自転車を曳き歩いていると真っ黄色い実が眼にはいり反射的に柚子・・・かな・・・良く観ると両端が尖っていて、真っ黄色の実を絡ませるとレモンで納得。

改めてレモンの木の敷地を見遣ると、ガーデンショップ・・・販売品なのだ。更に、奥のドアには「レストラン」の吊り表示板も。今時のショップ運営形態である多角的分野集合体で、食事をしたり、コーヒーを喫んだり・・・更にはワインなどアルコールまで出来たりするかも。

農家や牧場、八百屋や酒店、本屋や材木店、窯元や・・・それからそれから・・・何処でも同じ様に出て来そうだ。よく思索を巡らすと、以前の近所のお付き合いの形と似ている。お隣の小母さんが旬の食材が手に入ったからと腕を振るって料理を作り上げ、お皿にのせてお裾分け・・・チョッとあがり込んでお茶での談笑・・・お昼近くになれば“ご飯でも”と繋がり、お喋りが続けば・・・もう、夕方だ!夕飯の支度をしなければ・・・の日常だった。このゆったり流れる空間が姿を変えての上述の形なのでは・・・

この時期、裏道を散策していると緑の疎らな畑の向こうに黄色い実をつけた高さ3mほどの木が1本、眼の保養をさせてくれる。

近場の屋敷の門横の板の上にはビニール袋に詰められた3個¥100円の酢橘も並べられ、硬貨1枚を缶に入れて持ち帰ることも出来る。

この酢橘が優れもので良い味付けをしてくれる。表皮を目皿でスリスリスリスリし熱いうどんにまぶせば芳香に美味で、果肉をハンディージューサーで絞れば保存用の濃い酢橘汁を確保出来る。これは季節柄冬の薬味としてだが、夏場には冷やっこにのせる削り節も又、薬味として欠かせない・・・削り器を取り出してシューーシューーシューーと削り出す。箸で挟んだやっこにたっぷりとのせた削り節を口に運ぶと〜〜〜芳香が食欲を増す。

最近手に入れた山葵もおろし金でスリスリし、刺身に使うと鼻にツゥーン舌にピリッ

気候が三寒四温へと変化する頃にも薬味は一種の豊かさを想い起こさせ、この時期のお寺の庭では蝋細工のような蝋梅が芳香を漂わせ〜〜お雛様も目尻を下げて和む・・・もうチョッと暖かみを増すとお寺の庭らしく三椏が呼応する。この木の樹皮は和紙の原料であり、漉く作業を経て三椏紙となるからお寺では紙に困らないのだ。

手馴れた筆で年中使っているのだ・・・さすがは住持。(h25.2.8)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月の平均気温は異常に高く統計開始以来過去最高と報らされるまでもなく、暑〜〜ィ日々だった。10月も中旬になるが、夏の暑さにいまだ何処からか蝉の声が聴こえてきそうな錯覚が体に染み付いていそうな・・・。

もうこの時期になれば日暮れも早く、午後6時過ぎの外出時には暗闇に覆われ上着も欠かせない。雑木林の傍に立ち止まれば虫の合奏が身の雑念を忘れさせるほどの空間に、確実な季節の変化を憶える。虫の声も一律ではなく、気温の高低により音色の音律が違ってくる。比較的高温の時には音色も高く、肌寒く感じる時は音色が低い。

人が肌で感じる空気を虫達も同様に虫肌で感じている姿に生命観を共感する。

これで高温だった夏からの遠のきを実感として捉え、季節の先へと想いやる。

畑の苗(7/11@A)も暑さへと向かい(7/24B)、8月に入ると(8/C)逞しく成長し更に真夏を視野に顔を擡げてくる(8/D)。子供が夏休みの真っ只中に向日葵は向かえ(8/21EF)、向日葵畑は親子の歓声が飛び交う、ワァ〜ワァ〜〜ワァ〜〜〜G

夏休みが終わる頃、向日葵の花は豊かに実を結び(9/HI)、新学期も始まったばかりの12日午前10時頃、向日葵の種刈取り隊らしき近くの小学生が長靴に帽子の姿で収穫の喜びを顔に、体に満たしながら列をなしていた。

