242号 2018年4月10日 |
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17年ぶりの春闘 森永高滝カントリー支部
キャディの過半数が参加! 3月18日春闘交渉開始!
森永高滝カントリー支部は、2001年3月16日に、●基本給10万円が3万円に減額、●セルフ導入でラウンド手当も減額し生活できなくなると、正社員キャディが支部を結成。支部結成前に退職届を提出してしまった人、このままでは生活できないが働き続けたい人が一緒に、会社提案の撤回を求め、交渉にはいる。5月2日に、●基本給7万円+ラウンド手当の増額、●契約キャディを今回限り全員正社員キャディにする、●退職条件は組合要求どおり(会社都合+昨年度支給の高額×2ヶ月、残年休の消化、引越費用は全額会社負担)、●妊娠・出産・育児を理由とした差別はしない、ということで合意。会社主催のお別れ会も開催されて退職、残るなど、組合員は新たなスタートを切った。その後17年間、4名が組合員として残り、働き続けた。昨年末より、会社が就業規則・賃金規定を変えようとしている、ナビを導入しようとしているなどで賃金や労働条件の不利益変更があるのではないかという危機感が募り、会社が不利益変更を提案する前に、17年ぶりに春闘に取り組もう、要求を出そうと動き出す。組合に入っていないキャディに、要求案を提示し、一緒にやらないかと呼びかけ、新たに7名が加入。3月18日の交渉には10名が参加。17年前と変わらないゴルフ場の一室で、2018春闘が開始された。
3月24日、三宅弁護士を囲んで、憲法学習会が開催されました。安倍内閣が2020年に向けて憲法改正を目論み、自民党憲法改正案も作られ、改正に向けた動きが加速されている状況がある中で、三宅弁護士から「憲法の話しをしたい」というありがたい申し出もあり、ユニオンとしても自分の考えを持とうということで行われました。三宅弁護士は憲法の危機(1)ということで「森友問題」から入り、公文書破壊は民主主義の破壊にあたり、官僚虚偽答弁は議院内閣制の破壊(憲法66条3項)にあたるので国政調査権(憲法62条)による徹底解明が必要と述べる。憲法の危機(2)では、「前川授業」における文科省の調査メールは、教育の自由(憲法26条)に抵触するとし、以前の旭川学力テスト問題(最高裁昭和51年5月21日)をあげて、教育権は誰にあるのかと問う。憲法の危機(3)では、そもそも「憲法」とはということで、安倍総理が現代的憲法と称して憲法を変えようとしている。3月22日までに取りまとめた自民の改憲4項目の条文案を説明し、自民党は本気で改憲に着手しようとしていると述べる。そして、自民党内では憲法9条に対して安倍案(1項、2項を維持したうえで、自衛隊を憲法にとどめるべき)と石破案(2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化する改正をすべき)があったが、上記改憲案を見る限り石破案は消えたと言ってよいと思う。そして、「もし他国が攻めてきたら?」が改憲派の切り札であるが、●戦争の現実を実感できるよう知らしめる、●仲良くする外交を推進する、
●もし、この防衛費予算があれば国民の生活や福祉は良くなるなど、正攻法で「もし」に応え、国民投票を勝ち抜く力を作って行こうと提起されました。 参加者(10名)から、どうやったら安倍内閣を倒せるのか、現状の右傾化をどう見るのかなど、様々な質疑や意見が出されました。三宅弁護士は「考える力や繋がる力を作ることで、思想では説得できないが、文化では説得できる。そのために組合の力は大きい」とまとめました。 |
