むかし むかし
2話
カーネルは走りました。
白い岩場を越え
黒い森を抜け
館の裏門まで、一気に駆け抜けました。
子供一人、背に乗せていても、早さは行きとまったく変わりません。
裏門まで、あっという間です。
石作りの裏門では、バレルさんがカーネルを待っていました。
カーネルは足を止めました。
「その子か。行き倒れの人間というのは」
バレルさんは黒い目を細めて言いました。
「はい」
「とりあえず、部屋に連れて行こう」
バレルさんは、カーネルの背から熱斗君を受け取ると
館に入っていきました。
立派な大人の姿のバレルさんの姿に、サイト君はほっとしました。
けれど、そこで困ってしまいました。
幽霊の自分も入っていいのでしょうか?
思わずカーネルの顔を覗き込むと。
「君も入りたまえ――小さな幽霊君」
<僕のこと見えるの?>
普通の人は、幽霊が見えません。
熱斗君にも、サイト君は見えないのです。
バレルさんが魔族だと知らないサイト君は、驚きました。
<私の主だからな>
答えになっていないような、カーネルの答えです。
でもサイト君はなんとなく、納得してしまいました。
子牛位大きな、喋る犬のご主人様なら、
幽霊を見ることぐらい出来るかもしれないと思ったからです。
バレルさんは、熱斗君を両手で大事そうに抱えて先に進みます。
カーネルもその後に続きます。
サイト君もふわふわとカーネルの後についていきました。
館の中は、それまでサイト君が見たことがないくらい、
広くて、立派
でした。
先が見えないほどに伸びる、ドアのたくさんついた石造りの廊下
飛んでいくのすら一苦労なほど(サイト君は幽霊ですから)の高い天井の大広間
螺旋を描く階段
あちこちに置かれた、壷や絵や、置物
<もしかしたら、すごいトコロに来ちゃった?>
サイト君はちょっと心配になりました。
「あまり隅の方は見ないでくれよ」
興味津々なサイト君にバレルさんは笑います。
「客がほとんど来ないから、ホコリだらけなんだ」
そうこうしているうちに、部屋に着いたようです。
バレルさんは、熱斗君をそっとベッドに寝かせてくれました。
広くて立派なお部屋のそのベッドは、天蓋つきでした。
目の醒めるような、深い蒼いベッドに、
<…泥だらけの熱斗君、そのまま寝せちゃっていいのかな…>
と思うくらいでした。
だって、天蓋も、掛布も枕も何もかも、
絹糸のようにきらきらしているのですから。
「さ、君はこっちだ、小さな幽霊君」
バレルさんは、サイト君に
古びたランプ
を差し出しました。
「君も疲れているはずだ。入りたまえ」
<…はあ……>
幽霊の自分が、『疲れている』というのも変な話だと思いました。
思いましたが、折角用意してくれたのです。
サイト君は恐る恐るランプに入りました。
<うわぁ……>
入った瞬間、サイト君の体中に、“力”が溢れてくるのが分かりました。
「この“フォン・ユンツトのランプ”の中ならば、
君の消費され続けるエネルギーを少しは抑えることが出来る」
ランプの“ほや”の中、
サイト君の炎の色は、くっきりした深い青白色に
熱斗君そっくりのお顔もはっきりします。
「幽霊と言うのは、自分の魂のエネルギーを絶えず消費しているようなものだからね。
もっとも」
バレルさんは、ランプを持ち上げ、サイト君と目を合わせました。
「君は、普通の幽霊とは違うようだけど」
にこり、と笑うバレルさんに、サイト君はどう答えていいか分かりません。
<…そういえば、どうしてカーネルはあなたの…て、あー!>
サイト君は、そこで大事なことに気付きました。
<僕、あなたのお名前、伺ってません!>
そうです。サイト君はバレルさんと自己紹介もまだだったのです。
「そういえばそうだったね。
私はバレル。カーネルの主だ」
<僕はサイト。熱斗君の兄で、見てのとおりの幽霊です>
二人はお互いに自己紹介をしました。
ほやの中で、小さく炎が揺らめきます。
サイト君がお辞儀をしたからです。
<そういえば、どうしてバレルさんは
カーネルが帰ってくる前に待っていられたんですか?>
「ああ…カーネルから連絡があったからね」
そうは言いますが、サイト君には、
カーネルがそんなそぶりを見せた覚えはありませんでした。
だって、サイト君はずっとカーネルのそばを飛んでいたのです。
「――君も気付いていると思うが」
不思議そうなサイト君に、バレルさんは教えてくれました。
「カーネルは普通の犬じゃない」
……確かに、子牛ほどもある言葉を喋る犬が、
普通の犬のはずがありません。
カーネルが犬の基準でしたら、世の中に犬はいなくなってしまいます。
「彼は私の使い魔だ。
使い魔とその主の間には、強い“力”が働くのは、知っているかい?」
サイト君は小さく頷きました。
「この屋敷の敷地内ならば、私とカーネルは
道具を使わなくとも、意思の疎通が可能なんだ。
便利だろ?」
バレルさんは、パチリとウインクをして見せました。
おどけた言い方に、釣られてサイト君も小さく笑ってしまいます。
その時、ドアが開きました。
入ってきたのは
カーネル
です。
一体いつの間に出て行ったのでしょう?
カーネルは頭の上には 銀色の洗い桶
口には 白い大きな水差し
を持っていました。
「ご苦労、カーネル」
バレルさんは洗い桶と水差しを受け取り、
ベッドの脇に置きました。
一体どうやって
水を汲み
洗い桶を頭に載せたのでしょう。
……何より、カーネルはどうやって扉を開けたのでしょう。
あの、足で。
犬、なのに。
まだまだカーネルには謎ばかりです。
「少し汚れているようだから、手と足、それと顔を拭かせてもらうよ」
バレルさんは洗い桶に水を入れ――いいえ。湯気が出ています。
水差しの中身は、ぬるま湯のようです。
浸した布で、熱斗君を拭き始めました。
そうしてバレルさんにきれいにして貰いながらも、
熱斗君は
まったく
目を覚ましませんでした。
見事な熟睡っぷりととしか言いようがありません。
それから。
<……よく寝る子供ですね>
「……ま、まあ、疲れているんだろう」
<ご、ごめんなさい……>
お日様が闇の端に隠れ
お月様が天を照らす頃になっても、
そのお月様が隠れ、
またお日様が顔を出す頃になっても、
熱斗君は起きませんでしたとさ。
次回予告?
「えー…俺、また寝っぱなしかよー!俺もバレルさんと喋りたいー!犬カーネルに触りたいー!」
<…まあ、熱斗君側の事情が、まったくわかんない状態だからね。
何で子供が一人で行き倒れー、とか、何で僕がゆーれいかーとか>
そんなわけで、まだまだ続きますよ?ええ。
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