一週間後には元の畑に戻り(9/18JK)、夏の終わりを告げていた。

流れる汗から開放され過ごし易さに体が動いてくると店内の埃がいやに目立ち、掃除の感覚も取り戻しつつある体で棚に置かれた箱の埃を拭き払っていると、予期せぬ品を眼にした。

記憶の底に残っていた舞扇だった。絵柄を眺めると桔梗などの秋草が鮮やかに描かれていた。野山は実る(h24.10.20)

 

 

駅前商店街の街路灯に紐で括り付けられた高さ5m程の七夕飾りには黄色や赤、青など色いろな短冊や吹流しが結び付けられ僅かな風にも揺れ、短冊の文字が見え隠れしている。

手を伸ばして届く黄色の短冊を指で挟んで文字を観たら、「家族5人が健康に過ごせますように 出世しますように」とチョッと欲張った願い事に思わず頬が緩んだ。

新聞紙面を観ても、チラシを観てもそうだし、街を歩く姿や散歩の姿にさえ日本の置かれた現在の想いを肌で感じる・・・何十枚も取付けられた短冊にはそれぞれの願い事が文字にされているに違いないだろうが、たまたま掴んだ1枚が先のとおりなのだ。

一週間後には七夕飾りは外されていたが、列島の暑さに竹の持ち味の破竹の笹も萎れては街の雰囲気も効果半減にも満たないだろう。

七夕飾り1ツとってみても江戸末期の版画(広重・七夕)と比較してみると興味深い。

街中の屋根より遥かに高く、競い合って繁栄を祈る様子が画面いっぱいに溢れている・・・大福帳を取付けたり、瓢箪が揺れたり・・・朱色の大杯に託した祈りは“一年中飲めるように”だったり、かも。

午後7時頃、陽も下りて涼みに出掛けた湧水地辺りには昆虫網と虫篭を手にした子供が虫を探している様子が・・・カブトムシかクワガタかな。

連れの親は懐中電灯を手に、涼みがてらのお付き合いなのだろう。

私も蛍の黄色い点滅を想像して虫箱を入手したが、そうそう蛍にはお眼にかかれないでいる。真夏の走馬灯も妖しいのだが・・・取出しにはチョッと時間が・・・。

夏場には、志賀高原道路国道の最高地点より数キロ下った場所で、携帯用の茣蓙一畳を拡げ暑さと走行疲れから寝転がった45分を数年後の今でも、下界から呼び起こす(h24.7.20)

 奥多摩 御岳渓谷

 裏磐梯高原

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ青な空の下に甍の波・・・五月。

日々 粧を 変えながら 心躍らせた 桜も すっかり濃い緑に満ち満ちて、清々しい葉香を放っている。

東日本大震災後、自転車による移動が多くなった路上ではあるが、小鳥の声に誘われ日本橋へと向かう。自転車での日本橋方面は2年ぶりになろうか。

都心での仕事を兼ねての移動なのだが、出掛ける前は車での移動と天秤にかけながら決める。日本橋馬喰町や蔵前辺りでの用事には駐車場所や駐車時間が気になり何時も中途半端な用事に終わり、不完全燃焼のおもいが残る。

蔵前から自転車で10分もすれば浅草であり、開業間近の東京スカイツリーにもお眼にかかれ、隅田川の流れに逢えるのも愉しみなのだ。

スカイツリーの誕生で隅田川沿いに係留する屋形船も隅田川の流れに乗り新たな活躍の場が派生するに違いない・・・船主もワクワクしてプランを練っていることだろう。

自転車に跨れば時間を気にせず思い通りに動き回れる。

吾妻橋から桜橋、言問橋、帰路の言問通りを走れば浅草寺裏通りで、次は下谷更に、谷中から本郷で、こっちに寄りあっちに寄りと帰宅はいつものように午後8時過ぎになる。

ここまで時間を使えば何時も充実感に満たされる・・・5月の晴天に感謝!(h24.5.12)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

