99年

イラスト/春風サキ

「一息のエロ劇画」(’99/1)

 たった350円前後のエロ漫画誌さえ、サッパリ売れない超ドン底の橋龍&小渕不況。各出版社とも、「ボーナスが出るのはこの冬限りか……」てな声まで出てるらしく、来年はネーム(台詞)の写植貼りくらいしか特技のない、何人もの“元エロ漫画編集者”が、新たに上野や新宿のホームレスの群れに加わっているかも。
 そんな中、ここ10年以上「絶滅寸前のとき的存在」と言われ続けたエロ漫画誌が、比較的健闘している。“池の中のクイ現象”、つまりほとんどが廃刊になり、水位が下がったため、相対的にクイが露出したに過ぎないが、ともかく明るい話は超貴重。
 ただ、たとえばB5判平とじロリコン漫画界での『夢雅』のような、突出した物があるわけではないらしい。で、『漫画ローレンス』で有名な下請け、海鳴社の『漫画トレビアン』(綜合図書・定価330円)11月号を買う。奥付に第14巻通巻158号と。もう14年以上継続しているわけだ。エロ劇画がときと化す期間を生き抜いたのだ。大したもの(綜合図書は辰巳出版系だから、同社の業界一の営業力にも助けられたろうが)。
 巻頭カラーはゆめひろみ(夢野ひろし)の「淫靡テーション」。20年前とまったく変化ない絵とストーリーなのに、なぜ改名を? 題名センスも70年代的。本当にこんなもんが売れてんの? 続いて紫れいか「平成女学艶」。筋はちょっと凝っているが、頭が男女ともに異常に小さい。「慰中の人」のエンジは、近頃デビューした新人?。ただ、続く「他人の不安は密の味」のストレス原同様、絵が淡泊すぎ(これは海鳴社系エロ劇画家全体の弱点)。
 ケン月影の2色イラストが4ページ続いた後(何様?コピーばっか使ってるくせに!)、富田茂の「性なる夜」第26話。ここらからグッと修正が甘くなる。描線は年齢の割に湿度十分だが、女の表情が気持ち良さそうに見えない。かつての三条友美と並ぶ大スターだが、近頃は単行本も、消費税並の印税しか出さないので有名な、久保書店でしか出ない。ロリコン、エロ劇画を問わず、同書店から本を出すようになったら、漫画家も落ち目というわけだ。
 その後、平むつ生、長田要という、ふたりで一人前レベルの作家が。クイが再水没する日も近い。一時期の幸せを味わえ、エロ劇画!!

「柳生柳」(’99/2)

 独自の戦いを続けてるのは、選挙戦でのかつての赤尾敏や東郷健だけではない。エロ漫画界にも、その種の雑誌はちゃんとある。『漫画ジャンボ』『フラミンゴ』『姫盗人』、今回取り上げる『ダンシャク』は、その筆頭ではないか。
 共通するのは独自のヤボったさだ。今のロリコン系漫画は、圧倒的シェアのコミックハウス系、質ではそれを凌駕する『夢雅』系、水ぶくれの司書房系、他社の使い古し系……いやワニマガジン系、落ち目の漫画屋&モア系、ギトギトの東京三世社系等に区分出来るが、独自派は文字通り、「関係ないもんね〜!」って感じ。
 『ダンシャク』1月号も、そんなムードたっぷり。巻頭カラーの浅野めゆしからして、四流レディコミ漫画家が、バイトで描いてんじゃと思わせるイモさ。茶&アイを基調の4
色も、あまりのアナクロさに、逆に心がなごむほど。“心がなごむ”――どうやらこれは、意図的か偶然かは別として、同誌のコンセプトかも。
 読んでいて、心をささくれさせるものがない。すべてが既視感に満ちているから、安心出来る。古臭いと切り捨てるのは容易だが、『ジャンボ』あたりに比べれば、誠実な末端の農協職員のように、コツコツ努力している。むろん、“エロ漫画界の『漫画ゴラク』”とまで持ち上げる気はないが。
 中で唯一、来年はもう21世紀なんだと今を感じさせるのが、「愛の才能」を描いている柳生柳。肢体と髪の描線が非常にエロい。商品価値は前出の浅野めゆしの比じゃなく、浅野が20ページで柳が16ページというのは、常軌を逸した台割作りとしか思えない(柳生にも背景がない、つまらんギャグ過剰等の欠点はあるが)。
 巻中カラー20ページを描いている桃川げんは、ちょいと前まで『漫画バンプ』でエロ劇画を描いていた牛田モー吉じゃ? ページ配分が根本的に間違っている気がする。で、誰が編集をと投稿ハガキの応募先を見ると、ネオ出版とある。あっ、わかった! ここって東京三世社で活躍していた仙田さんが設立した編プロだ。あの人、もういい年なんだから、超オヤジ趣味なんだ。納得!(ちとわざとらしかった?)
 この手の雑誌をおちょくんのは簡単。が、娯楽雑誌延命のコツは飽きを知らぬ保守性にあるのは事実。21世紀まで生き延びるだろう。

