おやつ
ラジオから流れるクラッシックの音楽が、部屋の空気を緩やかに震わせる。
ニホン――デンサンシティのあるマンションの一室で、男が一人、デスクに向かい、ペンを走らせていた。
何枚も積み上げられた書類から一枚とりながら、熱心にペンを動かす。
ネット社会が発達したとはいえ、公的文書にはネット上の文章と同時に、紙のものも使用される。
そして紙の公文書の場合、本文は印刷でも構わないが、署名は変わらず、人間の直筆でなくてはならない。
椅子の背もたれには、男のトレードマークともいえる、ファー付きの迷彩コートがかけられている。
首から下げられたドッグタグが、部屋の照明を反射する。
不意に。
一心不乱に動いていたペン先が、止まった。
同時に。
「終わった――――!!」
男は両手を振り上げ、大きく椅子の上でバンザイをした。
満面の笑みが、こぼれんばかりだ。
男はサインの終わった書類の山の陰に隠れかけていた、自分のPETに語りかけた。
「終わったぞ、カーネル!根回しやらなんやらシチ面倒な提出書類のサイン書きが!!」
そして、やり遂げた男の顔で言った。
「おやつ、喰っていいよな!!」
ウキウキと、スキップになりかけの足取りで、男――バレルは、冷蔵庫へ向かう。
そして、一人暮らしの人間には大きすぎる冷蔵庫は5ドアの365L収納の代物だ。
バレルは何より、冷凍庫の大きさが気に入って購入した代物だ。
冷凍庫のドアを開ける音に、深々と、カーネルは溜息を吐く。
次に自分の目の前に立つバレルの姿が、簡単に予想できる。
バレルと付き合って早二桁の月日が経っているのだ。
自分のオペレーターの行動パターンなど、登録済みだ。
しかし、それと、慣れるのとは、別次元の話だ。
「何だ、暗いな、カーネル」
上機嫌のバレルに目を向けるも、その自分のまなざしが暗いことも、自覚している。
けれど。
けれど、だ。
満面の笑みを浮かべるバレルの胸には、2リットルのファミリーパックのアイスクリームがしっかり、抱えられている。
予測どおりのそれを見て、何も思わない訳では、ない。
そして右手にはスープ用の大きなスプーン。
ざっくり、アイスクリームをスプーンで山盛りにえぐる。
それをあーん、と大きく口をあけて、一口。
「いやー、一仕事終わった後のおやつはサイコーだな!」
どう贔屓目に見ても、今のバレルの言動は、軍の司令官のものとも、秘密チームのリーダーのものとも思えなかった。
無言のカーネルを尻目に、バレルはザクザクとアイスをえぐり、食らう。
その姿に、カーネルはもう一度、小さく、ため息をついた。
……光熱斗と同じ言動か…。
今回のネビュラ事件の解決のために、一時期仮のオペレーターとなった少年を思い出す。
彼も、おやつが食べたいがために、宿題を頑張っていた。
そしておやつを食べるときの幸せそうな顔じゅうに広がった笑顔。
小学生と同じ行動パターンの、三十代元軍人――涙は流れないはずだが、カーネルの目頭が熱くなってくる。
バレルに心酔しているらしい少年に、この今の緩み切った姿を見せてはいけない気がする。
満面の笑みで、幸せそうにアイスをがっつく姿など。
そしてバレルがアイスのケースを手放したのは、しっかり全部食べきった後のことだった。
『二日…もたなかったな…』
すっからかんになったアイスの容器を見ながら、カーネルは計算する。
冷蔵庫の中の、残りの手つかずのアイスクリーム2リットル×3と、シュークリームと、ゼリーとようかんとどら焼きとその他もろもろのお菓子が食いつくされるまで、あと何日かかるかを。
チームの誰も知るまい。
一人暮らしの男性所有にしては大きすぎる冷蔵庫――その中身の85パーセントまでが甘い物で埋め尽くされていることを。
戻る