あ り が と う   

 

 

 

 

アメロッパ軍所属、バレル大佐のパソコンの中では、その日、見慣れないナビが治療を受けていた。

今の時代には珍しい、人間と似た外見のそのナビは、彼のパートナーである黒を基調とした成人男性型のナビ、カーネルとは対照的な、少年型の、青いナビだった。

ロックマン、だった。

本来二十年後の世界に存在するはずの彼が、バレル達の時代にやってきたのは、パストトンネルを通り、シェイドマンというダークロイドがこの時代に襲来し、歴史に介入してしまったためだ。

そのため、二十年後の世界は、ダークロイドが支配する世界に変貌を遂げていた。

しかしまだ、この時代のシェイドマンを倒せば、未来は、本来の形を取り戻す。

そのために、少年は単身、やってきたのだ。

しかし、突然訪れることになたバレル達の時代――二十年前の世界は、異世界に等しく。

いくつかの行き違いの末、ようやっと保護したとき、彼は、ダークウイルスを注入され、意識を失っていた。

この時代に、ダークウイルスを駆除するためのワクチンはない。そのため、少年が安心して身体を休められる場を与えてやることだけが、今のバレル達にしてやれることだった。

ここに連れてこられた当初は苦しげだった表情も、今では穏やかなものになっている。

バレル自身は一度しか直接に会ったことはないが、オペレーターの少年とよく似た面差しが、パソコンの中で静かに息づいている。

自然、バレルの口元が、柔らかい笑みを形作り、右手がパソコンに伸びる。

指先は、冷たいディスプレイに阻まれた。しかしバレルは、そのまま画面に指を滑らせる。

ロックマンの頬を、撫でるように。

「――ありがとう」

意識せずにこぼれた言葉は、バレルの偽らざる心情だった。自分が口にするのはおかしいのかもしれない、と思いつつ、言葉を続けた。

「君の、おかげだ」

 

最近、とみにカーネルの表情や言い回しが柔らかくなったことに、バレルは気付いていた。

以前の――自分の下に来た当初のカーネルは、姿形こそ人間に似せてあったが、その言動は、機械的、といってよかった。もちろん、軍事ナビであるカーネルに、民間のナビのような『曖昧さ』は求められていないことは理解していた。

けれど、なまじ人間に似ていただけに、カーネルの変化することのない表情や、一分の隙もなく論理的な反応は、強烈な違和感を与えた。

それでも、軍人である以上、個人の感情で任務を放棄するのは無責任の極みであり、また、自分が“人間らしい“言動を教えてやればよい、と考え直し、オペレーターになった。

けれど、ここ数ヶ月――未来に向かい、デューオの試練としてアステロイドと戦うようになってから、その、四角四面な反応が、微妙に変化を見せるようになった。

そう――カーネルは、変わったと思う。

その変化を一番目の当たりにしたのは、つい先程――ロックマンを保護した時だ。

警察からの連絡で、留置場を脱走した彼が街中で倒れたことを知り、カーネルを向かわせた。警察には話を通しておいた以上、カーネルがロックマンを保護するための障害は、何もない。

『倒れた』報に心を痛めたが、バレルには、リカバリーチップを用意するしかなく、じりじりとカーネルの帰還を待つしかなかった。

「大佐……!!」

インターネットシティから、バレルのパソコンに戻ってきてカーネルは、いの一番に自分を呼んだ。

彼にしては大声で自分を呼ぶその声には、どこか切羽詰ったような響きがあった。

PET内から見上げた顔には、焦りの色が見て取れた。

そして画面の中のカーネルは、ロックマンをしっかり両手で横抱きにしていた。

――――まるで、護るように。

それまでの――バレルの下に来た当時のカーネルならば、いや、デューオの試練が始まる前ならば、きっとカーネルは、ロックマンを脇に抱えるか、肩に担いでいたことだろう。

荷物でも、運ぶように。

……さすがに、猫を掴むように、首根っこをつまんだりはしない、とは思いたかった。

 

その場面を思い出し、バレルの笑みは深くなり、ロックマンを見つめるまなざしにも穏やかな光が増す。

 