『葛城ゆう』(’99/3)

 季刊雑誌として第1号が出た『妖艶BODY』(一水社・A5判平とじ・定価500円)は、人妻物を売りにしたロリコン系漫画誌。定期雑誌としては初めての企画か?(『クリスティ』の後釜らしい)
 執筆陣はPOOH、ゼロの者、鈴木キムチ、DELTA・Mとまあまあ。『夢雅』以降の新規漫画誌らしく修正も甘く、うまくいけば第二の『姫盗人』になれるか? けど、今時、季刊てのは腰の引け過ぎ。せめて隔月じゃないと、固定読者獲得は至難の技では。
 「玉子焼きの朝」なる、わずか10ページの作品を描いている葛城ゆうは、描線が等高線のように弱々しく、グニュグニュし過ぎるきらいはあるが、独特のエロさを放っている。小学校高学年らしい主人公の少年の母親は看護婦さんで、3年前に夫を亡くした26歳の女盛り。このママが男を引っ張り込む。それを覗いた少年がオナニーにふけるという、笠間しろう以来の、エロ漫画の王道パターン。
 どこがいいのかといえば、まずは女体の構図。特別に斬新なアングルを考えてついてるわけではないが、露出の快感を知ってしまっていつつも、未だに羞恥心を捨て切れずにいる女の視線と、大胆な肢体のアンバランスさの描写が抜群だ(一方だけなら誰にも描けるが、緊張感がなくたいくつなのだな)。
 次にネーム。5ページ目で、女上位のママが男に言う。「ね…座ってくれる?」「えっ」「フフ…一気にムリしないの(はぁと)」(この部分手書き)「あなた病みあがりでしょ。だ・か・ら…」「これより由紀子が体力回復の手厚〜い看護をさせていただくわ(はぁと)」 読者はすでに、覗いてる少年と一体化している。ここでのママの会話は、読者の視点を知らず知らずのうちに男へとワープさせる。論理的必然性より、センズリ的身勝手さこそ、ポルノを味わう醍醐味なのだ。少々わずらわしいこの種の手続きこそが、ポルノをポルノたらしめる上で非常に重要なのだが、凡人(POOH)にはそれが理解できない。
 ママは玉子を使ったフェラをしたりするが、このアイディアは構図や視点の面白さに比べると退屈。それより、正常位でフィニッシュに至る際の、ママの脚の裏に添えられた彼女の手がエロい。ただ、この際の体位がわかりにくい。もう一回転しているらしいが、このコマ割りじゃ青少年に理解不能。

「道満晴明」(’99/4)

