下々の者へ(その801)

 「ズンドコジョッキー」半分アップ。ハガキは28日(月曜)締め切りだから、残りは来週だ。今回、イラストハガキが妙に少ない。もんなめ担当のアンナが苦労しそう。さぼってる『Mate』読者諸君、まだ間に合うので急いでヨロピク!(火曜着でも大丈夫ヨ)。生汁よ、今月分まだ届いておらぬぞ(先月分は既に前半で採用)。醜女キング、ミルクイチゴの奴、今回の投稿珍しく短かめ。どっかの男に傷つけられたとか?(誰だか知らねえが許せねえな、整形も通用しない激ブスいじめるなんて。身障者差別と同様だ…と言うのは極端だが)。

『鉄塔家族』は未読なので楽しみ。で、佐伯の前の奥さんは太っ腹。人によっちゃ執筆禁止を求めて訴えかねない。もし認められても(昨今の人質司法の惨状じゃありうる)、逆に小説が売れなくなりゃ、慰謝料とか子供の養育費が支払い不能になりかねない。筋を通せば生活に暗雲。自立した女は絶対に、私小説家となどと結婚するもんじゃないね。“私小説風4コマ漫画”なんてねえの?貧乏で病気がち、なのにエロ気の消えない世代の人口は増える一方。需要があるかも。

 庄野潤三で思い出すのが、「小宮山書店」地下の喫茶店、「ぶらじる」で数年前に南蛇楼綾繁にした話。「一度読みてえのが、庄野潤三に心酔してる人々が出してる同人誌。年寄りが多いはずだけど、きっと臆面のない孫自慢が延々と続くんだぜ。枚数制限もねえしよ。孫や娘の手紙もしょっちゅう挿入。おいしかった、上手だった、ありがとうだのの連発に次ぐ連発。最後にゃ奥さんの弾くピアノに合わせ、夫婦で合唱したり。見たいよねえ、こーゆ作品がズラーな同人誌。シラフで読むと発狂しそうだけど」「ありますかねそんな同人誌?」「ありますって。けどさ、車谷長吉に狂ってる連中のより、まだ救えねえか?」「と言いますと?」「実家が金貸しで、どんなひでえ取り立てしたかとか、真っ昼間に三省堂書店の前で立ちションしたとかの、臭〜い自己演出話、ド素人の文で自慢げにかまされてみろって。自殺したくなるぜ」「ハハハハ。そりゃ僕も余り食指が…」(幸か不幸か、まだいずれのタイプの同人誌にもお目にかかれてない)

 自らが老いたせいもあり、年寄りが気になる。今日もプールの後で「キンカ堂」富岡店へ行き、お茶と掻き揚げミニ丼を(298円)を。店内に軽食屋もあるが超まずくてな。で、脇の出入り口のベンチでパクついてると(自宅まで待てない)、ほとんどファッションに手間暇銭かけてない、顔面に体調の悪さがストレートに出てる、やせた80前後のお婆ちゃんが隣に座る(3人掛け)。実は先々週も。その時は手ぶらだったが(すーっと寄って来られて少し怖かった)、今日は小さなビニール袋を。中からアイスを出して舐め始める。この前より少し楽。俺にはお婆ちゃんの心情が良く分かる。誰かと話がしたいのだ。俺も相手してあげたいとは、前の時も思った。が、この年になるとこれまた経験で知っている。途中で切り上げられなくなる。だから俺は眼を合わせないように、正面を見つめて黙々と急いで食べた(前回同様、ちっとも味がしなかった。ここの惣菜類はイケてるのだが)。後で気ずいたが、あのベンチはお婆ちゃんの昔からの指定席なのかも。すいませんでした。来週から場所を変えます(その他にも、店内くまなく歩き回り、値段見てはいちいちうなずきながらも、何一つ買わないお爺ちゃんとか、マーケットは駅や電車内と同じく、人生、特に年寄りの縮図。未来の自分が立体でわかる)。

 今週の映画雑誌。『キネマ旬報』1961年、9月下旬号の目次裏の新作宣伝より。東和提供の仏映画、『欲情に掟はない』。ブラ姿で男に胸へキスされてる悶え女の黒白写真に、赤い惹句が2行。“悪徳と享楽の港にうごめく黒い欲情!本国フランスで上映禁止された問題作!”。ジュリエット・メニエル、サミー・フレー、フィリップ・クレー主演で、監督は”名匠ベルナール・ローラン”だそうだが、誰一人知らない。主題曲が感動的。作曲・唄、シャルル・アズナブールで、題して「欲情のシャンソン」だと。

 27日、午前11時。富岡市の防災訓練とかで、上空のヘリがうるさい。9時には防災無線も臨時放送。ムカムカムカ。今日も朝からカリカリお仕事。ここ3週間、週末も外出してない。古本本の悪口書き(1400字)。著者には知り合いも多く、ある事ない事バリバリのバリ。いつもの倍のスピードだ。ウケケケケケ…。最近知人が増え過ぎたし、掲載誌を読んだ何人かが絶交してくれると大助かり。ただ余り早く書けた原稿って、えてして退屈。そこで箸休めならぬ、シャープペン休め。来週の6月3日も晴れてくれないかな。例の富岡のもみじ平公園でのフリマですよ(午前9時30分〜午後3時)。雨だと参加料1000円、市の商工会議所青年部が没収ですがな。安い古本売る予定(場所は107区画)。近所のインテリの方よろしく。さてまた仕事。 (07.5.26)

下々の者へ(その802)

 与党出身の河野衆議院議長でさえ、連日のネオナチ“馬鹿坊っちゃん”安倍内閣(気違い拝み屋に支えられた)の強行採決に苦言を呈してるのに、NHK、「自民、公明の賛成多数で…」と、“強行採決”の言葉を封印。かつては他のメディア同様に使用。従軍慰安婦問題で、安倍&酒乱中川にドーカツされた祭と同じく(もっと前だが)、脅されるがまま、政権の腐臭漂うケツの穴を舐めた。NHKという尻軽女は、保身上、権力者のためなら、どんなプレイにも応じる、根っからの3流売春婦体質(生汁真っ青。それが闘う英国BBCに倣い、公共放送を自称するとはギャグの極北)。もっと不思議なのは、未だ7割の日本人が受信料を払ってるらしい点。地回りにみかじめ料出す方が、数百倍真っ当で道徳的だ(2流売春婦と遊んだ方がまだ健康的)。

 くたくた。明日の準備ですがな。車なので日頃の禁欲的スタイルを放棄、種々の安めの本や雑誌、片っ端積み込む(売れ残りでの重さの心配ないし)。愚妻まで手作りの子供服売るとか。6月3日、午前9時30分〜午後3時。富岡もみじ平公園内、かぶら文化ホールや自然史博物館がある前の空き地。俺の出店場所は107区画(今、説明書を良く読んだら、これは単なる申し込み番号で、区画番号は全く別と。うったくもう…。まあ、来ればわかると思います)。どうやら雨の心配はななそう。暑さ対策に短パンで帽子にサンダル、ついでに、日活ダイヤモンドラインTシャツでも着てこっと。

 昨夜は高崎で一杯。気丈な美人ママさんの、鬼のようなな従業員の酷使振りが楽しい、「麒麟ビヤホール」の番(3軒の居酒屋を交互に。かつては4軒だったが、駅前の「義乃」は最近サッパリ。だってあそこ、トイレの消臭剤の臭気が店内にまで満ち、酒がまずいんだもの)。ここのカウンターの椅子はゆったりしてて、読書向き。1時間チョイの間に色々と。『雲遊天下』を初めて。“雑誌は世につれ”特集。台割引きに工夫がない。巻頭に、芸の皆無な村上知彦持って来る気が知れない。ぬるい思いで話が、人々の興味を引くレベルの
玉か?続く元『話の特集』、木村聖哉の原稿もひどい。オツにすましやがって、安藤鶴夫や木山捷平にでもなったつもり?結び近く、“時代は変わる。街も変わる。人も変わる。それにしてもイヤな世の中になったものだ”なんて、書いたり校正してて、自殺したくならねえか?その後はまあ割と読める。で、『BRUTUS』編を執筆してる中川五郎は、「主婦のブルース」が花田清輝に絶賛された、あの中川五郎なの?(音楽界の事は一際うとくて…)。次に『足立JETー工場街喰いつぶし連』。足立、川口の工場写真が楽しい。グルメ趣味のない俺には、もう一つの売り、ラーメンのアップ写真等はうっとうしいだけだが、逆の読者も多いのだろう。いずれも「書肆アクセス」で。にしても、1度でいいから命あるうちに、同書店の眼鏡姿のAおばさんに、先に当方の存在をキャッチされる前に、店内に足を踏み入れたいと。

 上信線で『キネマ旬報』62年5月下旬号。表2の松竹セレクト提供、『殴り込み愚連隊』の宣伝。配役2番目に“シーン・コナリー”と。写真があるのでショーン・コネリーの事とわかるが、役者名にも歴史ありだ。吉井駅の辺から、同誌同年11月下旬号に。「映画館ニュース」に、“新宿松竹の二館、開場”と。まず「新宿ピカデリー」。第一回目の上映作は『ミンクの手ざわり』。地下の「新宿松竹」は、同じく『あの橋の畔で・第二部』『涙を、獅子のたて髪に』とある。知っての通り、今更地になってる場所だ。45年の命だった訳だ(三島由紀夫と同寿命)。別に俺は木村聖哉のように、こういう景色を見ても、“イヤな世の中になった”とは感じないが。

 上段で終わるのが一番カッコいいが、忘れないうちに。各社のPR誌での、岩波書店の広告の扱い位置について。余りに意外性がなくて、わざわざ書く必要があるのかという気もするが…。『ちくま』『一冊の本』では奇数ページのトップ(やっぱり)。『波』、自社広が2本続く巻末の前。アンチ岩波だから、もっと目立たない場所かと思ったが(巻頭はたなぞう)。でこれ、出稿側は位置指定できるのか?(だとすると超マヌケな本ネタ)。 (07.6.2)

下々の者へ(その803)

 昨日は「早稲田松竹」で成瀬巳喜男の2本立てを。久々の『浮雲』は案外だるかった。伊香保や屋久島への道行き場面を中心に、18分は編集で詰めるべきだったと(誰もが思う、最後の“花の命は…”はの林芙美子の色紙部分は言うまでもなく。高架沿いのボロアパートの登場頻度にも胸焼け)。『流れる』はその点、全く無駄がない。幸田文の分身と思われる、田中絹代の絶対的善人振りが気になるくらい。かっこいいよねえ、栗島すみ子。山田五十鈴をガキ扱い出来るのは、当時もこの人くらいだったのだろう。東映の極妻シリーズも、こーゆ大物婆さん女優がいれば、もっともっと続いた可能性が。

 映画の話ついでに。『シナリオ』66年5月号、シナリオ作家協会通信、新入会員の報を見て長年の疑問が氷解。吉田憲二、中島貞夫と共に、柳瀬観(やなせのぞむ)の名前が。日活の監督で、俺にはなじみが深い。農閑期に、おばさん達に連れられ上信バスで行った、富岡の銀座通りにあった映画館、「富岡中央」で観た多くの日活青春歌謡映画を、柳瀬が手掛けていた(『仲間たち』『若い港』『東京は恋する』『高原のお嬢さん』)。この名前に再会するのが神保町。古本屋巡りの間に、某民家前の白い表札に黒い行書体でクッキリ。通る度にひょっとしてと考えてたが、まさか尋ねる訳にも…。同誌には住所が。地図を見て確認。あの家だ。柳瀬は同年春、日活の大合理化案に反対、退社したと『日本映画人名事典・監督篇』(キネマ旬報社)に。1932年生れ。お元気なのだろうか?

 さっき『書評のメルマガ』連載、「版元様の御殿拝見」をアップ(今回は。情況出版社)。すぐに『記録』にかからねば。昨今のエロ本以上の誤植振りに、寛容な俺も意欲をそがれがちだが。何にするか?ほめるなら正宗白鳥の『世界漫遊随筆抄』、けなすなら『石原吉郎詩文集』だが、2冊共に講談社文芸文庫なのが気に入らない。篠田一士の『三田の詩人たち』にでも?(これまた講談社文芸文庫)で、『記録』の膨大な誤植は、制作工程を根本的に改めない限り直らないと。マックの具合や個人の注意力レベルの問題じゃない。立ち読みしてたら、『情況』の印刷所は平河工業社。実は『記録』も。編集部の大畑センセイはかなりアバウトな所と言ってたが、『情況』の誤植も似た水準なら、やや説得力を持つかも(読んだことねえので何とも…)。

“陽の出の勢い”と同義語と化した、内澤旬子とは対極の道を歩む夕陽亭主、南陀楼綾繁の、入谷コピー文庫入りへのはしゃぎ方も異常だが、胸の内はわからないではない。題して『ぼくが食らいついた本たち』(中身は、大学時代の読書ノートの抜粋)。普通こういう真似は、本多勝一だ立花隆だの、功なり遂げた著名人が、固定読者へのサービスの一環でする(それを機に誰もが落ち目になるのも昔から)。夕陽亭主があえて挑む所に、新たなる意味があるのは言うまでもない(説得力ゼロの断定口調)。昨今の荒俣宏と同様、86年時、既に井上ひさしがすっかり過去の人と化してて、涙を誘う(悪妻カーンバック!!)。若くして売り出した人にありがちだが、老いて貧乏になるのはつらいよな(一度味わいたかったが…50過ぎて言うのもむなしい)。

 再び、『シナリオ』91年12月号、「クローズアップ・トーク」でのゲスト、神波文男の発言より(インタビューは桂千穂)。“…ある時京都で、石井輝男の彼女がやってるバーってのがあっていい女だから見に行ってみろって誰かが言うから見に行ったんですよ。ほんとにいい女でね。なんか暗めでゾクッとするような。それで僕も聞いたんです。石井さんが何でいいんですかって(笑)。そしたらあの酷薄な感じがいいんだって言われて、そういうもんかなぁと感心しました(笑)”。両刀使いだったのか?

  大事な事を忘れていた。「広報とみおか」6月号に驚愕の記事が。俺の富岡高校在学中(69〜71年)のハンドボール部顧問、小林進(現在71歳。市内七日市在住)と言えば、極め付けの気違い低能暴力狂師、いや教師として、無数の生徒に平然とリンチを加え、新聞沙汰にもとは、拙著を読んだ人はかすかに記憶してるかも。群馬県教育界の極右派のボスで、当時の富高校長だった藤生宣明(数年前死去)の庇護があったからとはいえ、この糞ゲロドチンピラ、ゴロツキ、ゴマの蝿、人間のクズの類いが、帰郷後に知人から某高校の校長になったと聞き、深く苦い長い目眩を覚えた。が、今度は何と県総合表賞、教育・文化功労者に、白痴ゲロゴロツキ、つまり小林進が選ばれたのだと。群馬県教育界恐るべし。懲りずに生徒を血の海に沈めていれば、校長にもなれるし、退職金、年金もバッチリ。更には勲章もどきまで。ヤクザ、ゴロツキ、チンピラ、ゴマの蝿、生糞の銀蠅が、教育者になるなら絶対に群馬県。この調子なら、小林の三下で俺が暴力に抗議した祭、「オメーにだけはしねえよ!」とウソぶいた、脳みそゼロの日体大出(ゴロツキ小林も)の低能白痴便所虫、宇佐美某も来年は表賞か?党派の域をを越えた、圧倒的に秀でた詩人で富岡市議だった高瀬豊二(日本共産党)は、戦時中激しくリンチされた富岡署の特高刑事、小林金蔵を自著で必ずフルネームで登場させ、絶対に許さなかった。僣越ながら俺も小林進(市内七日市在住71歳)に関しては、それに倣う。小林は“教育者”として、自らの行動に一生責任を負うべきなのだ(可愛い孫の微笑みに包まれながら)。日本に生息する人間としての、それが最低限の道徳心だ。日本国万歳!! (07.6.10)

下々の者へ(その804)

 生汁嬢は、おたくじゃないのでうといらしいが(そこがいいのだが)、「新宿書店」「虎の穴」他の漫画専門店には搬入日には並ぶ。取次ぎ搬入日は発売の2日前。今月だと発売日の17日は日曜日。こういう場合、前日の16日に発売日が早まる。つまり14日なのだが、業者間の都合か、製本屋さんから13日に見本誌が。この日から専門店には出てたはず。各店舗は自分で探しな(地図入りのが即検索で引っ掛かる)。今月は2通採用。誌面でも書いたが、自分のサイトとネタが余りかぶらないように(あるいは書き方を変えるとか)。『Mate』で連載する気があるのなら連絡を。あんたの文は菜摘ひかるより、明るく通俗的で商品価値がある。

 ヘス。読んだ記憶あるので間違いないと。金曜日の無駄話、うっかり幻灯舎の社名、“冬”にしちまってる。そんなのはどうでもいいが、後半は文が韻を踏んでないし、唐沢の女房は“奥様”とした方が効果的だった。月曜の夕方には推敲、もっとましなモノに。講談社学術文庫といえば、『大平洋戦争と新聞』(前坂俊之)を読み終えたばかり。名著。すでに日本の大新聞は、五・一五事件の後状態なんだと良くわかる(自衛隊の憲兵隊化大スキャンダルを、ロクに報道すらしない安倍政権の電通、NHKに至っては、ニ・ニ六事件以降の惨状にとっくに。受信料泥棒!!)。もう一つ勉強になったのが、戦前、そして戦後も軍部ないし右翼に攻撃されてる朝日に、昭和天皇がなぜ度々視察に訪れたのかという疑問。400ページ(第十八章)を読めば即納得。大新聞記者は今と同じで片っ端腰抜け揃いだったが、『福岡日日新聞』(菊竹六鼓)、『時事新報』(近藤操)と、地方紙やマイナー新聞には立派な新聞人も存在したと知り、同国人として救われた(部分的に…)。

 どうやらアストラの俺の単行本企画、『エロ漫画で喰う』(仮題)が超難航中の模様。編集部に潜入させてある、妖艶女スパイからの通報によれば(バレバレ?)、通読したら余りにヤバい内容に、「何件訴えられるかわからん…」と編集部一同がビビり、作業中断中と。遂には最初の予定通り、「奇書発掘でやっぱり…」なんて声まで出る始末(無名人の書評集など誰も買わないと、俺が当初の企画を説得した経緯あり)。そりゃ困るのだ。例の右文書院の方に、それを回そうという話に既に先週。70回以上、計350枚強あるので上手く振り分ければいいが、南陀楼綾繁じゃないが、書評事体は結構退屈なのも多いし(たどりつくまでと、脱線映画無駄話部分にやや商品価値がとは、新派の名優柳永二郎が、生娘に襲いかかる祭と同水準の凶悪な目をした、夕陽亭主こと綾繁の弁)。こうなると無期延期というか、話事体がナシにという場合が多い本業界。せめて右文の方だけはと、先週早速スクラップ整理(こういう日が必ず訪れると確信してたので、80年前後からのバイト原稿はほぼ完璧に保存。自己陶酔家はかくあるべし)。

 夕陽亭主&柳永二郎よ安心しろ。「奇書発掘」など一部採用で充分(面白いトコ取り)。中森ばぎなに、「塩山さんはこういうのが一番面白いヨ」と言われ、俺が文体を大幅に変える契機になった、『漫画エキサイト号』連載、「さらば青春歌謡!!」1年半分こそ記憶にあったが、『漫画ラブピアスペシャル』に体験的オナペット女優論を、1年以上連載してたなんてすっかり忘れてた(渚まゆみからひし美ゆり子まで)。徳田秋声の“山田順子モノ”同様、絶対面白いとファンの間で有名な(?)、“富岡銀座モノ”だから間違いなし。『すくらむ』という、題名通り社会党系の団体の機関誌で、数年に渡り全く場違いな映画コラムも書かしてもらってたり。慶応の近所に事務所が。社会党の解党後、お世話になったあの方々はどうなったのか?杉作J太郎がカット担当した役者論も(小池朝雄他)、結構あちこちのエロ雑誌に。まああんたが選ぶんだ。来週あたり送るよ(セレクトは、信用ある他人任せが一番無難)。無論、2冊共に、ガン首並べて企画がポシャる可能性も充分。けどその過程見物、つまり美女が着替えるのをタダで見物出来る諸君は、実に幸せ者だなあ(テへ!)。

“ニ生徒なぐり制裁 県立富岡高で暴力教師”のリードで始まる、例の小林進(71歳)のリンチ事件を報ずる、『毎日新聞』、1971年群馬版の4段記事を全文引用する予定だったが、疲れたので来週に。今週の映画雑誌。『シナリオ』1966年2月号。「特集・現代俳優論」で、脚本家、小川英が日活の名脇役陣では平田大三郎、土方弘、深江章喜他と並んで好きな、天坊準について1ページも。『日本映画人名事典』(キネマ旬報社)にも不掲載の人なので、詳しい過去が判明ウキウキ(?)。代表作。『黒い賭博師・ダイスで殺せ』『同・悪魔の左手』後者、盲人賭博師がなかなか。夕方、今年初めて蚊に喰われる。明日は久々に高崎で映画見物を。

何だ。幻冬舎でいんじゃん。今日(17日)の午後、高崎のそば屋で糞つまらんナベツネ新聞の書評欄読んでて気づく。五木寛之だかが銘々したと、昔どっかで見てたのも思い出す。どうでもいいが。 (07.6.16)

下々の者へ(その805)

 〈“ニ生徒なぐり制裁 県立富岡高で暴力教師” 富岡市の県立富岡高校=上島大作校長(四七)=で、教師が、生徒に暴力を加えた事実がこのほど明かるみに出た。

 暴行されたのは同校三年、A君(十七)と同、B君(十七)。

 その話によると四月三十日午後三時ごろ、放課後の同校教室内で、体育担当、小林進教諭(三五)が「先生にうそをついた」とA君をなぐりつけるのを見たB君が「暴力はいけない」と抗議した。これを怒った小林教諭は今度はB君をなぐり、ひきずりながら職員室に連れて行き、正座をさせたまま約三時間、反省を求めた。B君はこれで口内や首に負傷、同保健室で一人で治療、帰宅、通院はしなかったが、全治一週間のけがという。

 事実を知ったB君の父親(六三)は「いかなる理由にせよ暴力は絶対許せない」と上島校長に抗議、生徒側も八日夜、校外に「学校は生徒の自主活動を暴力と退学、停学などの処分でおさえる」と訴えるビラをはったが、正門前のビラは生徒の目にふれることなく八日早朝とりはらわれていたという。

 生徒の話では同校生徒の自主活動は禁止され、生徒会の議題もチェックされるなどすべて許可制。四十五年四月、同校から富高吉井分校に転任した教師の話によると、「生徒への制裁処分は四十五年ごろから激しくなった」といい、これらも事件の背景とされている。

 上島大作校長の話 小林教諭は生徒指導に非常に熱心であることから起こった問題と思うが、教師の暴力行為の事実があったことを遺憾に思っている。小林進教諭の話 なぐったことは事実であり非常に反省している。二度と暴力はふるはない。〉

 日付けを入れ忘れているが、1971年5月の『毎日新聞』群馬版かと。読めばわかるように、小林進が起こした暴力事件は、よくある類似事件と質が異なる。脳みそゼロの馬鹿が、いつものように感情にかられて暴力を。有り難いことに、近くで見ていた勇気ある生徒が、家畜と人間は違うと意見してくれた。並の人間はここで己の愚かさに気付く(表面上はともかく)。よりによってこの白痴猿は(猿が怒るか)、小林進は、感謝せねばならない生徒に、更に暴力を振るうばかりか、ひきずってった職員室で、3時間もテメーがでなく、血まみれの生徒に反省を求めたのだから、開いた口がふさがらない(現行犯逮捕!!)。

 他の教員が制止した風がない所も深刻。極右校長、藤生宣明は前年だかに転任、岸信介の後に池田勇人が首相に就任したように、割と温厚な上島校長が着任した。が、藤生校長時代、“親分”の目こぼしで、暴力装置として長期間校内に睨みを利かせていたため、ボスなき小林や宇佐美他の蛮行にも、誰も声を上げられなかったのだ(電車の中でレイプされそうな女性を、数十人が見て見ぬ振りするのと同じ)。小林、宇佐美以外の当時の富岡高校のハレンチ教師群像の実態も、実名で順次明らかにする予定(急がないと、人間のクズ共が幸せのまま死んじゃう)。安楽な老後を過ごして昇天されちゃ、俺の方が死ぬに死ねない。小林進、現在71歳。「広報とみおか」によれば、今も富岡高校のある市内七日市在住。ゴロツキは何の処分を受ける事なく、校長にまで出世。ベラボーな退職金に年金もらい、遂には県から教育功労者に選ばれた。山口組系暴力団の組長が、文部大臣に、あるいは上州的に言えば、大久保清が前橋刑務所から無罪放免、前橋女子高校の校長に出世するに等しい。念のため言っとくが、人殺しにはともかく、道義に一切の時効はない。

 賀津新太郎こと荒井秀顕よ、別冊宝島の『軍歌と日本人』でのメジャーデビューおめでとう。そりゃいいが、最終ページでの著者紹介が気に入らない。“2001年成人漫画誌でコラムデビュー”とあるが、なぜ“『Mate』(一水社)誌での「女を忘れろ!!」で初めて原稿料をもらう。当時のペンネームはGUTS”と正直に書かない?梓英子や夏純子と違い、あんたにゃエロ雑誌時代を隠す必要はあるまい。そういう根性じゃ売れっ子にはなれない。俗物、荒井の同誌の鶴田浩二論は、題して「戦後歌謡ブームを飾った「謎多き名曲」の歌われ方」。つまらない。

 今週の映画雑誌。『キネマ旬報』1957年11月下旬号。見開き2ページの、『世界は恐怖する』の広告が凄い。原爆ドキュメンタリーで、監督は亀井文夫、解説が徳川夢声。“一ツ目の人間も出現!生の歓喜の背後に忍び寄る20世紀の怪物”。10数枚の写真のキャプションもイカシ過ぎ。“広島長崎で原爆を受けた親から生れた奇形児”“首のケロイドがガンになった沢田さんと娘”。最後の、柵の中で抱擁するアベックへのキャプションが一番決まってる。“この宮城前広場には他より放射能が多い”。いかなる根拠なのか知りたいが、観るチャンスはなさそうだ。左下には女性が両頬に手を当て、わざとらしくおののくカットも切り抜きで。文部省選定。

 学研新書の第1弾、『暗殺国家ロシア』(寺谷ひろみ)、かなり面白い。すぐ廃刊なる可能性があるから、早く買っておくべきかも。国家の最高指導者がテロリストだなんて…。北朝鮮やリビアと異なり、民主主義を擬装してる所が怖い。プーチンはガスと共に、この独裁システムの輸出も開始するだろう。にしても、ロシアのジャーナリストは勇気が。NHKの職員諸君、職業欄に“ジャーナリスト”だなんて書いてねえだろうな?(政府広報局職員と正しく)。(07.6.23)

下々の者へ(その806)

 珍しく原稿書きが数本。まずは来月24日に1号目が出る、『BUSUTER COMIC』で映画コラムをやる事になって。1回目は『長江哀歌』。本当はもう終わってなけりゃいけないのに、『マングローブ』(西岡研介・講談社)を読み始めたら止まらなくなり、午後を潰した(JR東日本高崎支社は、カルト暴力集団、革マル派の大拠点と。ブルブルブル…)。明日は朝から堤防の草刈りだというのに…。続いて『書評のメルマガ』の「版元様の御殿拝見」。名古屋の映画フリーペーパー「シネマぜんざい」。『記録』の「奇書発掘」もすぐだし、大物も控えてる。つまり、進行中の右文書院の単行本用に、30〜40枚書き下ろさねばならない(遠山企画への道のり、あるいは死んだ菜摘ひかるの思い出だ、編集担当の南陀楼綾繁は、好きな事言ってやがる)。多分7月中には済ませないとまずい。後半になると『Mate』の原稿書きも重なる。多忙なのはいいが、凄く長く暑い夏になりそう。

 半月程前、「書肆アクセス」で『懺悔の記』(林ヒロシ・編集工房ノア)なる本を。全く知らない人だし、本体2000円もするので、新進女優の畠中店長に尋ねる。「こりゃあおもしれんかい?」「さあ、あたしも3ページ読んだだけだしい。けどもう3冊売れたの」文字の大きい、行間のゆったりした本が読みたい気分だったので、買う。結論。1200円分位の価値はあったと。装丁の方が上だったな。『大平洋戦争と新聞』、俺は「日本特価書籍」で。にしても、日特はなぜ昔から講談社文芸文庫を置かないのか?誰かオセーテ!