球春や日本海側を中心とした大雪情報が伝えられるが、都内の気温はここのところ0〜9度と体の動きが鈍い日々を過ごしている。

寒さばかりが動きを不活発にしているのではなく、昨年の東日本大震災以来続く被災地の現況や原発被害による放射性物質・セシウムなどの眼にみえない不安が蔓延しているのでは思考面への影響もおおきすぎる。

初春の花・・・とギアを変えようにも、どうも春夏秋冬へとは連鎖し難い。

それでは、食の方へ向かってみようか・・・食といってもグルメばかりが彩食???じゃ〜〜ない。

朝は暮れに頂いた相模芋を銅の目皿でおろし、炊きあがったばかりの湯気の香りも香ばしい真っ白いご飯にたっぷり流し込む。お米もまた知人からの頂き物だ。とろろでご飯を口に放り込むと・・・ねばねばとした濃い芋の味が心地よい。漬物は大根や胡瓜や人参など自家畑収穫、それに蕨などが混じった家庭の珍味、これも頂き物で山形・米沢の家庭の一品だ・・・この蕨を噛締めた感触が絶妙で山菜のぬめりに、春先の近場の西吾妻山麓辺りで摘んだであろう姿が眼に浮かぶ。これで、おおいに満腹になり幸せを感じて仕事へと向かう足取りも軽やかになる。

/23降雪の積雪も路上の氷がやっと消えたばかりでは、藪椿にもこころ浮き浮きとはならず、広重の版画・梅屋輔の方に眼を惹かれる。

深夜のワインにはここのところブルーチーズがお伴してくれるのだが、これも1ツ目は頂き物で小さな欠片を小鹿田焼の小皿にのせると同色系の鉋目が柔らかく包んでくれる。

・・・・それでも、今は日本流でを鎮めてみようとおもうのだが、こんな程度にしか想いつかない・・・チョッとは通じるかな・・・海辺の神社に掲げられた額には、普段は何とはなしに眼にしながら通り過ぎていても、文字を理解出来るのは災害が起こってからだ。

狛犬の鎮座する場所にご興味をお持ちの方もおられるのでは・・・(h24.2.14)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関を出て、金魚の餌をひとつまみパラパラと・・・径80cm程の蹲にはメダカが数匹棲んでいる。メダカでも黒メダカなのだが、金魚の餌を与えるせいか親メダカの体は“黒”が抜けている。パラパラ餌に敏感なのは体長13mm程の子メダカなのだ・・・餌粒が1,2mmではでか過ぎると見え、サッカーボールを蹴るように口から突進してゆく姿が可愛いらしい。孵化後2、3ヶ月経とうか・・・そう、或る日突然、水草の塊から無数に動き出した“7mmの糸状のもの”が孵化直後の子メダカだった。今朝観かけた子メダカの体は黒で、やはり黒メダカの系統なのだ。11月も中旬になると水温にも敏感なせいか水底でジッとしている姿に、季節の移ろいを同感する。

天候や季節の空気が肌に感染してくると想いだしたように自転車で向かう先のひとつが、清瀬・柳瀬川だ。バーベキューに憩う家族やグループらしき30ヶ所をはるかに超える河川敷からのざわめき、それを包み込むように紫煙が立ちのぼる。その傍らの柳瀬川から水浴姿の子供達の歓声が入り混じる・・・その様子に親の頬が緩んでいた。

もうその辺りは彼岸花も姿を消し、夕闇迫る頃はリーンリーンリリーン ジィージィージィィィと虫の声に覆われている。

清瀬金山緑地公園の貯水池に棲む白鷺の動作を追うバードウオッチャーが、木道に三脚を立ててシャッターチャンスを待ちながら同好者同士が語らっている様子が柳瀬川周辺を散策する度にみられる。木道を歩きながら同好者の気を散らさないようにスマートで真っ白い鳥が翼を広げたり、ヒョイと木の上に移動する姿を横目にしながら歩く。

