240号 2018年1月30日 |
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1月20日、学習会「無期転換ルール」(講師・三宅弁護士)&新年会が開催され、2018年の活動のスタートを20名で切りました。新年会は、寿司、天ぷら、おでん、ピザ、キャベツピクルス、ミカン&バナナ、差し入れの酢の物、砂肝の煮物、菓子、日本酒、ジュース、ビール、ワインなどなど、食べながら飲みながら今年の抱負を参加者全員が一言。最後はジャンケンで、尾辻さん差し入れの景品を勝った人からゲット。和気あいあいと時間が流れました。
ユニオンは今年30周年です。力をあわせて前進の年となるよう、一緒にがんばりましょう。 12月25日・26日、オリエンタルランドの従業員 通用門周辺で、出演者の労働災害が「過重業務による」と認定されたことについて、お知らせするチラシ配布を行いました。現場にはシニアユニオンや東京ユニオン、市川地域の仲間たちが駆けつけてくれ、2日間で300枚ほどのチラシを配布しました。
今回も、会社に宣伝行動の通告直後からOFS(「オリエンタルランド・フレンドシップ・ソサエティ」OLCとユニオンショップ協定を結ぶ労働組合)の上部団体であるゼンセン同盟の本部役員から「なぜ、やるのか」と電話。事前にユニオンが通告した宣伝行動について、会社は組合活動なので何も言ってきません。しかし、2日間にわたり、ゼンセン本部役員とOFSの役員は宣伝行動の現場に来て、チラシ配布中、●横断幕の前に立ったり、●チラシ配布者の写真を撮ったり、●「どうしてやるのか」と話しかけて来たり、●「(会社に)通告した時間より開始が早すぎる」とか「もう終了時間だ」と配布時間をチェックしてきたり、●「友達と読むから2枚下さい」と言ってきた人に「読む必要ないよ」と小声でささやいたり、同じ組合としてはあるまじき意味不明の言動が今回も目立ちました。 |
Nさんは2017年1月に現場監督として就労しました。5月に風邪のため休みがちになったNさんに会社は即日解雇を通告。Nさんが労働基準監 督署に相談して解雇予告手当を請求すると、会社は「解雇はしていない」と就労を促しました。Nさんが仕事に行くと、会社は請負先がNさんではダメだと言うからと6月7日から7月26日の46日間、自宅待機を指示。そして会社は8月末の解雇を通告し、解雇予告手当を振り込んできました。 ユニオンは自宅待機期間の賃金補償と常態化した未払い残業代(1日3時間×就労日数)の支払いを求め交渉しました。2回の交渉で、会社が相応の解決金を支払うことで解決しました。 退職の申し出が直前だったためなのか、最後に働いた1か月分の賃金が未払いということで交渉しました。賃金は会社の説明で前払いされていたことが判明しましたが、残業代のベースとなる基礎時給に含まなければいけない手当を含んでいないことによる未払いが判明。残業代未払いに相当する額を支払うことで解決しました。 同じ会社に就労していた息子が他の社員の違法行為について警察に相談したことを理由に解雇通告されました。その件を会社が次の朝のミーティグで「退職した」と話したので、父であるIさんは「息子は解雇を認めていない。勝手に退職と話すことは問題だ」と言ったところ、会社は「親として謝罪しろ」と執拗に迫りました。また、給料が少ない配達に回し、謝罪したら通常の仕事にもどすと迫りました。そして「お前はバカか。常識ない奴に良い仕事させないよ」などパワハラ・いじめによる不当な退職強要が続けられています。交渉の申し入れに対し、会社は引き延ばしを続け、やっと交渉が設定されました。 Sさんは1月にフィリピンに帰国するために、 昨年8月にグループリーダーに4日間の有給休暇取得を申し出ました。その際、何も言われなかったので取得できるものと思い、チケットも用意しました。12月に入り、他の方が帰国のための書類 提出を求められたのに何も言われなかったので、事務所の人に12月6日に問合せたところ知らないと言われました。12月8日に会社から解雇予 告通知書が渡されそうになり拒否したが、12月12日に再度、解雇予告通知書が手渡されました。交渉で、会社は「本人から退職したいと話があった。雇用保険を会社都合にしてほしいと求められたので、減産のためを理由とした解雇予告通知書を作成し手渡した。」と主張。ユニオンは不当な中途契約解除であるとして交渉中。 20年間正社員・看護師として就労してきたIさ ん。2017年12月に病気が判明し休業中のIさん に、病院は今年になって「雇用保険に切り替える」と通告しました。ユニオンは不当な解雇と残業代の未払(残業のカウントは19時以降のみで18時30分〜19時の30分間はサービス残業)、社会保険(昨年9月にIさんが「正社員って何ですか」 と質問して、やっと社会保険に加入)などなどの 問題の解決・改善を求めて交渉します。