 今週の映画雑誌。『シナリオ』1963年4月号。第13回シナリオコンクール最終発表、佳作C部に島内三秀(桂千穂)の名前。作品名は『地獄の借りは踏み倒せ』。受賞の弁が初々しい。“…すっかり諦めていたら、佳作入選のしらせ。未だ電文を信じられない。夢でも見ている気持だ。でも、その夢心地の中で私は決心した。私自身の世界を求めて努力しよう。それが、拙作を推して下さった諸大家にお応え出来る、たった一つの道なのだから”。

 そうだ俺、今日発売の『enーtaxi』で与太コラムを。興味あったら立ち読みでも。 (07.6.30)

下々の者へ(その807)

 悲惨!池袋地区にこんなにインテリが多いとは…。外市1日目、エロ本主に臨んだ所、ほとんど売れずに大惨敗!!何と1万円にも届かず。子供のトコに上京中の愚妻に嘆くと、「富岡のもみじ平公園のフリマだって1万円超えたのよ。営業時間だって半分くらいだったのに…。今日こそ呼び込みガンガンやって、2万円は最低うんなさい!」「は…はい!」で、今日はカート一杯のインテリ本追加して、背水の陣でこれから出陣(どっかの自虐芸で売り出し中の、目付きの悪いトートバック売りみたい)。場所は、池袋「ジュンク堂」前の明治通りを、5分ばかり目白方面に下った通り右側の、「古書往来座」の壁面(営業時間は11時から5時まで)。 (07.7.8)

下々の者へ(その808)

 飯田橋に出勤したため、2週連続でプールで泳げず、体がぬるぬるブヨつく感じ。やだやだやだ。行き帰りに右文書院本の書き下ろし分の参考に、『蜂起には至らず 新左翼死人列伝』(小嵐九八郎・講談社文庫)を。著者は元早稲田の社青同解放派ゆえ、種々参考に。で、今一つ分からないのが同派の呼称。後には革労協と総称してマスコミで呼ばれるが、俺の明大夜間部時代は青解、ないし反帝学評が一般的。同書も残すトコ100ページくらいなのに、反帝学評の呼称は1度も。明大夜間部地域限定の“愛称”ってこたねえはずだが…。どうでもいいようだが、実はこういう事こそ一番大切。例えば60年代前半に“暴走族”は存在しない。あくまで“カミナリ族”。同様に70年代に“カミナリ族”はあり得ない(石川淳は晩年、集英社から出した小説でこれやって、俺は白けて途中で放り出した。元々大した作家とも思ってないが)。小嵐同様、エロ小説も手掛けてる後輩の元ブント、Yにでも尋ねるか(“青虫”とも呼ばれたが、あれは革マルのカルト用語なので要注意)。ちなみに筆者は、当時からあくまでケーハクな政治的野次馬。活動家なんかじゃ一切ないので誤解なきよう(直接筆者の小心振りを知る者は、全然そんな事考えないが念のため)。

 ただ本稿は一時中断、明日は『シネマぜんざい』、明後日は『記録』の原稿を上げねば。今月は1本も映画を観てない(映画館、DVDも含め)。校正が出始めればもっとひどい事に(そういや丁度1年だね、『出版業界最底辺日記』が出て)。愛人もおらず、風俗にも行かず、煙草もやらず、酒も週に3度。その上映画もじゃ何のために息してんだか…(突っ込むなよ。エロ漫画&自著の刊行のためだろうなんて)。アストラの本はもう100パーセント消えたね。

 当然行きました、飯田橋の「ブックオフ」。今日で2回目。やっぱ開店日の方が充実、105円で文庫本と『映画秘宝』を各5〜6册。今日昼過ぎに行くと、この前の秘宝の残りが3册。文庫本3册と一緒にレジに出すと、秘宝の2册は550円と。即返品(姉ちゃんゴメン!)。4日目じゃもう商売優先だ。値段は事前にちゃんと確認しよう(オメーだけだよ)。今後、雨の日は神保町よりこっちだね。付近には新刊本屋が計3店。どこが一番最初に閉店するのか?

 今週の映画雑誌。『キネマ旬報』1963年7月上旬号。「わたしたちのはなし」なる対談に、山本薩夫監督と、撮影監督志望の息子、山本駿が登場(司会は谷村錦一)。要は大手映画会社(東映らしい)への就職に失敗したせがれに、業界の皆様何か仕事をとの超虫のいい企画(しかも写真入りで何と4ページ!)。“山本 それでT社のほうは筆記試験を受けて、そこで選考されて残った七人が面接を受けて、一人だけ駄目だった(中略)…ところが、これは山本さんの息子だといって、そんな話じゃなくて、政治にどういう関心をもっているのか、親父の作品をどう思うかと…。こいつはすごくおとなしい模範みたいな青年なんだがね(笑)”。親馬鹿は思想も知性も国境も超える。今度の参議院選挙に、共産党の国対委員長の息子も出てるらしいし。ところで模範青年の駿チャン、今は何してんの?

 追記(15日昼)。昨日は仕事終了後、豪雨の中わざわざ神保町へ。週に2〜3度行ってるのに、なぜか夏目漱石の「夢十夜」収録の文庫本買うのをいつも忘れて。「信山社」で『夢十夜 他ニ篇』(岩波文庫・本体460円)を。ちくま文庫版があるはずだが、探してたら締め切りに間に合わない。名古屋のフリーペーパー「シネマ〜」の連載は、映画と原作がテーマだから、一応パラパラ再読しないと(今回は『ユメ十夜』。いくら連載が回数を重ねても、『人間の条件』だけはあり得ない理由、お分かりですね?『人間の絆』なら別だが)。50ページもないのでたちまち読了。公開時の『キネマ旬報』も資料に引っ張り出したし、さっさと書けばいいのに、例によってのお節介妄想モードにいつの間にやら。高崎の「アニメイト」近所の居酒屋「麒麟ビヤホール」、先週の金曜日に久々に行ったら、女性店長が変わってた。ふっくら色白美人でまた中年受けしそうだが、愛想良すぎノーマル過ぎる気も。前の女性店長の、従業員を人間扱いしない酷薄さと、一転する客への営業スマイルの深い深い落差が、成田三樹夫の演技を鑑賞するようで、心底痺れてたのにとか。更に昨今、一皮むけた自虐芸で売り出し中の、家庭内窓際族(南陀楼綾繁)をより飛翔させるには、内澤“屠畜”旬子は『情熱大陸』の敏腕ディレクター、瀬々敬久と手に手と牛の角を取り、断固熟年駆け落ちすべきだとか。あるいは、今全ての自民党の参議院候補者は、安倍が緊急入院、投票日前日にコロリ死んでくれと願ってるに違いないとか…(大平“アーウー”総理の時と違い、国民に「ザマ見ろ!」言われ、一切の効果はないだろうが)。こんな事してて休み明けまでに本当に2本も原稿が?とにかく昼寝してからまた考えよう(人様の事より自分の事を!)。

再追記(16日)。新潟の地震での恐怖の原発火災、今回は偶然隣県の俺もまだ生きてるが、大惨事になる所。腹立たしいのがNHK。なるべく目立たないようにと、巧妙にベタ記事扱い報道(自衛隊も相変わらずトロい)。人が5〜6人死んだと報じる前に、断然トップで扱かうベき大事件。ゲッペルス気取りの安倍“ネオナチ内閣”の恥部、菅総務相の圧力電話が鳴る前から、自粛してんだぜNHKの現場は既に。受信料の前に、職員の給料を半分くらいに下げろ。首になっても怖くなくなれば、少しは度胸も出るぜ(大マスコミ全般に言えるが)。さて『記録』の原稿の残り半分を。今回は『健全なる精神』(呉英智・双葉社・本体1400円)。担当の奥津さん、明日夕方には必ず。で、デートはいつします? (07.7.14)

下々の者へ(その809)

 内田栄一の名前を初めて意識したのは、碓か70年前後、『週刊プレイボーイ』での劇画原作者として。漫画家名は忘れたが、天皇問題を扱ったため大モメ、昔から腰抜け振りで知られる集英社は、当然早々と打ち切ったと記憶。その後は奇怪な題名のアングラ芝居で知られたが(映画雑誌や書評紙に広告が)、芝居に興味なかった俺は「ふーん」な感じ。再会は藤田敏八映画の脚本家として。『妹』も『バージンブルース』も、秋吉久美子の裸以外で記憶に残るのは、やっぱあのヘンテコ味な脚本(『水のないプール』も良かった)。手元に、『クレヨンの夏』(三一書房)共々、高田馬場は線路際の「ブックオフ」で650円ながら珍しく躊躇なく買った、『星と月と草のまち』(同)が。来週読もう。にしても高取英(劇作家・詩人・京都精華大学教授)は文化人を見る眼が。寺山修司、内田栄一、岸田理生、岡留安則、呉智英と、方々で必ずや御尊名が。究極の爺殺し?これだけの具眼の士に、更に文才をなどと望むのは、ヤボの骨頂と言うべきだ(81年刊、『星と月と〜』の奥付には内田の住所が。淫らな願望で記したのだろうが、新宿区原町2町目の牛込ハイツと。今度、探訪してみよう)。

 200字詰め原稿用紙、各15枚の束を4つ。右文書院本のために、この週末に以下の4種類の原稿を書かねば。1・映画雑誌記事オールタイムベスト10。2・回想の菜摘ひかる。3・俺に原稿を依頼した各版元編集者の赤裸々な人間像。4・本書制作過程をつづる特別版「嫌われ者の記」。南陀楼の奴もロクな事を考えねえ(特に“3”など営業妨害もいいトコ)。明日も映画見物に出掛けたりしなければ、1〜3まではメドがつくかも。2も、既に語り尽くされた菜摘より、“友人”でまだ現役らしい、中森ばぎな(塚本那美由)の方が余程興味もネタも。菜摘は枕で済ませるか。「チ…チンポ入れておっちゃんの〜!!」このギャグも、もはやわかる奴は3人くらい?(ヒント。『ロリタッチ』時代の某女流漫画家のネームより)

 明日は群馬県知事選挙。老害との声もあるが、自民党と創価学会が対抗馬を立てたトコ見ると、少しはまともな面もとやや強引に考え、現職の小寺弘之に1票の予定。共産党の吉村駿一は問題にならんだろうし。にしても共産党も少し考えろ。吉村君、職業は弁護士とあるが、“各種選挙での共産党立候補者”と書いた方が正確なくらいの、プロ候補者。党員、支持者でもゲップじゃ?一時同党は、必ず候補者を立てなくもいいとの方針を。しかし結局かけ声倒れ。党中央への精神的、経済的恐怖感だ。民主集中制は、いくらでも拡大解釈可能だし。宮本顕治の訃報を、一面トップで報じなかった『赤旗』に、『朝日新聞』他に驚きの声が(一面左半分)。同感。良くも悪くも同党の基礎を。天皇が死んだ後の全ての日本の大新聞、黒田寛一死後の革マル派機関紙『解放』同様、天地がひっくり返った感じの紙面が正しい。個人崇拝の否定云々じゃ一切なく、その対象が不破哲三に移って久しい事の証明だろう。遠山企画に入社後だから、77年頃か。お茶の水駅前で宮顕の演説を。巨大な北極グマが吠えるかのようであった。宮顕に限らず、名演説家は中身より、身振り、声の抑揚、表情で聴衆を圧倒。前年まで通ってた、明大夜間部の反帝学評、明大ベ平連の活動家のアジなど、ノミの屁みたいなもんと痛感(この二者は70年代半ばに野合、人民戦線形式で各種闘争を担った、明大夜間部ノンセクトグループを学内から暴力的に追放、早稲田の革マル支配を模した。こういう馬鹿な真似をしなければ、反帝学評こと社青同解放派は、もう少し明治で甘い汁が吸えたはず。結局は新左翼も、土蔵の浅智恵ネズミ同様に、米粒欲張って墓穴を。公安用語では革労協と最近呼ばれる同派、分裂して陰惨な殺しっこまで。自業自得)。

 今週の映画雑誌。『映画芸術』71年3月号。小川徹の司会で、野坂昭如と寺山修司が対談。“寺山 昔の人は黙ってした。今でもオナニーは黙ってするんですよね。しゃべりますか、オナニーで? 野坂 いや、ぼくはしゃべらないけどしゃべる人もいるよ、例えば石堂はそうらしい。いいか、いいかって……自分でいってその声が自分の耳に入ってきて興奮するっていうもの。だから、俺は石堂のは、いっぺんみてみたいと思うけどもね”。『ちくま』連載の自伝が大好評の石堂淑朗センセイ、邦画界に欠かせない巨漢のトリックスター。

 こんな事やってる場合じゃない。原稿だよ原稿。は〜あ…。

追記(22日)。忘れてた。『Mate』の投稿欄、「もんでなめてぐい」&「ズンドコジョッキー」のハガキが少なくて、困ってるんだ。来週中によろしく(売り上げは特に落ちていないのに)。例の原稿書き、1だけで26枚にもなっちゃって…。もう1本が限界?朝っぱらから(午前8時!)BS11で、年令及び素性不詳の、ヘンテコオヤジの不気味顔見て、勤労意欲が喪失するし。オヤジに自分が推した河野多恵子の小説にケチつけられた、左側の昭和30年代風女流詩人の、むかつき顔がストレートで渋かった。(07.7.21)

下々の者へ(その810)

 文字通り溢れ出るあなたの精力ゆえだろうが、生汁嬢、余りタダで芸を公開しない方がいい。エロ漫画の付録DVDも、予告というか触りだろう?(やたら修正もきついし)。タダは書く側も読む側も堕落させる。「嫌われ者の記」第193回さっきアップ。今回は凄く順調。予感はあった。今月頭の、某宴会で某嬢に痺れるセリフをいただいてね。「カズヤに頼べばいいのにー!」。この妄想が妄想の嵐を呼ぶ名ネームに、400字9枚の原稿などアッという間。前後関係説明しろだ?誰がタダでなんか。『Mate』10月号、ちゃんと買って読め。ただ生汁よ、かつては菜摘ひかるも最初はネットでな、それを見た洋泉社の…てのは、明日仕上げる予定の菜摘への回想文で書くのだ。ホント俺ってサービス過剰。

 今年初めて「富岡市民プール」へ(100円)。ここ数年冷害、いや不作続きだった監視員のバイトの姉チャン、本年は珍しく色っぽいコが数人。明日も行こっと。ベンチで『星と月と草のまち』(内田栄一・三一書房’81)の、後半40ページ読了。言葉もない超傑作おまんこ小説。発表当時全く話題にならなかったのが謎。チョイ後だったが、小川徹の『父のいた場所』も同社。勢いを失した版元からだとこんなもの?さて俺。右文書院だ。ピッタリかつ文句なき立派な版元様だ(かなりヨイショ入り)。その後、続いてベンチで、初めて買った『SAPIO』の公安調査庁&公安警察特集を。特に新味はなかったが、宮崎学の弁明を精読。う〜ん。やっぱこの人や佐藤優は信じられない。特に物的証拠はないが、本を2〜3冊読んですぐ飽きる奴は、昔から偽物という俺的内規があってね。本田靖春や溝口敦は何册読んでも面白い。化学調味料と天然の差か?

 今週の映画雑誌。『キネマ旬報』57年6月下旬号。話題が2つ。まずキネ旬ニュース。驚くべき事に、『明治天皇と日露大戦争』を、皇族が揃って観覧している。“…高松宮はじめ各宮家なども観覧されたが、5月23日午後2時20分、皇太子殿下は小泉信三氏を同行、大蔵社長、渡辺邦男監督のお迎えする中を、新東宝試写室で御観覧になった”。今なら首相の靖国参拝どころの問題じゃないが。にしても、小泉信三、映画眼はゼロだった模様(安藤鶴夫の小泉への崇拝振りは、吐き気がする程だったな)。皇太子とは勿論、今の天皇。右翼人脈の要請でも?或る意味で関連する、もう1本のドキュメンタリー映画。一時『映画秘宝』で話題になっていた、『われ真珠湾上空にあり 電撃作戦11号』の1ページ広告が。“この映画は日本敗戦の記録ではない。戦史を飾った真珠湾攻撃よりガダルカナル攻防までの三年間、大平洋戦争の主導権が完全に連合艦隊を主体とする日本陸海空三軍によって掌握された事実は、何人もこれを否定出来ない”“感動と拍手 日本民族必見の記録!!”(惹句より)負けた戦の勝った部分のみをを繋げた記録映画。まともな神経なら余計にみじめになりそうだが、神国日本人民の意識は想像を超える。まあ、親族に戦死者がある庶民が押し掛けるのは、時代背景を考えると少しは納得。でも今は、インテリまでもが『電撃作戦11号』万歳化。ニッポジンワッカリマセーン!!(日本人の皮を被った北朝鮮人、韓国人、中国人の混血者)。 (07.7.28)

下々の者へ(その811)

 別に『週刊新潮』に今さら念を押されなくとも、群馬県が全国屈指のブス生産地だなんて事、県内の客観的視点を備えた男は、内心誰もが昔から確信。特に俺が毎日利用してる、上信線が走る甘楽、富岡地方は、“逆秋田県”と言うか突出、有無を言わせぬ趣が(信じろよ。ダテで毎日新潟方面の連中を交え、新幹線で埼玉を通過、東京に通っちゃおらん)。具体的にゃ、宇宙飛行士の向井千秋。群馬の典型的、ザ・キング・オブ・ブス。あのアマを肥らせたり、栄養失調にしたり、壁に投げ付けたり、踏んづけたり、3流医者が整形したり、三枚に下ろしたり、ゴマ和えにしたリが圧倒的多数。勿論、肌は色黒ならぬ茶褐色。これで気が強いとくるのだ。手の付けようがない。男は萩原朔太郎になるか、大久保清になるか、高い所が苦手でない奴は、中曽根康弘のように、刑務所と世間の間の壁を、ソロリソロリと歩むしかない。

 呉智英と思想信条は異なるが、気違い防災無線に悩ませられるや、断固闘う姿勢には共感(ここらが、国家権力はおっかなくて仕方ないくせに、左翼攻撃には居丈高になる、彼を教祖と崇める、多くの小心ミーハー馬鹿共との相違)。裁判じゃ負けたらしいが、最近はどうしてんだろう?再審なんてのも手じゃ?例の内澤旬子の、『世界屠畜紀行』評を彼が『ダ・ヴィンチ』に書いてたが、公平で説得力が。左翼はここら心が狭い。左から右への転向は多いのに、逆は少ない理由だろう。それにしても凄いよ解放出版社。ベストセラーなのに、著者が請求するまで印税出さなかったって話だし、税率もエロ本界並の8パーセント。「フリーの物書きへの差別的人権侵害だ!!」と、俺なら千代田公会堂あたりでの、“印税差別徹底糾弾全国人民集会”を断固要求するが(勿論徹夜での。ゼッケン付けた我が子供も、学校を公休扱いで休ませ動員)。

 アストラ、荻編集長とと大畑平編集員の意志の疎通が、全然出来てない感じ。半年も放っときゃ話は壊れたと著者に解釈され(塩の字の事)、他に持ってかれて当然。いくら担当の奥津さんが美人でも、俺や齋藤さんの自由になる訳じゃないしさあ(当然だよエロボケ中年!)。あと『記録』のレイアウト、最近場末のスーパーのチラシみたいでひどすぎ。ひょっとして奥津さんがしたのなら可哀想と考え黙ってたが、大畑情報によれば、スケコマシ馬面野郎、宮崎太郎がやったと。奴のキンタマはともかく、レイアウト感覚はゼロ。早く昔に戻せ。あと最後に大畑センセに言っといた。「講談社に申し込んだらどうですか。斎藤さんの一連の本と、西岡研介の例の本を並べて、“マングローブフエア”を開催しましょうって?」「う…う〜ん…」

 週末いつも原稿書きだった昨今。久々に高崎へ(折りからの高崎祭りで、上信電車内は向井千秋顔で一杯)。「シネマテークたかさき」で『サイドカーに犬』。『雪に願うこと』といい、上手くなったね根岸吉太郎監督。94分の長さも良し。女優が皆同系統の美人揃いで起伏に欠けたり、竹内結子が大根すぎて神秘性ゼロだったり、種々隙間風も吹いてるが、脚本(田中晶子・真辺克彦)と、松本花奈の好演と自然な演技指導で、安心して見物出来た。小児科監督として根岸は、相米慎ニを超えたんじゃ?大人の膝に子供が抱きつく、ほぼ『天然コケッコー』と同アングルの場面が。いずれも泣かせ場だが、根岸が後半、ちゃんと盛り上げようと計算してるのに比べ、山下敦弘は前半唐突に。やはり新鮮な山下の勝ち(というか、脚本の渡辺あやの力量か?)。根岸が新派的に見えちゃう。あの構図は泣かせ向きなのか?俺達の業界だと、単なるエロシーンになっちゃうが…。 (07.8.5)
 

下々の者へ(その812)

 カリカリカリ。例の南蛇楼綾繁の『路上派遊書日記』(右文書院)06年版の脚注をね。合計24件の個人(作家、映画監督)、編集者、雑誌他。無駄話で挙げた以外にも、晩鮭亭、米沢嘉博、原田眞人、模索舎なんてヘンテコなのも。けど俺向きの面白い仕事で、残るは8件のみ。50件までならスラスラのスラ。ただ晩鮭亭に関しては、醜いアバタ面野郎という意外は特に知らない(我が同志?)。各方面に便利にただ働きさせられながら、一切いい思いをする事なく、膀胱ガンで数年後に死にそうな、“使い減りしない無邪気馬鹿”、退屈男にでも尋ねるか?(読んでたら電話番号を知らせろよ。←エッラそーに!)。事前に、ワイロ次第でペンをホイホイ曲げると宣言してるのに、誰からも連絡なし。実に心の狭い連中ではないか(栄昇ビル競売問題のついでに、上階の坂崎重盛にも声を掛けたが、御自由にどうぞとにベもない)。ここまで名誉に拘泥しないのは、世界広しと言えど日本人くらい。屈しないイラク人を見習え!!(俺は卑屈な日本人のままで行くが…)。

