むかし むかし

 

 

むかし むかし あるところに

カーネル

という犬がおりました。

 

カーネルはとても大きな犬で、その体は小さな子牛ほどもありました。

硬く短い毛は 闇のように真っ黒で、

大きな瞳は 魔法の薬を燃やした炎のような緑色

口元まで裂けた大きな口には サーベルのような鋭い牙が並びます。

犬というより、狼に近いその姿は

まるで森の王者です。

 

こんなカーネルが、普通の犬であるはずがありません。

 

カーネルは、そのあたりの土地を領地<テリトリー>に持つ 魔族 の

使い魔

でした。

 

「使い魔」というのは、魔族や魔女の召使のようなものです。

動物だったり、人間だったり、人形だったり

ご主人様によってその姿は色々ですが

それはまた、別のお話。

 

カーネルのご主人様の魔族は、名前を

バレル

といいました。

カーネルのように

闇のように真っ黒な瞳と、真っ黒な髪の

魔族です。

 

バレルさんは、

知力、体力、魔力と、

おおよそ魔族が持つ能力の全てにおいて、

魔族達の中でも並ぶものはほとんどいない

とても凄い魔族でした。

どんな戦いでも一度も『死なず』

敵を倒したり、敵の裏をかいて帰ってくるので

『不死身のバレル』

と呼ばれておりました。

 

けれどこのバレルさん、

やる時はやる

魔族でしたが、それはひっくり返せば

やらない時はやらない

ということで。

いつも

ヒマ

を持て余していました。

自分の力量も分からない馬鹿な魔物や魔族や、

カンチガイした人間が

戦いを挑むとき以外は、

いつもヒマでした。

おかげで、時々

「カーネル、何か芸をして見せろ」

と言ってはカーネルを困らせていました。

もっとも、暇つぶしに

人間の町に疫病をはやらせたり

他の魔物を殺したり

するほどは根性が腐っていないからこそ、

カーネルもお仕えしているのですが。

 

 

そんな平穏で退屈なある日のこと。

 

カーネルは結界が揺れていることに気が付きました。

 

バレルさんの領地<テリトリー>には

滅多矢鱈なお客様が入って来れないように

結界が張ってあります。

その結界の見回りも、

カーネルの仕事の一つ

でした。

 

ところがその日は、

結界が揺れていたのです。

 

カーネルはその場所に急ぎました。

岩場を抜け、森を走ったそこには、

子供が一人

転がっていました。

 

行き倒れ

 

です。

 

≪この子供が引っかかっていたのか≫

カーネルは子供に近づこうとしました。

生きているのなら館へ連れて行って 手当て を

死んでいるのならふさわしい場所へ 埋めなくて はなりません。

その瞬間!

<熱斗君食べちゃダメー!!

<くはッ!

悲鳴と一緒に

カーネルの顔に 何か がぶつかって来ました。

思わずカーネルはのけぞってしまいました。

目には星が飛びます。

見ると子供とカーネルの間に、

蒼い小さな炎

が浮かんでいました。

蒼い小さな炎の中には、

更に小さく子供の顔

が浮かんでいました。

≪…亡霊<ゴースト>つきの行き倒れか≫

カーネルはちょっと驚きました。

珍しいものを見たからです。

<あっち行け!あっち行けったら!!

叫びながら炎はカーネルにぶつかってきます。

しかし、一回目は不意打ちでしたからカーネルものけぞりましたが、

もう違います。

炎の――亡霊の攻撃は、ほとんど痛くありません。

カーネルはそのまま子供に近づきました。

それでも炎は諦めません。

二度 三度

三度 四度

とカーネルに体当たりをしてきます。

<熱斗君!熱斗君!早く起きて!!

いくらあまり痛くない、といっても

何回もぶつかってくるのは、鬱陶しくてたまりません。

<あっち行けってばー!!

何度目かの体当たりに、

カーネルは軽く体をそらせると

ペシッ

と黒く長い尻尾で炎を振り払いました。

<うわー!!