 縄つき覚悟のオマンコ&チンポ丸出し漫画誌、『夢雅』(桜桃書房)や『姫盗人』(松文館)はむろん立派だし楽しいが、露出過剰な内蔵に胸やけしたら、『快楽天』(ワニマガジン社)はいい薬になる。
 加藤礼次朗、かるま龍狼、華沢れな、大塚ぽてと等、他社から引っ張っただけの、一山百円くらいの鼻糞漫画家はどうでもいいが、自社育成グループらしい、OKAMA大センセイをはじめとする(この人に巻中カラー3ページを含む計23ページを任せる編集者の度胸にゃ、ただ脱帽あるのみ)、道満晴明、YUGといった非売れ専系漫画家の起用には、相変わらず瞠目せざるを得ない。
 あるいは絵本作家として大成するかもしれない、YUGには今回触れず、「#」なる作品を描いている道満晴明について。この人、どうしようもなく下手。ファンのOKAMAセンセの漫画を読み、見様見まねで描いて投稿したら、なぜか採用されちゃったって雰囲気(でなけりゃ、OKAMAセンセのアシを半年ばっかしてたら、原稿を取りに来た編集に、「ちょうど一本分あいてっから、描いてみる?」の一声で載っけちゃったというか……)
 話も陳腐。ギターを女のコに見立てて、グダグダグダ。とても1999年のエロ漫画誌に載ってる作品とは思えない。たった16ページなのに、32ページは読まされた疲労感でクラクラ。「ンな漫画のどこに取り柄があんだ?」との、怒りの声も聞こえそうだ。
 正直に言おう。「コイツの漫画にゃ何一つ長所はない」と。そして付け加えよう。「けど、実はそれこそがコイツの取り柄なんだヨ」と。いいではないか、こういう無駄があっても。近頃のエロ漫画誌は(特に消費税再値上げ以降は)、あまりに息苦しい。読者サービス過剰で、逆に誌面を平板にしている。
 長期低迷傾向にあるエロ漫画界としては、1ページでも読者に奉仕を、との気持ちに編集がなるのはわかる。だが、それが余計に自誌の首を絞めるのだ。かつては松原香織、新体操会社、後藤寿庵等の名脇役が、スターエロ漫画家を光り輝かせていたものだ(杉作J太郎も『漫画カルメン』や『漫画ピラニア』で、同じ役所を演じていた)。脇役の充実してない映画や漫画誌ほど退屈なものはない。
 とはいえ、『快楽天』に“スターエロ漫画家”がそもそもいるのかとなると、話は別になる。 

「紫月秋夜」(’99/5)

 “春だから素敵に元気にリニューアルだよ(はぁと)”とのコピーが誌名の上に踊る『ホットミルク』は、最近半年ごとにリニューアルしている気も。それほど、エロ漫画界が追いつめられてるってことだろう。年内に半数は廃刊に追い込まれる、との声もある。
 そのせいか、4月号は鉄壁の執筆陣。きお誠児、百済内創、智沢渚優、朝月南、影崎夕那、きみづか葵、紫月秋夜とゼイを極め、修正も甘く、打倒『夢雅』の闘志が溢れんばかりなのは、古くからの読者としては心強い(ま、ページ数が『夢雅』の約半分というのは、度胸と売れ行きからして、仕方ないっすネ)。
 で、『めいわく(はぁと)UP』を描いているのが紫月秋夜。“コアマガジン漫画部門の総力戦”といった感のある今号でも、一番センス&実力がある。眼鏡をかけた妹が、兄貴にラブレターを出し、変装してデート、処女を捧げるという馬鹿話だが、濡れ場が上手い。
 特にいいのが女のコの髪の処理。変装する前のベタ髪の処理も個性的でエロいが(髪にチンポをからめて抜きたくなる)、美容院で化けてからの、ひと束ずつの髪のトーン処理したのも、ツンツンと尿道や亀頭を刺激しそうで、たまらんばい。
 マンコ舐め開始後の、女のコのよがり声も笑わせる。「ひゃっ」「きゃうっ」「っはぁぁ」「ひゃあっ」「いっあっ」ありふれていそうだが、ちゃんと工夫してる。
 局部のアップゴマが単調に続く悪癖はあるが、それも一種の親切心の表われと考えれば、大器の資格充分(バージンをバックで奪う体位の選択にも、作者の「理屈よりサービス!」との精神が感じられ好感が持てる)。
 さて、一般に雑誌がリニューアルとか誌面刷新を表紙で訴える時は、「本誌は今まで売れてませんでした」と宣言しているのに等しい。売れているうちは、編集は99%誌面刷新などしない。『ホットミルク』だが、B5判平とじになってから、いばらの道が続いているようだ。
 むろん独走する『夢雅』に、修正度、執筆陣、ページ数で追いつけない、B5判平とじ市場という背景もあるが、各漫画家の絵柄が白すぎるという、コミックハウスの各誌に共通する弱点を、同誌も持ってんじゃ? 断裁面が牛乳みたいに真っ白だもん。

「尾崎未来」(’99/6)