 昨日、「富岡市民プール」で、拙著の読者から声を掛けられたが、つい無愛想な対応を。だってよ、パンツ1枚の見知らぬ中年男に突然話し掛けられたら、誰だって気持ち悪いだろ?(昔、90年代初頭か、中森ばぎな原作のエロ漫画を、山崎邦紀監督がピンク映画化。同作を「新宿国際名画座」に観に行った祭にトイレへ。多分ホモ客は居るだろうと覚悟してたが、俺と同世代のやせた野郎が、入口で短パンの脇からキンタマをニョキリ出してたのにはゲッソリ)。土日のプール通いで読書もはかどる。『日夏耿之介文集』(ちくま学芸文庫)『古本屋を怒らせる方法』(林哲夫・白水社)、そして今日は『ルポ 最底辺』(生田武志・ちくま文庫)を半分ほど。特に3冊目は、昨今パッとしない同新書としてはさえてる。

 マングローブ、いや創価学会と並ぶ日本の2大カルト、革マル派の牛耳るJR東労組の大拠点、高崎駅新幹線ホーム付近、夏のエピソード。10日くらい前か。10時頃に高崎駅に着くあさま号の車掌が、「上信電鉄線は0番線より、22時25分発です」と、ちゃんと乗り換え案内したのには驚愕。当然、JRの各線は丁寧に案内するが、上信に関しては「0番線です」だけで、時刻までは絶対に伝えない。そりゃまだいい方で、存在事体を無視する車掌もざら(東労組、国労の区別はなしと確信)。実際、時間案内まで聴いたのは帰郷後初めて。思ったね。「この車掌、富岡、下仁田方面の出身者じゃ?」上信にゃ毎月ベラボーな運賃巻き上げられてるだけで、何の義理も愛着もないが、なぜか少しうれしかった。その同じあさまで、先週木曜日の夜は、手錠と腰なわ打たれた容疑者が護送(2号車)。驚いたのは護送刑事の人数。何と4人!容疑者は特に大柄という訳ではない。1対4との内規でも?(多分、白衣観音見物にくっついて来ただけじゃ?そういや英国人金髪美女殺し犯人は、最初警官が9人も駆け付けておめおめ逃がしたが、誰1人首になっとらん)。交番には姿なき連中も、夜の接待のありそうな所にはウジャウジャ。嬉しかったのは、以前に無駄話で触れた、0番線上信ホームで、軽薄そうな若者にゴロをまいてた、高崎鉄道警察隊中、一番ゲス面して態度も頭も育ちも悪そうな、問題の初老制服警官が迎えに出てた事(良く見たらこいつメガネしてなかった)。勿論、刑事共へは日頃と打って変わって最敬礼でペッコペコ。同僚にも嫌われてるよきっと。出入り業者からワイロ受け取るのもこのタイプ(まさかマングローブ…は相手にしねえよな、こんな退職間近かの下っ端チンピラ)。刑事はインテリっぽいのが多かった。あの後は柳川町で大豪遊だったのだろう。勿論、裏金という我々の血税で。いいなあ、本当にいいなあ…。(07.8.12)

下々の者へ(その813)

 富岡市の騒音は気違い防災無線だけじゃない(今日も昼に富岡警察署からと称し、臨時放送。消火器のインチキセールスマンに注意をと。馬鹿野郎、クーラーの効いた署内に引っ繰り返って、鼻糞掘りながら、説教騒音まき散らしてるんじゃねえ。狙われそうな事業所を自分の足で回らんかい。市役所の行政課も悪い。こーゆ時こそ縄張り争いせい。警察の言うがままになっとけば、いざワイロでももらった時に、見逃してもらえるとでも?)。雀追いの空砲(人手不足のせいか、前は9月頃からだったのに最近は8月頭から)。花火。ここんとこ毎週末。東西南北どちらかで。何で花火だからって夜の騒音が野放しなのか?花火嫌いは一致団結、各自治体に抗議すべし。

「富岡市民プール」の1時間ごとの注意事項放送。走るな喰うな職員の言う事は何でも聞け等、5分近い説教を。利用者の心配より連中の保身。かつてここでは一日中音楽を流しててね(そのくせ、足がつったら大声で助けをなんて注意書きが何カ所も)。体育課とでも言うのか、もみじ平公園内の豪華事務所の抗議に行って中止させた。驚いたのはブルジョア職員連中の勤務態度。何もしてない白痴そうな職員が、豪華な机に鈴なり。連中の死角からこの様子を確認後、ゆっくり中へ。するとさっきとは一変、全員が仕事する振りしてて大笑い。帰りに寄ったトイレもピカピカ。建てた土建屋とボンクラ職員だけが幸せを満喫。富岡市が県内屈指の赤字自治体になるのは当然。一方、「富岡市民プール」。着替室に公衆電話1台、鏡1枚ない(トイレのゴムサンダルなど、北朝鮮の田舎でも使わない代物)。もう昔から。使う側の事を少しでも考えれば、要求されなくとも備えるべき設備。職員用事務所にはきっとある(見なくてもわかる)。あのもみじ平の豪華建物とトイレに比べると、怒りのため息が。これがドコジキ役人が胸を張る、富岡市の腐れ行政の実態。当然、右文書院の本にも、岩井賢太郎市長以下のカス共の横顔を具体的に詳述予定(訴えろ。宣伝になる)。

 右文書院と言えば、南陀楼綾繁の『路上派遊書日記』06年版の脚注全部アップ。早めに上がったから、著者にまず送り確認させ、編集部に送ってもらうか。かなりひでえ事も書いてるし、軟弱野郎がビビる可能性も。脚注で俺が一番買ってるのが、『映画秘宝』連載、高瀬将嗣の「技斗番長・活劇与太郎行進曲」。適格で短く鋭く、同時に面白い。その高瀬が、『レコンキスタ』(一水会機関紙)338号の読者欄に投稿を。“反日陣営の情報戦略に我々も見習うべき”とし、桃太郎をベースにした映画製作をと訴えている。下らねえ。単なる営業を愛国心で化粧してる感じ。生半可な政治論ぶって、昔からのファンをガッカリさせるな。

 3日間の夏休みは、鏡なしプールにしか行かなかったので、仕事がはかどる。『記録』の「奇書発掘」は『総理の乳母』(七尾和晃・創言社)をボロクソ(余りにひでえ本…)。先に書いたように、モクロー本用の脚注もアップ。ついでに自分の右文書院本用の、特別版「嫌われ者の記」もかなり進行。順調だなあ、一番収入の多い問題の本業不振以外は…。少しは自著のゲラでも出てれば…とまで考える余裕さえ。

 今週の映画雑誌。『映画芸術』66年1月号(表紙に山本迪夫の印あり)、白坂衣志夫の「小津安二郎とマリリン・モンロー」より。“女の感覚は、するどい。ぼくの内部に、女をうけつけないある種の冷たさがあるのを、すばやく感じとり、敬遠してしまうのだろう。冷たさというのは、多分ぼくのホモセクシャルな傾向である”“ぼくが亡くなった小津安二郎氏の作品について、いくつかの攻撃的な文章を書いたのは、美貌の老人であった氏に対する愛情の表現であった、のかもしれない”“氏の映画を装飾している日本的な伝統の美と調和をはぎとってしまったとき、そこに、あらわにされるのは、父と相姦の姿である。性的劣等感をもつ父は、美しい娘に、愛を告白する勇気もなく、若く、たくましい夫へ娘を与えてしまうのであるが、娘が行ってしまった夜、老いた父は、おそらく、夫と娘の痴態を、あれこれ想像して、マスターベーションにふけった、と思われる”。(07.8.16)

下々の者へ(その814)

 脱力。昨夜、久々に画面が固まり、1時間30分くらいかけて書いた、数十行がパー。逃がした魚はでかいと言うか、凄く立派な事を書いたのにとの思いがつのる(勿論自惚れ)。記憶をたどって再び打ち始めたが、再度の悪夢は御免なので、ここまでで1度送信、従来投稿する際に失敗経験がない、追加編集スタイルで行こうと。

さっき2度目も固まる。もうどうでもいい。仕事しなけりゃ。今後もこうなの?

生汁よ、オメー本当に丈夫だなあ。大日本帝国時代なら、満州国あたりで大金稼いだろう(職種にゃあえて触れない)。次回原稿はは9月。見本誌送っても大丈夫な住所と、銀行口座を知らせてな。あとカットに使えそうな写真(未成年時代のエロモノ不可)。『BUSUTER comic』Vol・1の俺の映画評は、3流文化人気取りでイマイチの評判。素早く「嫌われ者の記」風に路線変更、今カリカリカリ。俺の辞書に“節操”との言葉はない(生汁ネタも当然ソーニュー)。

 前回の余りに悲惨な売り上げに、準備する気さえ起きなかった、池袋「古書往来座」での外市も、いよいよ来週の9月1日〜9月2日。やっと昨夜から。惨敗の原因のエロ系を排除、池袋地区のインテリ向け硬派本を二箱も用意(前回の雪辱を期す)。けど俺、1日しか手伝えない。2日の撤収作業は、アバタトリオのNEGIにでも頼むか(トリオ、他の構成要員は晩鮭亭と俺)。生アバタ顔見たい方は、1日に勝手に来て買って後悔してね。

 出ましたね。板橋の行方不明だった殺人被害者の死体が、富岡のすぐ近所の吉井町の山から。俺が昨日も行った、「富岡市民プール」裏手からも、数年前に親に殺された幼児の死体が。知らずに一夏、死者の香りの中で連日泳いだ(プールと鏑川の間の、金網越しの林)。けどここらの住民は、特に高齢者は、一体や二体の死体じゃ驚かない。大久保清&連合赤軍事件を経験してるから。“キツネ目の公安のスパイ”、宮崎学は一時、吉井町でゴルフ場の開発か何かしてたと。『突破者・それから』に確か。どうでもいいが…。

 今週の映画雑誌。『キネマ旬報』1960年5月上旬号。まず「映画のファクター」欄。見開きで、東映東撮宣伝課の10数名の、柄と育ちのの悪そうな連中の写真が。右端に第二東映のチンピラ風のあんちゃん。キャプションに関根忠郎と。後に、映画の惹句に関するインタビュー本を出す人だろう。「続・映画的表現について」を吉本隆明が執筆。花田清輝以下の新日文関係者を批判。例によっての図解入りだが、後年ほど難解な感じではない。吉本と言えば、『月刊百科』の鹿島茂の連載も凄い。吉本があれほどの“思想的巨人”だったとは…。昔は結構読んでたのに、全く理解出来なかったと言う事だ。すいませんねえ。けど、古典でもないのに、同じ日本語で書かれながら、トラの巻がないと分からない思想家って…。川本三郎じゃないが、その点花田清輝はいいよ。寝っ転がって拾い読みしても意味分かるし、クスクスクス。大人は導いてなど欲しくないのさ。

その鹿島茂は結末が不満なようだが(俺は大好き)、石井輝男監督の傑作、『黄線地帯』の紹介も本号。1ページ大の広告が。泥臭い題名の書き文字(どう見ても素人芸)の横に、同様センスの“イエローライン”とのルビ。各種惹句は以下。“大型総天然色 新東宝迫力巨弾”。“黄色の肌と黒い肌!欲望のカスバに巣喰う悪の顔!”。半裸の三原葉子に抱きつかれた、吉田にもかかる。“人気爆発のトップスター吉田輝男の魅力!”。ただ超けちん坊の新東宝宣伝部が、1本の紹介で1ページを消化するはずがない。下方に3作品のついでの宣伝。作品名は以下。『肉体の野獣』『爆発娘罷り通る』『女と命をかけてブッ飛ばせ』。素晴らしい。心底痺れるラインナップ。『女と〜』の監督、曲谷守平は、伝説の怪奇作、『九十九本目のの生娘』の監督として、余りにも有名。“SM&差別テイスト”に満ちた同作、久々に再見したいものよの。3度目でようやく…。大丈夫? (07.8.26)

下々の者へ(その815)

 校正地獄。やっと180ページ(約6割)。昨日は「古書往来座」の外市で、店番の傍ら路上校正まで。出来っこない、漢字やかなや数字や言い回しの統一など最初から放棄してるが、昔の文は“トルツメ”の赤い嵐で。俺が担当編集なら、この初校見た瞬間に企画中止するが。ただ3段組が多かった拷問部分は過ぎ、2段の「奇書発掘」に入ったのでかなり楽に。学生運動用語はその畑の奴に見てもらう約束だが、漫画家、漫画誌名関係も、永山薫のアホにチェックさせるか。その種の誤植くらい、読んでてしらけるモノはない。算用数字と漢数字の混合ダブルス、単なる誤植など屁でもないな、それに比べりゃ。さてまたやろう。 (07.9.2)

下々の者へ(その816)

 猛暑の中、初校の2度目のチェックは続く(やっと半分)。気違い防災無線が、台風被害復旧のボランィア募集とかで、3度も大音量で臨時放送。錆びた刺身包丁持って、市役所に殴り込みたくなる。市長、岩井賢太郎の経営する、岩井建設の全社員にまず強制的にやらせてから、そいう不遜な呼び掛けはしろ(連中も税金で生活。プチ公務員だろっての)。ゲロエロババアのド糞声で、室内温度5度アップ。机の周囲は各種辞典で墓場のよう(石塔状に山積み)。再校を見終えるまで、基本的に片付けられない。さらに、書き下ろし原稿で引用した雑誌類も。意味が通らないと思って見ると、写し間違えてる箇所が結構。映画の題名も大変。例えば、『実録安藤組・襲撃篇』と『実録外伝 大阪電撃作戦』。前者には中黒が入り、後者は入らないで空きのみ。文字や数字の統一など全くどうでもいいとして、この種の事は出来るだけ正確を期したい。その他にも色々。『江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間』の“奇”は、ポスター通り“畸”にすべきかとかね。完璧は無理だが、なるべく近づけたい(漫画家、漫画雑誌は永山薫のボケに校正させる事に。お礼、牛丼一杯奢るだけって訳にはいかねえよな?)。

 もう60回くらい休まず、『書評のメルマガ』に月1連載中の「版元様の御殿拝見」、今回初めて休みを。仕方ないよ。それより俺、自分のも含めて、配信されてもほとんど最近読んでない。眼が疲れてさ。そだそだ、『記録』編集部の奥津さんに、書評で使用分の本の残り、また返してもらわないと。引用部分の疑問点、本がないとどうにもならない。アストラでも出したかった「奇書発掘」なので(右文書院本に70回のうち、50回も使用)、少し言いずらいのだが。

 今月の読了本は、まだ小沢信男の『ドキュメント悪女』(三一新書)1冊のみ。小谷野敦の『悲望』(幻冬舎)もやっと半分。映画も全然。「書泉グランデ」で500円だった、“怪奇十三夜シリーズ”の、『おんな怨霊舟』(監督・石井輝男)でも観ながら、早めに寝るか(同シリーズの、中川信夫も良かった)。眼を休めないと仕事がはかどらない。明日は54歳。 (07.9.8)

下々の者へ(その817)

 本欄にうるさく書き込む、岡田何とか言う物件と並ぶ馬鹿者だな、お前は(前者に関しては、寛容な俺様をして2件削除させたほど)。“正確を期す”と言うのは生身の人間の、単なる努力目標に過ぎない。“木山”を“本山”に誤植するなど、“南陀楼綾繁”を“南蛇楼綾繁”、岡崎武志を“岡崎武士”、荻原魚雷を“萩原魚雷”とする程度の、日常のありふれた光景。自慢するような事じゃないが、「てへへへ…」次元。“機”や“奇”だと、文字化け時代とはいえ、“へ”(笑い声)の数は相当増えそうだが、それでも“言語道断”とまで言えない。『私小説作家入門』なる新書が刊行され、彼の項目でそれをやったら、さすがに言われても仕方ない。本件の場合は言語道断ではなく、“針小棒大”が正しい。相手を批判しようと思ったら、不精せずにもっと説得力あるネタをコツコツ探せ(穴はいくらでも)。己の分不相応な“自己顕示欲”を制御出来ずに、ケチなケチ付けで粋がるから、馬鹿さが夜空にスパーク。加えて姑息にも、最後で愛想笑いして保険かける屁っぴり腰振り(生来の人格の卑しさが露呈)。俺様に意見するなど1000年早い。まあ、馬鹿でもチョン…いやチョンの間でも泊まりでも、銭に変わりがあるじゃなし〜溶けて流れりゃ〜皆同じ〜♪なので、拙著を買ってくれるのは有り難いが。君が本当はいい人なのは、俺も実は良く分かっているよ(馬鹿の手法で締めてみました)。

意外に面白いね、『野生の証明』(’78角川映画)。終わり方はかなりアレだが、高田宏治の脚本も好調だし、60〜70年代の邦画界の名傍役陣が勢ぞろいで、豪華絢爛。最後の浜辺の薬師丸ひろ子のイメージショットは、角川春樹が無理矢理挿入させたか?(スタッフはやる気なくすよ)。トラック特攻刑事役、夏木勲にキスシーンがないのは残念。奴の相手の口を丸ごと喰っちゃうようなキス演技は、常にワイルドで一見の価値が。もっとも、『女囚701号・さそり』(’72東映東京)では、逆に舌を梶芽衣子に噛み切られるのだが。

 やっと校正から解放された週末(再校出稿までのつかの間の休息)。3連休も『記録』の「奇書発掘」しかないし、高崎の「シネマテークたかさき」にでも(ワンパな日常生活が俺の趣味)。「奇書〜」は『名画座番外地』(川原テツ・幻冬舎)かな。昨日は「ヒナタ屋」という、かつてはエロ漫画の充実した書店として知られた、「文苑堂書店」のあった斜め向かいの小汚いビル4階の、明日夜逃げしても驚かない感じの喫茶店で、右文書院の青柳編集長、南“蛇”楼綾繁と待ち合わせ、種々打ち合わせを。何だか知らない内に、11月3日だか4日に、俺はあの有名な内澤旬子様とトークショーやるハメに。相手が相手だけに動員は一切心配なしとして、問題は右文書院の本。それに間に合わせるには、10月末までには見本がアップしてないと。会場で販売出来なければ、“大旬子様”に御足労願う意味がない。1週間前後で再校出稿と青柳編集長が言ってたが…。書名もそろそろ決定しないとなあ(俺はその種の事には介入しない主義)。老眼がまた進行する。(07.9.15)

下々の者へ(その818)

 疲れた。夕方から、辞書類の積まれた電気ゴタツ流用の万年机と、奥の本棚を行ったり来たり。前にも書いたが、『路上派遊書日記’06』(仮題・南陀楼綾繁・右文書院・秋発売予定)の脚注を30カ所ばかり担当、その初校が出たのでね。書名、作家名、映画題名、役者名、発売&製作年度と、悪口が多いからこそ、余り間違いたくないから。来週は拙著(同じく右文書院)の再校が出そうだし、この連休だけはゆっくりと思ったが、甘かった。けどいいかげんな脚注。本文で著者がベタ誉めしてる映画を、俺がボロボロクソボロけなしてたり(原田眞人の場合。ポリフォニィなのか?脚注者は他にも数人)。

 昼間はプールで泳ぎながら、拙著の題名を色々考える。書名は一番経済的リスクを負う、版元及び担当編集者が最終決定権を持つが(『出版業界最底辺日記』もそう。Mさんいいの考えてくれました。“出してやる”、ベストセラー作家は別)、1つ2つは候補くらい出した方が、著者としてのけなげさも出るし。1本だけ絞り出す。『映画・古本・エロ漫画 昭和平成欲情史』。お里と映画趣味が露骨ですが、一応候補一覧にはソーニュー願います(石井輝男ファンの笑い声が)。最終章は書き下ろし制作日記。仮題だったので、昨日ファックスで連絡。「創作ノート(小林信彦風に)」。青柳編集長が非常に喜んでくれました。明日は「嫌われ者の記」第194回をアップ、翌日は上京して映画見物の予定。

 今週の映画雑誌。『映画評論』1974年12月号、「ごしっぷ・さうんど」より(71ページ)。“七年ぶりに開いた「怪奇映画フェスティバル」も、楽の日には大入りとあって…(中略)。…誰もが見損なった石井輝男の『恐怖畸形人間』が大人気。小池朝雄が女装したり、人間椅子の中に入って椅子の下でオサスリするところなど、ヤンヤの喝采。最後に人間花火が飛んで「こんな傑作とは思わなかった」と拍手しばしやまず。『東海道四谷怪談』以来、久々の怪奇の名作となるでしょう”。先駆者としての喜びと自信、一方で業界的には当時孤独だった佐藤重臣の、悲哀のようなモノが感じられて泣かせる。堪え性なく、“ファッションとしての石井輝男”をベラベラ垂れ流す、『映画秘宝』や『Hot wax』の、蒙古斑を売りにする馬鹿共との落差は大きい。何度か、ゴールデン街の公衆便所で目撃。いかにも肝臓の悪そうな、ハンバーグもどきの、はれぼったい土気色の顔。長くなさそうだなあと思ってると、間もなくポックリ。どっかで出して欲しい、『完本ゴシップ・サウンド』。 (07.9.22)

下々の者へ(その819)

 今度上京の際は山崎邦紀と一杯やりましょう。ただ奴は福島の両親の介護もしてるため、早めに日程が分からないとまずい感じ。右文書院本の校正でふらふら。同書、第一章の冒頭原稿は「いがらしみきおの世界」。1982年に東京三世社から出した、いがらしメインの増刊号、『面白ネ暗大全集』掲載の拙稿に手を入れた物(この増刊号は返品の山だった)。意外な所で役立った(収録原稿の選択は全て南陀楼綾繁)。旦那のHPの映画欄、更新中止とか。残念。無駄話でも触れたけど、『最後の特攻隊』(監督・佐藤純弥・’70東映)は興味深い1作。直居欽哉の脚本の威力だろうが、特攻隊が同国人同士の殺人事件だったてのが良く分かる(イラク戦争同様、起こすのは金持ち、死ぬのは貧乏人)。無条件降伏後、最後は鶴田浩二が零戦1機で空の彼方に消えて行く。最近読んだ『映画芸術』の当時の記事によれば、本当は日本に向かって鶴田機は突っ込む予定だったと。東映社長、大川博がのけぞり、撮りなおさせたらしい。特撮シーンは小学校の映研レベルだが、一見の価値あり。

 再校、まだ1回目が100ページ以上残ってるのに、間に合うのか?水曜までにはもう1回。その間に「ズンドコジョッキー」も。本当に11月4日までに見本が上がるの?“一家に一匹退屈男”でさえ心配を。でもやるのさ。そういやふぉっくす舎のNEGIよ、お前は新しい『路上派遊書日記』用に俺が書いた、某ブログへのコメント内容、当人にチクラなかった?(ネタにした描写が消えた)そうなら、あんたを信用してたのに残念。笑いは友情の上に来るモノと昔から相場が。無意味な脚注が1本迷子に。さてまた校正。はあ…。(07.9.29)

下々の者へ(その820)

 右文書院本の題名がようやく決定。『東京の暴れん坊』。副題を今検討中。定価は2000円前後。約350ページ(2段、3段組みページ多し)。書店に並ぶのは11初旬。初売りは、11月4日の内澤旬子姉御とのトークショー、「うるさい奴は皆殺し!」の会場かと(同時に閉店間近の、「書肆アクセス」にも。例によっての塩Qの、陳腐イラスト入りサイン本なり)。

「うるさい奴は皆殺し!」は、奇数月ごとに開催されている、「ジュンク堂」池袋店の先の古本屋、「古書往来座」(電話03ー5951ー3939)の外市(11月3日〜4日)に連動するイベントで、上がり屋敷会館(豊島区西池袋2ー2ー15)で開催(午後2時〜4時)。入場料600円。参加希望者は「古書往来座」に電話で(ネットでも可)。定員40名。やせとアバタの2人の中年男女が、神経を逆なでる世間のあらゆる騒音に対して、怒りを爆発させる。噂では、内澤&畠中店長出演の、漫画屋でロケされた、山崎邦紀監督のピンク映画の、部分上映ありと(スタニフラススキー真っ青な畠中店長の怪演は必見)。

 内澤姉御は説明するまでもなく、『世界屠畜紀行』(解放出版社)で有名(TBSの『情熱大陸』を観た人も多いかと。『琴姫七変化』みたいな女狭客なので、いつバッサリやられるか、今から怖くて…)。姉御の動員力に頼り、『東京の暴れん坊』を売りまくろうとの思惑。姉御の署名本を入手するチャンスだし、俺は嫌いでも是非いらしてね。ちなみに『琴姫〜』はボンカレーのブリキ宣伝板でお馴染み、松山容子主演の女剣劇テレビドラマ(日本テレビ。60〜62年)。小学生ながら、キツネ眼で強い美人のお姉さんの大活躍に、マゾ心の芽をツンツン刺激された。

 その前の来週の土曜日、10月13日に千駄木の一箱古本市が。例によって「嫌記箱」で参加。前出の外市で、向井透史の陰謀じゃなく(当人、俺様のデマに結構マジでむかついてておかしい)、間抜けな品揃えから在庫抱えちゃってるので、そのバーゲン及び新たな商品出して稼がなきゃ(その欲望が商いを失敗させる?)。でもこの間は校正で準備全然してないから、今夜これから。海野弘が春は結構売れたから、蔵で初期のを物色しよう。

 生汁よ、あんたの連載は、あの南陀楼綾繁もほめとったぞ。原稿たまったら、どっかに売り込んでみるか。菜摘ひかるは文体及び内容に、良くも悪くも育った環境が濃く反映されてたが(社会派)、生汁ワールドは脳天気で即物的(要するに馬鹿っぽい。が、文章は相当に計算されてて知的)。商品性はあんたの方が今は上。自信持ちな。同時にタダ原稿には余り精力注ぎ込むな。“生汁さんを囲む会”はそうねえ、11月から12月に、忘年会も兼ねて姦るか、いややるか、5〜6人でひっそり。希望者はハガキかメールで連絡を。それより銀行口座知らせろ。まともな住所も。マン一事故死した場合、20歳前半で“住所不定”ってのも…。

“北関東の水呑み百姓が、銀座タッチのタンカを切った!!”。頼まれもしないのに、拙著『東京の暴れん坊』の腰巻き(帯)のタタキがサッと浮かぶ(種々の作業も終わり、素直に喜んでる無邪気な俺様)。ただこれだと、『古本屋おやじ』(ちくま文庫)の著者、中山信如からは、「題名ばかりか、主題歌からまでいただくとは…」と呆れられるかも。中山は『映画評論』1975年1月号で、当時の流行歌が「草原の輝き」「陽のあたる場所」「ピクニック」他、映画題名からパクりまくってるのを、投稿欄で粘着的に批判。尚、同号の、内田栄一以下のクスボリ共同隊の誌面ジャックは凄い。同隊の芝居、「天皇と警察」で天皇を演じた湯本華子さん、それを喰っちゃう役の薗部優子さん、お元気ですか?さて一箱古本市の準備しなきゃ。

 資料。“花の〜パ〜リ〜の〜シャンゼリゼで〜銀座〜タッチの〜タンカを〜切って〜パ〜リ〜野郎の〜ド肝を〜ぬいた〜♪”。60年度日活の、伝説的ミュージカルコメディ映画、『東京の暴れん坊』(監督・斎藤武市)の同名主題歌(作詩・丹野雄二・作曲・小杉太一郎)より。資料の資料。『AKIRA KOBAYASHI Mighty Guy Tracs Vol・1』(監修・解説・佐藤利明・コロムビア2枚組CD・定価3500円)。作詩の丹野雄二は当時助監督(同作字幕には神代辰巳と。サードかフォース?主題歌作詩は、日活では助監督の仕事だった様子)。丹野は後に、『ハレンチ学園』シリーズの1〜2作を撮る。女房は大根美人女優で知られた、稲垣美穂子。丹野監督、『残酷女リンチ』なる、忘れられたエロ佳作白黒作品があるが、永遠にDVD化は無理?で、佐藤利明も言ってるが、天才・小杉太一郎の2枚組CDはいつ出る?