無人野菜販売小屋を覘けば旬のシシトウやサトイモ・・・他は売切れで、ポケットの100円玉をコトン。コスモス畑にもが浮かぶ。

今秋は各地の紅葉名勝地が「紅葉シーズンなのに異常」と報道されているが、近郊でも帰路の足が早い・・・清瀬名物のやきとりを6本(タン、レバ)包んでもらう。

もうそろそろ歳末の飾り付けシーズンだが、節電で銀座原宿赤坂などの電飾はどんなふうになるのやら・・・。

も収穫、みかんも収穫、真っ赤な菊も満開で・・・店内の花器にも298円の緑でささやかな潤いを・・・350円だった金魚も仲睦ましく優雅な動きに・・・(h23.11.10

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PCを開けば眼に飛び込む文字は電気予報とそのパーセンテージ。

現在の使用電力の需給状況を示す数字で、街を走り回れば店舗のウインドウには「節電中」の張り紙が今夏の日常を語りかける。

夏休みの季節とはいえども東日本大震災後初めての国民的長期休暇に、時間は閑かに過ぎて行きそうである。前半は30℃手前の気温が続く過し良さだったが今は、35℃前後の猛暑にうんざりしている。

それでも、道路沿いの街路樹下では溢れんばかりのエノコログサが狐色に染まりつつ揺れ動く、走る車の風圧に穂は大きく前後し、自転車が通れば小さな楕円をえがき、僅かな風にも穂を揺らし四六時中動きを止めることはない。田舎道を歩けば、畑との境で芙蓉やタチアオイが炎天下に背伸びする姿に季節への変わらぬ想いを抱く。

避暑地・戸隠高原ではキャンプ場から「ささやきの小径」を小鳥の声に浸って無心に歩く。涼気の空間に身をさらし、時折驚かす熊笹のガサガサや豪雪時にでも倒れたであろう大木に原生林の精気に畏れさえ抱きつつ50分ほどで随神門手前に到る。門は奥社への参道に佇み参拝者の殆どがくぐり抜けていくのだが、杉並木に面するそのベンガラ色に夏の戸隠を感ずる。

鎌倉・光触寺の池の上にはノウゼンカズラが姿良く下がり浜風に揺れる橙色の花が池面に映るのも、この頃だ。地方の夏は旧盆を過ぎる頃には初秋を想わせる空気を肌で感じ、夕暮れの沿道の薄の穂の揺れは夏の別れへ手を振っている様にさえ観える・・・バイバイ・・(h23.8.14)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今日の予想気温(最高12℃最低4度)に射す冬陽がジャンバー越しに、温かさを伝える。

枯れた紫陽花の灰褐色の茎には4寸間隔に槍矛形の小豆色をした5分ほどの長さの芽を並べ、枝先を伸ばした桃色の梅に“あったかいね”と、呼応するかのようだ。

節分前のまだまだ寒いこの時季には、冬木の梅の、空間をおいた枝振りが似合っている。

喜多川 歌麿(1753〜1806)の「版画・紅梅に鷹」の構図などにも梅花を愛でる形として鷹が添えられ、約220年前の江戸時代後期頃には自然に鷹が溶け込んでいたであろう風景を想い起こさせる。

当時は、現代以上に季節に対する研がかれ様が観てとれる・・・現代の絵なら「紅梅に鶯」の姿だろう。

草花が華やぐ前の多摩川堤防沿いの河川敷地では寒風などお構い無しにボールに興ずる若い親子が駆け回り、広々としたサッカー場が若い家族の団欒の場となっている。

空も暗闇かけて帰路につく親子とともに歓声が消えかける頃、河川敷横を流れる多摩川にも夕日が隠れつつある奥多摩の稜線がくっきり映る。

その頃、多摩川上流では橙色の明かりが漏れる駅舎の上を列車が更に奥へと登る。

奥多摩の御嶽駅下の川合玉堂美術館前を流れる多摩川沿いの梅の木は、もう満開かも知れない・・・新年早々でさえ陽当たりの良い場所の梅は開花しているのだから。

多摩川の中流域に位置するあきる野で21日、1つの生命が誕生す、“はな”と名ずく・・・鎌倉の二階堂の民家の庭の侘助が綻ぶ・・・(h22.1.30)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

鎌倉・円覚寺源平池の桜も過ぎ、雪解け水の轟きを感じつつ若葉の輝きに魅せられる時節が流れている。

毎年眼にする杉並・善福寺池の枝垂れ柳が春風にゆぅ〜らゆぅ〜ら揺れる姿を想起させるこの時期に、我が家にも柳に纏わりつく燕が飛び込んで来た。しかも、三羽も!

