤務を要求される身なので、せっかく同じ国にいても気軽には会えない。家族の話では次の非番は明後日らしい。やむなく、大して広くもない国内を散策するつもりで、眩しい陽射しの下、店が点在する通りをぶらぶらしていた。
「美味しそうなタルトだね、スイ」
「きゅるり〜」
ガラス越しでも甘い香りが漏れてくるような焼きたてのラズベリータルトに目を奪われていたひとりと一匹だったが、不意に聞き覚えのある呼びかけが耳を掠めた。
「白鳳さんっ」
まさかと思ったが、自分が彼の声を聞き間違えるはずはない。さらに振り返るまでもなく、ショーウィンドウにぼんやり映る騎士団の制服と青い髪。今日の気候でこれだけがっちり着込んでいてはさぞ暑いことだろう。
「セレスト・・・・・」
「探しましたよ」
こんなに早く顔を見られたのは望外の喜びだが、職場を放棄して自分を追い掛けてくる人ではない。いったい何が目的だろうと怪訝そうな眼差しを向ける間もなく、唐突に腕を掴まれた。
「済みませんが、ちょっと城まで来てくれませんか」
「えっ」
「きゅるり〜」
そのしなやかな肢体が微かに身動いだのに気付き、セレストは慌ててフォローをした。
「あ、一年前の件とは全く関係ないですよ」
確かに自分たちを除けば、事の真相はカナンしか知らないのだから、彼が時効と言った以上、この先、追及の手が伸びることは考えづらい。
「でしたら、いったい私にどんな用があるんです」
「実は・・・・・カナン様がぜひ白鳳さんの話を聞きたいとおっしゃってまして」
「坊ちゃんが?」
これはまた思わぬところからお声が掛かったものだ。やや小首を傾げて、相手の意図に思いを巡らす白鳳の長い指を、スイが口元でつんつんとつついた。
「せっかくスイ君とくつろいでいるところ、お時間を取らせて申し訳ないですが」
「いいんですよ。どうせさしたる予定もなかったんですから。にしても、何故坊ちゃんが私などに」
「それはちょっとここでは言えません」
神妙な顔と共にひそひそ声で返してきたので、妙だと思いながらも、逆に好奇心をかき立てられた。この身に危険が及ばないのなら、断る理由はない。ちょうど退屈していたことだし、渡りに船だ。
「分かりました。城内も案内していただきたいし、さっそく一緒に行きましょう」



そびえ立つ建物に足を踏み入れても、白鳳の態度は堂々たるものだった。背筋をピンと伸ばし、辺りを睥睨するごとく見据え、これっぽちも物怖じする様子は見せない。
すれ違う人々とも優雅に挨拶を交わし、事情を知らなければ、他国の王侯貴族が従者を引き連れていると映ったかもしれない。
(きっと生まれ育ちのいい人なんだろうな)
口調や物腰にもそこはかとない品が漂うし、奔放で擦れたように見えて、意外に世間ずれしていないところからもそんな気がする。
「セレストの部屋はどこですか」
「え」
「母上から城内に騎士団の宿舎があると聞きましたが」
家族とすっかり打ち解けてくれたのは嬉しいが、こちらの情報が筒抜けになる危険性が出て来たということか。この程度の内容なら何の問題もないが、いずれ自分でも忘れていた過去の恥を持ち出されて迫られそうで、ちょっと怖いものがある。
「宿舎はこの先を左に曲がったところにありますよ」
「ふふふ、今度、夜這いでもかけてみようかなv」
「や、やめて下さいっ!ただでも先日の手紙で妙な噂が立っているんですから」
「手紙・・・・・・・ああ、あれ。でも、どうして?」
白鳳に問いかけられて、セレストは自ら墓穴を掘ってしまったことを悟った。せっかく今まで詳細を言わずにごまかしていたのに。
「手紙は良いですが、あのキスマークは・・・・・」
「ドキドキした?」
紅の双眸にいきなり蠱惑的な光を向けられ、ごくりと息を飲んだ。その熱視線に簡単に打ち負かされて、思わず顔を逸らしてしまった。
「刺激的すぎます」
「ふうん、そう思ってくれたのなら成功ですね」
「また貴方はそういうことを・・・・・」