 資料その2。現在70歳の松山容子は、元々松竹でデビューしたが芽が出ず退社。『琴姫〜』のヒットで、クリント・イーストウッドがイタリアからそうしたように、ハリウッド、いや松竹に凱旋。この頃の作品が無性に観たくて。『めくらのお市物語・真赤な流れ鳥』『同・地獄肌』『同・みだれ笠』(以上69年)。『めくらのお市・命貰います』(以上70年)。やっぱ無理? (07.10.6)

下々の者へ(その821)

 一箱古本市はやっぱり発祥の地、千駄木。例の池袋の外市で築いた在庫の山を、ほぼ完璧に処分(合計70数冊で27000円位。6時間でだから参加料2000円を引き、時給約4166円。ソープ穣になった気分。←元手を忘れてるドアホ)。やっぱり肉体労働者が主の池袋より、インテリの多い街向きなんだなあ、俺の知的な本揃えって。今回は終始店番も。『出版業界最底辺日記』(ちくま文庫)の読者が予想外に一杯来てくれて、うれしかった。美女揃いの若い姉チャンは特に。数人のオヤジにも励まされたが、突き上げるような気色の悪さをグッと抑える(というのも、色気ムンムン姉チャンの数倍買ってくれるのがこの方たち)。当然、11月4日の内澤旬子姐御(東映風表記に改定)とのトークショウのビラもせっせと。そこへ軽薄な一陣の風と共に“一家に一匹退屈男”。「あ〜、トークショウのばっかで、外市のビラはまいてくんないんですか?」「え〜、あんなのまだやってんの?」「ト…トークショウもその一環で…」「フ〜ン。細かい事は気にせんで、オラオラ何か買わんかい!」「そんじゃこの新書とブックカバーを…」銭儲けは貧乏人相手に限る(金持ちはケチで慎重)。

 今回も森茉莉街道の美貌の人妻と隣合う。ポッキーもらったり、オシッコの際の店番代行すいません。親切なだけじゃなく、お話が凄く面白い。俺も男としちゃ価値なくペラペラやるタイプだが(群馬男の典型)、彼女には全くをもってかなわない。俺が三八式歩兵銃だとすると、“森妻”は映画『ワイルド・バンチ』に登場した回転式機関銃。「森茉莉あります森茉莉あります森茉莉あります森茉莉あります!!」谷中墓地にも届けとばかりの彼女の美声が、昨夜は夢の中にまで鳴り響いた。来春も懲りずによろしく。夜の宴会は年甲斐もなく鯨飲馬食。昼飯、おにぎり2個だけだったもんで。『北方人』の発行人をセクハラオヤジ扱いしたり(同誌を脅し取りながら)、元『Mate』読者の大手版元編集者夫婦を説教波状攻撃、ようやく口先もトカレフ程度になった所で、カート引きずってヨロヨロ飯田橋へ帰還。

 起きて昨日、南陀楼綾繁から受け取っていた、『東京の暴れん房ー俺が踏みつけた映画・古本・エロ漫画』(右文書院)の人名索引の校正を。結構読み間違いが(例えば新川雅美。歌謡歌手、新川二郎〈しんかわじろう〉の下に。が、このエロ劇画家は“あらかわまさみ”と読む)。明日渡しでと思ってると、南陀楼から電話。今日、FAXでもらえないかと。11月4日、内澤旬子姐御との催し(トークショウ)での、拙著初売りに間に合わせるためなら、何でもしますと2時過ぎまで3度繰り返して精読。最後まで読み方不明だった、司書房系漫画家、IDEAも、先ほど曙出版の山田俊に連絡が取れ、“いであ”だと確認(この件、永山薫は全く役立たず。駄目だな、知恵遅れの下層イタチは…)。右文書院にFAX。これでやっと一息(どうせまだミスはあんだろうが、人間のする事、仕方ない)。明日は早起きして、『記録』の原稿を。今回は『百鬼園先生よもやま話』(平山三郎編・旺文社文庫)。 (07.10.14)

下々の者へ(その822)

 前回の『出版業界最底辺日記』も、献本したのは『映画秘宝』の柳下毅一郎ただ1人。今回は、『シナリオ』編集部への1冊のみの予定(なぜかは読めばわかる)。よりによってだよ、その超ケチンボウな俺様が、日本一の鉄道会社の高給取り赤色社員に、2100円もする本を恵むわきゃねえだろう(3度殺されても)。安酒飲んで昼間からラリってると、首になるぜ。最近、出勤途中の東京駅で見ないな。酔っ払っても逃げた女房が帰って来る訳でもなし、酒代節約して必ず買えよ。『記録』(アストラ)のDTPシステムも相変わらず意味不明。今回は珍しく誤植が少ないと思いきや、引用部分の改行箇所が、校正時点ではちゃんと一字空きになってたのに、本、いやパンフじゃ全て詰まっちまってる(凄くみっともない)。奥津さんは皆目わからないと。あれじゃDTPじゃなく、電脳ガリ版(ネットで連載分を公開する際も、最初から打ち直してると)。そういうイカれた版元だから、俺や斎藤典雄を長々と使ってるのだろうが。

“マシンガン・マリー”と、今後はあなたを呼ぼうかと。もらったポッキー、本当にうまかった(数日後、東京駅で1箱買って1人で全部食べたら、ちっともうまかなかった)。写真ちゃんと届いてます。生汁の銀行口座はまだだが(一般人に見えない話でどうも)。そういやまた明日は、7時起きして飯田橋に出勤、カートゴロゴロ転がして、ゴールデン街まで稼ぎに出掛けなきゃ。幸い天気は良さそうなので、1ヵ月分の上信電車の定期代額が目標(同“強盗”電車の半年分の定期代は、137540円。乗車時間たった40分。御自由に卒倒してね)。11時から午後5時、「レカン」前。マリーさんもどう?新書用ブックカバーも作らせましたぜ。

 脅し取った盛厚三白髪爺さんの、『北方人』を暇つぶしに。余り知られてない作家の足跡追求随筆満載。流行りだね今はこのパターン(古本屋や版元でも可)。マラ立ちの悪くなった、老い先短い3流インテリの老後の趣味としちゃ、特に罪深くはねえが、誰が何書いても皆同じに見えちゃうのはなぜ?例外もごく一部にあるが、基本的にはペット自慢の部類多し。最後にはしみじみインテリ浪花節。『北方人』も例外ではないが、最後の亀井志乃の一文にはちょっと興味を。いや中身じゃなく、「北海道立文学館」幹部の、旧ソ連みたいな官僚主義が渋い。反抗的著者があっさり首になるのも大笑い。中戸川吉二なんかより、そういう生々しい今を詳しく書け。悟り切ったような、芯のない作家追跡随筆はもううんざり。そういや南陀楼綾繁も、『古書月報』424号で「大観堂」をめぐって類した泣かせ文を。「君の新境地だ!」なんてほめる馬鹿もいるだろうが、40代からあんなの書いてちゃ駄目。誰でも70点取れる甘〜い世界。それより同誌に、「豊田書房」店主の追悼記事が(「慶文堂書店」小野塚健)。神保町屈指の実に嫌な店主だったが、そう思ってたのは俺だけじゃない事が良くわかる。小野塚さん、あんたも何回も殴りたい経験あったと見たが、まあ余計な御世話だわな。さ〜て明日の準備。(07.10.20)

下々の者へ(その823)

 『BUSTER COMIC』連載、「塩山業界無駄話」の2回目をカリカリ。残り半分は明日にしよっと(同誌、来月売りからA5判に。紙の値上がりも激しい)。昨日は神保町に2回も。昼間は右文書院の青柳編集長、林哲夫画伯と「ぶらじる」でコーヒー飲みながら、出版業界無駄話(南陀楼綾繁の目付きはなぜ神々しいのか等)。夜は「神保町シアター」ヘ初めて。劇場自体は観やすいし建築センスもいいと。が、ロビーは全く駄目。何であんなに無意味に暗いのか?椅子も少なすぎる。「昭和30年代ノスタルジア」の客に、年寄りが多いのは分かり切った事。カッコつけとらんで、銭を払う側の都合をまず考えろ(待ち時間に読書も出来ない)。『風と樹と空と』の上映終了後、企画者、川本三郎もニヤニヤしながら美女と出て来たが、オッサンよ、気にならないのか?久々に観た『洲崎パラダイス 赤信号』の感想は、明日書く「塩山業界無駄話」に詳しく。

『東京新聞』の投稿欄に、面白い読者の一文の紹介が。和菓子屋が売れ残りのもちとあんこを保存、使い回すのは業界の昔からの常識なのだと(今は冷凍技術の発達で、1年くらいはザラらしい)。だから和菓子屋はめったに潰れないのだと。そういや、人口5万前後の富岡にも一杯あるよ。昔と違い、富岡製糸場に多数の女工さんもいないのに、よくと疑問に思ってたが、やっと氷解。小林信彦も『日本橋バビロン』で、犬の糞のような先祖自慢なんかじゃなく、そういう業界の内幕を暴けば、グッドタイミングで売れたろうし、モーロク作家扱いされなかった。

 モーロクといや、コバノブセンセも愛読中の『日刊ゲンダイ』に、近頃は超馬鹿記者が。25日付けで“NHK「きょうの料理」2週間山手線ジャックのお値段”の記事が。ここにも受信料がとこの馬鹿記者、NHK出版にコメントを。“NHK出版によると、「あくまでNHK出版の営業活動の一環で、経費にNHKの受信料は一切使われておりません」とのこと。なるほど、そうでしたか”だと。ド白痴め。お前は同出版の本の多くが、NHKの番組をネタにしてるのを知らないのか?同社が受信料を元にした、高給職員の天下り組織に過ぎぬのも?(左翼インテリの赤字必至の本も出し、懐柔する役目も。吉田司とかな。創価学会の潮出版のような存在)。芸能欄は以前から怪しい記事が散見してたが、売りの紙面まで汚染されつつある。脳味噌代わりに、猫の糞でも詰まってるらしいこの馬鹿の、名前が是非知りたい。

 漫画屋無駄話で、高貴な精神の仙台の書店をほめたが、理由が。『出版業界無駄話』は、かつての栄光こそ失われたとはいえ、一応は由緒ある筑摩書房が版元。文庫コーナーでも、新潮文庫や講談社文庫と異なり、より日当たりの悪いというか、フランス書院“エロ”文庫のすぐ脇とはいえ、多くの書店にあった。今度の『東京の暴れん坊』は、耳タコだろうが右文書院。一水社に比べりゃ活字界じゃ有名だろうし、昨今は注目度の高い版元だが、規模、営業力はやはりグロッタないしアングラグループ。初版部数も『出版〜』の半分と言うか、3分の1近い。つまり神保町周辺はともかく、地方じゃまず眼に出来ないと。「近所の書店で予約を!」と、俺が口を酸っぱくして叫ぶ理由(けど恥ずかしいので、富岡市内の「戸田書店」や「文真堂」では見たくない)。嫌な奴の墓場の上で、狂ったようにダンスを踊る気分で再び。「書肆アクセス」(11月2日売り)や、11月3〜4日の「古書往来座」の外市、11月4日の内澤旬子&塩山芳明のトークショーに参加、正式発売日前に入手出来そうにない方は、近所の書店に必ず予約を。うかうかしてると不測の事態が発生、永遠に読めなくなる可能性が(ガンジー、キング、イケダ、ショーコー、ヨシアキ!)。街宣車に乗った“Z”マークにも御用心。Z、つまり革マルで思い出したが、斎藤典雄よ、アストラの大畑太郎が先週、俺のかつての『記録』の人気連載(?)、「エロ漫画で喰う」を持参、付箋を付けた部分は訴えられないかねないので、修正をと(数十カ所も!)。ビクビク屁っぴり腰ながら、本にする気になった模様。これも『東京の暴れん坊』効果か?手を入れた後で中止じゃ、温厚で真摯な俺も怒るよ(何様?塩の字様よ)。

 今週の映画雑誌。『キネマ旬報』1962年12月下旬号、「聴く応える喋る」第48回で、日活黄金時代の大プロデューサー、江守清樹郎は十返千鶴子のインタビューに吠える。“それは紙一重ですよ。実際のところ非常に美男が俳優になりたいって来ます。ところがだめなんだ。(中略)裕次郎なんて顔は、あれは少なくとも美男じゃない。吉永にいたってはガニ股でね。ところがこれがパッと来た。だから俳優でもそうです。たとえば吉永がよそへ行ってものになるかといったら、ならないです”。ガニ股で音痴で大スター。凄いぞかつての撮影所システム…。(07.10.27)

下々の者へ(その824) 

 昨日、日本国の明日を真剣に憂いつつ、東京駅11時28分発中央線快速高尾行きに乗車しようとすると、向かいホームの快速が発車。最後尾に乗る車掌が異常だった。顔色は燃え尽きる寸前のろうそくの様に真っ白。両目は、10年前にまばたきを忘れたかのようにランランラン。生気なく不健康にやせてガリガリ。つまみ代も節約、ただただ酒に溺れたい酒乱者特有の風貌である。まさか斎藤典雄ではないと思うが…。

 明日の午後5時、「書肆アクセス」で出来たての『東京の暴れん坊』を持参した、右文書院の青柳編集長と待ち合わせを。例の同店奥のストリップ小屋の特別サービス部屋(別料金で尺八や本番をする悪所)、ないし近所の喫茶店で素早くサインする予定。つまり、5時30分頃から売リ出せるかも。近所の方は寄ってらしてね。トークショウも定員に達したと。内澤旬子姐御のおかげです。
(07.10.31)

下々の者へ(その825)

 11月1日お昼。『東京の暴れん坊』(右文書院・本体2000円)、既にサイン本が「書肆アクセス」に20册並んでいます。右文書院に予定より早く入ったので、さっきダッシュで駆け付け、スラスラスラ。近所の方よろしく(俺のファンは昔から、保存用、推薦寄贈用、普段様と3冊買う者が多いので、急がないと…)。(07.11.1)

下々の者へ(その826)

 うさん臭い雑誌と感じつつも、つい専大交差点、みずほ銀行前のオッサンの愛嬌ある顔に引かれて買ってた、『ビッグイシュー』。100円値上げ300円になった81号を見て、「馬脚出したな…」と舌打ちした読者も多いのでは?(俺はもう買わない)。「悲しみ、絶望からからの帰還ー犯罪被害者の権利と回復のために」にそれが露骨に。記者クラブ所属大マスコミが、国家の意向と被害者意識のみに流された一部低能国民に迎合し、あれ程の大キャンペーンを組んでる官民統一総行動下に、なぜ同誌までもが参加する必要が?加害者と被害者は同等の権利を持つ(感情の問題ではなく、法治国家の基本。誰もが両者になる可能性がある)。なのに今の日本では、国家権力と翼賛マスコミの庇護を受けた、前者が圧倒的な力を。ホームレス救援雑誌までが、居丈高に行進する機動隊の前の道路の、ゴミ拾いまでを卑屈な笑み浮かべてする必要はない。

 本家の雑誌は知らないが、佐野章二なる男が経営する同誌日本版、前から姑息なトコが。要するにNHKのドキュメンタリーなのだ。一見リベラルな姿勢だが、よく読むと俺達の住む国、日本国官憲には絶対に楯突かない。81号でも、環境保護団体がテロ対策法の対象にとの告発記事が。でも米国での話。同誌販売員だって警察の妨害を受けてないはずないのに、その種のホットな話題は一切掲載されず、“女森達也”、雨宮処凛の毒にも薬にもならない、ワンパシャチハタハンコ連載がアリバイ的に(森や雨宮を起用するようじゃ、どの雑誌でも編集もお終いよ。よく書いてる香月真理子って奴も、気取ってて凄い馬鹿)。残念なのは、数多い同人の連載中一番力が入ってる感じの、岡崎武志の「ひぐらし・本ぐらし」が読めなくなる事。ま、どうせいつか本になるんだし。

 岡崎と言えば、ちくま文庫の新刊『古本病のかかり方』、面白いだけじゃなく深い(最近の書評は総体に浅い)。結構嫌みも書いて来たが、先日の南陀楼綾繁や青柳編集長との宴会の席(「ランチョン」)でも言ったが、奴は予想以上に偉いのかも。だって出久根達郎、青木正美、盛厚三、遂には南陀楼自身までが、誰に望みもされぬのに手を染めた、“作家&古本屋追悼三文浪花節随筆”を絶対に書かないもの(さすがの南陀楼も苦笑)。一見は見ず転芸者のように仕事引き受けてるけど、あの面でも結構ストイック。

 1人ほめると続くのか?『東京の暴れん坊』(右文書院)でも重要なサンドバッグになってもらった、コバノブこと小林信彦。小説類は評した通りだが(川本三郎は聡明だったな、ここら)、『本の話』(文藝春秋のPR誌)連載、「黒澤明という時代」はやはり面白い。連載が続くに従い(現在5回)、黒澤明自身が『まあだだよ』で内田百けんにそうしたように、自らを“世界のクロサワ”に重ね合わせたりしないでな(可能性は充分)。黒澤と内田だから、まだ見苦しいとはいえポンチ絵になった訳で…。

『東京の暴れん坊』のサイン本、1日、2日と連続で、「書肆アクセス」に20册ずつ計40册も納めちゃったけど、売れてんのか?初日に、5時間で10冊はけたゆえの超強気な姿勢だが、尻切れトンボって事もあるし。今日からの「古書往来座」の外市にもサイン本が10册。明日11時頃に、同店でリコシェのアベチャンと待ち合わせ(お世話になります)。1冊も売れてないと泣くよ(外市、昔から俺は古本も全然売れないんだ)。そりゃともかく、内澤旬子姐御とのトークショウ、準備は一切してないので、期待しないで本だけ確実に買って。サインなしの純潔本、40册用意と。サイン希望者は昔の本にもドンドンするので、ひっかついで来て(内澤姐後はそう甘くない)。一つだけ用意を。富岡市(岩井賢太郎市長)の一番悪質な、夕方6時の白痴糞ガキのゲロ童謡は録音を(今年初めまでしてた、夜9時の気違い放送もおまけに)。

『ポルノ時代劇 忘八武士道』(監督・石井輝男・’73東映京都)を久々に。確か初回は「新宿昭和館」で公開直後に(大学1年)。『東京の暴れん坊』でも触れてるひし美ゆり子、体こそいいが今見るとただの大根。当時はオナペットの横綱だった。あの頃はまだアンヌ隊員のイメージが強烈で、その清純派が脱いだ…という点が刺激的だった。今、池玲子やサンドラ・ジュリアン、ニ条朱美(最後の脇毛女優?)らと同等に思い起こされる彼女は、単なるタヌキ顔の下げマン女優(“新仁義なき戦い”シリーズで、そうゆう役やってたせいも)。遠藤辰雄の役、やはり小池朝雄で観たかった。『石井輝男映画魂』(ワイズ出版)によれば、公開当時に飯島哲夫は、既に石井監督には毒気がすっかり失われてると評したと。福間健二と推測される編者は、勇み足ではとコメントするが、俺も飯島にほぼ同調。同書、珍しく同作題名に“ポルノ時代劇”と入れ忘れている(本編字幕にもちゃんと)。

 今週の映画雑誌。『キネマ旬報』1957年8月下旬号。当時映画産業は絶頂を極めていたが、人間の欲望に限りはない。全国映画興行街レポート、「新・盛り場風土記」の高田市(新潟県)の巻から。“ここ五、六年間に於ける各館のヒットは中央劇場の「ローマの休日」「硫黄島の砂」「ピクニック」高田松竹の「君の名は」高田シネマの「浮雲」「太陽の季節」高田文化の「居酒屋」高田東映の「任侠清水港」等であった。『然しどれが当ったと云ってもあの「ハワイ・マレー沖海戦」の様に行列が一町半も続く様な事はもうありませんね。みんな昔の夢ですよ。』或る館主の語るこの言葉は高田の興行界の危機と照応して妙に忘れ難いひと言であった”。10年後の映画街の姿を、発言者は見て死んだのか?