 かのセブンイレブンに入ってる数少ないロリコン漫画誌『漫画ばんがいち』(コアマガジン)は、それゆえに今時国宝級の修正の嵐が吹き荒れている。セブンイレブンに入ってりゃ部数は保証されるが、チェックも厳しく、オマンコ丸出しとはいかないのだ。けど売れなきゃ切られるしで、大手コンビニに入ってる雑誌の編集者は頭が痛い。
 同誌もそのせいかしょっちゅうリニューアル。タイトルロゴなど何度変わったか記憶にないほど。厳しい内容チェックと返品のはざまで、十二指腸潰瘍になりかねんだろうが、同誌にも一貫したスタイルが皆無なわけじゃない。溢れんばかりの“少女漫画趣味”だ。
 これはエロ漫画誌最大の御法度(もし同誌がセブンイレブンに入っている割りに返品が高けりゃ、きっとそのせい)。この路線だと、自然に女流漫画家の比率が増える。結果的に女性の視点からと言うか、女を性の奴隷扱いしない、フェミニズムっぽいエロ漫画が増える。ふだん女にうんざりさせられている野郎どもが、こんなエロ漫画誌買うかよ!(実はこういう路線は、声なき多数派の女性読者にも嫌われる。低能ハガキ職人に受けるのみ)
 そんな中、5月号で「BOY MEETS GIRL」を描いている尾崎未来は、コマ割りも抽象に流れず、具体的でキッチリした作品を仕上げている。カンビールを飲んでいる所を見つかった生徒会長が、そのお節介な女子弓道部員を、着替え中に強引に抱き締め、舌先と指だけでイカせてしまう、毎度御粗末の一席(本番は、後篇でする予定らしい)。
 デッサン力がある人じゃないので、床に横たわる少女が空中遊泳しているように見えちゃうコマがまま見受けられるが、下手は下手なりに、コマアップで逃げたりせず、真摯に女性を性の奴隷化している所に好感が持てる(マンコのアップは過剰。当然、修正もでかくなって白ける)。
 ただ、問題は人物の描線。きれいなんだが、細すぎて、抑揚が足りない。疾患のある人間の、心電図のようでもある。部分的にはもっと太くすべき。確かに今のままの方が、女性は神々しく見えるが、ポルノがそれじゃあかんのよ。
 ズバリ言おう。あらゆるポルノは差別的であるべき!!と。世間で許されないことを堂々とやるから、エロで心が打ち震えるのだ。尾崎未来も、もっと女を裏切らなきゃ。

「漫画エロトピア」(’99/7)

 えらいことになっちゃったな。いや、日本経済じゃなく『漫画エロトピア』ですがな。かつての“エロ劇画誌の代名詞”も、長い混迷の果てに、6月号からヌードページを増やし、なんと定価490円に!(形体は中とじのまま)
 そのヌードページも、セブンイレブンに入ってるせいか、軟弱極まりなく、逆に写真嫌いのマンガファンを逃がすだけじゃってな代物。グラビア好きにしても、今さらカラミやバイブ&SMなしの、単品ヌードじゃねえ……。
 極め付きは漫画家陣。矢萩貴子、横山まさみち、つつみ進、山本賢治etc。キャリアだけは長い低脳編集者が2〜3人集まり、それぞれの住所録から、各分野の有名漫画家を選び、とにかく並べましたってなあんばい。まさかこんなことで、レディコミ、エロ劇画、ロリコンの各分野のファンを集められるなんて、マジに考えちゃいねえよな(横山まさみちの起用の意図だけは不明)。
 要するに、一番ダメなタイプのエロ漫画誌になっちまった(従来も似たようなもんだったが、値段が安いだけマシだった)。二兎追う者は一兎も得ずと言うが、三兎も四兎もってんだからお話にならない。おまけに表紙の姉ちゃんの写真もピンボケ。悪いなぁドタマだけにしてくれ。
 けど、250ページ以上もあんだし、一本くらい抜ける漫画がと、忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐えてページをめくったんだが、絶無。こうなると、定価490円が重くのしかかり、チンポは立たねど、腹は赤黒く、ギンギンにボッキッキ!(骨董的表現。横山まさみちの悪影響か?)
 屍骸は何体か転がっていた(横山の域になると、死骸と言うよりクンセイだが)。「よろめきの罠」なる素ん晴らしい題名の作品をお描きあそばしてる、つつみ進は筆頭。
 どうしちゃったんだろ、この人も。一時はたいしたもんだったけど、この10年は、「まだ一応現役です」ってな、アリバイ証明レベルの仕事っきゃしてない。活版印刷なのでハッキリわからないが、これ本当にペンで描いてんの?(CGかコピーと思える節も……)スミベタがほとんどないから、読みづらいことこの上ない。加えて、ハンコみたいなワンパターンアングル。屍骸が屍骸を掲載している。

