*期待*
帰り際、なおも未練がましく下駄箱を三度ニ度と覗き込んで見たが、
私の年甲斐もない期待をあざ笑うように、いくら目を凝らしても映るのは薄汚れた自分の上履きだけ。
「ふう。」
思わずため息が声になって出てしまった。みっともないことこの上ない。
私はこれほどまでに今日という日を心待ちにしていたのだろうか。
例年なら冷ややかに鼻で笑っているだけの聖バレンタインデーに、
これほど踊らされる日が来るとは、この年まで想像もしなかった。
しかも、私が密かに贈り物を待ち望んでいる相手はこともあろうに男の子。
こんなこと間違っても誰にも言えぬ。
笑い者になるだけならまだしも、激務の疲れでは・・・・・と療養を勧められでもしたら厄介だ。
けれども日頃の言動を考えれば、カヲルだったらやりかねないと思っていた。
クリスマスの時だっていきなり家に押しかけてきて、ひがな一日街を引き摺り回された。
あとで息子への言い訳に苦心惨憺したぞ。
それどころか、元旦にも朝9時前から家の前で待ち構えていた。
行く気のなかった初詣に駆り出され、お年玉までがっぽり巻き上げられたものだ。
そうだ。確かそのとき「バレンタインデーには期待しててよ。」と言っていたではないか。
なのに、ぜんぜん音沙汰無しなのはいったいどうしたわけなのか。
教室でチョコのやり取りをしている生徒たちもいたのに、カヲルは全くそ知らぬ顔。
すっかり肩透かしを食ってしまった。
なぜかどっと疲れてしまい、足取りも重く帰宅の途についた。カヲルはすでに下校したらしい。
なんてヤツだ。今日に限って、「一緒に帰ろう」とも誘って来やしない。
・・・・・・・・・・まあ、頭を冷やして考えてみれば、カヲルほどの容姿の持ち主だったら
チョコレートの山に埋もれてもおかしくないのだ。もしかしたら、可憐な少女に熱い告白を受けて、
冴えないオヤジのことなど一辺で吹き飛んだのかもしれない。
仕方あるまい。それがあるべき姿なのだから。
そもそもいい年をしてあらぬ期待に終日振り回された私の方が愚かだったのだ。
「あ〜、遅いなあ。もう、どこほっつき歩いてんだよ〜!!」
聞き覚えのありすぎる声にいきなり怒鳴られて、一瞬驚いた後に、我知らず口元がほころんで行くのを感じる。
門の前にはあれほど待ち望んでいた彼の少年のすんなり伸びたシルエット。
「へへへ〜、もう見捨てられたと思ってた?」
上目遣いでこんな小憎らしいことをほざくカヲル。
「何を言うか。」
「知ってるんだよ。何度も下駄箱やロッカーを調べてたくせに。」
なんてことだ。しっかりカヲルに観察されていたらしい。
気恥ずかしさもあって、そっぽを向いていると、カヲルの方から駆け寄ってきた。
「はい。」
屈託なく笑って、持っていた包みを勢い良く差し出す。
「自分で作ったんだよ。っていっても板チョコを型に流し込んだだけだけど。今年はこれでカンベンしてよ。」
「うむ。」
躊躇いがちに差し出した私の右手に、待ちきれないといった風にカヲルが強引に包みを握らせた。
「ちゃんと味わって食べるんだよ。横流しとかしたら承知しないからね。」
「う、うむ。」
「じゃ、また明日ね〜!!」
言うだけ言うと、くるりと身を翻して、カヲルは一目散に駆け去ってしまった。
街灯に照らされた白金の髪の鈍い輝きだけが、妙に暖かくいつまでも瞳の奥に残った。
しかし、タダほど高いものはないのだ。
来るべきホワイトデーに思いを馳せると、心に重苦しい枷を感じずにはいられない私だった。
TO BE CONTINUED
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