 さて明日に備え、『怪奇十三夜・妖怪血染めの櫛』(監督・中川信夫・’71ユニオン映画)でも観ながら早めに寝よう。本作、監督は勿論、佐々木愛、真山知子、浜村純、蟹江敬三と配役も渋い。

 追記。神保町の「日本特価書籍」に、古本祭り直前から三一書房版の夢野久作と久生十蘭の、箱なし全集が700円均一で山に。雨にたたられた祭り終了後も、余り減ってる風ではない。著作権切れで各社から出てるので、昔程は売れないせいだろう。最初の夢野の全集刊行直後の、『東京新聞』掲載のおどろおどろしい1P大広告が忘れられない。ひょっとすると、中村宏の担当だったかも。昨日読了した『「うるさい日本」を哲学する』(中島義道・加賀野井秀一・講談社)で、加賀野井さんに防災無線問題をめぐり、(ド糞)富岡市と俺の名前を出してもらい、うれしいと同時に恥ずかしかった。他のメンバーは呉智英他、金と手間暇かけ裁判などで、ゴロツキ役人と闘ってる国士だから。常に腰抜けですいません。で、ひし美ゆり子はまだ美人だろうよ。女優さんだもの。ただ本物がきれいでもなあ…。役者はスクリーンや舞台で映えないと無意味。 (07.11.3)

下々の者へ(その827)

 『東京の暴れん坊』(右文書院)のネット販売状況。買えるトコ。bk1。セブンアンドワイ。トライ。タワーレコード。アマゾンは品切れ(昨日2万位台で登場。さっき4千位台半ば)。タワーはともかかく、学習塾までこの分野にとはビックリ。同社のビルは漫画屋の近所。相向かいのそば屋、「鶴亀庵」が閉店して何年たつ?味は普通だったが、家族ぐるみでの商売振りは凄く気分良かった。美人の娘もいた(妖艶)。超愛想いい出前持ちの兄チャン等、皆さんお元気ですか?(“100册売り上げ突破!!”を目指す、「書肆アクセス」での『東京の〜』ですが、同店に入ったら、すぐ左の一番前の台に平積みで並んでますので、余計な本は買わずに、手にしたら即レジにネ!)。

“空気の読めないマザコンネオナチ・安倍前白痴総理並のドタマ”。淳太郎よ、お前のこったよ。郊外より(から?)とかのブログ、あんたがやってたのね(書き手に興味を持つレベルの内容ではなかった)。南陀楼の野郎もマジ切れしてたが、どうでもいい事で、“40仔象涙目男”がみっともねえな。ただよ、こういういかしたセリフは、俺様だから似合うし許されるの。お前のような“単なる一読者”が、事務所の俺用の椅子に腰掛け、机に両足を投げ出してだ、電話でタメ口利くから袋ダタキに。一水社のタコ多田や南陀楼が、ヘラヘラ顔とは裏腹に、短気だなんて一見すりゃ一目瞭然。俺のような超小心者が、このキャラで今まで殺されずにやってこられたのは、そこらの判断力が素早かったから(今後は不明)。更に、“泣き虫仔象”に一撃もせずに逃亡をはかるなんて、70年代初頭の明大夜間部の、革マルに襲撃された際の反帝学評のようで、実にみっともない。

 ただ最大の罪はその事ではない。ミクシィのあんたが運営していた、俺、南陀楼、内澤旬子のコミュニティを閉鎖せずに、放置プレイしたままスタコラサッサした件だよ。今からでもいい。即刻全面完璧閉鎖してから、君の本業の清く貧しい校正業に戻れ。どっかのド気違いが誰にも頼まれないのに(当人のみ勝手に英雄気取り)、いきなり管理人面して潜り込み(通俗的白知性パラノイア)、迷惑この上なく、緑色の反吐が内臓と一緒に噴き出そうな気分(他の2人も99%は俺と同じ気持ち)。この誇大妄想狂的ド気違いを含め(何の縁もない他人を踏み台に、能力も羞恥心もなくかつ努力もせずに、ただ有名になりたい類いのドカスゴミ)、未知の者が勝手にコミュニティを作るのは勝手だし、俺にどうこう言う権利もない。ただ今ある3コミュニティは、お前(淳太郎)が作ったのだから、自らでナシをつけろ。それが、管理人らしい事は何一つしてないのに、君の暇つぶしに今まで寛容に接して来た善良な人々への、最低限の礼儀。にしても、酒席を何度も重ねた知人に、良くここまで無礼千万な真似が(タダで宿泊させてくれた友人宅で、留守番を任されたのに、施錠せずに飛び出すに等しい。無意識の泥棒の引き込み役)。それが最後っ屁の復讐だというのなら、特に付け加える事はない。

 8日か。半蔵門の「東和試写室」で、12月公開予定の『スリザー』を。ゾンビ物の“怪傑作”(良くわからん表現だが、とにかく面白い。脚本・監督のジェイムス・ガン、ただ者じゃないと)。が、不愉快な事が。上映が終了する前に途中退場した馬鹿が。タダで観せてもらってんだから、傍迷惑な真似をするな。しかも、本当の字幕前の、まだ映像がある段階でだ(この畑の映画特有の、最終場面での落ちは当然こいつは知らない)。俺よりチョイ上の初老男で、一昔前に活躍した劇画原作者の東史朗、映画評論家名、西脇英夫に少し似ていたが、まさか当人じゃないだろう。西脇で思い出したが、旧「文芸坐」が毎週土曜日に日活オールナイト(5本立て)をやってた72年、寂しいので目黒の「熊沢牛乳店」に住み込んでた俺は毎週通ったが、同館では4ページ位のチラシを(文庫本大)。配役表等だったが、最終ページに西脇の日活アクション映画へのオマージュが。何度読み返しても飽きない名文だった(ホチキスで綴じて今も保存してある)。ただ原作者としては、余りの無能振りに後に驚く事に。日活映画ファンは小林信彦といい、評論や随筆はともかく、ドラマが作れないとみえる。

 暇だから3度目の追記。無駄話にも書いたが、昨日は「書肆アクセス」で20册、合計80册目のサインを。いつも通り「ぶらじる」でやったが、初めて爪の長い姉チャンと。彼女がアニメ声でポツリ。「著者の方のサインでここに来るの、初めてなんですヨ」やっぱしな。何のおかずにもならねえ婆さんコンビが、楽な仕事は独占してたのだ。可哀想だから、1万円ばかり小遣い上げようかと思ったが、誤解されるとまずいので中止、“御客様像”の研究を。「一体こんな2千円もする本、どこの馬鹿が、いやどんな連中が買うの?絶対野郎ばっかだろうけど」「そうですねえ…。若い方もいらっしゃいますけど、やっぱり30代以上が多いですね。入って来ると、パッとコレ取ってサッと買ってく感じで。全然迷ってませんねえ。荻原(魚雷)さんの本も、一緒に買ってくお客さんもいらっしゃいますヨ」「チッ!」この女も荻原ファンだったか。小遣いやらんで本当に良かった。

 あちこちで書影を紹介してもらい助かってるが、これからの方にお願い。出来たら帯をしたままの状態の表紙を。帯も当然、林哲夫の仕事。あの写真は縦長。帯なしだとやや三木のり平の鼻の下風な感じも。装丁者はそれを承知しているので、赤い帯でキリリと引き締めている。縦(灰色)と横(黄赤ベタ)の交錯が、書店で『東京の暴れん坊』を、万創の飛び出す絵本に(ここも倒産。確か俺の学生時代)。なぜか一般的に書評の際の書影は帯なし。素肌にシャツ1枚の女が、パンツはかない陰毛姿で挑発してるように見えるのは、俺の職業病か?

 10日。富岡市の気違い防災無線が、夕方の4時、夜の9時と2回も臨時放送(白痴エロババアの“腐声”で)。秋の火災予防運動だから火の用心をと。富岡消防署の今の署長は俺の親戚だが、従来の署長同様に糞馬鹿野郎。税金で分不相応な大名生活してると、誰も人として腐敗する(拙著、『東京の〜』にも1人同類が登場)。富岡警察署の署長も同様。振り込め詐欺に気をつけろと、これまた防災無線で、役所でふんぞり返ったままエッラソーに説教。糞馬鹿公金泥棒ゲロ公務員共が!!ちゃんと頭と体を使って公務に励め。安中署など『東京新聞』群馬版によれば、老人会の集まりに出掛けて説明したり、種々工夫している。同市には、気違い防災無線はまだ確かなかったはず。元々コジキ根情に満ちた公務員(今や人間のクズの代名詞)を、益々堕落させる防災無線(先日のトークショウで、俺が録音したのを披露した、例の“岩井賢太郎富岡市長特製糞ガキ発狂童謡”に思わず耳栓した、内澤旬子姐御を想起しつつ記す)。(07.11.10)

下々の者へ(その828)

 今日の午前11時頃、「書肆アクセス」用に『東京の暴れん坊』(右文書院)10册にサイン(1日の先行発売以来、計110冊目)。同店の営業は明日が最終日。売れ残るとまずいので、サイン、与太格言、有限会社塩山商店の社印、本書用チラシに加え、吸い取り紙に、今回の書き下ろし分の生原稿を付ける。本文と照らし合わせ、「なるほど。2回の校正を経てこうなったか…」と、“印刷の神秘”にため息をつくのもオツかと。じゃ。
(07.11.16)

下々の者へ(その829)

 名古屋の映画フリーペーパー、『シネマぜんざい』の服部編集長は、例によって豪放磊落な女性。事務所泊まりだった金曜日の明け方、ファックスが唸る。どっかの腐れエロ漫画家の原稿遅れの言い訳だろうと、再び熟睡。9時頃に起きて見れば服部女史からで、同誌の俺の連載、「映画VS原作」の3回目の原稿、今月末までに入稿をと。楽勝。午前中に一仕事終え、補助机にほかしてあったファックス用紙をふと見ると、今月末ではなく、今週末までで、月曜に印刷所へ入稿したいと。初めてデートする女性と、事前に電話で行くラブホテルの相談をするような性急さだが、数少ないお仕事。「日曜の夜に送ります。今回は『サッド ヴァケイション』です」と返事。本当は群馬県内のロケ映画としては、『かまち』以来の愚作、『包帯クラブ』の予定だったが、昼飯時に「悠久堂書店」のワゴンに同作の原作が300円で。凡作より佳作映画を論じたいし、監督自らの原作の映画化は少し興味も(逆?)。同書さっき読了したが、種々突っ込み所はあるし、素早く書けるかも。

 “一家に一匹退屈男”様が保証人になってくれたお陰で、やっと出店出来た「ダイバー」の古本市、初日売り上げは1050円と。トホホホな額だが、最終日の19日までには参加料1200円は突破しそうでホ!(同店は翌日に、前日の売り上げをメールで知らせてくれる)。でもいくら売れ残りが出ても安心。ここ、漫画屋からカート引きずって15分の距離。それよりも、仙波“元ゲリラ通信社代表”店長が、なけなしの老後用貯金を遣い果たし、夜逃げしないかが心配(俺の“巨額”の売り上げ持ったまま)。

 いがらし旦那の踏みつけ方は、ちと甘すぎたかな。当時は急激に売れっ子になりつつある頃で、遠慮があったのかと。今回かなり他の原稿同様に手を入れたが、言い回しや余計な接続詞の排除が主なのでね。昔の原稿の論旨自体まで、今の観点から図々しく書き直すと、100パーセントロクでもないモノになるくらいは、この年になると承知してる(タイムマシンに乗って歴史を修正する事の奇妙さに、読者が気付かないはずがないのだ)。無論こちらも生身なので、無意識に“昔から先見性があった”風な改竄をした可能性は充分に。その割合が少ないほど、いい本が出来るのだろうが。

 タコ多田の本?そりゃいくら何でも…。ああいうタイプは、実物が一番なんですったら。山崎邦紀は既に書いた物がかなりあるし、通俗的インテリキャラなので、初版1500部位で、著者1000部買い取りで印税なしの地獄条件なら、神保町裏通りの腐ったような、元新左翼活動家が経営する零細版元(労働組合なし)で出してくれそうだが、難問が。奴は書いた原稿のスクラップ、全然残してないだろう。その点俺は偉かったというか、自惚れが強かった。『東京の暴れん坊』を読めばわかるように、どんな名もなきエロ雑誌の初出でも、誌名と時期が明記してあったでしょ?(『漫画快楽園』なんてエロ劇画誌が、『記録』の発行元、アストラのすぐ近所にあった、倒産した社名失念版元から出てた事までがわかる)。ここらは俺も、小林信彦センセと同系な血筋なのは否定出来ない。

 だから、『続・東京の暴れん坊』も『新・東京の暴れん坊』もいつでも可能。それにゃ1册目が売れないとね。俺が恥も外聞も忘れて(昔はあったんだよ)、保坂和志並に価値なくサインだ何だしまくった理由(今後も)。そういやサイン本110冊(最後の10册は推測)売ってくれた、「書肆アクセス」も今日がラストショー。青木さん、上手くテレビカメラから逃げ切れた?(俺がカメラマンなら、畠中&青木の婆さんコンビは声だけで、爪の長い姉チャンしか撮らないが…)。

『不毛地帯』(監督・山本薩夫・’76芸苑社)をDVDで。面白い。昭和30年代前半なのに、大阪の繁華街におっぱい丸出しのエロ映画の看板が林立してたり、相変わらず大雑把だが、面白けりゃいいよ。社会派ってカッコつけても、スーパー売国奴・瀬島瀧三を仲代達也が演じる程度のセンス。山形勲や内田朝雄の渋い演技、監督の甥っこの山本圭の臭い髪型等を楽しめばいい。演出はスピーディ。糞のような『包帯クラブ』の監督をはじめとする、昨今のケツの青いガキ演出家は見倣うべし(肩揉み感覚の、必然性のないエロシーンの挿入にも好感)。“赤いセシル・B・デミル”というより、“赤い井上梅次”が正解じゃ?(意表を突く、どじょうすくいミュージカル精神にゃ欠けるが…)。

 18日、午前8時頃に付記。3時間もあるのに飽きなかった『不毛地帯』だが、“歴史的必然性のないエロシーン”が結局なかったのは残念。エロで思い出したが、どうなってんだよ、“精液便所の生汁”。銀行口座の件は君への入金が遅れるだけだからいいけど、今月は原稿があんだよ。3回目で原稿落ちじゃいやだよ。南陀楼綾繁の連載の10倍は人気があんのだし。銀行口座がなかなか作れなかったり等、「ひょっとして元犯罪者で逃亡中?」とか妄想する俺。どうにかしてよ。 (07.11.17)

下々の者へ(その830)

 生汁よ、何でもいいから入稿しなさい。編集と読者、故郷の御両親が泣いておるぞ(ニ・ニ六事件風に最後の呼び掛けを)。(07.1.9)

下々の者へ(その831)

 「嫌われ者の記」、第195回目をカリカリ。200回になったら女性読者が体を投げ出す、なんて事は絶対にないだろうが、口先だけの祝福など無用なので、何かくれと言っては、『東京の暴れん坊』で非難した、荒木経惟や岡部伊都子の同類に。まあどうでもいい。気持ち悪い奴が書き込みやがったが、本を買ってくれた客だしどうも(銭に貴賤はない)。かつてGUTSのペンネームで、『Mate』に愚コラムを連載してもらってた賀津センセだが(映画『サッド ヴァケイション』の舞台同様に運送屋)、原稿の締めきりだけは常に守ったな。漫画家もだが、退屈な奴ほどそういうもん。にしても生汁は?俺が書く訳にもいかんし。みやたえつこの4コマ漫画の代原なんて、この世で一番安易だが、白いページの本作る訳にも…。

 昨日は「新文芸坐」で、『めし』と『女の中にいる他人』の2本立てを。成瀬巳喜男人気は相変わらずで、『めし』の1回目、9時45分開始の20分前に入場したのに、既に席は8割方埋まり、上映開始時点では満席。立ち見も。年寄りが多いので気の毒だったが、さすがに席を譲る者はいない(休日にわざわざ早起きしたのだし仕方ない)。プリント状態は東宝としては良くないが、3度目くらいなのにため息。ファンのニ本柳寛、いいなあ本当にダンディ。ミスキャストと言うか、どっから見ても長屋の女房には見えない原節子(洋品屋の娘にも100パーセント見えない)が、絵画館前を二本柳とアベックで歩む際のカッコ良さと言ったら、『第三の男』のアリダ・ヴァリも真っ青(『夏の嵐』のと言うべき?)。原は生きたまま伝説になったが、佐藤忠男ではないが、ニ本柳はなぜあの程度の役者人生で終わったのか?今でも深い疑問。濱田研吾に評伝を書いて欲しい(三國一朗の次の次くらいに)。それと原の長屋の前の2号さん。飛田から本物借りたはずなく、大部屋の役者さんに違いないのに、余りに糞リアリティが。自由国民社の赤線物の写真集から、マンマ飛び出した感じ(特にだらしない口元が)。つまりは演技上手なのかも知れないが、ううう〜ん(親類縁者の皆さん、すいません)。

 で、『東京の〜』もようやく、アマゾンで待たされずに買えるようになった模様。例によって“拙著待遇中心大型書店採点放浪記”。第1位。「ジュンク堂」新宿店。『出版業界〜』の扱いが悪いとゴロを巻いた効果か?映画&書評本両コーナーに面出し。この愛国精神を忘れるなかれ。ただ映画コーナーでは、隣の『映画欠席裁判』シリーズが不逞にも領海侵犯、拙著の勇姿を妨害してたので、ペッとタンを吐いて蹴散らしてやった。第2位。ドドーンと平積み、「東京堂」。ここ以外、一般書と同等の扱いで積んであるのは見た試しなし。第3位。1カ所面出しグループ。「紀伊國屋」新宿店(同店のネット表示によれば2ケ所にあると言うが…)。「丸善」東京駅前店。「ジュンク堂」池袋店。「三省堂」お茶の水店。「丸善」は書評本コーナーだったが、後の2店はサブカルエロコーナーに。迷わず両方に置けば心が休まる。「文教堂」飯田橋店、「ジュンク堂」大宮店では1冊も。火事で水浸しになって早く潰れろ。神保町の「すずらん堂」じゃ、今回1冊も俺は見てないが、先週“馬鹿星”顔出したミリオンのガキ編集は、あそこで買ったと。まあ俺も人間だからたまには間違うよ。ガキの話では、八王子方面の本屋では良く見ると。今回、売れ行きはそう心配してないが、前回よりネット上の感想が少ない。厚いので読むのに時間がかかってて、ある段階からドドッとと期待してるがな…。

『本人』のみうらじゅんと清涼院流水の「本人日記」、何であそこまでつまらない?特に前者の仕事は、古代より何一つ面白いと感じた事はないが、あんだけ繁盛してるトコ見ると、感じ入る馬鹿も多いのだろう。吉岡秀隆が演技派に思える奴もいるのだし、世の中そんなもん。昨日は帰りに「ブックオフ」大宮駅前店にも。やはり200円棚に。ここは結構優秀店なんだけど。東京埼玉縦断に歩き疲れたので、隣接する地下の「シャノアール」へ。あちこちに真面目そうな高校生のグループがいて、楽しそうにトランプを。60年代半ばのテレビドラマ、『青春とはなんだ』の世界を見るかのよう。銭や女、薬を賭けてる風では一見なかったが…。

 25日付記。奥平康弘、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、大江健三郎。今朝の『赤旗』、「九条の会」の全国集会を報じる記事からだが、メンバー見ただけで改憲論者になりたくなる。こういう、上からの権威主義で物事を進めようとの発想は、日本共産党の身勝手な民主集中制にも通じるが、一般人から見ると失笑を禁じ得ない事にまだ気付かない?“左翼の養老院”たる同党にもたれるしか能のない、世間知らずのロートル良心的左翼も一種の腐敗生ゴミ。とっととくたばって土になれ!(大悪党の大江だけだな、存在価値あんのは。作家兼血も涙もない家庭内興行師)。常に群れずに闘う人になりたい(結果的に集団化するのは仕方ないが)。

 迷子老人とかで、富岡市の気違い防災無線が今朝7時30分、発見のお礼で9時30分と2度も臨時放送。せっかくの休みなのに、早朝から眼がパッチリ。しかも音量が異常に大きい。早速市役所に抗議電話。盆踊り大会の広報と違い、放送はやむをえないとして(渋々だが)、もっと時間を遅く、音量も小さく出来ないかと。対応した大塚職員によれば(例外なく無礼千万な糞富岡市職員とは思えない、立派な態度にビックリ)、昨夜10時に頼まれたが夜遅かったので今朝まで待った。音量に関しては富岡消防署に今回は放送を依頼したので、こちらから苦情があったと伝えると。「前から言ってんだけど、当事者間の問題なんで、市民へのお礼放送は要らないだろ?」「まだ山狩りしてる人もいまして…」ならその地区だけ放送をと言おうとしたが、面倒なのでストップ(対応が真摯だとこちらもつい甘く)。

 という訳で、今度のような不適切暴音放送があったら、拙著や本欄読者の良心的富岡市民(?)はすかさず、強硬に抗議を(3人位はいるんでしょ?)。富岡市役所行政課、岡田課長が防災無線の今の責任者(最高責任者は岩井賢太郎“元福祉疑惑”市長)。県内屈指の財政破綻自治体が、傍迷惑な行政サービスするな!!富岡消防署も富岡警察署も、防災無線で説教すれば、火事や泥棒が減ると思ったら大間違い。超高給もらってるんだ。頭と体を使って仕事しろ。それがあんたらの存在価値(エラソー?たりめーじゃんか。俺達が喰わせてンだから)。公務員は市民の妾と悟るべし(月々の手当がベラボー過ぎるが…)。妾が旦那にお天道様の方向から、日に何度も説教かますんじゃねえよ。 (07.11.24)

下々の者へ(その832)

 『Mate』の読者欄、「ズンドコジョッキー」を夕方から。250行まで(全部で16字×665行)。昔はこれが月刊で(今は隔月)、同じく月刊の『レモンクラブ』の「ヤケクソジョッキー」、更には隔月2誌(つまり月刊)のホモ漫画誌の読者欄まで。月に3本。これに加えて、「嫌われ者の記」「凡人回想録」、あるいはタコ多田んトコ、及び他社のバイト原稿まで。まるで梶山季之だね、今になって考えると。経済的には、そうひっ迫してた訳でもなかったのに、なぜ?ウサ晴らし(自分は不遇すぎるという例のアレ)。特に漫画好き編集者でもなかったし。姑息にも数十年後、それを元手に『東京の暴れん坊』なんつう本までデッチ上げるのだから、北関東の水呑み百姓の執念も侮れない。当時はむなしさのみの原稿書きだったが、『嫌われ者の記』の出版以降、実は拙文の読者が少なからずいて、しかも結構編集になってる者がいる事には驚いた。無論、気分の悪かろうはずがないが、ほとんどがエロ本屋ではなく大手で、いい給料もらってるのにはムカついた。俺様のお陰だと思い、せめて本だけは万引きせずに買えよな(中の1人が、コピー版『嫌われ者の記』を、今でもボロボロながら持ってると聞いた時は、赤面の至りだった)。

『東京の〜』も発売後約20日。出足はまあまあだったが、ややなかたるみの感も。ここでどっかが書評でもしてくれると、はずみがつくんだけど。『出版業界〜』の際は大小あわせて15媒体前後が取り上げてくれたが、今回はそう甘くないかも。というのも前回の版元は筑摩書房。一応腐っても鯛のようなトコあるし、各社に広告も出稿してる。右文書院はそこら地味だから(というか、ほぼゼロ)。メディアの内実は下世話だし。特に凋落著しい活字界は。先週か。久々に『週刊読書人』と『図書新聞』を立ち読みしたら、両紙共に琵琶湖のように巨大な、池田“20世紀の天才”大作本の書評(?)がドドーン!!。広告へのお礼だろうが、恥ずかしい以前にまずいだろう。『日刊ゲンダイ』は、広告で財務の上がりを露骨にかすめ取ってるが、書評欄、いわんや本文で大作のケツは絶対なめない。書評紙に若い世代は端から見向きもしないとしても、これじゃ大作好きが多いとは思えない、数少ない中高年読者からも呆れられるのみ。権力者にノーズロースになった書評紙など存在価値なし…とまで言っちゃまずいか、この時期に(遅いよ)。俺も群馬県民の税金への寄生虫、あるいは盗人役人&政治家の粗悪便所紙、『上毛新聞』を自著を持って訪問、「西毛版で是非紹介を…」なんて真似は、死んでもやらない決意ダス(実家は同紙を購読)。前回と違い、今回は高崎、富岡と、群馬県内の書店では1冊も拙著を見ない。寂しいなあ。

 各版元のPR誌がドカドカ届く月末(俺は本屋ではもらわない主義)。『本の話』の小林信彦の「黒澤明という時代」、ますます絶好調。文春はこれで儲けようと、ド退屈な『日本橋バビロン』を嫌々出した?吉行和子の「ひとり語り」も面白いし、昨年までのワーストPR誌の面影はない。ただ今月は『一冊の本』にまで進出してたが、重金敦之の日記は最低最悪。お、最終回か。ほ。今現在のワーストは『波』。今号も読むトコゼロ。編集の馬鹿さが良く出てるのが、池谷伊佐夫の起用。この人、画力は岸リューリ(鹿島茂の女房)レベルだし、頭は重金敦之クラス。死んで欲しいがあちこちで見る。よっぽど人柄がいいのか、売り込み上手なのか不明だが、編集者の頭脳程度を知るリトマス紙には。『本』も近頃は原武史の「鉄道ひとつばなし」のみ(小谷野敦が原を嫌うのはなぜ?俺は同程度に2人のファン)。『ちくま』は必ず2〜3本は読める。『記録』の巻頭の鎌田慧とでも言うか、なだいなだの冒頭の見開き(シャチハタ左翼ハンコ連載)がなくなればいいのに。『月刊百科』は鹿島茂と伊藤礼が読める(後者は長すぎる。1回の分量が著者の文才に比べて)。絵画に漫画が卑屈に平伏してるような、岡野玲子の連載は見る度に不愉快。

 今週の映画雑誌。『映画芸術』1963年2月号(俺、小学校3年)。86ページの下段、4分の1大の広告より。“乙羽信子の店 陽気で甘いムードの バーカジ おめでとうございます 今年も どうぞ ごひいきに… しんじゅく2ちょうめのTEL(341)48××”。ここの酒が彼女の演技、いや当時の愛人、新藤兼人の映画同様に、糞まずかったのかどうかは知らない(何せ小学校3年)。

 今日のBGM。全てサントラ。『SECRET AGENT FILE』『時計じかけのオレンジ』『マルホランド ドライブ』。ミクシィのコミュニティを、素ン晴らしい御方に“管理”され、深い羨望を禁じ得ない、内澤旬子と南陀楼綾繁への嫉妬心を封印しつつ記す。(07.12.1)

下々の者へ(その833)

 キンキン冷える中、父ちゃんと母ちゃんはせっせと下仁田ネギの取り入れ。ぐうたら息子は手伝いもせずにプールに行ったり、映画見物に出掛けたり。野良仕事が嫌で嫌で上京して、牛乳配達を筆頭に腐る程アルバイトして大学に通ったが、仕事面での親子関係は基本的に36年前のまま。米作りは来年から止めると。買った方が安いらしいし、肉体的にも大変なのだ。車の免許さえない俺は単なる粗大ゴミ。ふう…。自分→子供→両親。人生はジックリ休む間もなし…などと言っては、早くに肉親を亡くした人から軽蔑されるだろう。が、実際はそうだ。

 とりおばんも元気なようで。そういう瑣末な事が気になるのは、年喰った証拠かも。無駄話でも書いたが、『ミステリと東京』(平凡社)は川本三郎の初の本格的駄本。なのに翼賛的にヨイショするしか能のない、“周囲見回し評論家”共の付和雷同振りにはとヘドが。平凡社には版元としての威力なんて、既に皆無に等しい。書評家でもある川本個人への媚びだろう。実際、彼がほめると売れるとの話も(版元関係者の証言が)。厚顔なヨイショ連中は、いつか自著をほめて欲しいのだろう。さもしい根性。自らにのみは“永遠のチャレンジ権”を付与している、ボンクラ白痴インスタント右翼、安倍前“無自覚”総理を笑えない。そこらの小物じゃなく、“裸の王様”を笑うのが一番楽しいのに。劣化してるよ、平凡社の編集者の能力は。給与ダウンで見所のある人材が全て去ったか?