「前田俊夫」(’99/8)

 とにかく古い。手元の7月号の奥付けに、第31巻第7号とある。つまり、40代半ばの筆者が、オナニー盛りだった中学生時代の創刊だ。60年代 後半の当時、この『漫画ボン』は『週刊漫画』や『プレイコミック』と並ぶ、“中学生の心の灯”だったが、初期には「はだしのゲン」(中沢啓治)も連載され、その即物的スプラッター描写に、ギンギンだった生白いペニスを萎えさせた記憶も(版元は最近まで少年画報社だったが、今は系列の大都社に移行)。
 ロリコン漫画の匂いも存在せぬ時代からの漫画誌だけに、今でも純血エロ劇画誌(先月取り上げた『漫画エロトピア』より、よっぽど賢明な方針だ)。前田俊夫、ケン月影、富田茂はともかく、横山まさみち、入倉ひろし、間宮聖士が現役ってのも凄い。性器描写がここまで解放された昨今、横山のオットセイに何の意味が?(稿料も1万円以下のはずがない)。70〜80年代に“コピー劇画の帝王”と呼ばれた入倉も、今はさすがに描いてるようだが、パーツが狂って見るに耐えない(生活苦の果てに、ペコペコと持ち込んだんだろうなあ、きっと)。
 間宮聖士も相変わらずの“ジグソー劇画”で、縮小拡大器さえあれば素人でも描けそうな代物だが、近頃はCGで処理しているため、全体がピンボケ。今、CGは劇画、ロリを問わずに大ブームだが、色原稿では威力を発揮するものの、スミベタがシャキッと出ない活版での使用を認めている編集者は、ハッキリ言ってドアホ。
 過去のデータ流用が増えれば、スミベタさえまともに出ず、アミだらけで各キャラの視線が合わない“不良商品”が今以上に増加し、漫画のいよいよの凋落の要因となろう(ケン月影も入倉ひろしと並ぶ“コピー劇画の帝王”。注意してみると、同一ゴマの二人の登場人物の視線が、あらぬ方向に流れてるのがわかる)。
 その点、前田俊夫は飛び抜けて達者だが、風俗を素材にしてるのがアナクロ。商売女(セックスワーカーだと?売女と言え!!)の裸なんぞ、誰も見たかない。加えて、エロシーンでの重なりが少な過ぎる。描く方は単品の方が簡単だろうが、頭が総白髪になったオヤジが中学生だった、『漫画ボン』に「はだしのゲン」が載ってた古き良き恥ずかしき時代ならともかく、今時の発情青少年がこんなもんで抜けるか!!マジメにやれ(若き日の高倉健サン調で)。


「ANGEL倶楽部」(’99/9)

 えらいことになってますよ。他ならぬ、ロリコン漫画界がでんがな。この世界、『夢雅』(桜桃書房)のヒット以来、B5判平とじの形態が大流行。誌数的にはまだ少数派なのに、あらゆる面での台風の目だ。本家『夢雅』の編集部員が大脱走して『夢迅』(ティーアイネット)を創刊したり(この瞬間に『夢雅』は真空雑誌と化す)、その真似っコ雑誌『ANGEL倶楽部』(エンジェル出版)がドサクサにまぎれて看板漫画家を引き抜いたり。もう血を血で、いや、精液を精液で洗う闘いとでも申しましょうか。
 7月5日に、仲良く3誌が店頭に並びました。『夢迅』は表紙からして、さすがに風格が。巻頭の狩野ハスミはやや手抜きですが、古事記王子、あぱぱ、安原司あたりは抜けます。ただ、思ったほどの出来じゃない。肩に力が入りすぎ、空回りしたか? 本文の印刷が淡いのも気になる。2号目が勝負だろう。
 『ANGEL倶楽部』は2号目。1号目と比べ格段にレベルアップ。あずき紅、いずみきょうた、猫島礼、DON繁、荒木京也といった『夢雅』パクリラインはかなりの威力。加えて、スミベタがシャキッと出て印刷がきれい。誌面全体に漂うヤボったさも、逆に地方やおたく以外の読者の支持を得るかも(100ページ以上少ないとはいえ、『夢迅』より50円安い490円だし)。
 ちなみに発行元のエンジェル出版は双葉社の系列会社で、三晃印刷との共同出資で設立された版元だ(印刷がきれいなはず)。つまり編集部員は双葉社から出向してる。ま、本社のエリートは、こんなエロ本屋にゃ行かされんよ。この不況だ。失敗すりゃ出戻りなんて出来ない。「何が何でも売ってやる!恥も外聞も発禁もあるかっ!!」という熱気に溢れてる。この種のヤケクソパワーはあなどれない。
 逆に『夢迅』の側は、先頭を走ってんのに後を気遣いすぎ。相手にすると損。黙って前を見て走ってりゃいい(若いうちはこれが出来ない)。残る問題は警視庁。両誌とも成年マークを付けてるから、都条例の不健全図書指定は免れるが、桜の代紋は別。
 無修正路線の両誌、どちらが発禁になってもおかしくないが、従来のパターンだと、出版社規模のでかい方を血祭りに挙げてたけど?(新『夢雅』は、“そこには〜ただ風が〜吹いているだけ〜♪”ってなところかナ!)


