意 趣 返 し


 

 

 

厳しい戦いの合間に訪れる、穏やかな時間――その時間に、大事な相手と共にいられる幸せを邪魔される、というのは、ほとほと腹が立つもので。

「……バレルさんの、バカ……」

だから、ロックマンが一人、クッションに顔を埋めながらぼやいたのも、当然のことだった。

十二畳ほどの広さの電脳空間は、カーネルの個室(プライベート・エリア)だった。一般のナビは自分のPET内だけを個室(プライベート・エリア)としているが、カーネルはそれ以外に、いわば隠れ家のような個人所有の電脳空間を持っていた。

もちろん、この個室(プライベート・エリア)の存在を知っている人間は、バレルだけだ。

軍用の、しかも司令官レベルともなると、処理しなくてはならないメールや資料の量も半端ではない。ミッション作成に関するもの、終了したミッションの報告書、会議の案内、補給について、etc.etc.…

カーネルといえど、それら全てを同時に処理することは出来ない。またそれらの文書などを彼なりにまとめ、新たな報告書も作成しなくてはならない。

他の煩雑な報告に気を散らすことなく、熟考するため――そして、作業効率を上げるための休憩を取るため――その為の、個室(プライベート・エリア)だった。

そのため、この個室(プライベート・エリア)には、バレルのPETからの通信しか入らず、また、直接訪れるにしても、一定の手順が必要だった。

だが今、この部屋本来の持ち主は、隣室で仕事中、だった。

バレルからのみの通信には、緊急のものが多い。

カーネルの責任感の強さは十二分に理解しているし、自分に気を使って隣へ行ってしまったことも分かっているが。

分かるからこそ、その仕事を持ってきたバレルに腹が立つのだ。

「早く帰ってこないかな」

クッションから顔を上げ、両足をばたつかせる。

「暇だよ、カーネル」

少しだけ唇を尖らせ、相手の名を呟く。

早く自分のそばに戻ってきて欲しい。

鍵はかけられていないから、行こうと思えば隣室にはすぐに行けるのだ。

でも、彼の仕事の邪魔はしたくない。

だから大人しく待っているのだ。

退屈で、取り留めなくさまよっていた視線だが、すぐに部屋の隅に目がいってしまう。そのとたん、ロックマンの顔が綻んだ。

先程から、何度も何度もそこを見ては、条件反射のように笑みがこぼれてしまう。

そこに置かれていたのは、青いヘルメットと、同色の腕のアーマーだった。

そしてその横に並んで置かれているのは、きちんと折り畳まれた浅黄色のマントと、円型の肩当、そして黒いヘッドギアだ。

カーネルの、ものだった。

並んで置かれている青いヘルメットと黒いヘッドギア――見ているだけで、自然に頬が緩む。

ロックマンがカーネルを待ちかねながらも、隣室に行かないのは、このためだった。

これを見ているだけで、カーネルが自分のことを、彼なりに大切に扱っていてくれているのがわかる。

個室(プライベート・エリア)につれてきてくれたことも

自分の前でマントやアーマーといった防御(ガード)のための装備をはずしてくれること

それらが示す意味は、間違ってはないはずだ。

だからもう少し、彼が来るのを待ってみようと思う。

思うのだが、やはり暇なものは暇だ。

「――――…あれ、つけてみたいな」

じっとカーネルの装備を見つめているうちに思った。

前から一度、付けてみたかったのだ。カーネルのトレードマークともいえる、マントと、肩当と、ヘッドギア。

それらを身につけたカーネルは、上背があるせいもあるだろうが、人目を引いた。

有体に言って、メチャクチャ、カッコイイのだ。

自分の欲目――と考えないでもなかったが、同じチームのトマホークマンやトードマンも口を揃えてそう言うのだから、一般的に見てもカッコイイに違いない。

口に出してみたら、どうしても、つけてみたくなった。

「いいよね、いいよね。ちょっとぐらい、借りてみても」

聞く人間もいないというのに、そんな言い訳をしながら、ロックマンはカーネルのヘッドギアを手に取った。

 

 

数分後。

ロックマンは自分の行動を後悔するハメになっていた。

鏡を見なくても、自分の情けない格好がよく分かった。

ヘッドギアは頭の大きさがまるで違うから、右は耳で引っかかっているが、左は頬骨の下まで落ちているし、肩当も、当然肩幅が違うから、ロックマンの肩からは完全にずり落ち、上腕部で何とか踏ん張っているようなものだ。

