*ひと粒1万GOLD*



うららかな陽射しを背に、白鳳は足取りも軽く街道を抜け、新芽を散りばめた森の中へ入った。春の訪れを告げる可憐な花を踏まぬよう、周囲に気を配りつつ、ゆっくり歩を進める。やがて、真紅の瞳に木々の隙間から覗く見慣れたテントが映った。
「あった、あった」
てっぺんではためく和み系のペナントも、いつもとまるっきり変わりない。目標を捕捉した白鳳は、小走りでテントに近づくと、扉代わりの麻布を勢い良く脇へ寄せた。
「おや、親分さんおひとりなんですか」
てっきり、丸っこい生命体に取り囲まれると思っていたのに、白鳳を迎えたのは褐色の大男だけだった。道理で出入り口の前まで来ても、キンキン声の大合唱が聞こえなかったはずだ。しんと静まりかえったアジトには、違和感と共に多少の寂しさが漂うのは否めない。
「て、てめっ、いってえ何しに来やがったっ!?」
白鳳からすれば、単なる彩りでしかないバンダナ軍団の有無も、現在のアックスにとっては死活問題である。寄りによって、腐れ××野郎と狭いテント内にふたりきり。まさに襲ってくれと言わんばかりの、最悪のシチュエーションだ。こんなことなら、子分と一緒に洗濯か、プリリン豆採集へ行くんだった。痛恨の判断ミスに歯ぎしりしながら、アックスはさり気なく鉈へ手をかけ、身構えた。図体に似合わぬ、相手の臆病な反応に、白鳳は笑いを噛み殺して言いかけた。
「そんなに怖い顔しないで、素敵なイベントを仲良く楽しみましょうv」
「イベントだとぉ」
「ええ、今日はホワイトデーじゃありませんか」
「ホワイトデー・・・何だ、そりゃ」
色恋関連の行事に疎いアックスでも、さすがにバレンタインデーは知っていたが、ホワイトデーについては、聞き覚えがある程度の認識だった。
「イヤだ、親分さん、ひょっとしてホワイトデーを知らないのぉ?」
アックスが真顔で首を捻ったので、白鳳はあっけに取られて叫んだ。いい年こいた成人男性のくせに、まさかここまでイベント知識がないとは。まあ、4色バンダナを引率して、浮草家業を続けていれば、子供向けの行事を押さえるのが精一杯かもしれない。
「けっ、んなもん、知らなかろうが大勢に影響ねえ」
白鳳に馬鹿にされたと感じたのか、アックスはいかにも不快そうに吐き捨てた。怒りが高じて、こめかみに怒張が浮きかけている。どうやら、本当にホワイトデーのホの字も分かってなさそうだ。
(特製プリンでもご馳走になって、帰るつもりだったけど・・・)
白鳳の頭にむくむく悪巧みが浮かんできた。整った唇の両端が悪戯っぽくきゅっと上がる。
「困りましたねえ」
「どうしておめえが困るんだ」
「だって、ホワイトデーはバレンタインデーのお返しを贈る日なんですよ」
「ぐっ」
”お返し”という言葉を耳にするやいなや、アックスの胃が捻れたように痛んだ。受けた恩恵は綺麗サッパリ忘れても、気まぐれで施した厚意は何万倍にもして取り返す強欲な悪魔である。こいつの辞書に”無償”の一語はない。毎度お馴染み、不吉な予感が激しく渦を巻いて押し寄せる。もちろん、白鳳は今回も負の期待を裏切らなかった。
「バレンタインの日に心を込めた手作りチョコをプレゼントしたでしょ」
「まあな」
白鳳に恩着せがましく言われ、アックスはうんざりした面持ちで呟いた。確かに、まともな作品を貰った子分連中は皆、喜んでいたが、アックスが渡されたのは本命と銘打った、白鳳のタマとサオ型(実物大)チョコなのだ。どこの世界に、義理チョコよりおぞましい本命チョコがあるものか。しかし、白鳳はアックスの苦い思い出をこれっぽちも理解しようとせず、一方的に見返り相場をまくし立てた。
「世間では手作りチョコひとつにつき、最低1万ゴールドのお返しが主流なんですよねえ」
「うげえっ」
冗談じゃない。白鳳が持参した子分用のチョコは、少なく見積もっても100粒以上あった。単純に計算しても100万ゴールドだ。蓄えもなく、ギリギリの生活をしている盗賊団には、1万ゴールドだって払えやしない。白鳳のでっちあげにまんまと引っかかり、アックスはショックで顔面蒼白となった。