![]() ![]() 7時に新宿駅西口・郵便局前集合。東京ユニオンのフジエガの支部長が運転するマイクロバスで福島県双葉郡楢葉町天神岬スポーツ公園をめざし、出発。全国ユニオンから20名が参加。(なのはなからは4名) 昼前に現地に到着。楢葉町は福島第一原発から20キロ圏内。2015年9月に避難指示が解除され、今年1月までの帰還率は約3割とのこと。公園は海岸沿いの広々とした台地にあり、キャンプ場などもあり開放的。到着直後は参加者が少なかったが、3300人が結集。避難を強いられている浪江町・三瓶はるえさんは「自宅は除染避難困難区域。4世帯10人家族が6ヶ所に6年間別れ、墓参りもできない。『ふるさと返せ』裁判をたたかっている。もう原発はいらない。思い出も繋がりもなくなった。なぜ何もなかったかのように原発再稼働できるのか。」 「放射能汚染で女性は結婚の不安、避難者はばい菌扱い。うつるぞという目、賠償金もらっているぞという目で見られる。この苦しみは誰のせいだ。」と訴えた。三瓶さんのというか、避難を強いられている県民の憤りがストレートに伝わり涙が出た。呼掛け人の武藤類子さんからは「楢葉町での開催は『復興を強いる国を後押しすることにならないのか』などの意見があったが、自分の目で見て判断してほしい。」と、被災地での開催に意見が分かれたことが述べられた。 7年経った福島は、ますます複雑で難しい問題を抱えていることを実感した集会であった。だからこそ、集会参加者が年々減少しても、「原発のない社会を」の想いをつなげていかなければならないとも思った集会であった。 ![]() ![]() 早朝から冷たい雨。12時30分にJR原宿駅・鳥居前に集合のころには雪にかわる。そんな日であったが、集会には12000人が参加。なのはなからは5名が参加。さよなら原発集会は昨年9月は暴風雨、そして今回は雪と、参加者だけでなくて自然も怒っていると思えるほど、天候に恵まれない。 ![]() |
![]() ![]() ![]() 10時00分〜秀和システム・定年1週間前の懲戒解雇(東京ユニオン)→11時15分〜電業運輸・パワハラ(なのはなユニオン)→13時〜地球化学総合研究所・派遣スタッフ雇い止め(派遣ユニオン)→14時〜(参議院議員会館)春の厚生労働省交渉。 電業運輸は、同じ会社に就労していた息子が同僚社員の違法行為を警察に相談したことによって解雇されたことをめぐり、父親のI氏に、会社が「親として謝罪しろ」などと執拗に迫る、「お前はバカか。常識ない奴に良い仕事をさせないよ」などのパワハラが続き、I氏は心の病気に罹患しました。責任を取るよう交渉を続けたが、会社はパワハラはないと主張し、裁判でもやってくれということだったので、電業運輸の親会社である東洋電業に問題解決を求め、要請しました。 京葉線二俣新町駅に集合し、歩くこと20分。工場が立ち並ぶ一角にある東洋電業(その同じ敷地内に配送部門である電業運輸も)の正門に到着。会社側の交渉担当者が待っていて、要請書を手渡そうとすると、「敷地内に部外者は入るな」としつこく言うため、組合活動として認められている活動であることを主張し、言い合いに。パワハラの加害者である部長も途中から顔を出し、睨みあいに。会社周辺は人とおりもなく、正門を行きかうのはトラックだけ。要請書を手渡し行動は終了。(4月6日に労働審判提訴) 厚生労働省交渉 ![]() ![]() 太田の里クリニックは3月12日、昨年末から病気療養中の看護師(正社員・勤続20年)に3月20日をもっての解雇を通告しました。3月1日に行われた交渉で、代理人弁護士は「働けないということは契約違反だ。債務不履行にあたる」と解雇をほのめかし、院長は「小さな病院なので、看護師が休むとたいへん。社会保険料を負担しなくてはならない。代替者に賃金も支払わなければならない。」と病院の経営上のリスクのみを主張しました。患者さんには「病気を治しましょう。身体をいたわりましょう」と声をかけている医者である院長が、病気療養中で5月末か6月初めには復職したいと願っている看護師に対して、数か月間の療養期間も見守ることができずに解雇を通告しました。太田の里クリニックは健康保険医院として厚生労働省から認定された病院です。