マントにいたっては、裾が20cm近く床に広がっていた。

そして何よりも。

「……おもっ…!!」

それらは、かなりの重量があった。ヘッドギアだけで、ロックマンの首は鈍く非難の声を上げる。

「――人間だったらカーネル、絶対肩こりさんだよ…」

何とか立ち上がるが、胸を張るのだけでも一苦労だった。地面からマントを引っ張られているようだ。

ロックマンは知らなかったが、カーネルのマントは、高密度の防御プログラムだ。その威力は、レベルの低いウイルスやナビの通常攻撃など、マントを翻すだけで事足りるほどだった。その程度の攻撃なら、カーネルにかすり傷一つ負わせることは出来ない。それでいて、見た目の薄さは、ごく普通の防御プログラムと変わらない。それほどの高性能であれば、当然、プログラムの構成が、密度が強固になり、その結果、『重く』なる。

「…すごいよ、カーネル…」

こんなモノをつけて軽々と動けるだけで、尊敬に値する。

意外なことで、ロックマンは改めてカーネルの凄さを知ってしまった。

それでも、マントをつけたら一度はやってみたかった、マントを払いのける仕草をしてみた。

右手を、左胸のあたりから斜め上方向めがけ、伸ばす。

ボヘッ

「あれ」

勢いの死んだ音だけがして、マントはきれいに翻らない。

「――…もう少し、勢いよくすればいいのかな」

試行錯誤を繰り返し、何度も腕を振り上げる角度やスピードを変えてみたが、どうしてもイメージ通りにいかない。

カーネルのように、決まらないのだ。

何故だか、とても悔しかった。

このまま諦めてしまうのは、癪にさわり、別のポーズに挑戦してみる。

振り返りざま、右手でマントの端を掴み、自分の身体にマントを巻き込む一連の動き。

カーネルが振り返るときに見せるその動きも、息を呑むほどにかっこよかった。

だが、ただの『マントを払いのける』という動作すら出来なかったというのに、それよりもリアクションの多い動きが出来るはずもなく。

カーネルの動きを思い返し、軸足を回転させ、振り返りながら右手でマントを掴んだ時、その足で思い切り、床にたわんでいたマントの裾を踏みつけてしまう。

ドタッ

見事にマントに足を取られ、床に転がってしまった。

同時に。

「クッ!」

誰かの吹き出す声がした。

ここがカーネルの個室(プライベート・エリア)である以上、当然入ってきたのは部屋の持ち主である訳で。

声の方に目を向けると、いつの間にか、今つけている装備の、正式な持ち主がそこに立っていた。

目が合うよりも早く、男は背を向けた。黒く広い肩が、せわしなく上下している。笑っている。間違いなく。普段は無表情に近い彼が、傍目にも分かる反応をするということは、この笑い、彼にとっては大爆笑に近いのだ。

「い、いつから見てたの…?て笑わないでよぉ〜!!」

床に転がったまま、ロックマンは恥ずかしさのあまり、悲鳴を上げた。

 

 

 

「――――ということがありました」

淡々と、それこそ任務完了の報告のように、PETからカーネルは告げる。それを訊いていたバレルは、あからさまに渋面を見せた。

「で?」

「萌え死ぬかと思いました」

「―――…俺が聞きたいのはそっちじゃない……」

真顔で強面の男性型ナビの口から『萌え死ぬ』等という言葉を聴いたバレルの方が、死にたくなってくる。タバコも吸っていないのに、口の中に苦味を感じるのは、気のせいではないはずだ。

「何故わざわざそれを俺に報告する」

まっすぐにバレルを見据えていたカーネルは、そのまま、先刻と変わらない口調で言い切った。

「あまりに大佐が、光熱斗との話ばかり――『のろけ』というそうですが――なさるからです」

「なさるから、てお前……」

「これから先、大佐が任務以外の光熱斗関連の話をなさるたび、こちらもロックマンとの会話を報告しますので、そのつもりで」 

無表情で宣言するカーネルに、バレルは目の前が暗くなった。

本人が気付いているかは知らないが、これは完全に意趣返しだ。

しかものろけにのろけ返すという、最も効率的だが、タチの悪い方法での。

不本意ながらも、バレルは自分の行状を改めるしかなかった。そして、ふと頭の片隅で思う。

  ――――――ロックマンは、このことを知っているのだろうか……?

 

 

 

当然、少年は知らない。