何か・・・縁起が・・・良さそうな・・・

緑の柳下を歩いたり、柳の文字に接する度に祝詞が想い浮かぶ。

 

“やなぎのしたのおんことは” “さればそのことまことに○○○○○候”

     ○に文字を当て嵌めてみて下さい。

 

同時に、北斎(1760〜1849)の「富嶽三十六景」もやって来た。

富嶽三十六景の代表的な木版画(神奈川沖浪裏)は、現在の日本を的確に捉えている構図にも解釈出来そうだ。大波に翻弄される小舟(日本丸)に民衆が乗り込んでいるその向こうに、峻厳と位置する不動(些末に左右されない)の不二の姿が。

思わず北斎の生きた時代を紐解いてみると・・・20代で「天明大飢饉」に遭遇し、40代には相次ぐ異国船の来航を、50代には国家の倹約令を体感している。

北斎の経歴には「富嶽三十六景」の制作期間が1823年から1833年とある。北斎が63歳から73歳の10年間なのだ。尤も、この傑作もライバル・安藤広重(1797〜1858・東海道五十三駅画集/神奈川)あっての結果とも言えるのだろう。

新入学の季節、新入社の季節、良きライバルを得て活力を!

 

反れとも、自然を相手に、に身を任せ里山では摘んだばかりのコシアブラの天麩羅を岩塩で舌鼓を打ち、海では大海原を相手にノンビリの方が価値アリ・・か。(h21.4.26)

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋に暖かさをもたらすシクラメン、屋外では眼を愉します寒空の下のイルミネーションに親しみつつ新しい年が流れている。

新年の新しい月とはいうものの米国発の金融ショックが地球上を覆っている。

元旦の午後、いつものとおり棚から音楽ソフトを数点取り出す。まず、ドボルザークのシンフォニーno.9、それにベートーヴェンのシンフォニーno.5&ピアノコンチェルトno.5&ヴァイオリンコンチェルトを。これで約2時間半・・・更に、メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトとショパンのノクターンそれに、マーラーのシンフォニーno.1の3ツで計5時間弱・・・年頭の聴き初めは、こんなもんだろう。毎年の年初は当然のように音で過ごせると体で憶えていても・・・おもい通りに行かないこともあるもので、過ごせる普段を、噛締めたい。

クラシックの心地良さに浸ってから20年弱、普段は上記のソフトなど取出さない。もっと軽快で明るいソフトを・・・数多のクラシックに親しみはじめたのは練馬図書館だ、場所柄耳慣れない貴重な音楽ソフトの寄贈もあるようだ。本人に合うソフトとは、数多く聴き1ツずつ増やしていくしかない。

国内外、雇用不安の状況ではあるが、この時季眼を地に向ければ福寿草の可憐な黄色に和らぎ、水仙の濃い緑の線に凛とする。

自転車で路地を走れば・・・沈丁花の小粒なワイン色がもうチョッと先の芳香を連想させる。

そうそう、ジャズに体を酔わす様になったのはクラシックより数年後で、杉並中央図書館にソフトが揃っている。杉並区では毎年“阿佐ヶ谷ジャズフェステバル”が催されているが、ジャズ祭を生んだ土壌の1ツにはこんな施設からも伺える。(h21・1・28

 

あさひにや むすぶこおりの きはとけて 六つのわをきく あかつきのそら

 
 

 

はつあき風に背を押され、自転車は青梅街道を恵比寿へ向かう。

往復で50キロ越えの距離を雑多な都心に向かわせるのは、土鍋の姿がちらつく暦の所為・・・か。

青梅街道沿いにある荻窪駅から歩いて数分の所に建つ杉並公会堂も、夏場には見向きもせずに通り過ぎていたのだが、8月から遠ざかるとともにコンサートホールとして存在感が増してくる・・・別にシューベルトに耳を澄ますつもりでもないが、自治体として持つ壮大な建物と世界の名器・ピアノを3台も持つ豪華さには惹きつけられる。流石は杉並区なのだ。