「すけきよ」(’99/10)

 ストーリーは鬼畜系、絵柄はエロ劇画真っ青なヘビー路線が主流のエロ漫画界で“独自の戦い”を続ける一群の雑誌がある。『漫画ジャンボ』(桃園書房)や『コットンコミック』(東京三世社)等だが、今回は後者について。
 まいなぁぼぉいや西飯坂耕平は古い読者にゃ懐かしいが、“懐かしさ”は同誌全面に流れる一つのコンセプト。津過元正や麻宮真奈美、じゃじゃかなめの下手糞さは常軌を逸してて、中高年エロ劇画家が見よう見まねでロリコン漫画を描いてた、創刊時の『ペンギンクラブ』さえ連想させる。
 「じゃ、単なるクズエロ漫画誌じゃんか!!」早漏気味なヤンガーゼネレーションはそう思うかも。甘い。この種の雑誌こそ、ダイヤモンドのごとき漫画家がまぎれ込んでるもの。8月号にもギラギラ輝いているのがちゃんといる。「挿入」を描いてる“すけきよ”だ。
 掃溜に鶴……同作の扉を見ただけで、10人の内9人はこのことわざを思い出す。それくらい初々しい(前に巻頭カラー描いてる雪見野ユキオが、こぶなし同然の女性キャラしか物に出来ぬイモゆえ、得してる面も0.01グラムほどあるが)。釜ヶ崎や山谷、スキャンティ一枚で散歩してる女子高生を強姦する感じで、ページをめくる。
 ところが、ストーリーはくだらんの。一昔前のエロ劇画でも使い古されてるぜ、こんなの。高校生カップルの男が、彼女のマンコにきゅうり入れる。次に大根。最後にちんぽ。で、「他のものじゃなくて昇君のが一番いい〜〜」だと。最終ページでふたりは、愛液ドレッシング付ききゅうりのサラダを食べる。「嫌だ嫌だと言いながら、下の口はグチョグチョじゃね〜か!?」との台詞が、BGMで流れてる。
 けど、使えるんだ。、逆に、ここまで下らねえストーリーのキャラを、すけきよの初々しい姉ちゃん(町野変丸のそれを20倍通俗化した感じ)が勤める所に、アンビバレンツな魅力を感じる。映画じゃ“一筋(脚本)、二抜け(画面の美しさ)、三動作(役者及び演技)”とよく言われるが、エロ漫画じゃ“一キャラ(女)、二キャラ、三にキャラ、四、五がなくて六にキャラ”なんだと、つくづく思わせる。ただキャラだけだと、単行本3冊目位で飽きられる。活字本でも読めば、少し?


「鴨川たぬき」(’99/11)

