if〜こんな、出会い
インターネットシティを走る、小さな影。
亜麻色の髪とスカートを翻し、少女は走る。
久方ぶりの、ビヨンダートのインターネットシティ。
再びの、予期せぬ来訪に、アイリスはキュッと眉をひそめた。
トリルとバレルとは、はぐれてしまった。
いや……二人のために、アイリスは囮になったのだ。
敵に、この、自分が持つデータを渡す訳にはいかない。
ビヨンダートに付いた直後、熱斗とロックマンに通信が繋がったのは幸運というし
かなかった。二人にバレルとトリルのことを告げた直後に、敵の攻撃によって通信
は断ち切られた。
それからずっと、逃げ続けている。
『今何処にいるんだアイリス!?』
自分の通信に、驚きながらも何よりも、自分の身を案じてくれた熱斗。以前と変わ
らないその姿に、ホッとした。
けれど、最後に言いかけた言葉は、何だったのだろう。
『大…夫だ! こっちにはカ…がいるから!だか……』
相手にとっては、勝手のわからぬビヨンダートのインターネットシティ。アイリス
も、トリルを探しに訪れていたのでなければとうの昔に捕らえられていたことだろう。
けれど、多勢に無勢。
追っ手の数は、多すぎた。
とうとう、三方を囲まれる。逃げ場のない、状況。30あまりのウイルスとナビが、彼
女をとり囲む。
指揮官の手が上がるのを合図に、一斉に銃口が、攻撃を吐き出す口が、アイリスに向
けられる。
アイリスは、肩をすくめ、とっさに目を閉じた。
けれど、いつまでたっても、受けるべき衝撃も、痛みも感じない。恐る恐る開いたエ
メラルドグリーンの瞳に入ってきたのは、視界を覆う浅黄色だった。
「年端も行かぬ少女を追いまわすだけでは飽き足らず、多勢に無勢――恥を知れ」
朗々とした低い声が、電脳世界の空気を揺らす。
その声の主を、少女はよく、知っていた。
黒を基調としたプロテクターと、ヘッドギア、鮮やかな朱色のフェイスギア、丸く大
きくせり出した肩当、そして、自分をかばった浅黄色のマント――アイリスの『兄』、
電脳の海に還ったはずの、カーネルだった。
驚きで、アイリスの瞳は丸く大きく見開かれる。
その視線をどうとったのか。
カーネルはアイリスに穏やかに笑いかけた。
「しばらく待っていろ」
浅黄色のマントを翻し、漆黒の体が地を駆ける。
思わず、アイリスの体から力が抜けた。そのまま、地面に腰を付いてしまう。座り込
んだまま、その戦いを見つめた。
「スクリーンディバイド!」
烈帛の気合と共に、右斜め上方向のウイルスがまとめて数体、デリートされる。返す
刀で、斜め後ろ方向に刃が走る。連続攻撃に浮き足立つウイルス達の隙を逃さず、も
う一撃――三連続のスクリーンディバイドで、ウイルスの半数が消えた。
一気に間合いを詰め、指令ナビの首筋にサーベルを向けるも、そこではなく右手のデー
タを破壊する。
「続けるか、ひくか。決めるのはお前だ」
淡々とした物言いは、事実だけを告げる。
自軍の不利を悟り、指令ナビは後方へ飛び、カーネルから距離を置く。そして、撤退を
指示した。
敵方の、完全撤退を確認し、男は、少女の前に戻ってきた。息一つ乱していない。
座り込んだままの少女に、自分も片膝を付き、視線を合わせた。
「…つかぬ事を聞くが、お前がアイリスか?」
「……ええ…」
アイリスの答えに、カーネルは再び顔を綻ばせた。
アイリスが初めて目にする、カーネルの笑顔だった。
「私はカーネル」
カーネルは、アイリスにとって聞くまでもないことを口にした。
「光熱斗とロックマンの……友人、だ」
「…光君…?」
不思議な間を空けて、自分の説明をすると、カーネルは簡単に事情を話した。
「光熱斗から、ビヨンダートの友達に危機が迫っているから探してくれ、と頼まれて、
お前を探していた」
その言葉に、おぼろげながらアイリスは納得する。
話には聞いていた、別次元の、同一存在。
今目の前にいるカーネルは、「こちら側」のカーネルなのだ。アイリスのいた世界の、彼
女の兄であるカーネルではない。
「…でも……」
他にもいるだろう追っ手のことを思い、アイリスは口ごもる。
熱斗達の元に辿り着くまでに、到底無事に済むとは思えない。もちろん、今の戦闘で、
『こちら側』のカーネルの強さは目の当たりにしている。
だからといって、当然のように彼を巻き込めない。
「大丈夫だ」
大きく黒い手が、亜麻色の髪を撫でた。思いがけない行為に、アイリスは硬直してしまう。
カーネルが、彼女の兄が、彼女の頭を撫でたことなど、ない。
「お前は光熱斗とロックマンにとって友人なのだろう?二人の友人ならば、私は全力で
お前を二人の元へ連れて行こう」
力強く言い切る姿に、姿形だけでなく、声も同じなのに。
『二人』は別人なのだと、理解する。
アイリスが生まれた時、『兄』であるカーネルには、もはや人間らしい感情は備わって
はいなかった。アイリスが、カーネルの人間的な感情部分が分離した姿である以上、そ
れは当然のことかもしれない。が、それゆえ、カーネルに、優しい言葉をかけられたこ
とも、態度や仕草をとられたこともなかった。
「では、ゆこう」
穏やかな声に促され立ち上がろうとしたアイリスの足に、鋭い痛みが走った。思わず足
を押さえた。
「足をやられたのか」
カーネルは、自分の足を押さえるアイリスの小さな手をどけさせると、傷の確認をする。
データの分解こそは起こってはいなかったが、損傷が激しかった。
「これでは歩けんな」
不意に抱き上げられ、アイリスは悲鳴を上げた。
「ああ…すまない。ロックマンにもよく注意されるのだがな」
両手で彼女を抱きかかえながら、カーネルは照れたように言い添える。
「触れる前に、一言相手に断れと、な。
私はどうやら言葉が足りないらしい」
これが、ビヨンダートのカーネル。
穏やかに笑うその姿に、不意に胸がいっぱいになったアイリスは、隠すようにその広い
胸に顔を埋めた。
カーネルは、黙ってそれを受け入れてくれていた。
それがさらに、アイリスの息苦しさを煽った。
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