 やっぱりそうだったか。『怪奇十三夜・怪談釘を打つ女』(監督・山田逹雄・’71ユニオン映画)を観てたら、主演の二本柳敏恵の目元に既視感。そう、二本柳寛に似ている(妖艶な正統派美女)。早速、『日本映画人名事典・女優篇』(キネマ旬報)を。70年に死んだ寛の3人の娘の長女で、俳優座養成所(15期生)では原田芳雄や赤座美代子らの同期。高橋英樹主演の日活映画『鮮血の賭場』(’68)でデビュー後、テレビを主に仕事をと。60年代後半は、こういう端正な顔つきの役者が消えて行った時代だ。親子で不満の残る役者人生だったか?(けど写真入りで事典に名を残してるだけ、まだマシな方かも)。

 ただ本作で一番注目すべきなのは、監督と脚本家。今売ってる、『シナリオ』1月号に連載中の「桂千穂の映画票流記」によれば、山田監督は大蔵貢新東宝社長が、助監督から抜てきした第1号で、『剣豪相馬武勇伝・檜山大騒動』(’56)他の傑作時代劇群があると。確かにいいテンポ(しかし何故か山田監督、先のキネマ旬報社の『日本映画人名事典・監督篇』に項目がない)。テンポがあるだけでなく、ユーモア、色気がありながら、後半ドドッと怖くなるのは、脚本の力。何と犬塚稔。最近100歳過ぎて亡くなられた、戦前からの映画人で(戦前は監督も)、座頭市の生みの親としても有名。勝新太郎とは座頭市の権利をめぐり、長い訴訟も。「書泉グランデ」でたった500円で買ったDVDだが、数十年の邦画史が詰め込まれた、得難い1本ではあった(後に俊衣と改名した二本柳敏恵さん、63歳だしまだまだ美人でしょうね)。

『東京の暴れん坊』ネタをしつこく(誰も『ミステリと東京』のように取り上げてくれないので)。1度はベストテンから消えたのに、先週は売り上げ第6位に再び入ってた、「東京堂書店」での目撃譚。4日火曜日の午後2時過ぎ。40前後の業界人らしき男が立ち読み。年収800万は下らないだろう着こなし。さっさと買えと念じるが、スッと立ち尽くしたまま熟読。体を揺らさないのは、周囲の客への気兼ねか。仕事が忙しいので結論を見届けずに退店。7日の午後2時過ぎ。「東京堂書店」の同じ場所(15冊位の平積み)。今度は30歳前後の同じく業界人らしき男。年収は500万以下か。落ち着かない男で、小便を我慢するかのように全身をユラユラ。顔面もやたらしかめたり。先の中年男と異なり、やや敵意が漂っている。ひょっとして、中で罵倒されてる関係者?これまた結論を見る事なく退店したが、前者はひょっとすると買ったかも知れないが、後者は万引きこそすれ、絶対にレジに行かなかったろうと確信(2人共にヒゲ面)。

 今週の映画雑誌。『キネマ旬報』1957年7月上旬号より。東映の1ページ広告。『鯨とたたかう男』(監督・津田不二夫)。主演、高倉健。“のたうつ巨鯨・燃ゆる闘魂!男と女・意地と恋情が荒海に爆発する!!”中央で、三白眼の鯨撃ち姿の健さんが斜め45度上空を見つめ、背景はキャッチボートの発射場面。手前には「色気も忘れちゃいねえぜ!」とばかりに、何故か女同士の掴み合いのケンカショット(無論胸元ぱっくり)。ピースボート何するものぞとの憂国精神で是非DVD化、バンバン海外輸出を。 (07.12.8)

下々の者へ(その834)

 今月の『記録』の「奇書発掘」は『山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年』(大塚信一・トランスビュー)。突っ込み所が満載のお気楽本で、原稿は90分位でアップ。いつもは2時間半はかかる。この版元、大手の功なり遂げた編集の回想風説教本出すのが好きだが、もっと末端にも目配りを(エロ本屋までフォローする必要はないが)。

 本当に立派な書店ですね、「芳林堂」高田馬場店。心底感服いたしました。『東京の暴れん坊』が入口の話題書コーナー、奥の映画&サブカル系コーナーの2ケ所に平積み。「東京堂書店」真っ青の厚遇振り。けどわかってる書店はどこでもそう。三越新宿店上の「ジュンク堂」は、映画と書評本コーナーに各面出し。近所の「紀伊國屋」も同様のコーナーに2カ所平積み。2000円もする無名人の本で、こうも売れるタマはめったにありませんぜ。ド田舎のの書店もすぐ真似するように。特に「紀伊國屋」は隣が装丁者、林哲夫の『古本屋を怒らせる方法』(白水社)。わかってるじゃん。「芳林堂」ではズレた拙著の帯を巻き直したり、こっそり大活躍。感謝の印に、中井貴一の『日記2』(キネマ旬報社)まで買う始末だ。ここは基本的に「東京堂書店」に似た本揃えだが、千代田区と新宿区の違いというか、ちょい「山下書店」寄り。へんぴな場所なのに、むかしからやたら客も多い(俺は自分の本が出た時くらいしか来ない)。

 その前に『大東亜戦争と国際裁判』(監督・小森白・’59新東宝)を見物。退屈。堂々とした風格の嵐寛寿郎は、鞍馬天狗や明治天皇はともかく、庶民のゴミ箱まで覗かずにはおれなかった、憲兵政治家の東條英機にはミスキャスト。清瀬弁護士役に、「インターナショナル」の訳者としても有名な、筋金入り左翼新劇人、佐々木孝丸。嵐とは異なる風格で、たるみがちな画面を引き締める。同じく民芸の清水将夫も戦犯役を。当時の新劇人は平気でこういう映画にも出演してるが、どういう風に合理化してたのかが興味ある。基本的には喰うために仕方ないと思うが、今の数十倍は社会主義が輝いてた時代。苦し紛れの屁理屈の実態が知りたい。上映サイズが違うと見え、全員が馬面(佐々木孝丸までが)。最後には“本作品の上映は個人の利用に限られ…”との例の警告とイマジカだっけのマーク。DVDでの上映だったのだ。終了後はトップのメニュー状態に。いいのか?馬面を我慢してたのは、入場料がタダで映写技師もいない自動上映だったから。売店に行くと『諸君!』や『WiLL』、東中野修道の本が山積み。やっぱ本多勝一や笠原十九司の本もないと、佐々木孝丸の出ない『大東亜戦争と〜』というか、膨らみに欠けるよ。まあ場所柄言っても無駄と黙ってたが。どこだ?靖国神社内の「遊就館」(800円)。近所だし前から行きたかった。『南京事件論争史』(笠原十九司・平凡社新書)を読んだついでに昨日やっと。三池崇史の愛国アニメまであり、10時から2時頃まで館内を堪能。あちこちで余り度々「死ね死ね国家のために!!」とハッパをかけられるので、少々めげたが。

 今週の映画雑誌。『映画芸術』68年1月号、三島由紀夫と大島渚の新春対談、「ファシストか革命家か 羽田事件と暴力の構造を追求する」より。“大島 ま、やっぱり今一番いいのは爆弾、プラスチック爆弾だそうですね。三島 ですからテロリズムの発端は香港でもそうですね。みんな爆弾なんですね。大島 こりゃもうあとはめざまし時計をつけてね、時限爆弾にすればいいわけですからね。それしかもう都市ゲリラっていうのは有効的な方法はないんじゃないですかね”。いつの時代でも、インテリは左右を問わずに無責任の極み。真に受けると一生の不覚に。物言いこそ今は表面的に違うだろうが…。
 (07.12.16)

下々の者へ(その835)

 心を許し合った、長年の親友のかみさんとコッソリ致す程ではないが、うまいもんだね、貧乏人にたかる酒は。昨夜、高田馬場、いや地下鉄東西線の早稲田駅そばと言うべきか、「舟形や」なる居酒屋で、南陀楼綾繁が奢ってくれてね。今頃は深く後悔してんだろうが、年収3〜400万円台の貧民が、「何でも注文して下さい!」と、頬をヒクヒクさせながら言うそばから、高いもんばかり5〜6品、姉ちゃんに叫ぶ際の爽快さと言ったら!!意せずして60年代ムードタップリの店内も落ち着くし、また来よう。どっかで聞いた店名。そっか、飯田橋の行きつけの焼き鳥屋が「一番や」だ。けどこちら、近く閉店と。12時頃まで営業してて、下版後もゆっくり飲めて助かってたのに(竹書房の編集も多かった)。そういや、こっそり聞き出した南陀楼の年収は、我が漫画屋の去年から今年への減収額とほぼ同じ(かみさんは、もっともっと多そうだが)。

 そんな所へ東京地方裁判所からお手紙が。栄昇ビル事務所の引渡命令書。他の店子にも届いてるのだろう。仕事が順調で金さえあれば、すみやかに移転してやるトコだが、何せ南陀楼に酒をたかる賤民的身分。一体どうなるのか?(いつまでも好きなだけ居住出来る、ステッキおじさんこと、上階の坂崎重盛氏がうらやましい)。15年もここで地道に営業して来たのに、数枚の書類で事務所浮浪者?グッドウィルに搾取されている、日雇い派遣労働者の気持ちがよーくわかる。これが小泉改革の正体。貧乏人は麦も喰わずに即死ね!!そういう事だ。池田勇人が懐かしくなる時代が来るとは…。

 ちっとも出ない『東京の暴れん坊』(右文書院)の書評だが、『映画秘宝』2月号にやっと(2番目。『週刊読書人』の今年のベスト3に、既に堀切直人が取り上げ、数行触れてくれた)。「柳下毅一郎の新刊レビュー」ページの下の、“一山幾ら”かコーナー。でも他は2册づつなのに、1册なのだから満足すべき?柳下の文にしては、点丸がムチャクチャといぶかってたが、最後に“以上、田野辺”と。同書316ページで、俺様に“カマっぽい尻をモジモジ”なんてコケにされながら、冷静な批評を。さすがはスーパー髪型“8・2の男”(内澤旬子姐御命名&イラスト化)。

「舟形や」でも話題に出たが、秘宝で今一番面白いのは「日本映画縛り首」。南陀楼はここから読み始めると(俺は仮性包茎文体の藤木TDCから)。柳下、江戸木純、クマちゃん3人の毒舌対談。いつもはほとんど異論ないが、今回はちょっと。柳下に昨今盛んに“国辱映画”呼ばわりされてる『ミッドナイトイーグル』。監督の成島出は過去の痴漢問題まで蒸し返されてるが、気の毒。『ミッドナイト〜』は未見で何とも言えないが、1本だけ観た『油断大敵』は悪くなかった(俺が毎日利用する、上信線の最寄り駅でロケしてるので、少し甘い面はあるが)。ただ、作風はどう見ても人情ドラマ向き。大久保清に女子高の校長をさせたに等しい、ドメクラプロデューサーが一番悪い。そして校長に就任した大久保、いやその気になった成島も。急に観たくなったな、『ミッドナイト〜』。

「新宿ロフトプラスワン」での対談も収録されてるが、三留まゆみの発言に原口智生が世田谷線で事故に遭遇する下りが。お気の毒…じゃなかった、当然亡くなった、奥さんの刹那(奈)さんの事を久々に。もう2年位たつのか。葬儀場の目黒のお寺を出る際に、“居直り盗作キング”こと、唐沢俊一の悪相を拝まされたっけ(もう50センチ近いと吐いた。『創』の篠田編集長も相変わらずピンボケ。全然“衝撃”じゃない、三田佳子のシャブ息子なんざどうでもいいから、唐沢に盗作スキャンダルの直撃インタビューしろって。連載陣なんだし。あの程度ガラス玉に遠慮してんじゃねえよ)。

 懐かしい人の話をもう一つ。先日某競馬場で、一水社のタコ多田が、たのしい事務所のま〜センセに会ったと。「ロクに話もしなかったけど、今は普通の仕事してるらしいよ」。本件と三留との関連を血筋的に説明出来たら、君はもう立派なA級漫画屋マニア。映画の話題が多かったので、「今週の映画雑誌」はお休み。さ〜て、事務所追い出されたら、裏のお仕事センターの空地にでも、青テント張って営業するか?(皆さんもっと書き込んでね)

追記。昨日(23日)、「シネマテークたかさき」で『インランド・エンパイア』を。12月15日に開場した、2スクリーン目の「シネマテークたかさき2」のオープニング作品らしいが、物凄かった。いや“ハリウッドの山崎邦紀”こと、デイヴィット・リンチが云々じゃなく、60名位の定員で全観客数4名!!これで3時間。電気代にもならんのじゃ?それより何より画面が悲惨の極み。碁盤の眼のような黒い傷が終始全面に。余りのひどさに、次回上映の田荘荘作品、『呉清源 極みの棋譜』の宣伝かと思った位(冗談)。

 色んな名画座で種々の悲惨な経験をしているが、空前絶後。目黒の牛乳屋に住み込んでた頃(72年)に、毎週土曜日に通ってた、旧「文芸坐」の日活アクションオールナイトの際、上映中のフィルムが茶色にこげ始めて驚いた事が。しかしこれは元々セピア色に退色した傷だらけの物を、無理矢理安い入場料で上映したため。仕方なかったのだ。今回は違う。知ってて上映したらしい。その証拠に同館HPにはやむを得ずとの表現が。配給の角川映画に知らずに、“傷物”をつかませられた訳じゃないらしい。

 しかもHPで大ウソを。もうきれいなプリントを上映中との告知を見たから出掛けたのだ。そしたらこのザマ。俺は会員なので1200円だったが、これで1700円も強奪されちゃ泣くに泣けない。ここは都内に比べて2〜3ヵ月か半年上映が遅れるが、名画座じゃない。封切館並の入場料を取っている。オープニング作品に、こんなジャンクすべきオシャカフィルムを平気で選んだ神経も信じられないが、非常識にウソまで重ねるとは呆れ果てる。

 かつて「高崎オリオン」で子供と『ベイブ』を観てたら、一時音声が中断。当然終了後、館側は全員に招待券を配った。これが当たり前の商人道徳。お前らは単なる商人にあらずといった面をしながら、ペテン師同様な真似を(開店した新刊本屋が、知ってて乱丁本を定価で売るがごとし)。来館監督の話題を写真入りでミーハー的に紹介するだけでなく、来年のメンバーズ会員手帖には、“碁盤の眼『インランド・エンパイア』上映”の恥辱の歴史も明確に記せ。

 茂木支配人はガン治療で入院中とあるが、承知での上映なのか?もっともお金を取ったら、そういう個人的問題は勿論関係ない。同館の前途は多難だ。(07.12.22)

下々の者へ(その836)

「高崎オリオン」の『ベイブ』での音声中断だけど、数分じゃなく、1巻丸ごとって感じだった。特に小さな方の子は、「お父さん良くわかんないよう…」(10歳くらい)。中学生だった上の子は、翌週だかの『ジュマンジ』をタダで一緒に観に行って(懲りたのか下の子は来なかった)、「凄く得しちゃったねえ、お父さん」。こういう所に性格が出る。

『キネマ旬報』1956年11月下旬号の映画館街レポート、「新・盛り場風土記」は高崎編。「高崎オリオン」は2階、1階を「高崎松竹」として同年オープンした、地元資本の野中興行自慢の“映画のデパート”とある(俺が帰郷した頃には、既にオリオンと松竹は別の場所に。似たタイル張りの建物で区別がつきづらいが、松竹がオリオンから独立したのだと推測)。56年当時の高崎の人口は約12万5千人。既に8館あったが、執筆者(阿倍忍・山口秀夫)は5館が適当と分析(人口2万に1館が業界の常識だった)。野中興行は当時群馬県最大の興行会社だったらしく、『キネマ旬報』にしばしば名前が登場。今も不動産関係で勢力があるらしく、ビルの空き物件などに良く社名が。

 結局、5年程前に駅反対側の東口に、接客態度史上最低最悪の糞ゲロゲロシネコン、「109シネマズ高崎」が開館し、全部が閉館に追い込まれた。“オール傷物デイヴィット・リンチ”の〈2館目開館記念ハレンチ嘘つき定価上映〉で、群馬芸術映画上映史に消し難い汚名を残す事となった、「シネマテークたかさき」が2年程前に出来るまで、西口から映画館は消滅状態。15年前に帰って来た頃には、以下のような映画館がまだ健在だった。

「高崎東宝」は3館位にビルが分割。子供の年頃のせいもあり、宮崎駿を中心に腐るほど通う。接客も、映写状態も悪くなかった(館内も暗めで画面シャッキリ鮮明)。「高崎オリオン」。最初は上下の2館だったのに、途中で2階を分割、3館に。音が筒抜けで最悪。『スターリングラード』と『ハンニバル』を上の娘とはしごした際は、特に泣いた。近所の「高崎松竹1・2」共々映写状態は常に悲惨。従業員の態度も投げやり。オリオンといやあ、『ライオン・キング』を観に行った時も音、絵共に15分位上映が中断したが、招待券はくれなかった事を、今ふと思い出す。

 地元デパート「スズラン」の近所には、「高崎東映」が。東映系らしい不潔な小屋で、冬場は暖房をケチり寒くて参った(『時雨の記』の際で、事務所に文句つけたが、余り改善されなかった。事務所内はポカポカだったので、余計に腹立たしかった)。「高崎ピカデリー」は駅寄り。俺の高校時代は日活ロマンポルノを。数回通った(名画座路線だった頃もあった記憶。加藤彰監督の山科ゆり主演の佳作、『愛に濡れた私』はここで。ポスターもタダでもらった)。帰ると洋画上映館に。凡作、『キャスパー』を子供らと。建物はオンボロだったが、お爺ちゃんを中心に、家族で経営を切り盛り。いい雰囲気だったが枯れるように消えた。愚妻の実家がある茨城の古河に、「古河光映館」という「高崎東宝」規模の館が。ここも家族一体で客をさばき、「高崎ピカデリー」にムードがそっくりだったが、既に『ぴあ』に館名がないから、閉館したのだろう(館内が凄く清潔だった)。

「新・盛り場〜」に登場、帰郷時に残ってたのは、東宝、オリオン、ピカデリーのみ(「高崎電気館」も俺の高校時代にはあった。構え、位置が後の「高崎東映」を思わせるが…)。「高崎銀星座」「高崎メトロ」「国際映画劇場」なんて全く記憶にない。気になるのが、俺の高校時代はピンクを、帰郷後はホモ映画を上映していた「みゆき座」。前出の映画館の改名なのか、全然違う館なのか?今はダンプの運ちゃんしてるとの噂の、駅前の「高島屋」脇にあった居酒屋、「一兆」のマスターにでも聞いとくんだった(誰か教えてヨ)。『東京の暴れん坊』に富岡高校の同級生として、通称“みゆき座”が登場するが、当然この館名から。帰郷数年後、当人と市内の「セキチュー」駐車場で遭遇。互いに女房連れ。地元でゴルフ関係に就職してると。「オメー、本当にエロ映画が好きだったな…」と言うと、「シー!」と車の脇で愚妻とだべる奥さんを盗み見て、たらこ唇の前に人指し指を立てた。にしきのあきら風の2枚目なのだが…。

 ボケると便利な事も。チョイ前、『いいなづけ』(A・マンゾーニ・河出文庫)なるイタリアの小説を。イラスト入りでそうは退屈でもないが、何しろ長い(約450ページ)。それに知らないエピソードも時々。またボケたか反省してると、解説もなく最終ページ。しかも“下巻につづく”と。はがしてあったカバー見てビックリ。“中”とシッカリ。“上”を飛ばして読んでたのだ。が、良かったよ。最初から読んでたら性格的に、多分3巻共に読み、結局は深く後悔したと。合理的ボケ?

 山崎邦紀については、先日の南陀楼綾繁との忘年会でも当然話題に。柳下もすっかり奴の“座付き評論家”と言うか、新作公開の度に身銭を切って「上野オークラ」に通ってるが、少々常軌を逸してないかと。確かに最近のピンクの新人は、テクニックは達者だが、表現したいモノが実は皆無な、ケン・ラッセルのパチモン風の、シャレた薄味ボンボン連中ばかりで、反発したい気持ちはわかるが、岡惚れが過ぎないかと(人の恋路を邪魔する気はないが…)。俺のわからないふけ専的魅力でも?

 けど得な奴。末井昭、タコ多田、浜野佐知…彼をビジネスパートナーにして、金銭的利益を得た人は誰1人いない(だから俺は、無謀にも雑誌1誌や1本の映画を任せたりせず、ゴミ原稿書きの仕事しか与えてない)。なのに最低限とはいえ仕事は途絶えず、今も生活保護の申請をせずに生活してるのだから。21世紀初頭の“新宿の7不思議”の1つだ。

 今日は石井輝男&鈴木則文スピリッツ溢れる、山本薩夫監督の傑作、『戦争と人間』3部作を論じる予定が、疲れたので次の機会に(戦争シーンでの過剰な残酷描写、特高や憲兵のしつこいリンチ振りのエグさは特筆モノ。年末年始は絶対コレと、塩の字も太鼓判。3部作で合計9時間あるが飽きない。他国と自国を平等に見る心の余裕にも、創造者のスケベ心に満ちた原点を。少なくとも小林正樹の『人間の条件』や、今井正、熊井啓、黒木和雄、佐々部清他の愚昧監督の数十倍は面白い)。山本の東映任侠映画が観たかった。08年は“山薩”の年か?  (07.12.30)

下々の者へ(その837)

 (その826)は“引用ミス”(確信的文章泥棒、唐沢俊一の白々しい居直り)ならぬ“真っ黒けな盗作”、いや事実誤認等もあり、3度ほど書き直す。高崎駅の東西出口を間違えるのはまずいよ。今日も出掛けず、昼過ぎまでに『ギリギリデイズ』(松尾スズキ・文春文庫)を読了。WOWOWでの『キング・コング』をはさみ、夕食後に『アメリカ』(坪内祐三・扶桑社)も一気読み。昨日は『ユリイカ』も観たりで、3時間映画に疲れてる面あるので暇つぶしに本欄を(熱燗でもやって寝たいが、俺は酒は週3回しか飲まない主義で。今日は寂しい禁酒日)。

『キング〜』は割と評判良かったが、公平に見て完全な失敗作。部分的に泣かせる場面もあったが、細部で201分は合理化出来ない(90分なら許す)。決定的なのが、脚本家(吉岡秀隆並にひどい芝居するね、エイドリアン・ブロディは常に)に既にコマされてる3流女優ごときのために、なぜ船員達が命を張るのかという点。ひどい脚本。退屈な前半の1時間で、彼女が船長か船員の命を救うとかの伏線が、いくらでも張れるのに(モルヒネにはあんだけくどい説明かましてんだし)。『ロード・オブ・ザ・リング』へのボーナスだとしても、ふやけ過ぎ。その点、青山真治は一見もろペテン師だが、こういう甘ったれた映画撮らないのは立派(当人は腐ったような奴だろうが。1見しても10見しても100見してもペテン師という、松岡正剛や村上隆みたいな物件もおるし)。青山は字幕に英語使うのやめれば、ペテン師臭がかなり薄まると(わざと?)。

『東京の暴れん坊』(右文書院)を中心とした書店巡りも、発売1ヵ月半もたつとさすがに飽きる。相変わらず書評も出ないしとイラついてると、年末からアマゾンで3週間から5週間待ちに。発売直後以来。『映画秘宝』の“8・2の髪型男”の書評効果?(まさか…)アマゾンの古本本ランキングなんてのもあんだね。そこじゃ2位。「ウヒヒヒ…」と一瞬喜んだが、bk1やセブンにゃ在庫タップリ。う〜むむむ、何とかせにゃあかんな。

 年末にゃ『食育のススメ』(黒岩比佐子・文春新書)も。いやこの人、馬鹿な本好きにやたら評判いい上に、書評も一杯出てるし、凄い悔しいじゃん。何とか足を引っ張ってやろうと精読したが、スキのない書き方。相当な悪女と直感したが、考えたら俺この人に会ってたよ、千駄木の一箱古本市で。本も買ってもらったし、春の古本市での愚娘の写真が載った、『朝日新聞』の都内版も秋にもらった(娘は全く無関心だったが、愚妻が喜んだ)。こういう、一宿一飯の義理ある人の悪口を書くのが、極め付きの快感なの。次の『記録』の「奇書発掘」はこれか?ちょっと無理臭いが、だからといってもう1冊買うのもシャク。しかも話題の『編集者国木田独歩の時代』(角川書店)は、なぜか「東京堂書店」じゃ拙著と『書肆アクセスという本屋があった』(右文書院)の間に、ドーンと山積み。別に乱交3P状態だからってうれしいメンツじゃないが、俺のが一番地味な感じで超むかつくぜ(見たか男の嫉妬!!)。文春新書は最近一番充実。

 読みましたぜ、“8・2の田野辺カット”の命名者(しつこく何度も繰り返してると、段々面白くなるでしょ?マーク・トウェインの受け売りですが…)、内澤旬子姐御の『enーtaxi』のコラム。こういう端正な正統派文章も書けるのですね。俺としちゃ、割と育ちのいい人間が、長い事抑圧して来た下品な本音が、「ブバッ!!」と温泉みたいに噴き出す、擬音や台詞交じりの文章の方が好みですが…(不平じゃありませんぜ、勿論!)。

 年末年始に観た映画では、『噂の二人』(監督・ウィリアム・ワイラー・’61米)も忘れ難い。『第三の男』っぽい終幕にしびれた。原作は自己美化過剰と昨今評判のよろしくない、リリアン・へルマン。そういや同じ原作者の自伝の映画化、『ジュリア』での、ジェーン・フォンダの眼ギョロ芝居は、吉岡秀隆も真っ青だったよなあ…。 (08.1.2)

下々の者へ(その838)

 全く知らなかった英国の作家、プリーストリーの『イングランド紀行・上下』(橋本槇矩訳・岩波文庫)を昨日から。まだ下巻の途中だがいいねえ(翻訳も凄く読み易い)。何か文春新書と岩波文庫を近頃本当に良く買う。昨日と言えば白髪頭と老体に鞭打ち、池袋「古書往来座」の外市に11時から5時まで参加、完全な映画『八甲田山』状態に。打てばキンキンキンと全身が鳴ったかも。50男に冬場の外市は無理があると悟る。