カーネルは、ロックマンを『心配』していた。

それは、間違いのないことだった。

そして、『未来』の様子を偵察に向かわせた時も。

踵(きびす)を返して数歩、不意に、カーネルは足を止めた。

普段ならば、そんなことは、しない。指示を受ければ、迅速に、ためらうことなく目的地に向かう。

それが、後ろ髪を曳かれたように、振り返った。

心持向けられた視線の先には、眠り続ける青い少年。

「大丈夫だ」

自分が声をかけると、驚いたように眉を開き、戸惑うように、自分を見返した。

おそらくは、無意識だったであろう、その行動。

 

「ありがとう」

もう一度、バレルは繰り返す。

「カーネルを、信じてくれて」

 

自分達と彼らの出会いは、尋常ではなかった。

巨大トリロウイルスの襲撃、

パストビジョン、

デューオの試練

様々なトラブルが重なった末での救援――

未来に赴くことを決心したとき、最悪、バレルとカーネルは、ロックマン達に銃口や剣を向けられることも覚悟していた。

危機的状況に突然現れた、正体不明のナビだ。警戒されたとしても、不思議ではない。

少なくとも、バレル達ならば警戒する。

それが軍人として、幾多の戦いを経てきた二人の行動規範だった。

けれど、ロックマンは。

「私に任せて先に行け」

というカーネルの提案に驚きながらも、

「ありがとう、カーネル!」

心の底から感謝し、ためらうことなく背を向けた。

未来から帰ってきたカーネルも、腑に落ちない顔をしていた。

 

―――――思えば、その時からだ。

カーネルがロックマンの反応に疑問を持ち、自分に相談し、思考を巡らせるようになったのは。

 

「ありがとう」

バレルは少年の頬を撫でる指に、心もち力を込めた。

「カーネルを、好いてくれて」

 

デューオの試練が始まってしばらくしてから、カーネルはためらいがちに、バレルに尋ねた。

「…大佐、少々お聞きしたいのですが」

ひどく、カーネルらしくない言葉だった。

「ロックマンは、どうして私に会うと笑うのでしょう」

不思議そうに、吐き出された疑問。

「――お前に会えて、嬉しいんじゃないか?」

「何故です」

「何故、といわれても、それは本人にしか分からんだろう――気になるのか?」

水を向けたバレルの問いに、カーネルは顔を伏せて沈黙した。だが、その沈黙が、雄弁な答えになっていることに、バレルは気付いていた。

ロックマンと直接顔を合わせたのは、今回も含めて二回のみ、それ以外は、カーネルからの報告を耳にするだけだった。しかし、カーネルのほとんど感情を交えない報告からすら、バレルは、ロックマンがカーネルに対して好意を持っていることを推測できた。分かっていないのは、カーネル本人ぐらいのものだろう。

 

「ありがとう」

よい夢でも見ているのか、少年の口元が、僅かに綻んだ。

つられるように、バレルも再び笑みをこぼす。

「君が、カーネルを変えたんだ・・・」

 

カーネルにとり、ロックマンは、未知の存在だったのだろう。それまでカーネルの前に、ロックマンほど好意を表に出し、素直に感謝をする存在は、ナビであれ、人間であれ、存在しなかった。

軍事用ナビである以上、接触のある人間は軍人のみ、ナビも、バレル達の時代と、二十年後では、雲泥の差だ。

人間には、任務をこなすことが当然と捉えられ、感謝などほとんどなく――また、自分達も、当然の責務を果たしているだけなのだから、とそういったものは求めなかった。

ナビ達は――外見のことを抜きにしても、この時代、まだ、軍用のカーネルの方が人間らしかった。バレルに強烈な違和感を与えた、機械的な言動のカーネルの方が、自然な反応を返していたのだ。与えられた命令をこなすのに精一杯の民間のナビと、制限は与えられているにせよ、自立的に行動できるカーネルとでは、意思の疎通は出来ても感情の共有までは難しい。

だから、ロックマンたちとの出会いは、カーネルにとり一種のカルチャーショックだったのだ。

自分同様に自発的に会話し、行動できるナビ達。

そしてその中の一人は、それまで誰も彼に向けなかった感情を、彼に向けた。

好意と、感謝

あまりにもむき出しのその好意は、任務外の事柄に興味が薄かったカーネルすら戸惑わせ、疑問を抱かせるほどに打ちのめした。

 

「ありがとう」

もう一度、バレルは繰り返す。

心の底からの、感謝を込めて。

今はまだ眠る、少年に向けて。