法外な金額を提示され、口をあんぐり開いたままのアックス。締まりのないまぬけ面を一瞥すると、白鳳は事も無げに言い切った。
「市街地の銀行でも襲撃したら、100万や200万くらい、すぐ調達できますって。なんなら、私が手伝ってあげても・・・」
「黙りやがれっ!うちの盗賊団の獲物を決めるのはこの俺だっ!!」
ハイエナ顔負けのこいつのことだ。絶対、100万や200万の収穫で引き下がったりはすまい。銀行の金庫が空っぽになれば、地道に金を貯めた老若男女が、深刻な被害を受けかねない。被害者が大打撃を受けるようなやり口は、アックスのポリシーに反するのだ。
「ふんだ、盗人のくせに妙な拘りを持つから、いつまでも貧乏暮らしなんです」
「うるせえっ!!だいたい、チョコひと粒の返礼が1万ゴールドなんざ、俺は断固として認めねえぞっ!!」
「無知にも程がありますよ、親分さん。今日日、エンゲージリングだって、年収5年分は当たり前なのに」
流行りモノに聡そうな白鳳にしたり顔で語られ、己の認識との相違に、アックスは少なからぬ不安を感じた。
「お、俺が聞いた話では、給料3ヶ月分だったはずだが」
「いったい何十年前のネタですか。恋愛相場は日々変化し続けてます。ったく、もてないオトコには話が通じなくて困っちゃう」
正直、腐れ××野郎につきまとわれるくらいなら、彼女いない歴=年齢の方がまだマシだ。にしても、男所帯で保父生活に明け暮れている間に、世の中すっかり変わっていたらしい。恋人たちの他愛のないイベントに、多額の金銭のやり取りが絡んでくるなんて。
「くそっ、騙されたっ。あの日、チョコさえ受け取らなきゃあ」
我が身の迂闊さを呪い、長椅子を蹴飛ばして悔しがるアックスを、白鳳は微妙に顔を引きつらせて眺めている。わずかでも気を抜くと、笑い転げてしまいそうだ。騙されどころが180度違うことに、これっぽちも気付いていない。相変わらず、単純で生真面目で、からかい甲斐のある愉快なおもちゃだった。
「ま、親分さんと私の仲ですから、50万ゴールドに負けてあげてもいいですよ」
「てめえなんぞに1ゴールドだって払えっかっ!!」
口調こそ強気だが、アックスは内心、白鳳に圧倒されていた。そもそも、各国の物価や庶民の稼ぎを考えたら、まともな一般人が家計を圧迫する散財をするわけがない。1対1で対峙する不運も手伝い、プレッシャーで冷静な判断力を欠いているのは明らかだった。
「下僕の分際でいっちょまえの口をきくんじゃありません。どうやら、調教の必要がありそうですね」
「ぐぬぬぬぬ。。」
白鳳は鞭を解くと、威嚇するごとく、土間に叩き付けた。鋭く尖った音に、全身が総毛立つ感覚に襲われた。圧倒的な体格差にもかかわらず、アックスは腕ずくでも白鳳に敵わない。玉砕覚悟で戦った後は、金銭のみならずカラダも奪われるのだろう。悲惨な未来図が浮かび、暗澹たる気分で息を吐くアックスだったが、好漢の難儀に天も同情したのか、思いがけぬ救世主が現れた。
「親分さん、失礼します」
「ぎゃっ」
麻布を捲り、遠慮がちに顔を覗かせたのは、白鳳のお目付役も兼ねる紺袴の従者だった。予想もしない、かつ最も不適切なキャストの登場に、白鳳は我知らず素っ頓狂な声をあげた。一方、アックスは嬉しげに口元を綻ばせ、心より歓迎の意を示した。
「おう、どうした」
「これ、ハチから盗賊団の皆さんへ」
神風が懐からビーカーサイズの硝子瓶を出した。中は栄養満点の蜂蜜で充たされている。料理の味付けにも重宝するし、飲み物に入れても美味しい。
「蜂蜜か、ありがてえ」
差し入れ自体より、むしろタイミングが値千金だった。危うく白鳳の生贄になるところを救ってくれた男の子モンスターには、いくら感謝しても感謝し切れない。アックスは硝子瓶を恭しく受け取ると、食器や調味料が並んだ木箱の上へ置いた。片や、せっかくのお仕置きタイムが中断され、白鳳は露骨に眉を顰め、舌打ちをした。
「ちょっとぉ、なぜハチが届けに来ないのさ」
「私では都合の悪いことでもあるのですか」
努めて淡々と切り返したものの、自分を見た瞬間の、白鳳の慌てふためきぶりが気にかかる。アックスとのひとときを妨げる気はないが、ここは詳しい状況を探った方が良さそうだ。神風は改めて白鳳の仕草と声音に注目した。
「べ、別にそんなことないけど、いつもなら親分さんのプリン目当てに、浮かれてやって来るじゃない」
脳みそ3グラムのハチなら、この場はどうとでもごまかせた。ハチだってホワイトデーの正確な意味など知らないのだ。
「ハチはスイ様とお昼寝中ですから、私が代理で届けに参りました」
「代わりなら、何も神風じゃなくたって」
「まるで、私が来てはいけないみたいですね」
切れ長の瞳が、真綿で首を絞めるように鈍く輝く。
「・・・・とにかく、用事が済んだんだから、神風はとっとと帰って」
神風にやんわり追い詰められ、答えに詰まった白鳳は、やむを得ず実力行使へ走った。後ろに回って、諸手を神風の背にかけると、出口目掛けて力任せに突き飛ばす。しかし、神風は巧みに華奢な腕を外すと、くるんと振り返って、白鳳を真っ正面から見据えた。性懲りもなく、白鳳は悪さをやらかした。すでにこの時点で、神風は400%確信していた。