 収穫も。刊行当時「文芸坐シネブテイック」で買いながら、人に貸したまま行方不明になって、今や3000円前後はするので長い間買う決断のつかなかった、『日活ポスター集 ポスターでつづる[日活映画史]』(日活ポスター集製作委員会編・’84)を、たった1500円で入手出来たから。しかも“古本屋界の「越後屋」”こと、「古書現世」の棚だったのでビックリ。「安く買えた物だから…」と当人は言ってたが、嫌がらせも忘れない。拙著、『現代エロ漫画』(一水社)を、業界定価とも言うべき同じ1500円で出品。「絶対売れねえヨ」と思ってたら、あっと言う間にどっかのオッサンが買ってって再びビックリ(さすがは「越後屋」!!)。若い姉ちゃんなら、無理矢理サインしたのに。

 糞な客も勿論。性格の悪そうなオッサンだったが、各箱から10册位抜き出しながら、そのまま“退屈男ここにあり”のレジに行くのかと思いきや、半分くらいまた戻し始める。俺のトコにも2册返品。座ってたパイプ椅子で、後ろから頭部を殴りつけようかとマジで。本棚前で座ると、肛門のモロ見えそうなケツ出し姉ちゃんも1人。真っ昼間で冷える日だったせいか、あんまり有り難くなかった(姉ちゃん今頃“ケツ風邪”じゃ?)。

 8時頃まで営業してたのに、5時頃に早退して帰宅(新幹線はガラガラで、1車両に全部で客は俺入れて3人。越後湯沢止りの「たにがわ号」のせいもあるが)。塩たらをつまみに西武の地下で買った、活性原酒「雪っこ」を傾けホッ。で、西部ってロクに男子便所ないじゃん。本当にケチ臭いデパート。「高島屋」や「大丸」はこんな事ない。“中心街の清潔な無料トイレ”。これが百貨店の昔からの本質なのに、西部幹部は全然わかってない。いつもトイレを無料で使わせてもらってるから、たまに百貨店で高い買い物すんじゃないの。まあ、火事になれとか潰れろとまでは言わないけど(思うだけで)。(08.1.6)

下々の者へ(その839)

 いやあ、これでやっとゆっくり日曜の朝も眠れる。『東京新聞』にだいぶ前から岡崎武志の、『東京の暴れん坊』(右文書院)の書評が載るとの噂を聞いてたので、この1ヵ月くらい寒いのに毎週早起きを(普段、土日は9時頃まで寝てるのに、必死で6時頃には目をパッチリ)。愚妻は普段、7時チョイ前に起きるので仕方ないのだ。つまり拙宅は大昔から『東京新聞』を(『赤旗』も)。油断してると刊行した事実も知らせてない、『東京の〜』への書評を先に読まれちゃう。そんな恥ずかしい事はこの世にない(いつも内緒。印税の振り込みや噂で、薄々知ってはいるだろうが…。最近も右文書院からの年賀状を見て、「聞いた事ないトコね」とか言っとった)。

 それも今週で終わり。“本好きゆえの熱い「罵倒芸」”とのリードで始まる書評を2度読むと、早速カッターで切り取る(普段から新聞のスクラップはしてるので、敵にも怪しまれない)。一昨年の『出版業界最底辺日記』(ちくま文庫)の際の同紙は、扱いこそ業界で最初だったものの、5〜6行の短評。それが3段で書影入り(眼を凝らすと東京都の、いやオマンコマークも見える)。「天下を取った!!」と、嘉村礒多なら絶叫、失神する下りかも(オーバーな…)。

 けど『東京新聞』の担当者も偉い(無謀)。早川書房やポプラ社等、同紙への数少ない大量広告出稿版元ではなく、“広告費ゼロ”との噂さえある、右文書院の本をここまで大きく扱うなんて(相手をほめる風を装い、“俺の本にはその価値がある”と暗に主張する、鹿島茂言う所の〈ドーダ芸〉の一種)。営業部どころか、悪口吐かれた文化人を含め、誰からも感謝されない(俺と南陀楼綾繁、それに右文書院の青チャンこと青柳編集長くらいだな、喜ぶのは)。

 中身。知ってたけど人格者(苦労人)だね、岡崎武志も。自らへのあんだけの嫌み入りの本を、ここまで持ち上げるなんて。俺なら8割ほめても、残る2割で必ず念入りに復讐するが(心の内は不明)。さすがと思ったのは、森山大道への罵倒の下りを引用した点。あんだけ世間にチヤホヤされまくってる文化人は、まずおらんからね。たとえ立派な人でも、石の1つも投げてやるのが物書きの道徳的義務(誰が決めたんだ?)。岡崎よ、どうもありがとう。晩鮭亭もシャワー浴びたら、KIOSKで買って読んでな(コンビニに同紙はまず置いてない)。

 賀津、オメー『勝利者』や『星よ嘆くな 勝利の男』の世界、つまりボクサー崩れなんだって?全然知らなかった。金曜日の夜に“一家に一匹退屈男”と、事務所近くの「串鐵」に行こうと信号待ちしてると、同じビルの「大王」(中華)のコッペパン踏みつぶしたような、コクのある面した2代目に遭遇。「賀津さん、昔はボクシングで鳴らしたんですヨ」と聞いてな(チョイ前、あんたと俺が店で話してるのを見てたらしい)。“ガラスの顎”とは良く聞くが、“ガラスの心”のお前がリングに上がってたなんて、信じ難い景色だ(弱かったろう?)。

「シネマテークたかさき」の『いのちの食べかた』に今日は。傷だらけのフィルムじゃないといいな。

 付記(14日)。『いのちの〜』、高崎地区でも大ヒット。『インランド・エンパイア』の10倍、つまり40人強入ってた(定員、58名)。“屠畜スプラッター映画”としての前宣伝が効いてたせいか、中学生からおばさんと女性中心で、『キャリー』や『バーニング』の客筋とほぼ重複。数人の白髪インテリ客が(男女共通)、眉をひそめてたのが笑えた。作る側もそこらは先刻承知で、カメラワークは完璧にホラー映画タッチ。演出、編集もハードボイルドで、ドキュメンタリー映画としては、『スティーヴィー』や『ダーウィンの悪夢』に匹敵する水準かと。そういえば両作も登場する『シネマ・ハント』(柳下毅一郎・エスクァイア マガジン ジャパン)が、今回の『記録』の「奇書発掘」のネタ。内容はともかく、突っ込み所タップリの百姓造本だ。シャープペンが走る。 (08.1.13)

下々の者へ(その840)

暇。何の書き物もない週なので。一昨年までなら、鬼姫ややくる〜と、尾山泰永に変身しながら、「ヤケクソジョッキー」を書いてた頃(御存知の通りオハヤシは全て、警視庁公安部真っ青の俺のでっちあげ)。本当はやる事はある。かつて『記録』に連載していた、「エロ漫画で喰う」の問題部分の修正仕事。昨秋に原稿を預かってるのだが、どうも面倒で少しも。声が裏返る大畑編集部員が、そろそろ引き渡しを要求して来そうだし。ちょっとだけ覗いてみるか(ひでえ事書いてるんだよ、きっと。良心がズキズキ痛むヨ)。

 木曜日、『Hオフィイス裏情事』の表紙打ち合わせを、吉田昭夫と終えて大島から地下鉄都営線で帰ると(同誌の表紙製版は例の小宮山印刷。スミベタがしゃきっと出ず、1号としてまともな仕上がりはなし。既に6号も出てるが。“印刷廃刊”の可能性もあるのに、よく一水社もあんなトコ使ってる)、“山崎邦紀より電話あり”とのメモ。新年早々厄病神の声は聞きたくなかったが、仕方なく。「また君の事務所でロケさせてもらおうと思ってたけど、やっぱスタジオ借りないと駄目って事になってね。悪いねわざわざ電話してもらって」

 内心ホッ。「福島で雪降ろししてるはずじゃ?」「とっくに終わったよ」「けど大蔵映画も物好きだな。いくら万年斜陽産業とはいえ、まだお前なんかに撮らせるなんて。荒木太郎が嘆くはずだよ」「うるさいな。僕だって初期は儲けさせてんだから」「その頃他の監督は、あんたの何十倍かは儲けさせてるさ」「かも知れないけど、一時は監督不足で…」出版界ナンバー1のビンボッチャマを背負い込んだ、ピンク&ホモ映画界よ永遠なれ!!(出てってくれて本当に良かった)。

 最近読んだ雑誌。『WALK』(水戸芸術館ACM劇場発行・定価720円)。55号も出てるそうだが、「東京堂書店」で先週初めて。春日武彦、林哲夫、佐藤亜紀、坪内祐三らの興味深い論考の間に、浅井俊裕、辻本力、矢澤孝樹といった聞いた事もない連中の文章が。もちろん無名でも面白ければ問題ないが、揃って2流高校美術部のおしゃべりレベル。末尾の自己紹介を見て納得。全員が同美術館学芸員。高給取りの自称公務員文化人が、プロの間にはさまり名誉獲得と小遣い稼ぎ。こういう真似はテメーらの給料でやれ。怒れ茨城県民も。林の「読まない古本の買い方教えます」の最終ページ、“この本一冊で未来派の研究にどの程度貢献できるのかも分からないし、失礼ながら未来派の研究が進んだからどうなるというものでもなかろう”の言い回しは効果的。いつかどこかでパクろう。

 明日から早起きする必要がない。ちょっと寂しいような。そういえば岡崎武志の書評掲載の『東京新聞』を、担当記者がわざわざ送ってくれた。よく漫画屋の住所がわかったな?(本欄の読者だったり)

 今週の映画雑誌。『シナリオ』1969年6月号。「エログロ映画に批判声明 東映京都助監督全員が連名」より。“助監督の深尾道典氏は「われわれの声明だけでエログロ映画がなくなるとは思っていないが、これを機会に全映画人が立上がってほしい」といっている。又、片山清東映京都撮影所長は、こうした批判声明に対して「若い人の意見は尊重したい。しかし批判ばかりしてもしょうがない。要は仕事をすることだ。たしかに世間からも手きびしい批判は浴びているが、他人のやらないことを取上げるのが企業というもの。どうしても不満の人は漫画映画でもつくればいいだろう”。助監督連中の意見、尊重なんかちっともしてないじゃん。今考えると立派な所長さんだが、既に東映動画はあった頃だけど…。深尾道典の監督作品は、東映ポルノ『女医の愛欲日記』(’73)を富岡銀座通りの「富岡中央」で。退屈だった。(08.1.19)

下々の者へ(その841)

 昨今最大の笑い話。警察庁の容疑者取り調べに当り、警察署の他の部署が“監視”するとかのトンデモ指針。仮出所した小平義雄の保護司を、大久保清が務めるに等しい超愚作。どこまで納税者を舐めたら気が済むのかね、桜田門の裏金盗人役人共(地回り兼十手持ち)は?「ズンドコジョッキー」をカリカリ。まだ3分の1だが、来週半ばまでに上げれば間に合う。ズンジョへはまあまあハガキが来るが、“もん舐め”のイラストが少ない。本当は採用したくない、ロクでもない奴の糞ハガキも多い。いにしえのベテラン組、老体にむち打って頼みますぜ。あと生汁、銀行口座は実家の住所で早く作れ(一水社は銀行じゃない)。じゃねえと俺が小遣いにしちまうぜ。

 今日も高崎のどっかの「ブックオフ」にでも行った後、「シネマテークたかさき」で映画見物をと昨日までは考えてたが、やはりお仕事優先に(先週と同パターンじゃ芸ないし)。その「シネマテーク〜」だが、大して金もねえだろうに、郵送費の無駄遣いが昔から激しい。毎月の番組予定表まではまだしも、チラシ折らないで済む大型案内も時々よこすが、分をわきまえよ。2〜3日前にも『転々』『逃亡くそたわけ』、それに「高崎映画祭」でのドライヤー特集のチラシが3枚ドン(同館の2月の予定表も)。80年代前半、全盛期の「文芸坐」も、会員に対してここまでしなかった。印刷業者や運送屋が特別に安くしてくれるとか、あるいは別のいまわしい理由が?(俺は当然チラシ収集癖あり)

 無駄話でも触れたが、面白くてためになる『〈海賊版〉の思想』(山田奨治・みすず書房)に続き、『昭和天皇』(原武史・岩波新書)読了。やはり今、鉄道と天皇制と立ち喰いそば屋を論じさせると、原は一番信用できる。資料の取捨選択が公平だし(右派の資料もキッチリ。自説の証明のために右派学者の文章をあえて用いたり、かなり頭脳的)、そもそも勇気がある。例えば厚いだけの『東京裁判』(講談社現代新書)の著者、日暮吉延は種々粋がってるが、基本的にとんだ腰抜け野郎で、現在の天皇の皇太子時代に触れる際は、カッコして“今上天皇”とうやうやしく。日暮の歴史観がそうさせるのだろうが、例えば日本共産党の今を研究する政治学者が、本文中で同党を“日本唯一の革新政党”と呼ぶがごとし(原は“現天皇”とあっさり)。各種資料も恣意的にとの疑惑が、当然“ノミの心臓”の日暮にはわく。岩波新書は各方面で長年、ロクでもないモノしか出てないのは客観的事実だが、珍しく本書は買う価値が。有名な工藤美代子の古典的馬鹿さも、具体的かつ露骨に嘲笑われていて心なごむ。

 最近は退屈男んトコのリンクで、各種読書ブログを時々読むが、凄いね黒沢比佐子。自著に触れたブログには、99%いちいち返事書き込んでるじゃん。サービス満マンまん点。そこで一言。「あの〜、僕(塩ちゃん)も詳しい事は忘れちゃったけど、何か本欄で書いた記憶あんですが…」読んでもらえてないのか、無視されたのか?いずれにしても寂しい。村一番の“させ子”に1人だけ振られた、口臭のきつい水呑み百姓の三男気分とまでは言わないが(言ってるが)、類した気持ちには(シクシクシク…)。これに耐えねば、“一流の嫌われ者”とは言えないのだろう。涙を抑えながら、雲のたれこめたヒースの荒野を1人歩もう。さらば“させ子”、いや比佐子!! (08.1.27)

下々の者へ(その842)

 車谷長吉もだが、昨今の佐伯一麦といい、現代の私小説作家って逼迫感がない。前者は既に功なり遂げた幸福感にのろける一方だし(恥も外聞もなく名誉を渇望しつつ)、後者は作物のふやけ振りを自覚してる点は少し偉いが、すぐ病気に逃げる(しかもかつての肺病と異なり、多くの人々には無縁な“特権的病気”なのだ)。車谷は既に終わってるが、若い佐伯はこれでいいのか?「親族を殺された者にしか分からない!!」と、死刑廃止論者に居丈高に迫る、犯罪被害者の傲慢さに通じるモノを、昨今の彼には強く感じる。

 今の私小説家の逼迫感のなさって(全て演技に見える)、先日「神保町シアター」で観た、『愛染かつら』(監督・中村登・’62松竹)の現代における困難さに似ていると。このドラマのすれ違いの妙味って、電話が広く行き渡ったり、ましてや新幹線が出来てからの島国じゃ、全然説得力がない(62年以降の映画化はないようだ。新幹線は64年開通)。例によって、投げてるとしか思えない中村演出といい(本企画監修役、双葉十三郎も変な趣味)、こんなのやってられるかとふて腐れてる岡田茉莉子の演技といい(吉田喜重と組んだ『秋津温泉』もこの年)、正直言って観るに耐えない凡作だが、最後の「歌舞伎座」での歌謡ショーに注目(安易にてめんトコの施設ばかり使わんで、せめて「新宿厚生年金会館」くらいの所でやれよ)。俺が小学校入学前(50年代末)、叔母さんが大好きだった神戸一郎が出演、フルコーラスを。旧御三家が登場する以前は北関東でも大人気だったが、今見るとただのキモい男色歌手にしか(でも「十代の恋よさようなら」は俺も好きだった)。とにかく製作者側(一応インテリ?)が客(地方の)をモロ舐めてて、以降の邦画の没落は当然の運命という感じが。

 先週前半も午前9時頃臨時で吠えてたな、富岡市の“岩井賢太郎式気違い防災無線”が。七日市在住の80代の痴呆老人が行方不明と。そりゃ警察、消防の仕事(職務)だろう?何で5万4千の納税者が、命令で高給取り連中の下働きを?税金の2重取りだぜ。それに痴呆はいきなりなりはしない。発信機を持たせるとか、対策はいくらでも打てる。それもしないで、朝っぱらからエロ婆さんの気色悪い声の暴音で起こすな。下らない放送したら、即富岡市役所行政課に抗議電話を。連中は電車内の痴漢野郎と同じ。黙ってたら図に乗り益々突き上がる。日本泥棒裏金役人全ての、ドゲスで世界に誇り得る特質だが。「富岡市の気違い防災無線を世界遺産に!!」

 献本なんて真人間は絶対しちゃ駄目。俺はまずしない。『東京の〜』も同書収録原稿の連載をしてくれた、一水社、あるいは笠倉&司時代に世話になった、現メディアックスの糖尿加藤&短足山田、『記録』編集部、ティーアイとかほんの6〜7冊。だいたいもらった本は誰も読まない。読みたけりゃ買え。それだけ。数少ない山下敦弘の失敗作、『松ケ根乱射事件』も完全に『ファーゴ』を意識してるが、あれだけ間の取り方が上手い奴でもなあ…。いがらしの旦那も昔に比べ、率の悪い絵にしちまいましたな。50過ぎて描くには大変。まあ若いうちはやや楽したタッチだったし、仕方ねえか。またサインしてね(古本市で叩き売る)。

『冤罪File』(キューブリック)創刊号、なかなか面白い。この情報量で380円。遠距離通勤者の俺でも3日は持ちそう。特に「スリ未遂!?サラリーマンを襲う新たな“電車内冤罪”」(今井亮一)が読ませた。知らない版元だが腰の座った編集してて、今後に大いに期待。どこがスポンサーなんだろう?『噂の眞相』が出てた頃には、すぐに解消した疑問だが…。

 今週の映画雑誌。“『陸に上った軍艦』は声高じゃない反戦映画。宝塚歌劇団の前でしゃべる新藤さんを見ていて、後年、宝塚出身の乙羽さんと恋愛するなんて新藤二等水兵には思いもよらなかったみたいなナレーションを足したくなった”(荒井晴彦版『映画芸術』の最新号。新藤作品をベストテンに入れての、荒井自身のコメント)。今時珍しく、天皇制に対しては根性ある発言を続ける荒井も、“シナリオ界の天皇”にはしっかりヨイショの嵐。人間臭くて、この寒いのに心がほのぼのぼの(バ〜カ!)。

3日付記。通称“日本のデイヴィッド・リンチ”、あの山崎邦紀監督のピンク映画の上映会が、2月9日、「大宮オークラ」にて開催されます(ピンク&ホモ映画製作の合間に、会津在住の御両親の介護してるのでも有名)。午後2時から1本目が。3時から監督他の舞台挨拶(座付き評論家、柳下毅一郎などが引っ張り出されるのでは?)。その後、再び2本が上映され、5時30分過ぎから、これまた知る人ぞ知る駅前の居酒屋、「いづみや」(2号店)で打ち上げがあると。「大宮オークラ」は大宮駅東口、「ロフト」裏手。近所には俺も常連の「ブックオフ」の大型店も(大宮東口駅前店。埼玉県内屈指の充実店)。女性専用席も用意と。場所柄、当然“エンテツ”こと遠藤哲郎も半死に顔を出すのでは?俺も「ブックオフ」ついでに行こうかと。同館には20年くらい前に1度だけ。確かまだ「川口オークラ」が産業通り沿いにあって、地元暴走族の出撃基地になっていた頃だ。当時は、古くて広くて体育館のような映画館だったが…。 (08.2.2)

下々の者へ(その843)

 いがらしの旦那、明日は「大宮オークラ」にわざわざ仙台から出撃と。山崎邦紀“ビンボッチャマ”監督も大いに喜ぶでしょう。と…と…ところが、俺が明日は急な仕事で出席出来ない。トホホホ…。5時30分過ぎからの、「いづみや」(2号店?)での打ち上げには行く予定。今日、やくる〜とが休みなので(明日の代休)、無駄話の更新はなし。明日は2日分やる。 (08.2.8)

下々の者へ(その844)

 著者自身が、「大学で教えたり、海外から招待されてる、僕チャンみたいな有名知識人の本をけなすなんて許せない!!」と、よだれかけ振り回しながら、逆上して抗議したのか?あるいは版元が、嫌々著者の要請で営業妨害との申し入れでもしたのか?無駄話でも触れた“気鋭のウスラ馬鹿”、伊藤剛の大愚書、『マンガは変わる』(青土社)への、アマゾンでの真摯かつ的確な書評2本がいつの間にか削除(伊藤自らが執筆したとしか思えない、無芸なヨイショ書評は健在)。あれほど聡明な執筆者2名が、同時に反省、削除するはずないから、きっと前者ではと推測する俺。『東京新聞』に次いで伊藤にインタビューする媒体があれば、必ずこの点の徹底追求してくれ。村上隆、唐沢俊一、そして伊藤剛(出世したじゃん)。世界に誇る国辱トリオに乾杯!!

 悩む。近く閉館のピンク&ホモ映画館、「大宮オークラ」に向かって右の路地は、“ファンキー通り”と名づけられている。その名の由来についてだ。同館は40数年前、洋画封切館としてオープンと。最初は当然、キャロルのヒット曲の一節、“君はファンキーモンキーベイビー…”からと。が、開館時はスリーファンキーズも大人気だったし(俺もこの頃、つまり小学生時代は、よくボーカルの長沢純に似てると言われた)。いずれにしても名称とは裏腹に、通りは“埼玉の歌舞伎町”の大宮にふさわしく、ゲロや小便跡、タンやつばが舗道にナチュラルな幾何学模様を。俺が地元商店街の会長なら、“裏切り小路”と命名したろう。

 一昨日の同館での山崎邦紀監督の特集上映、盛況だった模様。俺は「いづみや」(支店)2階での打ち上げにしか参加出来なかったが、カウンターでというハンディはありながら、いがらしみきお(仙台から、泊まり掛けで観に来るような映画じゃねって。絶対!!)、柳下毅一郎(ちと肥えましたか?『シネマ・ハント』の初版部数を聞いて超むかつく。『記録』の「奇書発掘」で扱った際、知ってればより強烈に罵倒したのに)、遠藤哲郎(酔いどれ半死に幹事役、御苦労様)、高崎俊夫(貧乏フリー編集者。例の鼻の穴の巨大さで知られる、濱田研吾の三國一朗本が進行中と)他と、“急ぎ働き”ならぬ、“急ぎ宴会”(雪の舞う大宮から、わざわざ飯田橋まで戻って寝るのは馬鹿らしいので、大宮駅21時30分発の「あさま531号」で帰宅)。山崎“ビンボッチャマ”監督、金も名誉も老後の保障も一切ないけれど、ひょっとして幸せ者?(少しもうらやましくはないが)。

 今週の映画雑誌。『シナリオ』3月号の読者ページで、鎌田一利(板橋区)が「2007年度私のピンク映画ベストテン」を。4位に山崎監督の『社長秘書 巨乳セクハラ狩り』が。“団塊世代へ元気を送るような映画。セクハラの定義必要性を問うような一作”と。本作が“漫画屋長期ロケ断行作”だけでなく、エキストラで“朝日文化人”になる直前の内澤旬子、まだ健在だった「書肆アクセス」の畠中理恵子店長が出演してるとは、鎌田君もよもや知るまい。

 仕方ねえから、かつて『記録』に連載した、「エロ漫画で喰う」の直しでも始めるか…。今年のアストラの、単行本刊行予定に本当に入ってるんだと、裏返り声の編集部の大畑センセも電話で言うとったし。何か面倒な気分(ゼイタク病?)。

 付記。只今、暗雲たれ込めるヒースの荒野から、豪雨を突き馬で帰還したばかり。ゴシゴシゴシ(タオルで雨を拭う音)。偶然、『編集者 国木田独歩の時代』も先週読了。本当はもっと早く読む予定なるも、「日本特価書籍」の入って左の列、右側の棚(奥、レジ寄り)に常にない。大塚英志やヨコタ村上孝之なんて、ド気色の悪いメンバー揃いの角川選書は、絶対に定価で買いたくないし。何度目かにふと左側の棚を見ると、何だ角川選書コーナーが一応あって、愚書群の中に1冊ポツン。で、やっと。無駄のない本揃えで有名な同店としては、話題書に対し要領が悪いと舌打ちしてたが、金曜日に覗いたら、ちゃんと右側の棚に3〜4册並んでいた。

 前半は独歩の神格化が過ぎて退屈。「だっから女は駄目なんだ!!」と、並以下サイズの男根主義的発想に基づく(寸法及び硬度)、差別的優越感に耽っていたが、後半、彼の女癖の悪さや、暴力的性癖が淡々と述べられ始めると(効果的)、「伝記はこれでなくちゃ!」と膝を3センチ程前に。戦争景気に支えられた自由主義的編集部と、皆に慕われた男の錯綜する性格。矛盾は読書の香辛料。結びは資料に頼らない、著者の推理力をより働かせても良かったと俺は。70点くらいか。また荒野で霧と戯れよう。パカパカパカ(説明不要)。(08.2.11)

下々の者へ(その845)

 あんましエロ漫画の話題を書く人がいないので、こういうのを読むとホッとしますね、本業を久々に思い出して。あとりセンセの次のコミックスも、初夏にはと(今度はティーアイから)。また鼻風邪とみえ、腰回りがスースー。今夜は風呂を休もう。どうせ昼間はプールに行って、シャワー浴びたんだし。ところでHisakoさん、ちわみさんて一体誰?