ピアノ、チェロの響きに暑かった夏の体(盛夏にお世話になった冷たい飲み物の原料ホップに感謝しつつ)を委ねるのも良いが、都会の造形美(恵比寿ガーデンプレイスA)から放れて人の疎らな閑かな秋に触れてみるのも・・・格別なのだ。

根の張った生命力に自然の躍動を感じ、水車の傍に咲く秋桜に過ぎし日の想いを交錯しながら暫し時間を忘れる・・・

・・・感傷に耽るのも良いが、ア・キの響きに美味しい物に夢中な輩も可愛らしい。

阿佐ヶ谷駅周辺を歩いていると白いポリ袋を提げた姿が少なからずみられるが、これは殆ど間違いなく中身が分る。好物は地域それぞれにより育てられ存在しているのだが、浅草寺裏の大学芋は旨く、庶民的な味と風情を包み込んでいる。

鎌倉の菓子屋を覘くと、陳列棚のガラス越しにも秋の気配が。 (h20919

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月。五月晴れの言葉の響きに気負いて青空の下、躑躅が咲き誇る。群馬・草津の白根神社境内では石楠花も我が世を謳歌する。冬場の厳しい寒さがピンク色の可憐さを倍化させているが如く。鎌倉へ出掛けても、朝比奈街道を走りながら一寸寄り道を思いつき、引き返して朝比奈切通しに身を漂わせる。鎌倉市中心部からは外れに位置するが、流石というか立派な石碑がある。この辺りから雫を集めながら流れをつくるのが太刀洗川で、数キロ先の材木座海岸へ注ぐ。紅葉谷の橋の下に、岩を削って造られた階段を降りてみると、岩盤上をサラサラと流れる輝きが体に心地良い。寸時の春の戯れ・・・か。

この季節には、高原や観光地でなくとも自転車で気軽に走り回れる。早稲田通りを都心に向かうペダルも軽やかで、ここでも神社に足を踏み入れる。これまでに大勢の学生達に見つめられ撫ぜられたであろう布袋さんを観ると、中野人形・布袋が脳裏に浮かぶ。ご利益は・・・親しみ易さは・・・庶民性は・・・どんな想いで布袋さんを形に表したのだろうか。こんなふうに感じながら又、走り出し、神楽坂を通って日本橋へ。環境や景観などに関心が向きだした最近は、五街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道)の起点である日本橋頭上の構築物を取り外し、橋下は都心の川に親しめるべくとの話題が日本国民に豊かな想像を掻き立てている。白昼、日本橋上から天を見上げればこんな感じだろうか・・・、欄干照らす時代を帯びた丸い灯りの傍らで、夜ならこんなふう・・・だろうか。(h20520

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青梅街道沿いの街路樹・銀杏の眩い黄金色も12月に入ってからと季節感のずれを感じるが、もうこれか先も銀杏の色付きが11月に戻るなどないだろう。とは言え暦の最後の月で陽が傾くのも早く、街中でも灯りのともる場所に惹きつけられる。

東京駅舎の丸時計が午後5時近くになると、帰路の足となるタクシーが集まりだす。5時を回るとこの時間帯は閑散としている駅前歩道上も人、人の波となる。駅構内切符売場では上越新幹線にでも乗るのだろうか、何時もの姿が観られる。

今年最後の長野方面出張時、何時ものコースから外れ榛名湖方面へハンドルを回した。何のことはない、この時期の見晴らしの良い真直ぐな道路を観たくなったのだ。それはそれで、40分足らずで着く距離ではあるが登り坂沿道の真っ赤な楓に眼を奪われ、榛名街道を登りきった処で眺める榛名山。湖畔道路へ降りれば角度を変えた榛名山が愉しめる。湖畔には竹久夢二(1884〜1934)のアトリエが復元されている。当時、この建物で美術研究所設立の構想も練っていたのであろうか・・・建物内部から湖を前にして屹立する榛名山、外に出れば物思いに耽ったであろう湖畔の木立。アトリエ内には榛名山を背にした夢二の写真が懸かり、1階には窓越しに「美術研究所」の文字が僅かにみられる資料が観られる。