「だって危ない人ですし」
「うっ」
この前、酔った勢いで口にしたことを、完全に逆手に取られている。
「でも、それだけで噂になるなんておかしいじゃないですか」
白鳳の指摘通りだ。そもそも、自分が気持ちを抑えきれずに廊下なんかで広げたのが悪いのだ。勤務が終わってから、普通に自室で読んでいれば、あんな大事には至らなかったわけで。
「そ、それが・・・・・」
こうなったら、無駄な抵抗をしても仕方ない。セレストは前後の事情を包み隠さず話した。だが、白鳳はセレストの軽率な行動に呆れることもなく、むしろその逸った行動を手放しで喜んでくれた。
「そこまで私の手紙が待ちきれなかったなんて嬉しいな、ふふっ」
にこにこと屈託無い笑顔は年より幼く見える。
「全く面目ない話ですよ」
伏せ加減の顔の目元が仄かに染まっているのは恥ずかしさからか、はたまた銀髪の麗人の愛らしい表情に魅せられたからか。
「にしても、妙な噂って気になりますね」
「それについてはノーコメントです。。」
仮に教える気になったところで、カナンの部屋に到着するまでに、全部言い終えることは出来まい。が、もちろんこの程度の拒絶で引き下がる白鳳ではない。
「セレストが教えてくれないのなら、あとで坊ちゃんに聞いてみようっと」
スイの尻尾の花をくるりんと回しながら、悪戯っぽい顔付きで呟かれ、セレストは悲痛な声で叫んだ。
「白鳳さんっ!!」
軽やかに動く紅いシルエットとは裏腹に、主君の部屋に向かう足取りが一気に重くなったのは言うまでもない。



「カナン様、白鳳さんを連れてまいりました」
「坊ちゃん、こんにちは」
「おお、来たか、白鳳」
ご機嫌な笑顔を振りまきつつ、カナンは扉の前まで出迎えにやって来た。これまでの経緯を振り返ると、面映ゆい気すらしたが、笑顔の裏で何か企んでいる可能性も十分ありうる。気を抜かずにひと通り部屋を見渡すと、テーブルに焼きたてのクレープが三皿並んでいた。どうやら今はおやつの時間らしいが、気を利かせて、白鳳の分も用意してくれたに違いない。
「これは?」
「リナリア姫特製のクレープです」
「姉上お手製のお菓子は舌がとろけるくらい上手いぞ。食べながらいろいろ話をしよう」
席に着くことを促され、カナンと向かい合わせる形で、セレストの右隣に腰を下ろした。噂のことは気になるが、この様子を見る限り、自分との語らいはおやつの時間を利用したもので、たいして時間はなさそうだ。やむなく白鳳はいきなり本題に入った。
「いったい私とどんな話をしたいのですか」
「お前は世界中の男の子モンスターを集めるため、旅を続けているんだったな」
「そうですが、それが何か」
カナンが旅の真の目的に触れてくるとは思えないが、警戒するに越したことはない。次の質問内容をいくつか想定しながら、おのおのに適した回答を用意する白鳳だったが、彼の口から発せられた要求は全く予想外のものだった。
「もし差し支えなければ、僕に道中の話を聞かせて欲しいのだが」
「坊ちゃんが私の旅のことを知ってどうするんです?期待するような面白い出来事など何ひとつありませんよ」
話を続ける傍ら、スイをテーブルに下ろすと、小さく切ったクレープを食べさせてやった。満足げに口をもごもご動かす姿に我知らず表情が緩む。
「でも、あちこちの国を回っているんだろう。それに国固有の特殊なダンジョンも」
「社会勉強のつもりでしたら、もっと気の利いた話が出来る人間を捜した方が」
別にカナンに話をするのが面倒なのではなく、心からそう思った。自分の体験を聞いて多少なりとも参考になるとしたら、実際ダンジョンに乗り込む立場の人間だけだ。
(まさか・・・・・ね)
ささやかにその可能性を抱いたものの、すぐ打ち消した。曲がりなりにも相手は一国の王子様なのだ。自分の興味と意欲の赴くまま、気軽に冒険の旅に出掛けられるはずもない。
「いいや、お前の話が一番参考になるんだ」