 今月の『記録』の書評は、『シネマ博物誌』(森卓也・平凡社)と映画『キング・コング』(’33米)を枕に、『インカ帝国地誌』(シエサ・デ・レオン・岩波文庫)を。本体が1200円もするけど、映画『食人族』に胸を打たれた経験がある良識人は、絶対に一読すべき1冊。33年版コング、ムチャクチャ面白い。あれに比べりゃ、ピーター・ジャンクソンも70年代東映の最終兵器、山口和彦監督。

「大宮オークラ」での、“山崎邦紀ヘタヘタ前衛ピンク映画3本立て”上映だが、音響設備がオンボロで、健常者でも台詞が理解出来なかったと(ドアル中の半死にエンテツ爺さんを、健常者呼ばわりしていいのかという、根本的疑問も残るが…)。つまり、いがらし“つんぼのぼの”旦那は当然ながら、全く聞こえなかったろう(補聴器の人)。聞こえたからといって、常人に理解し得る作物でもない所が凄いが(許す大蔵映画も)。「上野オークラ」でも5月頃、山崎特集上映が予定されてると。エロ本界でのかつての“スーパー廃刊王者”、ピンク映画界で季節外れの狂い咲き?(俺は昔からホモ映画の方が上と思うが)

 漫画屋が入る栄昇ビル503号室への、東京地方裁判所(裁判官・加藤聡)の引き渡し命令(12月末)に対する執行抗告状(異議申し立て)は、1月末に東京高等裁判所第7民事部(裁判官・大野禎男・細野敦・鈴木昭洋)から棄却された。つまり現所有者ハイサイド・テン(代表・瀬山剛)は、いつでも漫画屋を素っ裸で強制退去させられる。幸い同社の代理人、國吉歩、山本雄祐両弁護士のお情けで、3月一杯は居られると。必死で部屋探しだ。電話番号を変えずに済む所へ越すつもりだが。実話ドキュメント、「飯田橋栄昇ビル503号・素っ裸で追われ者の記」を、次の本では必ず100枚強は書き下ろす。1年以上に渡る争いの資料もタップリ。裁判て面倒で種々疲れるが、人によっては癖になるのが、体験すると実に良くわかる。弁護士にさえ頼らなけりゃ、金もほとんどかからないし。

 明日は出かけずに、事務所から宅急便で自宅に何箱も送りつけた、本やガラクタ類の整理を。田舎なので、幸い置く場所はいくらでも。実家の養蚕用だった2階、おなじみの蔵、吹きっさらしのバラック…。晩年は、都会で置き場所に困ってる本好きの、書籍預かり業でも始めるか?

 都の通称“慎太郎銀行”の赤字補填のため、血税400億も注ぎ込むと。公私混同超親バカネオナチ知事の大スキャンダルを、東京マラソン報道で覆い隠さんと画策している、“皆様のNHK”を筆頭にした翼賛報道陣の涙ぐましさにも感動。独裁者プーチンの最後の記者会見で、発言の度に拍手をして媚びを売っていた、ロシアのビビリマスコミ人と記者クラブでも作れば?(殺される可能性のある彼等と、NHK以下のゴミ共を一緒にしちゃ失礼か…)  (08.2.16)

下々の者へ(その846)

 オカマリアよ、相変わらずのアル中か?あの毅然としたお母さん、いつまでも悲しませちゃ駄目だぜ。電話で数度話したのみだが、知的で凛とした口跡がまだ耳に残る。ただあそこまで立派だと、並の亭主や息子がぐれるのも少しわかるような(衆道に走るのはともかく、酒だけは何とかしろ)。夜の上野公園風のくすんだ新事務所に、シラフで香港映画の脇役っぽい面をたまにゃ見せろ。

 すまんすまん。すっかりボケちまってな、最近は。今年は春の千駄木一箱古本市に参加しないと。すっげえ寂しいなあ、あの機関銃トークが聞けないなんて。数日前、『機関銃の社会史』(ジョン・エリス・平凡社ライブラリー)を読んだ際も、ちわみさんの名前はともかく、秋の楽しい古本市の一時を思い出した。Hisakoさんとちわみさんに挟まれた時など、姥桜の森の奥に迷い込んだじゃなく、酒池肉林の心でした。洲之内徹のサイン本が売れるの、本当に嫌そうでしたね(昔、明大漫研出身のギャグ漫画家で、スノウチトオルなる者が。竹書房で一時編集してたとか聞いたが…)。

 退屈男よ、3月1日〜2日の池袋「古書往来座」での外市、俺は2日しか参加出来ねえので、1日は嫌記箱の世話頼むな。いいじゃんよ、また飯田橋の「串鐵」でおごるから。おめえみたいな大喰いのやせた貧乏人に御馳走するのって、凄く虚栄心が満たされて気分いい(デブには絶対おごりたくない)。愚妻のブックカバーは高いので、万引きされないように注意をなんて、んな暇はねえな。今回は8割が文庫本。前回並に売れるといいな。

 昨今読んだミニコミ。『貸本マンガ史研究』19は、どの論文も例によって『赤旗』調の読者観でビシリ。かつての『プラウダ』や『人民日報』を連想させ、一時は息苦しさを感じたが、今では希少価値からか逆に新鮮。税金でこいう真似されちゃあれだが、身銭出してやってんだ。この硬直した、膨らみのない姿勢を死ぬまで保て。『畸人研究』24号。“今柊二様商売繁盛自画自賛誌”として、完成の域に達しつつある。既に節々ににじみ出ている、子供自慢が石原慎太郎並になれば完璧。かつての奇特な奇人マニアの、通俗な出世譚を具現化する雑誌(ミニコミ)として、民俗学的興味が尽きない1冊。

『東京新聞』の文化欄のセンスの悪さは、今に始まった訳ではないが、2回に渡って連載された、「「著作権」のゆくえ」はひどかった。中学生のホームルームでの発表以下。関口威人記者よ、『〈海賊版〉の思想』(山田奨治・みすず書房)を立ち読み(高いので)、一から出直せ。“権利明確化は‘親’の責任”と強調するが、その親の権利を多国籍企業が支配しながら、表面的には個人の権利保護を隠れみのに(アグネス・チャン風エセ・ヒューマニズム)、やたら連中が収奪期間を延ばしたがる風潮が危険なんだろう(受け売り)。そういや少し前の「大波小波」でも、著作権問題に触れた回が。70年延長推進役、三田誠広に触れた際に、三田の小説を誰が70年後に読むかとあざ笑ってたが、同じ事を金井美恵子が暫く前に確か(例の『一冊の本』の連載で)。偶然、あるいはパクり?

 次回の『シネマぜんざい』(名古屋の映画フリーペーパー)連載、「原作vs映画」は韓国映画、『アドリブ・ナイト』を。原作の『素晴らしい一日』(平安寿子・文春文庫)収録の同名作を昨夜。なるほど。解説の、北上次郎の手抜き振りは鮮烈なまでの域。服部編集長、事務所移転のために、今回は締め切りが3日ばかり遅れますデス(ブルブル…)。 (08.2.23)

下々の者へ(その847)

 何で一編集者の俺の許可が?記憶や引用(盗用にあらず)、ガキの感傷に著作権などない。好き勝手にやればいい。ただ俺は不器用なので、青字で表示してくれないと、無事にたどりつけない。特に印象深い投稿者でもないし、案内されたくもないが。若いうちから世間にそんなにビクビクしてちゃ、金も女も手に入らねえよ(実体験)。エロ漫画誌全盛時代、つまり90年代半ば頃までの腐れ投稿者も、男女を問わず多くが子持ちか。とにかく俺様の本だけは買えよ。やっぱ発売3ヵ月も過ぎると、忘れ去られたって感じになるが、買い忘れると絶対に後悔する道徳的名著、『東京の暴れん坊』(右文書院・定価2100円)。『出版業界最底辺日記』(ちくま文庫)の3分の1しか、各誌紙に書評が出なかったのは当て外れ。本当に世間は甘くないね。

 先程、千駄木の一箱古本市の申し込みを。5月3日にしたけど、ひょっとして池袋「古書往来座」の外市と重複?俺はここ“冷や飯組”だからまあいいか(漫画屋投稿者には懐かしいネーミング)。外市の“年収200万のマスコット”、退屈男が新事務所に昨夕顔を。引っ越し祝いとかで焼酎を。使い古された表現だが、本当に貧乏人は昔からどこでも義理堅い。そして必死に助け合う。古本馬鹿業界だけでなく、今度の栄昇ビル競売問題でつくづくそれを各店子に。頭の中ではジョージ・オーウエルのルポ等を通じて理解していたが、眼のあたりにすると、また独自の感慨が。無論、逆な奴も多いよ。けどそれも含め、だから世間は甘くないけど、凄〜く面白い。“美しい馬鹿”(脳味噌に1本の筋もないという意味)、安倍前総理には永遠に理解不能だろうが。

 明日は『記録』(アストラ)の「奇書発掘」でも書くか。素材は決まってんだよ。『ラジオの戦争責任』(坂本慎一・PHP新書)。奇怪な本であっという間に原稿が上がりそう。そういや編集部の大畑太郎センセから電話が。同誌連載で同社から単行本刊行予定の『エロ漫画で喰う』、5月頃までには再構成完了と。書き下ろし分を加えて、年内には発売って事だろうか?最近未払いだった、同誌の原稿料も1年半分くらいまとめて入金してビックリ。かつては盆と暮れに半年分ずつ入ってたが、最近は苦しいのかなと。こんなにたまってたとは…。得した気分になっちゃうのが、貧乏人の情けなさ。ただアストラは、単行本化する著者には原稿料払ってない様子(印税は別)。俺も本が出ると、印税から稿料引かれるのか?(こういう事は決して珍しい事ではない。もっと規模も歴史も虚名もある版元から、PR誌連載分でそれされた人を知ってる)。だから、いつ倒産しても妙でないアストラがしても、全然非難する気はない。そもそも、『記録』が稿料出してるのが不思議なのだ。俺も斎藤典雄と同じでいいよ(奴との育ち、人格、風貌の差は覆い隠し難いがな。当然俺様のが上)。

 切れやすいNやKとは無関係な、「南陀楼綾繁の居眠り名画座」が始まる、“日本で唯一の本格的近親相姦実話漫画誌”『本当にあった禁断愛』(一水社)だが、カットに“千駄木の江青”じゃなく、優しいかみさんが昔描いたのを流用しようとの約束だったのに、“くそ忙しい”にも関わらず、御本人がわざわざ新イラストを送ってくれた。思わず俺も“くそ感謝”。同誌はコンビニにも一部入ってます(奇数月25日発売)。次号からはあの“ピンク映画界のデイビッド・リンチ”、山崎邦紀の書評も開始との噂。先は長くなさそうなので、今のうちに買おう。

 今週の映画雑誌。『シナリオ』4月号。白坂衣志夫の連載も終了、もう買うの止めようとしたが、「桂千穂の映画漂流」が佳境なので何となく。“宇津井健さん、『スーパージャイアンツ』の話題が出るといやーな顏して逃げるという噂だが、その本当の事情を石井(注・石井輝男監督)さんの口から伺ったことがある。ここには書かないが、企画をヒットさせるためには手段を選ばない大蔵貢プロデューサーの商魂に、私は絶句した”(110ページ)。つまり、例の“股間モッコリ”は、意図的だったという事だろう。確かに凄い裏話。次号も買おう。(08.3.8)

下々の者へ(その848) 

 昨日、土曜午前中のせいか、新宿伊勢丹内のチケット売り場は長蛇の列。即断念、上階の喫茶店「バン」でモーニング(480円)。初めて入ったが、コーヒーの味、サンドイッチの味と量、従業員の態度共に文句なかった。あったのは開いていた本。早く後半が読みたい、『説きふせられて』(ジェーン・オースティン・岩波文庫)を中断、『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(森達也・ちくま文庫)を。書名を書き写してるだけで発狂しそうだが、これも商売ゆえ仕方ない。『オーマイニュース』が別冊で書評版を出すえらしく、光栄にも執筆者の1人に指名されたので。『記録』より稿料もよっぽどいいし、柄の悪さにも磨きをかけるつもりだが、“森達”の400ページ近い本を読むってのは、金銭には換え難い“この世の究極の快楽”が。別冊は20日前後に配信と(月刊予定らしい)。

 15日が初日とは知らずに、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』上映の「テアトル新宿」に着いたのが、10時45分頃(初回11時30分開始)。館前には人だかりができ、地下の階段にも列。後悔先に立たず。一般入場料、な…何と2000円なりを払い、後方にやっと席を(全席指定)。既にロビーはごった返し、白髪頭のラッシュ(古本市そっくり。6・5対3・5って感じ。後者が40代以降)。控え室がここはないらしく、舞台挨拶予定の若松孝二監督も片隅で、マネージャーっぽい女性(既視感あり)から、各新聞での紹介記事の説明を。監督自身は上の空で、客の入りの方がよっぽど心配の様子。売店で『内田栄一の作りかた』(300円)を買ったり、森達の“含蓄ある名文”を味わってるうちに、入場時間に。

 冒頭場面を観てて頭を抱える。リンチに等しい、学芸会以下の役者陣に血ヘドの嵐。特にひどいのが、重信房子(伴杏里)塩見孝也(坂口拓)森恒夫(地曳豪)。単なる怒鳴りっこを演技と勘違い。自己批判、総括の果てに共産主義化を深めれば、吉岡秀隆の境地に将来は、3人共に達するかも。“ミス連合赤軍”と呼ばれた、遠山美枝子(坂井真紀)が地味な孰女なのも落胆(が、演技は前出連中とはレベルが違う事を、後半で証明)。190分もあるらしいのに、たまんねえなと杞憂してると、永田洋子(並木愛枝)の登場で画面が急に締まる(基本的に革命左派の役者は全員上手)。加えて恐ろしいもので、人間てある程度慣れるのな、暗闇で観せられてると大根芝居にも(地曳豪以外は)。

 驚いたのは、いきなり知り合いが登場したこと。遠山美枝子の有名な自己殴打の下り(忠臣蔵で言えば松の廊下にあたる)。変貌した顔面を、キツネ眼の永田洋子が鏡で確認を迫る下りだ。女流ピンク映画監督として知られる、浜野佐知がスッピンで「バーン!!」。そういや彼女も若松プロ出身だしと納得してたら、後でパンフを読むと特殊メイクと。浜野監督に頼めば、糞高い特殊メイク代の節約になったのに。ジム・オルークの音楽はかなりいい。佳作の部類だが、いつもより入場料も高いので、70点には達せず68点。しかし明大夜間部も、重信房子(俺のサークルの先輩)だ遠山美枝子だ、傑物を輩出したもの。なのに5年前に廃止しやがって。都心の大学だからこそ、夜間部が必要なんだろうって、働く貧乏人には…。

 そういや“中年ハゲフェミ馬鹿”山崎邦紀が、例によって本作での永田洋子の描写に、ケチをつけてたような。奴もつくづくワンパ馬鹿。並木愛枝の演技がなけりゃ、この映画は50点以下の駄作。確か“永田個人のうんぬん”が奴の昔からの主張だが、個人に歴史が集約されて露出するのは常識だし、その点を無視しては、あらゆる創作物は成り立たない。森恒夫も、男代表でその浅はかさは公平に描写されている(役者の演技が下手なので、悪役振りに永田のような精神的崇高さが欠けるが。男女差別?)。

 朝日新聞社のパンフでは、橋本克彦の「底知れぬ悲哀とゴッコ遊び」が一番。“私が個人的に知っている六〇年代から七〇年代初頭の政治活動家を思い出すと、党派を問わず、彼等に共通していたのは、何であれ他人を「指導」しようとする態度、傲慢さだった”。日本インテリの多くは今もそれが目標(バーカ!)。対極は塩見孝也で、未だ“日本のレーニン”だ、揶揄的に言われてた甘い時代が忘れられず、エッラソーな妄言を並べ腐っている(けど自分に事件の基本的責任はないと。昔の看板で飯喰ってて、責任は一切取らない。極左界の安倍前総理?)。本作最大の欠陥は、低能厚顔無恥の輩、塩見への突っ込みの甘さ、重信の盲目的な神格化にある。幸い、遠山への過剰な感傷は比較的成功、スレスレで音楽の助けもあり、商品として成立している。

 エロ、グロ、暴力、ついでに大義。連合赤軍事件は見せ物の宝庫。今後も色んな監督や役者が映画化に挑戦するだろう。永田洋子役は、美人じゃない演技派女優売り出しのキャラとして、森恒夫は大根だが画面支配力のある不器用な男優の、つぶしの効く役柄として、加藤3兄弟の末弟は、美少年役者の登竜門として、いつか芸能界で認知される日が来るかもしれない。(08.3.16)

下々の者へ(その849)

 3月12日の午後6時過ぎ、京橋の「フィルムセンター」前で、“永遠の努力賞映画評論家”(早い話が退屈。インタビュアーだけやってろ)、山根貞男と談笑なすってませんでしたか、キネマ原人さん?声をかけようとは思ったのですが、余りに楽しそうな顔されてたし(白髪の少年のような)、「あんな馬鹿にペコペコするこたないっすよ!」とか言って、憎まれてもあれなので、ロビーのチラシ類をもらうと、「映画美学校」に戻り、『幻影師 アイゼンハイム』を観たのです(脚本にのみ感心)。

 斎藤さんに言ってもどうにもならないけど、本当にひどいJR東日本のダイヤ改悪。高崎駅10時29分発の「とき316号」、2階建てから平屋に勝手にしやがって、全然座れなくなっちまった。実質値上げだろう!!指定席売って荒稼ぎしようだなんて、とんでもねえ泥棒公共機関だ。JR西日本のように、腐った駅弁売るくらいならともかく、本業で調子こいてると、また政治家から手を突っ込まれた際、利用客はあんたらを助けない。高崎駅、構内便所じゃ男女の区別を拡声器でうるさく指示したり、馬鹿げた事にゃ銭かけてんだ。新幹線ホーム内の便所掃除も、男用に女が入って来るのはまあ仕方ねえが、一昨日は女用にオヤジが平然と入って仕事してた。本当に上から下まで狂った会社(コメント不用。首になっても困るし…)。

「シネマテークたかさき」で、久々に観た『女は二度生まれる』(監督・川島雄三・’61大映)に感銘を受けて後、新前橋駅の先にある「ブックオフ」前橋石倉店に行ったら、105円棚にちくま&福武文庫の趣味のいいものが10数册(ディケンズやヘンリー・ジェイムス、ロルカ他)。千駄木の一箱古本市に備えなきゃ。「嫌記箱」は5月3日出店。生活かかってるのでヨロピク。

 仕事が暇で本当に困ってる。業界関係者の皆様、哀れんで漫画屋に仕事下さい(マジで…)。

《3月23日付記》自慢にゃなりませんが、あっしは「フィルムセンター」じゃまだ1度も映画観てません。糞職員のゲロで高慢な態度が糞我慢ならなくて…。在日韓国人資産家(パチンコ屋)が営む「新文芸坐」は、そこら凄く気持ちがいいので、つい頻繁に。例の日も、1階の男子トイレには長蛇の列が出来てるのに、腐れ高給職員は一切知らぬ振りで対応せず。それに抗議1つ出来ない、映画が好きなだけの白痴中高年観客も同列のゲロ人種。そりゃ『靖国』をネオナチ自民党国会議員の要請で、ここで“特別圧力上映”したくなるだろうって。腐れ職員にダンマリ白痴客、おまけにネオナチ議員ときちゃ、舞台は余りに出来過ぎ。永遠にここで、古い映画を1人で孤独に楽しんでろよ糞馬鹿共。NHKBS製作の、現代日本に全く無関係な海外ドキュメンタリーを、他人の不幸は蜜の味の精神で味わうように(背中の小汚いリュックに、60〜70年代の熱い青春の記憶を全てしまってヨ)。

『赤旗』(日本共産党)は自党支持作家関係に関して、民主集中制に未来永劫反乱させないためには、持ち上げる作家は死んだ者に限ると悟り、小林多喜二に次ぐ作家として、水上勉を認定した模様。今日の同紙書評欄にはそれを証拠立てるように、両名の本が写真入りで。つまりすっかり落ち目の井上ひさしも、1日も早い死が望まれているのでは?

 プチ特高警察&憲兵記者クラブ記者総代、(呂)でもさえがデカイ面してる『東京新聞』の「こちら特報部」だが、「本音のコラム」執筆の藤本由香里は相変わらずマトモ。“準児童ポルノ”なる概念が法律で規定されたら、一切の言論、表現の自由はなくなると。つまり、単なる想像力からなる、殺しも不倫も妄想も許されなくなったら、全ての小説も漫画も絵画も、更には音楽も官憲のお許しが必要となる訳さ。児童保護の名目で、この世の全てのの創造者の頭脳までもが、裏金ブルジョワ盗人役人に取り締まられる可能性が。わかってんのか、(呂)以下の低能白痴記者には事の本質が?日本ユニセフ協会は、児童保護を名目にした、文字通りの21世紀の超反動的大政翼賛会(安倍前無責任低能総理の精神継承を目的とする、反社会的隠れボンクラ世襲テロ組織)。腐れファシスト兼厚顔無恥無節操悪徳商人華僑、アグネス・チャン以下の連中の、徹底撲滅を今すぐ開始せよ(俺も何様のつもりなんだか…)!! (08.3.20)

下々の者へ(その850)

 「ズンドコジョッキー」アップ。暇で事務所で一部書いてたのと、前号で間に合わなかった、生汁のメール投稿分を、今回トップで採用したため、勢いがついて一気に(本当にこの娘は名文家。オマンコばっかやっとらんで、もっと地道に書きなさい)。これで明日は「シネマテークたかさき」で映画見物が。うまくいけばどっかの「ブックオフ」にも行けるかも。埼玉方面に出てみるかな?けど、高崎線沿線はロクな店舗ないんだよな(国道17号沿いとも)。埼京線沿線は最近行ってないな。けどあそこいらは、“年収200万男”、退屈男の強力な地盤か?(貧乏臭い地盤もあったもんだが…)。

 金曜日の夜は高崎で一杯やりながら、各種雑誌を読むのが昔からの楽しみ。なのに昨今は途中下車するのが面倒で、自宅にすんなり帰宅する場合もしばしば。基本的には退屈男化(貧困化)と体力の衰えが原因だが、夜の高崎のムードに飽きたせいも。だからって、大宮や熊谷、ましてや本庄早稲田の居酒屋でって気にも…(だいたい本庄早稲田や安中榛名駅前に、居酒屋なんてあんのか?)。ましてや富岡市内じゃねえ…。

 昨夜も新幹線、上信線で以下のような雑誌を。『enーtaxi』VOL・21(杉作J太郎の小説、内容より何より、梶山季之並に1行ごとの改行なのでビックリ。既に巨匠?)。『実話時報』4月号(事務所のお隣からもらう。悪名高い徳島刑務所の実態等、興味深い記事満載。コラム類が特に充実)。『キネマ旬報』76年新年特別号(黒澤明監督と、萩原健一の対談が凄く面白い。監督はインテリ嫌いだな。けどその彼への甘さが、『影武者』でショーケンを役者として自滅させた)。『救援』第467号(群馬県警と渋川署の公安共が、竹の子泥棒と公妨を名目に、2月頭、渋川駅前等で2名をパクってたなんて初めて知った。『東京新聞』の群馬版にも全然出てなかったし。日本の公安警察は、てめえ達の裏金豪遊予算確保のための、完全な公共事業的組織。治安確保が聞いて呆れて屁がねばる)。『ぐるり』4月号(昨今の同誌の高田渡は、すっかり丸山真男並の扱い。ライブCDが出るらしいが、それにとどまらず、高田渡“酔いどれ”講演集、高田渡全書簡集、高田渡大辞典等を実現、完璧を期すべきでは?一杯やってると愚妻がパラパラ。小川美潮にインタビューしてる、南陀楼綾繁の不潔そうな写真を見てポツリ。「南陀楼さんてもう60歳くらいになるの?」「40になったばっかだって、一応本人は言ってるよ」「へー…」)。

 退屈男よ、どうも5日、例の銭湯の古本市には行けそうもねえので、嫌記箱の世話頼むよ。今度、下の定食屋「まさみ」で奢るから。うまいよ、あそこのかつ煮(600円)は。早速、来週の…と思ったら、何か4月1日の夜、例の他称60代の目付きの悪い男や、棺桶に腰まで沈めたエンテツ爺さん他と、よりによって蕨で悪い酒やらなあかんらしいし。悪酔いしないように、事前に立ち喰いそばでもかっこんどこう(その際、「利根」にするか「ゆで太郎」にするかで、長時間迷いそう)。

 前々項で書き忘れたが、『彷書月刊』4月号で、堀切直人が川本三郎について、かなり思いきった事を書いている。『大正幻影』では自著『迷子論』を参考にしながら、参考文献に挙げてないのは怪しからんと言う奴。俺、こういう歳にも似合わぬストロングスタイルは大好きだが、この場合はどうか?「全く読んでない」「読んで参考にしだはずだ」で、あらかじめ水掛け論としての結論が用意されている。もっと白黒つけやすい問題で、昨今アンタッチャブル化しつつある川本に、執念深いゴロを巻いて欲しかったと(ちなみに『大正幻影』は読んだが、『迷子論』は未読)。両著を具体的に比べた、堀切の第2弾を期待したいトコだが、まず同誌編集部にゃそこまでの根性はないな。 (08.3.29)