湖畔近くには湖畔の宿公園もあり、流行歌・湖畔の宿の歌碑も建てられ、懐かしい歌が♪浮かんで♪くる♪〜〜♪

榛名湖畔を後にして山道を降りきった辺りには、道祖神が佇んでいる。この近辺にはあっちこっちに道祖神が観られるのだが、肩に手を回したこの道祖神は微笑ましい。(h191218

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月も中旬にはいり、梅雨前線も近づきつつあると雨の季節の到来が伝えられる。この時節を待ち構えたかのように活き活きとするのが紫陽花で、紫陽花と言えば鎌倉・明月院の花便りが各方面を賑わす。ここでも彩を染ます程度に画像を嵌め込んでみます。

鎌倉駅方面から北鎌倉に向かい先ず、鎌倉街道沿い左側の浄智寺に誘われつつ歩みを緩めながら時間を過ごす・・・池に面する紫陽花、一寸歩けば周囲に溶け込む竹垣、隣の東慶寺へと時間を気にしつつも萼紫陽花・・・中々先に進まない。明月院の紫陽花目的で行くなら北鎌倉駅が近い。明月院前に着くも更に中へ案内板を左手に歩き境内の配置を確かめながら奥へ奥へと進む。ここ25年間毎月のように鎌倉に足を踏み入れていても、明月院に拝観料を払って入るのは初めてなのだ。紫陽花寺らしく説明書きも貼られていた。花の観処は帰路にあった。山門を枠にした眺め、緩やかな階段を下りていくと、紫陽花の乱舞だ。

ここで鎌倉を離れ、次の目的地である約40キロ先の小田原へ車を走らす、海を左手に眺めながらの湘南道路だ。

小田原に入ると先に行くのが御幸ヶ浜で、の感触を足裏で確かめる。ただそれだけで、次は伽藍跡で今は蜜柑畑となっている高台へ・・・ここからの湘南の海の眺めがよい・・・広重版画の帆船が浮かんでいることの想像を抱きながら。

梅雨の時期に鎌倉、小田原で身を漂わせるのもよし。

山間の田圃道を走りながら、蛙のゲーコゲーコに感じつつ田圃畦に咲くハナショーブで愉しむのもよし。ハナショーブに眼を向ければ種類も多く、雨の季節も、これまたタ・ノ・シ(h19613)

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月。初旬の3連休なのだが、しっかり店番をしている。

11月と言うのに街中には半袖姿がチラホラ観られる。場違いな感じはしないし、外気に合わせると寧ろ活動的な姿に映る。東北地方から関東地方にかけての山間部は今が紅葉の見ごろと報道されている。東京も鎌倉も、紅葉はまだまだ先が見えない。この連休に紅葉狩りをしているハイカーを思い浮べながら、昨年の鎌倉・円覚寺散策の様子を載せてみます。私の行動の基点は何時も瑞泉寺。車に積んだ自転車を降ろし、鞄から携帯リュックを取出し広げて背負い、カメラを掌にペダルを踏む。先ず始めに妙本寺へ、次は自転車で20分程先の円覚寺だ。八幡宮を横目にしながら・・・ (h1811・4)