なのに、相手はなおも食い下がってきた。青い瞳から放たれる一途で直向きな輝き。
「どうしてですか」
「僕は将来冒険者になる。だから、ハンターとして世界を旅してるお前からいろいろ学びたい」
「か、カナン様っ!そ、そ、そんなことを堂々と!!」
(へえ)
本当にこう来たか。傍らのセレストが顔面蒼白になって慌てているのが目に入り、悪いと思いつつ、ちょっと吹きだしてしまった。彼の取り乱しようを見る限り、どうやら本心からの決意らしい。しかし、おそらく秘密にしていたであろうことを、部外者の自分に宣言していいのだろうか。
「坊ちゃんの意向は分かりましたが、私に教えてよろしいんですか」
「お前だからいいんだ。父上や兄上にこんな話をしたら大変じゃないか」
それもそうだ。普段この国にいない自分だから、かえって気楽に話せるということか。しかも、実際にカナンたちがダンジョンでしてのけた数々の成果をこの目で見ている数少ない人間のひとりだし。
「・・・・・いいですよ。もっとも坊ちゃんのお役に立つかどうか分かりませんが」
「やった♪」
カナンが大喜びでこちらを見上げてきた。年相応の素直な反応になぜか戸惑った。ほんの一瞬だけ、スイの姿が重なったかもしれない。弟も自分の冒険の話を聞くのが好きだったっけ。それが講じて、一緒に付いていくと駄々をこね、真っ直ぐな熱意にほだされ、一度だけ許してしまった。そのたった一度が。



1年前の険悪とも言える関係からは考えられないくらい、語らいの時間は和やかに過ぎていった。キラキラと双眸を輝かせ、相手の一言一句に耳を傾けるカナン。可愛い生徒の素直な反応が嬉しくて、白鳳も丁寧な説明を交えながら、海の彼方の大陸の様子や特殊なダンジョンやアイテムのことを教えた。その微笑ましい様子はセレストが傍から見ていても、仲睦まじい兄弟のようだった。
「カナン様、そろそろ午後のお勉強の時間です。パルナス教授もじきいらっしゃいますよ」
ここでうち切るのは悪い気がしたが、従者としてはやむを得ない。
「もうそんな時間か。なあ、今日一日くらい何とかならんのか」
「ダ・メ・で・す」
「ちぇっ、話のわからんヤツだな」
ぷうと頬を膨らませるカナンに、白鳳が優しく言いかけた。
「坊ちゃん、勉強はきちんとしておいた方がいいですよ。坊ちゃんは機転が効くし、応用力もありそうなので、身に付けた知識を十分活かすことが出来ますよ」
これは決してお世辞ではない。ルーキウスでの各ダンジョンで出会うたび、カナンの自由な発想と行動力にしてやられた場面が何度もあった。ただし、悪巧みの範疇に入れた方がいいモノも含まれてはいたが。
「そうか。じゃあ、仕方ないな」
「この続きは今度にしましょう」
お腹一杯になって眠そうなスイを肩先に乗せると、白鳳はすっくと席を立った。退室すべく歩き出そうとしたところへカナンが声をかけてきた。
「最後に何かアドバイスとかないのか」
「アドバイス?」
「いわば冒険の基本的な心構えみたいなヤツだな」
通販で装備一式を揃えたりしたことから考えても、カナンは案外、形から入るタイプなのかもしれない。特別授業を先生のお言葉で締め括りたいのだろう。
「坊ちゃんは魔法戦士ですし、私がアドバイスしてあげられることはあまりありませんね」
「そこをなんとか」
カナンに一押しされ、思案に耽る白鳳だったが、不意に何ごとか思い付いたのか、ついと尖った顎を上げた。
「そうそう、ひとつだけありました」
「何だ何だ」
押し倒さんばかりの勢いで詰め寄られ苦笑したものの、すぐに顔を引き締め、真摯な眼差しでカナンを見遣りながら、はっきりと告げた。
「好奇心は腹八分目。以上」
彼の言葉を耳にした途端、横に控えていたセレストの方が、胸に深々と何かが突き刺さるのを感じた。まさにそれを守れなかったからこそ、白鳳はスイをあんな姿に変えられてしまったのだ。気取られないよう彼の様子を窺おうとしたのも束の間、紅の瞳とまともに視線が合った。それでも、目に映る姿はあくまでも平静そのものに思えたのだが。
