や行
山形 勲(1996年6月28日逝去 享年80歳)
時代劇の名わき役で知られる俳優の山形勲(やまがた・いさお、本名・塙勲=はなわ・いさお)氏が28日午前六時十五分、肺結核のため東京都府中市の都立府中病院で死去した。英・ロンドン出身。自宅は東京都港区六本木。
昭和5年、日本俳優学校を振り
出しに東宝劇団を経て、17年に山村聰氏と文化座を結成した。のちフリーとなり、24年、東宝「斬られの仙太」で映画デビューしてからは、主に戦後の映画界、とくに東映時代劇の悪役スターとして名をはせた。東映城の悪の花園の参謀格。善役でも「一心太助」シリーズの知的な役柄が多いが「旗本退屈男」や「大菩薩峠」などでは、市川右太衛門、片岡千恵蔵らの敵役として人気を得た。
晩年は、テレビ番組の人のよいおじいちゃん役を好演。「剣客商売」などに出演。1995年4月、NHKの戦後五十周年記念ドラマ「されどわが愛」を体調不良をおして収録し、これが最後の作品となった。
山村 聡(2000年5月26日逝去 享年90歳)
「ただいま11人」「華麗なる一族」「必殺仕掛人」などで知られる俳優山村聡さん(やまむら・そう、本名古賀寛定=こが・ひろさだ)が26日午後、中野区内の病院で急性心筋梗塞(こうそく)のため死去していたことが28日、分かった。1910年(明治43年)奈良県天理市生まれ。35年(昭和10年)東京帝大文学部卒業後、舞台活動に入る。46年「生命ある限り」で映画初出演。47年「女優須磨子の恋」(溝口健二監督)で田中絹代演じる松井須磨子の愛人・島村抱月役に抜てきされ、その後、主演俳優となった。52年、独立プロの「現代ぷろだくしょん」を設立。翌年自ら監督した「蟹工船」など6本の社会派作品を監督する一方、「東京物語」「四十八歳の抵抗」など数多くの映画で名演技をみせた。
数々の映画で活躍したが、人気を決定づけたのがテレビ創成期の1964年(昭和39年)にスタートし、大ヒットしたTBSの大家族ドラマ「ただいま11人」の父親役だ
った。荒木道子さんと夫婦役で、会社の設計部長だった。池内淳子、渡辺美佐子ら娘7人、息子2人の父親で、父親の権威を押し付けず、一緒に悩む姿が視聴者を引き付けた。当時放送された「木曜午後8時枠の主」とまでいわれた。同ドラマは石井ふく子プロデューサーに3カ月だけと頼まれ出演したが、3年半以上も高視聴率を保った。山村さんは財界の内幕にメスを入れた現テレビ朝日「華麗なる一族」などで社会派を演じ、緒形拳、林与一と組んだヒット時代劇「必殺仕掛人」では音羽屋半右衛門を演じ、こちらも人気を得た。「忠臣蔵」はライフワークだった。
また、日米合作映画「トラ トラ トラ!」では山本五十六を演じた。同映画は米アカデミー賞特殊効果賞を受賞し、山村の名も世界で知られるようになった。
趣味は釣りで釣具店を経営したこともある。
又、趣味のヨットがこうじて手作り艇を持つほどで、暇があれば設計図と闘っていたという。ドラマ、映画の監督としても活躍し、86歳の時には、「父(チャン)と呼べ」で舞台初演出を行い、元気な姿を見せていた。77歳の時に舞台出演中、ろっ骨を3本折り入院したことがあったが、特に病歴もなく、山村さんの死去に関係者は驚きの色を隠せなかった。
ユーディ・メニューイン【イェフディ・メニューイン】(Yehudi Menuhin1999年3月12日逝去 享年82歳)
世界的なバイオリニストで指揮者としても活躍したユーディ・メニューイン氏が12日、心不全のためベルリン市内の病院で死亡した。 メニューイン氏は1916年4月、米ニューヨークのユダヤ系ロシア人の家庭に生まれた。七歳でバイオリニストとしてデビュー。十二歳のときにはブルーノ・ワルター指揮のベルリンフィルと共演して、バッハ、ベートーベン、ブラームスの協奏曲を演奏。このコンサートを聴いたアインシュタインが、「神が存在することを確信した」と語ったエピソードは有名。 第二次世界大戦前は大胆な技巧と情熱的な演奏で知られた。戦後はドイツの名指揮者フルトベングラーとの競演がきっかけとなってより精神性の高い表現に傾斜していった。
後進の指導にも熱心で、1958−68年にはスイスのバース音楽祭を主催。バイオリン教本の著作がある。また、ジャズのバイオリン奏者と競演したレコードもある。後に英国に帰化し、エリザベス女王から名誉騎士号を得たが、演奏や指導のために世界中を旅する生活だった。77歳でバイオリン奏者を引退、その後は指揮活動に専念していた。
萬屋錦之介(1997年3月10日逝去 享年64歳)
「笛吹童子」や「宮本武蔵」などで時代劇映画の全盛期を支えた大スター萬屋錦之介さんが10日午後二時四十一分、肺炎のため千葉県柏市の国立がんセンターで死去した。東京都出身。自宅は東京都世田谷区用賀
歌舞伎俳優、3代目中村時蔵の4男として東京で出生。本名・小川錦一。3歳のとき中村錦之助として初舞台を踏む。。中村錦之助の名前で若手女形のホープとして出演していたが、昭和29年、故・美空ひばりさんと共演した『ひよどり草紙』が、映画のデビュー作。同年東映に移り、「笛吹童子」「紅孔雀」といった娯楽時代劇で一躍人気者となる。ほかに「一心太助」シリーズや「織田信長」「宮本武蔵」「武士道残酷物語」などに主演、東映時代劇黄金期のスターとして活躍した。歌舞伎の世界から映画に飛び込んだ理由を、「門閥もなにもない、力だけで伸びていける映画の世界の方が魅力的だった」と語った。出演作は百五十本に上る。時代劇人気の下降から、東映はやがて任侠(にんきょう)路線への転換を図る。39年「日本侠客伝」などに出演したが、もう時代劇映画は作らないと聞いて東映を去る決心をする。41年にフリーとなった後、43年には中村プロダクションを設立。TBS「真田幸村」、NHK「春の坂道」とテレビに進出。中でも日本テレビ「子連れ狼」は高視聴率を上げたが、「テレビはどうしても人物に寄らざるをえない。描写力では映画に勝てない」と常々話していた。、47年、萬屋錦之介(萬屋は歌舞伎の屋号)と改名。57年には中村プロが倒産、原因不明の重症筋無力症という難病で倒れるという二重の不幸に見舞われたが、59年のスペシャルドラマ「子連れ狼」でカムバックした。
私生活では女優の有馬稲子さん、淡路恵子さんと結婚、離婚を繰り返し、平成二年、元宝塚女優の甲にしきさんと再々婚した。俳優の中村嘉葎雄(旧 賀津雄)さんは実弟に当たる。
最近は舞台「女三の宮」(平成4年)やNHK「花の乱」(6年)、同「カンパニー」(8年)に出演。今年の大河ドラマ「毛利元就」にも出演する予定だったが、病気のために降板。昨年七月、中いん頭がんの手術を受けた後、リハビリに努めていた。