病院にかかった患者本人の負担は3割で、残り7割は病院に給付されます。いえば、健康保険制度の恩恵を受けて経営が成り立っている病院です。にも関わらず、解雇通告された看護師が社会保険に加入できたのは昨年の9月です。 就労中の19年間は未加入でした。経営上の恩恵を保険制度から受けている病院が、一方で働く人には保険に加入させなかったばかりか、傷病手当の使用者負担分を負担したくないからと、療養中の看護師を解雇するなど、ありえないことです。 3月20日、小雨降る中、病院周辺にチラシをポスティングし、最後に病院に1枚手渡してきました。 ![]() 常陽と雇用契約を締結し、(株)理想科学工業の霞ケ浦工場と筑波工場で印刷機の組立作業及び部品の改装の業務に2年間従事してきたSが2017年12月8日に、常陽より解雇を通告されました。その理由は 「理想科学工業(株)リサイクルセンター製造課の減産に伴う人員削減のため」でした。団体交渉を重ねたが、常陽は「解雇していない。解雇通知書は、本人から退職したい、会社都合にしてほしいと頼まれたから出した」と主張。ユニオンはSの雇用契約書の契約期間は2017年10月1日〜2018年9月30日までなので、「契約期間途中の解雇である」との主張で、交渉は平行線。 常陽は、●業務に従事するために必要な作業服・安全靴などは自己負担。●社会保険も「Idon't want to apply in Shakai Hoken」と契約書に書かせて未加入。●具合悪くなり事務所の車で帰ると車代1000円を請求。●通勤費より高い6000円を同僚に送迎代として支払うなど、労働条件にも問題があります。 「世界に類のないものを創る」を開発ポリシーとして掲げている理想科学工業の「もの作り」は、工場で働く外国人労働者に支えられているので、常陽に早期解決の指導をするように要請しました。 ![]() 17時工場前に到着。17時25分に仕事終了なのに、理想科学工業に行動を通告したためか、「残業」となる。残業は2時間あるとのことなので、残業に入る前の休憩の10分間に集中してマイクを使いました。周りも工場地帯で、公共交通の便はなく車移動なので人通りはなく、時々出てくるのも車なのでチラシは配布できませんでした。気温も低く、残念ながら窓は開けられなかったが、マイクからの声は届いたかな、次はつくば工場でと思い終了。次の日、連日行動の効果? 常陽から「話し合いで問題を解決したい」との連絡が届きました。 |
![]() ![]() 「君たちはどう生きるか」。漫画と新装版文庫あわせて発行数が100万部を超えたと話題に。 ラジオでは吉野が67年当時の学生の意識傾向を戦後直後や自らが学生だった大正デモクラシー時代から大きく変化しているとして語るもの。その中味はさておく。「君たちはどういきるか」が今これほど売れるのはなぜかと考えた。おそらく10代の子をもつ親や、中高生が読んでいるのでは。彼らを魅きつけるのは何だろうと思わないではいられない。そして、私自身もこの表題に何を感じるかにふれたい。「どういきるか」どころか、もうかなり「生きてきた」。人生の晩秋にさしかかろうとしている。けれども、その私さえ、この表題に惹き付けられている自分を発見した。振りかえればとても直線ではなくジグザグどころか前にすすんでさえいるかわからないのがこれまでの人生。けれども、なのはなの仲間や全国ユニオンの仲間に出会い、私は「どういきるか」と自問することが多くなった。さまざまに壁を越えようと日々がんばる働く仲間だからこそ「君たちはどういきるか」この表題やその底に感じる問いは己に迫ってくるものがある。さてみなさんは何をこの表題に感じますか? *1937年にこの本は書かれた。山本有三に執筆を依頼したのが編集者吉野。しかし山本が病のため吉野自らが執筆する運びとなったという。日本が中国侵略にすでに踏み出し米国との戦争に向かう時勢で吉野は世に問いかけた著書。現在にオーバーラップしてくる。(井藤) ![]() |