「・・・・・それがアドバイスなのか?」
むろんカナンがそんな事情を知るはずもなく、むしろきょとんとした表情で眼前の整った顔を見つめた。はらはらしながら、ふたりのやり取りを眺め遣るセレスト。
「ええ、とても大切なことですよ。しっかり修行を積んで、いい冒険者になって下さいね」
「うむ」
小さな身体に似合わぬ重々しい口調と共に大きく頷いた。
「それでは、私はこれで。美味しいクレープをごちそうさま」
「ありがとう、白鳳。今日は凄く勉強になったぞ。またいろいろな話を聞かせてくれ」
「そうですね」
おっとり微笑んで軽く会釈すると、白鳳はパルナス教授と入れ替わりに部屋を立ち去った。




カナンの部屋を退室した白鳳だったが、後ろから足音が追い掛けてくる。振り向くまでもなく誰だが分かったし、その理由も何となく予測が付いた。
「白鳳さん」
ちょっと勿体ぶるように、わざとワンテンポ遅らせて振り返った。廊下に敷かれた豪奢な絨毯より紅いチャイナ服の裾がふんわり揺れる。
「おや、セレスト。坊ちゃんに付いてなくていいんですか」
「何もあんなアドバイスをしなくても」
ほら、やっぱり。やや眉間に皺を寄せた険しい顔。他人の痛み悲しみを敏感に察する人なのは百も承知だけど、この件に関しては明らかに考えすぎだし、そんなに気を使われてはかえって困ってしまう。
「また、妙な気を回して。何も自虐的になって言ったわけではありませんよ」
「しかしですね」
「取りあえず、一言釘を差しておかないとダメでしょう。坊ちゃん、気持ちが盛り上がると抑えが効かなそうだし」
「だいたいあの方を冒険の旅などに出しません。どんなことをしても俺がお止めします」
「無理ですね」
事も無げに返され、セレストの頬の辺りが一瞬引きつった。
「断言しますか」
「セレスト、何だかんだ言って坊ちゃんに甘いですから」
「・・・・・・・・・・(ひ、否定できない)。。」
そこまで密に接触したわけでもないのに、ダンジョン内外や再会後のやり取りだけで、自分とカナンとの関係性をすっかり見抜かれている。
「旅立ちが避けられないのなら、それに備えた対策を練った方がいいでしょう」
「いえ、必ず阻止します」
「ダメな方に一億GOLD」
形にした言葉こそ冗談半分だが、あの強靱な意思を持った少年が思い定めた決意は、セレストに限らず、誰ひとり覆すことは出来まい。直観的に白鳳はそう確信した。
「そういうことを言いますか、貴方は」
「ふふふっ」
楽しそうに含み笑いをする彼の頬を掠めた銀の糸が揺れる。どう抵抗したところで言い負かされそうだったので、セレストはこの件での争いを諦めた。心なしかちりちりと頭が痛む。
「まあ、それはそれとして・・・・・白鳳さんがそこまでカナン様の身を案じてくれるとは正直、意外でした。」
「何か勘違いしていませんか。別に私は坊ちゃんのためにアドバイスしたわけではありませんよ」
「え」
せっかく切り出した内容をあっさり否定され、気の抜けた声を漏らしてしまった。そのリアクションが可笑しかったのか、白鳳は笑いを噛み殺しつつ、先を続けた。
「だって、坊ちゃんが出立するとなれば、貴方が付いていかないはずはない」
「無論、そうなるでしょうね」
カナン旅立ち前提の話に参加させられたのは不本意だが、唐突に話の流れを変えるわけにもいかない。
「坊ちゃんは好奇心の赴くまま、どこでも怖めず臆せず探索しますよ。昔の私みたいに」
「・・・・・・・・・・」
「そして、坊ちゃんが無茶をすれば、そのとばっちりを食うのは間違いなく貴方だ」
「そ、そんなものですか」
ぼかして答えたものの、悲しいかなそういう場面も容易に、しかも何パターンも頭に浮かんだ。伊達に苦労話で精霊の涙をゲットしていない。
「氷のダンジョンでも躊躇せず坊ちゃんを庇った貴方です。たとえどんな状況下でも絶対、坊ちゃんに被害が及ばないよう振る舞うと思います」
