246号 2018年8月20日 |
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なのはなユニオンの結成大会は1988年3月27日に開催されました。45職場66人が集い、100人の組合員拡大を活動方針として確認しました。半年後に100人、2013年に200人の組合員が実現できましたが、300人の組合員を達成することはできていません。それでも活動し続けて現在があることを、30年間に関わった組合員、ご支援いただいた多くの方々とともに確認し、なのはなユニオンのこれからを切り開く一歩を踏み出す場にしたいと思います。すべての組合員の皆様に参加を呼びかけます。
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2018 夏
8月18日17時から暑気払い。事務所近くの「招き猫」にてカラオケ。持ち込みOKのお店だったので、ビール、コーラー、ワイン、食べ物を持ち込んで、13名でワイワイ。世代もいろいろ、歌もいろいろ。演歌、フォーク、ロック・・・。 飲んで、食べて、歌い、暑い夏を吹き飛ばしたぞ!職場のストレスも飛んでいけ! 熱いカラオケタイム3時間でした。
8月6日の夕刊トップ(朝日新聞)の写真に私は強く心を打たれた。被爆体験者の祖母に手を引かれ幼い時から毎年訪れている女性。一歳になる長女と原爆慰霊碑に手を合わせている。「これからも一緒に続けたい」写真から私は被爆体験の祖母、孫そして新しい世代へと続く、深く重い祈りを感じた。この5月、私は広島へ行く機会を得た。「広島へ行くなら絶対に平和公園へ行くべき」とIさんに背中を押され平和公園を訪ねた。そこでは、この地が原爆投下によって一瞬にして全てが破壊されたという衝撃が伝わってきた。そのとき何が起きたのか、想像を絶する惨事。資料館の遺品資料。耐震工事のため原爆資料館本館の見学が出来なかったので「今一度、広島へ」の思いが募っている。 ノーモア・ヒロシマ。ノーモア・ナガサキ。二度と戦争の惨禍を許してはならないと心に誓った。 遠足気分で出かけた先の駄菓子屋で、買えるアイスは決まってるのに、長い時間ケースを覗き込んでましたね。ホームランバーかガリガリ君かチューチューアイス。いつも分け合えるからチューチューアイス。 100円の「宝石箱」が本当に宝石に見えてた。憧れの遠い存在「宝石箱」。いつも駄菓子屋のおばちゃんに「早く蓋を閉じなさいよ」と注意されていたっけ。 家では『ない』と分かっていても冷蔵庫の冷凍扉を繰り返し開ける。『やっぱりないか〜ぁ』と10分位前に思ったばかりなのにまた思ってがっかりして、氷を噛ったな。繰り返しやれば氷は無くなる。今度は氷が固まったかどうかが気になってパカパカ扉を開けては落胆を繰り返す。そして、ここでは激しく怒られる。「何やってんの!さっきから!!早く閉めなさい!!」←なにせ兄弟三人でやっているのだから。とてもとてもたまに高級アイスクリームレディボーテン様が冷蔵庫にあった時は!!・・・皆さんのご想像通りです。 (ByQ)
3日目は、カールコースで今回の縦走のメインともいえる2840m黒部五郎岳をめざす。豪快な景色が広がるカール中央の急登をガツガツと登る。肩にリュックをおいて、360度の展望が広がる山頂を往復。中俣乗越、赤木岳、北ノ俣岳とアップダウンを繰り返し太郎平小屋に到着。 よくぞ歩いた10時間。亡くなった登山家の田部井敦子さんの言葉「足を前に出せば登れるよ」が何回も頭のなかをグルグル。
4日目は薬師岳をピストン。薬師峠を過ぎ樹林帯の急登を登りきると、別世界の大きなケルンとベンチのある薬師平。再び強い日差しのなかを登り、薬師岳山荘に到着。さらに砂礫の斜面をひたすら登ると遭難碑がある頂上に、と思いきやまだまだ先。登り切った頂上には、信仰の山ということで薬師如来が祀られた祠が建っていた。 5日目(8月7日)は折立に下山。毎日10時間近く歩き続ける縦走は限度かなと思いながら帰宅。歩き通すことができた足に感謝。同時に一歩の積み重ねが登山なのだと実感した夏山行であった。 (桃) |
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