ビタンッ

炎はそのまま近くの木にぶつかってしまいました。

それでも炎は諦めませんでした。

<熱斗くーん!!

カーネルは溜息をつきました。

<この人間をこのままにしておくつもりか>

炎は騒ぐのをやめました。

<犬がしゃべったー!!

カーネルは子供の前に立ちました。

<このままでは間違いなく死ぬぞ>

子供は息はしておりましたが、

ぴくり

とも動きません。

青いバンダナが、茶色い髪の間から覗いています。

カーネルには、子供の命が

細く、弱く

なっているのが見えました。

<でも、でも!>

<実体のないお前に何が出来る>

ぴしゃり、とカーネルは炎に言い放ちました。

炎は黙ってしまいました。

カーネルの言うことが正しかったからです。

亡霊である炎には、

子供に何もしてあげられません。

炎の声だって、ほとんど届いていないのですから。

カーネルは子供の襟首をくわえると

ひょい、

と子供を自分の背に載せました。

そのままスタスタと歩き始めます。

炎はびっくりして追いかけました。

<食べないの?>

<館へ連れて行く>

<館?>

<そこに私の主人がいる。

この人間には手当てが必要だ>

<…助けて、くれるの?>

<そのつもりだが>

<ありがとう!>

明るい声に、カーネルは面食らいました。

にっこり亡霊は笑いました。

亡霊が笑うと、蒼い炎も大きくなります。

パチパチと火の粉も上がります。

<君、いいヒトだったんだね!!

 ゴメンね!僕、熱斗君が食べられちゃうかと思っていっぱい体当たりいちゃって!!

嬉しくて嬉しくてたまらないのか、

炎はくるくるとカーネルの周囲を飛び回ります。

それは、まるで蒼い蛍のようでした。

<この人間はネットというのか>

<うん!!僕の弟なんだ。

 あ、僕は彩人、よろしくね!>

そういって、炎は笑います。

とりあえず、カーネルは館に急ぐことにしました。

<…走るぞ、お前もついて来い>

<あ、うん!>

 

カーネルは来た道をまっすぐに戻ります。

 

闇のように真っ黒い犬が、

蒼い炎をまとわりつかせて走る姿は

とてもキレイで

とてもコワイ

ものでした。

 

風のように走るカーネルの耳に、

もう一度

炎の――彩人のお礼が届きました。

<本当に、ありがとう>

<…礼など不要だ>

まっすぐに前だけを見つめ、カーネルは呟きました。

 

そう、お礼なんていいのです。

だってカーネルは、

熱斗君が気の毒で

助けるのではありませんでしたから。

ただ、

いつもいつも退屈そうなバレルさんの

暇つぶし

になればいい、と考えただけなのですから。

 

行き倒れの熱斗君が元気になるまで。

その間、バレルさんは退屈を忘れます。

それが、たとえどんなに短い間でも。

 

本当に、それだけでした。

 

 

まさかこのことが、これから始まる

にぎやかで、

忙しくて、

退屈なんて何処にもない、

昨日と同じ今日がなく、今日と同じ明日がない、

でも、ちょっぴりカーネルの

頭と胃が痛くなる

毎日の始まりだとは、神ならぬカーネルには

あずかり知らないことでした。

――カーネルは、使い魔ですしね。

 

 

そしてそれはまた

別のお話。

 

 

 

 

 

「次回予告だぜ!

 俺、熱斗!でっかくて真っ黒い犬のカーネルに連れていかれたでっかい屋敷、

 そこにいたのは、屋敷の主人バレルさん!

 ちょっとくたびれた怪しいオジサンだけど、只者じゃなかったんだ!

 そんなわけで次回『こんにちは、バレルさん』

 今回台詞がなくて、行き倒れていた俺も次回からしゃべるぞぉ!動くぞぉ!」

     (…うそです。そんな予定はありません)