「しかし、それが何か」
「鈍い人ですね。坊ちゃんの行動次第で、貴方、スイのようになってしまうかもしれないんですよ」
「きゅるり〜」
「あっ」
情けないことにここまで指摘されて、白鳳の意図がようやくはっきり理解できた。
「もしそんな事態に陥れば、ふたり分の解呪の方法を求めて、歩かなくてはいけないですから。さすがにそれは厳しいのでね」
「それでカナン様にあんなことを」
「私はそこまでお人好しじゃないので、別に坊ちゃんがどうなろうと知ったことじゃありませんが」
露骨に視線を逸らして皮肉めかして。言葉とは裏腹にセレストには彼の真意が痛いほど伝わってきた。カナンに自分のような苦しみを背負わせたくないから、わざわざ己の心の傷に触れてまで、忠告してやったに相違ない。



「だけど、万が一、俺が呪いにかかったとしても、白鳳さんが解呪のために尽力することはありませんよ」
白鳳の口からごく自然に”ふたり分”と出たときは、驚くと同時に心底感激した。が、実際、彼にそんな負担をかけるわけにはいかない。今ですら健気に自分を支えて闘っている人なのに。
「なぜですか」
「貴方にとってスイ君のことが最優先なんですから、俺のことは忘れて下さい」
凪のごとき穏やかな眼差しをして、セレストはきっぱり言い切った。陽が陰ったのか、窓から差し込む光が急激に薄らいでいる。
「そんなこと出来るわけないでしょう」
「俺の解呪まで手を出したら、その分、スイ君の呪いが解ける日が遅れるし、貴方が心身共に疲れ果ててしまいます」
当然、白鳳は引き下がらない。きっとまなじりを決して、言葉を選びながら切り返してきた。
「スイと貴方と二者択一なんて出来ません。確かにスイは掛け替えのない弟ですけど、貴方はまた別の次元で大事な人なんです」
「何を言っているんですか。貴方の負担を考えたら、スイ君のことに絞るべきです。そうしなければ、必ず参ってしまいます」
「あいにくそんな弱くは出来てませんから」
「また、意地を張って」
「・・・・・・・・・・」
咎めるみたいに投げかけられた一言に答えぬまま、白鳳はスイのお尻の上あたりを何度か撫でてやった。目を細める弟の反応に少し口元が緩んだ。が、すぐに表情を引き締めると、緑の瞳を真っ直ぐに見つめて切り出した。
「セレストこそ、一生元に戻らなくてもいいんですか」
「やむを得ません。それが運命だったんです」
「そんな自己犠牲の精神なんてくだらない」
白鳳がせせら笑うように呟いたので、セレストの眼光が瞬時に鋭くなった。
「くだらないとは何ですか」
「私に言ったじゃありませんか。スイのために何もかも犠牲にするのはおかしいと。それと同じことを今度は貴方がするんですか」
「俺はカナン様の従者なんですから、そうするのは当然のことです」
「坊ちゃんだって、そんなことこれっぽちも望んでいないって知っているくせに」
ウルネリスの化身との闘いの時、カナンが必死に訴えた言葉が全然身に染みてない。対カナンに限れば、セレストの方がよっぽど己を大切にしていないではないか。そう考えると、白鳳は苛立ちが抑えられなかった。
「これは俺とカナン様のことです。白鳳さんには関係ない」
「関係あります。好きな相手が主君の人柱に甘んじるのを、見過ごせるはずないでしょうっ」
「俺だって貴方をみすみす大変な目に遇わせるのは本意ではありません!!」
「きゅ、きゅ、きゅるり〜。。」
彼らの険悪な雰囲気にスイは困り果て、兄の肩から二の腕にかけてうろうろしている。けれども、争いは一向に収まる気配がなかった。
「全く頑固な人ですね」
「それはこっちのセリフです。とにかくそうなった暁には俺のことはすっぱり忘れて」
「イヤです!!スイも、貴方も、どっちも捨てないっ!!!!!」
こんな大声が出るのかとびっくりするほどの勢いで白鳳が叫んだ。
「それは単なる欲張りのわがままでしょう」