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テキスト ボックス: 2月も中旬を過ぎ、厳しい寒さの中にも季節外れの気温の上昇でこの時期の寒暖の差を見せつけられる。
今冬は数10年ぶりの大雪で、日本海側を中心に雪の被害が相次いだ。節分の日の“鬼は外ぉぉぉーー”の声は聴かず仕舞いだったが、落合川などの川辺を散歩しながら流れの上に覆い被さる木の枝先に眼をやると、銀色の新芽が顔を出し初めていた。寒さももうチョッと。
東京・小金井公園の梅林傍の赤いマンサクは未だ姿を現してはいないだろうか。温かさに誘われて、梅花に吸いつけられる人も増えていくだろう。公園内の奥に在る江戸東京たてもの園内の旧高橋是清邸内部から眺める漉き硝子越しの梅はどんなだろうか、満開の桜の観心地はどんなだろうか、あの硝子窓を通して歪んだ外を見渡せると想いうかべるだけでも愉しくなる。満開の桜日和に笑顔で集って来る爛漫の春ももう直ぐだ。
この時期、鎌倉の由比ガ浜・材木座海岸に足を延ばすと、浜風は肌に冷たいが犬との散歩がてら、夕陽が海に沈む絶景を時々刻々(夕陽が黄金に煌煌と、今にも消えかけて、沈んで)と眺めている姿に触れるのも趣のあるものだ。
海の表情が暖かさを増し、1人海に向かって海面と戯れる姿を観られるのも直ぐそこだ。(h18・2・19)
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テキスト ボックス: 10月下旬、日は短くなり午後5時過ぎの帳が落ちる頃から、肌寒さ覚えつつ時間は経過する。
各地からの秋の便りに冬の彩りを交えながら、秋景色は深まっていく。秋の七草、萩、竜胆(りんどう)ちょっと違うか、薄、それから・・そうそう、撫子、それから・・オミナエシ・・・
この時季、山からの便りは“ナナカマド”が紅く色付いたと、判で押したように報らされテレビの画面に一瞬流れるが、実際多くの人達はナナカマドなる木と実を知らないのではなかろうか。ここに画像を置きますのでゆっくりご覧下さい。
寒さが増せば、藁葺民家の内では囲炉裏の炭が障子越しに赤あかと燃えている様子が見られます。
囲炉裏の炭の火を眺めていると、時間の経過も忘れて、飽きることなく・・・飽きることなく・・・・。
囲炉裏の上を見上げると、頑丈な梁が黒光りしている。
こんな情景は日常からかけ離れた感じでしょうが、私の体には20年程前に毎月こんな場所で夜を過ごした思い出が蘇って来ます。この様な時間がこれから先も続くだろうと想いつつ・・・・数年間中断していましたら、囲炉裏の住人が居なくなりました。
予期しないことが起きるものです。
この秋も愉しまなければ・・・ですね。   
芋煮会は河原での愉しみです。(h17・10・26)       
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テキスト ボックス: 8月11日、夏休みも本番と見え、都会の暑苦しさを逃れて涼に浸りたく高原に移動しているのだろうか、街の人通りは疎らだ。今頃、高原などは夏場の賑わいを見せているのだろうか。
4月以来の「季節の彩」になるが、もう、春の次の季節に移り変わっている。
ここで、当店のHP内での小さな涼を演出してみます。
画像を次々に飛ばさないで、少なくとも5秒は眺めてみて下さい。
 2005年7月11日 裏磐梯高原・アザミ
            裏磐梯高原・高原マップ
      7月18日 志賀高原・渋峠遠望
      8月 7日 縁日の身近な涼
      8月 8日 家庭の身近な涼

 2004年7月12日 裏磐梯高原・五色沼散策路
      8月13日 裏磐梯高原・毘沙門沼の鯉
 
 

 

テキスト ボックス: 4月25日、今年初めての長野方面への出掛けでした。         
高崎を過ぎ、倉渕村辺りを通過する午前11時頃、鯉には        丁度良い風に吹かれて力強く泳ぐ緋鯉、真鯉の姿に直ぐ車        を降り、デジカメを傾けた。                      	         
鯉幟は風の強弱によって姿に格段の差が生じるから、風の         強弱を待つほど時間に余裕のない私には、絶好の瞬間だった。昨年のこの時季は、風と位置に恵まれず格好の画像は得られなかった。馴染の地元農産物の販売所には採りたての蓬をふんだんに使ったであろう濃い緑色の餡入り草餅が2つ¥150円で売られていた。後の愉しみに春の味として1袋買った。志賀高原道路開通直後の4月下旬、何時もは寄らない蓮池にハンドルを回した。あの蓮池が、雪に埋もれていた。                                       
連休前はこうなんだ・・・・と。
中野市内の奈良久雄さん宅に寄る前に車を停めた。
窓越しに敷地を見ると、数え切れない程の土筆の群生が遇った。これまでに土筆の群生に出会ったことは無く、ひょっとして信州地方は土筆に相性がよいのでは・・・・と。(h17・4・28)