 元祖の『夢迅』(『MUJIN』に再び改題とか)を除けば、ほとんどが赤字と言われてるのに、ポコポコ出ますね、B5判平とじの500円台雑誌。単にページ数を水増しした超薄味雑誌が多い中、『Jam』(フランス書院)VOL.1は、近頃のコミックハウスの編集としちゃ、かなりの充実振り。
 巻頭カラー担当の鴨川たぬきは、計24ページ担当して大活躍。家庭教師と男子生徒の「レコンパンス」に続いて、近親相姦物の「BON VOYAGE」(8ページ)が続く、2本立て企画というのも憎い(昔の東映任侠映画には、必ず池玲子や杉本美樹のポルノが併映されてたもん。暴力とエロで観客はスッキリ!エロとエロじゃ、う〜む……)。
 鴨川は同誌の中では背景も一番入ってて、構成もキッチリ。真正面顔が時々崩れたり、男女キャラにほとんど区別がない欠点はあるが、看板漫画家にふさわしい華が(あとは当人が“姦るだけ漫画”を、いつまで飽きずに描いていけるか。2本立て、3本立てなどの新機軸を駆使、コンスタントに量産して欲しいと、担当編集は願ってるだろう)。
 続く嶋尾和(相変わらず仕上げは雑)、ありのひろしも水準以上。ふじかつぴこ、あきふじさとといきなりレベルダウンするが、巻中カラーの東海道みっちいはハッタリが効いている。問題はこの後。小振りな新人が登場すんのはやむを得んが、版元の要請(ナポレオン文庫)か、小説が10ページ以上続く。好きな奴もいるだろうが、エロ漫画誌としては勢いがそがれる。
 その後に続く若手も、いかにもコミックハウス調のチマチマした絵柄(やすいひろさと、水尾ろむ、陣掛吾雄etc.)。巻頭の3人クラスでなくちゃ、活字が奪ったエロ漫画誌としてのパワーは回復出来ない。
 健闘してる同誌だが、やはり総体としては、〈少女漫画風キャラでベタや背景が少なく肢体もロリロリ〉という、従来のコミックハウスカラーから脱してない。特に、等身に関しては重症で、嶋尾和を除けば、全員が80年代タッチのロリキャラ。これでは、表紙に青樹零夢を据え、黒バックで両乳丸出し緊縛図を描かせた意味がない。いつまでも自らのアイデンティティにこだわってちゃ、『夢迅』のティーアイネットグループを、より勢いづかせるだけだぜ。


「荒木京也」(’99/12)

 最初は苦戦したものの、近頃絶好調との噂の『ANGEL倶楽部』。さすが双葉社の子会社の、版元のエンジェル出版。11月号も、あずき紅、荒木京也、十羽織ましゅまろといった、1カ月でも早く単行本化したい豪華メンバーのパワーが爆発(中にゃ、山本よし文、暮咲那奈美なんてゴミも混入しとるが。自前じゃこのレベルしか供給出来んの?)。
 で、巻頭カラー「覚醒姫」の連載をスタートさせた荒木京也について。扉のタタきこそ“深い暗闇にうごめく愛欲淫獣の宴!!!!”と、絶頂期の清水おさむが、70年代末にエロ劇画誌『漫画ダンディ』に描いてた、朽木多加志(今は時代小説を、峰隆一郎の名前で書いてる)原作の淫謀シリーズ並のアナクロさだが、稿料がいいせいか入魂の仕上がり。
 しかし、この“入魂の仕上がり”に疑問が。確かに、下書きもトーンワークも完璧だが、女体が生命なき物体と化している。うめんだが、今の路線で半年も突き進むと、ちっとも使えん漫画になってるかも。コマ割りもやたら見づれえし。そういや昔、似たような漫画家がおった。やたらと理屈っぽい、そう、宮谷一彦とか言ったっけ。末期にゃ、肉弾劇画とかいう訳のわからんもん描いてたが、あるいは荒木の終着駅もそこか?(内蔵漫画と呼ぶべきかもな、無修正エロ漫画誌の場合は)
 「ヒューマン・レヴォリューション」を連載してるMAROって半人前レベルのガキも、ふくしま政美パクってるし。ブームなのか、汗臭い70年代劇画が!? 趣味でテメーらが何しようとかまわんが、センズリに没頭してて、そーゆ教養(狂養?)ひけらかされっと、ムカつくんだな。アホな真似は、編集がストップさせろって。
 ただ、一方じゃ漫画家の気持ちもわかる。昨今の“無修正内蔵エロ漫画”描いてると、飽きてゲップが出るよな。レバ刺しニンニクで食べ過ぎた後の、鉛みてえに臭くて重いのが。発狂しそうになる瞬間だ。むろん、『快楽天』みてな漫画たまに描きゃ気分転換になろうが、そうは編集も読者も甘かない。
 どうする? 一つだけ名案が。版元で同人誌出してやんだよ。で、全然エロくない良心的漫画描かせ、連中の欲求不満を晴らしてやんのさ。いいじゃん。どうせ経費だもん。頼んだぜ双葉社!!