そっけなく言いつつも、セレストは自分の前でカナンと白鳳が同時に危機に陥った場合をぼんやりと想像した。俺は果たしてどちらを選ぶんだろうか。
「そうですよ、大人のわがままは質が悪いんです」
小憎らしい言い様でぷんとそっぽを向かれた。
「開き直らないでくれませんか」
たら、ればの内容で本気になって議論している現状を、滑稽ともなんとも感じないあたり、そののぼせ上がりっぷりが知れようというものだ。口を真一文字に引き結んで、なおも険しい顔付きで睨み合っていたふたりだったが、その時、不意にドアが開いて、金髪頭がひょこんと飛び出した。
「うるさいぞ。パルナス教授がびっくりしてるじゃないか」
「坊ちゃん・・・・・」
「きゅるり〜」
「す、済みません」
カナンに一喝されて、ようやく彼らは自分たちの言い争いの不毛さに気付いた。実際に起こってもいないことで、互いにエキサイトして、かなり声高に意見をぶつけあった。話の内容までは聞かれなかったものの、スイの話題も出ていたのに。全て互いを思うがゆえとはいえ、軽はずみで情けないことこの上ない。ふたりはそれぞれきまり悪そうに虚空に視線を泳がせた。
「痴話喧嘩ならよそでやれ」
「か、カナン様っ!!」
「・・・・・坊ちゃん、そんな表現を使うのは10年早いですよ」
真っ赤になって口をパクパクさせるセレストに対し、場数の違いか、さすがに白鳳は落ち着き払ったものだ。ふたりの様子を見比べて、やれやれといった顔付きで小首を傾げると、カナンはバタンと扉を閉じた。




仮定の話とは思えぬ激論をいきなり断ち切られ、言葉に詰まったのか、ふたりはしばし顔を見合わせた。ほぼ正面に位置する白鳳の端麗な顔を見遣りながら、セレストは改めて実感していた。
(もう、この想いは恋になる)
いや、朴念仁な己の自覚が薄いだけで、とっくの昔に転じているのかもしれない。1年前の酒場で芽生え、宿屋での仮初めの夜から膨らみ続けた心の痛みにも似た気持ち。いつしかそれは甘さもときめきも含んだものとなり、胸の奥まで浸食していた。今更、躊躇したところで何になろう。度胸を決めて、己の心境をストレートに伝えるべきだ。白鳳の手を取ることで、ひょっとしたら、失うものもあるかもしれない。けれども、それを恐れていては、もっと大切なものを掴むことは出来ないし、最初から100%上手く行かなくてもかまわないではないか。焦らずに一歩一歩積み上げていって、いつか納得の行く状態を作り出せばいい。ここまではっきり方針を定めてしまうと、不思議なほど穏やかな気分になれた。まだ、次の話題を決めかねている彼に対し、力強く言いかけた。
「明後日、非番なんです。そのときにまた会ってくれますね」
「ええ、喜んで」
セレストの方からはっきり誘ってくれたのが嬉しかったのか、白鳳は整った口元を軽く綻ばせた。
「天気が良かったら、外を歩きましょう」
「では朝から貴方の家でお待ちしています」
大切な話があるとは敢えて言わなかった。そんな大げさに構えず、何気ない会話の中で自然に口にしたかったから。
(やっと白鳳さんの言葉に正面から応えられる)
自分が踏ん切りを付けないばかりに、随分待たせてしまった。その間、彼の人に余計な戸惑いや不安を抱かせたと思うと、申し訳なさで一杯だ。だけど、ようやく率直な想いを打ち明けられる。その時、彼はどんな反応を見せてくれるのだろうか。
「それではこれで失礼します」
「また明後日に」
「きゅるり〜」
スイも交えてにこやかに別辞を交わした後、こちらを何度か振り向いたものの、セレストはカナンの部屋に戻り、厚いドアが静かに閉ざされた。彼は自分の世界に帰って行った。白鳳にはなぜかそんな気がした。ドア一枚で隔てられた向こう側がとてつもなく遠く感じ、息を詰めてその焦茶色の扉を見つめ続けていた。



FIN


 

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