正しい経緯を把握するには、偽りを言わない真っ当な人間から、事情を聞くのが一番だ。もはや主人を見切った神風は、アックスを気遣いつつ、穏やかに切り出した。
「差し支えなければ、白鳳さまとの話の内容を・・・」
「なあ、世の野郎どもはチョコひとつで、1万ゴールドもお返しをするもんなのか」
(ひえっ)
神風の発言が終わらぬうち、アックスから核心に迫る問いかけが発せられ、白鳳は即座にアジトからトンズラしたくなった。アックスはこれっぽちも怖くないが、神風は真底怖い。
「1万ゴールド?」
「こいつがバレンタインの返礼の相場は、そんくらいだとほざきやがってな」
アックスの素朴な疑問だけで、神風は全ての背景を悟った。ふたりの間にいかなる攻防があったのか、一言一句違わず想像出来る。こちらが迷惑料を要求されて当然なのに、どこまで他人を絞り上げれば気が済むのだろう。
「白鳳さま、よくもまあ恥知らずな出任せを」
「か、神風〜」
これ以上ばらすなと、必死で目くばせする主人を無視して、神風は申し訳なさそうに真相を述べた。
「金額的には決まった相場はありません。品物はキャンディやマシュマロが主流みたいですが、任意で感謝の気持ちを表せばよいと思います」
「この野郎っ、全部、嘘っぱちだったんだなっ!!」
神風が現れなかったら、最悪、100万ゴールドの借用書を書かされていたかもしれない。すんでのことで大損害を免れ、アックスはほっと胸をなで下ろした。だが、白鳳は悪巧みが発覚しても、謝罪するどころか、指先に銀の糸を絡めながら、いけしゃあしゃあと言い放った。
「嘘っぱちなんて失礼な。私が手ずからこしらえたチョコは、ひと粒1万ゴールドじゃ安いくらいです」
「ふざけんなっ!!子分たちの分はまだしも、俺のは二目と見れねえ代物だったじゃねえか」
「チョコレートでサオとタマを精巧に再現した技術は、まさに匠の技ですよねえ」
「こ、こいつ。。」
ああ言えばこう言う。開き直りと減らず口は、料理に勝る一級品だ。アックス単独では言い負かされかねないが、幸い、今は対白鳳に関して最も心強い味方がいた。
「白鳳さま、いい加減にして下さい。げてものチョコを贈られて、喜ぶ相手がいるものですか」
「ひっど〜い、神風。溢れる愛を込めてこしらえたんだよ」
アックスを加勢すべく参戦した、神風の容赦ない言い様に、白鳳は紅い瞳を揺らめかせ、大げさなアクションで身を捩った。が、今更、白々しいぶりっこ演技に引っ掛かる神風ではない。冷ややかな視線と共に、とどめの一撃が繰り出された。
「愛を込めて作った人は、見返りを要求したりしません」
「うううっ」
神風の的を射たツッコミに、白鳳は反論する術を失い、沈黙せざるを得なかった。アックスを好き放題弄び、得意の絶頂だったのも束の間、神風がやって来てあっけなく形勢逆転してしまった。眼前の従者を上目遣いで見遣ると、白鳳は胸の奥で痛恨のモノローグを吐き捨てた。
(く〜っ、こんな目に遇うのなら、4月1日に来るんだったっ。仮に、嘘八百が露見しても、エイプリルフールだもんvで、お茶目にごまかせたのに)
アックスはホワイトデー自体を知らなかったのだから、正確な日程に拘る必要はなかった。むしろ、万が一の事態を想定して行動すべきだった。思い付きの浅知恵に酔い、早過ぎた訪問を惜しむ白鳳だったが、神風の利発さは認識の斜め上を行っていた。続く一言に、しなやかな背筋が凍り付いた。
「白鳳さま、今、4月1日に訪れれば良かったと悔やみましたね」
「ぎくぅ」
思考パターンを完璧に見透かされ、白鳳は驚きを隠せなかった。戦慄と心憎さで、紅唇がワナワナ震える。主人が動揺した隙を突いて、神風は紅いチャイナ服の襟首をむんずと掴んだ。 
「さあ、さっさと宿へ帰りますよ」
細身の身体に似合わぬ剛力で、神風は無理やり白鳳の踵を返させた。
「わ〜ん、痛〜い」
「親分さん、いろいろご迷惑をおかけしました」
「お、おう、またな」
白鳳に振り回されっぱなしのアックスからすれば、神風の言動はお世辞抜きで神の領域だった。困った××者の心技体を把握した手腕の鮮やかさは、心ならずも被害者に甘んじる身にはただただ眩しい。アックスが感心して見守る中、白鳳は野良猫よろしく、神風に首根っこを掴まれ、テントから摘み出されるのだった。


COMING SOOM NEXT BATTLE?


 

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