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★古稀を乗り越えた。これからも健康で働き続けたい。 ★昨年5月から定年後の再就職で介護労働に従事。現場は厳しいが身体が続く限り働きたい。 ★年末、風邪こじらせ休む。有給休暇がなくなり無給。病休あったらいいな。 ★働ける間は気持ちよく働いていたい。 ★自分も5年1ヵ月、無期転換を申請したい。 ★無期転換を柱に春闘要求を今年も出し、交渉する。交渉で少しづつでも労働条件を改善していきたい。 ★今いる所は人間関係が難しい。他のところに就業したい。 ★ユニオンに1008年加入。10年間たったんだなと思う。 ★いつも飲み会の場にしか来なくて申し訳ない。年末、1967年10月10日に18歳で羽田闘争で亡くなった山アさんの墓参りに行った。戦争反対の意思を伝えていきたい。自分は今、なのはなユニオンという場にいられて幸せと思っている。 ★健康に気をつけて、無償ボランティアで今年も頑張りたい。 ★5年前から手当の格差是正を争い、昨年裁判を終結。格差是正させたが、職場にはまだまだ格差がある。 ★パートの共済制度を作りたいとなのはなユニオンを結成した。当初20名程だったユニオンが結成30周年、感無量。11月には自分の市会議員選挙(松戸)がある。支援をお願いしたい。 ★業務過重で労災認定され、改善の期待をし,交渉を継続しているが、1年経った今も何も改善されていない。他の人も働き続けられるシステムを作りたい。 ★2008年に弁護士登録。父が労組専従だったので家に組合員が出入りしていて影響を受けた。今、外国人留学生の問題に関わっている。5月に「現代奴隷法」(仮称)出版予定。 ★古稀を迎えた。いつ死んでもしょうがないなと思う年になった。三里塚闘争で逮捕され、それから何十年もたたかい続けてきたんだなとしみじみ思う。これからも生ある限り、と思う。 ★小さなユニオンがここまで来れたのは、いろいろと支えてくれる人がいたからと思う。30周年の集まりには、これまで出会った人たちと一緒に祝いたい。なお、5月〜9月は月一で山に登りたいので、事務所留守の折はよろしく。 |
新しい年を迎えて、2018年(平成30年)になりました。皆様、本年もよろしくお願い致します。今年は、「なのはな」にとって、30周年という記念すべき一年となりますね。
私が「なのはな」に加入するきっかけとなったのは、今からちょうど10年前です。2008年秋頃の「リーマンショック」を発端として、「派遣切り問題」や「年越し派遣村」が起きた頃と重なります。私自身の人生にとっては、とても大きな転換期となりました。 ある派遣会社の正社員でしたが、会社が突然に社名変更しました。その後、すぐに2008年3月に派遣先との契約が満了しましたが、業務命令により、なんと自宅のある千葉市周辺地域から、当時勤務していた会社の支店がある横浜駅まで、自宅から会社まで、約2時間近くかけて通勤することになりました。2008年4月から11月まで、ずっと横浜まで通って会社の中で、一日中勉強していました。何度も退職勧奨に合いながらも過ごして行きました。その後「なのはな」への相談を開始しました。現在も住んでいるアパートは、もう築何十年も経過したとても古いアパートです。あの頃(2008年)は、朝の5時頃に目覚ましをセットして、会社に出勤していました。普通に暮らしていても、今現在では、「足音がうるさい」とか「ドアの開け閉めがうるさい」と言われる事もあります。それでも出来るだけ住み続けたいと思います。 先日は、「成人式」がありました。新成人の皆様を見ると身が引き締まる思いと自分自身の成人式の頃をいつも思い出します。新成人の生まれた頃は、今から約20年前は、1998年です。その時はちょうど冬季オリンピックとして「長野オリンピック」が開催されていました。母親がおそらく最後に観たテレビがそのオリンピックでした。女手一人で働いて私を育ててくれました。その直後に体調を崩して、当時の印旛村(現在の印西市)に入院しました。あれから、息子である私の一人暮らしが始まりました。早いものでもう20年経つなんで信じられない思いです。今年は「平昌(ピョンチャン)オリンピック」が開催されます。アスリート達の晴れ舞台での活躍が楽しみです。 (田中)
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